第15話 試験対策
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。
従って、フレイヤ・カーライルという格上の強敵を倒すため、千尋も何かを犠牲にせざるを得なかった。
それは健康?
否、健康は師匠であるクロウによって完璧に管理されている。
それは人間関係?
否、千尋は決闘の勝利により、むしろ多くの縁を得ることになるだろう。
では、千尋が犠牲にしたものは一体何なのか?
「…………や、やっばい……試験がやばぁい……」
――――勉強時間である。
「だ、駄目だ、これは……辛うじて赤点は回避できる感触はあるけれど……アタシはこれでも最強の魔術師の弟子……赤点ギリギリの成績なんて認められない……っ!」
放課後。
魔法学校の授業と、クロウの修行の合間にある僅かな休憩時間。
その貴重な休憩時間を、千尋は校舎の隅――学生たちによって発見された数少ない安全地帯である――で弱音を吐いていた。
「だ、大丈夫ですよ、千尋! まだ試験まで三日もありますし! 赤点を取らなければ、次の試験で挽回できますって!」
「う、うう……だけど、上がった株を早速試験で落としたくない……戦闘だけの馬鹿と思われたくないよぉ……」
ルームメイトにして、学内の相棒枠であるヒカリに慰められても、千尋の弱音は止まらない。
「というか、これ以上師匠に失望されたくない……っ!」
何故ならば、千尋は未だ、クロウから受けた説教のダメージから脱していないからだ。
「み、見捨てられたくないぃいい……アタシみたいな平凡な奴、きっとどこにでも居るから、これ以上失望させるときっと、アタシは捨てられちゃうんだぁ……」
格上の魔術師にジャイアントキリングをかました千尋であるが、それはそれとして、十二歳の少女であることには変わりない。
しかも、他の『天球世界』出身の生徒とは異なり、『地球世界』で育った価値観がある。
親元から離れての慣れない環境。
魔術という馴染みの無い技術の修行。
その他、新しい環境による精神的負荷が重なった結果、こうして弱音を口に出してしまう程度には、今の千尋は弱っているのだった。
「いいえ、そんなことはないわ」
「ふえ?」
そんな千尋に、最近は一緒に居ることが多くなったフレイヤが、溢れる自信と共に断言する。
「いくら、最強の魔術師とはいえ、【黒】を継承できた弟子を簡単に手放すとは思えない。多少、試験で悪い点を取った程度で、手放すなんてありえないわ」
「そ、そうかな?」
「そうよ。大体、【黒】を継承できる人間なんてそれこそ稀有というか……貴方のどこが平凡なんだと疑問というか……まぁ、これはクロウ様が特別な教育方法を用いている可能性もあるけれど、間違っても原初の魔術、しかも魔術殺しの【黒】を扱える弟子を見捨てるなんてありえないわ」
「おおっ! …………いや、でも、特殊技能に頼って、基礎を疎かにするのってなんか、堕落フラグになりそうで怖い……」
フレイヤの自信に感化されて、一瞬だけは持ち直した千尋であるが、今日はとことん悪い方向に考えすぎる日らしい。
クロウに見捨てられない保証があったとしても、それに胡坐をかくような真似は出来ない。
むしろ、そんな奴は師匠の弟子に相応しくない、と自虐方向に走ってしまう。
だが、これは仕方のないことだ。
大体の人間というのは、弱っている状態から簡単に立ち直れたりはしない。
誰かの言葉で良い方向に向かったとしても、そこから立ち直るには時間が必要なのだ。
そして今回の場合、千尋の悩みの原因は試験にある。
これが過ぎ去らない限りは、千尋の弱音は収まらないだろう。
「やれやれ、仕方のないマスターね。でも、貴方の成績不振はワタクシが決闘を申し出たことが原因……ならば、ワタクシが三日間の間、みっちり勉強を教えて――」
「ちょっと待ったぁ!」
フレイヤが千尋に向ける慈悲と友情の言葉、それを遮るようにヒカリが割って入る。
「私は! ですね! その! 座学ならフレイヤよりも成績が良い!」
「ふむ。そうね、それはその通りよ、ヒカリ」
「つまり、私の方が千尋に勉強を教える適任なのです!」
「ふむ…………そう、かしら? 大丈夫? 貴方はなんとなく、天才肌の個人主義に見えるのだけれども――」
「大丈夫です!」
「おぎゅえ!?」
ヒカリは子供がお気に入りのぬいぐるみに抱き着くように、千尋を確保する。
その力が思いの外強いのか、千尋は「おぎゅげえええ」と奇声を上げて呻いていた。
「私は千尋の親友ですから! 親友が困っている時は! 助けになります!」
「そう。わかったわ、なら、貴方に任せて――」
「たとえ、親友が苦しみ藻掻いても! 心を鬼にして、親友の目的を達成させます!」
「いや、本当に任せて大丈夫かしら?」
半信半疑のフレイヤだったが、ここ最近、千尋が構ってくれる時間が減っていたヒカリは強く押し切った。
本来、ここまで強く他者と関わろうとしない陰キャ気質を自称するヒカリであるが、その実、一度手に入れたもの――特に、優しくて気の良いルームメイトとの絆には固執しているようだ。
「良薬は口に苦し! それを体現する私の勉強方法! とくとご覧あれ!」
「おぎゅごえええ……く、くるし……つらい……」
「それは良いけれども、千尋を早く離してあげなさい」
ただ、その執着を向けられる当の本人は、いまいちその自覚が薄かったりするのだが。
●●●
女子寮の個室。
千尋とヒカリが共に過ごす部屋。
けれども、そのいつも通りの場所が今は、やたらと草原感溢れる臭いというか、青臭いというか、薬草が煮えたぎる臭いに満ちていた。
「ふ、ふひひ……千尋、私は思いました」
「はい」
「コミュ障の私は、今までろくに人に物を教えて来なかったと」
「今更???」
「だが、しかし! 私はこれでも幾つもの魔法薬学の資格を持つ『ポーションマスター』なのです! コミュニケーションの問題は魔法薬で解決します! ということで」
千尋の前には、テーブルに置かれた勉強道具の他に、紫色の液体の入ったフラスコが一つ。
「千尋、ここに髪の毛を一本入れてください」
「……ええと、こんな感じ? うわぁ、溶けた」
「はい、そんな感じです。ありがとうございます――――せぇのっ」
そして、千尋は躊躇いながらも言われた通りに、自分の髪の毛を一本、紫色の液体に入れて。
「ごきゅごきゅ」
「えっ?」
千尋の髪の毛を溶かした紫色の液体を、ヒカリは何の躊躇いも無く飲み干した。
「ちょっ、あ、えー!? た、タンパク質! 髪の毛はタンパク質! タンパク質を溶かす飲み物を飲んで大丈夫!? いや、大丈夫なわけが無い!!」
「ご安心を。魔法薬なので、ノーダメージです」
「本当ぉ!?」
「まぁ、予め準備薬を飲んでおかないと、ちょっと食道が爛れますが」
「劇物ぅ!」
「魔法薬なんてそんなものですよ……さて」
魔法薬を飲みほしたヒカリは、その後、噛みしめるようにうんうんと頷いた後、かっと目を見開く。
「うん、わかりました――――走れ、自動書記」
紡がれるは魔術。
『天球世界』に於いては、生活に類する低難易度の魔術。
思考したものをそのまま、紙に書き出すという一般的なものだ。
しかし、一般的だからこそ、その練度には違いが出やすい。
自分の思考をそのまま書き写すという特性から、余計なものを書き込んでしまうケース。普通に手で書くよりも筆記が遅くなってしまうケース。書き記すのは文章だけが精々で、絵や図形は書き記せないケース。
だが、ヒカリの自動書記は、そんな一般的な失敗からは程遠い練度にあった。
「わぁっ」
思わず感動の声を上げる千尋。
何故ならば、千尋の目の前では、三本の羽ペンがまるで、プリンターのように拘束で丁寧が文字を次々と紙に書き記していたからだ。
その速度たるや、この短時間だけに限るのならば、『地球世界』の高速プリンターを凌駕する域にあった。
「凄い、凄い! ヒカリ、凄い! 魔術師っぽい!」
「千尋はなんか、『地球世界』に於ける魔術師のテンプレ、みたいな光景を見るとテンション上げますよね?」
「おうともさ! アタシ、そういう作品大好き!」
「私もそういう作品は見たことありますけど、こう、知らない地元の話をしているような気分になるのですよね……っと、はい、終わり」
千尋とヒカリが会話をしていると、羽ペンたちはぴたりと動きを止めた。
どうやら、書き記すべきものは全て記したようだ。
「千尋の髪の毛から情報を取得して、『わからない部分』や『何がわからないのかわからな部分』の対策と解説を全て書いておきました。基本、ここにある内容を全部覚えれば、今度の試験は平均点を越えると思います」
「えっ、本当!?」
「もちろんです。千尋の情報を得たことで、今の私は千尋の試験対策マスターと呼べる存在です。普段ならばすれ違ってしまうところも、千尋の感性に合わせた分かり易い説明も可能な状態……ただし、この状態は三十分しか持たないので、可能であればその内に一度全部終わらせてください。そうすれば、途中でわからないところがあっても説明できますし」
「三十分…………こ、この、ちょっとした短編小説ぐらいの厚さのものを三十分で?」
フレイヤとの決闘で怖気づかなかった千尋であるが、目の前に置かれた紙の束には、年相応の子供のように怯えていた。
「ふひゅっ、大丈夫ですよぅ、千尋。千尋のやる気と集中力を上げるための秘策があります」
「おおっ! それは一体!?」
「はい、これです」
ごとん、と千尋の前に於かれる真っ赤な液体の入ったフラスコ。
その隣に置かれるのは、何やら木製のペンケースのような何か。
「これは毒です」
「これは毒です!?」
真っ赤なフラスコを指し示し、平然と言うヒカリ。
「飲むと、三十分後に血反吐を撒き散らして瀕死状態になります。大丈夫、死にません。ただ、物凄く苦しい時間が続くだけ」
「拷問用の奴なの!?」
「そして、この中には解毒剤が入っています」
木製のペンケースのような何かを指し示し、平然と言うヒカリ。
「ただし、この中にある解毒剤は、私の用意した試験対策用紙を全部読み込まないと手に入りません。施錠魔術がかかっていますので」
「…………あ、あの、ヒカリ? 嫌な予感がしてきたんだけど? ひょっとして、アタシがこの毒を飲んで、時間制限までに試験対策を終えないと……って奴?」
「ふひひっ、違いますよ、千尋。これは――」
戸惑う千尋の魔の前で、やはり平然な顔をして――――ヒカリは赤いフラスコを手に取り、その中身を全て飲み干した。
「私の覚悟を示すためのものです」
「ば、ばかぁああああああっ!!?」
その後、千尋は死に物狂いで集中力を発揮し、ギリギリのところでヒカリに解毒剤を飲み込ませることに成功したのだった。




