ミモザ
アンナの鍛錬とは名ばかりの王弟の息抜きは、その後毎日のスケジュールに組み込まれたが、遠視の御力の制御法に関しては何の進展もなく数日が過ぎた。
アンナの部屋は王弟とは離され、初日に案内された客間をまた使う事になった。
その日の朝、アンナは洗面用に用意された水桶を見ながらボンヤリとミモザの事を考えていた。
(ミモザは元気にしているかしら…。もう他の妃に仕えているわよね。いじめられていないといいのだけど…。そういえば後宮で読んだ本の中に水鏡を使う魔女の話があったわよね。この水にミモザの姿が映ればいいのに…。)
アンナがそう思ったとたん、水桶の水がわずかに揺れてそこにはミモザの姿が映し出された。アンナは驚いて水桶の水を凝視した。
ミモザは他の妃の房にいるようだった。アンナが賜っていた房よりかなり広いので皇帝のお気に入りの妃の房にちがいない。
『ミモザ!ミモザはいないの?』
『はい、ただいま。』
ミモザは慌てた様子で呼ばれた方に小走りで駆けつけた。
そこには意地悪そうな顔をしたアンナよりも10歳以上年上に見える侍女がいた。
『この花を生けたのはあなたね。』
『はい。命じられた通りに生けたつもりですが…いけなかったでしょうか?』
『リベラの花が混ざっているじゃない!この花の香りはアウリーナ様がお嫌いなのよ。知らなかったの?』
『え!その花の香りがお好きだと伺っていたのですが…。』
『だれがそんな事言ったのよ!いいからやりなおして!』
その侍女は花瓶の花を全て抜き取ると、ミモザに向かって投げつけた。
『そこもきちんと掃除をしておくのよ!』
ミモザはしゃがんで散らばった花を黙々と片付け始めたが、その肩は小刻みに揺れていて泣いているようだった。
(大変!ミモザがつらい目に合っているわ!)
アンナはいてもたってもいられず、呼び鈴でヘレンを呼んだ。
「何か御用ですかアンナ様?」
「ヘレン、ミモザをこの離宮に呼び寄せられないかしら?」
「ミモザとは離宮でアンナ様に仕えていた侍女ですね。その方がどうしたのですか?」
「今は他の妃に仕えているのだけど、つらい目にあっているみたいなの!」
ヘレンは訝し気な顔をしていたが、何かに気づいたようにハッとして、
「そういった事はアンドレアス様にお願いした方がいいですね。もう執務室にいらっしゃいますのでアンナ様の準備ができ次第一緒に行きましょう。」
アンナは大急ぎで支度を済ませ、ヘレンと共に執務室へ移動した。
アンナはノックもそこそこに執務室の扉を開けると、ヘレンより先に部屋に入って行った。執務室には王弟の他に文官のデールとレギンもいた。
「アンドレアス様!ミモザをこの離宮に呼び寄せて貰えませんか?」
「いきなり何だ?ミモザとは誰だ?」
いつものように執務机に座って仕事をしていた王弟は、目だけをジロリと上げてアンナを見た。
「ミモザは後宮で私に仕えていた侍女です。とてもよくしてくれました。でも今は他の妃に仕えていてつらい目に合っているようなのです!」
「何でおまえがそんなことを知っているのだ?」
アンナはハッとして、先に言うべきことがあった事に思い至った。
「今朝、水桶の水を眺めながらミモザの事を考えていたら、その水にミモザの姿が映ったのです。すぐそこにいるような感じで、声も聞こえました。」
「それは本当か?同じ事を俺の前でもう一度やってみせろ。」
王弟の命で直ぐに水を張った水桶が執務室に用意された。
アンナはその前に立ちミモザの事を思い浮かべた。すると、水桶の水が一瞬揺れて、ミモザの姿を映し出した。ミモザは後宮の温室で妃の房に飾る花を選んでいるようだった。
「この侍女がミモザか?」
「そうです。」
ミモザの姿はそこにいる全ての人に見えているようだった。
「特に声は聞こえぬな…。」
「今は何も話していないようです。」
するとそこへ先ほどとは違う侍女が現れて、ミモザに何やら話しかけた。
「これは何を言っているのか分かるか?」
「仕事が遅いことを怒られているようです。」
「なるほど。声はアンナ妃にしか聞こえないのだな。だが、こうやって姿を確認できるのはいいな。おまえだけに見えたり聞こえたりしたのでは、本当の事を言っているのか確認のしようがないからな。」
王弟はまるでアンナの事を信用できないと言っているようで、アンナはムッとした。
しかし、出会い方は最悪だったし、会ってまだひと月も経っていない事を思えば、信用されていないのも無理はないと思い直した。
「他には何か映せないのか?」
「他にですか?」
アンナは気になる人物がいるか考えたが、他に後宮で親しくしていた人物はおらず、ミモザ以外に特に思い浮かばなかった。
ふと王弟の事を考えると、水桶を囲む王弟とアンナ達が水面に映し出された。部屋の上から眺めているような映像だった。
「自分たちを映してどうする?」
王弟はあきれたように言った。アンナの耳には声が二重に聞こえてきた。
「だがまあ、今起こっている事が映し出されるという事が分かったな。兄の事は映せないのか?」
「こ、皇帝ですか?」
アンナは必死に皇帝の顔を思い出そうとしたが、ぼんやりとしか覚えておらず、中々水面に映し出す事ができなかった。
「まさか皇帝の顔を覚えていないと言うのではあるまいな…?」
王弟がジロリとアンナを睨んだ。
「はは…まさか。もちろん覚えていますとも…。」
アンナが必死で念じると水面に皇帝の姿が映し出された。皇帝は後宮にいて妃の一人と遅い朝食を取っているようだった。クッションをたくさん並べたカウチに二人は腰かけ、皇帝は妃の腰に手をまわし、彼女の手から果物を食べさせて貰っていた。
「おい、兄は何と言っているのだ?」
アンナは皇帝が妃にささやく卑猥な言葉を口にすることができず、顔を赤らめた。
「まあ、色々、昨晩のあれこれについて言っています…。」
王弟は内容を察したようで、深くは聞いてこなかった。
その後色々試した結果、水桶にはアンナが知っている人物しか映し出せず、今起きていることが映るという事が分かった。また、水桶ではなく鏡でも同じことができるという事も判明した。
「まあ、お前の知っている者と今起きている事しか見られぬのであればあまり役にはたたんな…。お前を宮殿に連れて行って全ての重要人物に合わせることも出来ぬ。」
その言葉を聞いて、今度こそ王弟に能力を認めて貰えると思っていたアンナはガッカリした。
「そんな事ありませんよ。アンナ様の御力はすばらしいと思います!」
レギンが慌ててアンナを慰めてくれた。
「それで、ミモザの事はどうなりますか?離宮に連れてくることはできますか?」
アンナの必死な態度とヘレンの強い視線に負けたのか、王弟は指で額を掻きながら答えた。
「まあ、色々と調査や手回しが必要なので直ぐには無理だが、いずれ何とかしてやろう。」
「アンドレアス様!ありがとうございます!」
アンナは王弟の両手をきつく握り、満面の笑みでお礼を言った。
ちょうど今半分くらいまで来たと思います。
評価貰えると嬉しいです。




