後編
そんな回想を経てもどった現在の応接間は変わらず修羅場の真っ最中。
叩かれた頬を抑えて泣きはじめるアイズハルト様は学生時代その物静かな様子とがっちりとした体躯から「湖の騎士」なんて呼ばれていたけれど、結局こういう「イタイノキライコワイノキライ」みたいなのを隠すだけの気合も得られなかったみたい。見掛け倒しにも程がある。
『なら王子様に侍る俺、騎士!みたいな面やめればよかったのにね』
ご実家を継いだ長男がしっかり近衛業をやっているんだから、自分は次男の気楽にかこつけてヒロインに背中を押されなくても文官登用試験でも受ければよかったのに……とおもうけどそれができていたら拗れてないんだよなあ。
「あなた、またぐずぐず泣いて逃げるの?それともまた国王陛下に同情いただき慰めていただくのを待つのかしら?」
「ぉ、おれはっ、そんなっ」
「はぁ、やっぱりどうしようもない男ね」
「ぐっ……」
結局アンリエッタ様がエディレット様を出産なさった後、予定通りお生まれになった王子様に釣り合う家格の家には男しか生まれなかった。それはもう、恐ろしいほどの確率で男児が生まれた。次男、三男、下手すると四男五男くらいまではいる家が大半だ。
その結果「上位貴族の男があまる」という現象が起きているのが現在我が国を悩ませている課題のひとつである。
ぼちぼち下級貴族と婚姻を結ぶものも出てきてはいるが、その下級貴族だって馬鹿ではない。この国で最上位にあたるだろうコーンフラワー公爵家への暴挙を知ってしまえば自分たちなどもっと理不尽でひどい目にあうのではないかとしり込みをして自分の寄親に泣きついたり、もはや利が薄くとも下位貴族同士で仲良くできたら結婚させてしまえ!という流れができるのは当たり前だ。
たいていの父親にとって娘は可愛い。爵位が下がり貴族の云々でのしがらみが薄くなれば余計庶民の感覚に意識が近くなるものも多いだろう。そんな娘を不幸にしたいはずがない。
それ以外の野心で燃える父親とて、上位貴族に自分の家を乗っ取られてはたまらないと判断をするだろう。
『この国の女の子は聖なる泉の妖精に守られるらしいよ、そら原作が起きる元凶みたいな奴らに女の子をぽこぽこ授けるわけないよね』
どこかの誰かが呆れたように囁くのを聞きながらもはや息をするのも怖いような部屋の中で気配を殺す。
「陛下……いえ、幼馴染殿もなんて馬鹿な事を。王妃殿下はこの事は御存じなの?」
「……ロサリーズは関係ない」
「関係なくはないでしょう。王太子殿下はロサリーズの子なのよ」
「王太子の教育は私が……」
「話にならないわ。ロサリーズを呼んで。コーンフラワー公爵ではないわ、アンリエッタが呼んでいたと言ってちょうだい」
優雅に足を組み替える動作すらなんだか迫力のあるアンリエッタ様が部屋の隅で私と同じく息を殺していた執事に視線だけで命じるのすら威厳がある。
ぎこちなく動き出す部屋の中、手も付けられていない紅茶を私が淹れなおす間すらもぴりぴりと張りつめる空気を壊したのは少し乱暴なほどに開かれたドアだ。
「アンリ!」
「王妃殿下……いや、ロサ。呼び立ててごめんなさい」
そのドアから飛び込んできたのは夜会のドレスから室内着へと衣装をかえた王妃、ロサリーズ王妃殿下である。
この瞬間まで気丈に王妃の顔をしていたのであろうロサリーズ様はソファから立ち上がったアンリエッタ様をみるやいなや、感極まるのを隠せずその大きな瞳から涙をぼろりとこぼした。
アンリエッタ様も心得たように両手をひろげて駆け寄るその身を抱きしめる様はもう演劇よりもよくできている。
「ごめんなさい、ごめんなさいアンリ。わたくし、わたくしっ……!」
「いいのよ、ロサ。馬鹿のしりぬぐいばかりさせてごめんなさい」
「でも止められなかったわっ……私がもっとしっかりしていればっ……!」
「違うわ、私たちはしっかりしすぎたのよ。ほら、ハンカチをつかって」
そう、学園時代に散々寄れば触ればの勢いでいさかいをおこしているように見えたロサリーズ様とアンリエッタ様だが、実情そんな事はない。
貴族の本気な喧嘩は水面下で静かに行って決着がつくものだから、見えているものなんて刃物と拳が出ない以上は猫の喧嘩みたいなものである。
『喧嘩するほど仲がいいってやつね。もしくは営業不仲ってやつよ』
何度もどこかの誰が囁いた言葉が一番しっくりくるこの二人はなによりこの国を支えてきた戦友みたいなものである。
狩りだの紳士倶楽部だのともはや平民でしかない「親友様」をつれまわして社交という名の友情を確かめる毎日を優先する国王陛下の裏で、国の運営をこなしているのはほかでもないロサリーズ様だ。
赤銅の髪に薔薇色の瞳という派手な外見に反して地味で堅実な実務能力の高かった王妃殿下を婚約者に据えた先王陛下の慧眼は本物だった。そうじゃなければこの国はもっと国王陛下の「男の友情」に食い荒らされてただろうから。
そんなわけで国政はロサリーズ様、社交界の掌握はアンリエッタ様。わかりやすい分業をしているがゆえに表向き相変わらずツンケンする仲に見えて、実のところは今ではツーといえばカーと通じる秘密の相棒のようなものになっているのだ。
「先ほどから馬鹿馬鹿とっ、私は国王なのだぞ……!」
しゃくりあげるロサリーズ様の涙をふくアンリエッタ様の視線がそれたのをいいことに再び隆盛を図る国王の声がまた大きくなる。
今それを言っても呆れられるだけだぞなんていう指摘をするものもいないのが不幸だったか、どうやらその一声は的確な位置に的確な角度で的確な量の油を王妃殿下の感情に注いだよう。
ばね人形のように身を離した王妃殿下のまなざしをうけたアンリエッタ様はうやうやしく自分の片手にもっていた扇をさしだして、それを受け取った王妃殿下はいつものしゃっきりと伸びた背筋で振り返った。
「……国王陛下、あなたは馬鹿です。私達は馬鹿夫婦なの」
「いくら王妃といえど不敬であるとおもわないのか」
「その不敬を承知で申し上げております。……たしかにエディレットが王太子に嫁いでくれればあの子の治世も後ろ盾も盤石になりましょう。それが叶うならと私もひそやかに思っておりました」
ぽん、と王妃殿下の手に扇が手に打ち付けられる。
ぽん、ぽん、ぽん。何度も何度もまるで呼吸が落ち着くのをまつように。
その間にもじりじりと距離が詰められるのに近衛たちがいつでも止められるように動こうとするのを王妃殿下が片手で制する。
「それならばお前もそう動けばよかったのだ!」
「それができないのはあなたもわかっていたでしょう。それをあの男妾にそそのかされたのかあなたが動いたかはしらないけれど……。最良と最善はちがうとお考えにならなかったの?」
「俺とアイズは友だ、妾などといわれるのは不愉快だ!」
扇に飾られたコーンフラワー家の象徴のようなサファイアがきらきらと輝く中、ひとつ強めに打ちつけられた扇が気合を込めるように握りしめられた。
「物事は、最良ではなく最善を選ばなければならないときがあります。国外にかけあい縁を用意いたしますわ。エディレットも同じく。……今度こそ邪魔ができると思わないでくださいませね」
「最良も最善も目の前にあるのに別の道を選ぶと?!」
「ええそうよ。……貴方にアンリエッタではなく、私が嫁いだようにね!!」
あっ、御自覚があったのかなんていうひどい事は言わない。
王妃殿下は迷いなく、国王陛下の顔面を大きなサファイアがついた扇で力いっぱい殴打した。
『アンリエッタが国王陛下の婚約者になったら多分王家を牛耳って終わりだね』
うん、それは私でもよくわかる。先王陛下だってわかってたんじゃないかな。
『それにあの国王陛下って多分自分より有能な女嫌いじゃん』
そんな事いったらロサリーズ様だってだいぶん優秀だよ。
『ロサリーズはアンリエッタよりマシだと思ったんじゃない?』
女の子らしいから?
『ああいう男の友情マジ最高!マンジ!永遠!みたいなタイプって女らしいタイプは下にみるんだよ。どんな女も男より劣るみたいな意識らしい』
それって不毛じゃない?
『最後は無毛になるんじゃない?頭が』
「ぶっ……」
思わず吹き出しそうになったのを頬の筋肉をいっぱいに使って口から空気を出すのみにつとめる。私は今は部屋の家具だ。おきものだ。百度心に念じながらも微動だにしない精神力が侍女には必要だ。
王妃殿下は最初の一打を王様の顔面に真っ直ぐ正面から当てた。
返す動きで疾風のごとき二打目を横っ面にきめ、三打目を打とうとしたところで止めようととびかかってきた近衛に身を低くしみぞおちに肘をいれる要領で肩にのせて前にころりと投げ飛ばし、その低くした体勢のまま身を捩って逃げようとした王様の膝裏をすくう一打をくれた。
できるならきっとそのまま馬乗りになって喉笛でも狙っていただろう所を王妃様の側近たる女性の近衛に捨て身とばかりの羽交い絞めにされてようやく止まってくださった。ちなみに「親友様」はもはや震えるばかりでなんのやくにもたちやしない。
「すごいわロサ。腕はおちていないね」
「貴方に絶対勝てる授業はこれくらいでしたもの…!」
国王陛下を助けようと動いた近衛を「下がりなさい!」と一喝し、乱れていた呼吸をもう整え終わった王妃殿下が本気でどうにかしようとしたら、多分王様はもう生きていないからこれでも手加減をくれたのだろう。
『さすが王太子よりも先に倒せと言われた女……』
そうだね、王妃殿下は国境地帯を守護する武闘派侯爵家という名の猛獣の群れに咲いた一輪の花だものね。先王陛下は甘ったれ息子に実務も護衛もこなせる嫁を用意した。これが最善でなくてなんというのだ。
もはや怒りとか屈辱と痛みで真赤になって呻くばかりの国王陛下とはらはらと流していた涙も止まるほどに固まっている親友様の前に、王妃殿下の乱れた髪を直してあげるため寄り添うアンリエッタ様という対比がすごい。
反逆とか謀反とかいわれそうな光景なはずなのに、そんなの鼻で笑えるような気概というか雰囲気というか、そういうものが部屋に満ちている。
「で、男の子には父親が必要か?とかいうのに結論はでた?」
「ええ。息子は父親が必要だとおもっていたの。お父様がお兄様たちにその背中をみせていたように……。理解を、共感を、理想を、私では与えられないものを与えてくれるとおもっていたから……」
わかるよ、わかる。
男親ってなんとなく女親にはわからないものを感じ取れたりする気がするものね。私も長男に自我ができて幼いながらも男の子らしくなった頃に痛感した。男の子って本当に可愛いけれど馬鹿で想像の余地を超える生き物だ。そこをうまく掬い取れる父親がきっと息子には必要だ。
同じ男の子をもつ親として、私と王妃殿下は抱えるものは全然違うかもしれないけれど、同じ悩みを持っている事が胸にしみる。
そして――それならば、思う事はひとつだ。
「私が努力をすればどうにかなるとおもっていたわ」
「我慢するのも母親の愛といっていたものね」
「ええ……でも違ったわ。我慢してもなんにもならなかった」
ぎん!と王妃殿下の目が再度吊り上がるのをみておそらくこの部屋の中の心は一つになった。
そのくらい国王陛下と親友様は情けなく、この国の害にしかならないと露呈してしまったのだ。
「私は王太子の母、そしてこの国の母!我が子のためにならぬ事はやめます!そしてたとえ夫の貴方とて、許さぬものは許さないという姿をみせるも母の愛ですわ!」
再度フルスイングされた豪奢な扇は誰にも止められる事もなく、国王陛下の顎を叩きあげそのままばっきりと折れてその生涯をおえた。
もしもあの二人が男女だったのならば『真実の愛』とかいう名前がついてもっと事はシンプルに済んだのかもしれない。
だがそうでなかったからあの二人の気持ち悪さに名前はつかず運命の女神がもつ天秤に乗せられる事もないままとっても静かに終焉を迎えた。
国王陛下は倒れ急な病を得たのが判明したので、まだ学生である王太子が急な即位をすることにした。そして若き王が卒業するまでの短い期間を補佐する摂政として王妃を据えた……というお触れがでたのはあの夜会から一週間後。
かくして急に退位した王は気ごころの知れた平民の従者を一人連れていつも通っていた狩場に併設された北の離宮へと静かに静養にむかったらしい。
それがもう二度と帰れぬ片道切符なのを知っているのはおそらく国の上層部だけ。
『腐った連中がみたらこれ以上ないほどハピエンじゃないの』
どこかの誰かが脳裏でぼやく。平穏を取り戻した王宮は今日も明るく美しい。
王太子は国王が去った後、目の前で繰り広げられた夜会の光景で目が覚めたらしくエディレット様に誠心誠意詫びてこれからの精進を約束し許されたらしい。
「聖なる泉の妖精」なんて呼ばれるエディレット様はどこまでも静かに慈悲深く、王太子が自分の馬鹿さを自覚して泣いたのを穏やかに慰めてあげていたらしい。これでもうなんかへんな誤解やちょっかいはなくなっただろう。ああいうのがヒロインていうのではないだろうか。
本人がいなくなった以上国王陛下の息がかかった派閥の連中はこれから確実にしめあげると王妃殿下が決定したらしいので、これからこの国はもっと穏やかで静かになっていくのだろう。
『まあ、大団円ってやつだよね』
そんな予感のままガゼボで午後から行われる茶会の準備に走りまわる私はエミルーン。
どこかの世界にあったっていう物語によく似た世界に生きる、ちょっとおしゃべりなどこかの誰かの声が聞こえるだけのごく普通の侍女。
そして中の中の下くらいの爵位をもった文官の夫との間に娘と息子が一人ずついて、今日も大好きって力いっぱい抱きしめたり悪い事をしたときは力いっぱい叱るのを子供たちに嫌がられるような年齢になってしまったのが嬉しくも悲しいどこにでもいる普通のお母さん。
この世界にはヒロインなんかいなくたって、愛に満ちている。
『……あれ?でもてんおと、たしか2がでてすごい爆死してたような……?』




