15.悪夢のはじまり
馬車に乗り込もうとするユーシャを、エイユは中からゲシゲシと膝で押し返す。
「何してる、早く行って」
「まあ待て。いや、そのうち行く。行かないといけないのは分かっている。だが決意を固める時間をくれ。こんな怪しさ満点の場所、ほいほい先に進めるか!エイユは何も思わないのか!?」
ユーシャは主張激しい看板を指差し、訴える。入り口で既に妙ちきりんで変てこなのだ、先に進めば何が待ち受けているのか、想像するだけで鳥肌が立つ。この学園は、何かが可笑しい。
しかし、時に人は危険を承知で未知の地へ足を踏み入れなければならない。つまり、七色に光る看板を素通りし、孔雀に祝われ、入学式が執り行われる大講堂へと向かわなければならない。それはユーシャとて理解している。目的地へ向かうと、ただそれだけのことでも、そこが未知の地となれば相応の勇気が必要だ。勇気とは胸の内から無限に溢れ出てくるものではない。己を見つめ直し、考えに考え抜き、決意を曲げない意志を持った行動に勇気という名前が付いてくるのだ。今、ユーシャは己を見つめ直す段階であり、それはつまり、一度馬車に戻って精神統一の時間を——
「話が長い」
必死の熱弁をエイユは一蹴し、扉口を塞ぐユーシャの肩に両手を突いて、その頭をぴょいっと飛び越えた。
華麗に着地を決めた後、ユーシャの腕をぐいぐい引っ張って馬車から引き剥がし、御者に下車完了の合図を出すのも忘れない。引き留め虚しく、馬車は峠道を引き返していった。
エイユはふんすと鼻を鳴らし、
「大事なのは外観ではなく中身。可笑しな装飾がされていようと、此処がミッシーク精霊術学園ならば何の問題もない」
「実はミッシークではなく不思議の国に迷いこんでいる可能性は」
「ない。入学許可証が示しているのは間違いなく此処」
ポケットから金色の便箋を取り出し、フウと息を吹きかけ便箋を宙へ飛ばす。
それは地に落ちることなくふわふわ浮かび上がり、道案内するかのように光の粉を撒き散らして花のアーチの向こうへ消えていった。
「あれが金の入学許可証か。ミッシークは精霊が入学者を選んでるって噂は本当なのか」
「さあ。気付いたらあの便箋が枕元に置いてあった。精霊かどうかは分からないけれど、普通じゃない方法で入学者が選ばれているのは確か」
「へえ、入学試験も無しに才能ある人を集められるんだ、やっぱり噂は本当なのかもな。火のない所に煙は立たないってヤツ?」
金の軌跡を指差しなぞるユーシャを一瞥もせず、エイユはその横を通り抜ける。
「お喋りは後。早く行くよ」
「雑談で時間稼ぎしようとしたのがバレたか……」
さすがにユーシャの思惑はお見通しのようだ。つい苦虫をかみつぶしたような顔になった。
ここまで来たら、いい加減ユーシャも腹を括らなければならない。
ユキナと会った日にミッシークに通う覚悟は決めたが、それはそれとして怖いものは怖い。例えるならば滝壺への飛び込み。準備は万端で、自分の意志で飛び込もうとしているのに、いざ高いところから下を見下ろすと恐怖で足が竦んでしまうのと同じ感情だ。どうしてだか、なかなか前へ進む踏ん切りがつかない。
いっそ「えいや!」と背中を押すか腕を引っ張ってくれたら良かったが、頼みの綱であるエイユはすたこらさっさとアーチの向こう側へ行ってしまった。
「全員が全員エイユみたいに肝が据わっていると思うなよ。俺が特別ビビりというわけではないはず……」
辺りをきょろきょろと見渡すと、少し離れた道脇にうずくまる白混じりの金髪が見えた。
しめた。口角がにんまり上がった。
あの様子は精神統一の最中に違いない。やはりこの先に進むことが怖いのはユーシャだけではなかったのだ。露骨にテンションが上がったユーシャはルンルンでお仲間に近付き、しゃがんで顔を覗き込んだ。
「なあ、お前も入るのにビビってるクチか?よかったら大講堂まで一緒に行こう、むしろ一緒に行ってください」
仲間がいれば怖くない、と手を差し出したユーシャに、金髪頭はゆるゆると顔を上げる。
目と目が合い、ユーシャは思わず「うお」と驚愕がそのまま声に出た。
彼もしくは彼女——やや骨張った体格を見るに男だろう、よくよく見ると中性的で綺麗や可愛いと評されそうな顔立ちをしている。
彼もまた制服を着こなしている部類の人間だろうが、美人形無しとはこのことか、肩につくほどの髪はボサボサで、顔色に至っては白いを通り越して土気色になっている。
「もしかしなくても体調悪いよな。土みたいな顔色してるぞ。誰か大人を呼んで来ようか」
「いや、いい……」
少し休めば大丈夫、と端が切れて血の滲んだ唇から声を絞り出し、ふるふると力無く頭を振った。
病人の対応なぞしたことがないユーシャは、戸惑いながらも少年に肩を貸し、今にも倒れそうな身体を支える。
少年はユーシャの肩口で何度か深呼吸を繰り返し、
「……ごめん、発作が出ちゃって。もう大丈夫」
幾分か血の気を取り戻した顔でにっこり笑った。
それはぎこちなく、作り笑いであることがユーシャにも見抜けたが、「発作?」と眉をひそめると少年はさらに笑みを深くして立ち上がり、これ以上深入りしてくれるなと暗に訴える。表情を作れる程度には回復したと結論づけ、ユーシャもまた立ち上がった。
「よかった。と、挨拶がまだだったな。初めまして。俺はユーシャ・ヨクイル。逃げ足の速さが取り柄だ。よろしくな」
「……ヒイロ・オートセーブ。ヨロシク」
ユーシャから無理やり握手を交わし、
「ところで、彼女、待ってくれているみたいだけど」
「本当だ」
花のアーチの先でエイユが仁王立ちで待ち構えていた。
ユーシャが決意を固める時間が長すぎて、ちょっぴり怒っているかもしれない。焦るユーシャに、ヒイロはクスリと意地悪そうに笑った。
「僕も一緒に行ってあげてもいいよ」
「心の友よ……!」
意地悪そうな顔の方が作り笑いよりずっとしっくりくる、なんて言葉は胸の内に仕舞い。
頼れる仲間が横に居てくれるだけで恐怖が和らぐ。ユーシャはヒイロと共に「オメデトウ!」と祝われつつエイユと合流し、三人揃って入学式の会場である大講堂へと向かった。
◇◇◇
扉の先はまさしく、悪夢そのものだった。
空には極彩色の花火が打ち上がり、荘厳な福音が途切れることなく鳴り響いている。何せ今日はハレの日。ナロ王国随一の名門校たるミッシーク精霊学術院入学式の真っ只中だ。
だというのに、ユーシャは身体の震えが止まらない。気分は下がる一方だ。周りの新入生も似たようなもので、皆一様に暗い顔をしている。左隣の席の女生徒は、その場の空気に耐えきれずシクシク泣き出した。
「新入生百一名の皆さんの今後の――」
誰も学園長の話なんて聞いていやしない。
空ほど高い大講堂の天井にはどこからか放り込まれた爆弾がドカンドカンと景気よく極彩色の煙を放ち、壁一面に飾られた豪奢な式花はいつの間にか巨大化し、これまたどこからか現れた動物達と一緒に玉乗りや空中ブランコをしながら賛美歌を合唱し始めるという悪夢的にファンシーな光景を見せている。
異変は室内に留まらず、外からは激しい罵声と乱闘の様子が漏れ聞こえてくる。まさに混沌。
不安と絶望で胸いっぱいの入学式は、世紀末の荒れ様だった。
「やっぱり来るところを間違えたかもしれない……」
怖い。
帰りたい。
しかし己で選んだ道である。ユーシャは唇を噛み締めてこの場所から逃げ出したい衝動を耐え忍ぶ。
ただ時が早く過ぎることを祈り、冷や汗を垂らしながらその場に縮こまった。




