第五話:床ドンもどきは突然に
「生意気な小娘がっ!」
公爵夫人は、怒りに歪んだ顔のまま、まだ手に持っていた銀色のポットを私へ向けて振りかぶった。
まずい。
私のすぐそばには、石畳に座り込んだままの令嬢がいる。
このままじゃ、彼女にも当たる。
「ごめん!」
私はとっさに、座り込んでいる令嬢の肩を押して横へ逃がした。
「きゃあ!」
令嬢の悲鳴が上がった直後――。
「コレット!」
ヴァンが飛び込んできて、自分の体ごと私を押し倒すように石畳へ転がった。
――カランカラン。
石畳に倒れたまま横を見ると、顔のすぐそばに銀色のポットが落ちていた。
ヴァンがとっさに動いていなければ、ポットは私の頭に当たっていただろう。
横へ逃がした令嬢は、石畳に手をついたまま身を縮めていた。
驚かせてしまったけれど、ポットは当たらなかったみたいだ。良かった。
ヴァンはというと、石畳に倒れた私へ覆いかぶさるように腕をつき、前髪から雫をぽたぽたと垂らしていた。
どうやら、ポットに残っていたお湯を頭からかぶってしまったらしい。
「ヴァン!火傷していない?」
「あ、ああ。大丈夫だ。中身はほとんどこぼれてたみたいだ」
心配で慌てて、下からヴァンの顔を見上げる。
その瞬間、妙な既視感があった。
――髪から滴る水滴。
――石畳に腕をついたヴァンの体勢。
「……宰相令息のイベントで見たスチルと似てる……壁ドンが90度ズレた形?」
落ち着いた金茶色の髪をきっちり横に流し、細い眼鏡をかけた宰相令息の名は、アルベルト・リヒテンベルク。
ゲームの中ではアルベルト様と呼ばれていた。
アルベルト様のルートには、雨の日の図書館で起こるイベントがあるのだ。
そこでヒロインはアルベルト様に壁ドンされちゃうわけだけど、そのとき、彼の雨に濡れた前髪から雫が滴る様子がスチルになっている。
「まさか、あの壁ドンを体験できるなんて……いや、床ドンか」
「壁ドン?なんだよそれ」
またしても、モブですらない私にイベントが起きた――と言えなくもない。
いや、分かってる。分かってるって。
本当はイベントなんかじゃないって。
前に街へ出たときと同じで、たまたまイベントと似た状況を、無理やり寄せ集めて喜んでいるだけだって。
でも、自分だけのオリジナルイベントだと思えば、気分も浮き立つ。
「……うん。これはもう、実質イベントってことでいいんじゃない?」
相手がヴァンなのは、手近なところでイベント要素を拾った感があるけど……まあ、私らしいといえば私らしい。
文句は言うまい。
……いやいや、イベント判定している場合じゃなかった。
ここ、侯爵家のガーデンパーティ会場だ。
令嬢が石畳に転がったままというのは、だいぶよろしくない。
急に恥ずかしさが込み上げてきて、慌てて上半身を起こした瞬間、私のおでこは、真上にあったヴァンのおでこに激突した。
「痛てェ!なんだよ急に……」
「痛たた!ごめん」
「はぁ……もう。ほら、つかまれよ」
ヴァンに助けてもらいながら立ち上がったけど、おでこが思った以上に痛い。
少し涙目になっていると、エルザが慌てて駆け寄ってきた。
「お嬢様!?」
すぐにハンカチを取り出し、私の目元をそっと拭ってくれる。
その後、エルザに頼んで、エレオノーラ様のご友人だという令嬢の様子を見てもらった。
とくに怪我はしていないようで、あとは侯爵家の使用人の皆さんにおまかせすることにした。
「コレットお嬢様、せっかくのガーデンパーティですが、今日はもう引き上げましょう。お嬢様のドレスも汚れておりますし、ヴァンも濡れています」
エルザにそう言われて、自分のドレスを見る。
石畳に転がったせいだろう、目立ってはいないが土埃がついている。それに髪型も崩れていた。
「そうね。まだエレオノーラ様にご挨拶できていないけれど、仕方ないわね」
エルザとそんなやりとりをしていると、遠くからざわめきが聞こえてきた。
ざわめきは、少しずつこちらへ近づいてくる。
人々が軽く頭を下げながら、左右に道を開けていく。
その中心にいたのは――。
エレオノーラ様――しかも本物。
スタイルいいわぁ。お人形みたい。
エレオノーラ・ヴァレンシュタイン。
ユリウス王太子殿下の婚約者であり、ゲームでは悪役令嬢としてヒロインの前に立ちふさがる。
赤みの強い栗色の髪を大きな縦ロールに巻いた、通称『ドリル髪』は、近くで見ると圧巻だ。
ただ立っているだけで、周囲の空気が変わる。
そんなエレオノーラ様を凝視していると、エルザがドレスの袖をそっと引っ張ってくる。
「お嬢様、ご挨拶なさいませんと……」
ああ、そうだった。見惚れている場合じゃなかった。
ゆっくりと片足を引き、腰を落として、頭を下げる。
できる限り丁寧に、最上級の礼を取った。
それにならって、エルザも礼をする。後ろでヴァンも胸に手を当て、片膝を石畳につく礼を取っているだろう。
「この騒ぎは、何事です?」
エレオノーラ様の凛とした声が響く。
声も素敵。
すぐ近くに控えていた燕尾服を着た白髪混じりの執事が、何かを小声で報告している。
途中で執事の視線がこちらに向いたので、きっと私たちのことも報告しているんだろう。
なにを言われてるのか怖い。
そんなことを思っていると、執事さんが私のほうへ歩み寄ってきた。
「失礼ながら、ルヴィエ子爵令嬢でいらっしゃいますか?」
「は、はい。コレット・ルヴィエと申します」
私が答えると、執事さんは振り返って、エレオノーラ様にうなずいた。
「エレオノーラ様は、ご友人をお守りくださったことに感謝しておいでです」
「いえ、滅相もございません」
ここで執事さんが、少し口ごもった。
ん? なんだろう。なにか聞きづらそうなんだけど。
「つかぬことをお伺いします。本日お持ちいただいた手土産は、リーフェル庭園茶房のリーフパイで間違いございませんか?」
「はい、そうですが……それが何か?」
よく見ると、なぜか執事さんの目が泳いでいる。
「コホン。リーフェル庭園茶房のリーフパイは、現在、たいへん入手困難であると聞き及んでおります。差し支えなければ、どのように入手されたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
おや?ここでリーフェル庭園茶房の名前が出てくるなんて意外。
後ろに控えていたヴァンにちらっと目配せすると、彼は軽く頷いて前に出てくれた。
「手土産を気に入っていただいているようで、嬉しく思いますわ。入手方法についてですが、実は、当家の執事見習い、こちらに控えますヴァンの実家が、そのカフェを運営しておりますの」
ここでヴァンが軽く会釈をして、事情を説明してくれる。
「リーフェル庭園茶房は、私どもヴァルグレイ男爵家が運営しております。お気に召していただけたようでしたら、今後もご用意いたします」
少し離れたところに立つエレオノーラ様が、小さくガッツポーズをしたような気がするけど、武士の情けで見なかったことにしよう。
情けはかけるけど、罠も仕掛けさせてもらおうかな。
「茶房では、素敵に飾り付けられたリーフパイも提供されておりますの。可愛らしいリスの――いえ、これは言わないでおきましょう。では、私たちはこれで失礼いたします」
エレオノーラ様の視線が、ちらちらとこちらへ向いている。
私の落とした爆弾は、無事に命中したみたいね。
ふふふ。もちろん、「可愛らしいリスの――」で止めたのは、わざとです。
デザート好きな悪役令嬢様は、果たして我慢できるのかしら?
我慢できなくなって、リーフェル庭園茶房に行っちゃうかもね。
できれば、そこに偶然を装って居合わせて、もっと仲良くなりたい。
そうしたら、取り巻き令嬢に加えてもらえるかもしれないじゃない?
どこか落ち着かない様子のエレオノーラ様へ、丁寧なお辞儀をしてから、私たちは帰路についたのだった。
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