間者
その後アンナには、定期的に皇帝の様子を観察し重要と思われることが起きたら書き止めるという仕事が加わった。報告は昼食時にまとめて行う事とした。
その日も執務室でアンナが鏡に皇帝を映しつつ仕事をしていると、以前、アンナの元を訪れて暗殺を提案した高位侍女と皇帝との会話が聞こえてきた。
『まだアンナが暗殺に失敗して殺されたという知らせは来ないのか?あいつはいったい何をやっておるのだ。まったく役に立たぬガキだ。』
『王弟の離宮に潜ませている者からの報告によりますと、アンナ妃とアンドレアス様は仲睦まじそうに過ごされているそうですよ。』
『今まで女っ気のないやつだったが、あのような小娘が好みだったとは意外であったな。これでは南の領地をあやつにやらざるを得ぬではないか…。何か他に手は無いのか?』
『今の所これと言った失態は見当たりません。弱みを握ろうにも中々注意深くてこちらの手の者を側に寄せ付けませんからね…。』
アンナはその会話を聞いて、腹立ちのあまり鏡を叩きつけて割ってしまいそうになった。
早速その日の昼食時にこの件を王弟に報告した。
「…という訳で、アンドレアス様が思っていたとおり、南の領地を取り上げるために私に暗殺を唆していた事が分かりました!」
「なんだと…アンナ妃、もう一度言え。」
「ですから暗殺は南の領地を…。」
「違う、その事ではない。兄の手の者がこの離宮に潜んでおると言ったのか?」
「そう言えば、そのような事を言っていましたね。」
「そちらの方が余程重要ではないか!離宮の雇人の人選に関しては万全を期していたというのに…。何とかしてその間者を炙り出さねばなるまい…。」
王弟は手を顎に当てて思案に耽っていたが、しばらくするとアンナの方を見た。
「アンナ妃、よくやった。今後しばらくはその侍女の方を見ておいてくれ。それと、おまえのその能力が外に漏れぬよう十分気を付けてくれ。間者がいるようでは油断できぬからな。」
そう言うと王弟は昼食もそこそこに部屋を出て行った。
アンナは図らずも王弟から褒められた事に気分が高揚した。誤解とはいえ殺したいほど憎んでいたはずなのに、今では心から王弟の役に立ちたいと思っている自分に驚いた。
(これは皇国の民を救うためなのよ。アンドレアス様に認められて、民を救う手助けをしてもらうためなのよ。)
アンナは必死に自分に言い聞かせた。
アンナはその後も侍女の動向を探り王弟に報告していた。意味があるのかよく分からない事柄も一応メモして報告するように心がけた。
間者がいる事が分かってから1週間ほど経ったある日の昼食の席で、アンナは王弟から間者を炙り出すことに成功したと知らされた。その場にはレギンも同席していた。
「レギン、アンナ妃、お前たちのおかげで間者を見つけ出すことができた。礼を言うぞ。」
「アンドレアス様、本当ですか?お役に立ててうれしいです!」
レギンが嬉しそうに王弟に言った。
レギンも最初の頃の態度とは打って変わり、すっかり王弟に手懐けられているようだった。
「レギンのおかげとはどういう事ですか?」
アンナは若干の嫉妬をレギンに感じつつ尋ねた。
「ああ。アンナ妃には言っていなかったな。間者として疑わしい者を何人か見繕い、レギンを通じてそれぞれ偽の情報を流したのだ。その偽情報の一つが侍女に渡った事がおまえの報告で明らかになったのだ。つまりその情報を流したものが間者という訳だ。」
「そうだったのですね。私の力も役に立ったようで良かったです。」
「レギンはアンナ妃と俺の側にいつもいるからな。間者も何か情報を掴もうと近づいたのであろう。俺の側近の中では一番たやすく情報を得られそうだしな。」
王弟はレギンが未熟であることを揶揄しているのだが、レギンはそれに気づかず、役に立てたことをひたすら喜んでいた。
そんなレギンを横目に、アンナは以前から考えていた事を王弟に相談してみる事にした。
「アンドレアス様。お願いがあるのですが…。一度私を神聖皇国の神殿に行かせて貰えませんか?」
「何のために?その力を女神に返すためか?」
王弟は憮然として尋ねた。
「いいえ違います。神殿に行けば、女神の御力についてもっと詳しいことが分かるのではないかと思ったのです。以前、兄が私の元を訪れたときに、『全ての教えは神殿にある』と、言っていたので…。」
「ふむ。神殿は今どのような状態であったか…?」
王弟が呼び鈴を鳴らすと、部屋の外に控えていた衛兵が顔を出したので、王弟は文官のデールを呼ぶよう命じた。
デールは隣の執務室にいたようで呼ばれると直ぐに現れた。
「アンドレアス様。お呼びと伺いました。」
「ああ。そこに掛けてくれ。」
デールが空いている席に着くと、王弟は神殿の現在の状況について尋ねた。アンナとレギンも神殿がどうなっているのか心配だったので真剣な面持ちで耳を傾けた。
「神聖皇国の神殿は帝国の侵略以来、固く扉を閉じて、だれも中に入れないようです。」
「神殿の扉は一度閉じてしまうと皇国の王族しか開ける事ができないのです。」
レギンが答えた。
「他の神官たちがどうなったのか分かりますか?」
「ほとんどが殺されたり、捕虜や奴隷となって帝国に連れて来られていると思います。しかし、一部の高位神官たちは行方不明のようですね。」
「行方不明…。どこかで生きていてくれると良いのですが…。」
レギンが心配そうに呟いた。
「アンナ妃がいれば神殿に入れるという事だな。神殿の中は略奪されずに無事に残っている可能性が高いな。」
王弟はしばらく考えた後、
「俺は2週間後から南の領地に視察に行く事になっている。その期間であればアンナ妃を皇国の神殿に行かせる事ができよう。」
アンナ達は早速神殿に向かう計画を立てる事にした。帝国の首都から神殿のある場所までは、馬車で1週間ほどかかる見込みだ。できるだけ少人数で帝国王室御用達の商人を装い行く事になった。必要な通行手形などは全て王弟が用意してくれた。アンナとレギンに付いて神殿へと行く人選に関しても王弟に一任されており、アンナ達には直前まで知らされなかった。
王弟には南の領地への視察の準備もあるらしく、執務室に来る機会は減り、いつもの昼食時の報告も文書で済ませることが多くなった。
アンナは王弟に会えない事を寂しく感じる自分がいる事を自覚した。
王弟が南領へ視察に行き、アンナが神殿に向かうとなると、更に会えない期間は長くなるだろう。場合によっては二度と会えない事もあり得るのではないかと考えると、アンナは恐ろしくなった。
(神殿での調査が長引けば、いつここに戻ってこられるか分からないわ…。このまま分かれてしまって大丈夫なのかしら…?)
不安気持ちで過ごす毎日の中、嬉しい知らせもあった。ミモザが後宮を出てこの離宮で働く事になったのだ。
「アンナ様!お久しぶりです。」
アンナはミモザに会うと、嬉しさのあまり駆け寄って抱き着いた。
「ああ…。ミモザ!また会えて良かったわ!どうしているか心配だったのよ!」
「それはこちらのセリフですよ、アンナ様。心配していましたが、お元気そうで安心しました。またアンナ様にお仕え出来て嬉しいです。」
ヘレンの気遣いで、アンナとミモザはしばらく二人だけの時を過ごすことができた。
アンナは今まであった事をすべてミモザに聞いてもらいたかったが、アンナの能力の事は極秘事項であるため、ミモザにすら伝える事を禁じられていた。二人は主に離宮での昔話に花を咲かせる事となった。
ストックが無くなってしまったので、次回より不定期更新になります。2、3日毎に更新する予定です。




