【第八話 『男は細菌、女は藻』】②
主人公:名前はリゲル。太陽双子座、月魚座。孔雀のような雰囲気を持つ少年。
戦術家だが感情に流されやすい。
この世界の外側の異形と関わり合う職業のアバター使いを進路に志望。
3人目の選抜戦のチームメンバーを探している。
ヒロイン:名前は、ラピス。太陽牡羊座、月山羊座。
小顔の丸顔でおでこと目が大きく背が小さいが、ほんの少し釣り目。
生徒会の役職にこそついているが、中身はぽんこつ。
周りの人間に助けられている。
気の強さの一方、ラピスラズリのように脆い非常に繊細な心の持ち主。
直感的で思ったら後先考えず、すぐ行動する。
手先が器用。後輩や動物の面倒見がすごくよい。
頑張りすぎてよく体調を崩す。花が好き。少し人見知り。
◆雨の土曜日、飼育小屋
図書館を出たあとのリゲルは、歩いているというより、ただ足を運んでいるような感覚だった。
雨は相変わらず霧のように降り続いていたが、肩に染みるその冷たさにも、もはや驚きはなかった。
アーケードの端まで来て、ほんの数秒だけ立ち止まる。
制服の袖口から滴る水が、足元のコンクリートに落ちて小さな輪をつくった。
そのまま、リゲルは東棟の裏に向かって歩き出す。
理由はなかった。ただ、心のどこかで、あの場所に“今のままでも受け入れてもらえる気がした”。
飼育小屋の引き戸をそっと開けると、あたたかな空気と土の匂い、そしてほんの少しの動物的な気配が流れてきた。
「……リゲル?」
ピアノの背中に毛布をかけていたラピスが、こちらを振り返る。
薄く広がる光の中、彼女の濡れていない制服が、リゲルの濡れた肩と対照的だった。
「雨の中、何してんの。びしょびしょ」
「ちょっと……来たくなっただけ」
ラピスは、ため息をついたような顔で、近くの棚からタオルを取り出して投げてよこした。
リゲルはそれを受け取りながら、ぎこちなく頭を拭いた。
「ピアノ、大丈夫?」
「うん。ちょっと冷えてたけど、今は平気。ボーカルとくっついて寝てるし」
ラピスの目線の先で、ボーカルとピアノが並んで眠っていた。
ピアノの方が少しだけ耳を震わせると、ボーカルが鼻先でぴとっと押し返す。
「……仲良いね、あの二匹」
「雌同士だけどね。意外と一番気が合うの、あの子たちかも」
静かな時間が落ちてくる。
外の雨音が屋根に反響して、ぽつぽつと規則正しく降っていた。
その下で、ふたりの会話もまた、どこか濡れたまま乾かずに続いていく。
リゲルは、空いているブラシを取って、隣のギターの背をゆっくり撫で始めた。
しっとりとした毛並みが、思った以上にあたたかくて、指先が静かになっていくのを感じた。
「ねえ、ラピス」
「なに?」
「“自分が誰かに何かを与えてる”って、実感ある?」
ラピスは手を止めた。
ピアノの背に置いていた掌をそっと離し、しばらく無言で目を伏せていた。
「……あるわけ、ないじゃん」
その声には、怒りも悲しみもなかった。
ただ、ひとつの答えとしての静けさがあった。
「私なんてさ、ずっと誰かに助けてもらってばっかりで。
生徒会でも、周りがすごくて、自分が出した意見も結局“それいいね”って加工されて、
最終的にみんなの言葉になって……それで終わり」
「……」
「顔色読んで、空気詰めて、誰も怒らせないように、誤解されないように。
“向いてるね”って言われるけど、実感なんてない。
むしろ、“借り物でやってる感”がずっとある」
リゲルは、ブラシを止めて、ギターの背中に手を置いたまま、静かに口を開いた。
「……僕も、今日、考えてた」
「うん」
「自分って……誰かに何かを“渡せる”ような人間なのかなって」
その声は、飼育小屋の静けさに溶けるように、淡く、けれど確かだった。
「誰かを助けたとか、変えたとか、何かを築けたって感覚、ほとんどない。
どれも“たまたまそうなった”って感じで……それで、“何もないんじゃないか”って言われると、
返せないまま、ただ胸に引っかかって残るんだ」
「……」
「図書館にも行ったんだよ。なんとなく。答えがあると思って。
でも、見つかったのは、答えじゃなくて……ただ、少しだけ霧が晴れたみたいな感覚だった」
ラピスは黙って聞いていた。
ピアノの背中で丸くなっていた手を、無意識のように握りしめては緩め、また静かに置き直す。
その指先が少しだけ震えているようにも見えたが、リゲルは何も言わなかった。
しばらくして、リゲルがふと顔を上げた。
「……じゃあ、ラピスには俺が、何を与えられると思う?」
言葉にしてから、少しだけ間が空く。
問いというより、独り言に近かったかもしれない。
でも、それを受け取ったラピスは、ピアノから手を離し、こちらを見た。
そして、ほんのわずかに笑った。
「誠かな」
リゲルは一瞬だけ固まり、それから、あからさまに眉をひそめた。
「……それってどういう意味だと思う。
時代劇とかで出てくる言葉だよね。
ラピスって、意外と影響されやすいよね。」
ラピスは特に反応を返さず、ただ少し目を伏せた。
そして、まるでからかいに気づかなかったかのように、静かに言葉を重ねる。
「“誠”って、便利なんだよ。
他のどんな言葉よりも、まっすぐで、無口で、あやふやなのに、
でも――ぜったいに嘘がつけない感じがある」
雨音が、一拍だけ強くなった。
彼女の言葉が、それに重ならずに届く。
「なんていうか、そういうのって、見た目とか、器用さとかよりずっと深いところで誰かを支えてる気がする。
うまく言えないけど、そういう“目に見えない質感”みたいなのが、私にはちゃんと届くから」
ラピスは少しだけ黙っていた。
からかわれたことに反論するでもなく、ただ、ピアノの耳のあたりを優しく撫でていた。
その動作が一段落ついたころ、ふと静かに口を開いた。
「……“誠”ってさ、わかりやすくないところが、いいんだと思う」
リゲルはからかいの続きを構えたまま、口を閉じた。
「派手じゃないし、すごく地味だけど。
でも、そういう人って――言葉と行動がずれてないっていうか、一致してるよね。
言ってることと、やってることが一貫してて、ぶれない。
どっちかっていうと不器用なのに、でも、裏切らない感じがある」
ピアノが小さく寝返りを打つ。
ラピスはその背中に手を添えながら、ほんの少しだけ目を細めた。
「言葉にしづらいけど、そういう人を見ると、“この人の言うことは信じていいかも”って、勝手に思えるんだよね。
理屈じゃなくて、体温でわかるっていうか……」
その声には、思いつきの軽さはなかった。
けれど、言葉のどこかにまだ整理しきれない幼さと、直感への信頼が同居していた。
「そういう“まっすぐさ”って、たぶん、“かっこよさ”の一部だと思う。
顔とか強さとかよりずっと先にある、“見えない筋みたいなもの”。」
リゲルは、返す言葉を持たなかった。
ただ、静かにその言葉を受け取るだけだった。
ラピスはそれを確認するように、一度だけこちらを見て、すぐに視線を落とした。
「だから、リゲルにも、あると思ったんだよ。
自分で決めたことを、迷いなくやってるときの顔。
あれって、たぶん“誠”って言っていいやつなんじゃないかな、って」
言葉が落ちたあと、雨音が少しだけ強くなったように思えた。
けれど、それは外の音なのか、胸の中の波紋なのか、よくわからなかった。
「でもね、たぶん私は、そういうの、持ってないと思う」
リゲルは首を傾けたまま、ラピスの方を見た。
彼女の声はさっきよりも静かで、どこか少し、手探りだった。
「さっきも言ったけど、結局、私って、誰かに助けてもらってばっかりで……
生徒会の仕事でも、“すごいね”って言われるのは、たいてい他の子の動きとか判断だったりする」
ピアノの毛並みを撫でる手が、ほんの一瞬、止まった。
ラピスは、そこから目を離さないまま、話し続ける。
「前に、一つだけ、提案したことがあるの。
全校の掲示物の更新、もうちょっと伝わるようにクラスの代表に直接お願いした方ががいいって。
でも、先輩が“それ、いいね”って言ったあとで、気づいたら別の案にすり替えられてた」
リゲルは、言葉を挟まずに聞いていた。
「それでも一応、私の案から出たことだからって、名前だけは残った。
“いい働きしたね”って言われたけど、私、自分の出した言葉がどう変わって、どう使われたかさえ、よくわかんなくて」
ラピスは、少しだけ肩を竦めた。
「みんなを困らせたくないから、空気は読む。誰も嫌な気持ちにさせたくないから、声の出し方も考える。
でも、その分、自分の言葉は薄まって、曖昧になって、誰かの手直しの上でやっと形になる。
……気づいたら、私の仕事って、全部“借り物”みたいになってた」
リゲルは、ブラシを止めた。
ギターの背に手を置いたまま、彼女の声だけを受け止める。
「なんていうか……前に出たら、逆に邪魔になる気がして。
でも後ろにいすぎると、“ラピスも頑張ってるね”って、ちゃんと見てもらえる。
……それ、たぶん、“助けてもらってる”ってことだよね」
リゲルは何か言いかけたが、言葉がまとまらずにいた。
ラピスは、自嘲するようにふっと息を吐いた。
「……自分から何かを渡せたことなんて、たぶん一度もない。
ねえ、こういうのって、リーダー失格かな」
その問いかけは、真正面ではなく、あくまで空気の中に置かれるように落とされた。
でもその声は、明らかに、「誰かに否定されたい」のではなく、「肯定の予兆を信じたい」という、かすかな願いを含んでいた。
リゲルは、ギターの背中をひとなでするようにしてから、静かに口を開いた。
「……じゃあさ」
「うん?」
「“助けてもらうこと”を、極めてみればいいんじゃない?」
「それって……どういうこと?」
ラピスが顔を上げた。
一瞬、意味がわからなかったというように、眉をひそめる。
「ほら、“この子にはつい手を貸したくなる”って言葉、あるじゃん。
誰かが自然と動きたくなるような空気を持ってる人って、実は、すごく才能あると思うんだよね」
ラピスは、まだ目を細めている。けれど、その目の奥で何かが小さく動いた。
「たとえば、生徒会でも。
ラピスがいると場がまとまるとか、空気がよくなるとか、
そういう“気づかれない部分”って、実は一番大事でしょ。
それができる人って、めったにいないし、真似もできない。
でも、ラピスは――無自覚のうちに、それをやってるんだよ」
「……」
「だったら、“誰かに助けられてばっかり”って自分を責めるより、
“私は誰かを引き出せる”って捉えてみたら?」
ラピスは返事をしなかった。
ただ、その肩の線がわずかにほどけていく。
「助けられることって、甘えじゃないと思う。
信頼の証でもあるし、“一緒にいたい”って思わせる力だよ。
……つまり、武器になる」
そう言い終えてから、リゲルは少しだけ照れたように笑った。
「……人気者キャラになっちゃいなよ、ラピス」
言い方は軽かったが、そこに込められた意味は、本気だった。
ラピスはぽかんとした顔でリゲルを見て、それから、不意にふっと息を吐くように笑った。
「なにそれ、強引……」
「“誠”のある人の言葉だし、たぶん、効き目あるよ」
「自分で言っちゃうんだ……そういうとこだぞ」
呆れたような声色。けれど、そこに棘はなかった。
ピアノの背に寄りかかるように体勢を整えながら、ラピスは小さく目を閉じた。
「でも、なんか……ちょっと救われたかも。今の」
「なら、よかった」
そのまま、ふたりはしばらく黙っていた。
けれど、雨音の下で流れていたその沈黙は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
湿っていたものが、少しだけ、芯を持ち始めていた。
それはたぶん――
“誠”という言葉を、ただの美徳としてではなく、
それぞれの自分にとっての「課題」や「方法」として捉え直せたからだった。
リゲルにとって、“誠”とは、思っていることを、ちゃんと行動で示すことだった。
言い訳をせず、立ち止まらず、ごまかさずに「一致させること」。
それは不器用で目立たないけれど、確かに人の心を動かす力になると――ラピスに教えられた。
一方で、ラピスにとっての“誠”は、
自分を含めて誰かを無理に変えようとしないことだった。
思い通りにしなくても、ちゃんと伝わるものがある。
だからこそ、自分を必要としてくれる人に、安心して“助けてもらうこと”そのものが、信頼の証になるのかもしれない。
“渡す”ことと、“受け取る”こと。
それは対立じゃなく、輪のようにつながっていて、
そのまんなかに――
ほんの少し、不器用だけどまっすぐな“誠”という灯があった。




