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第17話 秩序と混沌

「君たちの噂はかねがね聞いているよ? 最強の弟子にカーライルの天才、既に複数の調合資格を持ったポーションマスター。うんうん、とても一年生とは思えない肩書きだよね」


 最初から『そこ』に居た。

 何食わぬ顔で、魔法カクテルを飲んではしゃぐ千尋たちの隣に座っていたのである。

 金髪に空色の瞳の少年、しかも、狐耳に九つの尾を持つという特徴的な姿の存在が。

 けれども、千尋たちはその少年――イオスという先輩から声をかけられるまで、全くそのことを意識しなかった。

 意識できなかった。


「――――っ!」


 フレイヤはイオスから声を掛けられ、その顔と自身の頭の中にある知識を一致させた瞬間、素早く両脇の友達二人を抱えて飛び退いた。


「んぎょわ!?」

「ふ、フレイヤ!? 一体、どうしたの!?」


 一方、両脇に抱えられた二人、ヒカリと千尋はまだ実感が伴っていない。

 魔術師が跋扈する世界においても、目立つ容姿であるイオスが、今の今まで誰の注目も受けずに、周囲に馴染んでいたという異常事態の。それが魔術で行われ、その上、一人前以上の実力を持つフレイヤが、イオスがやった魔術の痕跡にまるで気づけなかったことの。

 何もかもが格上の先輩魔術師が今、目の前に現れたという脅威を、正しく理解していなかったのだ。


「何の御用でしょうか? 混沌の王――イオス先輩。ワタクシたちは、貴方の派閥に迷惑をかけるような真似をした覚えはありません」


 フレイヤは魔力を練らないまま、けれども警戒を保ったままイオスに問いかける。


「もちろん! 君たちは持っている力の割に、きちんと校則に従う良い子たちだということは理解しているよ? 僕も、僕の友達も、君たちに何か迷惑をかけられたわけじゃない」

「では、何のために?」

「もう、君ならば察しているんじゃないのかな? フレイヤ・カーライル」


 イオスは柔和な笑みを浮かべたまま、フレイヤに答えた。


「スカウトに来たんだよ。君たち三人は優秀だからね。早い内に、『お友達』になっていた方がお得だからね」

「…………それは、お断りすることが可能なことですか?」

「もちろん! あー、だけどね? あまりおすすめはしない」


 おすすめしない、という言葉にフレイヤは反応した。

 即座に体内で魔力を回し、己の体内に住まわせている中級精霊を叩き起こす。

 これにより、フレイヤの吐息はマグマよりも熱く、紅蓮の色を帯びた。


「――――落ち着こうか、フレイヤちゃん」


 だが、それは直ぐに収まることになる。


「いいかい? 『おすすめしない』ということは、こちらが君たちに対して害を与えることではない……だけどまぁ、ごめんね? 勘違いさせる言い方だったかも?」


 ぽん、とフレイヤの背中に、イオスの手が触れていた。

 ただそれだけのことで、フレイヤは己のオドの動きが止められたことを理解した。

 オドが他者から干渉され、支配される。

 これは魔術師同士に於いては絶対的な格差を示す現象である。

 何故ならば、己自身のオドという最も扱いやすい魔力を支配されるということはつまり、何をどう足掻いても――否、魔術師としては抵抗も許されないということだ。

 魔力を扱えなくなった魔術師ほど、脆い存在は無いのだから。


「おすすめしない、と言ったのは君たちが目立ち過ぎたからさ。わかるかい? 僕に目を付けられているということは既に、『秩序』の連中にも目を付けられている可能性もある」

「……秩序。噂程度は聞いていますわ。品行方正で規律にこだわる生徒たちの派閥だと」

「あははははっ、品行方正? 規律にこだわる?」


 敵意と警戒を隠さずに言うフレイヤの言葉に、イオスの笑みが消えた。


「あれは自分たちのルールを他人に押し付ける自警団ならぬ私刑団だよ。拘束を破っていない生徒に対しても、独善的な判断で私刑を実行することもある。正直、反吐が出るね」


 うんざり、という表情を隠さずに舌を出すイオス。

 その反応に、フレイヤは僅かな手ごたえを感じていた。

 先ほどまで飄然とした態度だったというのに、秩序派閥のことに関しては不快感を隠さない。等身大の感情をむき出しにする。

 交渉するのならば、ここがフックだと感じたのだ。


「では、混沌派閥は違うのですか? 『規律を無視する荒くれ者や愉快犯が多い』という噂は聞きますが?」

「ああ、うん。それは否定しないよ。でも、補足。少なくとも、校則を無視した生徒は、全員教師が処罰を下した。愉快犯と言っても精々、ギリギリのグレーゾーンで遊ぶ程度。集団でリンチ染みた私刑を行う奴らとは比べて欲しくないね」

「…………つまり、今回はワタクシたちを勧誘しに来たというよりは、『秩序』に入らないように、という警告なのでしょうか?」

「んんー、まぁ、それも理由の一つだけど、あくまでついでだよ。本題はこれから」


 フレイヤは『秩序に所属しないことを約束して、混沌からも離れる』という結論に持っていきたかった。人見知りのヒカリと『天球世界』に来たばかりの千尋に、学内での派閥戦争に参加させるなんて酷だと思ったからだ。


「――――不穏な噂が流れている」


 だが、イオスの表情は先ほどまでとは異なり、真剣そのものだ。

 真剣に、後輩三人の身の安全を案じている。


「『革新主義者』たちが、魔王の転生者を探して学内に潜り込んだかもしれない。そういう情報が僕の下に入って来た」

「ん、なっ!?」


 そして、イオスが告げた情報は、フレイヤの頭から先ほどまでの懸念が吹き飛ぶほどの衝撃を与えた。

 学内の派閥がどうこう言っている場合ではない、と考えてしまうほどの衝撃を。


「冗談……ではないようですわね。冗談であって欲しかったですけれども」

「僕としても、そう思うよ。だからほら、ね? こんなイレギュラーが起きているんだ。色々と目立っている新入生を保護しようと動くのは、一つの派閥のまとめ役として……いいや、先輩として当然のことだろう?」


 革新主義者に魔王の転生体。

 カーライルという名家の一族であるが故に、フレイヤは二つの単語の厄介さを思い知っていた。


「……んん?」


 けれども、フレイヤに抱えられている千尋としては、さっぱりわからない。

 そろそろ一か月以上は『天球世界』で過ごしている千尋であるが、そのような単語は耳にしていなかった。


「あの、すんません。アタシにも詳しく説明を――」


 故に、千尋は素直にわからない言葉の意味を聞こうとして。



「そこまでです、イオス先輩。不確定な情報で一年生を怯えさせるのは止めてください」



 喫茶店内へと、更なる介入者が現れた。



●●●



 介入者は巨体の青年だった。

 身長は二メートルを優に超えるほど。

 体躯は筋骨隆々。

 黒髪とアジア系の顔立ちであるが、瞳の色は宝石のような鮮やかな赤だ。

 そして、暴威の塊のような巨体を持ちながらも、赤色の瞳を隠すようにかけた銀縁眼鏡からは、介入者の知性を感じさせられる。

 何より、その介入者はミネルヴァ魔法学園の制服を纏い、杖をその手に携えていた。


「不安を煽るような物言いで、有望な一年生を保護という名目で自分の傘下に入れる。また、いつものやり方ですか? イオス先輩」


 介入者の青年は、喫茶店内に居たほぼ全員が押し黙るほどの威圧感を発していた。

 その威圧感の強さに、千尋はどこか師匠であるクロウとの類似性を感じた。

 そう、ただそこにあるだけで他者を圧倒する強者の類似性を。

 無論、類似しているというだけで、千尋はクロウと同じぐらいこの青年が強いとは考えていないが。


「やぁ、マイク君。『騎士王』の右腕であるマイク・ロングスティア君じゃないか。どうしてまた、タイミング良くここに?」


 威圧感溢れる青年――マイクに、けれどもイオスは平然と語り掛ける。


「我々は学校の守護者たる存在です。当然、危険人物はマークしていますとも」

「それは僕のことかい? それとも、この三人の一年生たちのこと?」

「当然、貴方のことです。我々はこの学校に入ったばかりの一年生を危険に思うほど過敏でもなければ、軟弱でもない。ただ、この学校での過ごし方を指導しようとは考えていました」

「指導、指導ねぇ? 学校での過ごし方を強制するって言うのは、命令と何が違うのかな?」

「少なくとも、ルールの穴を突いて、他者を弄するような小悪党の所業よりはマシでしょう」


 イオスの笑みは邪悪に歪む。

 マイクは無表情のまま、眼鏡の位置をすっと直した。


「醜悪な偽善者め」

「傲慢な小悪党め」


 次の瞬間、喫茶店内の魔力が、イオスとマイクの二者にとって一気に染め上げられた。


「わかり切っていることだけど、一応言うね? 身の程を弁えろ、三下。僕に抗いたかったら、お前たちの王を呼んで来い」

「小悪党を誅するのに、王を呼ぶ騎士など存在しない」


 店内に居る魔術師たちは、即座にこの場が戦場になったのだと理解した。

 同時に、自分たちではどうしようもないほどの高みに居る怪物同士の戦いだということも理解した。理解させられてしまった。

 何故ならば、マナが動かない。

 店内のマナは全て、二人の怪物が支配してしまったが故に、他の魔術師程度の技術では、その支配を凌駕することはできないのだ。


「…………ふーっ」


 そんな一触即発の空気の中、フレイヤは静かにオドを練り上げた。

 既に、イオスの手はフレイヤの背中から離れている。故に、オドのみではあるが、魔力の操作が可能となったのだ。


「…………」


 フレイヤがオドを練り上げる中、先ほどまで緊張で動けなくなっていたヒカリだが、今は懐に手を忍ばせ、いくつかの魔法薬の選定を行っている。

 いつ何時でも、この場から逃走する隙を作れるように。


「…………あ、あああうあ」


 敵意と様々な思惑が入り混じる空気の中、この緊張に耐えられなくなった女性店員が、その手に乗せたトレイから、コーヒーカップが床に落ちる。


 ――――ガシャン。


 甲高いその破壊音が、二者の緊張を弾けさせ、今、怪物同士の戦いが始まる。



「こらぁああああああああああっ!!!」



 そのはずだった。

 千尋が怒声と共に、イオスとマイクへ【黒】の魔術をぶつけなければ。


「「!!?」」


 イオスとマイクは千尋と比べて、隔絶した能力を持った魔術師だ。

 いかに【黒】の魔術とはいえ、未熟な千尋の一撃は食らわない――そのはずだった。

 だが、イオスとマイクは互いに眼前の敵対者を警戒しており、最強の弟子という肩書きがあるとはいえ、千尋のことは眼中に無かったのである。

 そもそも、仮に【黒】の魔術を発動されても、即座に回避することが出来る。

 その自信があったからこそ眼中に無かったのだ。

 しかし、千尋は二人の格上の思惑を超えて、【黒】の魔術を届かせることが出来た。

 何故、そのようなことが可能だったのか?

 その理由は一つ。


「混沌だか秩序だか知らないけど! お店の人に迷惑を掛けんじゃねーよ、馬鹿どもが!!」


 千尋がブチ切れていたからだ。

 突然やってきて、自分たちの休暇を邪魔した上に、勝手にバトルを始めようとするイオスとマイクにブチ切れたからだ。

 怒りのままに、後先なんて考えず、ほぼ条件反射で【黒】の魔術を最速で撃ち込んだからだ。

 いかに未熟と言えども、千尋はクロウの直接指導を受ける弟子である。

 普段は平凡故に色々と考えすぎて行動が遅れることもあるが、今回の場合はその分のタイムラグが無く、結果として二人の先輩の反応速度を超えることが出来たというわけである。


「謝れ! お店の人に謝れ!! そんなことも出来ないような奴が所属している派閥なんて、アタシは何があっても絶対に入りたくねぇーよ!」


 だが、千尋はそんな過去最高の速度で発動した【黒】の魔術のことなど頭に無い。

 二人の先輩が、喫茶店の人に迷惑をかけた。

 しかも、下手をすればこれからもっとひどい迷惑をかけるところだった。

 この事実に義憤を抱き、シンプルな怒りで頭の中が満ちているのだ。

 【黒】の効果時間が終わった後、逆襲される危険性なんてまるで考えていない。

 その場限りの勇猛な正義感であり、蛮勇と呼んでも良い愚行だった。


「それでも、何か文句があるなら、アタシが相手になってやる!」


 そう、愚かな行為だ。

 立ち上がり、状況についていけずに怯える女性店員を守るように立ち塞がる。

 その行いは正義であっても、愚か極まりない。

 この後、二人の先輩から反撃を受ければ、三秒も経たない間に千尋は敗北するだろう。


「…………これは、後輩に教えられてしまったね?」

「…………恥じ入る想いです」


 けれども、愚かであっても千尋は行動に移した。

 己の正義を貫かんと、格上に噛みついた。

 この事実に心を動かされないほど、二人の先輩――イオスとマイクは狭量でもなければ人でなしでも無かった。


「「すみませんでした」」


 冷静さを取り戻した二人の先輩は、怒る千尋の見ている前で、深々と女性店員へと頭を下げたのだった。




 これで、めでたし、めでたし。

 二人の先輩は理性的な思考を取り戻し、各々の立場で建設的に千尋たちと話し合う。


「ああ、ううああうあうううう」


 そのような流れになるはずだったのである。


「もう大丈夫だぜ、店員さん。アタシがきっちりと二人を叱っておいたから! って、あれ?」

「うううううぅうう…………ひひひっ」


 女性店員が千尋の背後から抱き着き、歓喜に歪んだ笑みを浮べなければ。


「ひひひひっ! ああ、今日はとても良い日です。瓢箪から駒とはこのこと。まさか、本来の目的よりも更に重要度の高い、最強の弟子と会えたのですから」


 女性店員――革新主義者の一人は、かくして千尋の前に現れたのである。

 その善意に付け込み、隙を突くように。

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