24.平穏な日常は夢の中
ユーシャ、ヒイロ、エイユの一年生三人が顔面蒼白で部室を後にして、しばらくのち。
フランはだらんと上半身を机に預け、ニヤニヤ瞳を三日月の形にしながらラストを見遣った。
「ラスト先輩、あそこまで話しちゃって大丈夫なんですか?」
「問題ないよ。私達の目的から意識を逸らすために開示すべき情報だった。私が三代目勇者に関する情報を大々的に広めることは、エルシエル様との契約で出来ないからね。偶然にも彼女の弟君を勇者の迷宮へ連れて行けたのは僥倖だったよ。自分から下層への封印を解いたのは驚いたけれど、終わり良ければ全て良しといったところかな」
「ふうん」
自分から聞いておいてまるで興味のない生返事に、苦笑いを溢す。この後輩はいつも気まぐれで、人を揶揄ってきたかと思えばすぐに興味をなくすのだ。
とはいえ、気分が乱高下するほど感情があると思えば、幾分か人間みが増しただけ、一年前ミッシークの門を叩いた時のフランよりは成長していると言えよう。
ラストは努めて穏やかに、フランを諭す。
「こら、他人事のようにして。フランにも手伝ってもらうからね?」
「分かってますよう。フランは良い子だから、ラスト先輩の言うことはちゃあんと聞きますって」
「それならいいけれど。いいかい、私は君に『周りの人をよく観察して、困っている人が居たら助けてあげなさい』と説いたことがあるけれど。これからは真逆のことをしなければならない。王国最強とその弟君を手のひらで転がして上手く使わなければならないんだ」
「気が重いけれど」と長い睫毛を伏せた。蜜色の瞳は愉悦も悲哀も映さない。ただ、ラストに宿る信念の炎が静かに燃え上がっているのが感じ取れた。
「心しておくように。私達は、私達がこの世界で平穏に生きるために——」
骨張った指が地図をなぞる。
赤丸で記した勇者の迷宮と呼ばれる四つの迷宮、そして、何処にあるかも分からない、五つ目を。
「——ユーシャ・ヨクイルを勇者に仕立て上げる」
口角を真一文字に結び、優美な顔に影が差す。
フランはゆっくり身体を起こして、いつもと何ら変わりなく、ニコ!と笑顔で応えた。
「仰せのままに。我等が王よ」
◇◇◇
四月も終盤に差し掛かり、花びらが新緑に変わる頃。
ぽかぽか春の陽気が差し込む昼下がりの教室で、ユーシャはくわあと大欠伸を噛み殺した。
「大宰相ソレは大賢者マジナと共に街道整備、上下水道整備、冒険者組合設立など、ナロ王国の基礎を作り上げ数々の功績を残しましたが、特に偉大な功績として讃えられるのはやはり精霊教会での児童教育普及であり、ソレ・マジナの大改革以降、ナロ王国の精霊術士の数は爆発的に増加し……」
担任であるオジイの話はいつも長い。しかも、一定のリズムで抑揚のない声はとてつもない眠気を誘うのだ。そういう精霊術かもしれない。
半分以上閉じた瞼を無理矢理こじ開け、手首を抓って気を紛らわす。
今は精霊術の授業の真っ最中だ。座学なので、ほとんど歴史の授業と変わらないが。いくら名門校とはいえ、はじめは精霊教会で習ったことの復習だ。基礎は大事と分かっているのに、見知った事と思うと途端に気が抜けてしまうのは何故だろうか。
うつらうつらと首を上下に揺らしながら、授業とは全く関係ないこと、歴史研究部室でのラストの言葉を思い返した。
三代目勇者の消された足取り。
禁足地である『太陽の森』に隠された何か。
姉ユキナが裏で糸を引いていること。それから。
——五月の長期休暇を利用して、勇者の迷宮第二の宮『鬼説羅墳』に向かう。勿論君達のことは私とフランで守るけれど、何時危険に晒されるか分からない。長期休暇までの間、しっかり武技を磨いておくように。
——とはいえ鍛錬一辺倒でもいけないよ。君達はまだ一年生なのだから、第一に学園生活を楽しむこと。そうだね、まずは四月末にある新入生歓迎会かな。一度しかない行事だ、目いっぱい楽しんでおいで。
ユーシャはミッシークに居る時点で毎日楽しい。ということは、己のやるべきことは、まず『武技を磨くこと』か。
柔らかく微笑むラストがもやもや脳裏に浮かんだところで、眠気が頂点に達してがっくりと首が落ち、額を机に打ち付け、完全に目が覚めた。
ゴンッと派手に鳴った机は、教室中の視線を集めてしまう。
「ユーシャ君、何をしていたのですかな」
「はい!精霊と、対話していました!」
「ならばよいでしょう。さて、今でこそ精霊の存在は世界に広く知られていますが、ソレ・マジナの大改革以前は、セイエル一世の武勇伝が伝えられていたとはいえど、民間には伝わっていませんでした。一部の地域では精霊術が魔物や魔族が使う魔法と混同され、」
オジイは訝しげな視線をユーシャへ向けたが、彼の威勢良い言葉を聞くなりすぐにフォッフォッと白い髭を撫でつけ、授業へと戻っていった。
どうやら危機は切り抜けられたようだ、ユーシャはバレないようにひっそり安堵の息を吐いた。
あれは誰が始まりだったか。一年四組において、「精霊と対話」は命綱に等しい言葉である。
ミッシーク精霊術学園は、何よりも精霊に重きを置いている。精霊は基本見ることも聞くことも出来ないが、ごく一握りの精霊に愛された者は、人間と同じように接することが出来ると言う。
精霊術は精霊に自分のお願いを聞いてもらって発現する力なので、その威力や精度は当然精霊との意思疎通が影響してくる。
一流精霊術士と超一流精霊術士の間には壁があり、その壁こそが精霊と対話出来るか否かなのだ。
ミッシークでも、精霊と対話を図る授業は一年生から設けられており、二日に一コマと言えばその重要度が窺い知れるだろう。
つまり何が言いたいかというと、授業中居眠りなぞしようものなら普通は厳しく叱られるのだが、ある生徒が苦し紛れに「精霊と対話していた」と言い訳すると、何故か許されたのである。
以来、「精霊と対話」は専ら体の良い言い訳として悪用乱用されている。乱用しすぎて、流石にそろそろバレそうではあるが。
本当はいけないことだが、まあよくある学生の日常だ。普段であればやれやれ危なかった、で終わるところ。
瞳をパチパチ瞬かせ、思考を戻す。先程まで何を考えていただろうか。ああそうだ、五月の長期休暇までの間で、自身を鍛えなければならないのだった。
歴史研究部の中で、ユーシャは圧倒的に弱い。
エイユは学年一、二を争うほど強く、ヒイロも精霊術はエイユと肩を並べるほどだ。先輩はミッシークを進級している時点でその強さは言うまでもない。
ユーシャだけが弱い。ユーシャだけが足手まといなのだ。勇者の迷宮第一の宮での恥辱のお姫様抱っこを思い出し、このままではいけないと頭を振った。
何か、短時間で破茶滅茶に強くなれる都合の良い鍛錬方法はないものか。
冷や汗を拭うフリをした瞬間脳が冴え渡り、これだ、と全身に閃光が突き抜けた。
湧き出たアイデアを一刻も早く共有したくて、資料が回される時を狙ってこっそりノートの切れ端をエイユに渡す。
エイユは二度三度左右にゆらゆら揺れると、何やら書き足して切れ端をユーシャへ投げ返した。
『俺に精霊術の稽古をつけてくれないか?夕飯のプリンあげるから』
『↑ミパカツサンド』
ミパカツサンド。正式名称、ミッシーク御用達ハイパーカツサンド。売店に定期訪問してくれる麓の街のパン屋の超人気商品だ。
トンカツが丸々一つ挟まれた贅沢なサンドイッチで、ボリュームに相応しくお値段は張るものの、ザクザクの衣から溢れ出る油と脂、それらを全て受け止めるむっちむちの白パンという絶妙なマリマージュは成長期体育会系学生を魅了してやまない。
あまりの人気から販売当初は昼を待たずして売り切れてしまい、多数の要望により、今では販売日につき二回、昼イチと放課後に分けて売られている。
今日は丁度、パン屋の訪問販売日だ。
つまり、奢れと。
肯定するように、エイユのアホ毛がぴょこっと跳ねた。
エイユは飯で釣れると思って食堂のプリンを対価に捧げたが、流石に足りなかったようだ。これはユーシャがエイユを甘く見すぎていたので、致し方ない。
今は四限目で、二回目のミパカツサンド販売は四限終わりから。走って売店に向かえば購入できるだろうか。いや、オジイの授業は終わりの鐘が鳴り終わってやっと終わる。その頃には、ミパカツサンドは肉食獣共に食い荒らされているだろう。
………………。
苦渋の決断であった。
言い訳はしない。これは紛れもなく自分本位の、強悪非道の恥である。
しかし、これより二度と悪いことはしない、居眠りも内作もしない。授業は真面目に受けると、そう誓って、ユーシャは震えながらに片手を挙げた。
「外で、精霊と対話してきて良いですかッ……!」
「よろしいでしょう」
ユーシャは激走した。
玉の汗を流し、売店を目指す。この時間を無駄にしてはならぬ。全ては強くなるため、己がいつか勇者となり、憎き黒龍を倒すため。今は歯を食いしばって悪となり風となり、ミパカツサンドを同級生へ捧げなければならないのだ。
売店前は既に列が出来ていた。
並びながら目を凝らし、パンが売れゆく様を眺める。一つ、また一つ、あ一気に三つも!?
距離が近くなるにつれパンの数も少なくなり、ヒヤヒヤハラハラしながら自分の番を待った。
遂に時は来た。
パン屋のお姉さんは、ニコ!とユーシャに笑いかける。
「ミパカツサンド、残り一個ですよー!」
その瞬間、ユーシャは勝利の雄叫びを上げた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
良い子の精霊術士は、真面目に授業を受けましょう。




