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第42話


 アノーマリー01:デーモン

 種別:黒

 ※上級以上の職員に開示可能な情報。


 アノーマリー01(以下、01)は、大災厄の元凶である。

 01は異界より来訪した人に近しい外見を有する知的生物である。

 全長2~3m。

 質量推定1t。

 有翼(飛行可能)。

 爪と牙を有する。厚さ数センチの鋼鉄をたやすく引き裂く。

 鱗状の外皮を有する。拳銃程度の弾丸をたやすく跳ね返す。

 生体機能として、火炎放射、放電、人類種への擬態、人類種との交配、他無数のアノーマリー能力を有する。

 大災厄当時、帝國軍および02、03によって撃滅されたと考えられていた。しかしその後の調査により、相当数の01が残留し、人類社会に潜伏しているという恐るべき事実が明らかになった。



「駄目よぉ、こんな大きな落書きしちゃってぇ。掃除するのが大変だわぁ」


 センパイが。いや。亜子先輩が、小首をかしげながらやさしく微笑む。

 いつもの見慣れた表情と態度だった。


「副会長、貴女ですね。貴女がこの第一中で“力”をバラまいた張本人。歪みの元凶だ」

「いったい何のことぉ? ゲームとか、ライトノベルの話ぃ?」


 新太からの追及に対し、やはりいつものようにのほほんと応じる先輩。そう、極めていつも通りだ。このふにゃけた笑顔も物腰も。誰の心だって解きほぐしてしまう柔らかな態度だ。

 だけれども、どうしてだろうか。彼女のそれが、今では本性を覆い隠すための分厚いベールのように思えてならない。その内側からすぐにでも悍ましい何かがとび出してきそうで。


「とぼけないで下さい!」


 新太が叫んだ。その両目は、亜子先輩を真正面からキッと見据えている。


「状況が示している。今だってそうだ。何故、貴女は、ここに来たんです? それが答えだ」

「偶然よぉ。たまたま忘れ物を取りに来てぇ。それで、体育館で人の気配がしたからぁ、ちょっと来てみたのぉ」


 新太に語りかけながら、亜子先輩がゆっくりと歩き出した。魔法陣の淵に沿うように、ゆっくりとだ。その足先は、わずか1mmたりとて魔法陣に触れようとはしない。

 床に描かれた模様と杏樹たちを交互に見つめて、まるで猛獣が獲物の様子を観察して、襲い掛かるタイミングを計っているかのようだ。

 そんな彼女から目を放さず、軽く身構えながら新太が続ける。


「いいや違う。貴女は前もって知っていたんだ。今夜僕らがここで待ち構えていることも。あの空き教室で魔法陣を直そうとしていたことも。歌舞伎町で、大事な情報を運んでいたことも。きっと他にもいろいろと。魔法屋さんと同じく、予知したんだ」

「予知? 未来のことが分かってたってこと?」


 杏樹が割り込む。

 

「魔法屋さんは“占術”と言っていた。無数に枝分かれする世界線の中から、到達しうる未来の情報を読み取るって。副会長も同じようにして、未来を予知していたんだ。でも予知っていうのは確定情報を得られるわけではなくて、あくまでも無数の可能性を読み取るしかできない」

「だから……だから先輩は直に確かめてたの? 歌舞伎町のときも、あの特別教室のときも。今日の3年A組での騒ぎも。そして今も。誰が魔法屋さんの命令で動いているかを知ろうとして」

「いいや、今回に限っては違う。ですよね、先輩?」


 先輩がぴたりと足を止めた。ちょうど魔法陣を一周したのだ。気のせいか、笑みがより深くなったように見える。


「今、周囲には僕らの他に誰もいない。つまり目撃者がいないんだ。それなら、目障りな僕らを排除したいでしょう? 今回はそのためにここに来たんだ」

「……さっきから訳が分からないわぁ。どうしちゃったのぉ、そんなに怖い顔しちゃってぇ」

「あくまでもとぼける気ですか? それなら副会長、こっちへ来てください。ほら、“ここ”に」


 新太が足元の対悪たいあく魔法陣を指さす。悪意ある力から守ってくれるという魔法陣。杏樹たちのように普通の人間ならば、何の問題もなく足を踏み入れることができるはずだ。

 だが先輩はその場から動かない。ニコニコと笑ったまま、ただじっとこちらを見つめている。


「ねぇ、新太くん。ちょっと落ち着いてぇ。私の……」


 先輩が軽く右手を挙げようとする。それよりも速く新太が動いた。

 上着のポケットから拳銃型のスタンガンを取り出し、先輩に向けて構えたのだ。早撃ちっていうんだっけ、こういうの。驚くほどにスムーズな動き。何度も何度も繰り返し練習したに違いない。

 だがさらに驚くべきことに、放たれたスタンガンの針が身体に刺さる前に、先輩はそれを片手でつかみとってしまった。そしてそのままワイヤーを引っ張り、新太の手からスタンガンを奪い去ってしまう。

 そろって驚愕する杏樹と新太。

 人間技じゃぁない……!


「危ないわぁ。こんなもの、人に向けたら駄目よぉ」


 戦慄する杏樹たちをよそに、やはり笑みを浮かべ続ける先輩。スタンガンを床に放り捨ててしまう。


「……副会長。僕はずっと不思議だったんです」


 新太は軽く息をついて言った。


「どうして貴女は、そんなふうに笑っていられるんです?」

「……うふふ」

「僕は人の気持ちを察するのが苦手だ。でも、こんなことをされたら怒るか驚くかするってことくらいは分かる」

「うふふふふ」

「副会長。貴女はいったい、何がそんなに面白いんです?」

「う、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」


 先輩が口元をおさえ、肩を小刻みに震わせる。昂る感情を必死に抑え込んでいるようだった。


「だってぇ、面白いじゃぁない?」


 亜子先輩が口の端が吊り上がる。

 いいや、違う。口が大きく裂けている。本当に、口の端が耳にまで到達しそうなくらいになっているのだ。

 人間じゃぁない……!

 

「下等で脆弱な存在が一生懸命に抵抗するのを……踏みつぶしてやるのって!」


 先輩が今一度、右手を持ち上げた。手のひらを杏樹たちの方へかざす。


「アンジー、伏せろ!」


 瞬間、新太がはじかれたように動いた。わめきながら覆いかぶさってくる。それをはねのけるよりも、怒るよりも先に。

 先輩の手から、炎が噴き出した。いつだったかの江田島先輩のときのように。

 だが今回は炎の色が違う。赤や青ではない。自然界には存在しえない、どす黒く禍々しい火炎。

 熱波が肌を焼くと同時に、言いようのない不快感が身体の内部からじくじくと滲み出てくる。

 だがそれだけだ。その黒炎によって、杏樹たちの身体が傷つくことはなかった。炎はまるで檻のように、ぐるりと杏樹たちのまわりを囲い込んでいる。ちょうど足元の魔法陣の淵にぴったり添うような形だ。

 そうか。この魔法陣が、守ってくれて。


「へぇぇぇ? けっこう強力なのね。でもぉ」


 炎の勢いが増す。それに呼応するように、足元の魔法陣が光を放ち始めた。それは力強いというよりも、むしろ焼ききれる寸前の電気回路のような危うさ。


 ぱぁんっ!


 数秒と経たず、ガラスが砕けるような音を立てながら魔法陣がひときわ強い光を放った。とっさに亜子先輩が火炎放射を中断し、両腕で頭をかばう。

 凄まじい光量だった。なのに不思議と、杏樹にはまったくまぶしく感じられない。だから、杏樹には“それ”がよく見えた。

 身体を起こした新太が、また何かを構えたのだ。

 突き出した左手に握られていたのは、スリングショットというやつだった。小さな金属の玉なんかをゴムの反発力で打ち出す、おもちゃみたいなもの。

 だがいま新太が、玉の代わりに右手で摘まんでいるのは……あれは魔法屋さんがくれた、ヘンな形のアクセサリー?


 ひょうっ!


 アクセサリーが、さながら“矢尻のような勢いで放たれる”。

 それは光に紛れ、一直線にセンパイの胸元へと吸い込まれるように突き刺さった。


「がぁっ!?」


 先輩が表情を変えた。

 初めて見る、苦痛と、怒りと、憎悪に満ちた表情。


「これは、聖戦士の……な、ぜ、お前たちがっ……!」


 身体を抱きすくめるようにしてその場にうずくまる。わなわなと肩を震わせ、苦し気にうめき声を上げる。

 駆け寄って手を差し伸べるべきか、などという愚かな思考が芽生えかけたが、すぐに踏みとどまった。

 ばりり、という絹が裂ける音とともに、彼女の背中から何かがとび出したのだ。

 羽だ。

 蝙蝠のそれを思わせる、しかしより邪悪で悍ましく、何より大きいそれが、亜子先輩の背中から生えてきたのだ。

 続いて身体全体が肥大化していく。はちきれた制服の中から、人間のそれに比して異常なほどに黒く、強靭な四肢が露わになっていく。


「アンジー!」


 杏樹の腕を取り、新太が走り出した。もはや砕け散った魔法陣に杏樹たちを護る力はなく、その場にとどまることは死と同義だった。

 異形と化しつつある先輩の横を駆け抜け、扉を力任せに引き開ける。体育館を飛び出し、暗い廊下を全力疾走……と、このあたりで早くも新太の息が切れてきた。すでに足がもつれそうになっている。

 

「しっかりしてよっ。もう!」

「ご、ごめん……」


 今度は逆に杏樹が新太の腕を引っ張って走る。が、すぐに足が止まった。

 なんと玄関までの道のりが、防火シャッターで塞がれているではないか。


「うっそぉ!? どうなってんのよ!」


 ならばとすぐ脇の非常用扉から出ようとするが、向こう側から押さえつけられているみたいにびくともしない。どうなってるんだ。まさか、先輩が“力”で何かしたのか?


「上だ……」

「え?」

「そっち……屋上、に……」


 新太が息も絶え絶えに階段の方を指さす。

 そうか、ここは特別棟だ。ならば屋上の扉は魔法屋さんの店に直結している。そこに逃げ込むことができれば……!

 新太を引きずるようにして暗闇の階段を上る。息が荒い。似たようなシチュエーションは何度か経験してきたが、今回ほどあせったことはなかったはずだ。

 いつ追いつかれるともしれない。

 あるいはすでに先回りされていて、今にも目の前にあの怪物が現れるのではないか。

 そんな恐怖に、心臓を握りつぶされそうになる。

 幸いにもそのような事態に陥ることはなく、2人は無事に屋上前の扉に到着した。

 だが、いつものように扉に描かれた魔法陣を突こうとして気づいた。その魔法陣が、見当たらないのだ。

 慌ててスマホを取り出し、画面の明かりでまわりを照らしてみる。

 やはり見当たらない。というより、件の魔法陣が描いてあった筈の場所に何もないのだ。

 ……消されてしまっている!


「ウッソでしょぉ!?」


 悲鳴を上げ、取っ手を握りながら扉を叩く。駄目だ、逃げ場がない。このままでは、もう。


 ずちゃ……


 階下から重たい音が聞こえてきた。ずちゃ、ずちゃ、とリズミカルに。まるでそれは、足音のようだ。

 『袋のネズミ』という諺が脳裏をよぎる。


「ヤバい! ヤバいヤバいヤバいって! もうそこまで来てる来てる来てるっ」


 わめいた拍子に取っ手をひねる。すると扉が開いた。あれ? なんで鍵が開いてるの?

 吹き抜ける心地よい風の音を感じると同時に、勢いよく屋上のコンクリート床へ倒れ込む。


「いたっ!」

「大丈夫か、アンジー」

「大丈夫なワケないでしょっ」

「どこか怪我したのか?」

「そっちじゃぁなくてっ! ああもうっ!」


 痛む手や肘をさすりながら立ち上がる。

 初めて足を踏み入れた第一中の屋上。帝都の夜景がバッチリ見える。こんな状況でなければスゴク楽しいんだろうけど、あいにくと今はそれどころではない。

 屋上の端のフェンスまで走る。当然、そこから先にはもう進めない。隠れる場所もない。


「こ、これからどうすんの!? 今回もなんか作戦とか、あるのよね!?」


 半ば懇願するような勢いで縋りつく。なんだかんだ言って、事件を解決してきたのは新太だ。だから今回もなんとかしてくれるハズ。というか、してくれなきゃ困る。


「作戦……」


 新太はしばし天を仰ぎ、大きく息をついた。いったい何に納得しているのか、ウンウンと何度もうなずく。

 

「作戦ね。ああ、あるとも。大丈夫だ」

「な、なんなのよ、その反応。ホントに……」

「問題ない。僕らの勝ちだ」

「勝ちって。ナニよ、これからどーするつもりなの?」

「そうだな。いいか、アンジー。よく聞いてくれ」


 そう言って新太は、杏樹の両肩にそっと手を置いた。ぎゅっと握り締めてくる。

 あれ。コイツ、こんなに力があったんだ? などと場違いな感想を抱く杏樹。

 新太は数度深呼吸をすると、まっすぐにこちらを見据えて言った。


























「アンジー! 僕は、君が好きだ!!」


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