06.少年少女、金策に走る
全力の土下座から数刻後、ユーシャとエイユは再び南東の森へと足を踏み入れていた。
エイユは相変わらず感情の読めない表情ではあるが、口からぶつくさ非難が止まらない。
「ユーシャは本当にダサい。もしユーシャの態度が不快だったら、私は初めからそうと伝えている。身分を知った途端に媚びに行くのは三流以下がすること」
「悪かった。悪かったから先に進もうとするな。お目当ての、とろ火虎の迷宮はそっちの道じゃない」
エイユはぴたりと足を止める。何食わぬ顔で方向を変え、再び歩き出した。
「ユーシャがただの馬鹿ということ、私は短い時間で百まで理解した」
「それは、誠に貴女様の仰る通りでございます」
「気持ち悪い敬語を使わないで」
すれ違いざまに小突かれた脇腹を抑えながら、ユーシャは慌てて声を張り上げた。
「だからそっちの道でもない!道が分からないくせに前に出るな、この方向音痴!」
結局、ユーシャの不敬は無罪放免となった。
エイユ曰く、大仰に恭しく接されるほうがむしろ不敬、とのことだ。そう言われ無理やり立たされれば、ユーシャも気安い態度に戻る他ない。
完全にはぎこちなさが消えないものの、表面上は貴族と平民ではなく同じ年頃の冒険者仲間の空気間に戻った。
それから少し話して分かったことだが、なんとエイユは本当にお金が無いらしい。実家からの支援はアテにできず、余所から借金しようものなら家系図から名が消されるときた。これには流石のユーシャもビックリ仰天、野垂れ死なれても寝覚めが悪いため二人して顔を突き合わせ作戦会議。結局、冒険者らしく魔物狩りで金を稼ぐことにしたのだ。
獲物を決めるまでにもまた一悶着あった。
朝食のハンバーガーを食べ終え、冒険者組合に行った時。
「『とろ火虎の迷宮 推奨:Dランクパーティー』、私はCランク冒険者だから肩慣らしに丁度いい。それに虎系魔物は群れないから戦いやすい。此処に行く」
掲示板に貼られた討伐依頼書をざっと流し見て、ある一枚に目星をつける。ユーシャはそれに「いいんじゃないか」と軽く返事した。
ここからが問題であった。
「それじゃあ、ここでお別れだな。武運を祈る」
「?一緒に来ないの」
エイユは軽く目を見張る。わざわざ冒険者組合まで案内役を引き受け、依頼選びにまで付き合ってくれたので、てっきりこの後も付き合ってくれるとばかり思っていたのだ。
「これを見ろ」
そんなつもりはさらさらない当の本人は、首元から小さなタグ付きのネックレスを引っ張り出した。冒険者組合から発行される身分証だ。鉄板に刻印された「F」の一文字がはっきりと見える。
「ご覧の通り、俺の冒険者ランクは最低のFランクだ」
「弱いね」
「ああそうだ俺は弱い。虎の住み処なんかに行ったら即死んでしまうくらいにな!だから俺が行けるわけない」
ニカッと白い歯が見える爽やかな笑顔でサムズアップする。ものすごい勢いで親指をへし折られた。
「死を恐れずにロマンを追うのが冒険者じゃないの」
「いーや、命大事に!わざわざ死にに行くなんて御免被る!」
「じゃあなんで森に居た。あそここそ死地。命が大事なのに冒険者なんてしている意味が分からない」
「それは、俺にだってのっぴきならない事情が!というか話を逸らすな!ランク的にはエイユ一人で十分だろ。何を言われたって俺は行かないからな!」
口論は徐々に熱を増す。往来激しい冒険者組合の、依頼掲示板の前。傍迷惑な位置で始まった二人の喧嘩は、職員が止めに入る前に決着がついた。
ユーシャの左手が、エイユの柔らかな白い手に包まれる。彼女はそのままきゅっと両手に力を込め、きらきら星を閉じ込めた瞳でユーシャを見つめ上げた。美少女の顔圧に不覚にもよろめく。
勝った。エイユは己の勝利を確信しムフンと鼻を鳴らした。
「道案内してくれないと一生かかっても辿り着かない」
「ハア!?じゃあなんで勇者の迷宮には来れたん……いや、あそこはすごく丁寧な案内板が至る所にあったな……」
「そういうこと」
なぜかドヤ顔で頷くエイユに自分の意見を押し通すことを諦めたユーシャは、深く溜息を吐きながら後ろ手でポリポリ頭を掻いた。
「先に言っておくが、俺は戦闘時に何も力になれないからな」
と、ここまでが前談だ。
ユーシャはエイユに引き摺られるようにして——幾度も道を外れるじゃじゃ馬娘の手綱を引っ張るが如く誘導して、ようやく目的地であるとろ火虎の迷宮へとやって来た。
ここまで来てしまった手前、腹を括って迷宮内へと足を踏み入れるが、本当に億劫で仕方がない。エイユの資金集めに付き合うのが嫌なのではない。冒険者組合での一幕の言葉通り、戦闘時にまるで役に立てない事が分かりきっているから嫌なのだ。
けれど初めて人に頼られて、嬉しいという気持ちも確かにあった。断り切れなかったのはそのせいだ。
意を決して、地面にぽっかりと空いた底の見えない落とし穴へ飛び込む。転がり落ちた先には真紅の絨毯が敷かれており、尻へのダメージは最小限で済んだ。
先に迷宮へ入っていったエイユの隣に並び立ち、辺りを見回す。
「この迷宮は質素な別荘みたいな造りだね」
「俺からすればとんでもなく広くて豪華だが。確かにお貴族様っぽいギンギラギンの装飾とかは無いな」
「うん。迷宮って趣味の悪いお屋敷タイプが多いから、珍しい」
そう言いつつずんずん廊下を進むエイユを、周囲を警戒しながら追いかける。
何度角を曲がっても剥き出しの石壁の廊下が続く。この迷宮はどうやら一本道のようだ。
廊下の幅は商店街の通りくらいに広いのに圧迫感があるのは、窓も何も無い閉め切られた空間だからだろう。光源すら無いのに少し先が見える程度に薄明るいのは、迷宮がそういうものだと分かっていても不気味で背中に寒気が走った。
冒険者は獲物を狩る側であり、同時に狩られる側でもある。ここは既に敵の手の中、何が起きてもおかしくないと覚悟しなければならない。
とはいえ、ユーシャは何かあったらエイユに守ってもらう気満々だった。
後ろから急に魔物が現れたらどうするんだ。ユーシャは仔猫よりか弱い存在なのだから、頼むからもっと近くで守ってほしい。無理やり連れて来た責任を持て。そう迷宮に入る前にエイユの腕にしがみついて散々お願いしたのに、彼女の心には届いていないようだ。
不安に駆られたユーシャは、油断するとすぐ遠ざかるエイユの背に声を掛けた。
「おい待ってくれ、そんなに早く行かなくても」
「静かにして」
何度目かの曲がり角。
急に足を止めたエイユに口元をグッと押さえつけられる。無理やり声を出せなくされた感覚になんだか既視感を感じるが、大人しくしておく。
耳を澄ませると、ドクンドクンと心臓が脈打つ音の合間に、ゴロゴロ喉を鳴らす獣の声が聞こえた。
ついに、接敵だ。
エイユはユーシャの口を封じたまま、その身体を敵から死角となる壁際に縫い止める。
「死霊召喚」
呪文と共に足元が泥沼と化す。しかし草原一帯が沼地化したオバケツリーとの一戦のように迷宮内部に大きな影響を与えることはなく、その変化は腕を伸ばした範囲内に留められた。
ごぽりと泡を立てながら、エイユの背後から一体の亡者が湧き上がる。骨や枯れ木ではなく、辛うじて人の形を保っているような黒いヘドロ状の姿をしていた。
エイユは僅かに片眉を上げる。
「やっぱり迷宮だと死霊術の出力が落ちる。まあ、このくらいなら問題ない」
そう言って、ユーシャが逃げも騒ぎもしないことを確認してから、迫る魔物を見据えて静かに剣を構えた。
「来るよ。このまま壁に寄って、動かないで」
エイユの瞳に剣呑な光が宿る。彼女はずっとユーシャの前を歩いていたので気付かなかったが、すっかり戦場に生きる戦士の顔付きに変わっていた。纏う空気は氷のようで、些細な変化を見逃さぬよう全神経を鋭く張り巡らせている。
ユーシャにとってはそれが頼もしくもあり、恐ろしくもあり、身体の震えを止めることで精一杯な自分が情けない。
隣に立って剣を振るえたらどれほどよかっただろう。力があれば、背中を守ると自信を持って言えたら。
けれど力があっても自分では何もできないだろう、とユーシャは思った。ユーシャは戦えない。弱いのではなく、そもそも戦うという土俵にすら立てない。戦うことそれ自体が怖い。てんで戦うという事に向いていないのだ。
強くなりたい、勇者になりたいとは口だけで、本当は剣を持つことすら怖い。化け物の証だって、消えてほしいと願ってやまないのに、その全てを解き明かすことは恐ろしい。この世界は剣と精霊と血と涙で形作られているが、静かなところでのんびり暮らしたい。
戦いと向き合い、逃げて、逃げたことすら目を背け、弱いとおちゃらけて誤魔化して、地べたで震え恐怖に苛まれながら、今日も化け物にならないことを祈っている。
ユーシャは普通に生きられないことを運命付けられてしまっただけの、ごく普通の弱虫な少年なのだ。
エイユはそんなユーシャに一瞬だけ視線を移すと、フッと短く息を吐いた。
「大丈夫、ユーシャのことは私が守るよ」
ぽすんと頭に手のひらが乗る感覚だけを残して、エイユは亡者と共に魔物を討つべく飛び出した。




