第六十八章 畏れよ、私を(Ⅳ)
コネクト。神が作り出した神秘、魔法の一つだ。
習得者はこの世界にたった三人しかいない。
一人目はネレネン王国の王、ロメロン。国に伝わる至宝神器を手にしたことで身に宿す。
二人目は若き冒険者、イリック。ワシーキ村にて謎の薬を飲み会得する。
三人目は不老不死の女、リイン。古代人の遺したマジックアイテムを使い、ロメロンから魔法を複製、自らに植え付ける。
過程も背景もまるでバラバラだが、行き着く先は同じだ。最新の魔法、コネクトを手中に収めた結果、新たな生き方を実現している。
ロメロンは姉と接続したことで、あらゆるものを貫く強力な氷の魔法を使いこなす。血の気の多さから、王族でありながら戦地に赴くその性格は、他を寄せ付けぬ破壊力によって信念に昇華する。
イリックは八年間の仕事によってそこそこの実力者に昇りつめていたが、経験の乏しさとなにより装備品の貧弱さが足を引っ張っていた。煉獄のモンスター、デーモンにも苦戦させられたが、コネクトの有無が勝敗を分ける。
リインは二人の男とは異なり、この魔法を受け入れる資格を持ち合わせていた。その結果、体が急激に成長する。不老不死の化け物は、魔力だけでなく身体能力さえも人間の壁をあっさりと突破してしまう。
三者三様の使い方をしているが、天からの授かり物を享受しているという意味では共通だ。
他者と繋がり、その人物の力を自らの戦闘力に置き換えることができるのだから、コネクトの所有者とそうでない者とでは勝負にならない。そもそも一対一ではないのだから、不公平だ。
リイン。建国間もないガーウィンス連邦国にて生を受ける。まるで一度も切ったことがないほどに髪は長く、大きな瞳とそれは真紅に染まっている。
女性にしては高い背丈。
すらっと美しい四肢。
細い腰とは対照的な胸。
どこを見ても男を惹きつける甘美な宝石だ。
闇よりも暗いロングのワンピースは、彼女の思想を表現している。
どこまでが自分の考えで、どこからが神の意志なのか、もはやリイン自身にもわからない。
それでも明白なことはある。
人間を滅ぼさなければならない。
邪魔だ。邪魔だからこそ、ウルフィエナから駆逐する。
最後の一人になれた時、彼女は死ぬことができるのかもしれない。
リインもまた、人間に他ならないのだから。
「なに?」
ゆえに驚く。この感情も、人間が抱く至極当然のものだ。
地鳴りのような音と共に、デフィアーク共和国が激しく揺れる。
リインを含め、軍人達もその震えには体を揺さぶられる。
原因はたった一回の衝突だ。空から降り注いだそれが、爆音と共に局所的な地震を発生させる。
軍人達の多くが姿勢を崩す中、リインは振動に身を任せつつ、大地から伸びる樹木のように直立を維持する。
何が起きた? わかる者など一人もおらず、しかし、正解は女の死と引き換えに明らかとなる。
弾け飛ぶ肉塊。
真っ赤な花のように飛び散る血液。
そこに立っていたリインは、攻撃体勢にも防御の姿勢にも移行できず、腰から上、正確には右半身と頭部を爆破されたように失う。
圧倒的な破壊力。
容赦のない暴力。
人間を超えた人間をさらに超えた人間。大きく息を吐きながら、その巨漢は攻撃を終わらせたにも関わらず、実はまだ状況把握を終えていない。
「フシュ~。なんじゃ? なんじゃこれは?」
大きなクレーターを作ったこの男は、空から落ちたように見えるが正確ではない。商店街や住宅街が並ぶ一段高い区画から、長い階段を使わずに飛び跳ねて降り立っただけだ。つまり、たった一度の跳躍で広大な領土の何分の一かを移動したことになる。
空中から一望した風景が、この男の胸を逸らせていた危機感の正体を提示する。
薄い茶色のグラウンド地帯が、局所的ながらも真っ赤に染めていた。大量のトマトをばらまいて踏み歩いたわけでもなければ、大地を赤い絵の具で塗り替えたわけでもない。その程度のことは一瞬で見抜ける。
誰よりもモンスターを殺してきたこの男は、同胞達が大勢殺害されたことを察すると同時に、その実行犯を遠目からでも見つけ出す。
この女だ。
例の女だ。
頭の回転は決して速くはないが、本能と感性が絶対悪を瞬時に見極める。
軍事力の頂点に君臨する男が、リインという異物を見逃すわけがない。
大空から降り立ち、むき出しの平地を大きくへこませながら、その女目がけ真っ直ぐ走る。
到着と同時に太い右腕を振りぬけば、それがリインであろうと爆発霧散は避けられない。
「かはっ! じ、死んじゃうがぼ~」
「く……、回復、を……」
「な、なぜここに……?」
骨格が歪むほどに引っ張られていた三人は、突然の解放に喜ぶ余裕もなく、力なくその場に崩れ落ちる。
ネッテが最も重症だ。人体には百を越える骨が存在しているが、三割ほどにひび割れや断裂が起きている。普通の人間なら痛みに耐えられずショック死してもおかしくない。冒険者特有の生命力が彼女を生かすついでにその口を動かす。
アジールも体の節々が損傷するも、魔眼のおかげで痛みを感じずには済む。それでも傷を負えば体の機能は低下してしまう。切断された左腕からの出血は既に致死量だ。
エミリアは背中や腰の痛みに耐えながら、突然の訪問者に目を丸くする。デスクワークが多いため、普段から腰痛とは付き合っているが、今回の圧迫は完全に追い討ちだ。
三人が腰を下ろしたその場所には、枯れた大地には不釣り合いな水たまりが鎮座している。発光するそれは先ほどから三人を癒し続けており、一命を取り留めた命に潤いをもたらす。
光と水の混合魔法、ヒーリングカレント。ロニアが編み出した奇跡の魔法が、彼女達をじわじわと癒し続ける。
「速すぎて何が起きたのか全然見えなかったわ」
「まさか駆けつけてくれるとはな……。しかし、一体どうやって?」
ロニアは水たまりへの魔力供給を継続しながら、リインの残骸付近に立つ巨大な軍人に視線を送る。
エミリアもすっと姿勢を正し、想定外の出来事を素直に驚く。
命を救われた。この事実は揺るがないが、今は喜ぶこともできないほど錯乱中だ。
「時々見かけたおじさん! ごほっ」
「まだしゃべらない方がいい」
尻もちをつきながらも、ネッテは命の恩人と仲間達に笑顔を向ける。ゆっくりと傷は癒えているが、それでも内臓はぼろぼろだ。息を吐くように吐血してしまう。
もちろん、アジールもこの男を知っている。ネッテの背中に右手を添えながら、そして左腕を諦めながらも助かったことを素直に喜ぶ。
リインの引き付ける能力は、同質の物体を一方へ引っ張ることが可能だ。
今回の場合、アジールが基点となり、ネッテとエミリアが手繰り寄せるように引き寄せられてしまう。
ウォーシャウトの制限下ゆえに、リインはアジールに対してのみ攻撃が可能だった。それでもこの能力を使えば、同時に残りの人間も始末できてしまう。
そういう算段だったが、その目論見は自身の死によって阻止される。へそ付近から上を粉々に砕かれてしまっては、不老不死と言えども発動中の能力を維持し続けることは難しい。
「おう、エミリア殿。大丈夫か~?」
「あぁ、感謝する」
白い歯を見せながらウシシと笑う初老の男は、人間とは思えぬほどに長身だ。ネッテの倍近くゆえ、巨人のようなモンスター、ジャイアントと見間違えてしまっても不思議ではない。
老人と呼ぶにはまだ早いが、それでも老け込んでいる顔は年季の一言では片づけられない。堀の深さとしわが生きた時間の長さを物語っている。
頭髪は少なく、茶色い髪が生え渡ってはいるが、頭頂部の不毛地帯は決して狭くはない。
大男。この単語では足りぬほどに巨大だ。筋肉の鎧が分厚く、そこから伸びる腕や足は大木に匹敵する。
黄色い軍服は破れそうなほどに張りつめている。否。先ほどの打撃を繰り出すと同時に上着のボタンは全て弾け飛んでしまった。
ふしゅう。大きな胸がわずかに縮み、多量の息が吐かれる。常人の十倍以上を誇る肺活量は、単なる呼吸でさえ突風を発生させる。周囲の人間からすれば迷惑極まりない。
ザザ。第一海軍の長として、デフィアーク共和国を守る最大最強の軍人だ。
サウノ商業国に出張していたこの男が予定時刻よりも早く帰国したことで、戦況は一変する。
軍長はこの国に七名存在する。全員が超人と呼ばれるが、彼らが均一の強さを誇るわけではない。順位付けが可能な程度に、七人の戦力はまばらだ。
エミリアは最下位だ。それも群を抜いている。相手を一秒程度制止させる弱体魔法、グリムスのおかげで鬼のような強さを発揮できているが、身体能力だけを見れば隊長クラスに順ずる。
マッカスの実力は四位か五位程度だ。すなわち、この男をもってしても敵わない軍人が数名いる。
七人の頂点に君臨する軍人がこの大男、ザザだ。最年長でありながら筋力は衰えておらず、その地位ゆえ会議の類に出席することが多いのだが、本人は戦場に立ちたがっている。
最強。この国はおろか、トリストン大陸まで範囲を広げようと、この軍人に勝る人間はいないだろう。超人という枠組みすら突破したその強さは、リインという化け物が相手だろうと色あせない。
単なる打撃によって、リインの上半身の半分以上が吹き飛んだことが何よりの証明だ。打たれ強さはそれほど高くはないが、コネクトの習得によって超人クラスには上昇している。
それでもなお、耐えられない。ザザの腕力はそういう次元だからだ。
反撃開始の狼煙。この男の登場は、冷え切った空気を吹き飛ばし、一筋の光をもたらす。
だが、足りない。
二本の足と左側しか残っていない上半身だけで、その女は今なお直立を維持している。細長いしわしわな臓器がむき出しの腹部は急激な細胞分裂によって復元を開始しており、ネッテ達を救うことはできても、リインを始末するには至らないとザザにも知らしめる。
「ほう。すごいのう」
そんな感想を抱くことしかしかできない。
体と共に、黒い衣服も同じ速度で元の姿に戻ろうとしている。
目の前に立っているのだから追撃は可能だが、今は見たこともないこの光景をついつい眺めてしまう。
「――この破壊力。あなたも軍長?」
「正解じゃ。おまえさんがリインとやらか」
顔が出来上がると同時に、二人の問答が始まる。右腕はまだ生えていないが、それ以外は完全に元通りだ。
長身のリインでさえ、ザザが隣に並ぶと子供に見えてしまう。否、小人と表現した方が近い。
「二人は倒した。あなたも倒してあげる」
「ほう……。エミリア殿と……、あそこのマッカス坊やか」
目元のしわを増やしながら、男はゆっくりと顔を動かす。視線は血塗られたグラウンドやぼろぼろの冒険者、エミリアに向けられ、ついにその男を発見する。
真っ赤な水溜りに浸りながら伏せるマッカスの姿は、完全なる敗者のそれだ。リインとの戦いで敗れたのだろうと、ザザは即座に理解する。
三人目の標的。リインにとってはこの男もその程度の認識だ。
しかし、大きな誤算だと次の瞬間に思い知る。
デフィアーク共和国には七つの軍隊が存在する。
つまり、軍長は七人いる。
ザザは今回、サウノ商業国へ会議のために赴いていた。帰国予定時刻は今日の夕方だったが、一本早い定期船に乗り込み、結果、半日早く戻ってみせる。
ザザは筋肉の塊だ。脳みそも筋肉で構成されている。
ゆえに、一人で会議に挑むことなど不可能だ。
そう。一人ではない。この男以外に三人の同行者がいる。
四人の軍長がサウノ商業国へ足を運び、そして今、帰国を果たす。
港からこの場所まで、徒歩でおよそ二十分程度の距離だ。走ろうと、五分から十分程度はかかるだろう。
定期船は今しがた到着したばかりだ。それでもザザがこの場所に立っている理由は、この男が走った場合、数秒程度で行き来可能だからだ。
ゆえに遅れる。
そもそも、そこまで急いでもいなかった。事情を知らないはずのザザが全力を出す方がおかしい。
残りの三人が少しだけ遅れて登場することは、至極当然のことだ。
先ほどのような衝撃音は伴わず、六つの足が故郷の地面を踏みしめる。
見慣れた光景が一変していること。
見慣れない女が立っていること。
この二点で十分だ。
ザザ同様、一瞬で察した三人は、それでもなお、飄々とした態度を崩さない。
「ヒュー、建国以来の大惨事だな。涙が出るね~」
だが、その顔は笑っている。部下達が大勢殺されたことが楽しいからではない。実行犯と思われる女がそれほどの実力を秘めていることと、何よりたった一人で数百人の軍人を殺したことが信じられないからだ。
「見て。マッカスちゃんがやられてる」
紅一点が青い眼球をついっと動かす。白い前髪の隙間から覗く光景は、まさに地獄絵図そのものだ。
駆け付けた三人の着地地点は綺麗なままだが、前方へ数分歩けば、そこは多量の肉片によって地面が真っ赤に染め上げられている。
その中間地点では、数人の人間がそれぞれの結果によってそこに集められている。
二人の女性は部外者だ。しかし、その顔は知られている。冒険者に分類される彼女達は密着するように座っており、光る水たまりに浸っている。
そのすぐ隣に立つ軍人は、同胞のエミリアだ。赤い軍服はあちこちが土埃や固まりかけた血で汚れている。その姿から苦戦具合が一目でうかがえる。
この三人から少しだけ離れた位置には、軍人ではない女性が肩を並べて魔法を唱えている。
一人はボディコンスーツのような艶のある衣服を着こなす冒険者であり、もう一人は天才として名を知られている錬金術師だ。両名がもたらす回復魔法が、小さな少女と長身な女性を窮地から救う。
そして、その集団から比較的近くに二人、離れた位置に一人が確認できる。
最後の部位、右腕のを急激な速度で復元している女が、考えるまでもなく指名手配犯のリインだ。報告書通りの人外っぷりが、遅れて現れた三人に状況把握を完了させる。
その目の前に立つ大男は、我先にと定期船を駆け下りた軍人、ザザだ。
なぜ、帰国のタイミングを早めたのか。
なぜ、急いで機船を下りたのか。
野生的な本能がそうさせたのだろうと同行者達は考えていたが、その疑問は軍区画の光景によって解消する。
虫の知らせのように、リインの出現を感じ取っていた。本来ならばありえないことをやり遂げる危機管理能力こそ、この国の頂点に君臨できる証なのかもしれない。
最後の一人は、離れた位置でポツンと倒れている。この男が地に伏せることはありえないのだが、事実そうなのだから受け入れるしかない。
銀色の軽鎧はあちこちがひび割れ、部位によっては砕けている。ミスリル製ゆえ、本来ならば早々壊れることはないのだが、倒れている男が身に着けているそれは修理不可能なレベルで破損している。
マッカス。駆け付けた四人にとっても、彼の敗北は信じがたい。
「やれやれです。まぁ、相手があれでは仕方なかったのでしょう。一辺倒な性格ですし」
赤い眼鏡の位置をくいっと動かし、その男は呆れながらも仲間の敗北を同情する。
「おー! とりあえず一回倒したぞい! フシュ~」
眼前で再生する女を気にも留めず、ザザは振り返るや否や、遅れて現れた三人に大きく右手を振る。
リインの討伐を喜んでいるわけではない。
自慢しているわけでもない。
急いだことで少ないなりにも命を救えた。それを誇っている。
「前見ろ前」
「私でもあんな修復は無理だわ~」
「報告書通り、人間からは逸脱してますね」
回復魔法ではおよそ再現できない復元力で、リインは元の姿へ戻ってしまう。爆発的な細胞分裂によって、失われた腹部、胸部、右腕、顔が再生するその光景は、数多くモンスターを屠ってきたザザでさえ初めての体験だ。黒いワンピースも連動して修復されており、もはや手品と呼ぶことすらできない。
「エミリア殿とマッカスがやられた以上、俺も加勢するしかね~な。くくく」
危機的状況を理解しながらも、この男は笑みを絶やさない。
背丈は高く、長身のアジールやリインすらも上回っている。黄色い髪は非常に短く、五分刈りゆえにほとんど坊主頭だ。左頬の切り傷のせいで強面は物騒だが、それさえなければ清涼感溢れる二枚目に見える。
軍服は水のような色合いをしており、すなわち第二海軍を意味する。新調されたその服は縁が黒く、薄い水色と黒の構成からは高級感や威厳が漂っている。縁取りの黒は軍長の服だけにあしらわれており、すなわちこの男は超人だ。
ルードリッジ。遠方の死体が取り返しのつかない惨状を物語る中、この男は怯むことなく闘気を燃やす。
「マッカスちゃんより強いのなら、私は遠慮しとこっと」
臆してはいない。相手が化け物であろうと、この女性は対等に渡り合える。それでも、近しい実力の同僚が敵わないのだから、無理をせず安全策を選ぶ。
彼女も非常に長身だ。厳密に言えば三人が三人共、二メートル近くを有しており、彼女だけがその大台に届かないものの、女性にしては珍しいほど背は高い。
青い目にかかるほど長い前髪も、背中へさらっと伸びる後ろ髪も雪のように白く、軍服の色も同様ゆえ、作り物のような儚さが垣間見える。着ている服は真新しく、そのデザインは他の二人同様一新された結果、縁取りは黒い。
つまり、この女性も軍長だ。
ミーズ。白は第一陸軍を意味しており、彼女はその頂点に君臨する。
実は、マッカスおよびウェイクとは同期だ。その年齢ゆえ若くはないが、男運に恵まれなかったため、未だ独身を貫いている。ウェイクを狙っていたのだが、ミヤというライバルの出現により半ば諦めている。
「あなたこそ先陣をきらないと。まぁ、今はザザ殿に任せましょう。得体のしれない化け物には相応の相手が適任です」
再び、赤い眼鏡をぐいっと動かす。
黒髪は短く、眉間には常日頃からしわが寄っている。眼光の鋭さも相まって神経質そうな顔立ちだが、事実そういう性格だ。
軍服は黒く、縁取りは他の二人とは異なり黄色い。しかし、意味合いは同様だ。
クルト。第四陸軍の軍長。
軍隊でありながら、第四陸軍は率先してモンスターとは戦わない。彼らの仕事は治安維持および要人警護だからだ。つまり、主たる活動場所は国内ということになる。
ゆえに、国民にとっては最も身近な軍隊であり、だからと言って実力が余所より劣るわけではない。
軍長であるクルトの実力は、マッカスやウェイクをも上回る。つまり、リインと戦っても引けを取らないのだが、今はザザという最適解をぶつけようと画策する。
突然現れた四人の軍長。この変化はネッテ達にとっては希望の光であり、リインにとっては不測の事態だ。
コネクトを習得した彼女に敵などいないはずだった。少なくとも、エミリアとマッカスには勝利を掴んでいる。
だが、ここからは別だ。それを痛感するまでに、それほどの時間はかからない。
「燃え尽きなさい」
囁くようなその声は死刑宣告だ。再生直後の赤髪を揺らしながら、リインは人魂のような青い炎を四つ作り出す。
魔力によって具現化されたそれらは、火属性の攻撃魔法フレイムとは別種だ。その魔法では同時に複数の炎を作り出すことなどできない。
握りこぶし大の鬼火が即座に発射される。向かう先は眼前にそびえ立つ壁のような巨躯、すなわちザザだ。
よそ見をしていたのだから当然だが、それらは全弾命中し、黄色い軍服を青く塗り替える。
即座に脱げば間に合ったのかもしれない。だが、そうできなかったのだから、軍長と言えども待ち受ける結末は絶対的な死だ。
一命を取り留めたネッテ達や、錬金術師のリンダもこの光景には息を飲む。駆け付けてくれた軍人が結局は殺されてしまうのだから、胸が痛まないはずがない。
「あ、熱い! 容赦ない小娘だぁ……。少しは老人を労われ!」
小さな火種を鎮火するように、大きな手のひらがバンバンと軍服を叩いて炎の拡大をあっさりと阻止する。
「……は?」
ありえない。ありえないからこそ、リインは言葉に詰まる。
燐火の火力は自然界のそれとは比べものにならない。頑丈な軍人すらもあっさりと塵と化すことからもそれは明白だ。
そんなことは当の本人が誰よりも理解できており、熱いとぼやきながらもあっさりと消火したこの男は彼女の常識と想像を超越している。
「フシュ~。最後の一張羅がこげてしもうたわい。明日からはあれを着るのか。気が重いのう」
今なお煙が立ち上る軍服は旧デザインのそれだ。ルードリッジ達が来ている黒縁の軍服が現在支給されている正規品だが、ザザは自分用のそれを毛嫌いしている。
瑠璃色と黒色の二色は決して悪くはないのだが、黄色い軍服を着続けてきたからか、駄々をこねるように旧デザインの軍服を愛用している。
だが、そんなこだわりは今日で終わりだ。降り注いだ青い炎によって焼かれてしまった以上、いかに気に入っていようとこの軍服を着続けることはできない。もっとも、一撃目の打撃に際して、膨れ上がった筋肉に耐えられず上着の前ボタンは全て弾け飛んでいる。その時点で既に終了だ。
今更悔いても後の祭り。
そんな事情は彼女にとって微塵も意味を成さない。今、最も重要なことは、ジャイアントのように巨大なこの人間が、己の数百年の人生において最強の障害だと確定したことだ。
炎を消した手が熱いのか、息を吹きかけるザザの都合など一切無視して、リインは追撃を開始する。
これは試合ではない。殺し合いだ。隙を見せた方が負ける。もしくは殺される。そういう状況に身を置いている以上、彼女の行動を責めることなどできない。
ドスッ。鈍い音が響き渡る。
発生場所は巨漢の腹部だ。腹が鳴ったわけではなく、比較すると子供にしか見えないリインが右腕を突き刺したからだ。
相手を貫くために指を束ねて尖らせた右手は、思惑通りにザザのへそ付近に命中している。
身長差を理由にその位置が限界だが、人間を殺すための損壊としては十分だ。
どういう理屈なのかわからないが、燐火は通用しない。それなら自らの手で殺す。リインはそう結論付け、幾重もの軍人を屠ったやり方を実行する。
高まった身体能力は超人と同等かそれ以上だ。抜き手のようなこの攻撃は、ミスリル製の防具すら貫ける。回避以外にやり過ごす術などない。
「本当に血の気が多いのう」
(――どういうこと?)
わからない。わからないが一つだけ確定していることがある。
自身の右手は相手の腹を貫けず、尖らせた指はグニャリと折れ曲がっている。
自慢の魔法では殺せない。
得意ではない接近戦も所詮付け焼刃。
遅れて現れたこの人間は、自分にとって最大の壁だ。リインは行動を起こす度に、そう突きつけられる。
攻撃が通用しない理由は簡単だ。触れたことでそのからくりを見抜くことに成功する。
ただただ頑丈。それだけのことだ。
どういった生き方をすればこの領域に辿り着けるのか。
どれほどの鍛錬を積んできたのか。
何体のモンスターを倒したのか。
わからないことばかりだが、この男の強さに関しては憶測の域を出ないなりにも予想できる。
「噂には聞いていたけれど……、底が見えないわね」
顔を両側から包み込むような髪型は、ボブカットと呼ばれている。ロニアは自身のそんな黒髪を撫でながら、呆れるようにつぶやく。
先ほどまで猛威を振るっていたリインが手も足も出ない。そんな光景がにわかには信じられないからだ。
「さすが筋肉のおじさん!」
「第二海軍の軍長、伊達じゃない」
すっかり傷の癒えたネッテが目を光らせる一方、アジールはいつもの無表情を維持したままだがやはり関心する。
ネッテはこの地で費やした一か月間の鍛錬中、数える程度だが軍長達を遠巻きに眺めている。
とりわけ、ザザ達四人は目立つ存在だ。高い身長と特異な雰囲気が理由なのだが、だからといってエミリアやウェイク、マッカスが軍長に似つかわしくないわけではない。
ザザの背丈は人間の規格を超越している。三メートル近いそれは、もはや巨人のモンスターと同類だ。そこにいるだけで、目印のように目立ってしまう。
イリック達の手合せ相手には一度も任命されなかったが、彼らの実力は軍区画にいるだけで耳に届く。
まことしやかには信じられない噂や、ウェイクやマッカスさえも凌ぐという軍人からの言質から、冒険者達は世界の広さを痛感する。
ゆえに、第二海軍の軍長が想像よりも強者であろうと今更驚きはしない。
しかし、それすらも上回れば話は別だ。
リインの実力は紛れもなく本物だ。
イリックでさえ逃げるのがやっとだった。
今日に限っても、何百人もの軍人を汗一つかかずに虐殺している。
その果てに二人の軍長を破ったのだから、この国はこのまま蹂躙されてもおかしくはなかった。
しかし、そんな相手でさえ、この男の前では赤子のようだ。
魔法も打撃も通用しない。
突き刺そうとした右腕を巨大な左腕で掴まれた結果、身動き一つとれないでいるリインの姿は筋肉隆々の冒険者に挑む幼い少女のようだ。
「それでもこのままでは……。やはり……」
エミリアの表情は晴れない。
ザザの登場で戦況は一変したが、リインはまだ実力を出し切っていない。
人間ごときに全ての能力を披露する必要はない。そんなプライドと慢心が邪魔しているのだが、神に近づいた彼女にとっては重要なアイデンティティだ。
戦う相手からすれば、自らに制約を設けてくれることはただただありがたい。にも関わらず手も足もでなかったのだから、軍人達は死を受け入れるしかなかった。
一方で、ザザなら別だ。これまでの仕返しだと言い張るように、この男は一切武装せずにリインを圧倒できている。
しかし、安心などできない。この女は手札を全てさらけ出してはいない。マッカスが最終的には殺されかけたように、少しでも加減を緩めた彼女の前では超人と言えども劣勢は必然だ。
少なくともエミリアはそう推測する。
「考えても仕方ない。今はやれることをやるまでさ」
黄色いエプロンを大きな胸で持ち上げながら、白髪の女性が次の負傷者を目指す。
リンダは冒険者でもなければ軍人でもない。しかし、いくつかの回復魔法を習得しており、魔力も素人にしては十分高い。
負傷者が続出するこの状況において、この錬金術師は瀕死のマッカスを救える数少ない一人だ。
白い髪と白いカーディガンはそれだけで目立つが、今なら安全に活動できる。自分を殺しかねない女が、今は眼前の男に手も足も出せずにいるこの状況は好機以外のなにものでもない。
「私もマッカスちゃんを癒してくるわ」
「そうですね」
ミーズの髪はリンダと同じ白だ。長いという点も近しいが、ごわごわと膨らんではおらず、すらっと落ち着いている。
この軍長も分類は後衛回復役だ。救える人間に手を差し伸べるため、ザザ達の攻防をわき目にタッと駆ける。
残りの二人、クルトとルードリッジは攻撃の専門家ゆえ、瀕死の同僚をどうこうできず、今は白い軍服の背中を見守る他ない。
周囲がゆっくりとざわつく中、その中心に立つ二人の人間は静かに闘志を燃やし続ける。
リインはミシミシと潰れていく右腕を眺めながら、赤い髪のように殺意を増幅させる。山のようなこの人間を殺したい。否、殺さなければならない。ふつふつと湧き上がる感情がそう命令する。
二倍近い背丈のザザは、首を前へ倒してこの女を観察する。どちらの手にも武器の類は見当たらず、真っ黒なワンピースをまとっているだけだ。
すなわち、己の肉体と魔法だけで地獄絵図を築いたと容易に結論付けられる。
方法はどうあれ、許せる行いではない。正義感の強いこの軍長は、リインの右腕を潰しながら大きく息を吐く。
「フシュ~。何が目的だ?」
「人間って不思議。相手の行動に対して、なぜ背景を探ろうとするの? 知ったところで殺されるだけなのに」
「勝ち負けなんぞやってみなければわからん。何人殺した? いや、後でわし自ら数えるとしよう。指名手配犯がなぜここにいる?」
「イリックだったかしら? それから聞いてると思うのだけど、見ての通り、器が拡大した。だから慣らしておきたくて。あなた達の抹殺もそのついで」
「そうかそうか……。ふざけるでない!」
途端、二人の間で赤い鮮血が飛び散る。握られていた右腕がはち切れ、ザザの手のひらからリインの血液が飛散したからだ。
「わし自ら引導を渡してやろう」
「人間程度が偉そうなことを」
そして戦闘が再開される。
先に動いたのはリインだ。跳ねるようなその動きは間合いを開くことをあっさりと完遂させ、同時に反撃の準備を整える。
「燐火」
先ほどは仕留め損ねたこの魔法だが、威力を高めることは簡単だ。数を増やせば良い。それだけのことだ。
主の命を受け、六つの炎が誕生する。青とも蒼とも言えぬその色合いは、人間の魂をあの世へ誘う道しるべそのものだ。
「フシュ~。それで部下達を殺したんじゃな?」
ザザの問いかけは独り言に終わる。
殺したことには違いないが、その数はたかだか十人数人だ。三百もの死体と比較した場合、誤差のような人数と言える。
そんなことをいちいち説明する気にもなれず、リインは殺意の塊を追加することに集中する。
六個では足りないかもしれない。
それならこうすれば良い。
言葉ではなく行動で、殺意の高さを説明する。
「な!? あんなに出せるの!?」
観客の一人、ロニアは声を荒げる。ネッテとアジールへの治療行為をついに完遂した彼女だが、リインの魔法には目を疑う他ない。
十二個にも及ぶ青い炎が、真っ赤な髪をさわさわと持ち上げながら漂っている。熱風によって黒いワンピースも小さく揺らぐが、もちろんそのための炎ではない。
「これでは加勢もできん……」
エミリアも言葉に詰まる。リインが作り出す鬼火は、一つだけでも軍人一人を葬り去れる。軍長達の頑丈な体なら即死は免れるが、回復魔法がなければ絶命は避けられない。
それらは、マッカスでさえ全てを避けられない速度を有する。そんなものが十以上もリインの周囲に漂っている。
いかにエミリアと言えども接近は不可能だ。
「よし! 来い!」
バン。誰よりも巨大な男が、自身の胸をゴツンと叩いた後に吼える。
燐火の火力がどれほどのものか、既に経験済みだ。耐えられる熱さだが、この数は未知の領域でもある。それでも怯まず、自分のやるべきことをやろうとするその意志は、軍長という肩書に相応しい。
ボタンが吹き飛び、あちこちが黒く焦げたばかりか穴すら開いている黄色い上着を、ザザは嬉々として脱ぎ去る。
そして気づく。真っ白な肌着も残念ながら炭だらけだ。
首を傾げ、脱ごうか破ろうか悩むその姿は臨戦態勢のそれではない。ゆえに、リインは攻撃を開始する。
「悔い改めなさい!」
号令により、青い炎達は一斉にばらまかれる。
そう。前面に立ちはだかる巨体を無視して、それらは各々の標的目掛けて轟々と突き進む。
抹殺対象はザザではない。彼女達だ。
血まみれのマッカスに小さな杖を向けるミーズ。
同じくマッカスに回復魔法を唱えるリンダ。
鼻息荒く見守るネッテ。
参戦できないことを自覚しながらも、気を緩めていないアジール。
ザザの負傷に備え、回復魔法の出番をうかがうロニア。
そして、リインの火力に恐怖すら覚えるエミリア。
人間一人を殺すには過剰すきる炎の数だった。しかし、相手がザザという規格外の超人ゆえに、その数に疑問を抱く者はいなかった。
十二という数は六人を抹殺するためだ。一人を仕留めるために念押しの二個。つまりはそういうことになる。
人間にとっては毒でしかない煉獄の炎が、戦闘相手を無視して急激に加速する。
不測の事態。彼女達は当然ながら、これはザザにも当てはまる。自分が狙われると踏んでいたのだから、完全に虚を突かれてしまう。
治療組は気づくことすらできない。わき目も振らず瀕死の男を癒している最中ゆえ、当然だ。
ネッテ達は予想外の凶行に思考がついていかず、迫り来る青い塊を茫然と見つめる他ない。
エミリアだけが即座に反応するも、その弾速は彼女にとっても脅威だ。宛がわれた炎は二つだが、片方を切り落とすことが限界ゆえ、死という結末は変えられない。
なぜ、わしを狙わない。当然の疑問がザザの脳裏に湧き上がる。しかし、そんな疑問の答えを問う状況ではない。今は行動が先だ。
そんなことは彼らもわかっている。
駆けつけた軍長は合計四人。
ザザ。
ミーズ。
クルト。
ルードリッジ。
絶望的なこの状況において、自分の仕事を果たさなければならない三人が行動を開始する。
真っ先にクルトが動き始める。赤い眼鏡から眺める光景はあまりに非道ゆえ、正義感の強いこの男がリインの悪行を許せるはずがない。
一見すると冷血漢に見える顔立ちと立ち振る舞いだが、祖国の治安を守る軍隊の長は内側に火傷しそうな熱量を秘めている。
そうでなければ務まらない仕事が、第四陸軍の軍長だ。
国民を守る。最も重要なこの任務を第四陸軍は生業としている。ゆえに情熱と実力のどちらも兼ね備えていなければ、決して遂行できない。
トリストン大陸で暗躍していた女が目の前にいる。クルトにとってこの事実だけでも血湧き肉踊る状況だ。その上、十二個もの青い炎がばらまかれたのだから、この悪行には拍手すら贈りたい。
もちろん、称えるためではない。底の見えない悪を演じるその立ち振る舞いが、この男の目にはただただ美しく、そして許せない。
だが、現状の最優先事項はリインの抹殺ではなく、これ以上の被害者を出さないことだ。
そんなことは当然承知しており、黒い軍服を着た男が我先に動き始める。
クルトの右手には漆黒の片手剣が握られる。サウノ商業国への出張ゆえ、本来ならば武器など不要だが、職業柄、常にダーク製の剣を携帯している。
発射された青い殺意よりも速く走り、先ずはザザを追い越す。行き先は正面に立つリインではなく、最も離れた位置に立っている錬金術師だ。
自分達に背中を向けており、燐火の接近に気づけていない。何もしなければ、次の瞬間にも火だるまだ。
それを避けるためにも、クルトは彼女に迫る二つの炎を右手の剣で漏れなく切り裂いてみせる。
燐火は攻撃魔法ゆえ、その速度は非常に速い。魔法とはそういう現象ゆえ、回避や防御がされにくく、ゆえに攻撃面で重宝されている。
この魔法は通常の魔法よりもさらに上をいく速度を実現しており、それでも軍長のほとんどは対応可能だ。
超人とはそういう人種であり、そういう人間こそが超人と呼ばわれている。
時を同じくして、二人目の軍人が地を這うような前屈みで移動を開始する。
この状況においても笑みを絶やさない精神力はもはや人間のそれではない。身体能力も凡人とは別次元だ。
反応速度ではクルトに遅れをとったが、それゆえに自分やるべきことは明白となる。カーディガンの上に茶色いエプロンを着ている錬金術師が守られたのだから、別の者を救えば良い。
薄い水色の疾風はルードリッジの残像だ。そして、この男もまた、単なる出張にも関わらず武器を携帯していた。
左の腰からぶら下がる鞘は細く、そして長い。黒色のそれには剣と呼ぶにはやせ細った刃が納められており、遥か東から伝わったばかりゆえ、まだまだ希少性は高い。
刀。片刃のそれは芸術品のように美しく、銀色の輝きは装飾品にも引けを取らない。技術大国のデフィアーク共和国でさえ、この武器の生産には手を焼いている。一部の職人がついに会得するも、生産性の困難さが流通量を細めている。
片手剣と比較した場合、刀の攻撃性能は決して突出しているわけではない。
軽く、長い。
切れ味も上まわっている。
しかし、それらを扱う軍人や冒険者は片手剣程度の重さを苦には感じておらず、そもそも剣で切れないモンスターとは早々に出くわさない。
リーチ面では刀に軍配が上がるが、一方で折れ易いという欠点もつきまとう。
それでもこの軍長は刀を選び、愛用している。命を奪うことに特化したその造形が、ルードリッジの心を鷲掴みにしたからだ。
「っしゃあ!」
気合の入った、しかしどこか楽しそうな声と共に、飛来する四つの炎がかき消される。密着するように肩を並べていたネットとアジールを目指していたそれらは、目的を果たすより先にあっさりと鎮火されてしまう。
ルードリッジとネッテ達は話し声が届かないほど離れていたが、その程度の距離など一歩を踏み出すのと大差ない。
誇らしげな男の顔が、雄弁にそう主張する。
「もれとるぞ」
「だからあんたがやるんだよ」
実際に会話が交わされたわけではない。二人の男が視線をぶつけ、そう意思交換しただけだ。
青い炎はまだ残っている。四つのそれらは、それぞれがロニアとエミリアを狙っており、このままでは彼女達が焼かれてしまう。
これらの担当者は、上着を脱いだ大男、ザザだ。
誰がどれを受け持つかなど話し合っていない。そんな時間も余裕もない。だが、やらなければならず、三人の男は自分達のやるべきことを遂行する。
最後の四つは最も速い強風によって吹き消される。クルトとルードリッジすらも上まわるその速力は、まごうことなくこの大陸一だ。
この国の港と軍区画は、領土における西と東に位置する。
徒歩でおよそ二十分。どんなに急いで走ろうと、十分前後が限界だろう。平地ならそれを下回ることも可能だが、ここは山々を切開いて作られている。長い階段があちこちに点在する敷地内を全力で走り続けることは容易ではない。
第一海軍の長は、その距離を二秒で疾走する。もはや人間の所業ではなく、いかに常人離れした軍人達であろうと、決して真似することなどできない。
なお、遅れて現われた三人の軍長は五秒程度で走り抜ける。ザザと比べれば劣るが、比較対象がおかしいだけで十分ありえない記録だ。
そんな脚力をもってすれば、リインの凶行も阻止できてしまう。
ザザに関しては武器の類を何一つ持っていないが、己の体が武器そのものだ。
右手で一つ握り潰し、左手で上から叩き霧散させる。
残りの二つは追い抜き、誰よりも広い背中で受け止める。
ガッと止まったその場所は、赤い軍服を着たエミリアの目の前だ。身長の差が原因で互いに相手の顔が見えないが、その軍長は小さく驚きながらも口を開く。
「感謝する」
エミリアがゆっくりと見上げると、そこには頬にしわを作りながら笑顔を浮かべる巨人の顔がある。
ふしゅうと息を吐きながら、どこか照れるように白い歯を披露するも、背中は轟々と燃えており、本来ならば今すぐにでも対処が必要だ。
救える命を救った。彼らはやるべきことを完遂してみせたのだが、その悲鳴が被害者の有無を提示してしまう。
「あああ!」
一人の女が蒼く燃える。
リンダでもなければネッテ、アジール、ロニアでもない。
マッカスの治療に注視していた四人目の軍長、ミールだ。女性陣の中で最も背の高い彼女は着弾した炎に包まれ、今はもがき苦しむようによろめいている。
超人ゆえに、煉獄の炎にもいくらかは耐えられてしまう。それでも手当て無しに生きながらえることなど不可能だ。
落ち着いて回復魔法を唱えれば間に合ったかもしれないが、突然の出来事に対応できず、ついには焼かれたまま地面に倒れこんでしまう。
「そんな!」
「くっ!」
ネッテは目を見開いて呆然とする。
ロニアは不測の事態に唇を噛む。
またも死者が出てしまったのだから、彼女達が悔しがることは必然だ。
しかし、どういうわけかその場に居合わせる軍人達は仲間の死を気にも留めず、それこそ視線すら向けず、中心に立つ女を注視する。
「一人しか殺せないなんて。でも、殺せた。どんな気持ち?」
リインは潰された腕を復元しながら、平然と言ってのける。
この戦果は恥じるべきなのかもしれない。それでも、相手側に被害を被らせたことから優越感に浸る。
「ああん? 別に」
「予想以上の威力ですね。というか、肉臭いです」
「熱い! 熱いぞ! エミリア殿! 消してくれ!」
「無理だ」
リインの発言など気にも留めず、三人の男と一人の女は平然と言ってのける。
このやり取りが益々部外者を混乱させるが、その理由は自らの目で確認しなければ納得できないだろう。
「まぁ、あれだな。俺でもなんとかなる相手だな……、っておい!?」
同僚の死にはこれっぽっちも嘆かなかったにも関わらず、ルードリッジは変わり果てた手元の武器に心底困惑する。
握り締めた柄の先、すなわち刀の刃が棒状のアイスのように溶けている。銀色の液体がどろどろと地面に垂れていく様子は元がミスリル鉱石とは思えないが、先ほどまでは紛れもなく硬質な刃だった。
「ほう、私のもこの有様です。すごいですね。ドラゴンのブレス以上でしょうか? やれやれ、とんだ出費です。予算に響きますよ」
左手の人差し指で眼鏡の中心を少しだけ持ち上げつつ、クルトは残念そうに肩をすくめる。
ダーク製の片手剣もまた、剣身が半分以上失われている。こちらは色合いからあぶられたチョコレートのようだが、けっして美味しそうには見えない。
「厄介な相手じゃのう。わしも完全に素っ裸じゃ」
白いティーシャツは焼かれ、ザザの上半身が顕わになる。五十代とは思えぬ強靭な筋肉が披露されるが、問題はリインの炎に晒されようと耐えられる強度の方だ。
隊長でさえ、外部からの手助けがなければ数秒で焼死する。ミールでさえ、十秒ともたず黒こげだ。塵にならず肉体が残っていることがありえないものの、どちらにせよ、焼かれて死んだことには変わりない。
ザザは裸体を晒しながら、普段通りにケラケラと笑う。同胞の死をこれっぽっちも気にしていない証拠だ。
「あ、あなた達! 仲間が殺されたのよ! なんともないの!?」
どこかおかしな空気に、ロニアが思わず声を荒げる。
駆け付けてくれた軍長が焼かれてしまった。にも関わらず、他の軍長は自分本位の会話を続ける。
そのことが腹正しく、らしくないとわかっていながらも怒りをあらわにしてしまう。
「ん? あれのことかい?」
「すまない。説明していなかったな」
ルードリッジが指差す先には、黒焦げの死体が転がっているはずだった。
エミリアはリインの様子をうかがいながらも、一瞬だけロニアに視線を向ける。
ロニア達が視線を動かすと、そこには三人の姿が確認できる。
今なお伏している男はマッカスだ。血の池に浸っており、白い光に包まれている。
軍服の上着を脱いで立っている男はクルトだ。溶けた片手剣は既に捨てており、黒い上着も脱いでいる。
そして、三人目の死体が見当たらない。髪と軍服を失った焼死体がそこに横たわっているはずだが、二人の傍には別人が立っている。
クルトに匹敵するほどの長身。
白い髪は非常に長く、羽織っている軍服の背中を雪のように染めている。
その軍服は黒く、黄色く縁どられていることから紛れもなくクルトのそれだ。つまり、拝借している。
身に着けている服もそれだけだ。裸体の上に直接着ている。肌色の臀部とやや太い両足がすらっと伸びており、右手はマッカスに向けられている。目的は治療行為、手段は回復魔法だ。
死体と入れ替わるように立っているこの女性を、ロニア達やリインは知っている。だからこそ、この状況が理解できない。
「し、死んだはずじゃ……?」
「ああ、一度はな」
うろたえるロニアとは対照的に、エミリアは涼しい顔をしている。両者のギャップは知識の差から生じており、彼女の特異な能力を知っているか否かが重要だ。
(確かに殺したはず。身代わりや見間違いではない)
リインもわからない。不老不死は自分だけの特権だと決めつけているからだ。
「ん? あ、ごめ~ん。心配させちゃった? ご覧の通りよ。そこのおっさんみたいに素っ裸だけどね!」
回復魔法を唱える半裸の女性は、先ほど焼死したミーズ本人だ。体のどこにも火傷の後は見つからず、しかし衣服が下着を含めて焼けてしまう。だからこそ、クルトから軍服の上だけを拝借し、しのいでいる。
ゆえに、下半身は丸出しだ。軍長達は誰一人として目を向けないが、本人としては見られようとも構わないと思っている。
「生き返った?」
「正解~。あなただけが不死身だと思った? 残念ね~」
リインの仮説は的中だ。
ミールは青い炎を受け、確かに死んだ。その結果、人間の丸焼きが出来上がるのだが、彼女はさなぎのように焼け焦げた皮膚の内側から生まれたままの姿で舞い戻る。
不死身。この表現は偽りだ。相手を臆させるためのハッタリとも言える。だが、今はあえてそう答える。正直に自信の能力を告げる理由などどこにもない。
ミールは前代未聞の魔法を習得している。
彼女の分類は、回復魔法を中心に習得する後衛回復役だ。だからこそ、瀕死のマッカスすらも救えてしまう。
それでも不可能なことがある。死者の蘇生だ。
この世界には傷を癒す魔法はあれど、魂を戻す方法は見つかっていない。伝承にも古文書にもそういった事例は見つからない。
ミールもそれは同様だ。
しかし、ロニアが水の新魔法を編み出したように、そしてシャルロットが空を飛べるように、彼女もまた、自分だけの魔法を発現させることに成功する。
自身の蘇生だ。
リジュヴァネーション。彼女はそう名付けている。
強化魔法のようにあらかじめ唱えておけば、効果時間中なら一度きりだが蘇ることができる。効果時間は二十時間と長く、しかし、再詠唱時間も同じ時間だ。
つまり、次はもうない。不死身だと言い切ったが、今後は殺されないよう細心の注意を払う必要がある。
「とんでもない魔力の持ち主だが……、どうってことないな」
「武器は破壊されましたけどね」
ルードリッジとクルトは平然と言ってのける。一対一に持ち込まれようと、負けはしない。そう確信している。
もちろん、これはハッタリではない。二人はマッカスやウェイクを上回る希少な人間だ。ザザには届かないものの、リインという化け物相手には引けを取らない。
「フシュ~。生け捕りじゃな」
「ああ。この人数なら問題ない」
ザザとエミリアは横に並び、対象をじっと睨む。軍長が五人も揃ったのだから、もはや臆することは決してない。
「マッカスちゃんの治療完了よ~。目覚めたらびっくりするでしょうね~」
「……う」
ミーズは魔法の詠唱を止め、下半身をさらけ出しながら仁王立ちを貫く。マッカスが目を開いた際、まっさきに彼女の局部が映り込むため、この発言はほとんど正解だ。
「前からおかしいとは思ってたけど、軍長って本当に化け物ね」
「頼もしい!」
ロニアは呆れるが、対照的にネッテの鼻息は荒い。化け物じみたリインが手玉にとられているのだから、どちらの反応も一介の冒険者としては当然だ。
アジールは無表情のまま無言を貫き、戦況を見守る。他に出来ることはなく、自分の身の安全くらいは自分達でどうにかしたいが、それすらも難しい。
ザザだけがじりっと間合いを詰める。
ミーズを除く三人は包囲するように距離を保ち、逃げ場を絶つことに専念する。
「観念したかのう? そんなはずないか」
分厚く、乗り越えられないほどに高い壁が一歩、二歩と歩みを進める。この国の最強として、今はこの女を戦闘不能に追い込む。やるべきことを理解しているからこそ、その動きに迷いなど生じない。
この問いかけは独り言として終わる。相手が返答しない以上、そうなってしまう。
リインは押し寄せる巨体を興味無さそうに眺める。自分が狙われていることは承知の上だが、今はそれどころではない。
理解できない。この人間達のことが理解できない。
許せない。自分と渡り合える存在が人間の中にいることが許せない。
我慢できない。意気揚々と抵抗を続けるその意志が我慢できない。
人間など、所詮は排除されるだけのひ弱な生き物のはずだ。彼女にとっては、そして神にとってもそうでなければならない。
それを証明するように、何百人もの軍人を絶命させた。満足するまで、虐殺を続けるつもりでいた。
邪魔をする存在もまた、人間だ。
エミリア。
マッカス。
ザザ。
ミーズ。
クルト。
ルードリッジ。
超人達が、リインの前に立ちはだかる。
(人間ごときが……)
許せない。
虫けらのようにあっけなく殺されるべきだ。そのための力を授かったのだから、そうでなければおかしい。
リインは細い腕の先で両手の拳を強く握る。左手の内側にはアジールから奪った指輪が握られており、言ってしまえば戦利品だ。
六対一。この状況は彼女にとってもよろしくない。
接近戦では敵わず、自慢の魔法を用いたところでこの数を減らすこともままならない。
同質の物体を引き寄せる能力も、一度に引っ張れる数は二つまで。全員を倒しきることはできない。なにより、通用するとも思えていない。
だが、それでもなお、問題ない。彼女はまだ全てを出し切っておらず、この国で使うつもりなど毛頭なかったが、秘蔵のそれらの中から一つに手を伸ばす。
ただの人間だと侮っていた。それ自体は代理人としての当然の権利だ。決して間違ってなどいない。
誇りを失ったわけでもなければ、権威が地に落ちることもない。
マッカスとの戦いで魔法を解禁したように、ここからは出し惜しみなどせずに力を発揮する。
人間を滅ぼすために。
抗う超人を一掃するために。
神の威光で格の違いを指し示すために。
その力を発現させる。
「神威」
途端、空気の質は一変する。ひどく重苦しい圧力が、わびしいだけの軍区画だけでなく、大国のデフィアーク共和国そのものを一瞬で飲み込んでしまう。
寒気とも恐怖とも呼べない何かで人間をひれ伏せる。目に見えないこれはそれを可能とする絶対的な威厳だ。
「や、やられた!」
誰よりも先にロニアが察する。追い込んでいたはずが、一瞬で覆されてしまった。後一歩だったかどうかはもはやわからず、ともあれこの状況は最悪だ。
人間から自由意思を奪い去り、その果てに生気すらも捨てさせる。その範囲内では誰も歩くことや話すことができず、思考を巡らせることすら不可能だ。
弱肉強食を体現するこの世界において、生物の間には越えられない壁が存在している。
植物は逃げることもできず、虫や草食動物に食べられてしまう。
虫はその上を歩く巨体に踏まれ、手当ても受けられず死に至る。
動物の世界では、体の大きな、もしくはより強い種族が弱者を捕食し、命を明日に繋げる。
生態系を表現する三角とも言われるこの関係は、自然界においては絶対だ。天変地異が発生し、一時的にその形が歪もうと、行き着く先はこの形だ。
捕食する側と食べられる側。
肉食動物と草食動物。
勝者と敗者。
そういった種族の差は、リインと人間との間にも存在する。
神に選ばれし者とそうでない者。
ゆえに、この力は彼女だけの特権だ。人間は戦意や品格を喪失し、最終的にはひれ伏すこととなる。
シンイ。リインが神から与えられた能力の内、最も危険なこれは紛れもなく最強最悪の毒だ。人間をその範囲に巻き込むだけで、その品位を根底から否定し、最終的には肉の塊へ陥れる。
何人たりとも抗えない。例外はいるが、それはコネクトで繋がった四人だけゆえ、リインの前では些末な問題だ。
神威。神の威光。その名の通り、彼女から発せられるこれは、人間である以上決して逆らうことなどできない。
子供が親にしつけられて育つように。
男と女は二人でなければ子孫を残せないように。
陸上の生命は水中では呼吸ができず、水面ないし陸を目指すように。
この世界の理として、この事実には決して抗えない。
当然だ。人間は神によって産み落とされたのだから、親である彼らに逆らうことなどできるはずがない。
神は人間だけでなく、この世界、ウルフィエナや自然すらも作り出している。
存在の規模が根本から異なる時点で、ちっぽけな生き物達は好き勝手に蹂躙されても文句は言えない。
リインは人間だ。その事実は今なお変わらない。
しかし、単なる気まぐれであろうと神に選ばれたのだから、その根底は完全に書き換えられている。
神の力。
ウルフィエナを支配する法則の一つ。
人間が知り得ぬ叡智。
そして、使命。
創造主はリインにこれらを贈り、彼女は新たな人生を生き始める。
シンイ。
神威。
人間の精神を屈服させ、立つことすら阻害するこれは、まさしく神の力そのものだ。晒された人間は短時間であろうと心を破壊されかねない。長時間なら間違いなく廃人になってしまう。
底が一切見えない真っ暗な大穴を前にして、自分が落ちてしまうのではないか、落ちてしまったらどうなるのだろう、と恐怖してしまうように、神威に巻き込まれた人間は己の無力さを再認識しながら打ち震える。
絶対だ。どうすることもできない。遠巻きに眺める軍人達も、事情を知らぬ国民達も、勇んでいた冒険者達も、全員が次々と植物のように意識を崩壊させていく。
だからこそ、リインは勝利を確信する。抗える三人の女、ネッテ、アジール、ロニアなど鼻から相手にはしておらず、それ以外の人間達を無力化できてしまえば、自分の勝ちは揺るがないと理解している。
異なる方法で人間の壁を越えた存在がいようと、神の前ではちっぽけな存在だ。正面からのぶつかり合いでは苦戦させられたが、今となっては人間の形をした肉でしかない。
それらをこれから一つずつ、ゆっくりと破壊する。立ちはだかる障害は神に逆らう愚か者なのだから、生かす理由はどこにもない。
「さぁ、ひざまずきながら殺さ」
「これがシンイってやつかい? 確かにすごいな」
死刑宣告は男の声によって遮られる。この状況下においても言葉を話せる人間はいる。そのことはリインも理解している。
三人の冒険者だ。しかし、彼女達は全員が女性であり、男の声を出すことはできない。
ゆえに、何が起きたのか理解できず、確かめるためには、声の方へゆっくりと視線を動かして事の顛末を確認するしかない。
「ルーガー殿や坊主の報告書にあった能力か。体が動かせんぞ」
「だな。やべーやべー」
ふしゅうと大きく息を吐きながら、誰よりも巨大な男が心底驚く。初老ながらもその体は筋肉で覆われており、一見すると肥満のようだが決してそんなことはない。
リインの発言を遮った男は、相槌を打つとシシシと笑い始める。口では正反対の内容を述べるが、危機的状況であろうとこの男は楽しんでしまう。
ザザとルードリッジ。二人はその場で膝を付くことすらなく、平然と立ちながら話すことすらできている。
(なぜ?)
リインは目を見開く。コネクトの所有者および接続者以外にはどうすることもできない圧力下で、ただの人間が意思を保つばかりか会話すら続けている。
そんなことはありえない。誰よりも理解しているからこそ、彼女の表情はついに歪んでしまう。
「――はっ! な、なんだこれ!? うお! 露出狂がいるぞ!」
「ほんと、失礼ね~」
自身の血液に浸りながら、ついにマッカスが目を覚ます。回復魔法のおかげで死の淵から蘇るも、真っ先に半裸の女性を目撃してしまう。揺るがない美人なのだが、この状況では変態と思ってしまっても仕方ない。
同期の予想通りの反応に腹を立てながら、ミーズは当然のように反論する。
つまり、二人もまた、神威に屈しない愚か者ということだ。
「なるほど。この束縛感……、戦技でもなければ魔法でもないようです。心底興味をそそられます」
少しだけ落ちた眼鏡に手を伸ばしたいのだが、残念ながら体は動いてくれない。それでも自身に降りかかる謎の力を推測しながら、クルトは平然と振舞う。
「突き刺さるような圧迫感の中に……、暖かさのようなものも感じるな。だが、なぜ体が動かない?」
六人目の軍長、エミリアもまた、身動きは取れないが人間らしさまでは喪失していない。命の危険に晒されながらも、なぜか同時に母親の胎内にいるかのような温もりを肌で感じており、神威の不可解さを誰よりも感知できている。
「どういうこと? あなた達もコネクトを使える?」
「そんなもん使えんわい」
ザザの返答がますますリインを困惑させる。未だ神の波動を解除していないのだから、人間として振舞える軍人がいるはずもなく、それでも軍長達の表情は涼しいままだ。
だからこそ、彼女の思考は乱れる。
リインが健在なばかりか、出張中の軍長四人が居合わせていることに騒ぎ出すマッカスと、下半身丸出しでその様子を楽しむミーズが緊張感のない空気を周囲に撒き散らすも、その喧騒がさらに彼女を苛立たせる。
他の軍人達もそれぞれに会話を続けるため、戦場特有の緊張感はどこにも見当たらない。
「気合で跳ね返せるな。まぁ、体は動かねえけど!」
「サラミア港の村民達は短時間で昏睡させられた。このままだとこの国も危ういぞ。がんばってもらうしかないな」
意思は保てるものの、ルードリッジは微動だにしない手足に四苦八苦する。卒倒しない時点で異常なのだが、本人曰くこの程度ならどうとでもなるらしい。
エミリアは現状把握を終えたことで次のステップを目指す。つまり、リインの束縛からの脱出だ。
それを可能とする人間がここには三人いる。
ネッテ。
アジール。
ロニア。
この冒険者達は神威の影響を受けない数少ない希望だ。先ほどまでは観客だったが、ここからは軍長に代わり壇上へ上がらなければならない。
もちろん、敵うはずがない。エミリアやマッカスでさえ歯が立たないのだから、彼女達の結末は絶対的な死だ。
にも関わらず、ネッテはニコニコと笑みを浮かべている。先ほどから黙っている理由も同じ理由だ。
アジールは無表情を貫くが、頭の中では秒数を数えている。
「その余裕は何?」
「あなたの命運もここまで。そのまま待っていればすぐにわかる」
怒気をはらむリインの声とは対照的に、アジールはいつもの口調でさらりと言い放つ。
当然だが、この発言を読み解ける者はほとんどいない。リインを筆頭に、軍長達にも一切伝わらない。
「そういうことか」
「あぁ、すっかり忘れてたわ」
例外はエミリアとロニアだ。彼女達も追いかけるように理解する。この状況、確かに最悪だが、同時にチャンスでもある、と。
そう。リインは己の失態に気づけていない。
本来ならば、神威は人間を無効化する上では最善手だ。発動させるだけで周囲の人間から戦意や意思を刈り取り、その果てに衰弱死させるのだから、既存の魔法や戦意など子供だましに思えてしまう。自分の手を煩わせないばかりか、逃亡すらも許さない最高の手段だ。
超人達を殺すには至らないが、体の自由は確実に奪えている。ゆえに、ここからは何も考えずに一人ずつ殺せばよい。
「どういうことです?」
「ふ、おもしろいものを見れるぞ。まぁ、我々は散々見てきたがな」
地に伏せたままのマッカスはまだ何も飲み込めていない。だからこそ答えを求めるが、エミリアは説明するまでもない、とどこか意地悪く煙にまく。
神威が発動されたタイミングで、ネッテとアジールはとあることを確信する。
本来ならば、身動きが取れる彼女達が率先して戦わなければならない状況だ。しかし、そんなことは一切考えず、胸躍らせ、ただ待つことに徹する。
(ワクワク。まだかなまだかな~?)
(私の半分だと仮定……、一分くらい? もうちょっと早い?)
二人はわかっている。本来ならばどちらかが呼びに行かねばならなかったのだが、その手間が省けてしまったと。
リインが放つ厳格かつ息苦しい波動は、デフィアーク共和国をまるごと飲み込んでいる。このままでは多くの国民が意識を保てず、その果てに死に絶える。
だが、同時に彼を呼び出す鐘の役割も果たしてしまう。
自分はここにいるぞ。
そう主張しているのだから、約束の時刻がまだ先であろうと、釣りを切り上げて駆けつけるに決まっている。
残念ながら、アジールの予想は大きく外れてしまう。
港からここまでの移動時間は、走った場合でも十分程度を要する。体力が続く健康的な子供や大人でさえ、それを切れれば上出来だ。
アジールはこの距離を二、三分で疾走できる。鎧を脱げば、記録はさらに縮まるだろう。
ザザを筆頭に、他の軍長達は十秒かからない。もちろん、彼らが常軌を逸しているだけであり、比較対象として不出来だ。
では、その少年は何秒を必要とするのか。
それはアジールにもわからない。
だが、心配する必要はどこにもない。答え合わせはもう間もなく行われる。
「……意味がわからない。念のため、動けるあなた達から殺す。希望なんて微塵もないことを教えてあげる」
ドレスのような黒いワンピースをひらりと躍らせ、赤い髪の女が長身を進ませる。ここが死者に溢れた戦場とは思えぬ立ち振る舞いは、主導権を握っていると錯覚しているからこそだ。
だが、ここは劇場でもなければ彼女のための敷地でもない。軍人達が泥臭く汗を流す広大な区画だ。不釣り合いなまでに美しい彼女がどう振る舞おうと、その事実は揺るぎない。
ゆえに、野次が飛ぼうとそれは当然の権利だ。客席からステージを静かに眺める人間などここにはいないのだから。
「怖いのかい? まぁ、恥じるこたぁねえ」
体は動かずとも、思考は巡らせる。
左頬の傷を誇るこの男は、いくつもの戦場を駆け抜けた歴戦の猛者だ。落ち着きのなさと凶暴さは、モンスターとの戦いにおいて頼もしさを発揮する反面、リーダーシップの欠如に繋がってしまう。
それでもこの軍人、ルードリッジは第二海軍の長に抜擢される。以降の働きは役職に恥じない優秀なものだ。
部下達には多くを語らず、しかし、放置するわけでもなければ方針を提示しないわけでもない。
突出した観察眼。荒々しい男でありながら、必要なことを見落とさないその眼光は、軍務や日常生活、そして戦場にて周囲の人間を驚かせる。
第二海軍は大規模な軍隊ではないが、所属する軍人の数は優に三桁にも上る。
長を務める軍長が全員に目を光らせる必要はなく、ルードリッジもそんな面倒事に時間を割いたりはしない。
それでもこの男は把握する。
戦技の再使用時間を管理できていない者。
鎧を着た途端、動きがわずかに鈍る者。
仲間とのコンビネーションに長けた者。
魔力が低い者。
無尽蔵のスタミナを持つ者。
忙しい軍務の合間に、ルードリッジはさっと眺めただけで彼らの癖をある程度把握してみせる。漠然と観察するのではなく、彼らの一挙手一投足に気を配るからこそ、可能な芸当だ。
これを刹那にこなしているのだから、部下達はこの男に感服する。
ルードリッジという男は一見すると戦闘狂だが、否定するまでもなくその通りだ。しかし、それだけの軍人ではない。
ぶっきらぼうに見えて、実は目を光らせている。
戦地に赴くことを熱望しているが、軍長としての責務を放棄するつもりはない。
そして、どんな状況であろうと我を貫ける。
「……意味がわからない。畏れているのはあなた達」
「はっ! 図星だからってオウム返しかい? 存外人間らしいじゃねーか」
真っ赤な瞳に睨まれようと、ルードリッジは平然と言い返す。自分の意見こそ決めつけかもしれないが、その可能性を微塵も考えず、毅然と振る舞えるその図太さこそこの男の強さだ。
他の者にはそう見えないが、ルードリッジの瞳にはリインが焦っているように映る。
殺されても生き返る特性と、なにより神威を発動したのだから、戦力としては数にも含まれない三人を優先して狙う理由が見当たらない。
今のリインなら、彼女達から攻撃を仕掛けられたタイミングで返り討ちにすれば良い。両者にはそれだけの実力差が存在している。
にも関わらず、超人ではなく冒険者を狙う。神に盾突く無法者ゆえに許せないという心情も理解できるが、ルードリッジからすると余裕の無さが透けて見える。
「人間如きと一緒にしないで」
「そうやって見下そうとするあたり、ますますかわいらしいな。手も足もでないとわかった途端、戦技紛いを発動させて優位に立とうとする。終いには、縛れない連中からいたぶるってんだから、これこそ焦りや恐怖ってやつじゃねーか」
この状況、紛れもなくリインが優勢だ。神威が軍長達を無力化した以上、勝者は既に決している。
にも関わらず、この男は勝ち誇ったように講釈を垂れる。
観客席から眺める者がいれば、どちらが追い込まれているのか、わからなくなるだろう。
そう。この戦闘を見守る者はほとんどいない。遠方に転がる大量の肉片には生など宿っておらず、生存者達は自分達の持ち場に避難済みだ。
なにより、この国を覆う崇高な圧力が人間達を押し潰している。軍人達の多くは意識を保てているが、周囲に気を配れるほどの余裕はない。
ただ一人。例外は彼女だけだ。若葉色の髪は男性のように短く、白いティーシャツと茶色いズボンは第二陸軍の証だ。
腰のベルトが二本の短剣をぶらさげるも、それを握る機会は訪れず、今は無気力に尻もちをついている。
スルフィ。二人の上官を殺された彼女は、リインとの戦闘に参加することなく、無慈悲な現実と圧倒的な戦力差を見せつけられ、心が折られてしまった。
自分達の本部に戻ることもできず、真っ赤な髪の女が大勢を殺す様を茫然と眺め続け、その果てに神の威光によって屈服させられてしまう。
だが、リインを囲う軍長達のように、スルフィは意識を保てている。超人のような強い精神力を有しているわけでもなく、それでも昏睡せずに済む理由は彼女にもわからない。
一方で、スルフィだけが感じ取れていることもある。
リインから発せられる不可思議な波動が、以前手にしていた短剣にぼんやりと酷似している、と。
マンイーターと呼ばれるそれは、製作者すら不明な年代物の短剣だ。同時に、摩訶不思議な機能を有しており、その結果、人々は幾年にもわたって苦しめられる。
所有者の精神を蝕み、人殺しをさせる。
所有者の肉体を強化し、人を殺める度により一層成長させる。
こんなものを人間が作り出せるはずもなく、しかし、今となっては調べようもない。
イリックがスルフィを倒した結果、マンイーターもその特性を失ってしまったからだ。
ただの短剣に成り下がったのか、まだ何かあるのか、それは錬金術ギルドおよび他国が共同で調査中なのだが、その結果がもうすぐ発表されるはずだった。
その機会はリインによってもたらされた大惨事によってうやむやになりそうだが、とにもかくにも、スルフィは神威とマンイーターに不気味な類異性を見出す。
(あの人は何なの? 何がしたいの?)
わからない。頭の良し悪しに関わらず、リインの奥底を覗ける人間などこの世にはいない。誰であれ、推測すらままならない。
だが、スルフィは直感的に辿り着いてしまう。
マンイーターを握った自分がそうだったのだから、この人も同じだろう、と。
人間を殺せと命令された。
だからそれを実行する。
啓示に支配され、なにより心酔している。
その姿と心理状態は、まるで以前の自分を見ているようだ。スルフィは稀有な実体験から、そう結論付ける。
ゆえに、連想してしまう。
完全なわがままだと承知しながら、そしてひどく都合の良い願望だと悟りながら、その男の登場を待ちわびる。
自分をマンイーターから解き放ってくれたように、新たな祖国を守ってくれないかと、今は願ってしまう。
トリストン大陸にはトリストン大陸の風が吹く。
東のアリカ大陸にもそこだけの風が吹き込む。
大海原をまたいでいようと、二つの大陸は同じ世界に浮かんでいる。
ウルフィエナ。神々が作り上げたここは、人間やモンスターを筆頭に様々な生き物が住まう巨大な楽園だ。
否、地獄なのかもしれない。それでも生を授かった以上、この世界で生きていく他ない。
人間を殺すことに特化した武器、マンイーター。
人間を殺すために遣わされた女性、リイン。
どちらも否定しなければならない。決して共存などできないのだから。
そのためには力が必要だ。
そのためには資格が必要だ。
それらを持ち合わせた少年が、二つの大陸を跨いで神を否定する。選ばれてしまったのだから、舞台に上がる以外に選択肢はない。
釣竿から片手剣へ持ち替える。そうする他なく、右手は誰かを守るために躊躇なくそれを実行する。




