第十四話:子猫を追って木の上へ
するすると大木に登っていくアデル。
なんで登ってるのよ! 登らなくていいの!
木の下で立ってるだけで、いいんだってば!
落ちたらどうするの。
もうユリウス殿下とのイベントどころじゃないでしょー!
そんな私の心配をよそに、アデルはこちらにぶんぶん手を振って、余裕たっぷりだ。
「コレットさまぁー! 私、実は木登りが得意なんですぅ! 田舎育ちなもので」
いや、確かに木登り上手だけどさ。
ゲームのヒロインに、木登り得意な設定なんてあったっけ?
私が知っているヒロインの設定は、元平民だということくらいだ。
王都の下町育ちだと勝手に思っていたけど、田舎育ちだったみたい。
「上手いもんだな。あの様子なら、落ちたりはしないだろう。安心しろ」
ヴァンも私の隣に来て、感心したようにアデルの木登りを見上げている。
私があわあわしているうちに、アデルは枝に足をかけ、幹をつかみながら、子猫のいるところまでゆっくり近づいていった。
「大丈夫、怖くないわ。さあ、こっちにいらっしゃい!」
アデルが優しく声をかけながら、近寄ってきた子猫をそっと抱き寄せるのを、私は固唾をのんで見守った。
はあ、よかった。アデルも子猫も無事だ。
急いで大木の下へと駆け寄ろうとすると、ヴァンに腕を引かれた。
「なによ?」
「あれ、見ろよ」
ヴァンが顎で示した先を見ると、なんとユリウス殿下が歩いてくるところだった。
金色の髪が陽の光を受けて、きらりと輝いていいるが、青い瞳には驚きの色が浮かんでいる。
その視線の先には、木に登ったアデルがいた。
ユリウス殿下は木の上のアデルを見上げながら歩いているので、まだ私とヴァンには気がついていないようだ。
私は急いで、ヴァンと一緒に近くの木の影に隠れる。
やっぱり、アデルがこの中庭に来たから、イベントが始まったんだ。
「君は……そこで何をしているんだい?」
声がゲームの声優さんと同じだ。
教室では、はっきりとユリウス殿下の声を聞くことがなかったので気づかなかった。
アデルは子猫を抱えたまま、殿下には見えない角度で私に小さくピースサインを送ってきた。
イベントが無事始まったよ!と言いたいのだろうか。
それから、少し恥ずかしそうにユリウス殿下へと微笑みかけた。
「木から降りられなくなった子猫を助けようと思ったの。私、田舎育ちだから木登りが得意なのよ! 心配しないで!」
待って待って! ゲームとセリフが全然違うじゃない!
でも、この気軽な話し方――ヒロインっぽい。
アデルの気さくな話し方に、ユリウス殿下は一瞬驚いたあと、ふっと楽しそうに笑った。
「令嬢が木に登るなんて、驚いたよ。あはは!」
笑い方が爽やか。さすがユリウス殿下。
でも、ユリウス殿下がこんなに楽しそうに笑っているのは、初めて見たかもしれない。
教室では、上品に微笑んでいるところしか見たことない。
「じゃあ、降りるね。ちょっと後ろに下がってもらってもいい?」
「えっ? ちょっと待つんだ! そこから降りるっていうのかい? 僕が侍従を呼んでハシゴを持ってこさせるから、それまで待って――あっ!」
ユリウス殿下が思わず叫ぶ中、アデルが木の上からすとんと降りてきた。
「君、だ、大丈夫かい?」
ユリウス殿下が慌ててアデルに走り寄る。
「ふふっ、大丈夫ですよぉー! あっ、子猫ちゃん、大丈夫だった?」
「にゃうー」
気の抜けたような子猫の鳴き声が響く。
「君って人は……」
子猫の頭を優しくなでるアデルを見て、ユリウス殿下は額に手を当て、呆れたように笑っている。
「あら? 心配してくれたのね、ありがとう! ほら見て、可愛いでしょう?」
にっこりと微笑みながらユリウス殿下に子猫を見せるアデルは、圧巻のヒロインっぷりだった。
「あはは! 君は本当にすごい子だね。子猫も無事で良かったよ」
アデルから手渡された子猫を手のひらに乗せて、ユリウス殿下が笑っている。
本当に楽しそうだ。
そしてこの光景、ゲームで見たスチルと同じだ――本物のスチル、動くスチルだ。
アデルのセリフも、ユリウス殿下のセリフもゲームとは違う。
だいたい、ゲームでヒロインは木に登らなかった。
子猫が勝手に降りてくるはずだった。
ゲームと違うところが多い。
でも……。
ユリウス殿下の手の中にいる子猫。
楽しげに笑うユリウス殿下とアデル。
中庭の大木。
重要な要素はちゃんと入ってる。
やっぱり、イベントが起きたんだ。
ユリウス殿下の隣で一緒に笑っているアデルも、自分が今、スチルの中にいることに気づいているようだ。
私に向かってこっそりウインクし、体の影でピースサインをしてきた。
ヴァンと木陰で息を殺して見守っていた私は、アデルの無邪気な仕草に気が抜けて、思わず座り込んでしまった。
「コレット! 大丈夫か?」
「……見れた……本物のスチル」
アデルたちとは少し離れた木陰からだったけど、最前列で見たと言ってもいいんじゃないだろうか。
「エレオノーラ様の取り巻きになるために……ガーデンパーティに出て……アデルを小綺麗にして、ヒロインの見た目に戻して……部屋から引っ張り出して学校にも来させた……」
「――まあ、お前は頑張ったよ。えらいえらい」
なぜか私の頭を撫でてくるヴァンに、髪が乱れるからやめろと言うのも忘れて、私はアデルたちを見ていた。
ユリウス殿下は、子猫の頭をそっと撫でるアデルを優しい目で見つめながら、なにか話しかけている。
アデルも少し照れながら答えている。
前世では、病院のベッドの上でにまにま見ていたシーンが、今、私の目の前に広がっている。
ヴァンは、私が頑張ったからだと言ってくれているけど、それは違う。
アデルが頑張ってくれたからだ。
そして、そのアデルに会えたのは、エルザやヴァンが手伝ってくれたからだ。
この二人がいなければ、私はアデルにも、エレオノーラ様や取り巻き令嬢の皆にも出会えていなかった。
「ヴァン、ありがとう」
「なんだよ、改まって。お前が楽しそうなら……それでいいさ」
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翌日。私のテンションはおかしかった。
だって生イベントを最前列で見た後だもん。しょうがないよね。
授業中も、休み時間も、お昼休みも。
いつでも頬が緩んで仕方ない。
ついつい昨日のことを思い出して、嬉しさが込み上げてくる。
「今日のコレットは、とても楽しそうね? なにか良いことでもあったのかしら?」
「本当ですわね! 今日のコレット様は、喜びが全身から溢れているようですわ」
「ええ、見ている私も、嬉しくなってしまいます」
エレオノーラ様と取り巻き令嬢の皆さんに、そう言われてしまう始末。
まさか「ユリウス殿下とアデルのイベントスチルを目の前で見ましたの!」なんて言えるはずがない。
「エレオノーラ様、皆様、お恥ずかしいですわ。古い友人から手紙をもらいましたの。それで、昔の楽しかったことを思い出して、ついつい微笑んでしまっているのです」
「まあ、コレットったら、可愛らしいのね」
なんとか誤魔化して、放課後は図書館の談話室へ飛んでいく。
「コレットさまぁー!」
「アデルー!」
二人して抱き合って、キャッキャと騒ぐ。
「コレットお嬢様、アデル様。令嬢がそのように大きな声を出して、飛び跳ねてはいけません。さあ、お座りくださいませ」
今日の従者担当のエルザに怒られて、ようやく騒ぐのをやめた。
でもそれも、エルザがお茶の準備のために談話室を出るまでだ。
「もう、アデル! あなたが木に登ったりするから、私、気を失いかけたわよ!」
「うふふ、ごめんなさーい。子猫イベントの細かいことを覚えてなくてぇ。それでつい、登っちゃいましたぁ!」
今、気がついたけど、アデルの話し方が変わっている。
前はもう少し、普通に話していたはずだ。
今の話し方はまるで――。
「ねえ、アデル。あなた、話し方変わったね。ゲームの中のヒロインみたいな語尾になってるよ?」
「そうなんですぅ。なぜか、こういう話し方になってきちゃいましたぁ」
こてんと首を傾げる姿は、まさにゲームのヒロイン、そのままだ。
イベントが起こって物語が進行したことで、アデル自身にも変化が出てきたのかもしれない。
「ねえ、コレットさまぁ。これからどうします? 他の攻略対象のイベントも、見ちゃいます?」
いたずらっ子のような表情で私を覗き込むアデルに、私はきっぱりと宣言した。
「もちろんよ! あ、でもアデルの気が乗らないならいいのよ?」
この世界が私の好きだったゲームの世界だと気がついたときには、興奮したし、イベントもスチルも全部、最前列で見学するんだ! と勢い込んでいた。
でも、エレオノーラ様と毎日話したり、アデルと会ったりしているうちに、少しずつ気が変わった。
彼女たちはゲームの登場人物ではあるけれど、この世界ではちゃんと生きている。
それは、私も同じだ。
ゲームには登場しなかった、モブですらない令嬢だけど、それでも毎日、家族と楽しく暮らしている。
学校には友達もいる。
侍女のエルザは優しいだけじゃなく、令嬢としての振る舞いを厳しく教えてくれている。
それは、私をこの世界で生きる一人の令嬢として見てくれているということだ。
ヴァンだってそう。
幼馴染として過ごしてきた思い出は、私の中にしっかり残っている。
大きくなって、少し扱いが雑になった気はするけど、それもヴァンらしい。
誰との関係も、私がこの世界に生まれて、自分で手に入れたものだ。
大事にしたい。
モブですらない令嬢だけど――でも、もうモブじゃない。
私はコレットだ。
だから、イベント回収も、アデルがやめたいと言えばやめるつもりだ。
イベントやスチルを集めなくても、アデルとは友達として楽しくやっていけるだろう。
前世を知っている特別な仲間だしね。
「そのことなんですけどぉ……確か、親密度ってありましたよねぇ?」
はいはい、ありました!
攻略対象との親密度、まさか全員ガンガン上げて、逆ハーレム狙いとか言わないよね?
最後までお読みいただき、ありがとうございます!




