04.突如として襲い来る受難
つんつん。
頬をつつかれる感触でユーシャは目が覚めた。地面に寝かされていたらしい、草の青い匂いが鼻をくすぐる。いつの間にか亡者はいなくなり、野原の爽やかさを味わいながら上半身を起こした。
「おお、起きた」
感情の起伏のない声だ。亡者を操っていた少女は、ユーシャの顔を覗き込んだ。
少女の艶のある緑の黒髪は緩やかに波打ち、肌の白さを引き立てている。伏し目がちな瞳は長い睫毛に隠されてなお冬の星空のように煌めいている。
手折られぬ花のような凛とした美しさを感じさせるが、パチパチ瞬きを繰り返す仕草が小さな子供のようで、そのアンバランスさがミステリアスな魅力を引き出している。
美少女の不意打ちの行動に、ユーシャは何も反応できなかった。
「私、ユーシャを探しに来た」
小さな唇から鈴の鳴るような声で名前を呼ばれて、ユーシャはごくりと生唾を飲んだ。
俗な世界から切り離されたような感覚に陥る。
瞬きすらできずに少女に見蕩れた。
だって仕方ない。今まで、竜の左目のせいでろくな人付き合いができなかった。人目を避けて生活していたので、冒険者になる前は話し相手は家族、遊び相手は本の中しかいなかったのだ。運命的な出会い方をした少女に心を掴まれてしまうことだって、ある。
「ユーシャはユーシャの迷宮に居るって聞いた。此処、ユーシャの迷宮。ずっと待ってたけど誰も来なかった」
「……魔物に襲われてたからな」
「じゃあ、君がユーシャ?」
「そうだ」
ユーシャが言い切るよりも速く、少女の白魚のような手が右腕を掴み、ひょいとひっくり返される。訳も分からず鼻先を地面に擦り付けた。両手首を背中側でひとまとめにされ、この細腕のどこにそんな力を秘めているのか、ぴくりとも動かない。早くも白旗を上げたユーシャに少女はムフンと鼻息を濃くした。
「捕獲完了」
冗談だろ。
ユーシャは泣きたくなった。まさか心ではなくて身柄を掴まれるなんて思ってもいなかった。名も無き淡い思いを返してほしい、切実に。なんだって一日に三回も襲われなければいけないのだ。何か悪いことをしただろうか。昨日酒場のオッサンを無視したからだろうか。虫の居所が悪かったのは事実だが、そのせいで日頃の徳を失ってしまったのだろう。ちゃんと謝っておけば良かったと心の底から反省した。
「〝勇者の証〟はどこ?眼帯の下?」
「ちょ、ちょっと待てって!俺はその証とやらなんて知らない!何か勘違いしてないか!?」
少女の指が、ユーシャの頭の、眼帯の結び目に伸びるのを察知し、みっともなく地面に左半身を擦りつけたまま叫ぶ。
化け物、と叫ぶ声が脳裏に過る。左目だけは絶対に暴かれるわけにはいかない。
「俺はユーシャ・ヨクイル。ユーシャって名前だ!!」
少女はきょとんとした顔で二度三度目を瞬かせ、ゆっくり首を傾げた。
「……本名?」
首がもげるほど全力で頷く。
ほんの少しの沈黙の後、少女はしゅんとしながら膝をつき頭を下げた。
「ごめんなさい」
近年稀に見るそれはそれは綺麗な土下座であった。
場を仕切り直し、ユーシャと少女はお互い正座して向き合った。
「私はエイユ。訳あって勇者を、〝勇者の証〟を持つ人間を探して旅してる。不当に拘束してしまったこと、何でもお詫びする」
「そんなに気にしなくてもいい。俺も魔物を連れて来てしまって申し訳ない。助けてくれて本当にありがとう。それでお互い様というか、むしろ俺がお詫びするべきだ」
「君のはわざとじゃなくて、私は故意。全然お互い様じゃない」
エイユと名乗る少女は、そう言い切ってユーシャをまっすぐ見つめた。
当のユーシャは本当に気にしていなかった。むしろ魔物狩りを押し付けたユーシャの方が迷惑をかけている分、生真面目に謝罪されて少し気まずい。
「いや、俺の方が明らかにマナー違反だったろ。ちょっと油断して転けただけで、あんなの全然平気だ」
嘘だ。本当はすごく怖かったし掴まれた手首は痛むが見栄を張った。それに、相手がユーシャでなければ、全然平気というのは間違いではないはずだ。
冒険者は頻繁に命の遣り取りを行う。職業柄荒くれ立った精神の者も多く、些細なことで手も武器も出る。
ユーシャの仮拠点たる酒場でも冒険者同士の喧嘩乱闘は日常茶飯事で、今日は誰が勝つかなんて賭博まで行われる始末。それを考えればエイユの行いは褒められたことではないが気にするほどでもない。むしろユーシャの魔物引き連れ行為のほうが冒険者としては御法度であり、頑として謝罪を受け入れてくれないエイユに胃がチクチク痛んだ。
私が。いやいや俺が。
謝罪合戦は収拾がつかず、何往復もの押し問答の末、遂にユーシャが折れた。
「……分かった。どうしてもって言うならジュースとか奢ってくれればそれでいい」
「ごめんなさい。それはできない」
エイユは至極真面目に提案を拒否した。
「普通に、路銀が尽きる」
「旅の冒険者で金が無い!?今までどうやって生活してたんだ」
「お金が無いのは今日が初めてだから、普通に生活してたよ」
ごそごそと肩掛け鞄からしわしわの巾着袋を取り出し、口を開けて下向きにする。ぽすんと軽い音とともに硬貨が飛び出た。
「銅貨一枚。ジュースは買えるね」
「馬鹿、ジュースしか買えないの間違いだろ!銅貨一枚なんて家にも帰れないんじゃないか」
命の恩人相手になんて言い草、という非難は甘んじて受け入れよう。そして今一度声を大にして言おう、エイユは馬鹿かもしれない。
衣食住に武器防具、旅をしていれば金はあっという間に飛んでいく。冒険者で銭無しは、最早命に差し障りが出るのではなかろうか。装備に金を掛けねばすぐに死んでしまう。なのにここまで飄々としているなんて、余程肝が太いのか、考え無しの馬鹿なのか、狂人か。
思わず首を傾げると、エイユもユーシャの真似をする。鏡合わせのようにお互い首を傾げ合った。
「いやなんでお前が不思議そうな顔をするんだ」
ユーシャは更に首を傾けた。




