第26話
アノーマリー551:シャーマン
種別:赤
アノーマリー551(以下、551)は、531-2を認識し、対話をする能力を有した人間である。(他の動物については、現時点で発見例はない)
551は531-2との対話により、能力者本人が知りえない事実―離れた部屋の内装や人物の外見、過去の情報などを知ることができる。
機関が現在所有する技術レベルでは551を除いて531-2を認識する手段は存在せず、それゆえに551能力者の確保と認定は困難を極める。
機関は551能力者の認定の際、能力を使用した実証実験を行う。
中林たちがあたふたと階段を上っていく。すると少しの間を置いてから、幽霊の大群がぬらぬらぞろぞろと後に続くのが見えた。
どうやら目論見通りにいきそうだ。
1階と2階の間の踊り場で身を低くしていたユリは、静かに腰を上げた。
『行ったのか?』
すぐ横で腹ばいの姿勢をとっていたユースケが、控えめな声を上げる。わざわざ両腕で頭を抱えて。避難訓練のつもりか、こいつは。
『あいつらは大丈夫なのか?』
「心配いらねー。中林は、やるって言ったら必ずやりとげるやつだ。上手くやるさ」
『じゃあ、あとはユリがやるべきことをやるってことだな』
「……ああ」
最初に襲われたケイコに、何かやつらを引き付けるような因子があったのか。それとも単に、大勢いる方に反応しただけなのか。とにかくあの幽霊たちは、中林たちを追いかけて行ってくれた。
あとは中林たちが限界まで幽霊を引き付けてから、屋上の扉を使って魔法屋へ脱出。ユリの方はその間に、幽霊退治をすませる。
実に単純な囮作戦だ。
問題があるとすれば、このユースケだけだった。
「じゃ、私は行くから」
そう言い捨てて階段を下りようとすると、ユースケが勢いよく立ち上がった。
『待てよ、俺も一緒に行く!』
「怖いんなら無理しなくてもいーんだぜ。こっからはプロの仕事だからな」
『違うっ! ビビッてなんかいないっ!』
「うるせーな、騒ぐなよ。そもそもお前がいたって役に立たねーだろ」
『お、お前を1人にできるかよ!』
威勢のいいことだったが、しかしユースケの腰は明らかに引けていた。さっきは幽霊相手に跳びかかっていったかと思えば、さっさと逃げてくるし。ユーレイのくせに肝が小さいっていうのは、もうバレてるのに。なんで今さら強がるのだ?
無視してそのまま行こうとする。だが、腕をつかまれ引き留められた。
『もしやつらが戻ってきたら、俺が盾になってやる』
「はぁ?」
『どーだよ。いないよりはマシだろ?』
「……」
ユースケの声は震えていた。だがその目には、強い光がともっているように見えた。
この目、知っている。中林のやつがたまにこんな目をするんだ。魔法屋さんから無茶な仕事を押し付けられたとき、「絶対にやりとげる」なんて言いながら。
ここで突っぱねても、こいつは絶対ついてくるんだろう。
「……好きにしろよ」
手を振り払い、かろうじてその一言だけを絞り出す。
本当はついて来て欲しくなんてなかった。突き放して駄目なら、懇願してでも離れてもらうべきだった。
だがひねくれた性格の自分が下手にでられるはずもなし。なにより、そろそろ中林たちが屋上へ到着する頃だ。これ以上時間をくっていられない。
階段を1段飛ばしで下り、一階へ。すぐそこの視聴覚室へ向かう。
少しだけ扉を開けて確認してみるが、中に人の姿はない。あの幽霊たちもだ。
安堵しつつ入室。正面にある大きな黒板のもとへ。
『それで、幽霊退治って結局どうするんだ? お祓いすんのか? それともお清めの塩?』
「黙って見てな」
チョークの中から適当な長さの白いやつをつかむと、まず大きく円を描く。それからその淵に添うようにして、内側に細かい文字と直線をいくつも描き込んでいく。
その文字は日本語ではなく、英語でもない。地球上に存在するどの言語とも一致しないそれは、異界語と言われるものだ。
『ファンタジーものの魔法陣みたいだな』
「そう、その魔法だよ。異界の技術。お前も、異界の街のことは知ってるだろ?」
『“環”の向こうにあるっていう街だろ。じゃあお前、異界の、本物の魔法使えるのか。魔法で幽霊退治すんのか』
「そうだよ。さっきの幽霊―魔法的因子によって結びつけられた不特定の記憶集合を分離して、もとの安定した意味消失状態に戻すんだ」
ユリは少し得意げに言った。
まあ魔法屋さんから受けた説明をそのまま垂れ流しているだけだし、仕組みを理解できているわけでもない。
それでも、もう何十回と描いてきた魔法陣だ。複雑な幾何学模様と文字列が幾重にも重なったような図形だが、今では手本を見ずとも再現できる。
そうこうするうちに、ほら。
あと一句を書き込めば完成だ。
『どうした?』
不意に手を止めたユリを見て、ユースケが声を上げた。
『早くしろよ。でないとあいつらが来ちまう』
その通りだ。
囮である中林たちが屋上の扉を通って魔法屋さんの店へ逃げてしまったら、あの幽霊たちは次の獲物を探すだろう。
それがユリたちならばまだいいが、何も知らない無関係の生徒たちが襲われることになったら最悪だ。
それは分かっている。分かっているが。
「お前は、分かってんのかよ」
ユリは絶望的な気分でユースケの方へ振り向いた。
「私がこれ描いたら、お前はっ」
視聴覚室の扉が開かれたのはそのときだった。ガラッ、みたいな勢いある感じじゃなくて、建付けの悪い引き戸を力任せに開けるような、あのぎこちない動き。
『なぁにカッコつけてんだぁ?』
ひどくガサついた声とともに、目、鼻、口の位置が判別できないあのグロテスクな顔が、隙間からぬらりと現れた。ナメクジが這うような気色の悪い動作で身体を滑り込ませてくる。
幽霊だ。
しかも1人じゃない。
後から後から押し込まれてくるみたいに何体も。
『チョズクんじゃねーよ、モヤシ野郎が』
『オイオイオイ。泣いてやがるぜコイツ』
『センコーにチクリやがって、ふざけんなよ』
幽霊どもが、人間であれば口があるあたりをぐにょぐにょと動かしながら言った。
しゃべっている。こいつら、しゃべっている!
支離滅裂だが、それでも悪意だけは伝わってくる。
自分よりも弱い存在を痛めつけようとする、どす黒い悪意だ!
信じられない。魔法屋さんからの依頼で何度となく幽霊退治をしてきたが、こんなことは一度としてなかった。
ここまで実体化しているだなんて!?
『急げ! ユリ!』
ユースケが突撃した。驚くべきことに、幽霊たちの顔面めがけて次々にパンチを見舞いだす。
格闘技なんてまったく知らないが、明らかにでたらめで力任せだと分かるフルスイング。だが幽霊たちは躱すことも反撃することもなく床に転がっていった。
だが入口からは、後から後から幽霊たちが入ってくる。
もう10人以上。まだまだ増えていく。
『早くしろって! こいつら、お前を狙ってる!』
「でも! この魔法陣を描いたらお前が……お前まで消えちまうだろ!?」
ユリは絶叫した。
この魔法陣は魔法屋さんから、『この世にありえざる死人を滅ぼす術』として教わったものだ。だから幽霊を退治することができる。そしてそれは同時に、ユースケも対象に含むということだ。
「そんなこと。そんなこと、できるわけないだろ……」
『バッカ野郎! なにを言ってやがる!?』
「だって私は……お前のこと、友達だと思って!」
ユースケの動きがにぶる。ユーレイである彼に体力という概念があるのか分からないが、とにかく無茶苦茶に暴れたものだから疲れたようだ。
その隙を待っていたとばかりに、今度は幽霊たちの方がどっと襲い掛かった。
ユースケの足に、腰に、腕に絡みつき、床に押し倒してしまう。
「やめろー!!」
ユリは無我夢中で幽霊の群れへ跳び込んだ。
ユースケにまとわりつく幽霊たちの顔面に、サッカーのトーキックの要領で蹴りを食らわせる。ボールのように頭を跳ね飛ばされた幽霊がひっくり返り、死にかけの虫のようにジタバタと四肢をよじった。
『なにやってんだよ、バカ!』
「うるせー! とっとと立てよ、バカ!」
2人、3人と幽霊たちを蹴り倒してユースケを引っ張り起こす。すると奇妙なことに、幽霊たちが悶えだした。
頭を抱え、あるいは両腕で身体を抱きすくめ、ぶつぶつとうめきだす。
『なんで俺らだけのせいになってんだよぉ』
『チクショウ! シカトすんなよ!』
『親に知られちまった! どうすりゃいいんだ!?』
『なんで助けてくれねーんだよ。お前ら友達じゃなかったのかよ』
『全部あいつのせいだ。自殺なんてしやがって』
『クソ! クソ! クソ! どいつもこいつも死んじまえ!』
ユリは後ずさりながら、無意識にユースケにすがりつく。
逃げるにしろ魔法陣を完成させるにしろ、絶好のチャンスだったが、あまりに異様な光景を前に判断がつかなかった。
『なんてこった……』
ぽつりとユースケが呟いた。
『お前ら、そこまで他人を憎んでたのか。妬んで、恨んで……そして苦しみ続けてきたのか。そんな姿になってまで……』
「ユースケ?」
『ユリ。こいつらのこと消してやってくれ。あの魔法陣とやらで、きれいさっぱり』
ユースケがユリの方を見て言った。
今度は泣きそうな顔だった。だが恐怖によるものではないのだろう。目の中の光は消えていなかった。
「だから……それやったら、お前まで」
『俺のことはいい。そもそも俺、死んでるんだぜ? 今のこの状態の方がおかしいんだ』
「いやだよ。お前がいなくなっちまうなんて」
『いいか、ユリ。人間っていうのは普通、死んだらそこでおしまいなんだ』
ユースケが、呪詛の言葉を垂れ流す幽霊たちを指さす。
『過去に戻ってやり直すことも、生まれ変わるなんて都合のいいこともない。俺みたいにユーレイになるのだってありえない。ましてや、あんなふうに死んだあともずっと苦しむだなんて……』
「あいつらなんてどうだっていいだろ! あれはただの、記憶の集合体だ! 本人なんかじゃぁない!」
まるで幽霊たちを憐れむような物言いに、ユリは腹が立った。
こいつらはユースケとは違い、死人の霊魂のようなものではない。あくまでもその場に堆積した不特定多数の人間の負の記憶が、魔力とやらによって結びつけられ人の形をなしただけだ。
それらの記憶の本当のもち主たちはユースケのように自殺しなかったはずだし、なんなら今も何処かで生きているかもしれない。
でも、それでも。
彼らがこの第一中で経験した苦痛や汚辱は、確かにこうしてここにある。そしてそれを今もリフレインし続けている。
……なんて惨めなやつらなのだろう。
ユースケから聞く限りの経緯を考慮すれば―何よりユリの感情も含めれば、とても彼のようにかわいそうだなどとは思えない。
所詮は過去の記憶の残滓に過ぎないとはいえ、苦しいというのなら存分に苦しむべきだ。だって、それが当然の報いだろう?
しかしユースケは、ユリの目をまっすぐに見つめて言った。
『梅沢に松下、それに竹田。50年前に俺をイジメて、結局俺以上にイジメられることになっちまったバカなやつら。そのときの記憶が幽霊になって蘇って、また苦しみを繰り返してる。そんな酷い話があるかよ』
「そ……」
『頼むよユリ。俺はもう、あいつらを赦してやることにした。だからあいつらのこと、楽にしてやってくれ』
ユリはほんの数秒ほどうつむき、まだ自分の手の中にチョークがあることを確認した。そしてユースケから離れると、黒板の前に立つ。
魔法陣に、最後の一句を書きこむ。
直後。
幽霊たちが激しく悶え始めた。
顔がひび割れ、光があふれ出す。幽霊たちはそれを両手で覆い隠すようにするが、ひびはどんどん広がっていき、すぐに顔から上半身、やがて腕や足にまでおよぶ。
『ありがとな、親友』
その光を眺めながら、ユースケは穏やかな声で言った。




