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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第七十章 雲の上で神と踊る(Ⅰ)

 先ず、空気の質が変化したことに驚かされる。

 ふわりと柔らかい。鋭敏な感覚の持ち主でなくとも、素肌が自然と察知してくれる。

 だからといって立ち止まるわけにはいかず、しかし、今は別の理由で一時停止も辞さない。

 不思議な道だ。

 客観的かつ冷静に、そう分析せざるをえない。

 この場所を訪れて真っ先に浮かんだ思考は次の二つだ。

 ここはどこだろう?

 あいつはどこだろう?

 どちらの答えも自ら見つけるしかなく、ゆえに前進以外はありえないのだが、それ以上にありえない足元がそれを良しとしない。


(あの女の仕業……じゃないな。こういう設計なのか。意味わからん)


 今を生きる人間の二人目として、冒険者を生業とする少年がこの場所に降り立つ。

 黒い髪は短く、年齢よりも若く見える顔は少年のあどけなさを残している。

 背丈は平均程度。

 衣服に隠れて見えない部分はきちんと筋肉に覆われているが、ぱっと見の印象はやはりただの少年だ。

 真紅のコートは派手だが、質素な黒いズボンと古ぼけた背負い鞄が見栄えを中和する。

 だが、背中と鞄の合間でカチャリと鳴る剣と、左腰にぶらさがっている短剣が、この少年をただの一般人ではないことを雄弁に物語る。


(あ~、まだお腹いっぱいだな……。ちょっと食べ過ぎたか)


 イリック、十八歳。もう少しでその数は増すが、それも生きながらえたらの話だ。

 背負っている武器はミスリル製の片手剣、ミスリルソードだ。以前所有していたそれは先日溶かされてしまったが、今回旅立つにつれ、新たに支給される。銀色の鞘に収まる刃も同様の色をしており、その切れ味は硬い岩すら切断可能だ。人間を殺す程度なら、十分過ぎる切れ味を誇る。

 腰のベルトから垂れるそれは最大の秘密兵器だ。

 いくつもの大陸を渡り歩いた短剣、マンイーター。傷つけた対象のマジックポイントを減少させる類稀な特性を持ち合わせており、これからの決戦においては必要不可欠と言える。

 第二陸軍の軍長室で盛り上がった後、イリックはネッテ達を引き連れ錬金術ギルドに足を運ぶ。リンダの職場を見学するためではなく、この短剣を借り受けるためだ。

 その後、昼食と呼ぶには少々早いタイミングながら、一同は料亭で豪華な食事をとり、イリックは大いに腹を膨らませる。

 悠長な行為かもしれない。

 しかし、コンディションを整えずに挑む方がはるかに愚かだ。冒険者としての本能がそう訴え、仮にリインに遅れをとろうと、準備にしっかりと時間をかける。

 体からは疲労が抜け、消費したマジックポイントも満タンだ。

 マンイーターだけでなくミスリルソードまで支給され、その上マジックバッグの中には高級品ながらマジックポーションが何本も詰め込まれている。

 売れば小金持ちだが、これからの戦いで必要だ。店へ寄り道することなく、少年は単身、古代人の遺跡に乗り込む。

 仲間に見送られ、イリックはエムム遺跡にテレポートで移動するのだが、最奥にて早速変化を見つける。

 広まった空き地にポツンと鎮座する突起物のような物体の近くで、色の異なる床がその口を開いているのだから、事情を知らずとも冒険者なら覗き込むに決まっている。

 ましてはリインの仕業だと検討がついており、地下へ続く階段に足をかけない道理がない。

 長い道のりをえて、すなわちその女の足取りを追跡しながら、イリックもまた、長身の石像を仰ぎ見る巨大な地下空洞に辿り着く。

 だが、この男はこれといった感動を覚えることもなく、すたすたと素通りし、最奥の渦に行き着く。

 これが何なのかわかるはずもなく、リインがそうしたように手を伸ばした瞬間、転送効果が発動し、イリックもまた、足場の見えない円筒形のフロアに運ばれて今に至る。


(あそこに進めばいいんだろうけど……。まぁ、一旦落ちるしかないか)


 遥か前方には、ここと同様小さな足場が設けられており、そこには周囲と変わらぬ色をした扉が鎮座している。

 大きな円筒形のこの場所は、両端だけに床がでっぱりのように設けられており、イリックと目的地は反対側でにらみ合う。

 早々に途切れる道に呆れながら、進むための唯一の手段として、落下を選んだ矢先のことだ。

 一歩を踏み出した右足が、得られるはずのない手応えを感じ取る。そこには何もないはずだが、見えない何かを踏みしめたことだけは確かだ。

 とんとん。太ももを持ち上げ茶色い靴を上下させるも、やはり何かが靴底に当たる。それだけに留まらず、池に石を放り込んだ時のように、紫色の波紋が周囲に広がるのだから、何が起きているのか把握すらできない。

 踏みしめたままズリズリとスライドさせようと、結果は同じだ。淡く発光した円が次々と湧き上がる光景は美しく、この少年も魅入ってしまう。


(なるほど……な。そういう仕組みになっているのか。いや、意味はわからんけど)


 理解できずとも、そして納得できなかろうと、そこには見えない床が張り巡らされている。

 決して液体ではないのだが神秘的な波紋も発生するため、完全に理解の枠外だが、なんにせよ、落下せずに済むのだと事実を受け止める。


(とりあえず進もう)


 それしかない。目的は遺跡探検ではなく、リインの討伐だ。

 先ずは見つけなければならず、そのためにはここを直進する他ない。


(今度、ロニアさんを連れてこよう。きっと喜ぶだろうな。ネッテは無意味にはしゃいでうざそうだ……)


 ここへは一人で来ている。

 理由は単純だ。足手まといは不要だから。

 もちろん、仲間を危険に晒したくないからでもある。そういう意味では軍長達を連れて来るべきなのだが、神威を使用できるリインの前では個人の強さや数など意味を成さない。

 もし勝てなくてもその時は逃げればいい。テレポートを習得しているイリックだからこそ、可能な芸当だ。

 だからといって負けるつもりもなく、そもそもここへはリインを殺すために訪れている。

 勝算はある。マンイーターとコネクトの第二段階だ。

 問題があるとすれば、どちらにも確証がないことだろう。

 この短剣で何回斬れば、底の見えないマジックポイントを空にできるのか。

 都合よく、第二段階が発現してくれるのか。

 やってみなければわからない。そういう意味では危ない橋を渡ることになる。

 だが、やるだけの価値があることも確かだ。

 そう思えているからこそ、見えない道を渡り切り、紋様のような装飾が彫られた扉を開けようとしている。

 それは人の接近を感知し、自動的に右へスライドしながら見えなくなる。

 その先は登り階段になっており、人が二人並んで歩ける程度の横幅だが、終わりが見えているためか、狭いとは感じない。

 終わり。つまりは出口が既に見えている。

 見上げるとそこには真っ青な何かが映り込んでおり、上の階層の天井にしては明る過ぎため、そう思う者は少ないだろう。

 イリックは空を連想する。

 そして、それが正解だ。

 一段一段、薄暗い通路を登っていく。決して暗くはないのだが、前方に見える開けた場所と比べると、対照的にそう思えてしまう。


(さてさて、ここはどこなんだか)


 魔力の渦に触れたことで、正確には足を踏み入れたことで、イリックは見知らぬどこかに転送されている。

 現在地については何も得られておらず、ここが古代人の遺した施設の一部であることは判明しているが、トリストン大陸のどこに運ばれたかまでは不明だ。

 外の景色を眺めたところで即座に判明するわけではないが、いつまでも地下空洞に滞在したところで何も得られはしないのだから、二本の足を交互に持ち上げて体を地上に向かわせるしかない。

 そして、少年の体が眩しい光に晒される。太陽の陽射しが降り注いでいるからだが、それでもなお、イリックは両目を見開いて驚く。


「な……」


 言葉を発することも難しい。どんな単語でこの感情を表現すればいいのか、脳が的確な答えを提示してくれないからだ。

 階段を登り切り、遺跡から脱出した地点から正面を見渡すと、綿菓子のような白い塊が眼下に広がっている。

 それがない場所には、青い海が地平線の向こうまで続いているのだから、世界の広さと自分の小ささを強制的に比較させられる。

 ここがどこか。もはやそういう次元ではなく、今最も注視すべき事柄は位置ではなくその高さだ。

 なぜなら、イリックが立っている土台の遥か下をゆっくりと流れる真っ白な物体は、見間違うことなく雲だ。本来は空に浮かぶそれが、今はなぜか足元よりも下を覆っている。

 対照的に頭上を見上げると、あるはずの雲が一切見当たらない。それどこから空が近く感じるのだから、もはやこの感覚は恐怖だ。

 トリストン大陸の西側は比較的晴れていたが、東側は曇っていた。イリックはそんなことを思い出しながら、ゴクリと喉を鳴らす。


(じゃあ、ここは……?)


 上や下ばかり見ていても埒が明かない。仮に雲と海を一望できる場所だとして、この場から動かなければ謎は謎のままだ。

 階段を登り切った先は崖のような縁なため、これ以上進むと落下してしまう。振り返り、全貌を確かめることが最優先だ。

 視界に入りきらない光景が、またもイリックに驚嘆の声をあげさせる。

 エムム遺跡と同様の建材を用いて作られた床。

 所々に存在する茶色い地面とそこから生える草木と小さな花々。

 視界の左右には下り階段。

 そして、五分程度歩くと辿り着ける正面には、巨大な遺跡があちこちに緑色のツタをまといながらも仰々しく鎮座している。

 ここはそこで終わりではなく、上から眺めた場合、この遺跡を中心として円を形成している。

 北東、南東、南西、北西の方角には小さな離れ小島が寄り添うように浮いており、対照的にイリックが立っているここは人工物としてはありえないほど巨大だ。トリストン大陸の内陸に点々と存在する村々に匹敵するサイズは、そういう意味においても空に浮かぶはずがなく、しかし、背後の風景がそれを肯定している。

 この地は人間が辿り着ける最終地点。その名はスカーティア。

 かつて栄えた人間達が足を踏み入れるも、その果てに自分達を滅ぼした最悪の楽園だ。

 一万年の時を越えて、今を生きる二人の人間もまた辿り着く。

 二つの側面を有するこの地は、どちらの意味においても禁忌に他ならず、それでも手を伸ばしてしまうのが人間の業だ。

 勝つか負けるか。

 生きるか死ぬか。

 滅ぼすか滅ぼされるか。

 出会えるか出会えぬか。

 どちらにせよ、二人の人間が訪れてしまったことは紛れもない事実であり、先行する者が殺戮を楽しもうと、追いすがる者が間に合わずとも、ここよりさらに高い場所から見守る存在にとっては瑣末な成り行きでしかない。

 地上では味わえない静けさが少年の体を包み込む。

 歩き出したその一歩は、両者の距離を確実に縮ませる。

 男と女の最後の戦いが、ついに始まる。



 ◆



 このような場所が存在するとは、露にも思わなかった。どんな記録にも記載されていなかったのだから、子供でもない限り想像すらしない。

 一年中吹雪くヴァステム渓谷には古代人の遺跡が埋もれており、そこには彼らの知識が集約されているのだが、保管されている古書や端末をもってしてもこの地に関する情報は見当たらない。

 それ以前に、足がかりとなるエムム遺跡についてすら多くが伏せられていたのだから、もはや自分の目と足で調べる他ない。

 リインは歩く。

 見たことも聞いたこともないここは雲よりも高い高度に浮かんでいる。地上で生きる人間達ですら一度も目撃したことがないということから、消えない雲に隠されているのか、結界の類が張られているのか、それすらも想像の外だ。

 浮いている。この事実は揺るがなく、その中心に存在する一際大きな建物の中を彼女は前進している。

 驚くべきことに、なぜかモンスターが闊歩している。

 顔が大きく、一方で胴体や手足が非常に小さなそれらはトリストン大陸にも少ないなりにも生息しており、赤と茶、黒の三色で彩られたそれらはいかにも凶暴な顔つきから人を襲う。分類としてはゴーレムの親戚に当てはまる。遠方からでの冒険者の魔法を感知し、襲い掛かる厄介なモンスターだ。

 もちろん、リインにとっては掃討など造作もなく、行く手を遮る固体などついでのように焼却する。

 神殿の中は見た目以上に広く、灰色のような色合いの石で建設されたここは、開けたフロアと小さな広間を廊下のような道で繋がれており、時には上へ、時には下へを繰り返して前進する。

 数十分ほど歩き、彼女は最奥ではないが重要な場所に足を踏み入れる。

 ここまでの道中において、不衛生な場所はほとんど見当たらなかった。長年放置されているのだから手入れなどされていないにも関わらず、しかし、一万年という時間の流れを感じさせない。

 壁や柱が部分的に欠け、床にもひび割れた場所は見受けられたが、老朽化と呼ぶには少々おこがましい。

 まるでモンスターが自分達の縄張りだけは清潔に保っているかのような道のりだったが、リインが辿り着いた場所はそういう次元とは一線を画す。

 神殿の上層に位置するか、空中遺跡の内側なのか、それすらもわからないこの場所は、劇場のような広さと優雅さを両立させており、エントランスから一歩足を踏み入れれば、客人はたちまちその雰囲気に飲み込まれる。

 照明の類はどこにも見当たらないが、フロア内は白い光で満たされ、ここも同じ建材が使われてはいるものの、漂う空気感は全くの別だ。

 何十歩か進むと、そこからはなだらかな下り坂が始まる。階段ではなく、その曲線は人工物とは思えないほど美しい。急坂ではないため、勾配を感じながらも足への負担にはならず、彼女はカツカツと前へ突き進む。

 フロアの天井はただただ高く、リインでさえ垂直跳びでは届かない。

 横幅も負けじと広く、神殿内部にこのような空間があること自体が違和感の塊だ。

 そう。奥行きもまた遠く、床に何があるわけではないが、最奥には見知らぬ装置が点々と立ち並んでいる。

 ここは古代人が作ったと思われる遺跡だ。トリストン大陸のそれと同様、そういったマジックアイテム紛いの何かがあろうとリインはさして驚かない。

 神から提供された英知によって、ある程度の解析すら可能だ。空に浮かぶここについても、いずれは手中に収めるつもりでいる。

 だが、今はそれよりもやることがある。

 盤面には小さなボタンらしきものが立ち並んでおり、その上には文字情報や映像を表示させる装置が設置されている。

 そして、それらを操作する人間が遠方からでも二人確認できたのだから、話しかけ、問いただすことが最優先事項だ。

 彼らもまた、背後から接近する足音によって振り返る。

 服装が今を生きる者達にとっては珍しいことを除けば、外見そのものはほとんど同類だ。

 しかし、明らかに異なる。そんなことは誰であれ一目瞭然だ。


「その耳。その首。もしかして生き残り?」


 リインの言う通り、彼らを成す造形は一部が自分達とは似て非なる。

 先ず、耳が上向きにやや尖がっている。

 第二に、首が長い。彼らのそれは彼女よりも倍近くは長い。

 第三に、これは個人差が大きいため一概には言えないのだが、彼らの背丈はすらりと高い。少なくとも、リインやアジールよりも顔一つ分は長身だ。

 それに伴い手足も細いなりに長く、そういったことを除けば二人は純然たる人間と言える。

 だが、これら身体的特徴がリインにある考えを抱かせる。

 この二人は一万年前に滅んだはずの古代人、その末裔だ、と。

 そもそもここは彼らの遺跡だ。元来の住人でなければ辿り着けない領域であり、消去法でそう結論付けることができる。

 身に着けている衣服も珍しい。ガーウィンス連邦国の研究者達が愛用しているローブのようにも見えるが、だぼっとしたその服は黒色と灰色が交互に並べられており、ズボンもだらしないほどにぶかぶかだ。

 リインは人里を練り歩くことは少ない。真っ赤な髪と目が人目を惹きつけることを毛嫌いしているということもあるが、そもそも人間など好いてはいない。

 ゆえにファッションというものには疎いのだが、それでもなお、彼らの服装は初めて見る種類だ。

 以上から、装置と向き合っていた二人について推測する。

 古代人。

 そうであろうとなかろうと、これからやることに変わりはないのだが、先ずは答え合わせから始める。


「――あぁ、言葉が通じるはずないわね」


 この事実からも正解が導ける。

 今を生きる人間と、一万年前に栄えた人間とでは、言語体系が異なる。だからこそ、古代人の遺跡について解明が進んでいないのだが、この瞬間、リインの脳裏に違和感のような何かが浮かび上がる。


(同じ言葉を話すモンスターがいるのはなぜ?)


 モンスターの中には知能が高い種族も少なからず存在している。彼らの多くは独自の言語を用いるのだが、なぜか煉獄からの訪問者は人間と共通の言葉を話す。

 ゆえにコミュニケーションすらも可能なのだが、その事実がどれほど異常なことかと、今になって思い知らされる。

 同じ人間同士であろうと、時代が違えば会話が成り立たない。

 にも関わらず、異世界の異形とは意思疎通が可能という事実。

 ありえない。

 気持ち悪い。

 冷静に考えれば、これほどに異常なことは存在しえない。

 だが、事実だ。受け入れるしかない。

 この瞬間、彼女の中にわずかな揺らぎが生じてしまうのだが、それは己自身にもわからないほど小さく、今は二人の挙動に注視する。


「――」

「―――」


 長身の古代人達は、何かを相談するかのように顔を突き合わせ討論を開始する。

 当然だろう。一万年の年月を越えて客人が訪れたのだから、この状況は容易に彼らを困惑させる。

 リインは最後まで知ることはなかったが、この二人は末裔などではなく、リイン以上の時間を生き続ける不老の長寿だ。

 空に浮かぶこの人工島を訪れて以降、死ぬこともなく悠久の時を生き続けるその理由はただただシンプルだ。

 リインとは異なる手法で永遠の命を手に入れた。

 不老ではあるが不死ではなく、そういう意味ではいつでも自害はできるのだが、彼らは与えられた使命を果たすために、いつまでも生き続けることを選択する。

 そう。古代人の生き残りに分類される彼らもまた、リイン同様、神に選ばれし者達だ。

 なぜなら、ここは神の世界に通じる唯一の場所であり、人間にとっては禁忌の地に他ならない。

 そんな場所に縛られる彼らは、まさしく厳選の果てに生き残ることを許可された僕そのものだ。

 神の手駒。そういう意味では、彼らと彼女の立ち位置は重なる。時代を越えて巡り合えたのだから、言葉の壁を越えて分かり合うべき間柄と言えるだろう。

 だが、両者は決して相容れない。与えられた使命が異なるからだ。

 一方は人間の抹殺を任され、もう一方はここの管理および侵入者の排除を言い渡されている。

 つまり、出会ってしまった以上、戦闘は避けられない。

 やや老け込んでいる男が短い白髪を揺らしながら小さく頷く。

 方針が決定した瞬間だ。

 もう一人の男は髪が茶色く、女性のように長い。大きな耳は隠れておらず、鋭い眼光もまた、隠すつもりなどない。

 本来ならば歓迎すべき来訪者へ右腕を伸ばし、手のひらを広げる。

 リインとて、雰囲気から察することは可能だ。この仕草が拒絶を意味する、と。

 止まれという合図か、攻撃の開始か、それはこれから体験する。

 次の瞬間、彼女は自身の体に何が起きたのか知ることもできず、その魔法を全身で浴びてしまう。

 完全なる消失だ。

 頭。

 胴体。

 右手。

 左腕。

 右足。

 左脚。

 ありとあらゆる部位が、何の前振りもなく消えてしまう。

 正確には、両足首だけが茶色い靴と共に残っている。切断面のような部分はグツグツと煮えたぎっており、つまりは全身を覆うほどの業火で焼かれたということだ。

 カランと甲高い高音がフロアに鳴り響く。消失を免れた指輪が、床へ落下したからだ。

 リインをもってしても反応できなかった。

 高い魔力に起因する超常的な魔法防御ですら耐えられなかった。

 彼ら古代人の魔法はそういう次元に位置する。

 今を生きる人間は知ることのないことだが、古代人と呼ばれる種族は紛れもなく人間そのものだ。違いなど、外見以外には数える程度しかない。

 特徴的な耳や長い首といった身体的違いは生じているが、人間というカテゴリーに属する。

 最大の差異は、魔法に関する才能だ。

 この時代にも、リインやシャルロットといった単身で軍隊に匹敵する魔法使いが存在するものの、平均値で比べた場合、彼らには遠く及ばない。

 古代人。正しくは、第二世代の人間。この人種は、魔法の扱いを非常に得意としている。

 先ほどリインに放った魔法は単なるフレイムなのだが、彼らが使えば必殺の破壊兵器に昇華される。

 古代人は全員が魔法を習得する。その反面、それ以外は一切使えず、すなわち戦技というものを伝承でしか知らない。

 そう。魔法を極め、一時代を謳歌した彼らもまた、現代の人間同様、過去の歴史を解き明かそうとした探究者だ。

 古代人は第二世代の人間、つまりは、その前がいるということになる。

 それこそが、神が最初に作り出した人間だ。

 姿形は現代人と変わらない。

 男と女で構成され、温厚な者から荒々しい者まで、多種多様な性格をしていた。

 最も違う点は、彼らは戦技しか習得できなかったことだろう。

 魔法は魔物、すなわちモンスターだけの技法であり、それゆえ魔法と呼ばれるのだが、戦技と武器防具で戦うための準備を整えた人間達は、そんな異形相手に互角以上の戦いを続ける。

 古代人および現代人では成し遂げられなかった成果として、最初の人間達はモンスター相手に優勢を保つことに成功する。

 つまりは、広大なこの地において、数で劣る彼らは卓越した戦闘技術で頂点に君臨してみせる。

 ゆえに平和な時代を享受できたはずなのだが、一度火のついた闘争本能は決して鎮火されず、ついには人間同士の争い、戦争を勃発させ、そこにモンスターも介入するのだから、ウルフィエナは地獄のような世界に成り果てる。

 人間対人間。

 国対国。

 どちらが勝とうと、低下した戦力が仇となり、最終的にはモンスターが甘い汁をすする。

 そんなことが各地で繰り返され、それでもなお、人間は争うことを辞めなかった。

 そして、地上からは人間が消え去ってしまう。

 この結果は自業自得かもしれないが、創造主の一人は涙を流し、もう一人は満足そうに微笑む。

 男神ロイロル。

 女神ネゼオル。

 両者の立ち位置は対極的だ。

 ロイロルは人間を愛し、ネゼオルは憎んでいる。

 そもそもの前提として、人間は二人の神によってウルフィエナに産み落とされている。

 にも関わらず、女神はそれらに愛情を向けることができないばかりか、憎悪を抱いてしまう。

 その結果が、人間という種の滅亡を二度繰り返させたとも言えるのだが、三度目が発生するか否かは、たった一人の冒険者が神の使徒を討伐できるか否かにかかっている。

 人間。動物や昆虫とは異なる種族。高い知能を持ち、道具を扱える希少な生き物だ。

 モンスター。動物や昆虫とは異なる種族。知能の幅は広く、姿形も千差万別だ。

 似ているようでこれっぽっちも似ていない両者だが、出会えば殺し合う運命に縛られている。

 だが、リインが遭遇した二人は世代は違えど同じ人間だ。

 それぞれの生きる理由が両者の共存を良しとせず、古代人の魔法によってリインはあっさりと殺されてしまう。

 第一世代。

 第二世代。

 第三世代。

 三種類の人間には各々特徴が存在する。

 神にとっての一作目は、男神をベースに作られている。容姿という意味ではなく、内に宿す技能がそれに該当する。

 戦技。神が作り出した神秘。これを作り出した存在こそが男神ロイロルだ。

 第一世代の彼らは戦技と高い身体能力を活かし、モンスターの討伐に明け暮れる。

 それだけに留まらず、神の存在にも気づいており、空に浮かぶ建造物、スカーティアを建設したのも彼らの業績だ。

 だが、人間達はそこで踏みとどまる。神の扉を開く行為がどういうことか、察することができたからだ。

 なにより戦いを好む本能がそれを良しとせず、その後も戦の中に身を置き、破滅へと至ってしまう。

 自分達の子供とも言うべき人間が滅びたことで、男神は涙を流して悲しむ。

 女神はその姿をしのび、再度協力して新たな人間を作り出す。

 第二世代。今は古代人と呼ばれる彼らは、前作とは異なり女神を礎に設計されている。

 魔法。神が作り出した神秘。これを作り出した存在こそが女神ネゼオルだ。

 ゆえに古代人が要する魔力は現代の人間よりも非常に高く、親和性の高さがそうさせるのだが、それでもなお、長き繁栄の後にその姿を地上から消し去ってしまう。

 彼らが滅びた理由は大きくわけて二つある。

 モンスターの台頭による駆逐と、破滅への誘導だ。

 二作目の人間には当然だがいくつもの改良が施されている。

 戦技ではなく魔法の習得。

 性格の穏和化。

 知能の向上。

 第一世代の失敗を繰り返さないための施策だが、欠点を解消するにあたり、新たな弱点が露呈する。

 戦闘力、すなわち身体能力の低下および高すぎる知的好奇心だ。

 これらにより、古代人は滅びの道を辿ってしまう。

 以前の人間はモンスターと互角以上に戦えたが、今回はそうもいかず、その結果、異形の化け物は台頭し、人口は急激に減少する。

 きわめつけは空の遺跡だ。ここには神の世界にアクセスするための扉が隠されているのだが、彼らはそれに手を伸ばしてしまう。

 自分達こそが神に選ばれし存在だ。無知ゆえの好奇心と慢心、驕りがそうさせたとも言えるが、どちらにせよ、禁断の果実を口にした者の末路は破壊兵器による掃討へと繋がる。

 神の扉。これの存在を最も危惧する人物こそ、女神だ。

 たかだか人間程度に自分達の世界を汚されたくはなく、ゆえに彼女はそこに罠をしかける。

 神の扉を開こうとした種族は、自分達の手で破滅する。

 絶対的なこの呪いは成立し、一万年前、彼らはスカーティアを用いて地上の同胞達を完全に消し去ってしまう。

 その際にモンスターも大多数が死に絶えるのだが、今では再び世界地図を自分達の勢力図で塗り替えようとしている。

 こうして人間は二度にわたり滅びるのだが、男神はある条件と引き換えに、女神と再度人間を作り出す。

 そして、今を生きる彼らの時代が始まる。

 戦技と魔法を宿す第三世代の人間は、そういう意味では過去の経験を元に設計された新種だ。

 モンスターがひしめく危険な世界に生を受けた以上、殺されながらも生きることを諦めはしない。

 力強い意志を宿す子供達の繁栄は、見守る者からすればどこまでも心地よい。

 だが、歴史は繰り返すように、いつかは神の扉に至ってしまうかもしれない。

 そう危惧した男神は、ある秘策でそれを回避してみせる。

 これこそが女神との取引であり、我が子の滅亡を避ける最良の手だ。

 神の扉を隠す。

 この案は女神にとっても願ったり叶ったりと言える。二人だけの世界に邪魔者など不要なのだから、それさえ隠ぺいしてしまえば、知能を高めた人間がそこに至ろうと神の世界に足を踏み入れることはできない。

 男神は人間に生き続けて欲しい。

 女神は人間から神界を伏せたい。

 どちらの願いも成就するのだから、取引はあっさりと成立する。

 こうして第三世代の人間は産み落とされ、同時に滅亡の可能性を摘み取られる。

 だが、女神は諦めてなどいない。

 人間の滅亡など、いかようにも可能だと気づいており、そのための手段を、種を植えるように次々と仕込んでいく。

 マンイーター。人間同士を殺し合わせる短剣。これは非常に効率の悪いやり方だが、神界から眺める分には愉快な出し物だ。

 もちろん、これだけではない。

 煉獄との接続。モンスターの数を増やすことで、人間という種の駆逐を加速させる。申し分ない手段に思えたが、このやり方は足踏みを強いられている。人間とて、やられっぱなしでいられるほど大人しい生き物ではないからだ。

 そして、現状最善手と思われる手段がリイン、彼女そのものだ。

 建国されたばかりのガーウィンス連邦国において、偉大な初代神の名代の後釜として選出された女の子は、その存在を公には披露しないがために宮殿へ幽閉され、日々を業務に費やされる。

 それ自体は苦ではなかったのだが、先代と比べられると大きく劣る魔力がプレッシャーとなって彼女に重く圧し掛かる。

 そこに目を付けた女神が、一人目同様、神の力を与えるのだが、今回はそれだけに留まらず、それ以上を植え付けることでより大きな使命を押し付けることに成功する。

 人間の抹殺。

 一国の元首以上に重荷と成りうる勅命は、リインに新たな生き方を提示する。

 事の重大さをストレスではなく喜びと解釈した彼女の心は、透き通るように晴れ渡る。

 リインはその後失踪し、トリストン大陸で暗躍を始めるのだが、その行き着く先が空に浮かぶ人工島だ。

 スカーティアはただの遺跡ではない。神の扉を有すると同時に、地上を焼き払う破壊兵器でもある。

 扉の守護を任命された古代人の生き残りと、その後に産み落とされた人間の掃討を目的とするリインは、そういう意味においても同胞だ。

 どちらも背後には女神がいるのだが、出会ってしまえばやることはシンプルに殺し合いとなる。

 魔法の扱いに特化した彼らは、身体能力という意味では第一世代の人間に劣るが、それを補えるだけの魔力を有している。

 それを証明するように、業火の塊はリインという超越者を跡形もなく焼却した。もはや、古代人の実力は疑いようがない。

 老人のような男と、長髪の男は顔を見合わせる。

 我々の勝利だ。

 侵入者の排除は完了だ。

 もっとも、この地に踏み込まれたことが異常事態なのだから、今からそれの調査を開始しなければならない。

 スカーティアを守り続けて早一万年。非常に退屈な日々であったが、彼らはそれを苦痛とは思わず、今回もこうして淡々と任務を遂行してみせる。

 女神から付与された呪いがそうさせるのだが、決して完全なる操り人形などではなく、リイン同様、自由意志は持ち合わせている。

 万を超える同胞達の頂点に立つことができたという誇りと、信仰の対象だった神から使命を与えられたのだから、彼らは自分達の驕りをさらに増徴させて、肥大しきったプライドの中に浸っている。


「―――」

「――」


 二人は空の上から人間を観察してきた。自分達とはわずかに異なる姿、戦闘形式、文化は眺めていて飽きないが、リインという異物には気づくことができなかった。

 違和感のある魔力を帯びてはいたが、あっさりと消し去ってしまった以上、今となっては調べる術など残っていない。

 そう思った矢先のことだった。


「――!?」


 一万年の歳月を越えてきた彼らとて、この光景には言葉に詰まる。

 焼却したはずの人間が、わずかに残った足首から己の体を復元し始めたのだから、何をしているのか理解などできない。

 もちろん、回復魔法を越えた治療、もしくは蘇生に他ならないが、この現象は古代人にとっても常軌を逸しており、一万年振りの訪問者が只者ではないと再認識させられる。


「ここを独占したいのならそうはさせない。私が所有するのだから」


 肌色の全身だけでなく、黒いワンピースと赤い髪も復元し終えた女が、出来立ての口で宣言する。

 この遺跡は自分のものだ、と。もちろん、でまかせでもなければ願望でもない。確固たる意志と共に実行するつもりだ。

 挨拶代わりに殺されてしまったが、彼女にとっては些末な出来事でしかない。膨大なマジックポイントがわずかに減少したものの、今後の活動に支障すらでない。


「神に選ばれし私を邪魔立てするのなら……、排除する」


 それが例え貴重なサンプルに足りえる存在であろうと、今となってはどうでもよい。捕らえ、実験し、最終的には解剖したいという気持ちもわずかに湧き起こるが、それ以上に殺意が勝る。

 リインと古代人が戦うということは、もはや共食いにも似た状況だ。種としては避けるべきであり、それでも必要とあらば犯さざるをえない。

 この三人は背負っているものが異なるため、こうなることは必然だ。

 やられたらやり返す。有言実行の精神で、女の周囲に青い火の玉が一斉に咲き誇る。

 美しくも危険な揺らめきは、眼前の障害を排除するための圧倒的な殺意そのものだ。

 彼らとて、このような魔法は見たことがない。古代人はテレポートを編み出せるほどに優れた技術力を有している。それでもこの魔法、燐火など知る由もなく、驚くように目を見開いて眺めることしかできない。

 そして、青い炎と赤い炎がぶつかり合う。

 排除するため。

 排除するため。

 どちらの目的と画一的に同質だ。ここから相手を消し去りたい。

 そのための魔法合戦が、白い光が充満している殺風景なフロア内で勃発する。

 もちろん、勝者はやる前から決まっている。条件が異なるのだから、不公平どころの話ではない。

 それは数で補えるものではない。

 魔法に関する素養だけでもまだまだ足りない。

 不老という特性も、短期決戦の殺し合いには無用の長物だ。

 不死。これを有する者が勝つに決まっている。

 空の上から地上を見下ろす彼らは、こうしてウルフィエナから排除される。

 悠久の時を過ごそうと、最後はあっけない。

 だが、永劫の呪縛から解放されたこともまた事実だ。

 敗北および死など望んではいなかったろうが、神から課せられた抗えない宿命からの脱却には成功したとも言える。

 リイン。神に選定されし女。

 生き残ったこの人物は、彼らの呪いを背負い、今後も生き続ける。

 それが未来永劫続くのか、人類の滅亡と共に終わりを告げるのか、はたまた今日途切れてしまうのか。

 それはこの地に降り立った二人目次第ということになる。

 スカーティア。

 空に隠された浮き島。

 人間によって建造されたここは神の世界に最も近く、大地からは随分と遠い。



 ◆



 円形のここは巨大な都市のようであり、中央には一際大きな神殿が君臨している。

 茶色い地面からは草や花が芽吹いており、少年はそういったことに興味はないが、今回に関しては目を奪われる。

 ここは古代人の遺跡と同質、もしくは近しい建材で作られている。それを裏付けるように、足元を覆う床、ところどころが崩れている壁、外周付近に並ぶ細長い建築物達、そういったものはどれも紫色をわずかに宿した灰色をしている。

 イリックは歩く。中心に君臨する、最も目立つ建物を目指す。

 この地に辿り着いて先ず驚いたことは、こんな場所があったということだろうか。

 次いで、ここの大きさとこんな場所が維持できているという事実に面食らう。

 人間は見当たらないが、モンスターは生息している。

 茶色い機械人形。全長は人間より二回り以上は大きく、胴体や腕だけが太いそれらはくぼんだ壁の中にずらっと並べられている。

 動かないことから単なる飾りにも見えなくはないが、これらはここを警備するための存在だ。イリックの本能と冒険者の勘がそう告げており、むやみに近づくことはしない。

 今はただただ前進する。

 空に浮かぶ遺跡には、探検目的で踏み込んだわけではない。

 あの女を倒す。ただそれだけを完遂するため、少年は装備を整えここに舞い降りている。

 背中には銀色の剣身が美しいミスリルソード。新品ゆえ、その輝きは一品だ。

 腰には湾曲した刃の短剣、マンイーター。今回の戦いにおける切り札であり、実はリインをデフィアーク共和国へ誘った張本人でもある。女神の使命を帯びる者同士、惹かれあう。つまりはそういうことだ。

 色あせた茶色の背負い鞄は父親が愛用していたマジックバッグだ。中には容量以上の荷物が詰め込まれており、譲り受けた大量のマジックポーションが出番はまだかと待機している。

 羽織るコートは炎のように赤く、この少年専用の防具と言っても過言ではない。ブレイズマーシャラー。火の大精霊から提供された生地によって製作されたこれは街中では少々目立つが、若者向けのピーコートゆえ、着こなすことができれば田舎臭さは相殺できる。

 イリックは歩く。

 冒険者として、随分と様々な土地を冒険してきたが、その範囲が空にまで及ぶとは夢にも思わず、しかし今は寝ているわけでもなければ気絶中でもない。

 牧歌的な雰囲気さえ漂うここはそれでもなお神秘性を失っておらず、自分一人で独占してよい景色ではないと再認識しながらも、今だけは興奮を抑えられない。


(空に浮かぶ遺跡……。なんて名前にしよう。まぁ、俺がつけるわけじゃないか)


 命名権の主張は可能だ。冒険者として、初めてこの場所を見つけ、練り歩いているのだから、当然の権利と言える。

 だが、そんなことをしたいがために冒険しているわけではなく、名づけ親になったところでこれといった得はない。


(とりあえず、空って呼ぼう)


 イリックのセンスでは素敵な名称など思い浮かばず、暫定でそう名付ける。

 仲間内、もしくはここを知ることになる関係者との会話においては事足りるだろうが、事情を知らない第三者からすれば意味不明な単語だろう。


(――さて)


 ここはスカーティア。住民が排除されたため無人になりかけるも、今は二人の訪問者によって独占されている。


「どうやって来たの?」


 女は問いかける。ここは自分だけの施設であり、邪魔者の存在は許さない。


「おまえと同じ方法に決まってるだろ」


 少年は歩みを止める。先ほどから正面に捉えていた女がこちらに気づき、赤い瞳を向けてきた以上、今は一定の距離を保つ。


「しかし、すごい場所だな。景色も絶景だったし。おまえを倒したら、みんなを案内しないとな。ところで、ここで何を企んでる?」

「人間の抹殺」

「またそれか……。芯は通ってるし、わかりやすくていいんだけども……。いや、よくないけど」


 リインは比較的無口だが、訊かれたことにはある程度答える性分だ。伏せることも多々あるが、高いプライドが隠すという行為を許容しない。

 二人が遭遇した地点は、巨大な浮き島の中央に位置する神殿の入り口、その手前だ。

 そこは大きな口を開いて客人を歓迎しているが、リインは既に用事を済ませており、イリックとて目的はこの女だ。

 両者の立っている場所は広場のように何もなく、左右へ少し進めば下り階段と草木が生い茂る場所に出くわす。

 硬い床は相も変わらず灰色のような紫色をしており、冒険者が軽く踏みつけたところで砕けない程度には頑丈だ。

 二人の会話が途切れたことで、周囲は物静かな雰囲気に包まれる。

 ここ、スカーティアは雲よりも上に位置することから、空気が非常に薄い。それでもそう感じさせない工夫が施されており、この地を覆う障壁がそれを実現している。

 無色透明な結界はもちろんそれだけのために張られてはおらず、地上からの目視を防止することと、さらにもう一つの作用をもたらしているのだが、両者がそれを知るタイミングはもう少し先だ。

 イリックはゆっくりと頭上を見上げる。いつもより広く感じる上空は、どういうわけか普段よりも色濃く感じられてしまう。

 どこまでも続く深遠の黒が近いためだが、そのような仕組みを知るはずもなく、見慣れない空に感心しながらも、再度正面を見据え直す。


「今朝はよくもやってくれたな。今後もあんなことを続けるつもりなんだろうけど、そうはさせない」


 目を覆いたくなるような大量虐殺は数時前の出来事だ。それを実行した人物が目の前にいるのだから、少年の静かな怒りは人間として正しい。


「絶対にぶっ倒す」

(と言いつつ、どうせ逃げられるんだろうな。どうしよう)


 声高々に宣言したものの、建前と本音は別だ。

 仮にリインを追い詰めることができたとしても、今朝のように転移魔法で逃げられるのがオチだ。それを避けるための手段までは講じておらず、理論上はいくつかあるのだが、今のイリックには実現できない。

 その一つが相手の魔法を封じる弱体魔法、セクレンスだ。しかし、リインの高すぎる魔力がそれを寄せ付けず、可能とする後衛補助役の目星はついていない。

 他の方法として、マンイーターで追い込みをかけ、テレポートレムに必要なマジックポイント未満まで残量をいっきに減衰させる。これができれば、リインは逃亡手段を失うことになる。

 だが、この女がそんなヘマをするとは思えず、イリックとしては前者か全く別のやり方を模索するしかない。残念ながら見つからないままここまで辿り浮いており、とは言え、はったりであろうと力強く粋がることを選択する。


(あ、そういえば……)


 そして、イリックは思い出す。

 今朝の出来事だが、リインがテレポートレムで逃亡した際、それを追うようにわずかな魔力の残滓が線となって視認できた。

 距離感までは掴めないが、方向だけは正確に知ることができるため、もしかしたら追跡が可能かもしれない、と少年の中にわずかな希望が芽生える。


「悪いんだけど最後に一つだけ教えてくれ。なんでそこまで人間を殺したがる?」


 この問いかけは独り言に終わる。リインはこの問答にイライラしており、沈黙をもって返答としたからだ。


「そうかい。まぁ、いいや。んじゃ、ここからは黙って戦おう」


 イリックとて理解している。全てを聞き出せればそれがベストだが、そうであろうとなかろうと、目的は完遂せねばならない。

 リインの討伐。

 これを成すために後を追ってここまで来たのだから、合図を待たずに始めてしまえばよい。

 イリックは背負っているマジックバッグを右へ投げ捨て、その手でミスリルソードを抜き取る。

 左手はそのままだ。時期尚早と判断し、あえて短剣を握らない。

 相対するリインは構えにすら移行しない。元から素手な上、近接戦闘の嗜みなどないのだから、自然体が彼女のベストだ。

 静寂に包まれる中、男と女の視線が激しくぶつかり合う。どちらも目的は共通な以上、意思の疎通はこれだけで事足りる。


「コネクト」

「コネクト」


 何度も手合わせした間柄だ。今更出し惜しみする理由などなく、両者は最大火力で相手を迎え撃つ。

 詠唱の完了と共に、小さな音に満ちていた遺跡から、音が完全に消し去られる。

 緑色の草や茶色い樹木、白や黄の花びらが一斉に灰色がかり、濃い青をした空も雨降り直前のような色艶だ。

 時間が停止する。

 コネクトという神秘の副産物でしかないが、絶対的名なこの現象はあらゆる状況をも覆す万能さを有している。

 だが、今回に関してはその恩恵を享受することはできない。イリックがこれから立ち向かう相手もまた、この静止した時間に順応できているからだ。

 それでもなお、経験値の差と呼べばよいのか、それとも冒険者という人種が優れているからか、これから訪れる特別な三秒と、その後に続く一秒置きの時間停止は少年にとってかけがえのないチャンスとなる。

 先手はイリックだ。駆けると同時に、まだまだ離れた位置にも関わらず、握り締めた銀色の剣を大きく振りかぶる。

 その動きはリインにとっては想定外だったが、その後の結果も彼女にとってはやはり意味不明だ。

 鉄よりも遥かに丈夫な武器がビュンと放り投げられたのだから、驚きはせずとも思考を乱さずにはいられない。

 大事なはずの片手剣を本来の用途に用いないばかりか、早々に手放したこの人間の思考などこれっぽっちも理解できず、何よりこの攻撃は成立しないのだから愚の骨頂のはずだ。

 そう。コネクトにより時間が停止すると、とある攻撃はその意味を果たせなくなる。

 遠距離攻撃。イリックなら水の武器の発射、リインなら青い炎がこれに該当する。今回で言えば、片手剣の投擲も同様だ。

 時間が停止している間も、イリックとリインは行動可能だ。しかし、その手から離れた物体は静止の影響を受けてしまうため、攻撃魔法の類は発射直後は前進するも、途中ですぐに止まってしまう。

 ゆえに、槍投げのように放ったミスリルソードが、対戦相手の正面でピタリと停止するのも至極当然の結果だ。

 水の武器を作り出せるとはいえ、物理的な片手剣が意味を成さないわけでもなく、人間を斬るという役割なら十分過ぎるほど果たせる。

 にも関わらず、そして届かないにも関わらず、イリックはそれを手放した。

 リインからすれば、武器の投擲に失敗したとしか思えない。現に届いていないのだから、もう少しだったとは言え、愚かな失策だ。

 だが、この結果は百も承知、完全に織り込み済みだ。コネクトを習得してもうすぐ一年が経とうとしている。その特性を理解していないわけもなく、リインよりも経験豊かな少年にとって、この状況は作戦通りでしかない。

 目的はただ一つ、相手にわずかな隙を生じさせればよい。

 ぎょっとするのか、驚くのか、はたまた唖然とするのか。どれであろうと構わなく、一瞬でも思考を停止させることができれば、一手目は大成功だ。

 時間や片手剣が停止したその世界で、イリックは自身が放ったミスリルソードとリインの左側をさっと追い越す。

 このための布石だ。遠距離攻撃が成立しないのなら、接近戦以外にありえない。

 今回、イリックは二本の武器を携帯している。

 ミスリルソードとマンイーター。

 ゆえに一本を手放そうと問題なく、そもそも本命は後者だ。追い越しざまの一撃は女の腹部から右脇腹にかけて、深々と切れ込みを作ることに成功する。


「何……、これ?」


 損傷など意味を成さない。そのはずだった。

 リインは痛覚すら止めている。

 傷なら癒せば良い。

 死に至ろうと、蘇るだけだ。

 事実そうなのだが、今回に関しては困惑せざるをえない。

 細腕でその部位に触れると、手のひらは真っ赤に染まる。流血がそうさせるのだが、問題の本質は別だ。

 刃物で斬られたということは認識できているのだが、自身に何が起きたのかまでは理解できない。

 当然だろう。魔法を使ったわけでもなければ、生き返ったわけでもない。

 にも関わらず、マジックポイントが減少したのだから、冷静沈着なリインであろうとその事実にためらいを覚える。

 それは彼女にとって、魔法のエネルギーという意味合い以上を持つ。蘇生の際に用いる命の源泉なのだから、無為な消耗は避けなければならない。

 だが、何もしていないにも関わらず、わずかに減ってしまう。

 否。斬られたという事実を関連付けることはできており、少なくともタイミングが合致しているのだから、そう考えることが自然だ。

 立ち尽くす女は茫然としており、後姿は無防備極まりない。

 もっとも、この状況すらもイリックにとっては筋書き通りと言える。むしろ出来過ぎなくらいだが、冒険者とそうでない者が戦えば、本来ならばこうなってしかるべきだ。

 追い越した後、すぐさま反転。同時に状況把握を終えた少年は、真っ赤な髪が生え揃う後頭部へ左手の凶器を深々と突き入れる。

 この瞬間、リインは絶命するのだが、マジックポイントは二つの理由で消耗させられる。

 先ず、蘇生のための対価として。

 そして、この女を倒すための武器が効果を発揮したためだ。

 膨大な保有量からすれば、二度に渡る減少は些末なものではあるものの、そういうことではなく、減ったという事実が非常事態である以上、何かをしているこの人間にこれ以上ペースを握られてはならない。


「何をシテイル!」


 腹正しいが、わからない。ゆえに問うしかなく、反撃を兼ねて振り返りながら右腕を叩きつけようとするも、それ自体は空振りに終わる。

 首筋および長い髪を伝って血液が大量に滴るも、出血の大小に意味などなく、それよりも今は目の前に立つ人間が最優先だ。

 何をされたのか、わからない。それも当然だろう。これを可能とするマジックアイテムなど過去に類を見ない。

 事情を知らないのなら、その人間からすれば、イリックという人間はただただ不気味だ。

 ありえないことを二度に渡って実行したのだから、解明せずには戦闘の続行は不可能だ。

 そう思ってもらえるのならこれ幸い、とイリックは攻撃の手を緩めない。

 そもそもこの時間は自分にとって有利な状況だ。青い炎で攻められないのだから、近接戦を続けるに決まっている。

 赤い瞳に睨まれながら、少年は目の前に水の剣を作り出す。

 時を同じくして三秒が過ぎ去ってしまうが、ここから先は一秒毎に一秒の時間停止が発生するため、戦い方を変える必要はまだない。

 オムニシエンスによる武器の生成。それをこのタイミングで実行する理由はシンプルだ。左手の短剣から注意を逸らしたい、それだけだ。

 頭に血が上っている相手ほど、手玉に取りやすい。イリックの思惑通り、怒気を発する彼女の視線は、鮮やかな造形の片手剣に吸い込まれる。

 そして、彼女の胸部を銀色の刃が背後から貫く。時間が動き出したことで、最初に放たれたミスリルソードが拘束から解き放たれたためだ。

 今回ばかりは不注意だ。リインもそれを痛感しつつ、即座に状況把握を終えてみせる。

 だが、ぎょっとしたことも事実であり、冒険者がその隙を見逃すはずもない。

 間合いは一瞬で詰められ、女は左肩と首の中間地点から真下へ深々と断裂される。水の刃を振り下ろされたからであり、さらには先ほど斬られた左脇腹に短剣を深々と押し込まれてしまう。

 ミスリルソードの貫通。

 オムニシエンスの剣による斬撃。

 この二つでリインは二回分の死を迎える。

 しかし、彼女のマジックポイントを最も減少させた攻撃は、今まさに突き入れられている湾曲した短剣だ。

 迂闊だった。

 斬られた。

 何かが刺さった。そして、それが最も奇怪だ。

 リインの思考は押し寄せる波のように混在し、ぐちゃぐちゃにかき乱される。

 イリックが矢継ぎ早に行動するからだが、本作戦はそれを念頭に立案されている。

 攻撃魔法を活用できないというレアな状況。

 理解できない現象を突きつけ、冷静さを失わせる。

 考える時間を与えない。

 対人戦を専門としない冒険者が行き着いた、対人間用の奇策がこれらだ。

 さらに加えれば、これはリインの自業自得でしかないが、手玉に取られているというゆゆしき事態が彼女を苛立たせ、戦況を悪化させている。


「があっ!」


 とりあえずの反撃など意味を成さない。雄叫びと共に、唯一動く右腕を突き立てに向かわせるも、下がるだけで良いのだから、予測済みのそれを避けることなどこの少年には至極簡単だ。


「目障りナ!」


 翻弄されたくないという心境が彼女をさらに焦らせる。こうなってしまっては、成功の可否などお構いなしに暴れるしかなく、リインは青い炎を四つ作り出し、それをもって反撃を開始する。

 だが、それすらも成立しない。頭上に漂うそれらは一斉に直進するも、その直後に訪れた時間停止が標的への着弾を阻止してしまう。

 一秒という時間はあっという間だが、彼らにとっては長すぎる。半分、もしくはそれ未満でも事足りてしまうのだから、女は自分の失態を顧みながら剣撃を全身で受け止めるしかない。

 水の片手剣は命を両断する。

 銀色の片手剣は命の源泉を削ぎ落とす。

 こうなってしまってはどうすることもできない。リインは回避と防御に徹しながらも、甘んじてイリックの剣撃に身を晒す。

 交互に繰り返される時間停止現象が終了した頃合いに、傷だらけの女は冷静さを幾分か取り戻すことに成功する。

 遅すぎるということはない。彼女の膨大なマジックポイントは元々満タンではなかったが、それでもなお、余りある容量を実現していた。

 今回の猛追によって減らされたことは紛れもない事実だが、残量としてはまだまだ十分だ。

 自分はこの人間をたった一度殺せば良い。

 そのことを誰よりもわかっているからこそ、冴えはじめた頭脳を稼働させることから始める。


「燐火」


 途端、彼女の周囲に十を越える鬼火が灯される。ゆらゆらと揺らめくそれらは顔よりも小さいが、青い色合いはこの世のものではないことを物語っており、一つでも当てることができれば、相手を容易く焼却可能だ。

 この数を展開されてしまっては、戦技なしでは接近することも難しい。イリックは渋々引き下がり、体勢を整えることに付き合う。

 一瞬だが、高高度特有の静寂が二人を包み込む。

 そよ風によって揺れる枝や草達の音色や、バサバサと小さく響く鳥の羽音が聞こえ始めた頃合いに、その女は苦虫を噛みしめるかの如く口を開く。


「左手のそれ……。一体何?」


 斬られただけで、死んだ時と同等かそれ以上の損失をもたらす現象は、紛れもなくこの短剣によるものだ。

 リインは己の体でそう導き出し、正面の人間に回答を求む。


「これ? 教えたくはないんだけど、まぁ、もうばれちゃったか」


 短剣の刃に滴る赤い液体をさっと振り払い、イリックはそれをずいっと見せつける。

 包丁よりは随分と大きく、短剣にしては幅広なそれは直線ではなくやや折れ曲がっており、そこには風を模した紫色の装飾が煌びやかに添えられている。


「マンイーター。名前くらいは知ってるんだろう?」


 イリックの言う通り、リインもその単語を耳にしたことはあるが、今回驚いた理由は別だ。

 この女はそれから漏れ出る弱々しい波動を知っている。

 精霊のものでもなければ、魔法やモンスターでもない。

 当然だが、人間のものでもない。

 だが、知っている。経験したことがある。

 そう。今朝、デフィアーク共和国で感知できた二つの違和感の片割れがこれだ。

 あの時は随分と離れていたため、その正体や居場所を知ることはできなかったが、今ならわかることもある。

 マンイーターからは安心感すら漂ってくる。その理由まではわからずとも、その事実がいかに異様な凶器かを物語っている。


「――呪われた短剣」

「正解。今は全然違う武器になっちゃったけど。そのおかげでおまえを倒せるんだから、いるんだとしたら神様に感謝しないとな」


 神を信じない存在に神という単語を使われることはただただ腹立たしく、しかし、今はこの不可思議な短剣に注視する。


「なんであなたが持っているの?」

「前の持ち主から譲り受けたから。まぁ、半分強奪したようなもんだけど」


 知りたいことはそんなことではないのだが、リインはそこから話を切り出す。


「その効果は何?」

「マジックポイントが減っちゃうこと? 相手を斬るだけでごりっと減らせちゃうんだから、おまえにとっては最悪の相性だよな。そして、俺にとっては切り札だ」


 傷つけた対価として、肉体的苦痛だけでなく魔法の原動力にすら関与できる武器など未だかつて見つかってはいない。

 もちろん、発明など夢のまた夢だ。

 にも関わらず、少年の左手はそれを実現し得る短剣を握っている。

 このタイミングで。

 この場所で。

 この戦いで。

 ゆえに、リインにとっては最悪だ。

 同時に、イリックにとっては希望だ。


「それは何?」

「さぁ? そういうことは、おまえを倒してから頭の良い人に調べてもらうよ」


 具体的な数は不明のままだが、マンイーターを用いることでリインの殺害回数を大きく減らすことができるとイリックは踏んでいる。

 もちろん正しい読みだが、リインは落ち着きを取り戻したことで、この武器の無意味さをゆっくりと理解し始める。

 この状況、一見するとイリックが有利に見えるが、実際は全くの逆だ。

 なんにせよ、規定回数分の殺害を達成せねばならず、今回はそのハードルが下がっただけとも言える。

 一方、リインはたった一度の勝利を掴めばよく、両者の力量差を考えればなんら難しい目標ではない。


「あなたの代わりに私が調べてあげる」


 女は言い終えるや否や、右手を前へ突き出す。会話のおかげで全身の傷はすっかり癒えており、手のひらもまた美しい。


「……そんな動きでわかるのか?」

「ミスリルじゃない」

「へ~。すごいな」


 リインの言う通り、マンイーターの材質はミスリル鉱石ではない。色艶は似通ってはいるが、それだけのことだ。

 どうやって調べたか。

 方法は、同質の物体を引き寄せる力の転用だ。

 リインの胸元には、未だにミスリルソードが突き刺さっている。これとマンイーターを引き合わせてみたが、反応は無し。つまりはそういうことだ。

 では、何なのか。それはわからないが、一歩前進したと言えなくもなく、実際は半歩かもしれないが、どちらにせよ、踏み込んだ調査のためには目の前の人間を排除し、奪う必要がある。

 マジックポイントの不可解な減少理由が判明した今となっては普段通りに戦えばよく、リインは平常心と共に邪魔な片手剣を体から引き抜き、自分達とは離れた場所へ放り投げることから始める。

 硬い床と金属がぶつかりあったことで、甲高い高音が周囲に何度も響き渡るが、そんなことで注意力を散らしてはならない。

 女の反撃が予備動作もなしに実行されるからだ。


「くぅ!? これか!」


 イリックは引っ張られる。行先は炎を展開している女だ。

 見えないロープを巻かれ、大勢に引っ張られるような感覚は今の脚力では抗えないことを痛感させる。

 リインとの距離が詰まるだけなら問題ない。むしろ走る手間が省けるだけだ。そのままマンイーターを突き入れてしまえばよいのだが、今回に関しては焦らずにはいられない。

 女の周囲には自分を燃やそうとしている青い業火達がメラメラと待機している。長身な体に抱き着くのが先か、燐火を撃ち込まれるのが先か、これはそういった危機的状況だ。

 無防備に接近してくる獲物など、単なる的でしかない。そう仕向けたのだから青い炎の発射も予定調和であり、超人ですら燃やし尽くせる燐火を次から次に浴びせてこの一騎打ちに終止符を打つ。

 そのはずだった。


「インビン発動。いっきに終わらせる」


 避けられないのなら受けきるまで。そもそもそれしか選択肢はなく、使わされた感は否めないが、せっかく縮まった距離を無為にするつもりもない。

 蒼い炎を撃ち込まれながらも、少年は健在だ。耐火に優れたブレイズマーシャラーですら燃え始めるが、着ている本人は眼光の輝きを失わない。

 インビンシブル。コネクト中だからこそ使用可能な戦技。アジールが将来習得するこれは、一分間ながらも自身を何よりも強固に保ってくれる。

 斬られようと、射ぬかれようと、殴られようと、燃やされようと、傷一つ負わずに済むのだから、ここからは防御を捨てて攻撃に徹することが可能だ。

 少年の全身から力強い重圧が放たれる。その風力はコートの延焼を吹き飛ばし、あっさりと鎮火してみせる。インビンシブルの使用によるものだが、この状況、実はリインにとって想定の範囲内だ。

 そう仕向けたと言えば語弊があるのだが、相手を殺せずともこの戦技を早々に使わせることができたのなら、それならそれで構わない。

 そういう算段の元、リインはイリックを自身の元に引っ張ったということになる。


「六十秒後に殺してあげる」

「うっ!?」


 この状況、本来ならばイリックが有利なはずだった。

 インビンシブルの発動により引力は消え去ったのだから、ここからは今朝のように一方的な攻撃に転ずるつもりでいた。

 しかし、そうはさせないと女はいっきに間合いを詰め、覆いかぶさるように少年の両腕を力強く握りしめる。

 完全なるゼロ間合い。

 絶対的な拘束。

 こうなってしまっては、身体能力の差が如実に物を言う。

 つまりは、イリックの筋力だけではリインから離れることができない。

 インビンシブルのいなし方など、いくらでも存在する。

 例えば、弱体魔法のグラウンドボンド。これで相手をその場に縛りつければ、切り札は無駄撃ちとなる。

 脚力で勝るのなら、逃げに徹してもよい。攻撃が通用しないのだから、プライドが邪魔さえしなければ最も確実かつ簡単なやり方だろう。

 そして、リインは拘束を選ぶ。グラウンドボンドは使えないため、己の筋力でイリックを押さえつける算段だ。

 女でありながら、そして後衛攻撃役でありながら、対戦相手の男よりもあらゆる面で勝っている。

 だからこそ可能な戦法だ。防御を捨てたイリックは侮れないと、無自覚に認めているとも言い換えられる。


「ぐぅ、アジールさん以上のバカ力だな!」

「馬鹿はあなた」

(そ、そういうことじゃないんだけど! うぐぐ!)


 右腕を左手で掴まれ、左腕の手首を右手で握られ、イリックはじわじわと腰を沈めていく。

 上から押されているだけなのだが、それにすら抗えない。

 吐息が届きそうなほどに女の顔は近く、美人ではあるのだが、今のイリックに劣情を抱けるほどの余裕はない。

 インビンシブルの使用に伴い、肉体への負荷を無視して筋力を高めることが可能だ。

 人間は本当の意味での全力を発揮することはできない。無意識に体への負担を計算し、その手前でブレーキをかけてしまうからだ。

 だが、この戦技はその壁を打ち破ってくれる。あらゆる損傷を跳ね除けるこれが、筋肉や骨への負担さえも肩代わりしてくれるからだ。

 しかし、増加分を加味しても力比べでは敵わない。両者の実力差はこの程度では覆らないからだ。

 両腕が使えないのなら、足がある。

 イリックにもその程度のことは理解できているが、もう遅い。上から押さえつけられた結果、両足は自身を支えるだけで精一杯だ。このままでは臀部が床に届いてしまう。今の姿勢を保つことすら困難だ。


(――だったら!)


 諦めない。

 なにより打開策はまだ残されている。

 それを実行せずに降参するほど、物分かりの良い少年ではない。

 自分が拘束されようと、それこそどんな姿勢であろうと、マジックポイントさえ残っていれば魔法という神秘は使用可能だ。

 コネクトを発動させている今なら、空中に水の武器を作り出すことができる。

 右手が握る水色の片手剣は動かせない。それならそれで構わない。

 新たな武装を追加するだけだ。イリックは自分達の頭上に穂先のうねった槍を作り出し、自身に覆いかぶさる女へ標準を定める。

 仮に自分にも当たろうと、今なら問題ない。

 なにより、そんなヘマはしない。

 自由を取り戻すため。

 そして、この女を殺すため。

 人間よりも大きなそれを、落下させるように発射する。


「無駄」


 リインの発言は嘘ではない。

 眼下の人間を見下ろしているため、イリックの魔法がどう具現化したかまでは把握できておらず、それでも感知できる力強い魔力がその危険性を十二分に物語っている。

 なにより、対戦相手の手の内などお見通しだ。

 このままでは巨大な槍に貫かれ、体をくっきりと抉られてしまう。そうなってしまっては、相手を抑え込むことは難しく、ゆえにそれだけは避けなければならない。

 方法はいくつかあるのだが、リインは最も簡単な手段を実行する。

 奥の手とも言うべきそれは、彼女にとっても危険な行為だ。しかし、今は影響を受けることはなく、相手を封殺するにはうってつけだ。

 それを裏付けるように、女を破壊するための槍が蒸発したかのようにあっけなく消滅する。

 それだけではない。右手が掴んでいた水の剣も主の意志とは無関係に消えてしまう。

 この事態にはイリックも驚きを隠せず、気が緩んだわけではないが、一層深く体勢を押し込まれてしまう。


「ぐぐぐ……! な、何を……。いや、何をしている?」


 他人の魔法ではあるが、絶対の信頼を寄せるそれが動作もせずに消されてしまったのだから、種か仕掛けがあることは明白だ。

 いかに鈍感であろうと、イリックはその答えを全身で感じている。

 眼前の女から、時を同じくして刺々しいプレッシャーが放たれたのだから、関連性を疑わない方が無理な話だ。

 神威とうり二つのこれは、しかし、特性は全く異なる。

 寒気と恐怖と絶望が混ざり合う威圧的な重圧はまさしく神威そのものだが、そうでないことをオムニシエンスの無効化で見せつけられている。


「神歌。人間相手には初めて使った」

「カムウタ? ぐぅ!」


 リインの口から答えを提示されようと、意味までは計り知れない。それでもわかることはある。

 カムウタという何かがそういったことを可能とする能力なのだろうと、初見でもきちんと理解可能だ。実演された以上、疑う余地は見当たらない。


「神威とは同時に使えない。だから、人間には使うことがない」

「――そうだろうな。シンイとやらで十分だもんな。で、これは何?」

「魔法を消し去る。発現中であろうと例外なく」

「そりゃまたすごい……! うぎぎ!」


 そして、この上なく厄介だ。イリックは全力で抗いながらも、その恐ろしさと汎用性の広さに唸るしかない。

 以前なら話は別だが、今のリインは接近戦ですら超絶的な戦闘力を誇る。ゆえに魔法に頼る必要はなく、対戦相手が魔法を使うのであれば、それを無効化した上で近接戦闘をしかければよい。

 攻撃魔法も、弱体魔法も、強化魔法も、回復魔法も不発に終わる。この事実はリインの一強に拍車をかけるに等しい。自身も自慢の炎を作り出せないが、必要に応じてかこの能力を解除すればよく、状況が悪化したのなら再び発動させれば解決だ。

 神威と神歌。神の代理人に選ばれた際に贈られたプレゼントは、リインを増徴させてもおかしくはないほどに特異な能力だ。

 人間をひれ伏せ、魔法さえも一方的に封じることができる。

 こんなことができる人間は、世界広しと言えども彼女だけだろう。

 イリックはそんな化け物に力比べを挑まれ、劣勢に追い込まれている。

 腕力ですら敵わず、ついには尻もちをついてしまう。上半身が床に押し付けられるのも時間の問題だ。

 ロニアから借りているオムニシエンスも使用できない。手足が動かなくともこれさえあればどうとでもなる魔法なのだが、聞いたこともない方法で封じられてしまう。

 そして、最も危機感を募らせる要因が残り時間だ。


「三十秒くらい?」

「か、かもな! くそ! 離せ!」


 イリックにとって、インビンシブルは貴重な切り札だ。早々に披露するつもりはなかったのだが、引き寄せと燐火のコンビネーションによってあっさりと行使させられる。

 そう。この状況は想定外であると同時に予想外だ。

 イリックは冒険者ゆえ、モンスターと戦う前に作戦を立案、企画することができる。一介の軍人には不可能なことだが、冒険者の多くはそういったことが高い次元で可能だ。

 ネッテのような、リーダーに全てを任せる戦闘特化型も少なからず存在するものの、大多数は階級の高い軍人顔負けの知識と戦術を頭の中に組み込んでいる。

 冒険者という職業は、様々な方法で金を稼ぐことができる反面、モンスターという外敵との接触は決して避けられない。

 出会えば即戦闘というわけではないが、逃げられないのなら倒すしかなく、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている以上、生き抜くための術を身につけていなければ長生きなど不可能だ。

 そういう意味では、自然と淘汰が進んでしまう。

 愚か者や実力の足りない者は死に、そうでない連中は生き延びる。

 非情ではあるがシンプルかつ当然の結論だ。

 そして、この少年は後者に当てはまる。

 学校のない港町で育ったため、一般教養は足りていないが、その反動なのかこの職業にはフィットできている。

 頭の中は釣りか戦闘に関することで一杯だが、それゆえに今まで冒険を続けられてきたとも言える。コネクトの有無に助けられたことも多々あるが、それを含めてイリックはイリックだ。

 一方、リインという女はこの少年とは正反対に位置する。

 人間離れした魔力を有しており、放つ魔法はあらゆる生き物も一撃で燃やし尽くせてしまう。

 神の力を活用すれば戦況をいかようにも有利に運ぶことができ、ましてや自身は不老不死だ。死という概念すら、克服できている。

 相手がどれほどに強敵であろうと、淡々と攻撃を続ければその果てには勝利を掴める。

 ゆえに戦術の類は必要なく、それはマッカスという超人が相手であろうと変わりはしなかった。

 だからこそ、イリックはこう考えていた。

 付け入る隙はいくらでもある、と。

 そういう意味では、初手は成功だ。ミスリルソードの投擲で虚を突き、マンイーターで幾度となく切り刻むことができた。

 その後も自分本位の戦い方を続けるつもりでいたのだが、それはリインの一手で覆されてしまう。

 すなわち、引き寄せの能力と燐火の合わせ技だ。

 このような技法を持ち合わせているのなら、誰もが思いつく当然の攻撃手段と言える。

 しかし、イリックは何度か手合せし、リインがこういったことをしない女だと学んでいる。

 己の能力に胡坐をかいた戦い方しかできないと決めつけていたのだが、その推測は正解だった。

 そう。もはや過去系だ。

 理由は二つ。

 軍人達との激戦を得て、成長したから。

 そして、イリックを侮れない人間だと認識したから。

 これらの結果、リインは過去と決別し、冒険者ほどではないが戦い方を工夫し始める。

 従来なら、引き寄せの能力を使う際は淡々とそれに従事し、攻撃魔法と併用することなどなかった。

 だが、今回は違う。イリックを自身に引き付け、避けられない状況を作ってから炎を浴びせる。

 理にかなったシンプルな戦法だが、効果は抜群だ。少なくとも対戦相手は奥の手を早々に披露せざるをえなかった。

 単なる創意工夫でしかないが、強力な能力を数多く保有するリインにこれをやられてしまうと、もはや真っ向からの戦闘は困難極まる。

 イリックはそれを痛感しつつ、掴まれ、ついには押し倒されてしまう。

 途端、女の長髪が視界の左右を遮るように垂れ下がり、女が男の上で馬乗りになっているという構図が出来上がる。


「あなたの負け」

「まだ負けちゃいない」


 リインにとって、これ以上は不毛だ。相手を完全に拘束できたのだから、後はその時を待つだけでよい。

 そういう背景から力を弱め、現状維持に固執する。全力でなくとも、この姿勢は保つことができるのだから、両者の力関係は明白だ。

 イリックの背中は地面にへばりついているのだから、これ以上押し込まれる心配はない。インビンシブルのおかげで潰されることはなく、だからといって現状時は最悪だ。一刻も早く抜け出し、反撃を開始しなければならない。

 この戦技は守りに特化しているものの、形勢逆転を実現する最良手でもある。それを無下にしてはならないと承知しつつも、圧倒的な腕力の前に今はひれ伏すしかない。


「魔法も使えない。力もない。どうすることもできない」

「魔法を使えないのはおまえも同じだろうが」

「それでもあなたを殺せる。そろそろ時間切れ。先ずは両手を潰してあげる。あの女のように」


 リインの発言がイリックを苛立たせる。

 あの女とはアジールのことだ。手首を手刀で切断されたことから握りつぶされたわけではないが、拳を失うという意味では同義と言える。

 だが、このままではイリックの両手がなくなってしまう。そういう意味ではアジール以上の被害だが、片方だけであろうと両方だろうと、そんな現実は受け入れられない。

 そう。このままでよいはずがない。

 女性に覆いかぶさられているこの状況は男としては魅力的だが、相手が殺人鬼となれば話は別だ。

 抜け出さなければならない。

 相手を引き剥がさなければならない。

 そして、殺さなければならない。

 しかし、全力でどれほど押し返そうと、相手はビクともしない超人だ。

 このままではどうすることもできない。

 そう考え、諦めてしまえば楽になれるのかもしれないが、空の上まで足を運んだ理由は殺されたいからではない。

 この女を最後の最後まで殺すためだ。


「おらぁ!」

「!?」


 イリックは決してスマートではないが、唯一使える部位を攻撃手段に転用する。

 押してだめなら引くまで。地面に押し付けられていた両腕を広げることで、支えにしていたリインは上体を大きく下げてしまう。

 そうなれば確実に届く。元々、それほど離れていたわけではないのだから、この一撃の成立は必然だ。

 近づいて来る美しい顔へ、頭突きをおみまいする。

 痛覚を遮断していようと、受けた衝撃まではかき消せない。鼻からは血が噴出し、脳は激しく揺さ振られる。

 ましてやこれは、冒険者が繰り出した全力の頭突きだ。一般人が受ければ即死してもおかしくはない。それほどの威力を有している。

 それを裏付けるように、リインは顔ごと上半身を反り返らせる。相手を捉えていた両腕も、意思に反して離してしまう。

 だが、こんなものは彼女にとって負傷にすらならない。鼻の骨は砕けてしまったが、ものの数秒で完治可能だ。

 なにより痛覚を遮断していることから、赤い瞳はすぐさま眼下の敵を捉えなおす。

 不意を突かれたがそれだけだ。すぐさま立て直しに移行する。

 リインにとってもこの男を殺さねばならぬ以上、掴んだチャンスを逃すつもりなどない。

 だが、今回は失敗だ。イリックの反撃は単なる一撃でしかないが、それがそうではないと次の瞬間に思い知らされる。


(ぐ、戦技?)


 リインの顔が、まるで二度目の頭突きを受けたかのように再度仰け反る。

 彼女の疑問は正解だ。イリックは頭を叩きつけた際、デュアリズムを発動させて自身の攻撃を二重化させている。

 腕を放させた時点で、この攻防だけは少年の勝ちだ。それだけに留まらず、女の上体を垂直に立たせることすらできたのだから、窮地から脱するチャンスでもある。

 やるべきことはシンプルだ。馬乗りを決め込んでいるリインをどかさなければならない。左手が自由を取り戻したのだから、この体勢のまま切り刻んでもよいのだが、痛がらず、なにより死なないことから、再度拘束されることは必然だ。

 それだけは避けなければならない。


「ふんぬ!」


 ゆえに、どいてもらう。

 もちろん、頼もうと断られるだけだ。だからこそ、実力行使しかなく、イリックは腰を浮かび上がらせ、ブリッジのような姿勢へ急激に移行する。

 腰を下ろしていた椅子がボスンと持ち上がったため、女は至極当然のように空中へ浮かび上がる。

 この瞬間、両者の時間は一瞬だが静止する。

 コネクトを使ったわけではなく、真っ直ぐ上へ発射したリインが、地上から数メートル程度浮き上がったタイミングで頂点に達したからだ。

 そこではほんのわずかな時間だが、体が完全に停止する。上昇から下降へ移行する際の物理現象であり、彼女もそのルールには縛られる。

 長さにして一秒にも達しない。刹那ではないにしろ、常人からすればまばたきの如く一瞬の出来事と言える。

 しかし、彼らは雲の上の存在だ。

 単なる人間よりも何十倍という速度で走ることができる。

 五時間だろうが十時間だろうが、腹が空かなければ平然と歩いていられる。

 人間をあっさりと握りつぶすジャイアントの握力にさえ、吐血くらいはするかもしれないがある程度は耐えられるだろう。もちろん、脱出を試みなければ死は免れない。

 イリックは自ら作り出した好機をみすみす逃す男ではない。

 邪魔な女の拘束から脱することに成功したのだから、ここからは反撃の時間だ。

 リインが足をピンと伸ばして踏みつけようとするも、少年の体には届かない。足が短いのではなく、それほどまでに浮かび上がってしまったからだ。

 自慢の魔法は使えない。神歌を解除していない以上、この条件は等しく平等だ。

 ゆえに、落下を待たなければならない。着地までに要する時間はわずかなのだから、今は大人しく受け入れるしかない。

 そう。今はこの攻撃に晒されるしかない。

 跳ねるように起き上がったイリックは、不安定な姿勢のまま移動を開始し、あっという間に女の背後へ移動してみせる。

 ゆっくりと落下する背中はどこまでも無防備だ。だからこそ、仮にそうでなかろうと、左手の刃を滑らせ、黒い衣服ごと切り刻む。

 一秒にも満たない狭き時間は、少年の目的を果たすには短すぎる。

 リインの膨大なマジックポイントを枯らし尽くすには至らないが、背骨を切断し、死をもたらすことには成功だ。

 女は固い床に足を着けると同時に、ぐらりと上半身を歪ませる。体の支えを失ったに等しく、意識は保てているが、振り向くという行為には至れない。


(なるほど……!)


 イリックは気づく。

 リインがいかに不死身であろうと、人間の形を成している以上、肉体特有の制限は受けてしまう。

 この事実は揺るがなく、すなわち魔法が使えないのなら、戦い方の幅はいっきに広まると、イリックは相手よりも先に見抜いてみせる。

 神歌は非常に強力な能力だが、神威とは異なり、彼女自身をも縛り付ける。当然、本人もそのことを承知の上で発動させたのだが、恩恵を得られるのはどちらかと言えば、今回に関してはイリックなのかもしれない。

 それを証明するように、マンイーターは女のあちこちを切り裂いていく。

 背中だけでなく、内部の臓器ごと胴体を細切れにし、ついには両腕と両足の切断に成功する。

 魔法を警戒する必要がなく、反撃の可能性も一切考慮しない。インビンシブルはついにその役目を終えてしまうも、今はただがむしゃらに切り刻む。

 人間を斬るという行為はどこまでも気持ち悪く、本来ならば胸が痛むはずだが、今日に限っては別だ。

 相手は憂さ晴らしのように軍人を殺めたばかりか、仲間の左手も奪ったのだから、のうのうと生きていることが許せない。

 怒りをぶつけるように、被害者の仇を討つように、そして、冒険者として培った実力を見せつけるように左腕を動かし続ける。

 斬る。

 切る。

 キル。

 足を切断されたのだから、リインは地面に崩れ落ち、真っ赤な池を作り始める。

 それでもイリックは続ける。腰をわずかに落とし、見下ろしながら、仕留めた野生動物やモンスターを解体するように、終わることなく斬り続ける。

 時間にして四、五秒だ。背後から刃を突き立ててから、まだその程度しか過ぎ去っていない。

 だが、女の姿は一変する。

 出荷される食用の肉片のような姿はどこまでも痛ましく、首から上だけはその見た目を保っているが、その下はまな板上に切り揃えられた具材のようだ。


「どうだ!」


 その咆哮と共に、真っ赤に染まった刃を逆手に持って女の顔に突き立てる。

 コロコロと転がりながらも男の行為を見守っていたリインの顔面は、右目に深々とマンイーターを押し込まれ、回転を終える。

 二人とも、その姿は鮮血のせいで真っ赤だ。

 イリックは着ているコートがその色だが、頬やズボンはすっかり返り血で汚れている。

 リインは自ら流した血液に浸り続け、胴体から切断された顔も半分以上が赤色だ。その上、幅広な短剣を押し込まれたのだから、わずかな体液は止まることなく溢れ出る。

 この状況、イリックはまだ勝ちを確信できていない。なぜなら、魔法を否定する空間が今なお健在だからだ。

 すなわち、神歌は解除されていない。

 言い換えれば、この女を最後まで殺しきれていない。


「思い出した。あなたの妹にもバラバラにされた」

「みたいだな。よくも家を燃やしやがって。冒険者って案外貧乏なんだぞ。どうしてくれるんだ」

「どうせここで死ぬんだから、そんな心配は不要」

「ここまでされても平然としやがって……」


 イリックは顔だけの女と話す。

 リインは刃を押し込まれながら口を動かす。

 奇妙な光景だが、この場所は雲よりも上に浮かんでいるのだからそれ以上に非現実的だ。


「戦技が消えた。あなたはもう終わり」

「カムウタってのを解除したら、オムニシエンスを叩き込んでもっと粉々にしてやる。で、これだけやったんだからけっこう消耗した?」

「多少は。その程度」

(多少……か。鵜呑みにはできないけど、嘘でもなさそうだな)


 どちらが有利か。第三者がこの状況だけを切り取って見れば明白だ。

 それでもイリックは眉をひそめる。マンイーターがリインのマジックポイントを大きく消費させるも、その残量はまだまだ豊富だと予想せざるをえない。

 今回の戦闘において、リインは攻撃魔法を多用していない。神歌の発動によって使いたくても使えないのだが、そういう意味でも低燃費な戦闘に発展してしまった。

 リインを真の意味で殺害するためには、マンイーターによる消耗とそれに連なる殺害の継続が必要だ。イリックはこれを延々とやり続けなければならない。


「ここからは私の番」

「こんな状態で何が出来るっていうんだ?」

「教えてあげる」


 魔法は使えない。

 四肢はバラバラだ。

 それでもなお、女は屈しない。

 勝算があるからだが、そもそも死から最も遠い生物ゆえ、敗北という単語さえもはや失念している。

 イリックの言う通り、今のリインに反撃の芽は存在しない。

 手足はおろか胴体でさえ、何十にも細断されている。

 殴ることも蹴ることも掴むことも、ましてや立ち上がることさえ不可能だ。

 顔面に刃が刺さっていなければ、噛みつく程度ならできたかもしれない。しかし、マンイーターによって標本の如く串刺しにされている以上、攻撃手段など残されてはいない。

 少なくともイリックはそう考えており、それでも勝ち誇ってはいないが、余裕を保つ女の言動には疑問を抱く。


「あの力を使われずに、ここまでされるとは思ってもみなかった。でも、準備だけはしておいた。だから、私の勝ち。あなたの負け」

「いったい何を……。ん?」


 リインから回答を得るよりも先に、イリックの体に異変が起こる。見えない紐を体に巻かれ、ぐいっと引っ張られる感覚には覚えがある。


「な、なぜ!?」


 眼下の死体を放置せねばならない。なぜなら、この能力は少年を別の場所に運ぼうとしている。

 マンイーターを手放すわけにもいかず、ずっと引き抜き、そのまま後方へぐんぐんと引きずられていく。

 その勢いは凄まじく、足を折り曲げれば宙に浮いたままの移動さえ可能なほどだ。裏を返せば、地面を踏みつけようと、靴の裏がすり減るだけの無駄な行為に終わってしまう。

 イリックはわからない。自分が何と引き寄せられているのか、見当すらつかない。この地は二人だけで独占している無人の遺跡だと推測していた。だからこそ、この現象には驚かずにはいられない。

 この能力は同一の物体を引き寄せる。彼女が神から授かった特異な贈り物であり、対抗手段はインビンシブルで跳ね除けるか、超人以上の身体能力が必要だ。

 今のイリックにはどちらもなく、ゆえに目的地まで猛スピードで引っ張られることを甘んじて受け入れるしかない。


(誰かがいるのか!?)


 湧き上がる不安は至極当然だ。リインは人間と人間をぶつけることにこの能力を多用する。

 その威力は単なる衝突以上の破壊力を生じさせ、冒険者すら卒倒させるほどだ。

 今回に関しては、そういったことよりも自分達以外の誰かがここにいるという事実が重要だ。

 それがどういった人間なのか、先ずは見極めなければならない。

 味方なのか。

 敵なのか。

 もちろん、空に浮かぶ人工島に知り合いなどいるはずもなく、必然的に第三者は敵以外にありえない。

 だが、リインにも支援者や同胞がいるとは思えず、だからこそ、疑問は膨らむ一方だ。

 その答えは、終着点に用意されていた。

 巨大な遺跡の脇には、青々と生い茂る雑草だらけの区画が存在する。

 引きずられるようにそこへ突っ込んだイリックは、真っ黒な丸い何かと対面させられる。

 焦げ臭く、何より焼けた肉の匂いが周囲に漂っている。考えるまでもない、人体の一部だ。

 イリックは地面に擦られながらも、右腕で庇うように正面衝突を回避する。

 丸いそれは激突と共にコロコロと転がり始め、その結果、引力は少年をさらに運び続ける。


「顔!?」


 驚嘆の声は正解でもある。

 黒い理由は焼け焦げているからだ。

 丸い理由は頭部だからだ。

 わずかに残った頭髪はちりちりと折れ曲がり、首の名残と思われる突起は綺麗な断面図を作っている。

 出血が止まっている理由は、傷口が焼かれて融解しているからだ。焼かれながら首を切られ、余熱が断面を溶かしたことになる。

 イリックが驚いた理由は四つだ。

 こんなところに人間の顔が置かれていたという周到さ。

 それが火を通し過ぎた失敗作の料理の如く、黒焦げという事実。

 人間であることには違いないが、自分達と比べると骨格がしゅっと細く、両耳に至っては尖っている。

 そして、最たる恐怖はこんなパーツであろうと、それこそ死体であろうと、リインの能力が及んでしまうということだ。

 人間を人間に引っ張る。

 同質の物体を引き付ける。

 イリックを死体の場所まで後退させる。

 リインにとってはどれも同義ということになる。


(なんて女!)


 今更悪態をつこうと、状況は好転しない。

 見えないロープでずるずると引きずられ続けるわけにもいかず、地面を叩いた反動で減速と体勢の立て直しを図りつつ、手ぶらな右手で炭と見分けのつかないその顔を地面に押しつける。

 イリックは中腰のまま、冷めてもいないが熱くもない手応えから命の片鱗を感じ取る。

 この人間は生きていた。

 つい先ほど殺された。

 鼻に届く香ばしさが今はどこまでも気持ち悪く、だからといって眼下の頭部を恨む気にはなれない。

 耳の大きなこの人間もまた、被害者の一人だ。

 誰が悪かと問われれば、迷うことなくリインであり、それを理解している以上、少年の眼光は鋭さを帯びる。


「引っ張り合うんじゃなくて、一方的だったな……」


 イリックは遠方の肉片達を睨む。

 すなわち、同一の物質を引き寄せる彼女の力は、基点となる物体には影響を及ぼさず、標的とされた他方にだけ作用する。

 今回の場合、顔だけの死体が人間一人を引っ張ったことになり、イリックがどれだけ踏ん張ろうと死体の方から合流を果たそうとはしない。

 もちろん、対象となる二つそれぞれを同時に手繰り寄せることも可能だが、リインは状況に応じて使い分けるような戦略家でもなく、気まぐれというわけではないが、思いつきの範疇から抜け出しはしない。


(く、進めん!)


 雑草を踏みしめながら、イリックは苦虫を噛みしめたように顔をしかめる。右手が押さえつけている真っ黒な顔から、未だに強力な引力が発生中だ。

 無慈悲にも押し潰し、跡形もなく砕いてしまえば、この呪縛から解放されるのかもしれない。

 もしくは、死体の残骸であろうとリインにとっては関係なく、その場から動けないままかもしれない。

 答えは確かめて確認する他なく、だからといっておいそれとは実行できないのも事実だ。

 顔だけの焼死体が誰なのか、それはわからないままだが、イリックにとっては無関係な他人でしかないものの、ぞんざいには扱いたくない。

 ためらっている猶予はないのだが、少なくとも今は迷ってしまう。

 その結果、細切れだった体は結合を終え、ついには人間らしい形に復元する。

 切り込みだらけの女はゆっくりと立ち上がり、長い髪とドレスのような黒い服を揺らしながら対戦相手の現状を確認し始める。

 両者の距離はかなり離れている。魔法がギリギリ届くか否か、すなわち、大声を出さなければ相手との意思疎通は不可能だ。

 人間の尊厳を奪う重苦しい殺意が周囲に展開されている今は、そもそも魔法の詠唱は実行できない。

 ゆえに、次の行動は必然と言える。


(もう、手段は選ばない)


 リインは決断と共に両手を左右に広げ始める。

 この動作は合図だ。

 撫でるように吹く風が長い髪を揺らし、赤色がさわさわと踊る中、毒を含む花が花弁を開くように、女は戦闘態勢へ移行する。

 途端、目に見えない圧迫感が消失し、空気が本来の柔らかさに戻る。汚れを知らぬそれが大空で混ざり合う中、二人は静かに見つめ合う。

 神歌の解除。魔法を封じ、相手を圧倒するという方針は変更だ。

 この少年は超人ではないが、手ごわいことに変わりなく、一辺倒な戦い方では苦戦するとリインはやっと自覚し終える。

 両者の視線がぶつかるものの、心境は全くと言っていいほど近くない。

 一方は自身の損傷を顧みず、相手の破壊を冷静に計画している。

 もう一方は戦況の変化を感知しつつ、では、どうしようと慌てながらも画策中だ。

 イリックはその場から身動きが取れない。右手の下の頭部がそうさせるのだが、引力が原因で持ち上げることも出来ずにいる。

 もし、この頭が生きていれば、自らの意志でイリックを引きずりながら動くことは可能だったろう。残念ながら死体の一部に過ぎない。当然、頭上の少年を守ることも避難の誘導も行わない。

 野菜のように半分に切ろうと、この呪縛は有効なままだ。

 そもそも頭部だけで人間を引っ張ることができているのだから、それがさらに細かくなろうと、リインからすれば大差ない。


「これはやばいな……」


 イリックは小さくぼやきながら目を疑う。

 神歌の解除が何をもたらすのか。そんなものは考えるまでもなく、ある意味この状況は想定の範囲内だ。

 青々と燃える小さなゆらぎが、彼女を取り囲むように形成されている。

 その数は視認できるだけでも四十を超えており、イリックが捌ききれる総数を遥かに上回っている。

 ましてや、今は右腕が使えない。

 そういう背景からも、リインはこれで決着をつけられると踏んでいる。


「これで終わり。後数回は甘んじて死んであげる」


 本来ならば刺し違えるという言葉を使えるのだが、この女に関しては不適合だ。

 相手を殺すために自分の命を差し出す。そういう意味では刺し違えるのだが、女の命は一つではなく、無尽蔵ではないがそれに近い。

 つまり、殺されながらもイリックを殺すという方針は、勝ちにこだわるのなら非常に効果的だ。

 神歌の解除が魔法の使用を許可する。

 リインは燐火を。

 イリックはオムニシエンスを。

 青い炎は人間を容易く殺せるが、水の武器は同様かそれ以上だ。

 それでもなお、リインが勝ちを掴む。己は殺されても良いのだから、条件からして対等ではない。


「オムニシエンス」


 だが、抗うしかない。イリックは白旗を掲げる代わりに、眼前に一本の片手剣を、頭上には二本の槍を作り出して意志表明を行う。

 すぐさま左手のマンイーターを腰の鞘にしまいこみ、冷たそうな剣の柄を力強く握る。この短剣はリインを斬りつけるための凶器であり、炎から身を守るためには使いたくない。溶かされる可能性があるからだが、オムニシエンスがあるのだから適材適所だ。


「せいぜい無駄な足掻きを」

「さて、どうしたもんか……」


 両者の独り言は届かない。それほどに離れており、互いの魔法においても射程ギリギリだ。

 ゆえに攻防は成り立つ。会話は成立せずとも、やるべきことを確認し合う必要など今更ない。

 相手を殺す。その一点において二人の目的は共通だ。

 それを果たすために、リインは呼び出した蒼い殺意を矢継ぎ早に発射し始める。動けない相手を仕留めるには過剰過ぎる火力だが、念には念を、そう思わせる程度にはこの人間は手ごわく、侮れない。


「おおおぉぉぉ!」


 雄叫びをあげながら、イリックは生き延びるために左腕を振り回す。

 縦に。

 横に。

 斜めに。

 我流で身に着けた剣撃が、迫り来る炎を次々と断罪する。

 燐火の速度は視認できないほどに速く、一つだけでも切り払うことができたのなら、その人間はモンスター退治を生業として一生困ることはないだろう。

 だが、今回はそれだけで満足してはならない。横殴りの雨を彷彿とさせる物量で攻め込まれているのだから、左腕に休む暇など与えられない。

 三個。

 七個。

 十個

 数えるよりも早く、魔法を粉砕する。

 くだらないミスや弱気は許されない。闘気を限界まで燃やし続けなければ、青い炎で身を焼かれてしまう。

 その意志とこれまでの経験値が、少年の命を延命させる。

 必死なその姿と生きようとする気迫は、女の心を揺れ動かすほどだ。冷え切った感情の持ち主にとって、イリックという人間はそれほどまでに眩しく、そして腹正しい。


(でも、受けに徹するなら好都合)

(こ、これ以上は……!)


 限界だ。

 リインから発射される青い炎は、補充を繰り返しながら競うように獲物を狙う。仮に利き腕が使えようと、やり過ごせはしないだろう。

 ゆえに、一時しのぎかもしれないが機転を利かせる。

 頭上に生成した槍は飾りではない。本来の用途は対象を打ち砕く凶器だが、今回は身を守る盾のように前方で横たわらせる。

 魔力で勝っているのか。

 属性の相性が良いからか。

 水の槍と衝突した炎は、そこが目的地かのように力尽きて散っていく。もちろん、オムニシエンスが無敵の強度を保つわけではなく、それを証明するように槍の形状が徐々に削れていくも、それよりも先にイリックの絶命は明白だ。

 そう。二本の槍を防御にまわそうと、リインの魔法を全ていなしきれてはいない。水の刃をすり抜けた炎が、少年の右肩や脇腹、太ももに次々と着弾している。

 上半身に関しては、コートが高い耐性で守ってくれている。

 下半身に受けた被害は一切の減衰を伴わないため、イリックは適宜キュアを唱えて現状維持に努めている。

 だが、それも長くはもたない。

 魔法という神秘の代償として、詠唱者はマジックポイントを差し出さなければならないからだ。

 運悪く、この冒険者は魔力とマジックポイントに関しては残酷なほどに落ちぶれている。コネクトという奇跡によって魔力だけは補てんできたが、魔法の使用回数は据え置きのままだ。

 左耳で揺れる銀色のピアスが時間経過で補充してくれるのだが、現状の消費量を補えるほどではない。

 対戦相手はそれ以上の速度でマジックポイントを消耗しているのだが、そもそもの総量がかけ離れているのだから比較すること自体がおこがましい。


(やばい!)


 追い詰められている。認めたくはないが、冒険者としてそう判断せざるをえない。

 炎の一部を押しとどめてくれている二本の槍同様、左手の剣もまた、刃が欠けるようにすり減っていく。破壊されたとしても作り直せば良いのだが、その分、回復魔法の使用回数が減ってしまうため、可能なら控えたい。

 もっとも、それよりも前に少年の命が燃え尽きてしまう。

 マジックポイントの圧倒的な差が、この攻防において両者の優劣を決定づけていると言っても過言ではない。

 マジックポイント。ある者は精神のエネルギーと呼ぶこの概念は、魔法を習得する人間なら必ず一定量を保有している。

 イリックとリインも同様であり、キュアやオムニシエンス、燐火を詠唱する度、それは一定量ずつ減少する。

 回復魔法のキュアは、マジックポイントの総量を表現する際に用いられることが多い。言わば、基準となる魔法だ。

 なぜなら、後衛回復役が習得する魔法の中で比較的消費量が少なく、なにより最も重要視される。

 キュアの詠唱にマジックポイントを一必要とすると定義付けた場合、イリックのそれは十一となる。

 この数字は心もとない。

 冒険者の常識として、後衛回復役に求められる量は四十前後と言われている。この職業を目指す若者でさえ、二十前後がスタートラインだと自覚し、精進に励む。

 ゆえにイリックは回復役としては不合格なのだが、そもそもこの少年は前衛のような立ち振る舞いを生業としており、なにより文句を言われるような立場ではない。

 もし、貧相なこの才能で仲間ないし同行者を求める冒険者の募集に応募した場合、その時は罵倒されても仕方ない。

 だが、イリックは身内でパーティを組んでおり、野良の冒険者と旅立つような機会はない。

 身内を理由に甘えてはいけないのだが、日々魔法を使い続け、モンスターも倒し続けてなお上昇してくれないのだから、才能がないと諦めるか装備で補う以外に道はない。

 キュアの最大使用回数は十一回。長期戦においては心もとなく、オムニシエンスもキュアとほぼ同程度を消費するため、武器を三本生成すれば回復可能回数はその分落ち込んでしまう。

 一方、そんなやりくりとは無縁の人物がリインという極致だ。

 燐火の消耗量は一つ一つがフレイムと近似であり、厳密には比較できないのだが、キュアと同程度だと言われている。

 青い炎を十個呼び出せば、フレイムないしキュア十回分、すなわちイリックのほぼほぼ全容量が一瞬で消費される。

 また、彼女はマジックポイントを担保に不老不死を実現しているのだが、蘇生のためにはおよそキュア七回分を必要とする。

 これが多いと見るか少ないかは人それぞれだが、リインにとってはちっぽけな出費でしかない。

 人間が辿り着けるマジックポイントの上限は、キュア百回分が限界だと言われている。

 第一線で活躍する一流の冒険者や軍人でさえ、五十から七十程度に落ち着く。

 天才と言われるロニアでさえ、実はこの範疇に当てはまる。水の槍を五十から六十作り出せるのだから、戦闘中に困ることは決してない。

 例外を挙げるとすれば、それはガーウィンス連邦国の彼女だろう。風の図書館にて館長を務めるシャルロットだ。

 マジックポイントの総量はキュア千回分を越えるとさえ噂されており、すなわちフレイムを同程度撃ち続けることが可能だ。

 上位の攻撃魔法は比べものにならないほど消耗するのだが、それでもなお、かなりの数を連発できてしまう。

 彼女は例外中の例外なのだが、それすらも上回る化け物が、この世界にはびこる異形の脅威、モンスターだ。

 これらは仮に魔法を使えずとも、内には膨大なマジックポイントを宿している。

 なぜそうなのかの解明は未だ成されてはおらず、リインでさえ真実を知らない。

 無尽蔵ではないのだが、底の見えないマジックポイントを武器に魔法を使い続けるモンスターと肩を並べる存在が一人だけいる。

 神に選ばれし人間、リインだ。

 もちろん、生まれた時からその領域に辿り着けていたわけではなく、才能は確かに秀でていたが、創造主から力を分け与えられたことが決め手となる。

 イリックとリイン。

 両者が魔法の撃ち合いを行えば、二つの意味で勝負にならない。

 攻撃可能回数と死ねる回数、これらに大きな隔たりが存在しているからだ。

 そのどちらも彼女が上回るのだから、一介の冒険者に勝ちの芽など生じるはずがない。


(う!?)


 イリックがバランスを崩す。押し寄せる火の玉を切ることに専念するあまり、右手の下に鎮座する死体をぐちゃりと潰してしまったためだ。

 片手を地面に付けるような姿勢で剣を振るっていたのだが、上半身がわずかに落ち込んだことで鮮やかな剣撃がそのリズムを狂わしてしまう。

 途端、刃をすり抜けた青い魔力が少年の左脇腹と右腕に突き刺さる。

 文字通り焼けるような痛みに耐えながら、即座に自己回復で対応する器用さは後衛回復役の誰もが見習うべき才覚だ。

 だが、イリックは現状に驚いている。この姿勢を維持しなければならないという実情が想定外だからだ。


(――頭を潰したのにダメなのか)


 先ほどまでは丸かった黒焦げの残骸は、へこみ、ひび割れ、潰されようと、未だにその役割を果たし続けている。

 つまり、リインにとってはこれほどに破壊された死体であろうと人体の一部と見なされてしまう。

 ゆえに、イリックはまだ縛られ続ける。なんとか体勢を立て直すことはできたが、じり貧なことに変わりなく、殺されるまでの猶予はそう長くはない。


(待てよ……)


 それでも諦めない。

 むしろ、頭は冴えてしまう。

 イリックだからということではなく、窮地に立たされた冒険者特有の閃きが、打開策を提言してくれる。

 この状況からの脱出は、自分だけの力では不可能だ。

 それならそれで構わない。

 手を差し伸べてくれる適任者が、視界に映っているからだ。


「そろそろ死になさい」

「仇はとってやるから、俺を恨まないでくれよ」


 両者の発言はやはり独り言に過ぎない。それでも意味することは真逆なのだから、二人の相性は最悪であり最高だ。

 リインの赤い瞳には、対戦相手の姿が満身創痍に映る。浮いている二本の槍は細まり、片手剣はそれ以上に弱々しい。黒いズボンは当然ながら、丈夫そうな上着でさえ、あちこちが焦げて穴まみれだ。

 だが、未だに勝ちを確信できない理由、それこそが彼女の心を掻き立てる。

 少年の目は死んでいない。焦ろうと、追い詰められようと、それこそ傷つこうと、宿る光は輝いたままだ。

 リインは攻撃の手を緩めない。相手を殺せていないのだから当然だ。次から次に青い炎を作り出し、息絶え絶えな人間へ容赦なく撃ちこむ。

 慈悲などない。神がそうしろと言うのだから、迷うことなく実行することこそが自分に課せられた使命だと理解している。

 そんな意志を払いのけるように、イリックは大多数を切り伏せ続ける。

 右から左へ。

 下から上へ。

 左上から右下へ。

 左腕であろうとその斬撃に狂いはなく、それでも全てをさばけずにいることが、明確に優劣を決定づけているはずだった。

 そう。この差で戦いが収束するほど、二人の間柄は浅くない。愛情や友情、血脈以上の何かで紐づけられている両者は、目まぐるしく戦況を変化させて観客を喜ばせなければならない。


「……え?」


 長身のリインは目を疑う。被弾しながらもかろうじて耐えていた男が忽然と姿を消したのだから、らしくない声を漏らそうとおかしくはない。

 今までの彼女なら、これからの反撃に成す術なくやられていただろう。不死身を言い訳に敗北を免除されるのだから、そういう意味では問題なかった。

 だが、今回はよろしくない。イリックが使用する武器は、彼女にとって最悪な凶器だからだ。傷つけられると、それだけで生命の根源を幾分か削られてしまう。

 だからというわけではなく、デフィアーク共和国での経験と、イリックという好敵手の存在が彼女に次の行動を実行させる。

 背後から迫る銀色の刃が、左から右へ、すなわち彼女の左腰から背中を横断するように疾走する。

 速く、鋭いその一閃は、空気だけでなく皮や肉、骨を痛々しく切り裂くはずだった。


(何!?)

(速い!?)


 空振りではない。手応えと呼ぶには弱々しいが、右手が握る片手剣の刃先が黒いワンピースだけでなく薄皮一枚を裂くことには成功する。

 それでもイリックは驚かずにはいられない。完全なる虚を突けたことと、自慢の一撃だと確信していたのだから、少なくとも一回分は殺すつもりでいたが、その目論見は目を見張る回避行動によって水泡に帰す。

 そう。リインはマンイーターの刃をギリギリでやり過ごしてみせる。

 対戦相手がなぜ後ろにいたのか。彼女は次のように推測し、結果、回避行動へ繋げる。

 燐火の着弾地点から姿を消したのだから、少なくともそこにはいない。

 では、どこにいる?

 視界内に見当たらないのなら、頭上か背後の二択だ。

 即座にそう導くと、殺意感知で答え合わせを行う。

 イリックは自分の後方に立っている、と。

 今までならここまでだ。閃光一線の斬撃に晒され、今頃は背中を大きく切り裂かれていただろう。

 だが、そうはならない。

 彼女はこれまでとは違い、驕ってはおらず、油断もしていない。だからこそ、この冒険者を上回る反射神経で四肢に命令を下すことに成功する。

 前へ踏み込みながらの反転。

 避けるだけなら振り返る必要はないのだが、相手が何をしようとしているのか、それを見極めることも重要だ。リインは体を捻りながらも駆け出し、その結果、振りぬかれた一撃は不発に終わる。

 この状況、一見すると互角の攻防かもしれないが、イリックとしては最悪だ。

 なぜなら、最後の切り札を使ってもなお、リインを殺し損ねたのだから、可能なら逃げ出したい。


「まだだ!」


 それでも、やるべきことをやるしかない。今の一撃は避けられてしまったが、残された時間を無為に消費しないためにも、足を止めずに攻撃を続ける。

 少年の移動速度と剣撃は、今までもどの動作よりも俊敏だ。当然だろう、そのための手段を講じているのだから、リインの体には次から次に切り傷が作られていく。


「戦技……。アサシンステップ……」


 リインは防御と回避に徹しながらも、正解を言い当てる。

 彼女の動体視力をもってしても、イリックの動きは速すぎて完全には捉えきれない。

 今だけなら超人と同等かそれ以上の機動力だ。これは、アサシンステップによって実現しており、効果時間はたったの十秒ゆえ、イリックは休みなく攻撃を続ける。


(――だから姿が消えたように見えた)


 かまいたちのように降りかかる刃によって、リインの全身から血が吹き荒れる。

 前後左右に動き回る人間はただ走り回っているだけではなく、今は右手で握っているマンイーターで突き刺し、斬りつけることを実行中だ。

 何度斬られようと、それこそ何回殺されようと、膨大なマジックポイントはまだまだ尽きることはないのだが、だからといって現状を良しとするはずもなく、反撃の手段が存在する以上、彼女もそれを実行するだけだ。


「これを使うまで」

「く!?」


 リインの体がオレンジ色の魔力に包まれる。

 これが何を意味するのか、イリックは重々承知だ。ゆえに一瞬だが怯んでしまうも、それを理由に攻撃の手を緩めるわけにはいかず、しかし、戦況の変化を機敏に察知しなければ生き残ることもできない。


「まだ届かないけれど」


 一時的に追い抜かれた速度は、この魔法によって幾分縮まる。

 オーバースペック。強化魔法の一つ。効果はただただシンプルに、詠唱者のスピードを高めてくれる。四分もの間有効なことから、戦技と比べると使い勝手はすこぶる高く、何より再詠唱時間がそれよりも短いため、マジックポイントさえ足りるのなら常に恩恵を得ることが可能だ。

 イリックがアサシンステップを使用して以降、リインの体には無数の裂傷が作られている。その都度、彼女の命は二つの意味で削られるのだが、そのどれもが致命傷には至っておらず、成果としては不合格だ。

 その原因は、リインがらしくない行動、すなわち身を守ることに徹しているからだが、言い換えるとイリックとしてもそれを崩しきれていない。

 にも関わらず、強化魔法を発動されてしまったのだから、アサシンステップによる上積みがあるとは言え、焦らずにはいられない。

 時間がない。

 超人のように加速していられる猶予は数秒程度だ。この間にどれほどの死を与えなければならないのか、それすらもわからない状況で、ただの一度も殺せずに終わってしまっては、もはや勝利どころの話ではない。


(今なら俺が上だ!)


 イリックは疾風の如く加速しながら、右手のマンイーターで斬りかかる。対戦相手が速度を向上させようと、自身が上回っていることに変わりはなく、音速を超えた領域で、眼前の女へ刃を向ける。

 その読みは正しい。短い刃は風のように舞いながらも、次から次に柔肌を切り裂いていく。

 若々しいその肌色は次第に赤く染まり、その出血量は致死量にも等しい。だが、それでも殺せない女がリインという存在だ。不老不死だけでなく、回復魔法に頼らずとも常軌を逸した復元力を実現していることが、彼女の活動を停止させない。


「捕まえた」

「しまっ!?」


 そして、オーバースペックによる上積みが一方的な攻撃を阻止する。

 素直なその軌跡は、黒いワンピースから伸びる細い首を狙っていた。本来ならば、この一撃は成就するはずだった。

 しかし、リインは最小限の動作で反応してみせる。

 視界の左端から迫る銀色の刃とそれを握る右腕を視認しながら、左足を小さく後退させ、上半身を左回りに動かす。

 その勢いを活用することで、速度は互角かそれ以上だ。女の血まみれな右腕は、少年よりも先に目的を達成する。すなわち、イリックの手首を握り締めて停止させる。


「単調。あなたらしくない」

「な、なんだと……。う、くぅ!」


 リインの発言は忠告でもある。

 イリックは冒険者だ。経歴は浅いかもしれないが、戦術および思考回路は紛れもなく一流だ。

 だからこそ、この一年を生き延びることができたのだが、ここでの戦い方だけを見れば、彼女の言い分は正しい。

 イリック本人は気づけていないのだが、その原因は対戦相手の厄介さとそれを突破するための手段に起因する。

 不死身とマンイーター。

 リインは殺されようと生き返る超越者だ。その源泉は膨大なマジックポイントであり、十回どころか百回だろうと蘇ることができる。

 このような化け物を倒す手段は本来ならば一つだ。つまり、殺し続け、命の源ごと枯渇させればよい。

 これが可能な人間などいない。残念ながら、これは紛れもない事実だ。イリックだけでなく、デフィアーク共和国の軍人達ですら皆同意する。

 単純な実力だけで言えば、軍長が力を合わせれば、もしくは第一海軍の長が彼女を上回っている。

 しかし、リインの能力が戦いの場を用意させない。

 神威。これがある以上、人間程度では彼女と戦うことを許されないからだ。

 ゆえに、消去法でリインの討伐には四人の冒険者が選ばれる。

 イリック。

 ネッテ。

 アジール。

 ロニア。

 彼らはコネクトというチケットを手にしたことで、リインと同じ土俵に立つことが可能だ。

 戦える。

 戦えるが、勝てるというわけではない。

 そう。神威による無力化を跳ね除ける唯一の四人だが、リインと戦えばたちまち敗れ去る。

 実力差と不老不死が勝敗を最初から決定しており、イリックとしてもなやましい案件だった。

 しかし、手段は見つかる。見つかってしまう。

 神が作り出した人間殺しの短剣、マンイーター。これがその特性を変化させ、今ではマジックポイントを減らすための武器として少年の手に握られている。

 こうして、リイン討伐の最善手は決定したのだが、その結果、イリックの戦い方は本来の柔軟性を失ってしまう。

 つまり、マンイーターで斬りかかることは最短距離に他ならないが、その戦闘スタイルは彼女ですら読みやすく、イリックらしさは影を潜め、アサシンステップによる加速をもってしても致命傷を負わせられずに効果時間を終えてしまう。


「もう動き回れない。もう終わり。その戦技も……」

「ぐ、ぐあぁ!」

「あなたの命も」


 ミシリと鳴った音は、イリックの右手首が潰れ始めた証だ。リインの握力が肉や筋を圧縮させるばかりか、内側の骨を容易く砕く。

 見た目こそ細身な女だが、その肉体は鍛え上げられた軍人以上に強靭だ。この程度のことは造作もない。


「離せ!」


 要望であり願望だ。

 当然だが、聞き入れられるはずもなく、返答は無言の拳で済まされる。

 リインは塞がっていない左手で握りこぶしを作り、眼前の男の脇腹へドスンと叩き込む。


「ぐぅ! がはっ! がぁ!」


 二度、三度と続く打撃は空気すらも揺らすほどに激しく、普通の人間なら一度で粉々に砕けてもおかしくはない。岩石すらも容易く割ることが可能な破壊力ゆえ、少年も無傷では済まず、吐血と共に意識は霞み始めるが、痛みがそれを良しとしない。


「インビンシブルとアサシンステップを消費させればこの程度。回復しないの? もしかして、もう出来ない?」


 リインとイリックは向き合っているようでそうではない。互いに右手で繋がっているため、見つめ合うというよりは正面に立ちながらも斜め前を見据えている。ましてや右腕が両者の視線を遮っているため、相手の表情を完全には窺えない。

 それでもわかることがある。

 対戦相手は回復を使える。コネクトの副産物なのかそうではないのかまでは把握できていないが、その事実は把握済みだ。

 しかし、先ほどから使う素振りを見せておらず、青い炎であちこちを焼けどしたままだが、ましてや右腕を潰されかけ、右脇腹も損傷したにも関わらず、痛がるだけだ。

 以上から、リインはこう推測する。

 この人間はマジックポイントが切れた、と。


「だとしたらテレポートも使えない。本当に終わり」


 正解だ。実は、イリック本人が誰よりも痛感している。

 キュア換算で十一回がイリックの手数であり、残量だ。ここでの戦いで水の武器を何本も作成しており、そういった意味でも少ないマジックポイントは枯渇気味だった。

 最たる原因は、死体に引き寄せられて以降の自己回復だろう。左耳のガイストピアスが逐次補給してくれるものの、必要量をまかなえるには至っておらず、結果、リインの発言は的をえる。

 テレポートは魔法の中でも一際消費が多く、必要量はキュア七回分に相当することから、イリックとしてはこれを用いるか否かで戦闘での立ち振る舞いを変えなければならない。

 すなわち、魔法を思う存分使ってもよいのか。テレポートの有無で戦い方は根本から変化する。


(短期戦が成り立たないと、俺はこうも無力なのか……)


 焦燥するイリックは、自身の体が持ち上げられようと抗えない。そうするだけの気力と体力が奪われてしまった。脱力気味に、事の成り行きを見守ってしまう。

 もはや不要と判断したのか、リインはオレンジ色のオーラを消し去り、眼前の人間を右手だけで宙吊りのごとく釣り上げる。

 二人の身長を比較した場合、少年よりも女の方が幾分長身なため、足がわずかに浮き上がる程度だが、こういったことが可能だ。

 諦めきれずに足をばたつかせようと、今のリインは容易くいなしてしまう。衰弱している冒険者など、この女からすれば死人も同然だ。

 仲間の力を借りなければ戦えない少年。

 単身で神の領域に踏み込む女。

 両者は根本から異なる。始めから勝負など成立しない。


(どうやらあの力は使えない。だとしたらあっけない。そもそも論として……)


 リインが危惧していたことは一つだ。マンイーターのような常軌を逸する武器ではなく、イリックが垣間見せた超常的な力、すなわちコネクト第二形態だ。

 しかし、今回はそれを披露しない。それどころか、もはや満身創痍の状態にまで追い込まれている。

 偶然の発現、言い換えれば未だに制御できておらず、自分の意思ではどうすることもできないと、容易に推測可能だ。


「死ぬ前に二つ教えて」


 女の問いかけに対し、返答などない。

 だが、独り言に終わろうと今は淡々と続ける。


「今朝のあの力は何? コネクトで間違いない?」

「……だろうよ。俺だって驚いてる」


 イリックは本件に関しては嘘をつけない。自身に起きた現象にも関わらず、未だにその原理を解明できていないからだ。身体能力が高まる何かとしか把握できておらず、そういう意味ではリインの方が真実に近づけている。


「もう一つ……。なぜ、たった一人でここに? 私を追ってくるのなら、あの三人……、仲間とやらを連れて来るべきだった」


 リインにとって、この冒険者の行動は理解の外だ。

 自分を倒すための準備が全くできていない。一パーセントだろうと勝率を高めるためには、神威を受け付けない四人全員で戦いを挑むべきだと素人ながらに予想できてしまう。

 それでもなお、この少年はそれをしない。単身でスカーティアに踏み入り、マンイーターという切り札を使いこなすこともできず、ついには追い詰められている。

 自業自得だ。彼女からすれば、イリックという人間はただただ滑稽で、どこまでも愚かだ。


「――おまえ相手に守りながら戦えるほど、俺は器用じゃない。これがベストだと思ったんだ」

「理解できない」


 そう。何を言いたいのか噛み砕けない。

 イリックの言い分はこうだ。

 リインという強敵から仲間を守る最善手、それは戦わせないこと。

 そして、自分一人で討伐する。

 確かに理想かもしれないが、リインからすればこの上なくつまらない理想論だ。愚かすぎる発想ゆえ、吐き捨てたくもなる。


「あなたはひどく思い違いをしている。自分が敗北したらどうなるのか、それを自覚できていない」

「な、何……?」

「あなたを殺した後で、私は人間全てを滅ぼす。あの三人……、仲間とやらも例外なく。いえ、真っ先に殺す対象」

「だから、それはさせない! があぁ!」


 負けたにも関わらず吠える人間に対し、リインは右手の握力をわずかに高め、その手首をさらに圧縮する。

 もはや武器を握ることもできないのか、イリックは大事なマンイーターを手からこぼし、周囲には甲高い金属音がカラカラと鳴り響く。

 二人の右腕をつたう真っ赤な血液は、イリックの命がこぼれていくことと同義だ。


「無知ゆえに許されるわけではない。私を倒さなければ人間は守れない。そのためには三人が必要だった。もっとも……、この結果に収束する」


 リインにとって、この状況は揺るがない。敵が増えようと、戦闘時間がわずかに増す程度だ。

 そうであろうとなかろうと、イリックの選択は愚かで笑えない。

 あの三人を守りたいという気持ちが逸り、結果、単身での挑戦を選ばせ、その挙句に敗北する。

 守るための戦い。そもそもこの考え方が間違いだと、リインとしては指摘したい。

 だが、そんなことをする義理もなく、今から殺す人間に対し、つまらない時間を割くことこそが非生産的だと理解している。

 鼻につく。

 一言で表すならこうだ。リインにとって、イリックという人間の物の考え方はどこまでも相容れない。

 そして、好きになれない。

 自身の発言が説教なのかアドバイスなのか、それすらに興味を抱けないまま、リインは最後の高説を垂れる。


「最後に一つだけ……。コネクト。この魔法について、教えてあげる」


 そして、一瞬の静寂が訪れる。イリックの荒い呼吸音が両者の耳に届いてはいるのだが、この地においてそんな雑音は無に等しい。


「あなたはこの魔法についても思い違いをしている。いえ、もしかしたら出来損ないの可能性も……」


 リインはこの件についてだけでは、どうしても伝えておきたかった。

 確認作業とも言えるが、何にせよ、イリックを殺す前に必ず済まさなければならないと前から考えていた。


「コネクトは神と繋がる魔法。だから、私の魔力制御はさらに向上した。披露する機会はなさそうだけど、燐火以外にも魔法を作り出すことができた」

「……神と?」

「そう。だけど、あなたはそう思わない。思えない。なぜなら……」

「――俺のコネクトはあの三人と繋がる魔法だ」

「それがおかしい。不出来だと判断。少なくとも今朝まではそう思っていた」


 この魔法について、両者は決して共通の見解を抱けない。まごうことなく、同じ魔法を習得しているのだが、わけあってそう思えない理由がある。

 その部分を確認したい。

 意見を交えたい。

 この件に関しては、イリックもしくはロメロン王としかできない作業ゆえ、今はその相手としてこの少年を選ぶ。


「今朝……。あの力か?」

「そう。あなたは自覚できていない? 放たれる波動の質が私の神威や神歌と同質だった」

「……つまり?」

「あれは神の力。コネクトの力」

「――俺はこの魔法を、とある錬金術師さんの実験で身に付けた。神様とやらが介入してるとは思えない」


 イリックの反論に対し、リインは小さく息を吐く。ただの人間ゆえ、何も知らないことは当然だ。それでもなお、その愚かさには呆れてしまう。

 少年の手首を掴み、わずかに持ち上げたままの状態で、女はゆっくりと口を開いて議論を再開する。


「神は人間を作り、次いで魔法と戦技と作った。いえ、この世界、ウルフィエナやそこに住まう生き物全てを産み落とし、こうして繁栄させている。例外はモンスターと精霊だけ。それだけなの。この時代に八属性以外の新たな魔法を発明できるとすれば、それは神かその領域に至っている存在だけ」

「……コネクトは神様とやらがわざわざ作ったってことか?」

「そういうこと。決して人間の製作物ではない」


 リインが知識と経験を混ぜ合わせ、最終的に導いた答えがこれだ。

 コネクトは神が新たに作り出した魔法。その理由や目的まではわからないが、そんなことは人間の推し量れることではなく、リインとしてもそれ以上を探るつもりはない。

 だが、納得だけはしたい。

 イリックのコネクトと自身のコネクト。

 この二つは同質の魔法なはずだが、どういうわけか根幹が似ているようで異なる。

 イリックは仲間の三人と接続し、彼女らの戦技や魔法を拝借するが、リインは神と繋がり、その結果、身体能力や魔力制御が向上した。

 対象、すなわち相手が別だ。比べるまでもない。

 ゆえに、リインは腑に落ちない。殺す前にどうしても意思の擦り合わせを行いたい。


「今朝、あなたが神の波動を放ったことで、違和感はある程度打ち消せた。やはり、これは神と繋がる魔法。それでも、やはりわからない。あなたはなぜ、人間と繋がれるの?」


 そして、またも沈黙が訪れる。イリックがこの問いかけに対し、すぐには答えを提示できないからだ。

 この少年にとって、コネクトは次のような手段だ。

 ネッテと接続し、アサシンステップとデュアリズムを借りる。

 アジールとも接続し、ウォーシャウトとインビンシブルを借りる。

 ロニアとも接続し、魔力とオムニシエンスを借りる。

 つまりは、仲間の力を共有することが可能となる。

 ゆえに、神がどうこうと説明されたところで、実感できないことは不自然ではない。

 一方で、今朝の身体能力向上については不透明なままだ。おかげでこの女を追い返すことには成功したが、原理や起動方法はわからずじまいなため、今はこうして殺されかけている。

 イリックが言えることは一言だけだ。


「俺にとって、コネクトはそういう魔法だ。神様とやらを感じたことはない」


 この返答は、リインにとって至極つまらなく、同時に不正解だ。

 求めていた回答が得られないばかりか、知識としては何一つ増えなかった。

 彼女でさえわからないのだから、ただの冒険者がそれ以上を知るよしもなく、この問答は時間の無駄でしかないとついには気づかされる。

 あえてこじつけるのなら、両者のコネクトにはやはりわずかな差異が生じているということか。

 他者と繋がる少年。

 神との絆で進化した女。

 現象の根幹は共通の魔法だが、過程や結果は別物だ。

 その原因を知りたかったのだが、それは自ら調べるしかない。そう結論付け、リインは右手の握力をさらに強める。

 その結果、酷く耳障りな悲鳴と、ドサリと鈍い音が周囲へ響く。手首が潰され、支えを失ったイリックが硬い地面に落下したからだ。

 少年は叫ぶ。右腕を侵す熾烈な痛みは、手首から先をブツリとちぎられたためだ。その痛みは屈強な冒険者であろうと限界の範疇を越えている。

 対戦相手の足元でのた打ち回っている場合ではないのだが、今はそれ以外のことができず、泣くように雄たけびをあげることが精一杯だ。

 敗北や死という概念すら脳裏に浮かばないほどに、焼けるような痛みが少年の思考を暴走させる。

 これまでの人生において、間違いなく上位に食い込む経験だ。いっそ殺せと心から願ってしまう。そんなことをせずとも勝者がとどめをさすのだが、脳すらも侵食する神経系統の混乱は、生命活動の停止以外では終わってくれない。


「ガアァ! いぎぎギギ!」


 イリックは涙をこぼしながらも、痛みの元を絶つように左手で右腕を握る。出血を止めるためではなく、本能がそうさせるのだが、この程度のことでは痛みを和らげることもままならない。


「無様ね。あの女は一切取り乱さなかった。あなたは所詮、この程度」


 勝者は見下すようにつぶやき、敗者の右手をぼとりと落とす。

 あの女とはアジールだ。今朝の戦いにおいて、指輪のために左手を切り落とされたのだが、魔眼による痛覚遮断により痛みを感じずには済んだ。

 リインはこの二人に同じような損傷をもたらしたが、そのような芸当ができないイリックが痛がる姿は当然なのだが滑稽に映る。


「おしゃべりはこれまで」


 これは死の宣告だ。リインにとって、この人間は非常にやっかいな、しかし、眼中に無い存在だ。

 それでも別れの言葉は贈らねばならない。自分を苦しめた障害の一人であり、空に浮かぶ遺跡にて合間見えた宿敵なのだから。

 悲痛な叫びにかき消されてもおかしくはないのだが、それでも冷たいその声は確かに届いてしまう。


「死になさい」


 そして、撃ち込まれる青い炎は命の灯火を飲み込む煉獄の業火だ。小さかろうと、たった一度で人間を焼却できる。この火力は彼女の才覚と神の力が融合した結果であり、ただの人間には耐えられるものではない。

 さようなら。

 そう伝えることもできたが、彼女はあえて死をつきつける。

 神の使命を背負っているから。

 人間らしい感情なぞ、遥か昔に失ったから。

 この男に情など移ってはいないから。

 どれも正解であり、何より、どんな言葉であろうと結果は普遍だ。

 勝者と敗者。

 男と女。

 コネクトを宿した者とコネクトを奪取した者。

 そして、人間と人間。

 所詮は神の用意した舞台で踊るだけの役者でしかないのかもしれない。

 ゆえに、その筋書きもまた用意されていなければならない。

 この結果もまた、神の望んだ通りなら、それを覆せる者もまた、神かそれに匹敵する超越者だけだ。

 だからこその魔法が、少年の内側に宿っている。

 これは殺しの道具ではない。

 そうすることもできるが、それだけではない。

 それを証明するために、演者はまだ息絶えてはならない。

 ここまでは予定調和だ。

 台本はここまでだ。

 だからこそ、その力は顕現する。

 準備期間は終了だ。そのための過程はきちんと終えている。

 魔法と呼ぶには不出来なそれは、そういう意味でも未完成品だ。踏まなければならない工程が多すぎる。

 だが、少年は完了している。

 彼女との最大の差はまさにここに尽きる。

 付け焼刃の魔法で使いこなせている時点で、真の性能を見出せるはずがない。

 なぜなら、この魔法はそういうものだ。

 初めて作ったがゆえにどこまでも歪なそれは、それでも立派な魔法の一つだ。少なくとも、少年は今まで使いこなしてきた。

 そして、今後も活用する。

 冒険者らしく、リーダーらしく、男らしく、今はやるべきことを開始しなければならない。

 そのための手段を一年前に会得したのだから、それを今からぶつけるだけだ。

 長い準備段階をえて、この魔法はついに新たな一歩を提供してくれる。

 長かった。

 待ちわびた。

 必要だった。

 だからこそ、だからこそだ。

 我慢させてしまった。

 孤独にさせてしまった。

 強がらせてしまった。

 手を差し伸べる。そうすることが自分の役目だと、無自覚ながらも理解できていた。

 貧相だったかもしれないが、そんなことを言い訳にして逃げたりはしない。なにより貧乏生活は今なお継続中だ。

 それでも自分の周りには三人がいてくれた。

 寄り添ってくれていた。

 だからこそ、発動する。

 そうでなければならない。

 そうあるべきだ。

 どちらにせよ、この力はそれを汲み取り、与えてくれる。

 一人で戦わなければならない。仲間を危険な目に合わせたくない。

 独りでここに来なければならない。自分以外に戦えるはずがない。

 傲慢かもしれないが、今回ばかりはそれが正解だと言い聞かせ、行動に移る。そして、辿り着いた。

 その結果が敗北では意味がない。負けてはならない。

 勝ちたいのではない。

 仲間を、三人を守りたい。

 そのための力がないのなら、誰かから借りるしかない。

 天から授かったこの魔法はそのための手段だ。

 地上から見上げた時よりも、空の色は重々しくも青い。

 綿菓子のような白い雲は見当たらない。ここの高度はさらに上だ。

 本来は薄いはずの空気は、視認できない結界によって一定量を保っている。

 ゆえに小さな木やかわいらしい花、生命力の強い雑草があちこちに芽吹いている。

 それだけではない。

 防衛機能として鎮座している機械のようなモンスターや、本来は地上にいるはずの精霊達も共存できている。

 ここは空に浮かぶ古代の遺跡、スカーティア。

 神の世界に最も近いこの場所は、何万年もの間、ウルフィエナを見守っている。


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