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01.霞の勇者


 活気溢れる夕方の商店街を横目に、裏通りへ。

 大通りから一歩逸れると、店構えはとたんに物騒なものへと変化する。

 魔物専門の解体屋、骨や目玉が店頭に並ぶ素材屋、落ちきらない赤黒い染みのついた防具が目に付く古着屋。冒険者の街と呼ばれるこの街には、露店が建ち並ぶ大通りよりいつでも血生臭い裏通りの方が合っている、と少年は今になって思う。



 少年が初めてこの街に来た時はそれはビクビクしながら歩いたものだが、あれからもう一年も経つ。日常と化した街並みを眺めることなく、足早に目的地へと急いだ。

 生ぬるい風に吹かれて、硬質な灰色の髪が浮き上がる。彼のトレードマークとも言える左目の眼帯が露わになった。




「おっ、勇者様のお帰りじゃねーか」


「今日の成果はどうだったんだ」



 裏通りのさらに奥、細い路地の真ん中にひっそり佇む酒場は、その立地の割になかなか繁盛している。扉を開けると強い酒の匂いが一気に鼻に来て、思わず顔が歪んだ。酒の匂いには慣れてきたが、今日は特に酷い。用があるのは酒場ではなく酒場の二階、この街での拠点たる己の部屋だ。


 話しかけられた気もするが、ここの常連客が絡み酒なのはいつものことなので無視してすぐに自室に籠もるのが吉。


 そのまま通り抜けようとしたが、酔っ払いに肩を組まれて引き留められる。頬にかかる息が酒臭くてとても不快で、への字の口角がさらに下がった。



「そうカッカすんなって、どうせ今日も収穫ゼロ!進捗ナシ!なんだろ?」


「なんてったって《霞の勇者》だからな!まあ、成果がないのは俺達も一緒だ。嫌なことは酒飲んで忘れようや」


「昼間から酒飲んでる冒険者崩れと一緒にするな!」



 本当に面倒くさい。

 酔っ払い共を押し退け、二階へと上がる。「坊主、一段と落ち込んでんなあ」「後で菓子でもやるか?」なんて声は聞こえない。もう子供じゃないのだから、こんなことで気落ちする訳がない。少年はそう心の中でぼやいた。



 自室の扉を力いっぱい閉めて一人きりになり、やっと肩から力が抜ける。

 疲れた体の望むままに、ベッドに身を預ける。

 頭の中では、言われたばかりの言葉がぐるぐる渦巻いていた。




 霞の勇者。少年――ユーシャ・ヨクイルの通り名だ。


 一年前に勇者になりたいと言ってこの街の冒険者組合の門を叩いた彼の軌跡をよく現した通り名だ。迷宮に潜っても禄に魔物を倒せず、持ち帰るのは霞のみ。故に、霞の勇者。

 ユーシャは一年経っても成果がない自分に溜息を吐いた。鍛錬が足りないのか?経験が足りないのか?明日から特訓内容を変えるか?今がどれだけ駄目でもここで折れるような己ではない。そう自分に言い聞かせる。我武者羅に頑張れば、夢に、果たすべき使命に手が届くはずだから。早く、もっと強くなりたい。



 早く、勇者になりたい。



――悪しき竜を討ちなさい

――強くなれ。持って生まれた力を制御できるほどに、強い心を持て


 物心ついた頃から繰り返し聞かされた、優しく諭す声が彼の脳裏に響いた。

 物語では、いつだって悪い竜は勇者に倒される。それで世界は平和になって、めでたしめでたしで終わる。



――なら俺も、勇者に成れば。



 左目に付けていた眼帯を外す。


 腰に付けていた短剣を掲げる。


 短剣に刃こぼれはない。実戦では禄に使えないままで、姉から譲って貰った時と同じにずっと綺麗だ。

 吸い込まれるような銀。彼はそれを、自身の左目に突き刺した。



 ガキンと高い音が鳴る。 


 短剣は、左目のすぐ上で止まっていた。どれだけ力を込めても短剣が左目を傷付けることはない。


 よく磨いてある刃面に、かっ開いたままの左目が反射する。


 ぬらぬら輝く虹色の瞳。白目の部分は全く見えず、縦長の瞳孔が不気味さを一層引き立てている。何より、瞳を覆うように生えた黒い鱗が、ユーシャが普通の人間ではないことを示していた。



――かつて災厄をもたらした魔王がいた。奪われた多くの命に、ある青年は悲しみの末立ち上がる。必ずや悪しき魔王を倒さんと。誰もが魔王に怯えていた時、青年はその勇気を称えられ勇者と呼ばれるようになった。炎の精霊の力を借りて強くなった勇者は、仲間と共に遂に魔王を打ち倒す。勇者は戦地の跡に街を作り、人々の笑顔までもを取り戻した。



 この国なら誰もが知っている建国童話だ。よく寝物語として使われる、子供でも諳んじることができるほど有名な物語。


 ユーシャはこの話が大好きで、小さな頃はよくねだって語ってもらっていた。両親はあまり聞かせたくはなさそうだったが。


 彼が、物語に出てくる魔王にそっくりな特徴を持って産まれたから。


 爬虫類のようなぎょろりとした瞳も、黒い鱗も、ここだけ見れば人間とは思えない。化け物だ。魔王として描かれている黒竜そのものだ。

 それでも彼は勇者の物語が好きだった。

 勇者という存在に希望を持って生きてきたから。


 もしかしたら、左目は魔王が気まぐれにかけた呪いで、原因を倒せば元に戻るかもしれない。

 実は国一番の名医に診せればすぐ解決するのかもしれない。それも、勇者の名声を使えば手が届く。

 あるいは、神様から与えられた祝福なのかもしれない。魔王の手によって世界は未曾有の危機に陥っていて、選ばれし存在であるユーシャが魔王に辿り着けるように、祝福をかけたのだ。人間であるユーシャには神様の気持ちが分からなくて、ほんの少し意地悪に……試練のように感じてしまうけれど。


 明るい未来を描いた妄想が頭の中を埋め尽くす。


 早く強くなりたい。

 早く勇者になりたい。

 早く勇者になって、魔王から解放されたい。

 ……自分を、化け物じゃなくてちゃんと人間だと思いたい。


 窓から差し込む夕日に照らされ、化け物である証を映した短剣がきらりと光った。

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