これは母の愛である
私の娘、エディレットは産まれた時から過酷な運命を抱いていた。
ひとつめは産んだ私がこの国に四家ある公爵家の女主人であること。
ふたつめは同じ年に産まれた王子がいること。
みっつめは前後の年も含めてに高位貴族で産まれた女の子がエディレットだけであること。
よっつめは我が国の王と私の夫が親友ともおなじ師の元で切磋琢磨した盟友ともいえる立場であること。
いつつめは我が国の王と私が幼馴染であったこと。
わかるだろうか、この意味が。
エディレットは産まれた時から、国の女たちの頂点を望まれた。
淡い水色の髪、私の家に伝わる紫混じりのコバルトの瞳をした赤子は私が長時間のお産に疲れ果てその処置をしている間に、『男の友情』なんていう一言で一月後に産まれる予定の王太子の子が男であったら婚約者になると内定してしまったのだ。
もちろん私は怒った。烈火のごとく怒り狂った。出産の疲れも忘れるくらいの激怒だ。
そんな私に入り婿である夫のアイズハルトは涼しい顔で「口約束だ」と主張したものの、その口約束だけでこの子の運命は七割決まってしまったようなものだ。そして絶対にそれを実行しようとするだろう。
殿下との友情はたしかに大事かもしれないけれど、君が嫌がっているのをみせたらそんな強引に決めてくるものではないよと静かに笑ったその顔を乳を貯めすぎていたんで熱をもった身体のまま力いっぱい張り倒し「湖の騎士」なんて呼ばれていた夫の見掛け倒しな体幹ごと彼がかけていたマホガニーの椅子を打ち倒して壊したほどだ。気に入ってたのにもったいない事をした。
「娘を気軽に売るような真似をするのは許さない!いっそ貴様が嫁げ!」
その時の私の怒りを真正面から浴びて涙目になった夫がその怪我の処置で世話になった領地の医院で助手をしていた平民女に優しさ一本で絆されて愛人としたのは予想外であった。バカの考えを想像するくらいなら休んだ方がいい体ではあったが、考えれば考えるほどに予想外の馬鹿さ加減だった。
が、怒りが収まっていく中で考え直せばそれから先、夫婦生活をしなくてよかったので自分の小遣いで養う事と子だけは作るなと釘を刺して放置する事をきめた際、まるで私にひどい事をされて傷ついたような顔をした夫はやはりただの馬鹿であった。
「この領の後継はどうなるんだ」
「エディレットが継げばいいでしょう?それともあなたとあの平民に子をうませて養子にでもいれろなんて世迷い事をおっしゃるの?」
私と作るつもりだったのかもしれないが、外からどんな病気を持ち込むかわからない相手の相手をするなど本当に悍ましい。食い下がってこようとする馬鹿を完全に意識から切り離すまでにいくつかの深い呼吸をくりかえす。
あの頃王太子だった今の陛下に侍り側近としての日々を過ごしていた時は涼しい顔をして物静かで寡黙に過ごし騎士で身をたてるといわれていた夫の脳がこんなアホだったとは学園の女王と呼ばれいていた私にも見通せなかった。幼馴染殿の顔を立てて婿入りの打診をうけた自分が許せないほどに。
ふん、と視線の中にあるが完全に意識の外に放り投げた存在を無視ながら手で弄んでいた扇子を閉じ、アホのもう片割れたる幼馴染殿――国王陛下に上奏すべく文字をかく。
『あなたと夫の口約束でエディレットの未来を決めようなんて片腹痛いわ。あなたの大親友である夫に我が家の血を唯一継ぐ娘を貴方の子に嫁がせて愛人の子を引き込むなんて家の乗っ取りを匂わされたからには夫ともう子供は作らない。うちの後継はエディレットだけと心得て頂戴』
学生時代ならおそらく着せなかった絹を歯に百二十枚重ねて送った文章はおそらく意味を丁寧に読み取ってくれたのだろう、無駄に暑い友情の元に「そんな事言わないでアイズを許してやってくれ幼馴染よアイズがそんな大それたことを計画するわけないだろう俺からもちゃんとあなたを尊重するように言い含めるから仲良く戻ってくれ」なんていう甘ったれた返事をまた百二十枚は絹をきせた歯だろう文言で綴ってきたものだからそんなものヤギにくわせておけと命じながら短い文章を返す。
『我が夫を去勢をしてもいいなら許します』
これにはわざと絹をきせなかった。
さて、そんなかんじで送った手紙にお返事がなかったことを重畳と思いつつもエディレットがすくすくと育つのを見守り生活した。
そりゃ無能が本格的に無能だったからには、私は仕事をしないわけにいかなかった。乳がカチカチになるほど豊かな母乳を出せる身を捨ておいて四六時中世話役の乳母をエディレットにつけていたけれど、それでも私は母であることをやめられずに立ち上がれた日、歩き始めて私の元にあぅあぅ声をあげてきた日には抱きしめてほ感動で涙をこぼした。夫の事はしらないけれど、私の横にいた記憶はない。貴族たるものもっとドライに対応しなければいけないと聞いたがこの子は最初で最後の私の子だ。堪能して何が悪い。
「おたあたま」
エディレットはこの苛烈な私の性格を継がなかったらしく、穏やかで優しい娘に育ってくれた。男の身にあっては生ぬるく未来展望のないだらしなさにみえただろうそれも娘の身であれば天使のようなと評される無邪気さに変わる。
うまくまだ呂律の回らない口でそう呼んで駆けてくるのを撫でてやれば、周りの侍女がほほえましく彼女の名を呼んでついてくるのに視線をやってもう一杯茶の用意を頼む。
「どうしました、エディレット」
「おにわのおはな、えぢのおはな!」
どーじょ!と差し出してくるお花は庭師が積んでくれた薔薇。
小さな白い花はエディレットが産まれた時にアーチをつくろうと植えたもので、棘も綺麗に切ってあるから幼児の指にも安心だ。
「まあ、ありがとうエディレット。お母さまの執務室に飾っていい?」
「どーじょ!」
お膝にだきあげてほおずりをすればきゃらきゃらと笑うおくちに小さな白い歯が見える。育っているのを実感しては甘い香りのその身をたまらず抱きしめた。
エディレット、私のかわいいエディレット。
お母様は貴族だけれど、あなたの「おたあたま」でもあるのよ。
この世界で一番愛しているわ。私の天使はあなただけ。
そう囁いては眠るまでつないだ手がぽかぽかと暖かくなるのが心地いい。
我が夫はエディレットの寝室には入ってこない。それどころか自分可愛さにエディレットを害するかもしれないので私が入れないと宣言したからだ。
また酷く傷ついた顔をした夫は、それから傷心を理由に愛人の家に入り浸り。政務の手伝いもしないならそろそろ価値がないのを教えてやらなければいけないだろう。
そう決意し夫を家から蹴りだしてから十年と少し。エディレットは十三歳になった。
光に透けるような水色の髪、コバルトブルーの瞳をもった娘はぽちゃぽちゃした輪郭の赤子から背も伸びコルセットを身に着けるような淑女にひとつ歩を踏み出した娘になった。
性格は物静かで温和、かといって気弱なわけではなくて人の話をよく聞き争いごとを好まぬ分だけ解決策を練り私の部屋へ訪ねてくる事もあった。
私が周りの人をひきつれ先導し歩く軍馬のような女だったのに対してエディレットはその穏やかさで積み上げた人徳で周りに花園をつくるような娘になってくれた。その様はこの国に伝わる清らかな泉とその周りに咲き誇るという聖なる花の伝承になぞらえて「泉の妖精」と言われているそうだ。
……いや、なってくれたが正直この娘に領主仕事を任せられるだろうか。もう少しだけ私に似てくれていれば、生き馬の目を抜くような、淀の目立つ沼をわたるような美しいだけではない政の世を泳げただろう。優しさを毒とは思わないが、エディレットの心を傷つけないであろうかは心配だ。傷つく事で何かを得られるのならば多少は……と思わない事もないが、それで癒せぬ傷などできたら元も子もない。
幼馴染殿こと国王陛下がまだ元夫との友情の証という名目でエディレットを諦めていないかもしれないという事を考慮すればなにかされてはたまったものではない。
寄り子の中から選んだ利口で目端の利く令嬢たちはエディレットを春の女神と評して慕い囲み、同時に選んだ立場をわきまえた令息たちは距離を適切に測りながらもその令嬢たちを見守っていた。その調和にあの馬鹿幼馴染殿の息子である王太子殿下が斬りこんでこれるかで評価が変わるというのはもはや鉄板の冗談だ。
しかしいざその囲みができあがり、ついには入学することとなった学園で同じ学年に特筆すべき一人の娘がいるという話が私の耳にとどいた。
その娘は貴族令嬢にしては短いものの夜のような黒い髪と猫のように快活な瞳をしているらしい。
彼女はとある男爵が市中で倒れたところを助け母が務める医院に担ぎ込んだ恩で養子として迎えられた娘だという。――そう、母が務める医院に。
政治は情報が命だ。私の元にそれを届けたのは同じ男爵位を持つ我が寄り子の男爵家。なんでも下級貴族の中では美談として通っているらしい。
その顔があまりにも――そう告げた彼の顔色はよくなく、続く言葉がよい事でない事を言葉にしなくてもわかる。
「……子は作るなといったのに」
湖の騎士と呼ばれた元夫の面影をありありと残す彼女はエディレットと同じ学年に所属する。
さて、と空気を動かすように前触れの言葉をくちにして各家にお触れをだしてペンを滑らせる私ができる事はやったはず。エディレットもどこに出しても恥ずかしくない娘へと育った。
あと頑張るのはエディレットのみ……なんて思った私は知る事となる。
世の中には斜めに飛ぶ阿呆がいるということを。
「エディレットが?」
「はい。お耳に入れておいた方がよろしいかとおもいまして」
モッコウバラが咲いたからなんていう理由でひらかれた茶会で真面目な顔で言葉を重ねるのは、私が選んだエディレットの友人たる娘をもつ親の一人。
爽やかな初夏の光が満ちる庭園に集った色とりどりのドレスをまとう貴婦人たちの鮮やかさに対して、潜めたそれはわずかに沈んだ色を抱いていた。
「アテスタンスの娘が、姫様に邪険にされていると吹聴しているとか」
「まぁ、恐ろしい。どういう思考で言っているのかしら」
「姫様は慈悲深い方だと皆知っております」
「なので私の娘など許せずにアテスタンスの娘に物申しましたら、それまで姫様からの指示とされて王子に泣きつく理由にされたと憤りが止まらず私に訴えてまいりましたのよ」
「髪に絡んだ薔薇の枝を切るのもためらう姫様が人を陥れるなど考えるはずがないと息子も申しております」
アテスタンスの娘……コレット・アテスタンスはかのいわくつきの娘だ。
枝の擦れる音よりも静かな口調だが、その声にはひそやかな怒りが隠せない。それはそうだ、エディレットは苛烈な私よりもずっと人の心をつかんで離さないだけの愛される素養がある。
「そう、困った者ね。しかしどうしてそのような命知らずな事を?」
学園の中とて貴族社会のひとつなのを知らないわけでもあるまいに。公爵の娘を男爵の娘が謀ったなどとしれればその先は知れたこと。
なのに何故そのような事をぼやくように呟いた中でおずおずとカップをおいて私に視線をむけたのは去年学園を卒業し縁戚たる子爵家へ嫁にきたばかりの夫人だ。
「……発言をお許しいただけますか」
「もちろん。私たちでは見えないものを見せてほしいわ」
子爵夫人は幾度か言葉を選ぶように唇を湿らせて眼鏡を直す仕草をすると、厚いガラスの向こうから私の目をしっかりみてこう言った。
「私が卒業する年、次に入学してくる王太子殿下にはもう婚約者が内定していらっしゃるという噂がまことしやかにささやかれておりました」
「……まさか」
「私はもう嫁ぐ家が決まっていましたので……それがこちらの姫様ではないのかと尋ねられた事がございます。なので、もしかしたら……」
それ以上言われたら、わたくしはもう止まらない。その自覚があった。
「……王家は姫様をその婚約者と匂わせて、既成事実にしたいのかと……」
あの馬鹿。あの屑。あの無能。
心の中で三度繰り返しても腹が立つ。手に何も持っていなかったのが本当によかった。その怒りで銀食器を三本くらいは曲げられそうなのを堪えるのは難儀だった。
お茶会を終わらせて婦人方をそれぞれ馬車まで送るとさっそく使える伝を全部つかって「事実」を探る。
程なくわかったのはアテスタンスの娘が命の恩人とはいえ何故そんな簡単に男爵家に引き取られたのか。小金を手に入れたアテスタンス男爵と、ふらふらと領内で女に飼われていた元夫と、その愛人だった女の現状。そして……王家との関係。
結果出てきたのはまた【男の友情】なんて馬鹿みたいな言葉。
結局のところ、この家から蹴りだした元夫と我が幼馴染殿はその友情をまだまだ温めていたようで、一人の娘を生贄にもう一人の娘をその友情の楔にしようとしたようだ。コレットを王太子が気に入ればその結果エディレットに義妹いじめなどという悪評がついたとしてもコレットを嫁がせればよし。王太子がコレットを気に入らないならばエディレットと王太子の婚約という言葉の既成事実化――その外堀埋めとして使うのみ。そして王は今こそ平民の間に身をやつしているものの揺らがぬ友情をもった臣下を間近に置き、元夫は王妃の父としてのそれなりの職位を用意されるて永遠の絆を手に入れる。そんな皮算用をして二人はひそやかにそのための準備をした。
ギリ、と唇を噛みしめても感情が抑えきれない。
「それならば幼馴染殿とあの盆暗が結婚でもすればいいでしょうに」
人生で何度この言葉を繰り返しただろう。
王妃殿下や私を可愛がってくれた先王に聞かれたら大顰蹙だろうがそう思わずにいられない。
学園内の様子であると、どうやらアテスタンスの娘はエディレットの腹違いの姉妹であることを王太子に告げ、ひどく扱われるのは当たり前だがたった二人の姉妹なのだから仲良くしたいと涙ながらに訴えた事に王太子は心を動かされた。そしてエディレットとの間に話し合いの場を用意しようとしたがことごとくそれを崩す事にエディレットの周囲は成功しているらしい。
「エディレット本人の様子はどう?」
「戸惑っているようですが、御自身の立場をしっかりと理解しておいでです」
「優しさに押し切られるような娘に育たなかったことを喜ぶべきかしら」
「はい、とても賢い姫様です」
何より元夫による爵位簒奪未遂の経緯はエディレットが学園に入る前にきちんと伝えてある。学園という私の目が四六時中届かないところで悪い虫以前に近づくゴミがいないともかぎらないからだ。
この家を継ぐ資格があるのは古い血族たる私の血が入ったエディレットだけのものである。腹違いの妹……夫の血だけでつながった娘へ元夫にほだされた程度の理由でこの家の名を名乗る事を許しを与えるなどそれこそこの国に貢献し長く続く家門への裏切りに他ならない。エディレットはそれをよくわかっている。その秩序を乱せば混乱するのはこの国だ。
「……ありがとう、引き続き頼みます」
「姫様のためなれば……お任せください」
そっと部屋から退室していくエディレットの側近として用意した娘を見送る事もなく額を抑えると、私はくしゃくしゃと紙をにぎる。せめてこのくらいは発散したい。
これではコレットを一方的に悪くなどできないではないか。一方的な加害者であったならば今すぐ対処をすればいいこと。だがコレットを処理したところでどちらにしてもうまくいくように幼馴染殿と元夫は手を打っているはずで、それを上回る何かを用意せねばならない。
そんな思案をしている間にも刻々と事態はすすんでいくようで、ついに王太子はエディレットの「人の心のなさ」に不満を漏らすようになったらしい。
優しい顔をして妹の小さな願いすらかなえてやれないのか、と……。
そんな娘を裏切ってコレットに味方した。それをどこかで大っぴらに出した時元夫と幼馴染殿の計画は完成するのだ。あの二人が父親同士の垣根をこえて、真なる永遠の友情を手に入れる計画が。
はぁ本当に馬鹿らしい。苦労するのは母親ばかりだ。
「……ん?母親?」
そこでようやく、私は一つの方法を見出した。
学年の終わりを告げる夜会。
卒業や進級を祝うその祝賀は王城で行われるが関係保護者が呼ばれる程度の小さなものだ。
ただしあくまで主役は生徒。その中でも最上級に扱われるのは卒業生であり、大人になる前の最後の夜を学生らしく、それでいて明日から一人前の貴族としてふるまうための姿を年若い者たちに見せるという建前で保護者は用意された二階席で過ごすのが慣例となっている。
私達も類にもれず、エディレットの進級を祝うために二階の一部を寄子の家の者たちと陣取って階下のホールをながめていた。
「ほら、あそこに姫様がおりますよ」
「姫様の提案で揃いの飾りをつけたと娘も喜んでおりましたのよ」
「あの真珠の飾りかしら?」
「そうですの。姫様が卒業する我が家の娘にも祝いだと真珠をわけてくださって……」
「我が家もですのよ。息子など一生の宝にすると申しておりましたわ」
エディレットは今日のために用意した、主役の座を奪わないように控えめでいて楚々とした薄水色のドレスを着用して人の輪の中にいる。
このまま何もなければいい……そう思いながら含んだワインで唇を湿らせていればその囲みの中に無遠慮に入り込む男女の姿があった。
王家のみが着用できる白い礼服を着込んだ王太子に腕をからませた我が公爵家の色であるコバルトブルーのドレスを着たコレット。その姿は男爵の娘にしては孔雀のような豪奢さで空気も何も読んでいない。
ざわめきがその輪から静かに広がっていく中、白い礼服の王太子演技がかった様子で片手をあげて我が娘エディレットへ何かをいいかけて――。
次の瞬間、その腕にぶら下げていたコレットがやおら近づいた侍女服の女にひったくられて、その頬を思い切り張り飛ばされた。
そこからはもう大混乱だ。
悲鳴があがり、真っ青な顔をしたエディレットの周りを護衛につけた令息が囲み、王子の側近たちが王子をかばっているのなんか気にしないように侍女服の女は泣きながらもう一度その頬を往復する形でひっぱたく。
「おかっ、おかあさんっ、痛いっ!」
「お前は!お前は!せっかく貴族様の養子になったというのに!こんなふざけた真似をして!」
「いだっ、んぶっ、そんな、私は元からッ、貴族の娘でっ!」
「お前は私が産んだんだよ!平民から産まれた娘が貴族だなんて思うなと何度いったらわかるんだい!馬鹿なお父さんの与太話にまた乗せられて!明日のパンも分けていた家で何が貴族だよ!」
「ごめっ、おかあさん、ごめんなさいっ!」
「謝る相手が違うだろう!お前は尊いお方に暴言をはいて嘘を吹き込んだんだよ!公爵家の姫様がお前に何かするわけないだろう!」
「でも、あぐっ、お姉さまはっ!」
「公爵家の御当主様の子とお前がどうして姉妹なんだい!家族としてスープを分け合った事もないのに!」
「いや、いやああっ!いだいっ、お母さん、叩かないで!お父さんだすけてぇ!」
「なら今すぐ姫様に謝りなさい!」
反論しようとするたびにとぶ平手の衝撃は綺麗に編み込まれた髪から宝石のピンを飛ばし、本格的な警備のものが来るまでにさんざん叩かれたコレットは最終的にはぐったりと床から動かなくなった。狂乱のままに彼女を張り飛ばしていたコレットの母……夫の元愛人、今は妻の立場であるというサーシャは肩で息をしながらもおとなしく捕縛をされた。
ここまで騒いでくださったらあとは私の出番である。
「サーシャ、姿が見えないとおもったらここにいたのね」
「ああ、奥様!申し訳ありません、奥様!」
身内をひきつれて二階から降りていく私たちを見れば取り押さえれたサーシャがわっと大きな声で泣きだすのに近寄って優しく抱きとめる。
夫を奪った女ではあるが、よくよく話を聞けば悪い女ではなかった。町医者に憧れるもそれほどの専門知識はなく、学ぶ金もなかった。だがそれでも自分にできる事をするために一生懸命その助手として働き、献身的に患者と接する事で誰からも好かれるような明るい女だった。その献身を誤解した貴族男がいる程度には愛される女だった。そして愛のない結婚を嘆くというホラ話に同情して身分違いの相手との子ができた時には一人で育てようとしたのを周りが何くれと気に掛けるほどには愛される女だった。
「……こ、公爵、その、女は」
「殿下、この女は先ごろ当家の寄り子が雇った者でございます。女だてらに医術の心得がございますので、今日は私がエディレットの卒業式をみるため……不調をおしてここに来るための介添えとして借りておりましたの」
「ふらつくなんてもう私も歳かしら」なんて笑ってみせたのに震える王太子の向こうには、どうやらこれから起こるだろう何かを特等席で見守る予定だったはずの国王陛下――我が幼馴染殿と傍らで随分老け込んだ元夫がカーテンに隠れるようにこちらを見ている。
見ていろ屑共、貴様らの浅知恵を、もっと大きな力でぶち壊してやる。
「申し訳ありません、奥様、娘が、娘がっ……」
「いいのよ、サーシャ。お前の娘は誤解をしていたのだとよくわかったでしょう?まさか平民の娘が公爵家の姫と血のつながった姉だとおもうなんて……そして我が家唯一の後継たるエディレットを王太子殿下の婚約者などとおもうだなんて。誰がそんなひどい嘘をお前の娘に吹き込んだのかはしらないけれど、年若いお前の娘にはわからなかったのでしょうね」
「おがあざん、わたぢっ、ほんどにきぞくだってっ……」
「ああ、まだお父さんのほらにあてられて……!ああ、どうか、手討ちにするならわたしを……!」
「やだ、おがあざん、ぢなないでぇ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
貴族の中でははしたないといわれるような大声で化粧もぼろぼろにしながら泣きだす親子からようやく視線をはなせたらしい王太子殿下が立て付けの悪い窓よりもぎこちない様子で我が娘、エディレットに向き直る。
「え、エディレット、君は……」
「……母の言う通りです、殿下。国を乱すような事はできませんし……選ぶことは、できません。私はこれからも公爵家として殿下の御世を支えます。」
今にも倒れそうな青白い顔をしながらも倒れないエディレットを私は少し見直した。背に手を添えてくれていた側近の手をはなしてもらい、身をただした娘はドレスの裾を摘まんで周りと共に深い礼をする。
それは正しく臣下としての提言の形だった。
祝賀会はそんなハプニングで騒然としてしまい教師陣により早々の閉会を告げられた。卒業生たちには申し訳ないものの、社交界で必ずウケが取れる鉄板の話題と後日我が公爵家が主催する夜会への招待状で手打ちにしてもらえたら重畳だ。その礼を兼ねて顔つなぎが美味しいとおもってもらえる者たちをよんでおかねばいけないなと脳内で名簿をめくりつつ娘を支え、馬車への道をゆっくりと歩いた。
――さて、この「騒ぎには騒ぎをぶつけるんだよ」という解決策は想像以上にうまくいった。
娘を男爵家に送り出し一人かわらぬ生活していたサーシャの元に私が前触れで多少の事情を伝えた上でひそかに尋ねると、彼女は綺麗とはいえない硬い床に額を擦りつけて私に詫びた。
「奥様には謝っても許されないことをしました。旦那様に見初められた時に見逃していただいたのに娘までっ……娘までっ……」
平民にありがちな年の割には少しくたびれた印象の女だった。わからなくもない、仕事と子育てを両立するのはたくさんの助けをもらえる公爵の私だって大変だったのだから平民では言わずもがななのだろう。
「……今日はあなたを責めるためにきたわけではないわ。……むしろ、あなたに選んでもらいにきたの」
いつもの威圧的な言葉をできるだけ丸くするのは難儀だったが、それでもこの計画に乗ってもらわねばならないと思って声の張りをおさえる。
「えら、び……?」
「そう。あなたはたしかに私の夫と不義を働いた。だがそれは……あの阿呆をあなたに押し付けたという事でもある。それであなたが苦労をしていたのは調査でよくわかりました」
我が元夫は、貴族の血が作り上げた綺麗な顔というぶあつい脂肪をまとわせたただの骨だ。食べる肉などひとつもない。誰ぞ運命に導かれた天使のような娘に出会い才や能力を見出されればその性根がどうにかなったかもしれないが、そんな奇跡など起こらぬままに家を継ぐ才もなく私という権力のある女に与えられたお飾りの人形。
それが平民の女にどれだけ利を与えるか?愛と平民にとっては大金だろうが元夫にとっては小銭みたいな金以外何も持たされずに追い出されたとわめいたときくからには、利益をうまく発生させることなどできなかったのだろう。何もできなければ身でも売れといいたくなるような自堕落と自尊心と実利がないわりには気色の悪い男同士の寵愛でできた塊をこの女は娘もろとも抱えて身を粉にして働き生活をつくりあげて、街中で病人を助けるような娘を育てぬいた。
「あなたの娘はあの馬鹿にそそのかされて別の腹から産まれたとはいえ実の姉たる我が娘を陥れようとしています。私は貴族としてそれに厳正なる処置を下さなければなりません。しかしあの馬鹿のせいであなたが娘を取り上げられその末に手の届かぬところで死ぬような事になったら、それはもはや過去の私が起こした不始末の結果だという自覚もあります。責任を感じない程私は同じ母親として人の情を捨てたつもりはありません」
「コレットが……?!し、し、ぬ、だなんて……あの子は……」
「このままでは、という事です。あなたがあなたの娘を助けたければ、私が力を貸しましょう」
「……!奥様……お、奥様、あたしは、コレットが死ぬなんて、耐え切れません……!どんな馬鹿な子でも、私はあの子の母親なんです……!責めなら私が、かわりにっ……!」
「愛する男の計画を失敗させる事になっても?」
「子供を死なせるような父親が、必要だと思いますか……!」
このままじゃお前の娘は殺されるしかないといった私に対して即決ともいえる言葉を返せるこの女はやっぱり強い。そして子を害する父親などいらないと言い切る言葉に私はあの日の自分を見た。
それがわかった上で母の愛を武器にした私はきっと非情ではないと口にしつつも非情なのだろう。
その強い決意の末に、サーシャは何かが起こる前に動き、親の愛で娘の口を力で封じ叱り倒し、皆の前で娘の間違いをしかってその顔が腫れるまで愛ひとつで張り倒した。女の細腕でそこまでやらなくていいんじゃないかと思うくらいには。
貴族の社会で折檻というものはけして人前でするものではない。下品とかそういう方向性での感情で受け止められるものだ。だが彼女はやった。自分の娘を不徳で叱りつけつつ、その不徳の罰を共に背負いわが身で受けるといいながら娘の命を助けようと泣き崩れた姿は脳みそにお花でも映えていない限り伝わるくらいの母親としての力強さだった。
貴族の世界では決してみられぬその光景はきっと皆の心に残っただろう。
「エディレットは王太子の妃にはならない」という言質と共に。
サーシャは娘とはいえ平民が貴族に手をあげたという理由で本来ならば投獄どころか処刑すらもあり得る空気ではあったが、それをどうにか誤魔化して国外追放という名目で母子を我が国の影響のない場所まで逃す程度の権力はもっているつもりだ。そこから先、サーシャが望むのであれば産婆の勉強と仕事の手伝いもできるくらいの礼はする予定である。
母子で幸せになればいい。エディレットが上手に対応したおかげで命を取らずに済んだ僥倖に感謝しながら。
「……あとは私の仕事か」
ぼろぼろのコレットを手当をし、ひそかにサーシャと共に郊外の寄り子の家に移送して匿うようにように命じてから私は手の中で一つ扇を打ち鳴らす。
友ともいえる側近に付き添われて私の心配をする家路につくエディレットの馬車を見送れば私は小さく息をつき、残した護衛の中でもとびきりの腕利きな騎士を連れてようやく静けさを取り戻した王城へ振り返った。
敵はまだあの穴倉で次の策を練っているかもしれないとおもえば臣民の礼節をたっぷりと、幼馴染のよしみをデザート程度に添えて落とし前を付けてやるのが礼儀だろう。
反逆や謀反ではない。繰り返す、反逆や謀反ではけしてない。
「サーシャに負けず私も暴れてみせましょう」
これは母の愛である。




