前編
応接間に激しい打音が響く。
出会いざまの一撃なんて昔ならばよけられたはずなのに無様に倒れこむ様子は、その痩せた体にふさわしいようなもの悲しさがあった。
「アイズ!」
「無様ね、アイズハルト」
王の焦った声は大きかったはずなのに、それよりもずっと通る氷のように冷えた声のほうがずっと耳に入ってくる。
震えてそちらを見る男二人、微動だにしない女。
本来ならすぐにでも護衛騎士達が駆け寄ってくる事も許さないような異様な緊張感が場を支配する中、私は手を握る力を強くしてこみ上げるものを堪える。
――恐怖ではなく、歓喜のままに。
ああ、ああ……あれでこそ、私の憧れるアンリエッタ様だ……!!
さて、この応接間で起こった事を語る前に少し話をしよう。
私はこの国の上級侍女、エミルーン。
元は貧乏伯爵家の次女というこの国においては中の中、その中でもちょっと下寄りくらいの経歴をもったどこにでもいる女の子であった。
ただ違うのは――私はいわゆる「この世界の元ネタ」らしきものを生まれながらに知っているという事だけ。
別に「元ネタ」とやらがあったという他の世界に産まれた記憶があるわけではない。ただ時々、その知識をどこからともなく囁いてくる私にだけ聞こえる声があるのだ。
正直他人事として聞いただけならば気でも狂っていると言いたい事案ではあるが、私にとってはその声が与えてくれた情報が正しいものであると確信できる原因がそこにいた。
姉が絵にかいたようなピンク髪のポニーテール爆乳美少女騎士だったのだ。
ある年、年上の姉が学園を卒業し騎士団への入隊をきめ、その入隊式典で着用する礼服が届いたといって私達に見せてくれたことがあった。
中の中の下程の我が家だったが、最初の子である姉は真面目でどんな道にいってもきっと身を立てるだろうと学園でも評判の女性だったのだが……。
「どうかしら、エミルーン。伝統的な女性騎士の礼服よ」
姉がまとう純白の騎士服はあまりにもデコルテが開きすぎていて胸の上半分をさらけ出すような上着とプリーツのミニスカートなんていう破廉恥が過ぎるデザインだったのだ。
『……おお、これは見事な乳袋……』
どこかの誰かが脳裏で呟く、意味もわからないのに直感で下品極まりない単語だとわかるそれにひきつる口元をなんとかこらえ、ごく当たり前みたいな顔をした父母と「よくお似合いです」なんて微笑み合う姉を改めて見る。
目じりと胸の谷間を強調するような場所にある黒子。
甘ったるくて呂律の甘いどこかぎこちない喋り。
体幹を感じない少し斜めになった体の嫋やかさ。
『なんと薄々思ってたけどさ……お姉さん、薄い本のほうが出番のあるって有名な名無しの騎士子ちゃんじゃん』
脳裏でどこかの誰かがつぶやく。姉はそのどこかの誰かがしっている元ネタの中ではいわゆる二重三重の意味で「最初のヤられ役」として出てくるかませ役の女騎士そのままの姿をしているというのだ。
なんじゃそりゃ、うちのお姉様に何をするのだ。そんな言葉を口にふくんだまま吐き出さず、共になんとか部屋に入ってベッドに倒れこみ瞼を閉じるとぐったりと手足を伸ばす。
「ただの気狂いだったほうがマシじゃないの……」
そして私はどこかの誰かがずっと囁いていた「元ネタ」が本当にこの世界だという事を受け入れたのだった。
私がいる世界の元ネタは、とある男性向けの物語をつくる集団が流行に乗じて販売した乙女向けの『ノベルゲー』なる絵物語なのだとどこかの誰かが囁いた。
大本は女神が作り出したこの世界で、どこにでもいそうな青少年が女神の力を宿した運命の女の子と出会い学園の謎を解きつつ、ついでに破廉恥で美味しい目に合う!的な文脈のありがちなものだったらしい。
そんなものありがちでたまるかとおもうがどこかの誰かがいうにはありがちなのだそうだ。
販売当時は主流だった『ノベルゲー』なる物語の形態にありがちな試行錯誤と周回を繰り返しながらかかわる女性を増やしていく筋書と、ついでにいうならシナリオ中に主人公に負けた男の連れていた女の子が「力に触れた代償」とかいう理由でとても口にはだせないひどい目にあうのが男性層にうけて流行したのを私は私でないどこかの誰かの記憶からくる囁きとして頭の隅に留めている。
なんて悪趣味なんだろうか。人が酷い目にあうのを喜ぶなんて。
『いや、私もそう思うよ。でもそうか……まさかこれてんおとか……』
そしてその世界にいる主人公に敗北する「負け役」であった青年達もいろいろな外伝を経てそれなりに人気が出たところで用意されたのが、私がいる世界とそっくりの「天秤と乙女」なる物語というわけだ。
私はその女性に向けて作られた物語の主人公であるらしい。
……え?他人事すぎるって?
そりゃあそうだろう。この知識を与えてくれているどこかの誰かの話を聞けば聞くだけ、誰一人その『恋愛をして寄り添う相手』という男性陣にピンとこなかったのだから。
王家に生まれたが自分以上に王の適性がある幼馴染にコンプレックスを抱えた男は苦難と精進を受け入れて王への道を進むかどうか。
騎士の家に産まれたがよくできた長男にくらべて自分に騎士の適性がない現実に向き合えない男はありのままの自分を受け入れ文官の道へ向かうか。
宰相の家に産まれたけれどそれよりも芸術方面で自由に生きたい欲にかられる男は血反吐をはくようなヴァイオリン訓練を経て実績を残しその道へ進めるか。
侯爵の庶子として産まれたけれども正妻が産んだ長女を追い落として自分が実権を握りたい欲を殺せない男は愛に触れて歪んだ未来を諦められるのか。
医者の家に産まれたけれどそれより剣をもって全世界をかけまわりたいのを才能に阻まれた男は起きる災害を前に己の才能を再認識し人の命を救う道へすすめるか。
本家ではみんなそれを抱えたまま成長し、解決できぬまま主人公の男に倒される役割になる歪んだ男達。彼らがこの『もしも』の物語ではヒロインに支えられながら悩み苦しみ女神の天秤に己の運命をのせて二択のうちのひとつを選びとり、納得した上で未来へすすんでいく――とか馬鹿らしい。
なんでそんなもんが流行すると思ったんだろうか。
もっとまともな精神を用意できなかったんだろうか。
どうにも視点が男性に都合がいいようにできすぎている。
『途中で出てくる男の心理描写とか戦闘描写はアツかったって一部の腐った方面の趣向をもつひとはもてはやしてたよ。でも正直ヒロインはただの都合のいいメンタルケア要員だって燃えてたなあ。よしよしがんばれわたしがいるわだいじょうぶの全肯定しかしないもん』
乙女向けの物語は顔だけいいダメ男というのが登場人物のセオリーで、そのメンタルケアをこなしてナンボな設計の物語が多いんだけど度が過ぎてた、なんてとどこかの誰かが呆れたように囁く。
正直にいえば『え?私そんな相手と恋愛するんですか?』だ。
どいつもこいつも高位貴族にしては気概のないなよなよしためんどくさい男しかいないではないか。
責務と義務と権利と選択肢は常にセットで用意され散るような産まれなのに、恋愛ができる年齢まで折り合いが付けられなかったのかと熱く問い詰めたい。
ギリギリ中の下なうちの家だって、子供の頃から口をすっぱくして領民と領地に還元する義務があってナンボの貴族の権利である事を教えられているくらいだ。当時七歳のうちの弟だってそれを理解しつつあったのになにを舐めた思想をしているのかと。
そんな相手を優しく気づかいながら正しく導く?
いや、正直無理でしょそんな事できる器量は私にはない。
私普通の伯爵令嬢よ。しかもお姉様みたいに特筆すべき場所もない。
そういうのは慈母とか聖女とか女傑とかそういうのの仕事じゃないか?
『私も無理。そういうのぜーったい無理無理無理。
たとえイケメンであろうと自分の決定ひとつできない男とか無理!
女の子によりかかってメンタルたもたないと立てない男は無理!
身の丈と自分の立場も考えられないような男と恋愛とか本当に無理!
絶対こっちに百二十パーセントよっかかってくるじゃん無理!
しかもエロゲの負け竿役とか爆弾でしかないじゃん無理!
生殖機能と見てくれが大人でもよちよちのバブちゃんだよ無理!
しかも高位貴族とか絶対メンタルケアと勉強両立しなきゃじゃん無理!
勉強に必死になってよそ見したらこっちを悪く仕立てるよ無理!
読むだけならまだしも当事者になった時点でこっちもメンヘラになって
人生終わりだよ詰みだよエンドだよ無理!
絶対むーり無理!むりむりむりむり!
若さを武器に自分の身の丈にあう自立した男と恋愛して嫁にいこうよぉ!』
……どこかの誰かの叫びは私にとっての金言となった。
ということで、私はその翌年入学した学園で『物語』に飲み込まれないよう、できるだけ目立たないように生きる事にした。
姉よりも鮮やかなドピンクの髪は染粉で茶色に近づけ、眼鏡をかければもうその辺にいくらでもいる女生徒Aの出来上がりな程度の見てくれで本当に良かったと思う。姉の主張が強すぎる乳があったら無理だった。
それからの学園生活は目論見通りきらきらしい経歴の青年たちには近寄らず、物語のものじもないような真面目で平穏な学園生活を女友達と共に過ごす私には……半年をすぎてひとつの楽しみができた。
それがアンリエッタ・コーンフラワー公爵令嬢である。
他の高位貴族の女子生徒が改造制服や派手な装飾やらできらびやかに装うところを、男子制服をきて瞳とおなじコバルトブルーのリボンで簡素に髪をくくるだけの姿で颯爽と歩く彼女はいわゆる男装の麗人というものであった。
「女子制服はどうにも小さくて。特注も考えたけれどこちらのほうが動きやすくてありがたいからいいかなと思ったの」
そんな風に笑う彼女の背は女性にしては高く、声は凛とし、切れ長の目元は知的で涼しい。
色白な身に咲く花のように色づく薄い唇が怜悧な笑みをうかべて幼馴染だという王太子殿下、その側近の男性達と話している姿はなんだか耽美さがにおい立つほどに美しい。
学業は優秀で語学に優れ、他には馬術では王太子よりも成績がいいなんておまけもついてくる。
平素より冷静沈着な様子もあいまってこの国に四家しかない公爵家の後継でなければ確実に王妃になっていただろうという女性に誰もが憧れていたのは仕方のない事だろう。私もその一人になったわけだ。
「おはよう。……おや、皆で同じ飾りをつけているの?」
「おはようございます、アンリエッタ様」
「おはようございます、そうなんです、ミルリア様の領地で新しくできた織物をわけていただきましたの」
「すごい、角度で色がかわるね。偏光する布なんて画期的だ。昼食時にでもしっかり見せてくれるかしら。サロンを用意するからモクバ子爵令嬢もつれてきてくれる?」
「もちろん!きっとミルリア様も喜びますわ」
「アンリエッタ様にお似合いの色があるとあの子いっておりましたもの」
正直すごい。なんか違う。私たちを含めた十把一絡げのいわゆる「その他令嬢」にだって高位令嬢である分を差し引いても丁寧に接してくれる、大変穏やかでかっこいいお方であるのは共通認識。
別派閥でもある『件の庶子』に追い落とされそうな侯爵令嬢のロサリーズ様がザ高位令嬢!といった様子で取り巻きを引き連れてアンリエッタ様に絡みに行ったって、大した喧嘩もおこらずに甘くあしらわれてはロサリーズ様が真赤になって逃げていくのが定番なのだからどうしようもない。
女性であるのがもったいないのか、女性だからあんなに美しく尊いのかはわからないが何はともあれ実際に彼女はこの学園の「理想の王子様」であったのだ。
『……まあこういうのはなんだけど、原作のほうではあの二人、負け役の婚約者のせいでかなりエグい目に合うんだよ』
そうどこかの誰かが脳裏で呟いたけれどこの世界では関係ないから私は眼福だけを謳歌しよう。
あれはコンプレックスになるわーと思うようなキラキラな彼女にキャアキャアと力いっぱい騒いで普通に学生生活を過ごした末、家格と釣り合う朴訥な文官の夫と普通に結婚して姉のツテで侍女になって……と物語にかかわらず現在に至った余波がまさかここに出るなんて。
心で思ってもまさか顔に出す事はできずに、モノローグを語る最中もつとめて冷静に唇を引き締めた。
ヒロインパワーのメンタルケアのされなかった王子様はなあなあのまま妻をめとって国王となり、同じくメンタルケアをされずに鬱々と過ごしていた親友のアイズハルト様を友情という名目の依存先に選んだ。
その結果が。自分に侍るにふさわしい地位を与えるためのアンリエッタ様との婚姻だ。
その当時お父様の前公爵が急逝しゴタ着いた上にあんまりにも『強かった』アンリエッタ様の結婚相手の選考に難儀したところにゴリ推ししたらしい。
そうして公爵家の入り婿になってからは好き放題だ。
もうすごい。信頼なんていう言葉を武器にあれやこれやと連れ出して遊びまわる国王の横にはいつだって自分は国王陛下一番の騎士ですみたいなアイズハルト様がいて彼は陰で「親友様」と謎の呼称で笑われるようになった。
『公式ニコイチが悪い方向に動く事ってあるんだ……』
その頃には私にも息子がいて、父として息子に関わることに大変積極的な夫の姿と国王陛下あまりの違いに面喰った際にどこかの誰かが感慨深そうに呟いたのも懐かしい。
その結果、出産直後という全方位に警戒態勢むき出しにしかならない時期の女の地雷を踏み抜いて女公爵様の夫になった「親友様」が美しい顔面を腫らしたというのは貴族の間ではちょっと笑い話になった。
ついでにそのやらかしが発端でさらなるやらかしを重ねた末に離縁した「親友様」が、しでかした事の大きさに激怒した実家にも受け入れてもらえず、結局女だよりで暮らし始めたのを国王陛下がなにくれと世話を焼いていたというのだからこれは……そういう関係なんじゃないかという噂があったというのも追加しておこう。
だって、友情ひとつでここまでやるなんて、ねえ。
公爵様を怒らせてまで維持したかった美しい友情とやらを永遠にするために新興の男爵まで巻き込んで今回の事をしでかしたのだとしたら……なんかもう、ねえ。
『こういう案件はびーえる方面の人に投げたほうが絶対いいって。どんなのでも美味しく料理してくれるからさぁ……。乙女向けなんて専門外に投げないでよ……乙女ゲーとびーえるは二次創作以外で混ぜたら地獄にしかなんないのよ』
なんて、もはや人生の友のようになったどこかの誰かが脳裏でつぶやく。びーえるとやらはわからないが……私たちの専門外だという事はよくわかった。




