07.命との向き合い方
「フシャァ゙ーッッッ!!!」
エイユと彼女が召喚した亡者が飛び出した直後、開戦の狼煙代わりに魔物が敵を感知して低い唸り声を上げた。
小手調べの必要はない、エイユは直ぐさま手数で魔物を翻弄する。普段であれば自ら剣を振るうなどあまりしないが、なるべくユーシャの方へ意識を向かせないよう、亡者と共に攻めて攻めて後方に追いやる。
この迷宮に出現する魔物、とろ火虎は赤と黒の縞模様を持つ虎のような生物だ。体高はエイユの胸ほどあり、そこまで大きくないうえに野生動物よりやや鈍足。口から火を吹く攻撃が厄介ではあるが、予備動作が大きく、攻撃の前に背中を大きく反らせるため攻守のポイントが分かりやすい。推奨Dランク——中堅冒険者相当の魔物のなかでも対処しやすい部類と言える。
殺意を持って放たれる引っかき攻撃をいなし、一番隙が出来る瞬間を待つ。
何度か鋭利な爪を弾き返したところで、とろ火虎が飛び下がり、その背中を反らせる。歯肉まで丸見えになった不揃いの牙の隙間から、涎と赤い炎が漏れ出た。
——きた。
エイユは即座にとろ火虎まで距離を詰め、勢いをつけて跳躍する。タイミングを合わせてヘドロの亡者が肩を差し出し、それを踏み台代わりにさらに高く跳躍し、石壁を蹴って飛距離を伸ばす。
未だ牙の内に炎を溜めるとろ火虎の上空を一回転して、その背後を取った。挟み撃ちだ。
エイユを強者たらしめるは死霊術。亡者を現世に喚び戻す、精霊術とは異なる神秘の力。その最大の武器は、気力の持つ限り何度でも召喚可能な数の暴力。既に死したる故に死を恐れず、術者たるエイユの意思を汲み取り、彼女の望むままに動く。
とろ火虎が大きく口を開け、眼前の敵を焼き殺さんと炎を吹き出す。業火は一条の線となり、亡者へと襲いかかった。亡者は抵抗する暇もなく、否、抵抗することなく、その形を無くした。
それこそが、エイユが待ち侘びた大きな隙——敵を殺して慢心する瞬間だった。
「どっせーい」
狙うはガラ空きの頸。振り下ろした刃が硬い毛皮を突き破り肉に食い込む。
一撃では頭を落とせなかったか。魔物というヤツは大抵しぶとい、死に際の馬鹿力というヤツを発揮されても面倒だ。となれば、やることはひとつ。
「せやっ」
床を軋ませるほど強く左足で踏み込み、痛みにのたうつ虎の腹に右足で全力の回し蹴りをお見舞いする。確かな手応えののち、僅かに浮いた身体に追い打ちをかけるべく、突き刺さったままの剣の柄を掴み、そのままぶん回した。
巨体が宙を舞い、轟音を立てて石壁を破壊する。最期の声を遺すことなくとろ火虎は絶命した。
こんなものか。ふんすと鼻を鳴らすと、エイユは手慣れた様子で剣を引っこ抜き、壁向こうに隠れたユーシャに声を掛けた。
「終わったよ」
「あ、ああ……早いな。流石だ」
「うん。もっと褒めていいよ」
腰の引けたユーシャが、恐る恐るエイユの傍に近寄る。得意気な顔で胸を張るエイユに、ユーシャは「すごいな」と呟いた。
エイユは強い、これはお世辞などではない。いくらとろ火虎が討伐推奨Dランクとはいえ、推奨ランクはあくまでパーティー基準、複数人での戦闘を前提として決められている。それをたった一人で、しかも短時間で討伐成功したのだ。Cランクで一生を終える冒険者も少なくないなか、この若さでその域に到達している実力は伊達ではない。
エイユはうむ、と満足顔で頷く。
「ん」
そうして言葉少なに、ずいと解体用ナイフをユーシャに差し出した。
「あげる。朝、乱暴してしまったお詫び。とろ火虎の素材は火属性の精霊術と相性が良いはず。きっとユーシャの役に立つ」
ユーシャを迷宮に引っ張ってきたのは、どうやらユーシャを勇者と勘違いしたお詫びのためだったらしい。てっきり、その場しのぎの口だけのものと思っていたが。
やり方はどうであれ、自分のことを想って行動してくれたのだろう。そう思うと本心を切り出せず、キュッと胸が痛くなって、他に掛ける言葉がないか視線をうろつかせた。
「怪我はしてないか?」
「してない」
「……俺が火属性持ちだって話してないよな。いつ分かったんだ?」
「最初から。ユーシャの守護精霊を見れば分かる」
「精霊が見えるのか」
「気配だけ」
「……壁!壊して大丈夫なのか?迷宮破壊罪に問われたり」
「そんな法律はない」
「どうぞ。遠慮しなくていいよ」
エイユは微動だにしないユーシャにしびれを切らし、無理やりナイフを握らせる。
鋭い刃の先を辿ると、深く抉られ、もげる寸前の頸の横にぶら下がった頭の、物言わぬ瞳と目が合った。
「いい、私がやる」
沈黙の果て、エイユは渡したばかりのナイフをユーシャから奪い取り、シッシッと手で払い除けるフリをした。
「解体すれば怖くない?」
「い、生き物感が、なければ……」
そう、と彼女は一言だけ返すと、とろ火虎の前に居住まいを正す。ユーシャはそれに背を向け、三角座りになって身体を縮こまらせた。
シュッと皮を剥ぐ音と鉄くさい匂いを同時に感じて、極限まで五感を鈍らせるように膝に顔を埋める。
「ユーシャは魔物を捌けないんだね。いや、ちょっと違うか。君は、何かを傷付けることを極端に恐れている」
「その通りだ。俺、本当に、なっさけない……」
くぐもった声で、流石にバレるよな、と苦笑する顔は誰にも見られない。
「俺、ダメなんだこういうの。生き物に剣を向けるのが怖い。死んでいても無理だ。やろうと思えばできるけど、すごく勇気がいる。可哀想だから、とかではなくて、俺の気持ちの問題。命を奪って奪われるのがこの世界だって、ちゃんと分かってるのに」
弱肉強食。全ての生きる者の宿命である、かどうかは人によって意見が分かれるだろうが。こと冒険者において、弱き者が淘汰され強き者が蹂躙する世界に身を置いているのは確かなことである。ユーシャもまた、それに疑問を抱いたことはない。
日々の食事でも、食材になった命に感謝しこそすれ、失われた命に対して嘆き悲しむことはしない。人間には食事が必要だから、何かを食材にすることも必要と分かっている。けれど、自分が直接獣を殺して食料を得ようとしたり腹を開こうとしようとすると、途端に心が拒否反応を示すのだ。
自分でも制御できない、どうしようもない感情だった。
命のやり取りが盛んな世界に身を投じておきながら命と向き合うことに恐怖する。
痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌。殺すのも怖い。命を掛けて戦うことが恐ろしい。
ユーシャは化け物になりたくない。だから化け物を倒す勇者になりたくて、勇者になる手段として冒険者になった。それは修羅の道だった。
何よりユーシャを苦しめているのは、単に向いていなければ冒険者を辞めればよいという話ではないことだ。勇者という縋りつける藁がなければ、化け物の左目を持って生きることに心が耐えられない。冒険者業は、今が少しでも良い未来に向かっていると言い聞かせるための、ユーシャの心を守るために必要なことだった。
「たまに思うんだが、俺は生まれた世界を間違えたんじゃないかって。例えば、魔物がいない世界とか。戦うことが身近にない世界だったら、まともに生きられたかもしれないって」
さらに身体を縮こまらせ、深く溜息を吐いた。今日何度目の溜息だろうか。止めようにも、じめじめうじうじと溜息を吐き続けるのがユーシャの本性なのだ。いくら上っ面を取り繕ったところで、奥底の燻りはにじみ出てくるものだ。
こんな情けない姿、絶対に引かれただろう。
「聞いてるのか?結構真剣に話してるんだが」
「お母様みたいなこと言わないで。ちゃんと聞いている。ユーシャの話が心底どうでもいい内容だったというだけ」
聞いていなければいい、とボヤいたが願いは叶わず、いつの間にか解体作業を終えていたらしいエイユが隣に座っていた。
「ユーシャが情けないことなんて、私は千まで理解している。君は腕っぷしが弱いだけでなく心まで弱い」
そんなに弱いと連呼しなくても、自分のことは自分が一番分かっている。他人に言われると尚更傷付く。
「恐怖を抱くことは悪いことじゃない。そういう人も街中を探せばたくさんいる。今は血に触れない生活だってできる時代。生きる場所を選べばユーシャは普通に生活できると思う。冒険者に固執する理由を私は知らないけれど、続けたかったら続けたらいいし、辞めてもいい。それはユーシャの自由。でも、知っておいて。私達は、命を奪うでも奪われるでもなく、繫がなければいけない」
そう言ってエイユは、ナイフではなく華やかな赤い花柄の巾着袋を差し出した。
「あげる。目玉と髭と牙。目玉は街に戻ったら加工してもらうといいよ。精霊術の出力が安定する。髭と牙は冒険者組合で高く買い取ってくれる」
薄汚れた服を叩きながら立ち上がる。
ユーシャは、エイユの気配こそ感じたが、共に立ち上がる気にはなれなかった。泣き濡れた顔を腕に押し付ける。もう無駄だろうが、それでも泣いているところを見られたくはないと意地を張る。
エイユに慰められ、確信を深めた。やはり自分は生きる場所を選べないのだと。化け物の証を持つ限り、普通に生活なんてできないのだと。
見かねたエイユは再びユーシャの隣にしゃがみ、その肩をさすった。
「無理に連れてきてごめんなさい。この後は私一人で大丈夫。君は先に戻るといい、迷宮の外まで送る」
「……これでお別れなのか」
迷宮に来る前とは真反対のそんな言葉が飛び出してしまうくらいには、ユーシャの心は弱りきっていた。




