第23話
アノーマリーについての言及
昨今、魔法技術研究が各国にて市民権を得つつある現状を、その分野に携わる1人として大変うれしく思う。長年にわたる当分野への貢献がわずかばかりにでも影響した結果ならば、なお幸いである。
惜しむらくは識者の間で、“大災厄”を契機として認知が広まっているアノーマリーと、当技術を混同するきらいがある点である。
大前提として、魔法技術とアノーマリー現象との間には『人のもつ意志力』という差異がある。
前者は『万物の裏側に潜む真理の探求』および『人類社会のよりよき発展』という願いのもとに編み出され、練り上げられた技術体系を指す。
対して後者は、『不確定的に存在する、旧科学的常識によらない異常現象』と定義されるのみであり、そのため両者は厳に差別化されるべきである。
“大災厄”以降、にわかに世界を騒がせるアノーマリー現象だが、これに人の意志は介在しえない。
アノーマリーの調査、収容活動に奔走しておられるであろう方々には、その点だけはどうかご理解いただきたい。
藤宮四織著『魔法技術概論』より抜粋
週明けの月曜日。
いつも通りに目覚ましのアラーム音を聞くこともなく、ユリは目を覚ました。
時刻は6時ちょっと前。むくりと身体を起こすと、音を立てないように布団をたたんでクローゼットにしまう。隣の母さんはまだ眠ったままだ。
いつも通りに、まず制服に着替える。ただし朝食の準備をするので、上着の代わりにエプロンをつける。それから脱衣所に行ってパジャマを放り込むと、他の衣類と一緒にして洗濯機を回す。
それから台所へ移動。手を洗って包丁を取り出すと、まずは野菜と豆腐を切って味噌汁を作る。材料を投げ込んだ鍋を火にかけたら……・そろそろ卵の賞味期限が近かいので、卵焼きを作る。
そして、いつも通りに弁当箱を2つ用意。出来立ての卵焼きと、冷蔵庫のタッパーから適当な煮物とミートボールを詰め込み、炊飯器からご飯をよそって完成。
「おっと!」
味噌汁が沸騰しかけている。すぐに火を消してから、ローテーブルを引っ張り出す。濡らした布巾できれいに拭いてから配膳。そうこうするうち、洗濯が終わった。窓を開け、物干しざおにさっさと干していく。
その間も、母さんが起きてくる気配はない。
ユリ1人で朝食をとる。これもいつも通りのことだ。
黙って食べ終え、自分の食器を洗う。母さんのぶんの朝食と、それからお弁当をテーブルの上に置いておく。それから歯を磨き、身だしなみを整えてからいざ出発。
……と、その前に。
「行ってきます……」
いつも通り、肩越しに小声で呟いてから、今度こそ出発。アパートを出て新宿駅へ向かう。通勤ラッシュまではだいぶ余裕がある。
いつも通りの時刻に電車に乗ると、少し考えてからブックオフで購入したライトノベルを取り出した。100円セールになっていた、5年以上も前に流行ったタイトル。読み終えるまであと数十ページといったところだ。いつもと違うことをするのもいいが、どうせならキリよくしたい。
いつも通りに読書しながら、地下鉄への乗り換えも挟んでおおよそ30分後。
いつも通りに、帝大前駅に到着した。
駅構内から出ると、すぐそこは帝都大学だ。そこからちょっと歩くと見えてくるのが、隣接する帝大附属第一中学校の校舎。通称第一中学校だ。
校門が見えてくる。そして、その校門に背中からもたれかかっている男子生徒が1人。ユースケだ。格好つけて腕組んで。
これももはや、いつも通りのことだった。
『お! おはようユリ!』
ユースケは目ざとくこちらを見つけるなり、顔をほころばせた。手を振りながら小走りに寄ってくる。いつも思うんだけど、こいつ子犬みてーだな。
ユースケは幽霊なので他の生徒たちにはまったく見えないが、まるで彼氏を気取るような行為はちょっと恥ずかしいので、ユリはいつもうんざりしていた。
だが、今朝はいつもとはちょっと違った。
「おう。おはよう」
周囲にちらほら見える他の生徒たちに怪しまれないよう、極力小さな声で、しかしそれでも軽く手を挙げて応じる。するとユースケは意外そうな顔をした。
『なんだよ。なんか機嫌よさそうじゃん』
「お、分かる?」
『そりゃぁ長い付き合いだからな。で、なんかいいことでもあったのか?』
「へへへ。ま、ちょっと待ちなって」
ユリはニヤケそうになるのを我慢しながら玄関へ入った。当然ユースケもついてくる。
鞄から内履きを出して履き替えると、代わりに下足をしまう。イジメが始まってから、自分の下駄箱は一切利用していない。教室のロッカーもだ。極力持ち歩くか、別の場所に隠すようにしている。
特別棟へ向かう。例のボヤ騒ぎがあった音楽室だ。
『なあなあ、いったいなんなんだよ?』
背後のユースケが、焦れたように言った。
「落ち着けよ。今からいいモン見せてやっから」
『いいモンって?』
「そっちだよ、そっち」
教室内の後方を指さす。そこには大きなロッカーがいくつもあって、ドラムだとかギターだとかエレクトーンだとかがしまってある。
ユースケがいぶかし気な顔で、そちらへ歩き出した。そのすきに、ユリは制服のポケットから素早く“それ”を取り出して構えた。そして数度、指でタップする。
するとその瞬間、ユースケの眼前にユリがもう1人。
何の前触れもなく現れた。
『うわっ!?』
仰天したユースケがその場に尻もちをつく。
『ゆ、幽霊かっ!?』
「あはははっ! 引っかかった!」
『な、なんなんだよコレ?』
「幽霊なんかじゃねーよ。ほらコレ」
手の中のアイフォンを揺すって見せる。するとそれに合わせて、もう1人のユリの姿がガクガクと上下した。
先日の誕生日プレゼントでもらったばかりの最新型アイフォンによる、立体投影機能だ。土日の間に、試しに自分の全身像を撮影しておいたのである。
ユリも初めて見たときには科学技術の進歩に驚いたものだが、今のユースケはそれ以上だ。『幽霊か!?』だって。お前の方だろっての。
『な、なんだよ。ホログラムってやつかよ。脅かしやがって』
ユースケはバツが悪そうに立ち上がると、ユリの手元のアイフォンと、そこから映し出されるユリの立体映像を見比べた。
『はぁー。スッゲェなぁ、これスマホってやつだろ?』
「なんだよ、知ってたのかよ。ユースケのくせに」
『バカにすんなよ、何年この学校にいると思ってんだ。最近はみーんな、ヒマさえあればそれをいじくってるじゃないか』
「あー。そっか、なるほど」
スマホなんて、ユリが生まれる前から存在しているのだ。幽霊になってからずーっと第一中に憑りついていたユースケなら、生徒が所有するスマホを目にする機会も多かっただろう。
考えてみれば、ユースケは何十年にもわたってこの学校の変遷を直に見てきたわけだ。スマホに限らず、大昔に存在したという携帯電話―ガラケーって言うんだっけ?―とかみたいに、時代を象徴する必需品とか、そういったことについて話を聞くのも面白いかもしれない。
『なあ。ひょっとしてそれ、ビデオ撮れる?』
ユースケが、アイフォンを指さして言った。
「ビデオ……って何?」
『録画機能だよ。ある?』
「そりゃぁあるよ。当たり前じゃん」
『はぁー。本当、スッゲェよなそれ。カセットもディスクもないのにさぁ』
「カセット? ディスクって何?」
『……もういいよ』
よく分からなかったが、とにかくユリにとってその録画機能は重要だった。むしろ立体投影など、こうしてユースケをからかうくらいにしか使い道がないくらいだ。
すでに操作は完璧に覚えている。今なら目隠しした状態でも片手でロックを外して、録画か録音機能を起動できるくらいだ。
『なあ、ユリ』
突然ユースケの声のトーンが落ちた。
『お前それ、イジメの復讐に使うつもりだろ』
「あ? そうだけど」
こともなげに答える。
メッセージをやり取りする友達なんてもういないし、1人で写真だの動画だの撮ったって虚しいだけだ。
だから、復讐のために有効利用する。それ以外の何に使うというのか。
「次、ケイコたちがちょっかい出して来やがったら、これで証拠とるんだ。1度2度じゃだめだろうから、たくさんな」
『それで、学校中にバラまくのか。それとも新聞社かテレビ局?』
「ネットも使うに決まってんじゃん。それであいつら社会的に終わりよ。学校になんてこれなくなるね。ま、本当にそれやったら私も危ないから、脅すくらいになるだろうけど」
ケケケ、と暗く笑っていると、ユースケが顔をしかめた。
『なあ、ユリ。あんまりやりすぎるなよ』
「なんだよ。お説教なら聞かないよ、おじいちゃん」
『バッカ……おじいちゃんじゃねーって! お前と同い年だって!』
「50年前はね。おじーちゃん、おじーちゃん」
『……ちぇっ、なんだよ。聞く気ないならもういいよ……』
茶化してやると、怒ったユースケが口を尖らせそっぽを向いた。コイツいじけてやがる。本当、ガキだなー。
人生経験……といっていいのだろうか? とにかくユースケは、生きていれば60歳くらいにはなるはずだ。ユリとは孫とおじいちゃんくらいに差があるのは間違いない。姿かたちは中学生のままでも、精神年齢はもうちょっと成長していてもいいもんではないのだろうか。
「分かった分かった。聞いてやるよ」
『……別に、無理して聞いてもらわなくってもいいよ』
「いーから話せよ。ほらほら」
『ん……じゃあ言わせてもらうけどな』
ユースケはもったいぶるようにして。というより、ためらいがちに口を開いた。
『ビデオ撮るにしろ、それをネタにして脅すにしろ……きちんと相手に逃げ道を作ってやれよ』
「は? それ、どーゆー意味?」
『追い詰め過ぎるなってこと。テキトーなとこで許してやれよ』
「は? ……なに言って……」
『お前の気持ちは痛いくらいに分かるけどさ。アイツらのことも考えてやらないと……』
「ふざっけんなよっ!」
胸の内で、急激に怒りの炎が吹きあがるのを感じた。
今までにケイコから受けた数々のイジメは、筆舌に尽くしがたい。肉体と精神を。人としての尊厳を踏みにじられた。それだけの仕打ちを受けたのに、何故あいつに譲歩してやらねばならないのか。
ユースケなら。同じ立場であったはずの彼なら、友人である彼なら理解してくれると思っていたのに。
「なんでだよ。なんでケイコたちの味方するようなこと言うんだよっ」
『まあ落ち着けよ。話聞けって』
「うるせぇっ! テメーもアイツらの……」
『いいから! 聞けって!』
両手で肩を“押さえつけられる”。眼前に迫る真剣そのもののユースケの表情と、両肩から直に伝わってくる男子の力強さに、ユリは息をのんだ。
『俺だってイジメられてたから、お前が怒るのも分かる。でも、ちょっとだけ聞いてくれ』
押し黙るユリを見て、ユースケは手を放した。
『前に話したよな。俺が自殺したときのこと』
「ああ。遺書をバラまいたって。でも、なにも変わらなかったって」
『そう、そうなんだよ。なにも変わらなかったんだ』
「そ……んなはずないだろっ。だってそれだけのことをしたら、騒ぎになって」
『ああ、大騒ぎになったよ。すぐに俺をいじめてたやつらのことが明るみに出て。学校中その話でもちきり。教師も親も毎日毎日夜遅くまでギャーギャー』
「ほら、やっぱりじゃん」
『でも今度は……俺をイジメてたやつらが……イジメられるようになった』
ユリは絶句した。では、なにも変わらなかったというのは。
『分かるか? イジメの対象がそいつらに移っただけだったんだよ。で、誰がイジメる側になったか分かるか? 俺がイジメられるのを笑って見てたような連中だよ。そいつらがシカトして、陰口言って。たまに、あからさまに暴力までふるいだしてさ』
「……」
『初めのうちはさぁ、スカッとしたよ。ザマァ見ろって。これが報いだって。でもさ、皆からイジメられてるあいつらを見たら、なんかすごく……モヤモヤしてきて……』
「な、なんでさ。因果応報ってやつじゃん」
『だってさ。イジメられてたの、俺だぜ? 俺が生きてるうちに助けてくれなかった連中が。むしろそれを面白がって眺めてたようなやつらが、なんで応報すんだよ』
「そりゃぁ……」
ユースケが話してくれたことは、ユリが常々、ケイコたちの身に起こるべき報いだと信じていたことだった。
そうだ。他人を傷つけて喜んでいられる奴らなんて、同じ目に。いやいっそ、もっとずっと酷い罰を受ければいいのだ。と、ユリはそう信じていた。
しかしそれはつまり。
イジメが続くという点においては、まったく変わらないということになる。
ユースケは続けて言った。
『それで俺、だんだん怖くなっちまったんだ。俺も同じじゃあないかって。誰かが傷ついているのを見て喜ぶような、卑しい人間なんじゃぁないのかってさ』




