捕虜交換
捕虜交換では文官のデールが力を発揮した。事前にある程度捕虜と奴隷のリストは作成済みだったらしく、集められた捕虜たちは組分けされ順番に皇国へと送り返された。お金を出して奴隷を購入したにもかかわらず取り上げられてしまった帝国人たちは、おおいに不満を募らせているようだったが、またそれも計画の一部であった。
あらかじめ決めておいた皇国奪還作戦に従い、皇国で重要な地位にいた者などが優先して返されたので、彼らとアンナや大司教たちを含めた臨時の政府が組織され、皇国内での対応に当たった。
神罰を下したり、会議へ出席したりとアンナは大忙しだった。居も神殿から王宮へと移ったが、父や兄達の思い出が残る王宮で過ごすと悲しい思い出が溢れてくるので、寝るとき以外は神殿に籠っている事が多かった。
その日、神殿の執務室には大司教とアンナだけがいた。
「捕虜や奴隷の交換もあと少しで終わりですな。」
「ええ。思ったより死者が少なくて良かったわ。」
「皇国の民たちは平和主義者が多いですからな。あまり逆らわずに連行されたのでしょう。」
「ええ。平和を好むことは美徳ですけど、これからは自分たちの身を守る術も持たないといけないでしょうね。」
「捕虜と奴隷の返還が無事に終わりましたら、次はいよいよ戴冠式ですな。アンナ様をお披露目して国民たちを安心させてやりましょう。」
アンナは戴冠式と聞いて、急に不安が込み上げてきた。
「まだ早いのでないかしら?もっと国が落ち着いてからでも良いではないですか…。」
「あまり長期間王位が不在というのは良くありませんよ。歴代の王の中でもアンナ様ほど神の御力を使える王族はいませんでしたし、神官長になる素養は十分にあります。」
「ええ…それは理解できるのですけど…。」
アンナは下を向いて黙ってしまった。
「アンドレアス将軍の事が気になるのですな?」
アンナは図星をつかれて動揺した。
「…大司教様、この事が終わったらアンドレアス様はどうするのか聞いていますか?」
「いや。残念ながら聞いておりませぬ。今後の計画では現皇帝の政権を転覆させる予定ですから、その後、帝国で重要な役割を担う事になるとは思いますが…。」
「そうですよね。あれほど優秀な方ですもの。帝国の民たちに必要とされていますよね…。」
本音を言えば、アンナはアンドレアスと離れ離れになりたくなかった。王弟が皇国に残ってアンナをサポートしてくれるのが一番良いが、それが不可能ならば、以前のようにアンナが王弟の離宮で共に暮らしたかったが、とても大司教に言えるような内容では無かった。
(私が王族ではなく、普通の貴族だったらいいのに…でも神の御力を持たない私にアンドレアス様が興味を持つはずが無いわね…。)
アンナは王位を継承する事で、王弟との離別が決定的になってしまう事を恐れた。
神聖皇国の捕虜交換は、アンナが後宮に初めて雷を落としてから約ひと月ほどで完了した。これでもう雷を落とす必要は無いが、次は豊穣の御力を使って、帝国の作物を次々に枯らす計画になっていた。豊穣の御力は作物を育てるだけでなく、枯らすこともできたのだった。
帝国の民たちが飢饉に飢える事は心苦しいが、王弟と手を組んだ反政府勢力が、「女神の怒りを買った現皇帝が王位にある限り、帝国の災厄は終わらない。」という噂を流布し、民たちを先導して一揆をおこす手はずになっているのだ。
実を言うと反政府勢力とは、帝国の国務大臣が組織した一派だった。国務大臣は臣に下った先代皇帝の弟で、なんとデールの叔父らしい。国務大臣も先代皇帝の息子たちが次々に亡くなった事が現皇帝の仕業だと疑っていて、長年かけてコツコツと証拠を集めていたのだ。
今回の騒動に絡めて、その証拠を元に皇帝の罪を暴きたいと考えているのだった。
扇動を始めてから、各地で起きていた暴動はついに大きな流れとなって大量の農民や市民らが王宮に詰めかける事態に発展した。
暴徒に囲まれた王宮の謁見の間では、呼び出された王弟が皇帝から叱責を受けていた。
王弟は皇帝が座る玉座の前で跪いており、壁際には元老院の大臣達が控えていた。
「アンドレアス!そなた将軍であろう!早く外にいる暴徒たちを何とかせぬか!」
王弟は面を上げて、ふてぶてしく答えた。
「陛下。私の力が及ばず申し訳ありません。外の民衆らは皇帝が退位するまでは引かぬ構えでして説得には容易に応じません…蹴散らそうにも自国民ですから早々手荒なまねはできませぬ。」
「な、な、何と不敬な奴らだ!余に退位せよと申すのか!構わぬから蹴散らしてしまえ!」
皇帝は椅子から立ち上がり、拳を上げて激高した。
すると、壁際に立っていた国務大臣が進み出てきて王弟の隣に跪いた。
「恐れながらここにいる元老院一同より、陛下に奏上したき儀がございます。」
「なんだ、国務大臣。この非常時に。何を奏上したいと言うのだ?」
国務大臣は懐から丸めた書状を取り出すと、その場で広げて読み上げた。
内容を要約すると、「この度の騒乱の原因は皇帝が元老院の許しも得ずに勝手に神聖皇国を侵略した事が発端であり、国民らの要望を受け入れて退位しろ。」という事だった。
皇帝は怒りのあまり言葉も出ないようで、顔を真っ赤にしてブルブルと震えている。
「たわけが!そのような戯言、余が受け入れるはずがなかろう!」
「それは残念です。黙って受け入れていただければこちらの書状は出さずに済まそうと思っていたのですが…。」
国務大臣はそう言うと、懐からもう一つ書状を取り出し広げると、皇帝に向けて掲げた。
「こちらは法務大臣の印が押された陛下の捕縛許可書です。」
「皇帝である余を一体何の罪で捕縛すると言うのか!」
皇帝は唾を飛ばしてどなった。
「先の皇太子の暗殺容疑です。申し開きは法廷でなさってください。衛兵!陛下を王族専用の牢へとお連れしろ!」
他の大臣を含めた、謁見室の者たちはこの成り行きを既に承知のようで、皇帝が衛兵に連行されるようすを黙って見守っていた。今まで皇帝派と言われていた大臣達も、気まずそうに下を向いているだけだった。
ただひとり皇帝だけが大声を張り上げ、手足をばたつかせて抵抗していたが、その抵抗もむなしく衛兵たちに取り囲まれて謁見室から連れ出されてしまった。
「ふう。アンドレアス将軍ご苦労であった。これでワシもあの世に行っても兄上や皇太子に面目が立つと言うものだ。」
「いえ。これもすべて国務大臣が地道に調査を進めておられたおかげです。この騒動はきっかけにはなりましたが、この事が無くともいずれ目的を達した事でしょう。」
二人は立ち上がって固く握手をした。
「今後の事についてはこのあとの会議で話し合われる事になるが、将軍は本当に次期皇帝になるつもりは無いのか?」
「私などがなっては、騒乱の種が増えるだけです。それに王宮内の魑魅魍魎たちとの付き合いは私には荷が重すぎます。当初の予定通り、あなたが王族に復帰されて皇帝を継ぐのが順当でしょう。大臣には力となる後ろ盾もたくさんいますから。」
「そうか。それは非常に残念だな。ワシとしては将軍に皇帝となってもらい楽をしたかったのだが…まあこれも女神の思し召しとあらば従うしかあるまい。」
「…?」
国務大臣は最後に意味の分からぬ事を呟き、笑いながらその場を去って行った。
あと少しで終わります。
今日からお盆休みなので次の投稿まで少し間が開くかも知れません…。




