17.教室大怪獣バトル
「ミッシークの入学者数は去年も一昨年もきっかり百人。だのに今年だけ百一人なんて中途半端な数、何か裏があると見た!お天道様は曇っても、私の正義が見過ごさぬ。エイユ・ヤマタイ、貴様が金に物を言わせて無理矢理入学したのだろう!」
違う、俺だ、と頭の中ではいくらでも反論できるのに、声に出そうとすると喉に唾が張り付いて取れなかった。
矛先を向けられたエイユはまるで興味がなさそうに微動だにしない。
「ハッ、図星で声も出ないか、敗北者の末裔が」
「ッちが、」
あからさまな嘲りに、それを止めようと何の計画も無しにユーシャは机に手を付き立ち上がった。
例え灰色の学園生活になっても、自分のせいで他人が傷付けられるなど、ユーシャの道徳心が見過ごせなかった。もしかしたら、エイユが黙っているのは彼女なりに穏便に済まそうとしているのかもしれない。けれど、暴言を吐かれて傷付かないわけではないだろう。それに、言われなき罪で吊し上げられるのは間違っている。
非難されることは恐ろしい。冷たい視線も罵声も、何度浴びても慣れないが、エイユはユーシャより剣も心もずっと強い。だからきっと、このまま黙ってやり過ごしたほうが丸く収まる、と最低で甘ったれた悪魔の囁きが過り、打ち消すように頭を振った。
——何のために、ミッシークに来たんだ。自分を変えるためだろ。中身まで家族に顔向けできない自分になるな。
握り締めた拳に爪が食い込む。
「違う、正式入学していないのは」
「——君は今すぐ歴史書を読み返すべき。どうせナロ王国の歴史書なんて半日もあれば読み終える」
それは、静かな怒りであった。相変わらずエイユはつんと澄まして前を向いたきり動いていないが、その態度こそが彼女の怒りの表れだ。わざわざ目を合わせて話すほどの価値もないと言外に匂わせている。
苛つきと嘲りが多分に含まれた遠回しな煽り返しに、セイバは器用に片眉を上げにこやかに笑った。
「フッ、歴史書を読まずとも諳んじられるとも。ナロ王国が如何にして大国になったかなど、ナロ王国民ならば精霊教会で耳にタコができるほど教わることだ。貴様も教わっただろう?」
「私の地元では千八百年分も覚えることがあるから、ひとつひとつに長い時間をかけていられない。耳にタコができるほどじっくり、詳しく、教えてもらえるなんて羨ましい」
「ほう、ではご実家に帰って歴史書を読み聞かせてもらうといい。ああ、ご実家には千六百年分の記録しかなかったかな?足りない二百年分は、私が教えてやろうか」
氷の礫を投げ合うような舌戦の果て、遂にエイユは椅子を倒す勢いで荒々しく立ち上がった。
「セイバ・カタブッツ。その言葉は私の祖先への侮辱と心得た。エイユ・ヤマタイ、己の心に従い、君に決闘を申し込む」
「決闘を申し入れる程度の気骨はあるようだな。いいだろう、己の心に従い、その決闘受けて立つ!このセイバ・カタブッツが成敗してくれるわ!木精召喚ッ!」
「死霊召喚」
「みんな、教壇の方へ逃げてッ!水精召喚!」
ガンと椅子が蹴飛ばされるのを合図に争いの火蓋が切られ、生徒はワッと塊になって逃げる。
一人冷静なヒイロが腰から短杖を抜き、教室を水の壁で二分にした。
「えっ、えー……」
時間にして僅か五秒。あっという間に隔たれた世界を、ユーシャは口をポカンと開けて見つめた。
恐怖でギャアと雄叫びを上げる声、ヒィと息を呑む声。阿鼻叫喚の同級生達に、ユーシャはエイユと初めて出会った時を思い出した。
ほんのひと月前のことだ。勇者の迷宮の入り口で、地獄のような泥沼の中、亡者に囲まれて死を覚悟した。それが今となっては、こんなにも——
「おぞましい。化け物め」
水壁の先、泥の上、黒いあぶくを立てて伸びるヘドロに塗れた手を、セイバは汚いものを踏みつけるように足を振り下ろす。枯れ枝の手はそのまま泥中に消えたが、瞬きもしない間に新たに手が湧き出て、その足首を捕らえた。
僅かに肩を跳ねさせ怯んだセイバに、すかさずエイユは床を蹴り、剣を鞘ごと横に薙ぐ。
セイバは召喚した木剣で軌道を逸らしつつ大きく仰け反ることで攻撃を回避し、あわや亡者の沼に崩れ落ちるかと思われた姿勢を驚異の体幹で維持したまま、ふいに木剣をその場に落とした。
競り合う物をなくし、今度はエイユの体勢が崩れる。驚愕に目を見開いたその瞬間、セイバの手元に生成された新たな木剣がエイユの肩を突いた。
小さな身体が放物線を描き、泥沼に沈む前に無数の手に受け止められる。机の上に飛び移ったセイバは、徐に天へ手を翳し、
「木精召喚」
十数に及ぶ木剣が宙に生成され、腕が降ろされるのと同時に、エイユを守らんと蠢く亡者に向かって豪速で落下し、叩き潰す。
飛んで跳ねて、机と椅子はなぎ倒され、画は荒々しいのに、壁一枚向こう側の音が全く伝わって来ない。揺らめく水面越しに見る姿は、綺麗な川底で泳ぐ魚を覗いているかのようだ。
術者であるエイユの人となりを知ったからだろうか。死霊術を恐ろしく感じないどころか、悲鳴を上げられてしまっている現状がとてつもなく悲しい。エイユが召喚する死霊達は、見た目はおどろおどろしいが、みな彼女を守り抜かんとする騎士なのに。
異質な見た目を忌避される様が、どこか友人に「化け物」と罵られた幼き日の自分と重なった。
他人に異質を忌避するなとはとても言えない。初めての邂逅でユーシャもまた死霊に「化け物」と叫んでしまったように。己が左目の化け物の証を嫌っているように。世界の誰よりも異質を忌避しているのは、ユーシャだからだ。
だからこそ、初めて見た時からエイユを綺麗だと思った。ユーシャが忌避してならない『異質』を受け入れ、自分の力として使っている強さ。エイユの内から溢れる煌めきを、ユーシャは心の底から綺麗だと思ったのだ。
「なあ、コレどうすんだよ先生」
ハッとして感傷から意識を引き上げる。ユーシャはセイバを止めるために立ち上がったのに、それはまだ果たされていない。
振り返ると、銀のザンバラ髪の柄の悪い男子生徒が睨みを利かせてオジイに詰め寄っていた。
オジイは一人椅子に腰掛け、どこからか取り出したティーセットで優雅に紅茶を味わう。
「フォッフォッ、青春ですな」
「なに茶ァ啜ってんだジジイ!」
胸ぐらを掴まれても、オジイはどこ吹く風。目を細めて笑うだけで、一向に立ち上がる気配はない。
「使えねえなクソジジイ!」
「やめなよ。さっきオジイ先生が言ってたでしょ、『教員は生徒間の揉め事には不干渉』って」
語気荒く吐き捨てる少年を、水壁を張り続けるヒイロがやれやれといった表情で引き止めた。
ユーシャはそんな二人の間に入り、
「だからって、このまま二人を放っておくのか?」
「たしかに僕達には、はた迷惑な場所で始まった決闘を止める権利がある。けど、誰があの大怪獣バトルを止められるの?僕は防壁の展開で手一杯」
そう肩を竦めるヒイロに、ユーシャはグッと眉根を寄せた。
「だけど、このままは駄目だろ」
「バッ、お前何して……!」
ユーシャは水の壁へズカズカと歩み寄り、壁向こうへ伝えるように拳を叩きつける。
「おい聞け!エイユは何も悪くない!エイユはちゃんと金の手紙を持って入学してきた!」
肩で息をするエイユへ、木剣が向けられる。彼女を守る騎士はもういない。——否、壁に阻まれて辿り着けない。それも、否。
今エイユの元へ行かなくてどうする。
ユーシャは水の壁へ爪を立てた。
冒険者になると決めた時も、ミッシークに通うと決めた時も、本当は心の奥底に抱えていた夢がある。日和ってぼかして、ハッキリと口に出せずにいた。——勇者になる、と。
誓うなら今誓え!勇者になりたいのではなく、なるのだ。勇者になる男が、今、自分を変えてくれた人を助けるために動かないでどうするんだ!
「俺はユーシャ・ヨクイル、火属性使い。いつか勇者になる男!それとッ!!」
ユーシャの拳から灼熱の炎が噴き出し、水の壁に穴を空ける。焦った静止の声も届かず、白く立ち込める湯気をかき分けて、ユーシャは覆い被さるようにエイユの前に立ち、吠えた。
「裏口入学は!俺だーッ!!」
「えっ」
「あっ」
エイユの首元スレスレを狙った木剣は力を殺しきれず、剣先はユーシャの額の中心へ吸い込まれる。
直撃か。反射的に目を瞑ったユーシャは、「ぅぐふっ」と情けないダメージボイスと共に、意識を白い光の中へ落とした。
セイバは、意識を失ったユーシャを一瞥した後。
「……これは、何たる力」
ユーシャの額にぶち当たる直前。一瞬にして燃えかすになった木刀を、訝しげに摘まみ上げた。




