【第十六話『特別になる日』】②
◆幻想
中庭を抜けた先にある古い実験棟――
時間の止まったような静けさのなか、廃材とコードの山を背景に、ユリが両手を広げて叫ぶ。
「ここ、秘密基地にしていい?」
「指導的立場としてはダメかな〜」
ハクが笑いながら答える。だがすでに、ホログラフコードの端を拾っている。
ユリはきゃっと笑ってしゃがみこみ、地面に落ちた銀色のビット片を両手で拾い上げた。
「これ、リゲルくんのアバターでしょ?」
「……ん、まあ。でも、それは壊れたやつだよ」
リゲルは腰を落とし、コードの端子を指で整える。なぜか、それが妙に丁寧だった。
使い古された素材を“動かないようにする”――戦場では決してやらないような調整を、自然にしている。
ビット片に小さな発光素子を取り付けると、淡い光が溢れ出す。
ユリは「うわあ」と目を輝かせ、指でくるくると回してみせた。
「これ、星になるね! ……ねえ、きれい。すっごく、きれい……」
「違うよ、それは……」
言いかけて、リゲルは言葉を飲む。
たしかに、それは星だった。戦いのために創ったはずの武器が、ここではただの、光るオモチャになっていた。
そのとき、入口の方から「わーっ!」という声がした。
ぴーちゃんだった。羽根をばさばさと広げながら、上空から滑空するように飛び込んできた。
「わっ、いいなここ! ちょっと秘密っぽくて、でもひらけてて、ひみつひみつしてない感じ! わたしも基地員になる!!」
「ピーちゃん、それ言いたかっただけでしょ」
「へへー♪」
ぴーちゃんは床に降りるなり、コードの山に突っ込んでいく。リゲルがそれを見ながら、少し肩をすくめる。
ユリがぴーちゃんをじっと見つめて、ふとつぶやいた。
「かわいい……」
ぴーちゃんが嬉しそうに羽根を揺らしたそのとき、ユリがもう一度ぽつりと呟いた。
「……きれい。なんか、宝石みたい。空から落ちてきた、小さな星って感じ」
「え? 本当!? えへへへ……」
ぴーちゃんがぱたぱたと嬉しそうに羽根を揺らす。
「ねえ、ちょうだい!」
「……は?」
リゲルが素で固まる。
「この子、ちょうだい! 連れて帰る!」
「無理だろ。ぴーちゃん、俺のだから」
「えー、一匹くらいならいいでしょ?」
「一匹だけなら……うーん……」
「はーい、はいはいはい、そうやって軽々しく言うでしょ!? でもね、わたし一匹じゃないからね!? 七匹で相談して、毎日“あのとき一匹渡されたのどう思う?”って蒸し返すからね!?」
「……めんどくさ」
ハクが吹き出す。「リゲル、今完全に地雷踏んだ顔してた」
ハクは旧式の投影レンズを見つけて、コードと接続し始めていた。
「昔の校内行事の映像、まだ入ってるかな……」
空間に、ガラス越しの光の粒が広がっていく。空中に舞う、小さな祭りの記憶。見知らぬ生徒たちが踊っていた。
「リゲルくん、踊れる?」
「おれは、ああいうのは……」
「じゃあ見てて! いくよ!」
ユリがホログラムの輪の中に入って、ステップを踏み始める。ぴーちゃんがきゃあと声を上げながら跳ねる。
ハクが手を叩いて合わせると、映像の光が少し揺れて、実際の空間と混じり合っていく。
「なんか……こういうの、いいな。技術って、こういうときほんとに美しいって思うんだよな」
リゲルは、その言葉に目を瞬かせながらも、どこか実用的な視線で装置の接続をチェックしていた。
リゲルは円の外側で、何かを測るように指を動かす。まるで照準を合わせるような正確さで、光の粒を“並べて”いた。
その手元には、訓練用に作った低威力のビットがある。完全に無害化された装備。
だがリゲルは無意識に、ユリの動きに「挟み撃ちの角度」を考えていた。光が交差する軌道。最小で足止めをする位置。
「……っ」
自分の思考に気づいて、リゲルは肩をすくめた。
「リゲルくんも、入ってよ!」
呼ばれて、顔を上げたとき、ホログラムの投影が一瞬“水面”に変わった。
小さな光の魚が、空中を泳いでいく。
ユリがそれを追って跳ね、ぴーちゃんが「つかまえろー!」と羽ばたく。ハクが笑って「逃がすなー!」と声を張り上げる。
リゲルは、一拍だけ遅れて立ち上がった。
「……そんな簡単に逃げてくれるかよ」
足元から、ビット片がそっと持ち上がり、光の魚と交差する軌道を描く。
命中率:100%
「つかまえた!」
ユリが叫び、手を伸ばす。
ホログラムが炸裂し、色とりどりの水飛沫が宙に舞った。
それは、ほんの十分ほどの“幻”だった。
時間が止まり、戦いも評価も存在しない場所。
音も匂いも、全部が丸くて優しかった。
リゲルは、胸の奥でふと息をついた。
――今なら、ほんとうに……何かを忘れられた気がする。
「また来てもいい?」
ユリはそう言ったあと、ふとホログラムの水面を見つめるようにして、小さな声で続けた。
「でも……夜はちょっと、さみしくなるんだ」
リゲルはその言葉に少しだけ目を伏せた。
ユリが言ったとき、リゲルはうなずきかけて――
ピピッ。
端末が、鳴った。
《通知:16時45分より模擬戦開始。対象チーム:ハク・リゲル・※空白。装備の再登録を完了してください。》
彼の指が、反射的にスリープ解除の操作をしていた。
◆青天の霹靂
模擬戦、スタンバイエリア。
「一体全体どうなってるんだ!」
リゲルの怒鳴り声が、控室に響いた。
ハクは肩をすくめながら、仮想スコアパネルを確認している。
「ねえリゲル、確認だけど……自分でエントリー申請した記憶、ないよね?」
「ないに決まってるだろ!? しかもこれ――エントリーネームが正式登録されてる!」
画面には、三人の名前が並んでいた。
《リゲル・テンム》
《ハクラビ・ヒミ》
《サダル・ミネザキ》
リゲルは目を疑った。
「サダル……? 誰が……」
「屋上だよ」
聞き慣れた、しかしどこかくすぐったい響きの声が控室の扉から響いた。
そこに立っていたのは――
「……お前、まさか……」
「うん。エントリーしておいた。リゲルの端末、勝手に借りちゃってごめん」
あっけらかんと笑いながら、サダルが中へ入ってくる。
「でも、あのビットと羽の調整を俺に任せた時点で、もうこうなるのは確定でしょ?」
リゲルは唖然として、しかし否定しきれなかった。
控室の壁際で、仮想端末の残り時間が淡く点滅していた。
《模擬戦開始まで残り3分。》
「……ねえ」
リゲルが口を開くと、サダルが小さく顔を向けた。
「サダルは、本当に……これ、勝てると思ってるの?」
「うん、勝てる」
答えは即答だった。あまりに迷いがなくて、むしろ不安になるほどに。
リゲルが口を開きかけた瞬間、ハクが自分の靴紐を結びながら軽く口を挟んだ。
「まー、なんとかなるっしょ。負けても死なないし。でも勝てたら、気分良いよね?」
「適当すぎる……」
「適当が強さってとこもあるんだよ。リゲルが“考えすぎ”て動けなくなったとき、オレは“動いちゃって”たほうが楽なんだ」
リゲルは黙って、わずかに目を伏せた。
「……俺は、まだ実感ないんだよ。サダルが言う“確定”ってやつも、ハクの“いつも通り”ってのも……どこまで信じていいのか、よく分かんない」
すると、サダルがゆっくりと立ち上がった。
「いいよ、分からなくても。君が今まで“そういうふうに考えてきた人”だから、ここまで来れたんだろうし」
リゲルが小さく目を細めた。
「じゃあ、なんでお前は……」
「俺?」
サダルは少しだけ口角を上げた。
「俺は“何となく”分かる側だからさ。未来のこと。勝つか負けるかとか。根拠? ないけど、“知ってる”ってだけ」
「……根拠ないのに動くなよ」
「君は、根拠があっても動けないタイプだよね」
「うるさいなあ。よくわかってるじゃん。」
ハクが吹き出した。
「あーあ、リゲル、完全に刺された顔してる」
その時だった。空間に光のゲートが展開し始め、転送起動の準備が始まった。
「準備完了まで60秒。精霊の召喚を推奨します」
淡い音声ガイドに従って、ハクが片手を挙げる。
「はいはーい、ルミレナ!」
水のきらめきが空間に広がり、白鷺のような分身型の水鏡が現れる。
続いてリゲルが、やや遅れて指をかざす。
「……来い、ぴーちゃん」
ぱっと現れた孔雀のような羽根が、空中に彩を描いた。
そして――
「……起きて、トバナイ」
サダルの足元に、小さな影が現れた。
スーツ姿のペンギン。片目にモノクル。直立不動で、まるで仕立てのいい従者のように。
「……ご命令を、坊ちゃま」
「精度確認、お願い。転送環境、歪んでたら修正しといて」
「承知いたしました」
リゲルとハクが、無言でその精霊を見つめたまま固まっていた。
「え……しゃべった?」
「ていうか、クラシックすぎない……?」
サダルは、少しだけ目を細めて笑った。
「“動く必要のない支援者”は、あれくらいでいいんだよ。言葉の方が早いから」
転送光が膨らみ、三人を包み始める。
《転送まで10秒――》
リゲルはふっと息をついて、心の中で何かを締めなおす。
(……信じきれなくても、動け)
ハクはポケットに手を入れたまま、のんびりと笑っている。
サダルは無言で、ただ先を見ていた。
――彼ら三人の構造が、いま、重なり始めていた。
《転送、開始。》
光が爆ぜ、三人の影が戦場へと放たれた。




