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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十九章 その武器の名はマンイーター

「はぁ……。笑えないね」


 白髪の女性は瞳を閉じてからつぶやく。長い髪はぼさぼさゆえにまとまっておらず、茶色いエプロンの反対側で上着を隠している。

 ここは丈夫な建材で建設された第二陸軍の一室だ。家具は数える程しか見当たらず、高級そうな黒い机と椅子が扉の対面にポツンと設置されている。

 そこに集まった関係者の一人、錬金術師のリンダは四角い枠ぶちの窓から外を眺めた後、そっと肩を落とす。

 見下ろしたその先では、本来ならば軍人達が自分達の流儀で汗を流しているはずだった。

 しかし、今日だけは異なる。

 大量の死体はまだ片付いておらず、それでも幾分は肉片が撤去されたのだが、真っ赤な大地はその色を保ったままだ。

 もはやどれが誰のものなのか、その判別すら難しい。生き残った軍人達もその扱いには手を焼いている。

 窓から差し込む陽射しは暖かく、室内に十分な光をもたらす。マジックランプの点灯は不要なほどだ。

 机を挟んで反対側にも設けられた窓から、本日最も活躍した少年はぼうっと空を見上げる。


「俺がもう少し早く駆けつけていれば……」


 まるで許しを請うように、そう漏らすことしかできない。

 火照った体を冷ますように、左腕は真紅のピーコート、ブレイズマーシャラーを抱えている。ゆえに黄色いシャツという薄着姿だが、それでもなお、四肢は熱を帯びたままだ。


「何度言えばわかる。おまえは最大の功労者だ。責められるとすればそれは私達であって、我が国はおまえに感謝以外の感情を持ちはしない。自分を追い込むようなことは二度というんじゃない」

(お、怒られた……)


 上下共に赤い軍服を着た女性が、凛とした態度でイリックに振り向く。部屋の中心に立つ彼女はここの主人、エミリアだ。

 第二陸軍軍長の部屋は、今回に関しては秘密の発表会会場へ変貌している。

 褒められながらも叱られたイリックがシュンと肩を落とす中、扉のドアはノックされることなくバシンと開かれる。


「お兄ちゃん鞄持ってきたよ!」

「お待たせ」


 小さな客人は束ねられた灰色の髪をピョンと揺らす。タイツのような防具を着こんでおり、その足取りは軽快だ。

 大きな客人は少しだけ疲れている。自慢の鎧は脱いでおり、今はセーターのような白いニットを着ている。

 ネッテとアジール。二人もまた、今回の会議に招集されている。


「釣竿は中?」

「うん!」


 ネッテは右手の古ぼけた鞄を兄に差し出す。港に放置されていたこれの回収はネッテに任され、今まさに帰還を果たす。

 リインの神威を受け、イリックはマジックバッグを釣竿をほっぽりだし、軍区画まで走った。ゆえに戦闘終了後は回収せねばならなかったのだが、色んな理由で精魂尽きたイリックにそれは難しく、兄から生気と精気を吸収した妹に白羽の矢が立つ。


「人少なかった」

「でしょうね。今日は仕方ないわ」


 アジールの感想はこの国の現状を言い当てている。

 デフィアーク共和国は今日に限っては完全に麻痺状態だ。国民全員がリインの波動に晒されたのだから、解放されてもなお、その後遺症に苦しむ羽目になる。

 時間経過で癒えるものの、裏を返せばその直後はどうにもならない。

 ロニアは予想通りの報告に頷きながら、大きな胸を強調するように腕を組む。神威の影響を受けないとは言え、その威力は過去に経験済みだ。冒険者という頑丈な人種でさえ卒倒しかねるのだから、凡人に耐えられるはずもなく、生き延びることができただけでも幸運なのかもしれない。

 短いスカートから伸びる太い両足をカツカツと進ませ、アジールはリーダーの横に辿り着く。

 イリックは満面の笑顔だ。右手はマジックバッグの中で釣竿を握っており、その手応えが疲れた体を癒してくれる。


「何もできなかった……」

「悪いのはあいつです。俺達は無事だったんですから、今はそれで良し……、とは言えませんけど」


 アジールもまた、己に負い目を感じている。盾役として仲間を守ることはできたのかもしれないが、リインを止めるには至らなかった。

 どう足掻こうと埋められない実力差が存在する以上、こうして生き延びたことが奇跡に近い。

 イリックは受け売りの思考で仲間を庇うも、言っていることは的を得ている。

 仮に落ち度があろうと関係ない。

 今回に関しては、間違いなくリインが完全なる諸悪の根源だ。

 人を殺し、さらに殺し、最後まで殺し続けたこの女が絶対悪と断言できる。

 駆け付けた軍長達が追い詰めることには成功するも、切り札を披露されてはどうすることもできない。

 それでもなお、追い払うことができたのだから、心から喜びたい。

 だが、三つの理由でそれははばかれる。

 三百人にも及ぶ軍人達が殺されたこと。

 ライトニングリングが奪取されたこと。

 そして、アジールが左手を失ったこと。

 二つ目はどうにかなるかもしれない。どうにもならないかもしれない。

 しかし、残りの二つはどう取り繕うと不可能だ。今後、この国とイリックは重い事実を突きつけられたまま、生きていかねばならない。


「決まり次第、おまえ達には謝礼を贈呈することになるだろう」

(まじで!? って、素直に喜べな~い)


 エミリアの発言がイリックを一瞬だけ興奮させるが、窓から見える惨状によってテンションは激しく上下する。


「今はこんな状態だ。先のことにはなるだろうがな」

「ええ、わかってるわ。ところで、それはそれ、これはこれ……。そろそろ本題に入ってちょうだい」


 ロニアはエミリアから別の女性に視線を動かす。自分達がここにいる理由は呼ばれたからだ。主催者に注目することは当然と言える。

 この中で最も大きな胸を目立たせながら、リンダはずれた眼鏡を気にもせず、体の向きを部屋の中心に向け直す。


「さてさて……。何から話そうかね~」

「今更じらす意味がどこにあるのよ? さっさと教えなさい」


 右手は眼鏡をくいっと動かし、そのまま白い髪をワシャワシャと掻き始める。

 もったいぶっているわけでもなければ、ロニアの言う通り、じらしているわけでもない。

 新たに仕入れた情報が、彼女の思考をかき乱しているだけだ。


「私も今回は聞かされていない。大事なことなのだろう?」

「俺は疲れてるんで寝てます。終わったら起こしてください」


 エミリアがシャンと軍人らしく振る舞う一方、イリックは冒険者らしくだらっとくつろぐ。そればかりか横になって寝ようとしているのだから、その図太さもまた、冒険者らしい。


「アジール。そこの英雄を踏みつけてでも起こしなさい」

(……そういうプレイもありだな。ぐえっ!)


 リンダの指示を受け、アジールは無言のままそれを実行する。

 丈夫かつ厚底の革靴が、イリックの脇腹にぐいっとめり込む。石のように硬いわけではないが、それでも痛いことには変わりない。

 なにより、加減されていようと図体の大きな盾役に踏まれれば、威力はそれ相応だ。イリックはその痛みを快感に変換する術をもっておらず、渋々起き上がり追撃を免れる。


「――さて、本題に入るよ」

「わーい! 何だろ何だろ?」


 錬金術ギルドは所属職員にエプロンを制服として支給する。リンダが身に着けているそれもその一着だ。

 台所で使用するものよりも分厚く頑丈な生地は、これが料理よりも過酷な環境で使用されることを想定しているからだ。

 中心には三角形のフラスコを模したアップリケが居座っていることから、一目で錬金術ギルドの関係者だと周囲に知らしめる。

 発表会が開催されることを受け、最年少の冒険者は興奮を抑えられない。行儀は良い方かもしれないが、破天荒さがその印象を覆す。


「私の体で試したから、嘘偽りない事実とだけ、先に言っておくよ」

(エロいことだろうか?)


 リンダは真面目な表情で説明を始めるも、思春期の男の子には少々刺激的な出だしだ。残りのメンバーは全員女性なため、誰からも共感は得られず、そのことを自覚しているため、決して口には出さない。


「マンイーター……。ついにその秘密を掴んだよ」


 その単語が部屋の空気を一変させる。

 リンダが一旦口をつむいだことで、耳が痛むほどの静寂が訪れるも、誰も催促はできない。

 待っていれば答えが提示される。そう理解できているからだ。


「あれで傷つけられると、マジックポイントが消耗する。は~……、もはや奇遇とすら呼べないね~」


 この事実が傍聴者のほとんどを驚かせる。

 ネッテだけはただただ感心するだけだ。事の重大さを理解できていないからだが、そういう挙動がアジールの心をわしづかみにする。


「あんたの探し物はもう見つかってたってことさ」

「……あの女を倒せる」

「そこまでは保証できないけどね」


 リンダからもたらされた情報は、イリックの追い求めたいた手段そのものだ。

 不老不死を謳うリインの倒し方。それは、源泉となっているマジックポイントを枯渇させ、その仕組みを停止させることだ。

 殺し続ければそれを達成できるのだが、これだけでは時間がかかる。

 戦闘中に魔法を使わせてもなお、先の見えない作業だ。

 もうひと押し。そのための手段を探していたのだが、この場での発表会が答えを提示してくれる。

 マンイーター。人間を滅ぼすために製造された凶器だ。

 所有者の心を蝕み、思考と人格を書き換えた上で他者を殺させる。人間の抹殺を行うには非常に非効率かもしれないが、時間の縛りがなければ、そして第三者として眺める分には愉悦極まりないやり方だろう。

 この短剣は殺人に特化したマジックアイテムだったが、とある出来事をきっかけにその性質は根本から変化する。

 一見するとただの武器に成り下がってしまった。人間に害をなさない安全な短剣とも呼べるが、実はそうでないことがついに錬金術師の研究によって解明される。

 これで傷つけられた人間やモンスターは、負傷するだけに留まらず、マジックポイントも減少する。肉体的ダメージに比例する減少量は、魔法を使うモンスターとの長期戦において重宝されるに違いない。

 しかし、今回の用途、すなわち刃を向ける相手は人間だ。本来ならばその効果など意味を成さないが、モンスター以上に凶悪極まりないリインを倒すためには、これがうってつけかつ最適だ。


「斬りつけるとどの程度減らせるんだ?」

「軽く腕を切った程度で、キュア一回分ってとこかね~。いや~、痛かった痛かった」

(あぁ、自分の体で試したってそういうことか……。女って怖いなぁ)


 エミリアとリンダのやり取りが唯一の男を引かせる。実験のためとは言え、短剣で自分を傷つけることなど普通は不可能だ。それをやってのける女性が錬金術師のリンダということになる。


「イリックは短剣を扱えるのか?」

「お兄ちゃんなら大丈夫!」


 軍人の問いかけに対し、本人ではなく妹がハツラツと代弁する。だが、事実その通りだ。

 イリックは子供の頃から片手剣だけの修行に打ちこんだが、ある日岐路が訪れる。

 ネッテがアイール砂丘の見回りに同行したいと言い出したのだから、兄としては反対するか武器を与えるしかない。

 金銭的な余裕はどこにもなかったが、それでも後者を選ぶ。

 自分のカッパーソードよりも高価なブロンズ製の短剣を買い与え、兄妹は仲睦ましくモンスター退治に励む。

 武器を筆頭に、装備品は消耗してしまう。それゆえに買い替える必要があるのだが、刃がぼろぼろになったブロンズダガーはイリックが引き取り、サブ用としてその後愛用し続ける。

 こうして少年の武装は完成を迎える。

 先端が砕けたカッパーソード。

 刃物としてはもはや機能しないブロンズダガー。

 これら二本の武器でアイール砂丘のモンスターを殲滅し続けたのだから、この少年が冒険者稼業に適合しないわけがない。

 金がないから装備を選べない。そんな劣悪な環境によってイリックは鍛えられ、その過程で片手剣だけでなく短剣の扱いも自己流だが習得してみせる。


「軍人さんに披露したら、矯正させられそうな出来栄えですけどね。それでも、あの女には十分通用すると思います」


 相手は魔法を主力とする。接近戦では素手となるため、刃物を所有するイリックが圧倒的に有利だ。

 もちろん、身体能力の差がそれをあっさりと覆すのだが、そういう意味においても問題ない。


「あの状態になれれば、だよね?」

「そうなんですよね~」


 アジールは露出している両肩を体の内側に寄せ、右手でそっとその部位を触れる。今まではそこに左手があったのだが、五本の指はおろか手のひらさえ見当たらない。

 あの状態。すなわち、コネクトの第二段階だ。

 イリックは能動的にその能力を発動させることがまだできない。

 リインと再び戦うためには、少々心もとない状況だ。


「……コネクトなのだろう? 本能的にわからないのか?」

「う~む……。はぁ!」


 エミリアの鋭い視線に晒され、本日の立役者はとりあえずの活力をみなぎらせる。

 両手にグッと力を籠め、少しだけ腰を落としてみるも、おならが出そうになるだけで成果は見られない。


「私はまだ見てないんだから、さっさと披露なさいよ」

「そう言われましても……」


 リンダは呆れながらも催促するようにイリックを急かす。激戦の最中は気を失っていたため、その勇士をまだ自分の眼で確認できていない。


「コントロールできるようになるまで、あの女と出会っても逃げるしかないわね」

「そうだな。猶予があるのかどうか、我々にはわからないが……」


 全身を締め付けるワンピース姿は、男にとってどこまでも扇情的だ。ロニアという女性の体にはそれほどの破壊力が秘められており、イリックは未だに隙さえあれば目の保養という名目で盗み見る。

 だが、今のお題目がそれを許さない。

 エミリアの言う通り、ライトニングリングを奪われた以上、リインは己の目的をすぐにでも果たすと考えるべきだ。

 盗まれた指輪は、エムム遺跡の最奥に鎮座する装置を稼働させるための鍵だ。そこで何が起きるのか、それは誰にもわからない。それでも、現状が最悪に転じたことだけは確定している。


「マンイーターで奴を葬れるのなら、昼飯食べたらエムム遺跡に向かいます。戦ってればあの感覚を取り戻せるでしょうし」

「ダメだ、とは言い切れないところがもどかしいな……」


 胸を張って言い切るイリックとは対照的に、エミリアの口ぶりは弱々しい。

 現状のままでは、両者を戦わせるわけにはいかない。不安定かつ運任せな戦法など、軍人も冒険者も良しとしないからだ。

 だが、リインのやろうとしていることがわからない以上、一刻を争うこともまた事実だ。

 ゆえに、この少年を戦地に送り出すしかない。

 危険だとわかっていても、頼る他ない。


「私も行く!」

「却下」

「えぇー!?」


 ネッテの右手は勢いよく挙手されるも、それ以上の速度で落下する。


「アジールさんとロニアさんもお留守番をお願いします。あの女は俺一人でぶっとばしてきます」

「――相手が相手だし、仕方ないわね」


 頷くロニアと、無言のまま表情を変えないアジール。どちらもイリックの発言の裏に潜む意味をやんわりと察している。

 リーダーの方針が絶対ではない。それでも、今回に関しては絶対だ。

 リインの戦闘力は、軍長達と同等かそれ以上に達している。

 第一海軍の長を務めるザザは例外だが、少なくともエミリアやマッカスは倒されており、その実績が冒険者による介入を不可能とする。

 平時のイリックでさえ、コネクトを発動させなければどうにもならないのだから、三人の仲間がいては足手まとい以外の何者でもない。

 戦いづらい上に全員が殺されてしまっては元も子もない。

 最善手は一対一で戦うことだと判断し、イリックは仲間の同行を断固として拒否する。


「やーだー!」


 狭くはない部屋にネッテの叫び声が木霊する。実は兄の身の危険を案じているのだが、駄々をこねる姿はわがままな子供にしか見えない。


「アジールさんのおっぱい揉んでいいから大人しく待っとけ」

「やーだー!」

(……既に揉んでやがる!)


 顔をぐちゃぐちゃにしながらもイリックに食い下がるネッテだが、両手は既に長身な仲間の胸に伸びている。

 ロニアやリンダほどではないが、アジールのそれは一般的な平均値と同等かやや上程度だ。手のひらが感じる手応えは非常に心地よい。


「俺にすら勝てないってことは、ただただ殺されに行くも同然なんだ。ペチャパイは大人の女性に甘えさせてもらえ」


 イリックの思考はシンプルだ。

 仲間を危険に晒したくない。

 冒険者をしている以上、避けては通れぬ道だが、それを踏まえても今回の敵は常識をあまりに逸脱している。

 リーダーとしては過保護かつ誤った捉え方かもしれないが、三人を大事に想うあまり、そういう方向性に向いてしまう。

 自分一人が傷つく分には構わない。その程度で済む相手ではないが、勝算を見出した以上、留まる理由もない。


「なんだと! ぎゃふん!」


 胸の小ささを指摘されたため、ネッテは怒りを爆発させると同時に、飢えた獣の如く兄へ飛びかかる。

 そのスピードは軍長のエミリアでさえ仰天するほどだ。イリックと比べ、十分の一にも満たない努力量にも関わらず、並の軍人や冒険者を圧倒するのだから、天性の才能は不平等の最たるだ。

 しかし、今のイリックには通用しない。鬼の形相で迫り来る妹へ、兄はさっと立ち位置を変えて回避を達成するや否や、前のめりゆえにむき出しな後頭部へ容赦のない手刀を撃ち込む。

 完全に家庭内暴力だが、イリックはネッテに対し、時にこういった暴力を平然と行う。シスコンでありながら妹を殴れる矛盾性こそ、この少年の本性だ。


「バカは黙らせたので話を続けましょう」

「仲が良いのか悪いのか、私には判別できないね~」


 渋い顔で切り出したイリックとは対照的に、リンダは兄妹喧嘩を見せつけられ、ふうとため息をつく。

 そんな中、他の三人は全く別のことを思案中だ。


(今の叩きつけ……、かなりの速さだ。やはりこの男、うちに欲しい)


 エミリアは以前から、イリックを第二陸軍に勧誘している。その若さと実力は一級品ゆえ、軍人としても将来有望だからだ。

 ネッテとは異なる眼光で少年を眺める。頑なに拒まれようと、この女性は未だに諦めてはいない。


(ネッテちゃんのダッシュに対して何かした見たいだけど、さっぱりだわ。こういうところでも痛感させられるのよね……)


 ロニアは自分の実力がいかに劣るか、兄妹の些細なやり取りから実感する。後衛に属する人間は、一般的に前衛よりも身体能力が低い傾向にあり、ロニアもその法則に当てはまる。

 イリックがいつか述べていた自論を思い出す。

 後衛なんて、魔法を使えるだけの雑魚だ。御しやすい。

 まさに自分がそう言われているように錯覚してしまう。ゆえに、イリックが単身乗り込むという作戦には反論できない。


(後で慰めてあげよう)


 アジールは基本的に、どんな時もネッテ一筋だ。異性のイリックに恋心を抱いてはいるものの、溺愛対象はその妹が最優先ということになる。

 冷たい床に伏せ、泡を吹いている仲間を今すぐ愛でたいのだが、場の空気がそれを良しとしない。

 今はグッと堪える。彼女が目覚めた後か、イリックが出発した後で姉妹のようにじゃれ合うつもりだ。


「コホン。話を戻そう。イリックはエムム遺跡までリインを追跡し、そこで再度戦う、と」

「はい。本当は今すぐにでも行きたいところですが、少し休憩して、昼飯食べてからにしますけど」


 状況の整理を始めた軍人に対し、イリックは実に冒険者らしい考えを主張する。

 体調管理。言い換えるならコンディションの維持は、旅やモンスターとの戦闘においては何よりも重要だ。これを軽視すると、足をすくわれ、その結果死を迎えるかもしれない。

 現在の時刻は十一時。昼食にはまだ早いが、通常ではありえないほどの運動を終えた後だ。さっさとご馳走にありつきたいのだが、それ以上に疲れており、先ほどは踏みつけられてしまったが、本当は横になりたくて仕方ない。


「じゃあ、その前にマンイーターを渡した方が良さそうだね」


 リンダの発表会に、その短剣は持参されていない。錬金術ギルドが今なお解析に取り掛かっているからだが、必要となった今、所有者は変更される。

 こうして、イリックの予定は決定する。

 話し合いを終えた後、錬金術ギルドに出向いてマンイーターを受け取る。

 休憩を兼ねて昼食を済まし、体力の回復を終える。

 そして、エムム遺跡へ単身乗り込む。

 やるべきことが明確化されたのだから、さっさと行動に移りたいのだが、そうはさせないと言わんばかりに、軍長室の扉がトントントンと三度叩かれる。


「どうぞ」

「失礼しま~す。え?」


 エミリアの声が一瞬の静寂を打ち破ると、続いて女の子の声が扉の隙間からなだれ込む。

 イリックはその声を知っている。忘れかけてはいたが思い出せる。両者はそういう間柄だからだ。


「あ」


 二人の視線がぶつかる。

 だが、イリックは気の利いた男でもなければ、陽気でもない。なんと声をかければよいのか、すぐには思いつかず、ひらがな一文字で限界を迎える。

 両者が固まったことで、部屋には再び沈黙が訪れる。

 全員が全員、この状況を瞬時に察したことで、静寂の延長は決定だ。

 どちらが動き出すのか、周囲は黙って見守ることを選ぶ。

 甲斐性のないイリックには不可能だ。ゆえに、その女性は扉を開けきり、自身の姿を完全に披露する。

 身長はイリックよりやや低く、ネッテには勝る。

 髪の色は若葉のような色をしており、男の子のように短い。

 表情からは疲労の色が見て取れるが、彼女の明るさまでは隠せていない。

 軍服は上下共に茶色だ。すなわち、この本部に属することを意味する。


「お、おひしゃしぶりです! スルフィです!」

(噛んだ)

(噛んだ)

(ここで噛むか)


 初々しい軍人がぐいっと頭を下げる一方、リンダ、ロニア、上官は聞き逃さず心の中でツッコミをいれる。

 ネレネン王国の出身者。

 マンイーターの元持ち主。

 どちらの肩書が今の彼女に相応しいのか。どちらにせよ、彼女の名前がスルフィであることに代わりはない。

 イリック一味とは武神祭およびその後で一戦交えている。戦いと呼ぶにはあまりに血なまぐさかったが、原因はマンイーターということから、遺恨の類は残っていない。

 そう思っているのはイリック達だけであり、当事者のスルフィは未だに後悔の念を抱いている。自分の手でネッテ達を切り裂いたことは事実であり、その感触も手のひらに残ったままだ。


「ど、どうも! イリックでひゅ!」


 そして、沈黙が訪れる。

 誰もが思っている。おまえも噛むのか、と。

 イリックとしても緊張してしまう。

 久しぶりの再会だから。

 相手は女の子だったにも関わらず、その顔を全力で殴ってしまったから。

 ゆえに呂律がまわらなくても、仕方はないのかもしれない。


「エミリア」

「世話の焼ける……」


 この空気に耐えられる者などおらず、ロニアはこめかみを押さえながら軍人をそそのかして上官としての責務を押し付ける。


「まぁ、入れ」

「は、はい! 失礼します!」


 いつものやり取りだが、今回は予想外の客人がいるため、スルフィの緊張は普段以上だ。両手と両足が同調して前後しているが、誰もが見て見ぬ振りを通す。

 人口は六人から七人へ増えるも、一人は泡を吹いて倒れている。彼女が入室しようと、部屋が窮屈にはならない。


「そういえば、入隊後の顔合わせがまだだったな。まぁ、イリックがここを避けてたせいだが」

「う!」


 エミリアの発言はイリックにとって図星だ。

 常軌を逸したスパルタによって、この地はトラウマとなっている。泣こうが喚こうが降参しようが、軍人達との模擬戦を強要されるのだから、普通なら心が折れてしまう。

 逃げることもできず、朝から晩まで鍛えられた結果が、武神祭を勝ち上がることとリインとの接戦に結びついてはいるものの、負った傷はまだ癒えておらず、ゆえにイリックはデフィアーク共和国を訪れようと、軍区画には立ち寄らない。

 その結果、この国に移住したスルフィとの邂逅が遠ざかったのだが、今回晴れて達成される。


「強さと引き換えに、軍人が怖くなった」

「う!」


 アジールの何気ない一言が、パーティのリーダーを傷つける。まさにその通りだが、普段無口な人間に言われると、ダメージは何倍にも膨れ上がる。


「くくく、笑っちゃうね~。エレメンタルフォンで呼ばれても、自分では来ないでこの子達を寄越すんだから」

「う!」


 リンダは大きな胸をわずかに揺らしながら小さく笑う。

 イリックの特異性は冒険者のそれを遥かに超越している。希少なモンスターと遭遇し、戦いぬいたその経験は貴重な財産だ。

 そういった点においても、テレポートが使えるという利便性を抜きにしてなお招集したい人材だ。

 だが、イリックは呼び出しに対して首を縦に振ろうと、実際には向かわず、ロニアあたりを派遣して心の平穏を保つ。

 賢いやり方かもしれないが、言い方を変えればずる賢いだけだ。

 周囲の女性達に責められるイリックの姿は、スルフィの知っているそれではなく、その光景は頭の中の人物像と全く合致しない。

 傭兵達を圧倒する西からの来賓。

 後に優勝する軍人と互角に戦った冒険者。

 自分を打ち負かし、マンイーターの呪縛から解き放ってくれた救世主。

 スルフィにとって、イリックはそういう男性だ。

 頼もしく、強く、たくましい英雄は、今はなぜか小さく縮こまって赤面顔を両手で隠している。


「ふふふ」


 おもしろい。

 自然と笑みがこぼれてしまう。

 スルフィの表情が緩まると、部屋の中はよりいっそう盛り上がる。

 上官二人を含む、第二陸軍の被害規模を暫定ながら報告しに来たはずが、そんなことはすっかり忘れ、彼女は他の面々と共に笑い続ける。

 その中心に立つ唯一の男は、肩身の狭さを感じながら、道化を演じ続けて場を取り繕う。

 笑ってくれ。

 今の自分にできることは、この程度なのだから。そう自覚しているからこそ、彼女達の笑顔を見るために、今は情けない男であることを受け入れる。



 ◆



 古ぼけた遺跡はそれでもなお風化することはなく、薄い紫色の石材がそこを周囲とは格別している。

 大樹がひしめき合うその土地で、そこまでがぽっかりとえぐられたように閑散としている理由は、地面を覆う土もなければそこから生える木や草が存在していないからだ。

 石でもなければ鉄でもない。レンガとも異なるその建材は、足元の床や周囲を区切る壁を形作っており、部分的に倒壊してはいるものの、一万年の月日を過ごしたことと比べれば些末な損壊だ。

 無人のここはエムム遺跡。古代人が遺した未知の施設、その一つだ。

 住民は見当たらない。あえて挙げるとすればモンスター達だけだ。

 単一の鉱石で構成されるゴーレム。

 骨だけの姿で歩くスケルトン。

 それらだけが生息するはずのここでは、喪服のような黒いドレスは非常に目立つ。長い髪も血のように赤く、少なくとも周囲には見当たらない色彩だ。

 最奥に位置する浩々たるフロアで、彼女は右手を眼下の装置にかざす。

 地面から伸びるそれは楽譜台のような形をしているものの、用途は異なる。色艶は遺跡と何ら変わらず、機械というよりは彫刻のようにしか見えない。

 しかし、この女はわかっている。膨大な知識に裏づけさせながらも、それ以上に本能がそう囁くからだ。

 これに指輪を示しなさい、と。

 この行為がどのような現象を引き起こすのかも予想可能だ。

 リイン。神からの使命を授かり、それを実行する孤高の女。

 デフィアーク共和国での戦闘後、彼女は一旦ヨアナ村に戻る。指摘された通り、命の源泉たるマジックポイントがかなり枯渇したからだ。

 攻撃魔法はおろか、転移魔法にもそれを必要とするため、仮に死なずとも戦闘を続ければその量は減ってしまう。

 リインのマジックポイントは人間の規格を超越しており、言ってしまえばモンスターのそれに近い。一時間程度の休憩では補給しきれないが、逸る気持ちに急かされ、今こうしてこの地に降り立っている。

 すぐ隣の床には、周囲の石とは明らかに別種の色をした部分が存在している。境目には段差がないため、そこだけが灰色の染料で塗られたようにも見えるが、気配のようなものがまるで異なるため、そうではないと頭ごなしに決め付けることが可能だ。

 そこを開閉するために、女は右手の中指にはめた指輪を楽譜置き場のような斜めの面に近づける。

 紫色のそれと薄紫色の面が一万年振りにあいまみえたことで、眠っていた遺跡が目を覚ます。それを裏付けるように、盤面はわずかに発光しながら不思議な言語を浮かび上がらせる。

 今を生きる人間には読めないそれは、彼女になら解読可能だ。


「やはりね」


 独り言かもしれないが、自然とそうこぼしてしまう。

 ようこそ。古代人の文字でそう表示されているのだから、自分の推測が正しいと裏付けされた瞬間だ。感情の起伏が乏しい彼女も、静かに喜んでしまう。

 リインにとっても、この先に何が待っているのか、期待せずにはいられない。何年も篭ったイスス遺跡にも、ここに関する情報は全く見当たらなかった。

 その不自然さは情報が伏せられている証拠であり、彼女もそう推測する。

 重要だから。

 部外者には知らせるわけにはいかなかったから。

 後世の人間に知られたくなかったから。

 理由はどうでもよく、一万年に滅んだ古代人がそうせざるをえなかった原因こそが重要だ。

 この場所にはそれほどの何かが隠されている。

 では、それは何だ?

 リインはこれについても既に検討をつけている。

 古代人の滅亡に繋がったそれは、彼女が目的を果たすために必要だ。

 遥か頭上で輝く太陽が厚い雲で覆われると同時に、地面から鈍く重い音が物静かに発生し始める。現存する魔法とは少々毛色の異なる魔力が流動し、エムム遺跡がその意味を発揮し始めたからだ。

 真っ赤な瞳が見つめる先では、四角い灰色の床がゆっくりと陥没し、音もなく横へすうっとスライドしながら消えていく。

 現われた入り口は、地下へ続く巨大な階段を披露する。その先も薄紫の建材によって建設されており、太陽の光が入り込むも終着地点は見えない。

 道は示された。彼女の右手でキラリと輝く鍵はもはや不要だ。

 それでもなお、リインは愛おしそうに左手の人差し指でそっと撫で、歩みを進める。

 ライトニングリングはエムム遺跡を稼働させるための鍵であると同時に、マジックアイテムだ。持ち主に対して、雷属性に関する耐性を高めることが可能だ。

 だが、彼女にそのような付与効果など蛇足でしかない。自身の超常的な魔力がチープな魔法を寄せ付けないからだ。

 ましてや、殺さねばならない宿敵は水の魔法を使う。この指輪の恩恵は無いに等しい。

 それでも取り外さない。

 アジールから奪った際、リインは天啓を授かることでこの指輪が探し求めている鍵だと知ることができた。

 そのことも喜ばしいが、彼女は別のことで歓喜する。

 神の声を聴くことができた。すなわち、今なお見守られている。

 ゆえに、答えなければならない。その指示を一刻も早く敢行するため、万全の状態ではないにも関わらず、遺跡の最奥に足を運んでいる。

 自分と主をより一層強く結びつけてくれたこの指輪は、リインにとって至宝の一品だ。生涯、指から外すつもりなどない。


(もう漂ってくる)


 隠し扉が開いたことで、地下に隠されている何かがひっそりと本性をむき出しにする。純然たる魔力の波動が、感知能力に優れた彼女にむせ返るような匂いを運ぶ。

 そのような理由で足を止めるわけもなく、リインは大口を開けているその中へ、自身の体を沈める。

 罠や身の危険などこれっぽっちも考えない。施錠のかかった扉という厳重なセキュリティを突破したのだから、後は待ちわびた光景を目に焼き付けるだけだ。

 薄暗い空間の中を、カツカツと下り続ける。何十、何百と続く階段はどの段も一ミリの誤差なく正確に作られており、足取りが鈍ることは一度もない。

 光源など見当たらないが、この場所が深淵に飲み込まれることはなく、進行方向には階段がまだまだ続くとうかがい知れる。

 すなわち、終わりはまだまだ先だ。


(イスス遺跡とも……、トゥルル遺跡とも違う。やはり何かがある)


 リインをもってしてもわからない。

 魔力を帯びた何かがあることは確定している。それが彼女の望む物なのか、不正解なのか、階段を下り続けている間は知る由もなく、ゆえに今は寡黙に進む。

 道幅は横並びで四、五人が歩めるほどに広く、階段と並行な天井の高さはジャイアントでさえ手は届かないだろう。

 地下空洞にも関わらず広まったその道を、ただただ下り続ける行為は退屈だ。

 だからなのか、リインは先ほどの出来事を反芻し始める。

 軍人の抹殺。

 軍長との殺し合い。

 駆け付けた軍長の実力。

 そして、赤いピーコートを羽織る人間、イリック。

 予感がある。再会は近い、と。

 ゆえに自分を急かすように回復を兼ねた休憩を切り上げ、この地に降り立っている。

 探し求めていた物はもう目の前だ。これ以上は邪魔されたくない。そんな感情が背中を押すも、本心は別だ。

 今もこうして神に見守られている。そう理解できた以上、自分のやるべきことを果たさねば、と責任感が湧き上がる。

 変わらない風景が時間感覚を狂わせるが、彼女にとって時計の針がどう進もうと関係なく、地下へ潜り続けるこの行為が十秒だろうと十分だろうと大差ない。

 足を進ませるにつれ、色濃くなる波動が彼女を覆うも、脳裏にふとあの男がよぎる。


(あの力はいったい……)


 忘れようにも不可能だ。それほどまでに、その姿は熱く、重々しい。

 イリック。コネクトの第二段階へ踏み出せた少年。

 そんな領域があること自体、リインは知らなかった。

 しかし、冷静に考えれば想像も容易い。

 コネクト。リインはこの魔法の正体をこう考えている。

 想像主たる神の力をダイレクトに拝借できる強化魔法、と。

 だからこそ、対戦相手の変化がまさにそうなのだろうと今になっては明白だ。

 自分はまだ、その片鱗しか制御できていない。この事実が彼女を苛立たせるが、こう考えることもできる。

 あの人間にできたのだから、自分にもできるはずだ、と。

 何の根拠もない推測だが、自然とそう思えるのだから仕方ない。

 この思考もまた、神の導きなのかもしれない。そう捉えることで彼女はより一層昂り、興奮する。

 同じ条件なら、絶対に負けない。負けるはずがない。

 一刻も早く知らしめたいが、今はこの先に用がある。

 あるはずだ。

 人間を抹殺するための兵器が。

 それを裏付けるように、高度な魔法技術を確立した古代人はある時点で歴史からその姿をぱったりと消滅させている。

 滅んだのだ。自分達の手によって。

 正確には、古代兵器によって。

 それを探し求めて、彼女は両の足をいつまでも動かし続ける。

 彼女の心のように、日の射さない闇はどこまでも続く。

 一方で、隠された何かはもう間もなくだ。むせ返るような波動が地下世界に充満しており、目を閉じようとその存在を感知できてしまう。

 そして、ついに辿り着く。

 前方へ広まった空間はここに至る道よりも遥かに広く、前へ進むにつれ、王の間のように時折段差が生じる。

 無機質な空間ではあるが、確かにここは人工的なフロアだ。

 最たる証拠は、途中に鎮座する二体の像だろう。

 互いに向き合うようにそびえ立つそれらは左右の壁にそれぞれ背をつけており、高い天井いっぱいまでに長身を主張している。

 どちらも格式高い独特なローブをまとっており、もちろんそれらは薄紫の鉱石を彫って形作られてはいるが、しわに至る造形が美しく、本物と見間違えてもおかしくはない。

 だが、そんなことでリインの赤い瞳が釘付けにはならない。

 彼女の鼓動を高めた理由は、二体の像が男と女を模しているからだ。

 右の巨像は神官のような帽子を被っており、ローブからはみ出す両腕は力強く腕組みしている。

 左の巨像は長い髪を垂らし、胸はふっくらと膨らんでいる。両腕は腰のあたりでそっと触れており、その造作はただただ美しい。

 男と女だ。ただそれだけのことだが、リインは一目でその意味を見出す。

 男神と女神。

 ロイロルとネゼオル。

 この二体は二人の神を称えるため、そして、ここがいかに重要な場所かを物語るため、ここに建造されている。

 到着だ。

 ついに辿り着けた。

 感情の起伏が乏しいリインですら、表情は緩み、自然と笑い声が漏れてしまう。

 人間の何倍も巨大な石像を受け入れるこのフロアは広大だ。今を生きる者達では建造もままならない。

 神殿のようなこの場所で、彼女はゆっくりと歩みを進める。

 神々しい石像を交互に見上げながら、一万年振りにここの空気をかき混ぜる。

 最後の段差を登り終えると、目の前には紋様が彩られた扉が現れる。花か何かを想起してデザインされているそれは、客人を遮るためではなく、むしろ歓迎するような立ち振る舞いだ。

 このフロアはここで終着点を迎えるが、この先に何かがある。花びらが空洞の隙間だらけな扉ゆえ、覗き込まずとも奥の光景は丸わかりだ。

 何かがあるのではなく、何もない。

 強いて挙げるなら、渦を巻く魔力の塊が待っている。洞窟のようなその先の行き止まりには、床一面に人知を超えた現象が具現化している。

 リインがそっと右手を近づけると、扉は何かを感知して自動的に開閉を開始する。一辺を支えに奥や手前へずれるのではなく、上へスライドしながら消えゆくさまは、彼らの遺跡特有の動作だ。

 一万年振りの来賓。この施設にとって、リインはそういう存在だ。丁重に迎え入れる以外の選択肢はなく、それが人間を滅ぼそうとしていようと、そんなことは汲み取らない。今やるべきことは、彼女を中へ導くことだ。

 無人ではあるが、そのもてなしは彼女を喜ばせる。声や立ち振る舞いでの誘いが無かろうと、こうして扉が開き、進むべき道を提示してくれたのだから十分と言える。

 リインは細まった空洞に足を踏み入れ、正面へ歩み出す。

 青く、白く、黒く渦巻くそれは淡い色を轟々と放って、灯りのように周囲を照らしている。

 それ以上におびただしい魔力を色濃く充満させており、彼女としても興奮せざるをえない。

 これが探し求めていた破壊兵器ではないことは一目瞭然だ。

 そういう意味ではこの場所はハズレだが、落胆する必要はどこにもなく、ゆえに足取りも軽い。


(触ればいい?)


 博識なリインですら、この現象の扱い方などわかるはずもない。

 だからこそ試すしかなく、不老不死という強みもあるが、この場所が人間にとって安全な場所であることは神々しい雰囲気からも明らかだ。

 仮に寝そべったとしても全身を受け入れる直径の渦に足を差し入れ、彼女はそっと腰を屈める。

 円の中心に何かがあるわけではないが、試しに触れるため、そっと右手を向かわせる。

 その瞬間だった。

 テレポートレムを使用した時のような、一瞬の浮遊感がリインを飲み込む。

 視界は暗転し、刹那の時間が過ぎ去ると、目に映る景観と肌を撫でる空気の質が瞬く間に変化する。


(ここはどこ?)


 わからない。それでもなお、わかることもなる。

 眼前には通路らしき道が伸びており、遥か前方には先ほど同様の扉が鎮座している。

 彼女が立っている場所、すなわち転送された場所は筒のような空洞の末端だ。

 丸い。天井も壁も床も丸みを帯びているここは、今までの遺跡がそうであったように、正体不明の淡い紫色をした鉱石によって建造されている。灰色と見間違うほどの色彩だが、小石や岩と見比べれば明らかに別種だ。

 一方通行だったのだろう。リインの足元に魔力の渦は見当たらない。すなわち、戻ろうとした場合、自前のテレポートレムを使う必要がある。

 だが、それは不可能だ。後に知ることとなるのだが、ここから先ではそういった類の魔法を詠唱することはできない。

 ここはそういう場所であり、そういったことを可能とする結界で守られている。

 古代人にとっても、今を生きる人間にとっても、リインが足を踏み入れたこの領域は、それほどまでに重要な区画だ。

 選ばれた者だけが辿り着ける。言い換えるなら、選民思想の極致とも言える場所がここということになる。

 いつまでも立ち止まっているわけにもいかず、目的地と思しき扉が前方に見えるのだから、今はそこを目指したい。

 だが、足首まで隠す黒のワンピースは躊躇するように動かない。

 当然だ。筒のような空間に設けられた床は、彼女の足元で区切られているのだから。

 一歩目は運べるが、二歩目は落下を意味する。リインが立っている場所は円筒形を成す空間の終端なのだが、正確に言えばさらにその真ん中だ。

 円の中心を横切るように線を引き、その線上に足場を作った状況が彼女の立ち位置なのだが、道とも呼べるそれはすぐさま途切れてしまう。

 もちろん、足場が途切れようと進むことは容易だ。丸いだけで天井も側面も底も存在しているのだから、下へ飛び降り、そこを歩けばなんら問題ない。

 だが、それを躊躇させる理由がそこにはあり、その場から見下ろすと点のような光源が紫色の光をぼんやりと放ちながらあちこちに点在している。


(魔力の残滓? いえ、違う……)


 マジックランプの光とも、火属性や雷属性の攻撃魔法とも異なる発光現象だ。直視しようと眩しくはなく、それらがこの空間における灯りとなっていることは明白だが、今は感謝しようにも正体の不明瞭さが際立ってしまう。

 充満しているわけでもなく、総数は数えられる程度だが、微動だにしないそれらが浮きながらもそこに居続けることが不気味だ。

 触れたらどうなるのか。考えたところで推測すらできない。

 危険なものなのか、無害なのか。

 揺れ動くのか、すり抜けるのか。

 可能性はこの程度だが、何にせよ、博識な彼女でさえ答えは見つけられない。

 そらならば、試すまでだ。自身の不死身さを武器に、彼女は降り立つことを決意する。

 ここにきて即死級の罠が待ち受けているとは思えないが、覚悟なしで挑む気にもなれない。

 床の際に直立する。半歩踏み出せば、ドスンと落下だ。

 最も下の位置からこの足場までの高さは、大人三、四人分程度だ。普通の人間では登ることは叶わないが、冒険者や軍人、そしてリインなら垂直跳びでも飛び乗れる。

 いざとなればここまで戻ればよい。そう開き直り、赤い髪と黒いワンピースをたなびかせながら小さくピョンと跳ねる。

 そのまま通路の底辺に着地するつもりでいた彼女は、予想外の出来事に驚く暇もなく、姿勢を崩して前のめりに倒れ込む。

 両手で体を支えることには成功したため、美しい顔から突っ込むことはなかったが、自分の今の姿を想像することも、何が起きたのか理解することもすぐにはできない。

 眼前には、先ほどまで見下ろしていた光の粒と筒の最下層が視界いっぱいに広がっている。

 正確には赤い髪と自分の両手が隅に居座っており、見えない床に手のひらがびたっと接地している。

 そう。先ほどまで立っていた足場の先には、見えない道が続いていた。初めて訪問する場所ゆえ、そんなことを知る由もなく、未知の技術によって実現している不可視な床で、落下するつもりでいたリインは両手をついて倒れてしまう。

 触れていることで、それが確かに存在していることを実感することができる。手応えは石や木材のどちらにも当てはまらず、硬いことには変わりないが、錯覚かもしれないがわずかな弾力さえ感じることが可能だ。

 顔が近いが匂いもせず、舐める気にはなれないが、将来的には確かめてみたい。

 だが、今は他にやるべきことがある。この姿を目撃されたところでどうということもないが、いつまでも情けない姿勢を保つつもりもなく、リインはゆっくりと立ち上がることに挑戦する。

 見えないだけで確かに存在しているのだから、その動作も容易だ。取り繕うようにシャンと姿勢を正し、彼女は前だけを向いて黙り込む。


(とりあえず進みましょう)


 そうするしかない。立ち尽くしたところで意味はなく、提示された道、すなわち前方の扉を目指す以外ありえない。

 とはいえ、その足取りは慎重だ。見えない床がいつどこで途切れているかもわからない以上、突然の落下もありえる。

 歩幅は自然と縮まり、足を運ぶピッチも遅い。不老不死と言えども、今回ばかりはそうせざるをえず、言い換えれば少しだけ怖い。

 初めての経験。

 転んだという事実。

 見えない足場を歩くという恐怖。

 様々な感情を抱えながら、彼女は前だけを見据えて歩く。

 ここがどこなのか。

 目的の兵器はどこにあるのか。

 そういったことを思案したいのだが、今だけは難しい。

 この場所について。その答えなら扉の向こうに待っており、それを知るまでに要する時間は極わずかだ。

 両足が歩みを進める度、水面に広がる波紋のような何かが彼女の足元で発生する。赤いそれは周囲に不可視の道が存在している証拠なのだが、この現象についてリインですら説明などできない。

 一万年の時をえて、この時代を生きる人間、その一人目がついに辿り着いてしまう。

 幸か不幸か。それを決めるのはそれぞれだ。

 リインか。

 待っていた者か。

 イリックか。

 そして、最後の戦いを前にした前哨戦が始まる。


いつもお世話になります。申し訳ないのですが、次の更新は一週間ほど先になります。師走ゆえに忙しく、ここ数週間はほとんど執筆が進んでいないためです。その後はペースを維持する予定ですので、しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

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