18.夢への一歩
気が付くと、ユーシャは色とりどりの花園の中に居た。
よく手入れされた花々と、花に埋もれるようにちょこんと建つ丸い屋根のガゼボ。ユーシャのイメージのなかの貴族のお屋敷の庭園とぴったり合致する。これが夢だと直感で分かるのは、望むままに移動はできるのに、靄にでもなったかのように自分の身体が見えないからだ。
「こっちだよ」
ガゼボに据えられたカウチに腰掛ける、萌え出る若葉のような髪を揺らめかせた女が「おいで」とユーシャを呼ぶ。レースとフリルが幾重にも重ねられた白いドレスを身に纏う女は、まるで一国のお姫様のようだ。
「貴方は勇者になるの?」
日だまりのような柔い声でそう問われ、合間も空けずに「なる」と頷くと、お姫様はふわりと花咲くように顔をほころばせた。
「そう、良かった。忘れないでね、貴方の役目を」
傷ひとつない手弱女の指がぼやけた輪郭をなぞる。
「悪しき竜を討ちなさい」
囁きは一言一句違わず脳の深くに浸透し、魂に刻みつけられる。ぐわんぐわんと響く言葉を反芻しながら、ユーシャの意識は現実へと浮上していった。
◇◇◇
「……それで、学院長の頭の上で翼の生えた子豚が玉乗りしはじめて!もう意味が分からなかったです」
「ふふ、入学式はそんな風になっていたんだね。四年のミタマ・モックスと五年のオンステン・ヤークシャー先輩の仕業かな。あの人達は面白いことと後輩を可愛がることが大好きだから」
すぐ傍でキャッキャとお喋りに興じる声が聞こえる。ふかふかの布団の感触から察するに、ベッドに寝かされていたらしい。ユーシャがもぞりと身じろぐと、
「おはよう、ユーシャ。気分はどうだい?動かしてみて、痛むところはある?」
「ラストさん。何で居るんですか?というか、此処は……俺は、教室で倒れて」
ラストは夕焼け色の髪を揺らしてユーシャの顔を覗き込んだ。彼は日常の何気ない動作でさえ絵になる。
「保健室だよ。君は教室で倒れて、オジイ先生に保健室まで運ばれたそうだ。私は、ユーシャが目覚めるのを待っていたんだよ。放課後、歴史研究部の部室で君達の入学おめでとうパーティーをする予定だっただろう?それが、予定よりも早い時間にエイユ嬢とオジイ先生が部室に駆け込んで来て、君が倒れたというものだから、心配でね」
「わっ、すみません……!折角お祝いしてもらえるっていうのに。すぐに行きま、あっ、今何時ですか!いや、それよりエイユは!アイツは無事ですか」
ベッドの上でワタワタ慌てるユーシャに、ラストは困り眉でくすりと微笑んだ。
「もう夜だよ。エイユ嬢と、セイバ・カタブッツ嬢も少し前まで保健室に居たのだけれど、もう遅いから帰ってもらった。パーティーはまた日を改めよう。なに、ユーシャとエイユ嬢がミッシークに来てくれたんだ、時間はたっぷりある。焦らなくともいつでもできるさ」
それより、と距離を詰め、
「体調は悪くないかい?生憎保険医の先生は、別の用事で出てしまわれてね。けれどユーシャが寝込んでいる間何の反応も示さなかったと言うし、やはり今からでも呼び戻して」
「いや、超快眠でお目々パッチリ元気もりもりです!怪我だって、たんこぶ……も、無いですし」
言いながら額を擦る。木剣が直撃したおでこはたんこぶのひとつでも出来ているかと思ったが、綺麗に剥けたゆで卵のようにつるつるだ。
土壇場で身体超硬化の精霊術でも使えるようになったのだろうか。
ハテナを浮かべながら二度三度額を触るユーシャに、少し離れた位置で丸椅子に腰掛けていたヒイロがやれやれと大きな溜息を吐いた。
「怪我なんてあるわけないよ。剣が当たってもないのにビビって気絶したんだから」
眼前に迫る木剣を思い返し、絶妙にありそうな事だと納得する。セイバはあのエイユが押される程の実力の持ち主だ。超絶技巧で寸止めしたのだろう。……ユーシャは、剣が一瞬で灰になったことは知らない。
自分の情けなさに気落ちしつつ、それでもエイユとセイバの決闘を止めるという目的は果たされたことに安堵した。
ふと、物言いたげに足をぶらつかせるヒイロへ視線を向ける。
「そういえば、ヒイロこそ体調は大丈夫なのか?」
「ハア?」
「入学式前に具合悪そうにしていただろ。今は、顔色は良さそうだが」
「……他人の心配するよりまず自分の頭の心配をしろよ」
途端にヒイロは眉とまなじりを吊り上げ、天使のような顔を般若に変えてユーシャをボカスカとシバいた。
「お前、バカ!勝てもしない相手に突っ込んでいくバカが何処に居るんだよこのカス!」
「すみません……」
「あのバカ二人が十割悪いけどユーシャも五割は悪いから!何のために僕が防壁貼ったと思ってるんだよ少しは周り見ろ、脳筋単細胞が!ヤバいと思ったら人を頼れこのクソ雑魚!報連相もまともに出来ないのかよ、バカはバカなりに無駄に筋肉付けてないで足りない頭で状況分析のひとつでもしろよ」
「こら、気絶していた人間に乱暴するのはやめなさい。友人が心配なのは分かるけれど、ね?」
はい、はい、反省してます、ごめんなさい。ベッドの上で正座して縮こまり、息を切らしながら人が変わったように暴言を吐くヒイロをラストが何とか宥める頃には、ユーシャは萎びた野菜のようなしわくちゃの顔になっていた。
エイユとセイバに割って入ったことは後悔はしていないが、反省はしている。二人とユーシャの実力差は明瞭で、彼女達の足元にも及ばない。無事だったのは結果論で、武器も構えぬまま捨て身で庇う行為はただ怪我人を増やすだけの可能性だってあった。戦いに身を置く者として、ユーシャの対応は落第点だろう。
落ち着きを取り戻したヒイロは、それでもなお苛つきは抑えきれないようで、腕組みしながら指でトントンとリズミカルに二の腕を叩く。
「僕、学級委員長になったから。リーダーとして、初日から保健室送りが出るとか困るわけ。君達バカトリオはこれからしっかり監視するから。……元気なら、寮に帰ろうか」
にっこり、猫を被った笑みを浮かべ、ヒイロは扉を顎で指した。
◇◇◇
寮は男女で棟が分かれており、それぞれ二棟ずつある。全寮制なだけあってかなり大きい。校舎に似て、どことなく要塞染みたどっしりした造りだ。
四年生のラストと一年生では棟が違うようで、当たり前に部屋の前まで送ろうとするラストを、入り口まででいいからと半ば無理矢理振り切り、ユーシャはヒイロに引き連れられるように寮の廊下を歩いた。
三階の突き当たり、ユーシャ・ヨクイルと名札が取り付けられた部屋の手前で止まる。
「ここがユーシャの部屋。お前だけ一人部屋なの、本当に羨ましいんだけど。入り浸って汚してやる」
「やめろ」
「ちなみに僕の部屋は階段のすぐ左手。ウルフィと同室」
ウルフィとは誰だったか、顔を思い出そうとして首を捻り。「銀髪の柄悪いヤツ」と言われ、オジイに詰め寄っていたアイツか、とポンと手を叩いた。
「教科書とか、お前の分も僕とウルフィが寮まで運んでやったんだから。向こう一年は感謝してよ」
ヒイロはニヤリと口角を上げ、たちまち真剣な表情でユーシャを見た。黄金に縁取られたヘーゼル色の瞳が不安定に揺れる。
「クラスが、一年四組が嫌になったりしてないよな」
まごつきながらも、その口はつらつらと音を奏でる。
「セイバはバカだけど、根は良い奴なんだ。ただ変な方向に生真面目っていうか、思い込んだら一直線っていうか。今日は噛み合いが悪すぎて最悪だったけど、話せばユーシャともノリは合うと思う。エイユとも、もう仲直りしたみたいだし」
「何でそんなに必死なんだ?」
「そりゃあ、クラス仲が良かったら学級委員長たる僕の印象が上がるだろ」
「なんだそれ」
おちゃらけた返事に、ユーシャは軽く吹き出した。
クラスが嫌になんてなったりしていない。
ユーシャには、駄目なところがたくさんある。迷惑をかけてばかりで、憂鬱になることもあるけれど。勢いのままに入学したところも、何だか様子が可笑しくて、個性的な人も居るけれど。それでも、夢を叶えるためにこのミッシーク精霊術学園で頑張っていこうと、そう思った一日だった。
自室の扉に手を掛け、振り返る。
「色々ありがとう。また明日。おやすみ」
「……ん、また明日」




