夜は悪いことを考えてしまう
その日はもう書く気がしなかったので、せっかくなのでこの世界を冒険することにした。
ここはあの巨大な大地のどこの辺りなんだろう。
大地はひたすらに平坦だった。凹凸らしいものあまり無い。
あの木は大きいなとか、あの花は綺麗だなとか、発見はたくさんあった。
植物はどれもどこかで見たことがあるものばかりなので、勝手に名前を付けた。
サクラ、ウメ、麦、オリーブ――って、花の名前とかよく知らないんだよね。
それにしても季節感狂いまくってるな。
名前の分からないものは、思いついた名前を付けた。
やがて日が暮れて、夜が来た。
一日の長さは元いた世界とそう変わらない気がする。相変わらず仕組みは不明だが、有難いことに変わりは無い。
その日は草原の草に埋まって、星々を眺めた。
この大地は自転していないからか、星は空を移動しなかった。そして、月は上らなかった。月のこと、書いていないからだな。そのうちやろう。
ああ、夜というものは、人に不安を運んでくる。
流されて、流されて、ここまで来たけれど、この本は一体なんなんだろう。
(書いただけで世界を創り出す本? 実にファンタジー)
だが、実際にある。その渦中の中心にいるのは紛れもなく自分なのだ。
そのことをあれこれ考えてもしかたない。
(しかし、あれだな、この世界)
冷静に考えてみると、おかしい。
(元の世界と比べると、夢があって、不安定で)
(あまりにも冒涜的だな)
僕の場合、頭が固いせいか創世の物語というと、宇宙の始まりから神様の存在、人の起こりまでを思いついてここまで突っ走ってしまった。
でも、決してその必要はない。
一つの街の中で全て完結する世界を創ることだって出来る。
機械の身体を持つ生き物がいる世界もいい。
肉体を持たない生物が生きる世界でもいい。
いや、いっそ生命がいなくてもいいのだ。
誰かが観測することでその世界は認識されると思うが、生命という観測者すら不要。自分だけが観測し続けるスノードームのような世界。
誰しもが夢見る奇跡。
だが同時に、何とエゴイスティックが前面に出たものだろうか。
まずこの世界は、順序が逆なのだ。
物事が起こってから話が進むのではなく、話が進んでから物事が起こる。
想像と創造が先に来てしまっている。
元の世界では、神の存在が曖昧だ。多くの神学者や哲学者が神の存在を証明しようとしているが、僕のような一般人からすれば神様がいるのかどうかなんて全く分からなかった。
いるかもしれないし、いないかもしれない。
でも、この世界には、いる。
何故なら、僕が真っ先に『創り上げたから』。
元の世界では、宇宙の始まりは科学的にも考察され、様々な観測や実験を通じて解明が進んでいる。
誰も始まりを見たことが無いから、正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。
でも、この世界の始まりは、確かだ。
何故なら、僕が書いたその時から『創り上げられたから』。
創造神話にしてもそうだ。
宇宙が生まれ、星が生まれ、大地と海が生まれ、生命が、人が生まれ――文明が生まれる。
神話の類は本来、その後に来るべきものだ。宇宙誕生の後、何十億年の歳月が過ぎて、物語は紡がれ始める。
だから、あらゆる神話があの世界にはあった。
でも、この世界の神話は、一つ。
恐竜どころか、カンブリアもない。最初から、ほぼ完成された生命が地上に存在し、そして、僕という人類もすぐに生まれた。
この創世の書に書かれた神話こそが全て。
そう、僕が「そうあればいい」と願ったことが全てなのだ。
危うすぎる。
元の世界は、確固とした法則が先に定められていて、それを元にシステムチックに世界が運行されている、と思う。
それとは逆に、今の世界に法則があるのかどうかすら分からない。
わかるのは、この本に書かれたことが実際に起こるということ。
つまり、積み重ねてきた世界の土台を前にして、例えば『しかしある日、世界の崩壊が始まった』と書いてしまえばどうなるか。
『あらゆる命は死に絶え、神々は滅び、世界は元の無へと帰した』などと書けば、また原初の“何もない場所”へと戻るのだろうか。
いずれ生まれてきた生命達が、意思を持ち、自らの決断によって歩み始める時がくるだろう。
そして、たった一人ひょいと選ばれた自分たちとそう変わらない、だが絶対的な存在が「こうだったらいいな」と願っただけの世界が、自分たちの生きる場所なのだと気付く時が来る。
創るも亡ぶも、この本次第。
そして、自分の思考次第。
ぶるりと、身が震えた。
もっとよく考えて取り掛からなければならない気がする。
まるでインスタントラーメンのように、気軽に作り上げた世界だけれど、すでに僕はこの世界の住人となって、命まで作り出してしまっている。
その日は、不安を抱えたまま、夜遅くまで考え事をした。




