第二十話:バッドエンドの気配
リーフェル庭園茶房の個室に落ち着いた私とアデルは、令嬢にあるまじき体勢で、ぐでっとしていた。
エルザが持ち帰り用の焼き菓子を選びに、店頭のショーケースまで行っているからできることだけど。
「あー、たいへんだったー」
「もう死んじゃうかと思いましたぁ」
アデルが教室で、ユリウス殿下をはじめ、宰相令息のアルベルト、騎士団長令息のルーカス、学術院長官令息のエリオットに囲まれているのを見た時は、心臓が止まるかと思った。
それはありえない光景だったからだ。
前日に、ユリウス殿下を除く三人の令息たちの、アデルに対する親密度を一段階だけ上げた。
いや、上げたつもりだった。
すでにイベントが起こったユリウス殿下も含めて、これでゲームに出てきた攻略対象全員の、アデルに対する親密度は1になったと思っていた。
アデルとは事前に話し合って、攻略対象全員の親密度を1にしたところで、もうイベントを起こすのはやめようって決めてた。
だから、これ以上、親密度を上げる行動をとるつもりはなかった。
理由は単純で、この世界がゲームの世界に似ているとはいえ、やはり現実の世界だから。
私にもアデルにも、家族や友人、知人がいる。
この世界で生きていく以上、子爵令嬢の私や男爵令嬢のアデルが、高位貴族の令息たち――ましてや王太子殿下と深く関わるのは、危険すぎると判断したからだ。
それなのに、今日になってみれば、攻略対象が全員、親密度が3以上あるような行動をし始めたわけで……。
ゲームでは親密度はゼロから始まり、イベントを上手くこなすと1ずつ増え、最高が5だったはず。
そして、攻略対象のほうからヒロインに会いに来るのは、親密度が3になって初めて起こる現象だった。
「ねえ、アデル、なぜユリウス殿下たちは、あなたに会いに来たの?」
アデルは、こてっと首を傾げて考え込む。
「んー。それが皆さん、それぞれの理由で来られたみたいでぇ。最初にユリウス殿下が来られたんですぅ。数日前に助けた子猫をカフェテラスの料理長が預かってくれているから、見に行かないかって誘われましたぁ」
詳しく話を聞いてみると、アデルはユリウスと中庭で子猫イベントを起こしたあと、二人で一緒に学院内にあるカフェテラスのキッチンに行って、料理長に子猫を預けたらしい。
料理長は、キッチン周辺に居着いている猫たちと毛色が似ているので、その猫たちの子どもだろうと教えてくれたそうだ。
そして、子猫にちゃんと餌をあげて、面倒をみると約束してくれたみたい。
まあ、ユリウス殿下が直々に頼んだら、料理長としては断れないよね。
「次に来たのが、アルベルト様ですぅ。絵本のアイデアがひらめいたとかで、その話をされてましたねぇ。図書館で絵本の挿絵を描くから、見に来ないかと誘ってくださいましたぁ」
アルベルトは昨日の図書館イベントで、アデルと話したことで宰相になる決意を固め、勉学に励むことになるはずだったのに……なぜか、画家の道へと走り始めちゃったみたい。
ゲームの中でも、絵を描くのが好きという設定はあったから、ヒロインに自分が描いた絵をプレゼントしたりしていたけど、それは本筋の話じゃなかった。
「そのあとに来たのが、エリオット様ですぅ。池ぽちゃイベントで見せてもらった、風が出る道具を改良したので、池で実験するから、一緒に来てほしいと言われましたぁ」
エリオットは学術院長官の父親と、優秀な兄に自分の発明品を認めてもらえず、ひどく落ち込んでしまった。
それで、一人になりたくて池のほとりへ来たはずで、池ぽちゃイベントでアデルから元気をもらう、ただそれだけのストーリーだったはず。
発明品を改良するなんて話はなかったはずなんだけど……。
「最後に来たのがルーカス様ですぅ。ルーカス様のお屋敷の料理長は、玉子サンドと唐揚げを上手く作れなかったらしいんですぅ。それで料理長にレシピを教えてほしいと、自宅に招待されましたぁ」
自宅に招待……。1回しか会ったことのないアデルを?
おかしい……。
ルーカスは騎士団長の父親に、剣の訓練のことで叱責され、落ち込んで屋上で黄昏れているはずだった。
そこをヒロインに励まされて、「もっと剣の訓練をして強くなるんだ!」となるはずなんだけどな。
料理のレシピの話に変わっちゃってる。
攻略対象が一緒にアデルのところに来たのではなく、それぞれが自分の判断で来ているのも気になる。
アルベルト、エリオット、ルーカスは、ユリウス殿下のご学友であり、側近候補というポジションにいる。
彼らは単に仲が良くて、一緒にいるのではない。
王家から依頼を受け、各貴族家がそれを了承したうえで、令息たちはユリウス殿下の側にいるよう命じられているのだ。
つまり、これはただの友人付き合いではなく、お役目の一種といってもいい。
将来的には、ユリウス殿下を支える本物の側近になるんだろう。
それなのに、その役目を放り出して、自由に動いている。
ここがもう、明らかにおかしい。
そして、ユリウス殿下は、側近候補たちを叱責しないし、自由にさせている。
もっと言えば、殿下が一番、自由に動いている印象すら受ける。
どうしてみんな、ゲーム通りの動きをしないんだろう。
いや、生身の人間だから、まったく同じ動きはしないだろうけど、それにしたって違い過ぎる。
たとえ親密度が3を超えたとしても、ゲーム内で今みたいな動きはしていなかった。
「なんかさ、ユリウス殿下たちって、ゲームとはまったく違う動きしてない?」
「そうなんですよねぇ……。なんでこうなっちゃったんでしょうかぁ……」
――たぶんアデルの行動や発言のせい、かな。
アデルはこれまでのところ、ゲームのヒロインとは、まったく違う動きをしている。
アデルは前世のことをあまり覚えていないし、ゲームの内容も、私ほどはっきり記憶しているわけではない。
だから仕方ないんだけどね。
まあ、私は病院でやりこんでたから。
アデルの記憶力が悪いというのではなく、ゲームの周回回数の違いかな。
事前に、私のほうから、こういうイベントだよと教えてあげてはいるものの、細かいところまでは教えきれていない。
だから、足りない部分はアデル自身が現場でなんとかするしかなくて、それもあってゲーム通りの展開になっていないのだろう。
「アデルの対応が、ゲームと違ってきてるから、それが親密度を一気に上げたのかも……」
私がそう言うと、アデルは泣きそうな顔をした。
「ふぇぇ。ど、どうしましょう……。まさか……バッドエンドぉ……」
バッドエンド!
そうだ、この乙女ゲーム『君ハー』には、バッドエンドがあったんだ。
イベントとスチルを見ることばかり考えていたので、すっかり忘れていた。
『君ハー』は、一応、健全な乙女ゲーだったので、悲惨なエンドはほとんどない。
たいていは、攻略対象の親密度を上手く上げられず、タイムアップして「良いお友達」で終わる。
それがバッドエンドと呼ばれていた。
ただし、たったひとつのエンドを除いては……。
「婚約破棄返しエンド……ですぅ」
婚約破棄返しエンド。
ただの婚約破棄エンドじゃないところが重要だ。
普通の婚約破棄エンドは、ユリウス殿下の親密度が最高値の5になり、かつ、悪役令嬢であるエレオノーラ様との親密度が2以下の場合に起こる。
ユリウス殿下がダンスパーティで、婚約者であるエレオノーラ様との婚約を破棄し、ヒロインと結ばれる。
これが、婚約破棄返しエンドになるとどうなるのかというと……。
ダンスパーティでユリウス殿下がエレオノーラ様との婚約を破棄する、というところまでは一緒。
でも、この婚約破棄は上手くいかない。
エレオノーラ様が、ユリウス殿下の婚約破棄理由を、ひとつずつ論破していくからだ。
婚約破棄は失敗し、ユリウス殿下とその側近たちは国王により身柄を拘束され、身分剥奪や廃嫡など、重い処罰を受ける。
ヒロインも悲惨な運命をたどる。
ヒロインはユリウス殿下や側近たちを惑わしたという理由で、王国から追放される。
ヒロインの実家である男爵家にも査察が入り、国外勢力に協力していたことが分かって、お取り潰しに。
男爵家は一家もろとも、国外追放という憂き目に遭うのだ。
この婚約破棄返しエンドを、アデルも覚えていたようで、真っ青な顔をしている。
「やばいですぅ、やばいですぅ……追放されちゃいますぅ……」
アデルの実家であるマルシェ男爵家の人たちは、皆、アデルに優しく、よくしてくれていると聞いている。
自分の行動が、そんな優しい人たちを不幸のどん底に叩き落とす可能性があると気がつけば、アデルだって不安になるだろう。
むしろ、そういうことを避けようと、親密度は一段階だけ上げようと話していたのに……。
二人して暗い顔をしていたら、侍女のエルザが戻ってきた。
「まあ、お嬢様方、そんなお顔をなさって、どうされたのです?」
エルザには、前世の記憶があることや、この世界がゲームの世界と似ていることなんて言えない。
どう言えばいいか考えている間に、アデルが話し始めた。
「すごく怖いんですぅ……一回しか話したことがないのにぃ、教室まで押しかけられてしまってぇ……」
エルザは機転を利かせてアデルを助け出してくれたので、詳しく説明しなくても、アデルが何を怖がっているのか理解してくれたようだった。
「アデル様のご心配……よく分かります」
目の端に浮かんだ涙をそっと拭いながら、アデルが続ける。
「それに……お父様やお母様、それに執事のレナード、侍女のマーサにも……迷惑をかけるかも……」
エルザは以前、マルシェ男爵家を訪問した時に一緒にいてくれたので、男爵家の使用人のことも知っている。
両親のことだけでなく、使用人のことも心配しているアデルに、エルザは強く心を動かされたようだった。
「アデル様がご心配なさっているのは、ユリウス殿下や側近候補の令息様たちの態度のせいで、揉め事に発展するのではないか、ということでございますね?」
こくんと小さくうなずくアデルを見て、エルザは侍女用ドレスのポケットから、例の手帳を取り出した。
「アデル様、私はアデル様のご実家のことを、よく存じ上げません。どのようなお役目を担っておられるのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですぅ。えっと、お父様は――」
アデルの説明によると、マルシェ男爵家は領地を持たず、代々、国の外交関係を取り扱う部署、外交院で文官を務めてきた家柄のようだ。
前世でいう外交官のような仕事だ。
「踏み込んだことをお聞きしますが、アデル様のお母様は平民でいらして、後妻として男爵家に入られたのですね?」
「そうですぅ……母さんと私は、国境近くの街で暮らしてて……そこへお父様が仕事で来たんです。母さんは隣国の言葉が読み書きできるので、お手伝いをすることになって……王都に帰るとき、結婚を申し込まれて、それでお父様と再婚したって……」
アデルの両親に、そんな素敵な話があったとは思ってもみなかったので、恋愛小説を読んでいる気持ちになって、「素敵……」なんて思っていたけど、エルザは違ったようだ。
「アデル様、もしかして、アデル様の実のお父様か、お母様のご親族に、隣国から来られた方がいらっしゃいませんか?」
アデルはぽかんと不思議そうな顔をした。
「わぁ、なんで分かったんですかぁ? 母方のお祖父ちゃんが隣国出身ですぅ」
ここまで聞くと、エルザはそれまでメモを取っていた手帳をパチリと閉じた。
「コレットお嬢様、状況はだいたい把握できました。アデル様を陥れようとする者たちの手口も推測できます」
え? アデルとちょこっと話しただけなのに、もう分かっちゃったの?
「今から、アデル様のご実家へ参りましょう。マルシェ男爵にお会いする必要がございます」
ええっ? アデルのお父さんと話すってこと?
キリッと引き締まった表情のエルザの横顔は、真剣で美しかった。
ゲームには出てこなかったイベントが起きたような錯覚を覚えて、不安が湧き上がる。
こんなシリアスな状況、モブですらない令嬢に対応できるのかな?
自信ない……。
最後まで読んでくれてありがとう!




