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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十八章 畏れよ、私を(Ⅲ)

 一人の男の登場が、地獄のような戦場の空気を一変させる。死者が蘇りはしないが、肌と心を突き刺す寒気は幾分和らぐ。

 今日という一日はまだ始まったばかりだ。

 眩しすぎない朝陽が大地を照らすも、そこに映る光景は命の残骸ばかりゆえ、本来ならば闇で覆い隠すべきだろう。

 だが、その男は凛と立つ。この国を守るという使命があるからこそ、負け犬のように震えている暇はない。


「遅いわよ。おかげで死ぬところだったわ」

「それはすまなかったな。リインが暴れてるとは聞かされたが……、なんでおまえ達までいるんだ?」

「私が呼んだのさ。マンイーターについて説明するためにね」


 ロニアは手汗を紺色の服で思わず拭いてしまう。あまりの緊張感から、悪態の一つも自然とこぼれる。九死に一生を得たものの、相手は不死の女な上、それが偽りでないことはイリック達の話や先ほどの攻防で嫌というほど知っている。

 頼もしい男が駆けつけてくれたものの、事態はまだ楽観視できない。

 遅れて現れたマッカスだが、先ほどまで第二陸軍の面々と打ち合わせの最中だった。スルフィによってもたらされた情報が徐々に広まり、ついには会議室の内部にも届いたことで、稲妻の如く参上する。。

 だが、今回は遅すぎた。リインは既に三桁にもおよぶ人間を殺し終えている。

 軍人達が踏み固めた大地は血液で赤く変色し、それでもなお、こぼれ続ける生き血を吸い続けている。


「リンダにとやかく言うつもりはないわ。悪いのは全てあの女だもの」

「そうだな。ここからは俺が相手をする」


 有言実行。マッカスは鏡のような軽鎧の背部をサリッサでカンカンと鳴らしながら、右足で一歩を踏み出す。

 自分でやったことだが、リインとの距離は大きく開いている。ゆっくりと歩いた場合、何分もかかってしまうが、そのペースを速めることはしない。

 リインは既に起き上がっており、平然とこちらに向かって歩いている。

 慌てる必要はどこにもない。


「ん? お、おい!」


 飄々とした表情は、別の理由で一変する。さすがのマッカスも予想外な情報には驚きを隠せず、歩みを止めて左側を指差す。

 その方角は戦場から少し外れており、地面も肌色のような本来の色を保っている。

 だが、凝視することで誰かがポツンと横たわっていることが見て取れる。マッカスはその人物に見覚えがあり、まだ生きていることをわずかな動きから気づいてみせる。

 赤い軍服と黒髪は、彼女を指し示す唯一の組み合わせだ。


「あれは……、エミリアかい? 生きてるのなら私が癒してくるよ」


 リンダもその人物を見つけ、せっせと走り出す。

 一方、ネッテは死体の男に別れを告げ、リンダに手を振った後にアジール達と合流を果たす。


「無事で良かった」

「痛かったよー」

「何されたの?」

「首絞められた! 死ぬかと思いました!」

「そ、それは大変だったわね……」


 いつもの和やかな雰囲気を醸し出したい三人だが、状況が状況ゆえにそれは難しい。

 アジールだけは普段通りにネッテの頭を撫でるも、残りの二人はわずかながらも緊張感を維持する。


「今の内に逃げた方が……いい?」

「どうかしらね。主戦場が階段の方に移っちゃったし、あの女がおめおめと横と通してくれるとは思えないわ」


 アジールの提案は決して悪くない。マッカスが現れた今こそが唯一の好機だ。

 しかし、ロニアの言い分も正しく、イリックと合流を果たすためには、リインが吹き飛んだその先へ向かわなければならない。

 マッカスが敗れるとは思えず、ゆえにリインが討伐された後に呑気なリーダーの登場を待てば良いのだが、拭えない不安感と逸る感情がアジールに撤退を提案させる。


「お兄ちゃんったらも~!」


 ぷうと頬を含まらせる少女の顔からは、小動物特有の愛らしさがこぼれ落ちる。ゆえにアジールが虜になるのだが、ロニアだけはその発言に共感できない。


「私も初めてはそう思ったのだけど……、冷静に考えたらいなくて正解だったわ。もしここに居合わせたとしても、真っ先に殺されるだけだもの。エムム遺跡の時ですら、逃げるのがやっとだったし」


 今のリインはあの時以上に手ごわい。いかにコネクトを駆使しようと、イリック程度では軽くあしらわれてしまう。

 それだけなら構わないが、リインがその程度で済ますはずもなく、当然のように殺されるだろう。


「なるほど~。あ、もう大丈夫だよね? マッカスさん来てくれたし!」

「そうね。そうあって欲しいわ」

「きっと大丈夫。多分」


 ネッテは頭の中をすっかり切り替えている。先ほどは殺されかけたが、今はマッカスの勝利を疑っていない。兄よりも強い数少ない一人として、全面的に信頼を寄せている。

 ロニアとアジールも、これでリインの凶行が終わることを願う。だが、断言できない理由は、リインが本気を出していないからだ。

 攻撃魔法と特異な力。そのどちらも封印した上でこれほどの狂気を実行できたのだから、マッカスの登場に安心しきることは難しい。


「あ、エミリアさん元気そう!」

「そうね。え、そう?」


 目の良いネッテは一瞬で二人の様子を看破する。

 リンダの大きすぎる胸を顔に押し付けられながら、軍長が両足をバタバタと暴れさせている。

 一見すると幸せそうな光景だが、視界のあちこちに死体が映りこむため、決して微笑ましくはない。

 ロニアはエミリアがもがいているようにしか見えず、そっと同情して視線を別の二人へ向ける。

 新たな戦いが始まろうとしている。

 第五陸軍軍長、マッカス。

 神に選ばれし代行者、リイン。

 どちらも人間を超越した存在だ。

 片や才能と努力によって、越えられないはずの壁を飛び越える。

 片や神から力を与えられ、人間を支配する側へ登り詰める。

 勝者は一人しかない。どちらが最後に立っていられるか、それを今から決定する。


(エミリア隊長を倒す程度には強い……か。いや、イリックもやられかけたんだ。ましてや朝のジョギング組には隊長連中がごろごろいたはず……。シンイとやらを使わずにこの有様……か。ふざけた野郎だぜ)


 マッカスは怒りの中にも冷静さを失わない。

 男にも女にも好かれる人柄は、この男を軍長の地位に押し上げる。もちろん実力あってのことだが、同期のウェイクとは違い、頭の回転も一流だ。

 超人としての圧倒的な戦闘力。

 盾役、ダークナイトとして習得できる全ての戦技を扱えるという驚愕の事実。

 いついかなる時でも冷静な頭脳。

 この男に隙はない。今からそれを、この化け物相手に証明する。

 ゆっくりと歩いていた二人は、何の前触れもなくそこから姿を消す。どちらが先に動き出したのか、それすらも観客達にはわからない。

 そして鳴り響く衝撃音は、両者がぶつかり合うことで生じる衝撃音だ。

 どこで、どういった経緯で怒号が空気を揺らしているのか、誰にもわからない。

 例外は二人、エミリアとネッテだけだ。両者ですらこの戦いにまきこまれたら成す術ないが、突出した実力が聴衆として観客席に座ることを許可する。

 時に地面が掘り起こされるほどの激震は、軍区画はおろか近隣の土地も震わせる。

 それを耳にした町民は、身の危険を感じて寄り付かない。そういう意味では国民を危険に晒さずに済んでおり、マッカスとしては戦いやすい。

 近づけないという意味では、居合わせた軍人達も同様だ。この戦いは今までのそれとは次元が違う。両者の攻撃がかすっただけで、自分達が死んだことも理解できずに砕かれる。

 冒険者や軍人の肉体は、常識外れに頑丈だ。そうでなければ、モンスターと戦うことなどできない。

 ただの町民が一発で即死するような打撃にも、彼らは内出血すらせずに受け止めてみせる。

 しかし、ここでは意味を成さない。空振りに終わった槍は地面を崩壊させ、ただの跳躍ですらそこをえぐる。軍人達の肉体など、ことのついでに破壊できてしまう。

 マッカス対リイン。他者を置き去りにする攻防は、一見すると互角だが、果たしてそうなのか、本当のところは誰にもわからない。

 マッカスは無傷のままだが、リインはあちこちを浅いなりにも斬られている。傷や出血に意味などないが、押されていることには違いない。

 だが、リインは素手だ。魔法も異質な能力も一切使っていない。その結果がこれなのだから、軍長は不気味さを拭えない。


「――なぜ魔法を使わない?」

「あなた達の言葉を借りるなら、トレーニング」


 口を動かしながらも、手を足も稼動させる。

 マッカスは一旦引っ込めたサリッサを体の周囲で回転させ、前触れもなく突き出す。水色の穂先で黒いワンピースと女の胸部を貫くためだ。

 リインは眉一つ動かさず、右足を左足後方へ下げて体もその動きに追従させる。閃光一線の槍を寸でのタイミングでやり過ごす。


「何のトレーニングだ?」

「この体に成れるため。あなた達のおかげでかなり馴染んできた」


 リインは己が欲求のために、軍人達を何百人と殺す。最初こそ、魔法で十人以上を殺めてしまったが、その後は素手で一人ずつ殺し続けたため、準備運動としては申し分ない。

 その成果が現われ始めていることに、当の本人も気づけていない。この地に移動した直後と比べ、あらゆる面が向上している。

 筋力。

 柔軟性。

 追随性。

 錆びついていた刃を研ぐことで切れ味が戻るように、馴染んだ体がさらなる身体能力を実現している。

 だからこそ、この男ともやりあえている。

 音を置き去りにする突きも、空間ごと切り裂く斬撃も、わずかな傷と引き換えにほとんどが対応可能だ。

 それでもなお、マッカスの実力には驚かされる。


(神の領域に匹敵する? ありえない。これが人間?)

「おらおらぁ!」


 叫び声と共に放たれた二連突きは、コンマ数秒の隙も見逃さない。

 リインは一瞬だが呆けてしまう。目の前の男が想像を絶する強さを披露するため、彼女の中の常識に亀裂が入ったからだ。

 その時間は一介の冒険者や軍人からすれば、まばたき未満の刹那だ。空白の時間とは到底呼べない。認識できない。

 だが、マッカスからすれば攻撃のチャンスだ。

 ゆえに放つ。一突きではなく二回の動作で相手の息の根を止める。この隙はそのために用意された時間そのものだ。

 まるで同時に放たれたような遅延のない連撃は、赤い髪と黒い服をたなびかせる女へ躊躇なく直進する。


(なっ!?)


 次の瞬間、優勢なはずのマッカスが驚かされる。

 一突き目はリインの右腕に命中し、肘付近を完全に消滅させる。いかに不死の化け物と言えども、防御面はそれほど優秀ではない。死なないのだから、その方面を強化する必要もない。 

 断裂された部位、すなわち肘から先は放物線を描き、やがて地面に落下する。

 二突き目に関しては、左移動で完全に避けられてしまう。空振りに終わった衝撃波が行き場を失い、地面を深々とえぐる。

 マッカスは黒いワンピースを狙っていた。命中できるという確信も抱いていた。

 それでも殺しきれない強敵が目の前の女だ。

 両者の戦いが始まって以来の大きな損傷には違いないが、マッカスは眉をひそめる。


「さっきの女とは大違い。あなたも軍長の一人?」

「――第五陸軍軍長、マッカスだ。さっきの……。エミリア隊長のことか?」

「名前なんか知らない。グリムスとオーバースペックを使ってた」

「そうか……。おまえ、なかなかやるな。正直……、想像以上だ」

「私も驚いてる。こんなに強い人間がいるとは思わなかった」


 称えあう二人だが、殺意はたぎらせたままだ。

 マッカスはサリッサを右肩に乗せ、肩を叩くようにトントンと上下させる。

 相対するリインは右腕からの出血を気にも留めず、背丈が近い眼前の男をじっと見つめる。


「魔法を使わない理由はわかった。武器はいらないのか? これじゃ勝負にならないぞ」

「いらない。あなたも戦技は使ってない」


 つまり、互いに本気ではないということだ。相手の手の内を探っている状態だが、準備段階はこの会話によって終わりを告げる。

 ここからは第二ラウンド。探り合いではなく、本気で殺し合う。

 一方、遠方では復活したエミリアによって軍人達の退避が始まる。理由はこの場にいても足手まといだからだが、リイン相手に集団戦は悪手でもある。

 まだ使われていないが、もしシンイを発動された場合、数は微塵も意味をなさない。リインとの戦闘はイリック達を含めた少数精鋭が最も効率的な戦い方と言える。

 なにより、エミリアでさえ手も足もでない以上、隊長以下には戦闘に参加する権利など与えられない。

 これ以上の死傷者を出すことを良しとせず、エミリアは軍長として生き残った者達に自分達の持ち場へ撤退させる。

 マッカスの到着まで時間を稼げた。今回はこれで良しと考える他ない。

 もちろん、これは逃亡を意味しない。

 もし、マッカスが敗れた場合、その時は命を賭して立ち向かう。彼らにはそういう義務と覚悟が宿っている。


「イリックが戦ってる時にも常々感じるのだけど、置いてけぼり感がはんぱないわ。一体何が起きてるのやら」

「同じく」


 ロニアは肩を落とし、眉をひそめる。目の前の戦いがあまりに高レベルなため、持ち前の動体視力ではそのスピードについていけない。音や衝撃、足を止めた時の姿から、断片的な情報を元に戦況を予想する他ない。

 アジールですら、マッカスとリインの動きは微塵も見えない。両目がいかに魔眼であっても、特別な能力が秘められていることを覗けば普通の瞳だからだ。

 もどかしい。二人はこういった戦闘を見せつけられる度に、悔しさとやるせなさに襲われる。


「マッカスさんが少し有利! シェイシェイハって斬ってる!」

「そう。リーチ差に助けられてないことを祈るわ」


 鼻息荒いネッテとは対照的に、ロニアはそれでもなお冷めている。

 マッカスは二メートル近い槍を携帯しているが、対するリインは素手での接近戦を継続中だ。

 前衛攻撃役と後衛攻撃役。近接戦闘においては前者が有利に決まっている。

 その結果がリインの負傷なのかもしれないが、それにしては成果が乏しい。

 少なくとも、ロニアとアジール、そしてエミリアにはそう映る。

 持ち場に戻る軍人とそうでない者が見守る中、彼らは一時の会話を終え、殺し合いを再開する。


「行くぜ」


 返事など待たない。マッカスはすっと腰を落とし、爆発的な加速で前進を始める。


「ネザーエナジィ!」


 戦技の発動と同時に白い槍が振りぬかれ、黒いワンピースとリインの腹部はばっさりと切り裂かれる。

 だが、マッカスとしては非常に残念な結果だ。ネザーエナジーによって腕力を高め、槍の振りを速めた理由は体を両断するためなのだから、この成果には納得できない。

 相手がただの人間なら、この一撃で勝敗は決する。

 後退するリインの足元には、腸がずるずるとこぼれ落ちて一本の線を描くが、当の本人は何も感じないのか、対戦相手だけを凝視する。

 致命傷ですら意味を成さない。この女と戦った場合、既存の常識は音を立てて崩れる。命を投げ捨ててでも挑まなければ、戦いになどならない。


「バッシュ!」


 攻撃の手を緩める理由などない。マッカスは畳みかけるように次なる戦技を発動させ、一先ずの勝利を掴んでみせる。

 先ほどの攻撃が避けきれなかったように、リインは水色の先端で左肩を貫かれる。

 痛みなど感じない。

 この程度の傷に怯みなどしない。

 しかし、併用された戦技が体を縛り付ける。

 魔法には抗えるが、これはどうすることもできない。そういう意味でも、戦技は相手を選ばない優秀な手段と言える。

 バッシュ。次の一打に付加価値を付与する戦技。その効果は相手の動きを一瞬だが完全に停止させる。弱体魔法のグリムスと同じ性能だが、こちらに関しては攻撃を当てるというハードルが存在する。裏を返せば、それさえクリアすることで、その効果は必ず発動する。

 体が動かない。

 指先さえ動かない。

 声も出せない。

 呼吸もできない。

 唯一、考えることはできるが、今やれることはただただ待つことだけだ。

 マッカスのバッシュはリインを一秒停止させることに成功する。

 一秒。

 たったの一秒。

 リインからすれば、何もできないのだからただただその時を待つだけだ。過ぎ去るまでは何もできない。

 これから何をされるのか、想像することもなく、一瞬ではないが決して長くもない、そんな時間を待つ。

 マッカスは待たない。自ら作り出した一秒を、無為に過ごすつもりはない。

 この男にとってこの時間は短くない。

 やらなければならないことも多く、ゆえにそれを今から実行する。

 自分よりも長い槍を右から左へ振りぬく。

 ほぼ同時に、十時を描く。

 この動作によって、リインの頭部と体は切り離され、顔はスイカのように四分割される。

 まだ終わらない。この程度では倒せないことをわかっている。何より、時間はまだまだ残っているのだから、手を止める理由がない。

 右腕に力を籠めながら、マッカスは上から下へ、順に穂先を突き入れる。

 細断された顔は中心付近を消し飛ばされ、右肩と心臓付近には大穴が作られる。

 左わき腹右腰も消滅し、左足の付け根が消え去ったことでもはや自立は不可能だ。

 だが、まだ終わらない。

 右足の太ももおよび左足の膝もえぐられたように消滅する。

 見る者によっては同時に穴が開いたように映るが、サリッサは上から下へ、穂先を突き刺してこの攻撃を完遂させている。

 仕上げと言わんばかりに、長身の槍が大きく振り上げられる。

 バツ印を体に描くように、左肩から侵入した先端は右腰へ抜けていき、間髪入れずに右肩から左腰へ同じように振りぬかれていく。

 次こそ終わりだ。

 マッカスはサリッサの先端を左側へ突出し、そのまま右へ走らせる。

 寝かされた穂先は頭部を切り裂くのではなく、叩くように遠方へいっきに吹き飛ばす。

 真なるトドメは槍ではなく右足だ。穴だらけの崩れ落ちそうな体を、ダメ押しと言わんばかりに全力で蹴ってまき散らす。

 頭部は右へ、体は左へ、足の残骸はその場に、それぞれがバラバラとなって四散する。

 いかに不死身と言えども、ここまでやればどうすることもできない。マッカスはそう考え、自ら好機を作り出し、やり遂げる。

 リインが相手であろうとこれができてしまう実力、それがマッカスだ。第三陸軍の軍長、ウェイクと切磋琢磨し、今では肩を並べる超人は、自分にできる愚直な戦法を揺るぎなく遂行してみせる。

 慈悲などない。

 迷いなどない。

 ためらいもない。

 殺意をにじませながらも、それ以上に使命感を抱き、この男は同胞と祖国のために勝利を目指す。

 そう、誰の目から見ても勝ちだ。

 勝者はマッカスで間違いない。遅れて現れたことで被害は甚大だが、それでもなお、生存者はこの男を称えたい。

 リインはこの程度では死滅しない。そんなことは皆わかっている。

 それでも、この勝負はデフィアーク共和国の勝ちと言える。

 肉体が細切れにされようと、この女は生き続ける。しかし、それぞれの部位が離れ離れにされてしまっては、戦闘の継続は不可能だ。

 大穴を開けられた顔は容易に復元されるが、首から下は別の場所に転がっている。

 回収などできない。

 結合は不可能だ。

 ゆえに誰もが、悲惨な大量殺戮が終わったと胸を撫で下ろす。

 唯一、エミリアだけは楽観視していない。リインがこの程度で諦めるとは思えず、完全なる捕縛を達成するため、急ぎ頭部の場所まで駆け付ける。


「終わりだな」


 エミリアの発言は独り言かもしれない。

 縦と横に斬られた上に、中心部分には穴を開けられた顔の残骸がバラバラに転がっているのだから、音を聴き取ることなど本来ならば不可能だ。

 赤い髪が生えている肉片が二つ、下あごの歯が並ぶ残骸も二つ。ここにある部位は、頭部はなくその成れの果てだ。

 会話などできるはずがない。そもそも命や精神などこれらに宿るはずもない。

 解体された肉がその瞬間から食糧にその役目を変えるのと同様、マッカスの攻撃に晒されたリインはもはや単なる死体だ。


「学習しない愚かさが不快」

「学習しない愚かさが不快」


 二重の声がエミリアの眼下から放たれる。冷たく、他者を見下すのような声質は、紛れもなくリインのそれだ。

 想定はしていたが、仕組みの理解できない現象にエミリアは目を見開く。

 声帯などない。

 口もほとんどが欠損している。

 舌は見当たらずに、そもそも下あごは半分に分かれている。

 だからなのか、口だった二つの部位から同時に声が放たれたため、発言はハモって聞こえる。


「いかに死なずとも、貴様もこのままでどうすることもできまい。この状態のまま拘束させてもらう」


 つまり、バラバラになった体を個別に回収し、結合を阻止する。

 この作戦が有効かどうかは、これまでの戦いから推測可能だ。

 切り落とされた頭部を自ら拾い上げ、帽子を被るように設置し直したことや、マッカスに破壊された右腕がその後も地面に落ちっぱなしという事実から、不死性に隠された穴が見え隠れする。


「確かにこのままでは人間を殺せない」

「確かにこのままでは人間を殺せない」


 二つに分断された口が返答する。左右に裂けた下あごはもはや口とは呼べないが、リインにとっては発声に事足りてしまう。


「そういう意味では負けたのかも」

「そういう意味では負けたのかも」


 だが、腹を立てるほどではない。

 リインは人間相手に真剣勝負を挑んでいるつもりなどない。一対一という形で次々と軍人と戦ってはいるが、それは結果的にそうなっているだけだ。

 勝ち負けを競うのではなく、一方的な殺害が目的だ。

 さらに正確な言い方をすれば、この地は己の肉体を操るためのトレーニング場でしかない。

 軍人を殺す動機など、その程度のことだ。


「大人しく降伏しろ。許すつもりなどないがな」


 怒気を含む言葉は眼下の死体に放たれる。

 リインは既に数えきれないほどの人間を殺している。まるでオークやゴブリンとの戦争を彷彿とさせるような惨状が、たった一人の人間によってもたらされたのだから、その張本人を前にして穏やかな感情など保てない。


「さっきの人間は強い」

「さっきの人間は強い」


 だからこそ、この有様だ。頭部は四分割された上、中央に大穴を開けられている。

 体にもいくつもの穴を開けられ、ついでのようにバラバラにされた。

 それでもなお、自分は死んでいない。否、そんな概念は三百年前に克服している。

 この状態は死んでいると言えなくもないが、彼女の意識は健在だ。魔法はおろかそれ以外の力も使えてしまう。


「だから私もこれだけは使う」

「だから私もこれだけは使う」


 約束など守る必要はない。魔法と神の力を使用しないと宣言した理由は、成長した体だけで戦うためだ。そして、それを使いこなすためだ。

 いくつもの命を生贄に、その目的は果たされたとリインは考える。

 マッカスとの攻防も非常に有意義だった。

 攻撃手段を殴る蹴るだけに限定した理由は軍人達に情けをかけたからではない。ましてや勝率を高めてあげるためでもない。

 ゆえに、この地の人間を滅ぼすためにもそんな縛りは解き放つ。

 口約束など守るつもりもない。

 そもそも破棄する行為に対して了承を得る必要もない。

 人間を殺し続けるために、戦闘の継続をここに宣言する。


「神の力。その一つ目」

「神の力。その一つ目」

「な!?」


 エミリアは二つの思い違いをする。

 リインを追い込んだ結果、ついに異質な能力を使わせてしまった、と。

 そして、人間を委縮させ、戦意を完全に喪失させるシンイを使われてしまう、と。

 どちらも間違いだ。この力は神からもたらされた物という意味では同列だが、効果は全く異なる。

 四散していた頭部の残骸が、本来の形に戻ろうと一斉に動き出す。

 見えない糸で繋がっているのか、地面に佇むそれらは互いを引っ張り合い、結合を目的として接近を始めたのだから、エミリアとしても困惑せざるをえない。

 この力はイリック達からも報告されていた。

 サラミア港ではネッテとアジールがぶつかり合い、エムム遺跡ではイリックが同行者に圧迫された経緯がある。

 人間に人間をぶつけるこの力は、シンイに続いて厄介な能力だ。一対一で戦う場合は関係ないが、仲間や連れが多いほど、リインに凶器を与えることになる。

 そう。人間を引き寄せる力は、他人に限定されていると想定されていたが、実際は異なる。リイン自身も恩恵を受けることが可能だ。

 だからこそ、このタイミングで使用する。散り散りになった自分のパーツを一点に集中させるため、神の力を解禁する。


「させるものか!」


 化け物の復元を見過ごすわけにはいかない。エミリアはダーク製の突剣を肉片の一つに突き刺す。

 だが、無駄な抵抗に過ぎないことを次の瞬間に思い知る。

 一定距離まで近づいた途端、断面から赤い血液が触手のように伸び始め、それらは他の部位から伸びるそれらと手を繋ぐことで強固な結合を果たす。

 地面に張り付けにされた部位がそこから動けないのなら、そこを目指せばいい。そう言わんばかりに、残りの三つが仮初ながらも融合を果たした後、エミリアの足元へ集合を始める。


「その前に細切れにする! マッカス!」

「わかってます!」


 エミリアが直面している危機的状況を、マッカスも既に把握済みだ。バラバラに散らした肉片や、頭部とは反対側に蹴り飛ばした胴体がエミリアの元へズリズリと移動を開始したのだから、困惑しながらも状況を飲み込めてしまう。

 くっつこうとする顔を野菜のように細切れにするエミリアとは対照的に、マッカスはリインだった塊を次々と蹴って吹き飛ばす。

 まるで道端に転がる石を遠方へ飛ばすように、否、それ以上の力を籠めて死体を蹴っていく。

 引っ張り合う力は強力なゴムのように強く、普通の人間には追いかけることすら不可能だ。

 二人は軍長ゆえに平然とやってのけるが、少なくともネッテ達には真似できない。

 だが、エミリアとマッカスの抵抗も長くは続かない。リインが無駄な足掻きを良しとしないからだ。


「本当に人間って諦めが悪い。だから嫌い」


 リインは顔を再び分割されながらも、平然と言ってのける。

 発言通り、この女は人間という種を嫌っている。

 自分を魔法の宮殿に閉じ込めたから。

 国家元首としての仕事を押し付けたから。

 神の意志が刷り込まれたから。

 だからこそ、地上にはびこる人間の抹殺にこれっぽっちも抵抗を感じない。

 彼女も昔は人間だったが、今は違う。少なくともそう思い込んでおり、だからこそ、下等な生き物を殺すことに胸を痛めない。

 人間を殺す。

 この地の人間を殺す。

 その邪魔をする二人の軍人は、考えるまでもなく排除対象だ。そのための手段を同じ力で行使する。


「な!?」

「あ、抗えないだとー!?」


 そして、エミリアとマッカスは中間地点へいっきに引っ張られる。両者が両者を手繰り寄せており、両足で地面を踏みつけようと、微塵も勢いは衰えない。

 すれ違うように地面を失踪する肉片を視界に捉えながらも、二人はどうすることもなくついには衝突してしまう。


「す、すみません! 本当に申し訳ありません!」

「……この衝撃、確かに危険だな。というか声が大きい」


 ドシンとぶつかった後、マッカスは密着したままの状態で頭をぺこぺこと下げる。エミリアとは同じ階級だが、過去のシゴキが原因で、未だに恐怖心を抱いている。軍長として第五陸軍をまとめあげる日々を過ごそうと、第二陸軍の軍長には未だに頭が上がらない。むしろ、怖い。

 二人は平然としているが、体に加わった衝撃は人間を破壊できる程度には強大だ。超人特有の頑丈な肉体が相手をあっさりと受け止めてしまうが、並の軍人や冒険者なら、そう何度も耐えられはしない。

 とは言え、手放しで喜べる状況でもない。自分達は傷つかずとも、このままでは肝心の目的を果たせない。

 頭部が集合をかけているかのように、離れ離れだったパーツは地面を這いながらもグングンと集まる。

 もう遅い。二人は密着したままそう認識する。

 分解された顔は結合を終え、作られた大穴も瞬く間に埋まる。届いた胴体ともくっついたことで、再生はさらに加速する。

 届いた順に融合を繰り返し、肉片にまで分解された女はすっかり人間の姿を取り戻す。以前と異なり、真っ黒なワンピースも完全ではないがある程度修復された状態だ。ゆえに、裸体が晒されるようなこともない。

 そのタイミングで、二人の軍長は謎の力から解放されるも、手遅れという事実を突きつけられているのだから、この状況はただただ絶望だ。

 マッカスが行ったような肉体の分解は、リインを捕まえるための一つの手段として考えられていた。

 だが、この方法では不可能だと見せつけられ、さらには他の手段も通用しないことがこれまでの戦いから確定している。

 リインを拘束するためにはいくつかの障害を突破しなければならない。

 一つ。魔法を封じる。弱体魔法のセクレンスがそれを可能とするはずだったが、エミリアのグリムスが通用しなかった時点でこの方法は水泡と帰す。

 二つ。捕まえるためには戦闘不能に追い込まねばならない。不死と言えどもバラバラしてしまえば行動不可だろうという目論見は、物質を引き寄せる力によってあっさりと覆される。

 三つ。腕の立つ冒険者、イリックですら倒せないこの女を討伐できる実力者をぶつけなければならない。この点だけは達成できたと言える。エミリアやその部下達では届かなかったが、マッカスがリインを上回ってくれたからだ。

 一つだけではダメだ。三つを同時にクリアしなければ、リインを生きたまま捕まえることなどできない。

 殺せないのだから捕まえるしかなく、それが不可能ならもはや逃げるか追い払うしかない。

 残念ながら、どちらも困難だ。

 マッカスならこの場から逃げることもできるが、他の軍人達は一人ずつ殺されてしまう。ちりちりに逃げようと、この女はそれだけのことをやってのける。

 ゆえに、今できることは限られる。リインをデフィアーク共和国から撤退させる。

 だが、これも難しい。

 リインが満足し、自ら帰るのを待つか、何らかの方法で追い払うしかない。

 彼女を満足させる方法は簡単だ。この国を守る軍人全員の命を差し出せば良い。もちろん、ただ殺されるだけではダメだ。無駄な抵抗だとわかってはいても、きちんと戦う姿勢を見せる必要がある。


「さ~て、もういっちょ殺してやるか」


 殺されるつもりはない。むしろ殺してやる。そんな気概を放ちながら、マッカスはズンと前進する。

 謎の力から解放されたということは、再戦を望んでいるのだろう。リインの感情をそう読み解き、希望に沿って立ち向かう。


「頼むぞ。私程度ではどうすることもできん。軍長失格だな」

「俺のようなバカは体を動かすことしかできません。ここはお任せください」


 エミリアの声援を背に、マッカスは歩みを進める。第二陸軍の軍長は軍事力における頭脳そのものだ。得意不得意と言いたいわけではないが、自分のやれることは愚直に実行するつもりで、この男は再戦に挑む。

 相手が死なない存在であろうと、負けることはない。そのことを先ほどの攻防で証明したのだから、何度でも八つ裂きにすれば良い。

 シンプルながらも己にしか不可能な方針を打ち立て、この男は純白の槍をビュンと振りぬく。


「安心して。この力はもうあなた達には使わない」

「おやさしいんだな。またバラバラにされたいのかい?」


 自らの血液が作り出す水たまりの中心で、リインは歩み寄る男に視線を向ける。

 引き寄せる力は行使するが、それは相手を倒すためではない。この発言にはそういう意味合いがこめられている。


「もう遅れはとらない」

「へ~。俺の動きは見切ったってことか? だとしたらいよいよ化け物だな」

「そういうこと。さぁ、始めま」


 戦いの鐘はとっくに鳴っている。非生産的な会話を最後まで続ける必要もなく、リインが話し終えるより先に、マッカスは対戦相手の背後へ移動を終える。

 戦いにおいて、何より接近戦では、リインは圧倒的に経験不足だ。何百年も生き続けているのだから、数えきれないほどの場数をこなしていはいるものの、そのどれもが離れた位置からの一方的な殺戮でしかない。

 互いの拳や武器が届く距離での戦闘など、ここ最近始めたばかりだ。日頃から鍛錬を積んでいる軍人に、知識と戦闘術で敵うはずがない。

 呆けていたわけではない。虚を突かれただけだ。

 視界から消えた男がどこにいるのか、わかるはずもなく、背後から迫っている長身の槍で串刺しにされることは明白だ。

 先ほどまでの彼女なら、そうなっていた。

 もう負けない。リインの自信の源泉は、体内からあふれ出る圧倒的な力に起因する。

 体が完全に馴染んでくれた。なぜだかそう確信できてしまう。

 バラバラにされて以降、体のあちこちから感じていた足枷のようなつっかかりは完全に消え去る。

 まるで重たい何かを背負っていたような、沼地に足をとられていたような、完全なるコントロールを阻害していた違和感という不具合は、ここに来てついに解消される。

 脳の最適化。

 力の使い方の学習。

 神経の接続。

 もてあましていた身体能力の把握。

 どれが正しい表現か、リイン本人にもわからないが、一方で理解できていることもある。

 軍人が背後から攻撃してくることなど、彼女の動体視力が既に察知している。

 加速を必要とせず、最初からフルスロットルで走れるその戦闘術には舌を巻くが、なんにせよ、十分に対応可能だ。

 左回りに回転し、背中に突き刺さろうとしていた槍の先端を興味深く眺めつつ、白い柄部分を右手で掴み、静止させる。

 マッカスの腕力は太すぎない腕からは想像もできないほど高い。ウェイクほどではないが、人間の常識とはかけ離れた次元だ。

 サリッサを一振りするだけで、一般的な一軒家なら容易く破壊できる。それが木造であろうと石で作られていようと関係ない。

 マッカスと力比べで敵う者など、この国には数えるほどしかない。

 隊長に位置する軍人達は当然ながら、イリックやエミリアでさえ、勝負にすらならない。

 スマートな体つきとは裏腹に、何もかもを粉砕するその腕力は、これまでに数えきれないほどのモンスターを葬ってきた。

 小さな山ほどの甲羅をまとうカメのウォンテッドモンスター。

 人間はおろかモンスターすらも無差別に飲み込む巨大なミミズのモンスター。

 アイール砂丘で毒液や衝撃波を使い分け、冒険者を苦しめたトンボ型のモンスター。

 カルック坑道に現れたデーモン。

 挙げればきりがないが、この男は槍と己の肉体だけで、他人が手を焼く強敵達を殲滅してきた。

 努力と才能。この言葉は軍人達の多くに当てはまるが、マッカスに関してはそのどちらもが一流だ。否、それ以上かもしれない。

 軍長。千を超える軍人の中でもたった七人しかいないこの階級は、モンスターを倒せるごく少数の人間の中でも、とりわけ純度の高い存在だ。

 モンスターと戦える。そして勝てる。この時点で人間としてはどこかおかしい。

 モンスターは人間を滅ぼすために生み出された生物だ。

 ゆえに、人間がそれらを排除できるはずがない。そう設計されていない。

 だが、そのまま死を受け入れられるほど、人間は物わかりが良いわけではない。怒りや悲しみを原動力として、抗う術を模索する。

 その成果が武器や防具、そして戦術だ。

 研ぎ澄まされた刃は、頑丈なモンスターの体を切り裂き、鉄壁の鎧はひ弱な肉体を守ることに成功する。

 多くの成功や失敗、大量のデータを元に練られた戦闘方法は、冒険者の誕生によってさらに進化し、十人がかりでなければ手も足もでないような格上のモンスター相手に、たった一人で立ち向かえる戦法すら確立する。

 今日まで、人間が歴史を紡げた理由はモンスターと戦う術を身に着けたからだ。

 そして、超人の存在もその理由に含まれる。

 どれだけ束になって挑もうと、どうすることもできない絶対的な強者。そういった存在が、モンスターの中には紛れている。

 軍人が百人、二百人で陣形を組み、効果的に戦闘を進めようと、圧倒的な力の前ではあっさりと崩壊する。

 努力をあざわらうかのような重圧と、人間を虫のように始末できる戦闘力。これらを兼ね備えた化け物相手に、人間など敵うはずもない。

 だが、希望を捨てるわけにはいかない。

 何より、諦める必要もない。

 モンスター全てがそのような強敵ではなく、一部の変異体やドラゴンのような生息数の限られた種だけだ。

 数で押せないなら質で立ち向かう。モンスターがそうであるように、人間もまた、超人という精鋭を有している。

 彼らが世界中の人間を救えるかと言えば嘘になるが、少なくとも自分達の住まう国なら防衛可能だ。

 だからこそ、トリストン大陸には今なお三つの大国が存在できている。

 その一つ、デフィアーク共和国は七つの軍隊によって構成されており、最も人口を擁する第五陸軍の長こそ、マッカスだ。

 若い頃から将来を有望視され、甘いルックスは女性を惹きつける。

 だからと言って他者を見下すようなことはせず、人柄の良さは男からも人気を集める。

 ウェイクという落ちこぼれと共にエミリアの下で切磋琢磨し、ついには頂点にまで登り詰めるも、最前線で戦い続けるその闘争心は決してストレス発散や暴れたいという欲求から生じていない。

 この国を守りたい。

 部下を守りたい。

 家族を守りたい。

 強い相手と戦いたい。

 己の力を行使してモンスターを倒したいという破壊的衝動は確かに内包しているが、この男を突き動かす原動力の源は軍人としての責務だ。

 超人特有の戦闘力と揺るがない信念。これらを併せ持つこの男は決して負けない。負けるはずがない。

 人間一人では太刀打ちできない常軌を逸したモンスターを前にしても、諦めたことはなかった。

 多くの部下と力をあわせ、時には他の軍長と協力し、どんな困難も乗り越えてきたのだから、この戦いにおいても敗れるつもりなどない。

 そんな信念は、圧倒的な力を前にした場合、なんの意味も成さない。そう蔑むように、リインはマッカスの槍を掴んで離さない。


「ここからは次のステップ。戦い方? そういうのを学びたい」


 およそ殺し合いの最中とは思えない発言だが、それも当然だ。リインは一方的な殺戮を実行しているのであって、対等な立場で戦っているつもりなどない。

 この地の人間には、自分が成長するための糧となってもらう。そういう認識でいるからこそ、マッカスを前にしても見下したような態度を維持できる。

 何百人も殺し、マッカスとも激しい戦闘を繰り広げたことで、リインはついに肉体の使い方を手中に収める。

 となれば、次の段階を欲するのは必然だ。

 攻撃魔法での戦い方は心得ているが、近接戦闘はずぶの素人ゆえ、覚える必要などないのかもしれないが、機会があるのなら会得した方が有意義と考え、マッカス相手にそう打ち明ける。


「手取り足取り教えてやる義理はないな……。殺されながら勝手に吸収しやがれ!」


 眼前の女が何を言いたいのか理解するつもりもなく、マッカスはありったけの力でサリッサを動かし、リインの手から槍を解き放つ。

 渾身の突きを片腕であっさりと受け止められたことからも、今のリインは侮れない。それでもやるべきことは変わらず、相手を殺すために先端だけが青い純白の槍を矢継ぎ早に突きつける。

 神の力を使われることで、自分達ではどうすることもできないことはもはや明白だ。

 それでも降参するわけにはいかない。

 逃げるつもりもない。

 何より、負けを認める気もない。

 だからこそ、マッカスは戦う。あくまでも素手で戦うことにこだわる信念は敵ながらに称賛できなくもないが、それが相手の土俵で戦い倒す、という勝気からきているのではなく、ただただ見下しているだけな以上、得意としている槍術で一方的に攻撃を仕掛ける。

 武器は人間が作り出した発明品だ。モンスターを打ち倒すための必要な手段とも言える。

 今回の場合、相手は人間だがもはや超人以上にその規格からは外れている。

 中身はモンスターかそれ以上の化け物だ。慈悲や手加減という単語は思い浮かばない。何より、そんなことをする余裕などない。

 そう。マッカスの攻撃は当たらない。矢継ぎ早に放たれる槍の雨は、全てがリインの俊敏性を下回る。

 空間を切り裂き、地面を割るほどの突きは、そのどれもが一撃必殺の破壊行為だ。しかし、当たらなければただの素振りと大差なく、黒いワンピースの生地すら傷つけられない。


「慣れればどうということもない。コネクトも必要なさそう」

「な、なんだと!? 本当に使えるのか!?」


 この発言には驚かずにはいられない。マッカスは攻撃の手を止めて、戦闘を中断させるために一旦間合いを測る。

 コネクト。常識から逸脱したこの魔法は、ただの冒険者ですら際限なく強くすることが可能だ。本来は使えないはずの魔法や戦技を他者から拝借できるのだから、対人戦やモンスターとの戦闘においては驚異的な戦果を発揮する。

 マッカスはこの魔法の厄介さと頼もしさを誰よりも知っている。

 イリック達がネレネン王国へ発つ前の一か月の間、この軍人は毎日のようにこの少年と鍛錬に励んだが、コネクトはその性能上、一度だけなら必ず相手を倒すことができると痛感させられる。

 三秒間の時間停止。たったの三秒かもしれないが、一方でこの時間は一対一においては長すぎる。

 ゆえに設けられたルールが、コネクトで時間を停止させた場合、相手を攻撃してはならないという当然の縛りだ。

 このルールを用意しない限り、イリックは一対一では絶対に負けない。相手が人間ならなおのこと揺るがない。

 軍人を負かすために戦っているわけではなく、成長することを目的にしているのだから、反則技は禁止だ。

 だからといって、コネクトそのものを封じてはならない。イリックの強みそのものだからだ。

 そこから派生する戦技と魔法は、紛れもなくイリックの手札であり引き出しだ。それらまでは禁止する必要はない。

 コネクト。過去に類を見ないこの秘術は、習得者に人知を超えた戦術を付与する。

 そのためには他者と親睦を深め、強固な絆を作り上げなければならないが、少なくともイリックは複数人相手に見事成功する。

 コネクトは他者と繋がることで初めて真価を発揮する魔法だ。リインが誰の能力を複製するのか、それは誰にもわからないが、詠唱直後にもたらされる時間の制御だけでも危険極まりない。

 魔法や神の力だけでも手に負えない女が、本来ならば魔法の専門家であるにも関わらず無手で自分達を圧倒しているのだから、コネクトまで使われたらもはやどうすることもできない。


「あの男から聞いてるんでしょう? 完全に制御した」

(これは……、だとしたら諦めるしかない……か)


 リインの証言はマッカスにある思考を抱かせる。

 この女には勝てない。

 負けを認めるつもりはないが、少なくとも倒し、戦闘不能へ追い込んだ上で捕らえることはできない。

 これまでのやりとりと今の発言は、自分達とリインとの間に越えられない壁が立ちはだかることを意味する。

 諦めるしかない。いかにマッカスと言えども、らしくない結論を導く。

 手放すしかない。この戦いにおける勝利を。

 だが、希望までは捨てない。

 自分が勝てずとも、リインに対抗できる冒険者がいるからだ。

 ゆえにここから先はシンプルだ。マッカスは戦いを継続し、少しでも多くの判断材料を入手し、引き継ぐ。

 自分の命と引き換えになるかもしれないが、やる価値はある。むしろやらないという選択肢こそありえない。

 敵わないから逃げ出すという考えはこれっぽっちも思い浮かばず、目をかけている少しだけ生意気な冒険者に託すためにも、最後まで抗うつもりだ。

 マッカスは姿勢を正し、長い槍で右肩をトントンとたたく。その顔は晴れ晴れとしており、負け戦に挑む男のそれではない。


「俺相手にはこのまま肉弾戦を続けてくれるんだろう?」

「ええ。十分だもの」


 その返答にはマッカスも小さく笑うしかない。互角に戦えていたという実感は単なる空想だと思い知らされたのだから、おもしろくて仕方ない。

 リインの発言に曇りはない。高まった身体能力がこの男を圧倒できると雄弁に語っている。

 何より、準備運動を締めるには丁度良い相手だ。マッカスを殺した後は、時間をかけずに力のあらん限りに殺戮ショーを再開する。

 だが、そんな目論見は軍人ではなく別の要因によって一旦遮られる。


(――この波動は何? さっきまでは気づかなかったのに)


 リインは笑い声を聞き流しながら、この地に潜む二つの異物を感知する。

 脳と体のギャップが解消されたことで、霧がかっていた頭は完全に晴れ渡る。卓越した魔力に至ってはさらに研ぎ澄まさており、その結果、人間が住まう場所には相応しくない異質な魔力の波動を受信してみせる。

 どちらも無視できるほどに微弱だ。それを裏付けるのように、この国の冒険者や軍人達は誰一人として感知できない。

 だが、神の加護を受ける彼女は膨大な魔力を有しており、それに比例して感知能力も非常に高い。

 一つはかなり近くから感じ取れる。人間でもなければモンスターに関する種類ですらない。

 完全なる第三者のそれは、イリックが愛用する真紅のピーコートを彷彿とさせるが、周囲にこの冒険者は見当たらない。

 もう一つの異物は少し離れた場所から感知できる。方角は北側、すなわち中央区の次に人口が密集している住宅街だ。

 二つ目のそれから放たれる魔力は、消え去りそうなほど貧弱だ。まるで自分の体臭をかいでいるような違和感は、リインとしても生まれて初めての経験といえる。

 気になる。

 どちらも無視できない。

 視界内の人間を殺し終えた後は、新たな用事を片付けなければならない。リインはそう自覚する。

 本人は無計画にデフィアーク共和国を選んだつもりでいるが、実はこの違和感こそが、リインにこの地を選ばせた要因だ。

 似た境遇ゆえ、それとリインは見えない糸で繋がっている。

 今は軽視しているが、後にこれこそがリインにとって最大の落ち度となる。

 根底が同一の三者はやがて一か所に集まるが、それは今日ではない。そして、そう遠い話でもない。


「用事ができた。手早く殺させてもらう」

「おいおい。少しは恩赦ってもんをくれよ。こっちはもっと戦いたくてうずうずしてるんだ」

(突然何だ? 何に気づいた?)


 わからない。それでもリインの態度が急変したことは見て取れる。

 マッカスは担いでいたサリッサをぐいっと前へ突出し、ゆっくりと両手で握り直す。ここからは相手が何をしてくるのかわからない。ふざけた態度は死に直結するだけだ。


(かなり近い。これは……、まさか大精霊?)


 対照的に、リインはマッカスと向き合いながらも、心ここに非ずといった態度でゆっくりと視線を左右へ動かす。

 微量ながらも感知できる存在感は、少なくともこの世界のものではない。そうなれば消去法で容易に限定できる。

 その上、過去に似た波動と接触したことから、確信はないがその正体へいっきに前進してみせる。

 この芸当、普通の人間はおろか魔力に秀でた魔法使いでもおよそ不可能だ。それから漏れ出る魔力量はほとんど無に等しく、拾い上げることなど決してできない。

 どれほどに優れた感性を有していようと、周囲に溢れている魔力の波動を区別することは困難だ。

 ガーウィンス連邦国の最大戦力、シャルロット。

 現代における最大の魔力を要する神の名代。

 水魔法に長けた天才、ロニア。

 彼女達ですら、リインの真似事すら不可能だ。

 一方、リインの嗅覚は人間やモンスターの領域をあっさりと超越している。

 探し物を見つけ出すため、真剣な男を無視して右足を半歩後ろへずらし、右回りに体を動かし始める。

 近くにあるということは背後だろう。そう思える根拠は、前方には槍を構えた人間しかいないからだ。

 対して、背後には何人もの有象無象が野次馬のごとく立っている。その中の誰かが所持していると考えるのは当然のことだろう。


「ウォーボイス! 俺はこっちだぞ……」

「バカの一つ覚えみたいにすぐそれを使う。人間って本当に殺されたがり」


 マッカスから放たれた重圧が、よそ見を妨害するようにリインを押さえ込む。

 俺と戦え。そんな意思がこもった戦技の発動は、両者の衝突を強制させる。


「殺されるにしても、おまえを道連れだ」

「できもしないことを。バッシュがまだ使えないことは私にもわかる。その時点でどうすることもできない。戦技に頼った戦い方は、私には通用しない」

「へへ。全てお見通しってか。だがな!」


 リインの言う通り、マッカスが先ほど使ったバッシュは五分待たなければ再び使えない。短期決戦においては一度の使用が限界だ。

 相手を一秒近くも停止させるこの戦技は、まさに切り札と呼べる。この戦いにおいても、リインを完膚なきまでに殺すことができたほどだ。

 しかし、彼女は不死身だ。一度や二度の死など、かすり傷ですらない。むしろ相手を疲れさせ、戦技を消耗させる有効な手段とさえ言える。

 マッカスはそんなことを気にも留めず、空気を吹き飛ばすように走り出す。

 近接戦闘においては自分に分がある。そんな自負は投げ捨て、ここからは挑戦者として戦場を駆ける。

 太陽の光を受けて銀色に輝くそれは、ミスリル製の軽鎧だ。動きやすさを重視したデザインを採用していることから、体を覆う面積は通常の鎧と比べると幾分少ない。

 これは新品ではない。それでも見た目だけなら鏡のように美しく、そう見誤ることも不思議ではない。

 モンスターや部下との戦闘において、この男はほとんど攻撃を受けない。

 その上、本人が手入れを欠かさないことにも起因する。

 今回においても、マッカスはまだ無傷を貫いている。鎧に守られているからではない。リインの攻撃を避けきれているからだ。

 武器の有無がリーチ差を生み出し、戦況を有利に運べているという事実も確かに存在するが、それ以上に身のこなしが軍人と素人では全く異なる。

 近接戦の専門家と、魔法だけで切り抜けてきた不死者とでは、そもそも戦いになるはずがない。

 にも関わらず接戦だった理由は、リインの身体能力がこの男を上回るからだ。

 戦い方などわからずとも、この道を究めた軍人達を圧倒できてしまう。相手がマッカスであろうと、今のリインには少し速いだけの人間でしかない。

 そう。ここからはさらに一方的だ。

 完成に至った神の代行者は、この男すらも超越する。

 迫り来る槍の先端は、音をあっさりと追い越している。その衝撃だけでも人を殺せるが、接触後の破壊力は巨大な岩すら容易に砕く。

 この攻撃を見切れる人間などいるはずがない。

 西の大陸でひっそりと開発された射撃兵器、銃は弾丸と呼ばれる塊を発射する。弓で言うところの矢に相当するが、弾丸が進む速度は音速の二倍だ。

 この兵器の素晴らしい点は、誰でも容易に扱えることと、弾丸の威力が非常に高いこと、そして発射速度が回避を不可能としていることだ。

 銃の弾を避けることなど無理に決まっている。小さいがゆえに見落とすのではなく、生物の動体視力では反応すらできないからだ。仮に視認できたとしても、体が動く前に撃ち抜かれてしまう。

 マッカスから繰り出される攻撃はそれすらも越えている。だからこそ、何人だろうと避けられない。

 他の軍長達であろうと、半数以上がこの一撃をやり過ごせない。裏を返せば何人かは対応できてしまうのだが、超人という枠組みゆえに常識は通用しない。

 無音の攻撃がリインに迫る。音より速いのだから、先ずは穂先が到着する。

 相手は不死ゆえに、無駄な攻撃かもしれない。それでも全力で戦う男こそマッカスだ。手を抜かないという心意義というよりも、抗い続ける信念がこの軍人を突き動かす。

 そして、局所的に発生した突風が赤い髪を激しく揺らす。

 長い槍を介して向き合う二人は、それぞれが成すべきことを成したため、余韻のような沈黙に包まれる。

 張りつめた空気はまさに戦場のそれだ。少ない観客達は、遠くから行く末を見守ることしかできない。


「こんなに遅かったんだ。だとしたら届かない」


 リインの胸先では、水のように澄んだ刃がピタリと停止している。黒いワンピースにすら届かなかった理由は、細い右腕が槍を掴んで止めたからだ。

 マッカスが全身の力に運動エネルギーを加えた攻撃は、速度と破壊力の両面で抜群の性能を発揮する。モンスターの軍勢を一撃でまき散らせるこれは、槍術というよりは攻城兵器の領域だ。

 だが、女一人殺せないという事実が彼を襲う。この場合、相手がただの人間ではないのだから気を落とす必要もなく、そんなことは承知しているのか、マッカスは臆することなく口元を吊り上げる。


「これがおまえの本気ってわけか」

「そう。神に抗う愚かさ、教えてあげる」

「なっ!?」


 一瞬の邂逅は、一方的な暴力によってあっさりと終わりを告げる。生物としての格の違いが、努力や才能など軽く吹き飛ばすとこの瞬間に提示される。

 繰り返し地面を叩く轟音は、リインの前後からリズミカルに発せられる。

 自身を支点として、掴んだ槍を持ち上げるや否や、背後へ激しく叩き落とす。その先では、武器の所有者が硬い大地と激突するが、そもそもそれを目的としているのだから作業を継続する。

 間髪入れずに、先ほどの場所へ槍を戻す。やはり頭上へ持ち上げ、ぐるっと半円を描きながら地面にぶつける。

 ここからはその繰り返しだ。

 何度も、何度も、槍を介して人間を地面に叩きつける。

 鳴り響く騒音は近隣の住民全員へ届き、激しい揺れは地震そのものだ。

 リインの正面と背後の地面は、マッカスがぶつかる度にくぼみ、周囲はバチバチとひび割れていく。

 おもちゃをぞんざいに扱う子供のような立ち振る舞いは、見ている人間達に恐怖心を植えつけると同時に、顔をそむけさせる。

 だが、今なおサリッサを離さないマッカスもまた、ベクトルは異なるがリイン同様どこかいびつだ。

 手を放せば解放させる。そんなことは誰にでもわかる。マッカスがこの状況から抜け出す方法は、その程度のことだ。


「すごい頑丈。まだ壊れない。おもしろい」


 ドシンドシンと鳴り止まない衝突音に紛れて、リインは興味深くつぶやく。前へ、後ろへ、純白の槍を大きく振り回しているだけだが、生み出される破壊エネルギーは軍人や冒険者を一撃で殺傷できるほどだ。

 その威力は、ギルド会館や三階建ての宿屋以上に背の高い、ガーウィンス連邦国の最大建造物、魔法の宮殿の最上階から落下した時以上だ。リインの細腕にはそれだけの腕力が秘められている。

 それを裏付けるように、マッカスの体は次々と壊れていく。体中の骨は割れ、内臓も負荷に耐えられず悲鳴を上げる。

 そんな状況でも、右腕はサリッサを離さない。この男の頑丈さと折れない心がそれを可能としている。

 手放すだけで良い。そうするだけで、拷問のようなこの時間から解放される。

 そうしない理由は簡単だ。リインと戦うためにはこの武器が必要だからだ。

 素手で戦えるような相手ではない。サリッサがなければさらに絶望的だ。

 だからこそ、地面に打ち付けられようと、右手の力を緩めない。まだ諦めていないからこそ、体がちぎれんばかりの激痛にも耐えられる。

 男の揺るぎない信念に折れたのか、手応えの無さにうんざりしたのか、リインはピタリと腕を止める。男を振り回し続けたのだから息の一つもきれていなければおかしいが、汗すらかかないこの女は人間の姿を模した別の何かだ。

 轟音と共に砂煙も落ち着きを取り戻し、辺り一面に静寂が訪れる。

 聞こえていた音が止んだ違和感に包まれる中、勝者はつまらなそうに敗者を見下ろす。どちらも槍を離さないため、両者は純白の棒によって繋がったままだ。


「何がしたいの?」

「……我慢比べってやつだ。へへ、俺の勝だな」


 リインの視線はゆっくりと持ち上がる。泥だらけの傷まみれな男が、槍と共に立ち上がったからだ。左腕はありえない方向に曲がっており、頭や足からは大量の血液が滴り落ちている。

 それでも、その目は光を失っていない。敵わない相手にも屈しない精神力は、紛れもなく軍人のそれだ。


「まだ続けて欲しいの? そういうことなら……」


 ふぅ、と大きく息を吐き、リインはつまらなそうに右手の槍を動かそうとする。懲りない男が右手を離すまで、もしくは死ぬまで叩きつけるつもりだ。

 しかし、状況は一変する。先ほどまでは容易に持ち上がった反対側の男が、今回はなぜかビクともしない。

 リインは不思議そうに首をかしげる。


「ネザーエナジー?」

「正解だ。そう簡単に負けるかよ」


 見違えるような腕力は戦技の発動によって達成される。時間制限があるため、お世辞にも互角とは言えないものの、今だけなら細い腕と力比べが可能だ。

 綱引きのように、二人はその両端で槍を握り合う。

 この状況でも折れないサリッサはまさに一級品だが、片方はその価値にこれっぽっちも関心を抱かず、なによりマッカスへの興味も失せ始めている。

 だからこそ、傷だらけの男に情けなどかけない。


「つまらない。もう死んで」


 冷たい声は本気の表れだ。右手が槍を掴んだまま、左手をずいっと突き出し、くだらない戦いに終止符を打つ。

 途端、彼女の周囲にぽつぽつと青い炎が出現する。人魂のようなそれらは合計四つ。赤くない炎はまさしく彼女だけの魔法だ。

 高温の殺意は、圧倒的な魔力が姿を変えた結果、この世界に顕現している。コネクトを体得したことでフレイムから昇華したこの魔法は、その名の通り、ゆらゆらと燃えながら空中に浮遊し続ける。

 だが、これは見世物でもなければ自然発生した現象でもない。リインが人間を殺すために用いる手段だ。

 一瞬の待機をえて、四つの鬼火は槍の持ち主に襲いかかる。

 燐火。神が代行者のために用意したこの魔法は、一つだけでも人間を焼却できる異界の炎だ。既に十名以上の軍人でその威力は証明されたが、次の被害者としてマッカスが選ばれてしまう。


「へ~、これか」


 命の危険に晒されながらも、やはりこの男は笑みを浮かべる。

 生を諦めたわけではない。

 絶望に屈したわけでもない。

 勝算があるからこそ、余裕を維持できる。仮になかろうと、やはり笑いながら死んでいくのかもしれない。

 四発同時に発射されたそれらを、動かない槍を握ったまま避けきることなど不可能だ。いかにマッカスと言えども、半分はその身で受け止めてしまう。

 勝負あり。リインは燃え始めたマッカスを悠然と眺めながら、肉の焦げる匂いを肺いっぱいに吸い込む。生きながら焼け死ぬ人間ほど、彼女を満足させる見世物はない。悶え死ぬ様は、死の舞踏会に相応しい演目だ。

 リインが作り出す青い炎は、回復魔法の治癒力すら寄せ付けない速度で肉や骨を燃やし尽くす。

 支援のおかげとは言え、一人だけ耐えられた軍人がいたが、マッカスは孤立無援の戦いを強いられている。

 このままではどうすることもできない。

 燃やされながら、大人しく死ぬしかない。

 そう確信しているからこそ、リインは眼前の火だるまを淡々と眺めつつ、崩れ落ちるその瞬間を催促する。

 踊り狂え。

 口には出さないが、この国の最強の一角を崩せたのだから、楽しくて仕方ない。

 炎に焼かれながらも、未だに純白の槍を離さない理由をこれっぽっちも考えず、人間の死ぬ行くさまを鑑賞する。

 この事実を疑問に思えない時点で、リインはまだまだ戦闘経験の浅い素人だ。専門家の冒険者や軍人を侮るとどうなるか、その身をもって思い知る。

 先ず初めに違和感から始まる。痛覚をシャットアウトしているがゆえに、反応はどうしても遅れる。もっとも、痛みに苛まれないのだから、この状況においてもその特質は有効だ。

 体のあちこちから流れ出した液体が体表を滴り落ちる。いかにリインと言えども、自身の体に何が起き始めたのか、わかるはずもない。


(これは? まさか攻撃を受けてる?)


 脇腹に流れるそれを、黒いワンピースの上からそっと触れる。手のひらが赤く染まったことから、その正体は用意に判明したが、なぜそうなったかまではわからない。

 リインの体中からは、少量ながらもにじみ出るように血液が流れ落ちる。

 斬られたわけでもない。

 殴られてもいなければ、蹴られてもいない。

 矢や魔法を受けてもいない。

 では、何だ?

 他者への理解に興味がないリインですら、答えに辿り着けてしまう。自分に扱えないからと言って、知ることすら放棄してはいないからだ。


「オークとの戦争以来。あなたも使えるんだ。軍長だから?」


 火だるまの男へ、別れの言葉を投げかける。死に際の悪あがきと吐き捨てても良いのだが、自身を負傷させたことには感心せざるをえない。


「階級なんか関係ない。ソウルシンクを使える奴は俺以外にもちらほらいるぜ」


 青い炎の中で、その男はニヤリと笑う。体中の皮膚はほとんど焼け焦げ、息をしようものなら肺の中も焼かれてしまう。それでも未だに倒れない理由は、超人の肉体と恐れを知らない胆力の賜物だ。

 地獄の業火は人間を数秒で消滅させる。この世のものではないから、という事実は関係なく、ただただ火力が高いからだ。

 地獄とはすなわち煉獄のことだ。最近まではおとぎ話や童話の世界にしか存在しないと思われていたが、そこから進出してきたモンスターの台頭によって否定できなくなり、四人の冒険者によって確かなものだと証明される。

 リインは神とより深く接続したことで、その世界の炎を手中に収める。

 本人は魔力の質が変化したことで威力と色合いが変化しただけだと思っているが、実はそうではない。

 青い炎は煉獄のそれだ。モンスターしか生息しないそこは、彼らにとって楽園なのか、はたまた地獄なのか、それは当人にも人間にも、ましてや創造主にもわからない。

 炎と闇に包まれたそこは、ウルフィエナとは全く異なる理によって支配されている。作られた理由も非なるそこは、文化も秩序も存在しない、破壊と混沌だけが蔓延る異世界だ。

 だからこそ、そこに生息するモンスターは手ごわく、こちら側に紛れ込んだ固体達は、人間達を圧倒する。

 トリストン大陸に現われた煉獄のモンスターは、イリック達によって戦力を削ぎ落とされたが、他の大陸では虎視眈々とこの世界の住人を抹殺しようと企んでいる。

 煉獄。隣にありながら非常に遠いその世界は、ウルフィエナとは兄弟、もしくは姉妹と呼べてしまう。

 近い境遇だからこそ、いがみ合うのかもしれない。

 否、そのように設計されている。


「哀れね。道連れにすらできないってわかってるでしょう? この程度の傷じゃ、私は全く消耗しない」

(消耗?)


 生きたまま黒こげに焼かれる中、マッカスはリインの発言にわずかな疑問を抱きつつ、次のステップへ歩みだす。

 このままでは長くはもたない。激痛には耐えられても、命の炎がより強い炎によって吹き消されてしまう。

 だからこそ、開始する。

 ソウルシンク。ダークナイトと呼ばれる盾役が習得できる、カウンター用の戦技。相手の攻撃によって受けた傷を相手と共有できる。

 もう一つの盾役、パラディンが回復や味方の守護に特化しているのに対し、ダークナイトはより攻撃的な戦闘スタイルを得意とする。また、魔法への耐性も高い。

 回復魔法を使えないという理由から、冒険者の間では不人気だが、枠にはまった際の実力はパラディン以上だと噂される。

 マッカスはこの戦技だけで終わらせるつもりはない。生き延びるためにも、そしてリインに一泡吹かせるためにも、戦闘の続行を申し込む。


「これを使うのも久しぶりだな。ブラック……オーラ!」


 この発言はリインの眉をピクリと動かす。それを習得していることとこのタイミングで使われること、そのどちらもが誤算であり、腹立たしいからだ。

 戦いは終わらない。

 すなわち、この男はまだ死なない。

 青い炎の内側から黒いもやが湧き上がる。使用者を生かすためのこれは、異物である炎を払うだけの闇ではない。

 ブラックオーラ。盾役の一つ、ダークナイトだけが使用できる回復用の戦技。キュアのようにすぐさま傷を癒すこれは、同時に毒や呪いといった状態異常も一つだけ取り除くことができる。

 回復量はそれほどではないが、この男の場合、問題ない。


「ふ~……。熱かったぜ。お、なんだなんだ、お互いボロボロじゃねーか」


 体から煙を舞い上がらせながら、マッカスはシシシと意地悪く笑う。自身もあちこちが焼けどまみれだが、相対する女も一見すると無傷なものの、頭や腕といった露出している部分は血まみれだ。

 マッカスの傷は戦技によって半分程度は癒えてくれるも、頬や首、鎧の内側や腕などは、炙られたように茶色く変色している。本来ならば立つこともままならないほどの重症だ。痛みに耐えられずにショック死してもおかしくはない。

 それでもなお笑っていられる理由は超人だからか、この男が普通ではないからか。どちらにせよ、煉獄の炎を耐え抜いたことには違いない。

 一方、リインは額から流れ落ちる血液が左目に入ろうと、まばたきすらせずに相手を睨みつける。ソウルシンクによって燐火がもたらす損傷を共有されてしまったのだから、その傷は決して浅くはない。


(この人間……。普通じゃない。もしかして真の超人?)


 リインしか知らない事実の一つに、人間を超越した人間は二つに分類できることが挙げられる。

 一つ目は、才能や努力といった本人の才覚によって越えられない壁を越えた超人。ウェイクやエミリアはここに当てはまる。

 二つ目は、人間という種が何らかの要因によって減らされた場合に自然発生する、本人の意志とは無関係に選定される超人。それまで凡人だった人間が、ある日突然力を手に入れた場合、こちらに該当する。

 ウルフィエナに生息する生物は、一つを除いてその種毎に強さないし生命力の総量が決められている。

 例えば、昆虫は一匹一匹は非常に小さく、踏めば容易く殺せるか弱き生き物だ。しかし、数は人間達と比べれると桁違いに多く、そうすることで弱者ながらに生きながらえている。

 動物は虫よりも個体数は少ないが、大きさも力強さも比較にならない。

 動物に関しては二種類に分類できる。草食動物と肉食動物だ。

 前者は安定した食事にありつけるからか、その数はいくらか多い。

 一方、肉食動物は絶対的に数が少ない。

 当然だ。食糧である草食動物を食べ尽くせるほど個体数が増えてしまった場合、その反動で次は自分達が滅びてしまう。

 もちろん、動物達にそのような配慮があるわけではなく、自然界の摂理として、食べ物の量がその種の数を決定している。

 食物連鎖のピラミッド。数が多い生き物、この場合、植物や昆虫が最下層に位置し、次いで草食動物、肉食動物の順にピラミッドを構成する。

 本来ならばこれで完成だ。草食動物を食べる凶暴かつ力強い動物を頂点にして、三角形は形成される。

 しかし、人間というより強い生き物が現れたことで、肉食動物は頂上から引きづり下される。

 今では、人間、野生動物、昆虫や植物が共存ないし下の種を食してこの世界に息づいている。

 人間の数は時に増え、時に大きく減らされる。凶暴な動物に殺されることもあるが、それは稀有なケースだ。流行病も挙げられるが、この世界において最も大きな死因は、最大の外的であるモンスターに行き着く。

 モンスター。この生命だけは、あらゆる側面で異質だ。

 種類によっては、地上から駆逐しようと時間経過でどこからともなく姿を現す。カルック高原のカルックシープ等、この特性がその土地に住まう人々の生活を支える産業にも結び付いているため、一概には否定しきれないが、それでも生物としてはただただ不気味だ。

 魔法を使える使えないに関わらず、モンスターはありとあらゆる個体が膨大なマジックポイントを有している。

 そして、最たる特徴は多少の例外は存在するものの、ほとんど全てが人間に対して敵対心を抱いている。

 モンスターは人間を殺したがっている。食べるためではなく、ただひたすらに狩り尽くしたい。

 まるで、人間が自宅に侵入した虫を追い払うか殺すように、モンスターはウルフィエナから人間を排除しようとしている。

 その結果、両者は常日頃から殺し合う。時には大規模な戦争にまで発展し、どちらもその数を大きく減らす。

 ここで、生物の種としての総量が関わってくる。

 虫の総数を一万匹、強さを一とした場合、掛け算で得られる値は一万だ。

 草食動物の数を千体、強さが十なら、やはり一万。

 肉食動物は百体、強さも百。すなわち一万。

 この一万という値こそ、生き物に定義されている総量だ。個体数が多かろうと少なかろうと、その値は変動しない。してはならない。

 この定義に人間もあてはめることが可能だ。

 そして、人口が大きく変動した場合、すなわちモンスターによって減らされた場合、突然変異のような人間が発生する。

 種としての総量は変わらない。変えない。

 では、人間の数が半分に減った場合、どう計算しなおせば良いのか。

 簡単だ。減少分を補間できるだけの強さを一部の人間に与えれば良い。

 たった一人で何百、何千人の強さを持った個人が出現することで、種の総量は変動せずに済む。

 この考え方こそ、二種類目の超人だ。事実、この世界はそのように設計されている。

 なぜか、モンスターはこの枠組みからは外されており、ゆえにこの世界はモンスター達に支配されているといっても過言ではない。

 他の生物が総量一万のルールに縛られている一方、モンスターは十万、百万で勝負できるのだから、端から戦いになどならない。

 それでも抗う生き物が人間だ。少なくとも、今を生きる彼らは絶望などしてはいない。

 マッカス。第五陸軍の長を務めるこの男も、目の前の外敵に屈しない。勝てないとはわかっていても、諦めの悪さは一級品だ。

 まるで、モンスターに抗う人間そのものだ。


(人間の守護者……か。でも、この程度なら全く問題ない)


 ドレスのようなワンピースが血液を吸ってより黒く染まる。それだけではなく、その液体を資源に破けた部分が修繕されていく。

 リインはネレネン王国での戦いで思い知る。ある程度の実力をもった人間と戦った場合、負けることはないが着ている服がボロボロになってしまう、と。

 今更裸を他人に見られたところで羞恥心等を抱きはしないが、露出の趣味があるわけでもない。

 ゆえに、工夫する。有限ではあるが実質無限の血液を吸わせることで、生地の再生を行わせる。古代人の遺したマジックアイテムが可能とする芸当だが、リインにしか実行できない荒業でもある。


「――この槍欲しいのか?」


 その質問は想定していなかった。傷だらけの男から視線を向けられながら、リインは思わず固まる。

 確かに、右手は純白の槍を握ったままだ。欲しいからではなく、マッカスの自由を奪うためなのだが、そう思われてしまったことは誤算と言える。


「いらない。あなたこそ、これがないと何もできない」

「そんなことはねえよ。例えば……」


 言い返すリインへ、マッカスは手ぶらな左腕を向ける。ちりちりに焼けた手のひらを広げる行為は、待ったをかけるためではない。反撃の継続を意味する。

 途端、リインの体から煙のような黒い何かが漏れ始め、それらはマッカスの手のひらへ吸われていく。

 リインの体に襲いかかる脱力感のようなそれは、痛覚を遮断していても防ぎきることはできない。


「どうだどうだ? 苦しいだろう? おかげで俺はさらに元気だ!」


 わっはっは、と笑う顔や火傷まみれの体中から、肌色の面積が拡大していく。火傷が癒えている。つまりはそういうことだ。


「……ヴォイド?」

「正解~。伊達に長生きしてねーな」


 リインの発言通り、この現象はヴォイドと呼ばれる戦技によって成されている。

 これは対象から生命エネルギーを奪い取ることが可能だ。戦技ゆえに魔法のような詠唱は必要なく、手をかざすだけで実行可能なのだから、使い勝手はすこぶる高い。

 相手を弱らせ、自身の傷は癒える。

 再使用時間が十五分と長いため、戦闘では一度しか使えないが、この状況においては申し分ない成果をもたらす。


「そうやって立っていられるだけでも立派なもんだぜ」


 燐火によって焼けただれた肌は部分的に痛々しく残ったままだが、二つの戦技によって体調は十分良好だ。あちこちがまだまだ痛むが、相手を称える余裕すら戻っている。

 そんな人間を前に、リインは少しだけ考えを改める。

 自分が負けることはない。それだけは絶対だ。不死の仕組みは自ら解除することすら不可能ゆえ、自害すら面倒極まりない。

 死なないのだから戦いにおいて敗れることもない。ゆえに、人間相手に負けることはない。

 ましてや、力の全てを使っていない。コネクトすら出し惜しみしているのだから、その気になればこの男も一瞬で殺せる。

 そう。手段はいくらでも残っている。

 その動作はマッカスの警戒心を一段階上げさせる。相手へ手のひらを向ける動きは、先ほど自分自身がやったばかりだ。すなわち、その動作だけで完結する何かをこれから実行する。


「うおっ!? またか!」


 引っ張る能力。それをこのタイミングで使用する。

 何と何をくっつけるのか。

 この場合、驚くマッカスとリイン本人だ。

 槍の両端を握っていた二人だが、この力の発動により、その距離はさらに狭まる。

 リインが右手の握力を弱めたため、マッカスはサリッサごと見えない糸で引っ張られてしまう。

 慌てふためく眼前の人間へ、トドメの一撃を。リインは差し出した左手にボンと青い炎を出現させて、そのまま相手へ押し付ける。

 戦技は魔法のように連続して使うことができない。それをわかっているからこそ、早々にマッカスを殺す。ブラックオーラやヴォイドで無駄に戦いを長引かせたくないからだ。

 そして、直撃に成功する。表面積の少ない鎧の合間を狙うことは容易く、燐火を握った左手はマッカスの腹部に押し付けられる。

 これで終わりだ。

 リインの魔力なら、小さな炎であろうと二発で超人を瀕死に追い込めることが先ほど証明された。全快ではないのだから、青い炎は一つでも事足りるだろう。

 しかし、違和感はすぐに訪れる。どんな仕組みでそれが実行可能なのか、三百年以上も生きた女ですら、目を見開いて疑問に思うことしかできない。


「残念だったな!」


 押し付けられた青い殺意はそこには存在しない。着弾と同時に消え去ったからだ。

 代わりに、マッカスの硬い頭が頭突きを成立させる。ゴンと響いた鈍い音は、近場の観客達はおろか、離れた位置から見守る軍人達の耳にも届く。

 リインにとっては痛覚がないのだから損失などないに等しいが、頭の頂上から足のつま先にまで伝わる衝撃の強さには驚かされる。

 その刹那、相手がどうやって燐火をいなしたのか、リインの赤い瞳は目撃する。答えはシンプルだ。やはり、戦技という神秘が彼女の前に立ちはだかる。

 マッカスの体を薄暗い膜が覆っている。役目を終えたのだから今まさに消え去ろうとしているが、間違いなくこれが原因だ。

 ブラックホール。非常に珍しい戦技の一つであり、その効果は発動後、一度だけ魔法を打ち消すことができる。

 避けられないのなら耐える。

 それが嫌ならこうする。

 そう主張するようなマッカスの振る舞いは、多くの戦技を習得しているからこそ可能な芸当だ。誰にでも真似できることではない。


「おらぁ!」


 怒気を含んだ大声は、攻撃を緩めない意思表示そのものだ。マッカスは空っぽの左手を、よろめく相手の頬に打ちこむ。

 強く握れられた拳は、リインの顔と首の骨を粉砕するだけに留まらず、背後から地面にめりこませ、その周囲に大きなひび割れを作りあげる。人間の腕力だけでは到底成しえない破壊力は、超人だからこそ可能だ。

 それでもこの女を殺せない。否、この一撃で一度は殺せているのだが、生命活動の停止には至らない。

 だからこそ、ここから本命を打ち込み続ける。ついに開放された右手のサリッサは、面妖な見た目で人々を魅了する装飾品ではない。モンスターの命を奪い、デフィアーク共和国を守るための武器だ。今回の相手は人間かもしれないが、トリストン大陸に巣食うどのモンスターよりも歪んだ存在ゆえ、この槍を用いる。

 赤ん坊のように首がすわらない女へ、水のように澄んだ穂先がグサリと突き刺さる。

 二度、三度、と胴体の異なる部位を突くも、真っ赤な瞳だけはマッカスを捉えたままだ。

 二人は理解している。

 イリック達を何度も苦しめたこの女は、この程度では殺しきれない、と。

 この男は確かに強い。だが、それでも障害には成り得ない、と。

 リインは体中を貫かれながらも、槍が引き抜かれる時の反動を利用して、上半身を起こそうとする。

 そんなことはさせない、とマッカスはそれ以上の速さで、サリッサを眼下の女へ突き入れる。

 どちらも戦技や魔法を使わず、寡黙にこの攻防を続ける理由は、プライドなのか意地なのか、本人達にも見守る彼女達にもわからない。

 抗うように伸びてくる右腕を、槍で貫き地面へ串刺しにする。

 視界から情報を得ようとする両眼へ、赤く染まった穂先を突き通す。

 槍を掴もうとする左手ごと、左肩を粉砕する。

 何かを喋ろうとする口の中に槍を深々と突き入れる。

 徹底的に、完膚なきまでに破壊しなければならない。それでもまだ、この女を殺しきれないのだから。

 マッカスの一突きは全てがそうではないものの、その多くがリインをその都度絶命させている。

 つまり、この攻防において数十回もの殺害に成功しているということだ。

 観客の一人、エミリアは遠方から戦況を見守りつつも、言葉を失う。

 マッカスの実力はわかっていた。自分が鍛え上げた男なのだから、この程度の働きは織り込み済みだ。

 一方、リインの不死性には、どうしても冷や汗が流れてしまう。

 サリッサに何度も何度も繰り返し刺し貫かれているにも関わらず、未だに活動を停止しない。頭部から腰に至るまで、およそ人間の原型は留めていない。輪郭はほとんど変わらないが、顔や体は皮や肉、骨、臓器がぐちゃぐちゃに混ぜ込まれており、黒い布地を被せられたひき肉のようにしか見えない。

 だが、動く。槍が突き入れられ、抜かれるその動作に引っ張られて揺らいでいるだけではない。自分の意志で上半身を起こそうともがいている。

 エミリアの額を流れる汗が顎に至るまでのわずかな間に、リインの死亡回数は三桁に到達するも、それでもまだ死に絶えてはいない。

 この攻防を眺める者達は、全く異なる感想を浮かべる。

 ネッテとロニアは、マッカスの強さを再認識すると同時に、もしかしたらこのままリインを倒すのでは、と淡い期待を胸に抱く。攻撃魔法や神の力を使われたとしても、なんとか対処してしまうのでは、と思えるほどに、マッカスの活躍には度肝を抜かれる。

 現に、今は一方的だ。自分達では手も足も出せない相手を大地に磔にしている。

 対照的に、全く逆のことを考えているのがアジールとエミリアだ。一見すると有利に戦えているが、こんな状況は一瞬で覆されてしまう。リインならそういうことが可能だ、と思えて仕方ない。

 マッカスが油断するような男ではないと理解できているも、不安感は決して拭えない。

 ざわつく胸騒ぎは女の感だ。的中するとは限らないが、今回に関しては正しいと次の瞬間に提示されてしまう。


(本当に! 不思議だな! まるで俺が! 殺人狂になった気分! だぜ!)


 殺せど殺せど、この女を殺しきれない。

 何度槍を突き入れようとも、リインは反撃を試みる。眼球などとっくに潰れており、耳はおろか脳すら原型を留めていない。外部から得られる情報は、自身に突き刺さる槍の重みと破壊エネルギーだけだ。

 相手がどこにいるのか。

 何をしているのか。

 この状況において知りたい事実はこの程度だ。だからこそ、痛みを伴わない自身の欠損が続く以上、情報収集には事足りない。

 マッカスのスタミナは無限ではない。だが、この程度では息切れすらしない。短時間で百を越える死をもたらすが、リインの抵抗がこの程度ならまだまだ継続可能だ。

 そう察したのか、それとも殺され続けることに飽きたのか、リインは別の手で反撃を開始する。

 この男は強い。

 自分はさらに強い。

 そう自負しながら、本格的且つ絶対的な手段を講じる。

 轟々と燃える青い球体が、両者の目の前に出現する。何の前触れもなく現われたこれは、鬼火のような自然現象ではなく魔法によるものだ。

 マッカスは体を一瞬だが硬直させる。熱量や前触れのなさに驚いたわけではない。その数から身の危険を察知したからだ。

 炎の総数は十。彼女にとっての最大出力ではないが、人間を殺すには過剰な量だ。たった一つで人間を丸焼きどころか溶かし尽くせてしまうのだから、やはり必要数を大きく越えている。

 超人と言えども、対策もなしに浴びればひとたまりもない。

 そんな殺意が十個、自分を標的にしている。眼前で浮いているそれらは、今にも動き出しそうなほどに青くたぎっており、今は眼下の女を殺している場合ではない。

 間に合うか?

 そんな疑問は、赤く染まった純白の槍で払しょくする。合図もなしに接近し始めたそれらを、今はがむしゃらに叩き落とさなければならない。

 手を伸ばせば届くほどの正面に、弓の使い手を十人横に整列させる。同時に構えさせ、自分には見えない人間の合図で一斉に射させる。

 マッカスが晒されている状況はまさにこれと同義だ。

 それでも弱音を吐く前に手を動かす。握っているサリッサが少しずつ融解しながらも我慢強く耐えてくれる以上、自分が先に折れるわけにはいかない。

 だが、これは我慢比べではない。殺し合いだ。相手がいる以上、精神論だけではどうにもならない。

 攻撃が止んだのだから、順番が回ってきたということになる。死体のように寝そべってはいるが、そうではない。

 自ら作った好機だ。体の回復を待たずに行動を起こす。

 愛用する武器を豪快に振り回す姿からは力強さが溢れているが、一点、背中は隙だらけだ。目の前に出現した炎を全力で打ち砕いている最中ゆえに、仕方がない。

 すっかり傷の癒えた大きな背中へ、肉塊のような女はその姿のまま抱き着く。

 マッカスにとって運が良いのか悪いのか。

 リインにとって間に合ったのか遅かったのか。

 全ての燐火を破壊し終えたその瞬間、両者の距離は完全に密着する。

 槍はリーチの長い武器だ。今から先端を背中へ向けるには時間がかかり過ぎる。ゆえに引き戻す勢いを乗せて、柄尻での殴打を選択する。

 その攻撃は間に合うが意味を成さない。背後から抱きつく腕力が勝ったからだ。

 ゴンと体を押されようとも、肉片が飛び散るだけで彼女は離れない。

 耐えた以上、反撃開始だ。唯一使える口を大きく開き、顔のすぐ前に露出している太い首に深々と噛みつく。

 歯は半分以上が欠損している。

 頬や喉奥に至っては、貫かれた影響で風穴すら空いている。

 それでも人間の肉を噛み千切る程度は可能だ。それが超人の頑丈な首であろうと、リインの口は閉じきってみせる。


「がはっ!」


 この痛みには声が漏れてしまう。骨には届かずとも、肉を深々とえぐられ、頸動脈を一本千切られてしまっては、いかに軍人と言えども非常事態だ。

 今すぐにでも傷を塞ぎ、止血しなければならない。

 本来ならばその程度では応急処置にすらならないが、やれることはそれしかなく、人間離れした生命力がこの男をいくらか生かし続ける。

 だが、それすらさせない。

 そこには崩れた顔が居座っている。空いている左手で首を抑えようとしても、彼女の頭部が邪魔で実行できない。


(こ、こいつ……!)


 まだ諦めない。

 諦めるには早い。

 首に続き、左肩を食い破られようと、この男は化け物を背負いながら自己回復を実行する。

 マッカスの体から漏れ始めた黒い霧は、先ほど同様戦技による現象だ。

 煙のようなそれは二人を包み込み、使用者の首や肩の傷をみるみる再生させる。

 スティクスオーラ。盾役、ダークナイトが習得する回復用の戦技。ブラックオーラと同種だが、回復量はこちらの方が優秀だ。

 ヴォイド。

 ブラックオーラ。

 スティクスオーラ。

 回復魔法を使えないダークナイトの数少ない回復手段がこれらだ。どれも戦技なために再使用時間は長く、キュアのように連続使用はできない。

 つまり、マッカスはこれ以上の治療を行えない。

 それを理解した上で、リインはさらなる追撃を実行する。そもそも相手の背中に張り付いている理由は、この男を殺すためだ。

 戦技により復元された首へ、数少ない歯を再びめり込ませる。半数以上が失われているが、噛む力までは衰えてはいない。

 肉よりも血の味が口いっぱいに広がる。だが、舌はおろか頬の肉すらも満足にないのだから、咀嚼すら難しい。

 口に含んだ人間の肉は、顔とすら呼べない塊から零れ落ちていく。

 徐々に癒えていく体が、マッカスの悲痛な叫び声を聴き取ることに成功する。

 なるほど、こんな声だった。そんなことを思い浮かべながら、リインは首元や肩を次々と噛み千切る。

 もちろん、マッカスもやられっぱなしでいるつもりなどない。右手が握る槍で小突き、左手で背後の女を肉ごと掴み引っ張る。

 だが、腕力を比べればリインが上だ。

 背中にへばりつかれているという戦いにくさも相まって、軍人は徐々に劣性へ追い込まれていく。

 リインは決してスマートではないこの戦い方を通じて、一つ学習する。

 自分は魔法を主体に戦う魔法使いだ。けれども、コネクトの習得により肉体が成長したのだから、冒険者や軍人のように接近戦においても無類の強さを手に入れた。

 だからこそ、真似事レベルでも構わないから、武術の類を習得しよう。今しがたまで、リインはそう考えていた。

 そんな固定概念は払しょくする。

 正しい戦い方をせずとも、こうして超人を圧倒できるのだから、自分は神にも等しい身体能力だけで人間を殺そう。

 自身よりも長い槍を巧みに操るこの男との戦いを通じて、リインは自らの戦闘スタイルを完全に確立する。

 近接戦闘において必要な間合いの取り方。

 相手の動きに応じた防御や回避。

 無駄のない身のこなし。

 そんなものは必要ない。

 もはや学ぼうとも思わない。

 他者を圧倒する動体視力と超常の肉体。

 人間を超えた魔力と地獄の炎。

 神からもたらされた能力とコネクト。

 これだけあれば十分だ。

 人間には決して届かない高みで、彼女はたった一人、神のコマとして人間を殺め続ける。

 啓示は呪いのように重く圧し掛かるが、リインにとってはつまらないこの世界で生きていく唯一の目的だ。

 今までは破壊兵器を探しつつ、放浪の旅を続け、おもちゃを見つける度に遊んでいた。永遠の命があるからこそ、生き急ぐ必要はないと判断して、神の指示を後回しにしてきたが、それももう終わりだ。

 ここからは、自分の力だけでも人間を滅ぼしてみせる。

 何より、目的の兵器がどこにあるのか、既に目処は立っている。人間を殺しながら、ゆっくりと手中に収めれば良い。

 そのためにも、先ずはこの男を殺す。

 第五陸軍の軍長。

 人間を超えた人間。

 関係ない。そんな肩書は、リインのそれと比べれば塵に等しい。

 神の名代。

 何百年も前に失効された地位だが、真の意味で彼女にこそ相応しい。

 殺す。

 ゆえに、殺す。

 それが神の意志だからだ。

 人間なぞ滅びてしまえ。

 私の邪魔をするな。

 神の意志がリインに流れ込み、動力源となって彼女を突き動かす。

 ゆえに殺す。

 先ずはこの男を殺す。

 始まりだ。この世にはびこる人間を殺し尽くすその時まで、自分は足を止めるわけにはいかない。

 リインは神の指示に従っている。

 人間の排除がそれに当たる。

 だが、神の意思がもう一つ存在することも事実だ。

 人間の生存。

 これ無しでは、人間は過酷なウルフィエナで繁栄などできない。

 リインは紛れもなく神の代行者だ。

 では、そんな彼女に抗える存在は誰だ?

 見つかろうと見つからずとも関係ない。

 先陣をきって、この男が立ち塞がる。命が燃え尽きる前にやるべきことをやり遂げる人種こそ、軍人だからだ。

 このまま殺されてたまるか。そんな気概が刃に乗ってリインに襲いかかる。

 密着された場合、槍の使い手は非常に不利だ。長いリーチが仇となってしまう。

 それでも対処の仕方はいくらでもある。それを証明するように、わずかに溶けてしまった青い穂先を女の右脇腹にすっと押し込む。マッカスがサリッサを逆手に握り、背後の女へ深々と刃を突き入れた瞬間だ。

 リインにとって、この程度の損傷は意味を成さない。外見からして、ミンチにされた肉塊を人間の形に固めているようなものなのだから、槍が突き刺さろうと些細な問題だ。

 体中の血液が流れ終えたのか、出血すら染み出る程度で済んでしまう。

 それでもマッカスは手を休めない。何度も、何度も、槍を前後させて背中の化け物に死を与え続ける。

 痛みを感じないデメリットは、防御への関心が低くなることだ。だからこそ、何度でも殺せてしまう。無防備なリインを殺すだけなら、軍長にとって比較的容易い。

 マッカスがそうするように、リインも対戦相手への攻撃を愚直に継続する。

 人間の肉を貪ることに飽きたのか、攻撃手段は変更だ。

 抱き着くために用いている両腕は、マッカスの腹部を鎧の上から押さえ込んでいる。

 ミスリル製のそれは軽量かつ頑丈だ。ジャイアントに殴られようと、全体重を乗せて踏まれようと、折れもしなければ砕けもしない。

 原材料のミスリル鉱石は、腕に覚えのある鍛冶屋が専用の機材と長い時間をかけて加工する。精錬を含むこの工程および技術は、三大大国においてデフィアーク共和国が独占しており、他国も挑んではいるものの、その困難さが技術大国の威厳を保つ。

 生き物が腕力だけでどうこうできる代物ではない。

 それは、人間であろうとモンスターであろうと例外ではない。


「なっ!? ぐ……う……」


 バキリと鳴り響いた甲高い音は、銀色の鎧が砕かれた証だ。

 人間の範疇から大きくかけ離れているのだから、この女は完全なる例外だ。冒険者が一生をかけて購入する超高級品の防具であろうと、その腕力だけで打ち砕けてしまう。

 もはや声も出ない。背後から巻かれている腕が、ミシミシと胴体を押し潰そうとしている。

 内部の骨は軋み、臓器は上か下へずれていく。息をする余裕など、もはやどこにもない。

 腕が体にめり込む一方、リインの指が皮膚を貫いて内部を目指す。本来は十本なければならないそれらは、左右併せて五本しかないが、この人間の死を早める役割くらいは果たせてしまう。

 マッカスの口からは、バケツに貯められた水のように多量の血液が吐き出される。完全なる致死量だ。誰の目から見ても、この男は助からない。


(こ、ここまでかぁ……。案外どうにもならないもんだな)


 もはや諦めるしかない。悔しい反面、完膚なきまでに打ちのめされたのだから、清々しさすら混じってしまう。


(イリックの野郎……。この女、本当に殺せるのかよ?)


 ミシミシと悲鳴のような音を聞きながら、マッカスは頭の中で愚痴る。それでもなお、その少年のことは信じられるのだから、不思議な感覚だ。

 イリックはごく少数の知人に対し、リインが不死身ではないとこぼしている。冒険者としての勘と、何より偉大なる先人達の冒険譚がそう確信させる。

 リインは不老かもしれないが、不死ではない。とある条件さえ突破できれば、そのからくりも突破可能だ。冒険者として、そう思えてやまない。

 その言葉を信じ、マッカスはリインに立ち向かう。自分では倒せなくとも、切り口くらいは見つけ出すつもりでいたが、それすらも叶わず、こうして殺されるのをじっと待つことしかできない。

 この戦いは紛れもなくリインの勝ちだ。何度でも死ねる女とただの人間では、そもそも公平さなど微塵もない。

 マッカスは死ぬしかない。この状況、決して抗うことはできないのだから。

 だからこそ、リインも確信している。

 やっとこの人間を殺すことができる。後は掃除の時間だ、と。

 そうはさせない。

 そんな意思が言葉となって乾いた空気を振動させる。二つの声は知り合いを救うために疾走する。


「ウォーシャウト」

「もう! 手のかかる! ヒーリングカレント!」


 マッカスは死なない。この男は一人ではない。

 仲間とは呼べないが、知人以上の友人達が戦場に同席している。ゆえに、救いの手は差し伸べられてしかるべきだ。

 現状、リインに立ち向かえる唯一の軍人がマッカスだ。戦力としても、見殺しにはできない。

 アジールは自分の命と引き換えに戦技を発動する。これから十秒間、リインの猛攻に耐えなければならない。

 もちろん、そんなことは不可能だ。マッカスでさえ捌ききれないのだから、一介の冒険者など容易く殺される。

 ロニアは慌てながらも、足元に輝く水たまりを生成する。回復魔法のそれで癒しきれるとは思えないが、唯一の治療手段な以上、時間をかけてでも試みるしかない。

 二人は背水の陣だ。リインの標的になるということは、帰路を絶つに等しい。

 だからこそ、アジール達はネッテの参戦を許可しない。

 アジールにはウォーシャウトがある。

 ロニアには回復魔法がある。

 この状況下において、彼女達にはやれることがある。

 一方、ネッテは攻撃一辺倒の冒険者だ。段違いの格上と戦う場合、単なる足手まといでしかない。

 そういう意味でも、そして、その若さで死なせるわけにはいかないという意味でも、これ以上この戦いに巻き込むわけにはいかない。

 自分達が全滅したとしても、俊足な足で逃げ切ることが可能かもしれない。そんな考えも働き、二人はネッテを後方に下げさせる。


(お、お兄ちゃん……)


 今のネッテにできることは一つだ。どんな時でも頼りになる絶対的な存在、兄にすがることしかできない。

 この願いが叶った場合、イリックは早々に殺されるだろう。それほどまでに、リインは圧倒的な力を手にしている。マッカスですら太刀打ちできないのだから、この場に駆けつけてはいけない。


「……あ……う……あなた……達……」


 腐敗した死体のような女は、口とは呼べない器官から音を漏らす。傷の復元が徐々に進み、声帯および舌がその形を取り戻した結果、声のような雑音を鳴らすことに成功する。

 リインは戦技に従い、マッカスを解放するしかない。

 そっと離された両腕から、力なく男が崩れ落ちる。

 もはや立つこともできない。

 声も出せない。

 弱々しい呼吸ですら、既に奇跡の領域だ。

 対照的に、その女は加速度的に元の姿を取り戻す。体の内側が回復しきったことで、順番が外側にまわってきたからだ。

 赤い髪が生え揃う。血液のような色合いは、長身な背丈に負けないほどズズズと伸びていき、背中の途中まで垂れていく。

 何色なのか判別のつかなかった顔や首回りは、染料を吹きかけられたように肌色へ変色する。

 冷徹かつ美しい顔がその姿を取り戻すと同時に、一回のまばたきによって二つの眼球もそこに現れる。

 この復元は、他の生き物に類を見ない。モンスターを含めようと、同類など決して見当たらない。

 服から布きれに成り果てていた残骸は、十分に吸った主人の体液を利用していっきに編まれる。シンプルさとドレスのような可憐さを両立させる黒いワンピースは、彼女の体と両足を包み込む女神の加護だ。

 二つの大きな膨らみが生地を盛り上げ、露出している両腕は赤ん坊のようにきめ細かな肌を取り戻す。

 完了だ。リインは再生を終え、新たな獲物に視線を向ける。


「まだいたんだ」


 この発言は半分嘘だ。ネッテ達をここから逃がすつもりなど毛頭ない。ゆえに彼女達が臆しながらも居残っていることは把握済みだ。

 リインはアジールを見据える。ウォーシャウトの拘束に従うと、自然とそうなってしまう。

 自身に匹敵する長身な冒険者になど興味はない。

 魔眼の所有者という意味では研究対象足りえる。

 生きたまま持ち帰っても良いが、目障りなあの男の関係者ということから、それだけで殺害対象となりえる。

 アジールはわかっている。マッカスを窮地から救うためには、自らの命を差し出さなければならない、と。

 二人の力量差は圧倒的だ。決して埋められない。何年、何十年の鍛錬を積もうとその差は遠すぎる。

 小手先の攻撃でも十分だ。リインがアジールを殺すにはそれだけで事足りる。

 それでもマッカスを生かすためには、ウォーシャウトを使う以外に手段はない。たかが数秒の延命が限界だろうと、盾役として、唯一の戦力を見殺しにはできない。


「ロニアはネッテと逃げて」


 澄みきった声は本心だからだ。アジールは一人で時間を稼ぐつもりでいる。そのための実力も手段も見当たらないが、やれることをやるしかなく、相手を威嚇する目的も兼ねて二つの腕を両肩の上に出現させる。

 わずかに筋肉をまとう二本のそれらは、魔眼所有者しか作り出せない特異能力だ。白く透き通っており、本当に存在しているのか、それすらも断言できない。

 超人の領域には及ばないが、その腕力は非常に高く、繰り出される打撃は下手な剣撃よりも致命傷足りえる。

 切り札として、早々に披露すべきではなかったかもしれない。だからと言って出し惜しみできる相手でもない。

 アジールは牽制も兼ねて見せつけることを選ぶ。


「こうなったらもう無理よ。いえ、端からそんな選択肢は用意されてないわ」


 ロニアの言う通り、リインがこの地に現れた時点で命運は決まっている。

 手段を選ばなければ、この女は一国を滅ぼすことさえ可能だ。そんな相手から逃げ切るためには、イリックのテレポート以外ありえない。


「――魔女の腕。そう、あなたも開眼できたのね」

「このまま帰るつもりは?」

「愚問」


 時間稼ぎの会話は長続きしない。どちらも口数は少なく、そもそも口下手だ。

 魔女の腕。召喚魔法のように両腕を作り出すこれは、魔眼と関係する摩訶不思議な現象だ。眼同様解明は進んでおらず、謎に包まれたままだが攻撃手段として運用できる。

 だが、この状況では珍しいだけの見世物でしかない。アジールが腕を増やそうと、リイン相手には一瞬驚かせる程度が限界だ。


「人間は全部殺す。順番を早めてもらいたいならそうしてあげる」


 黒いドレスを揺らしながら、すらっと長い足を一歩、二歩、と歩みを進める。

 自分を狙え。無理やりそう指示されたのだから、リインはそれに従うまでだ。

 戦技が届く距離は、冒険者にとってもこの女にとっても狭い間合いだ。歩けば十秒以上を要するが、その気になれば一秒とかからず詰め終えることも可能だ。

 自分達を殺す絶対的強者がじらすように近づいてくる。今更怖気づくことはないが、アジール達はその事実を受け入れるしかない。

 斬りかかろうと、魔法を撃ちこもうと、背を向けて逃げようとしても、全て無駄な行為だろう。

 圧倒的な力量差は、マッカスとの戦いで嫌というほど見せつけられている。何もできないことは承知した上で、自殺するように戦いを仕掛けるしかない。

 アジールは銀色の鎧に守られながら、さらに腰を落とす。

 ずいっと前へ突き出したセンチネルシールドには、正面から接近する女の姿が鏡のように投影されるが、これは持ち主の耐久性を高める防具だ。今はその用途をあてにして、自分と相手を遮る壁のようにかざす。

 ロニアは二本の槍を頭上に待機させる。先端が凍った水の塊は、発射のタイミングをうかがいながら穂先を敵に向け続ける。

 リインは不死ゆえに必要ないからか、超人ほど頑丈ではない。ロニアの魔法も通用するが、殺せないのだから行き着く先は自身の死以外ありえない。

 そんな二人とは対照的に、黒服の女は長い髪をなびかせながら無警戒に歩き続ける。平和な街中を散歩するかのような立ち振る舞いは、相手に備えて構えを取る必要がないからだ。

 三人の距離は確実に縮まっていく。

 二十メートルから十メートルへ。殴り合うにはまだまだ遠いが、アジール達には既に死臭が届いている。

 この状況、本来ならば殺される側が慌てふためくはずだ。一方的に命を奪われるのだから、正気を保っていられるはずもない。

 だが、異変は彼女に起こる。

 ウォーシャウトによって長身の冒険者に注視させられたことが、探し求めていた違和感の正体に気付かせてくれたからだ。

 先ほどから感知できていた、ひどく小さな魔力の波動。この地にあってはならないそれらの片方が、正面の人間の指でついに見つかる。

 もちろん、長方形の盾に隠れて実物は見えない。

 しかし、波動の発信源がそこにあると機敏なレーダーが主張する。

 ゆえに疑う必要はなく、リインは真っ赤な瞳を大きく見開きながら一旦歩みを止める。

 なぜ、一介の冒険者がそんなものを持っている?

 どこで手に入れた?

 そもそもそれは何?

 湧き上がる疑問が彼女の脳内を駆け巡るが、答えを望むならシンプルだ。

 自分で確認すれば良い。

 アジールは何が起きたのか、一瞬で強制的に理解させられる。

 突然立ち止まったリインが、コネクトを使用したイリックのように認識できない移動をやってのけたからだ。

 もちろん、コネクトではない。単なる超スピードだ。見えない者にとっては、瞬間移動や時間停止の類と見間違うのも仕方ない。

 行先は正面。構えていた長方形の盾をずいっとずらされ、リインの綺麗な顔が目の前に現れる。

 赤い瞳が見つめる先は、アジールの魔眼だ。身を乗り出すように視線を合わせるが、彼女の関心は盾をずらした右手付近に存在する。


「ひ!?」


 声にならない悲鳴が小さく鳴り響く。

 リインの接近に驚いたからではない。アジールの左手首が、単なる手刀であっさりと切り落とされたからだ。

 重たい盾がガタンと地面に落下するも、肝心の左手は盾を握っていない。リインが既に掴み終えており、滴る血液を気にも留めず眼前で凝視している最中だ。

 アジールは慌てて痛覚を遮断する。魔眼による五感操作がなければ、この痛みには到底耐えられない。


「ア、アジール! 今回復を!」


 仲間の負傷を驚きながら、ロニアは魔法を切り替える。頭上の槍を崩壊させ、代わりに光り輝く水たまりを用意する。いかに冒険者といえども、切断面からの出血が長引けば命に関わるからだ。


(殺されなかっただけ……、ありがたいのかも。でも、何を?)


 アジールは足元の盾を拾おうともせず、ゆっくりと後退する。目の前の女が自身ではなく、なぜか左手首にだけ関心を抱いており、その理由はわからずとも、今は一旦離れる以外にありえない。

 そして、二人は気づかされる。

 先ず、ロニアが生唾をゴクリと飲み込む。

 回復魔法は傷を癒す最も使い勝手に優れた神秘だ。しかし、万能ではない。その証拠に、切り落とされた四肢をトカゲの尻尾のように生やすことは不可能だ。死者を蘇生できないことも挙げられる。

 ゆえに、ロニアは淡く輝く水たまりの進行を止める他ない。このままアジールを癒してしまうと、切断された左手首はそのままだ。すなわち、未来永劫左手は使えない。

 回復する前に、リインからその部位を奪還する。彼女達にとってはおよそ不可能な案件だが、それでもなお最優先事項だ。

 次いで、アジールはハッと目を見開く。痛覚を停止させたため、今は傷よりもリインの行動に驚かされる。

 赤い両目が何を見ているのか。その答えは簡単だ。

 少しだけごつごつした左手など眼中にない。薬指できらりと光る指輪。それだけが彼女の視線を独占している。

 紫色のそれは宝石が添えられていない味気ない指輪だが、その色合いが既に珍しく、そもそも単なる装飾品ではない。

 嵐の谷。その最奥でひっそりと口を開く洞窟には、雷を司る大精霊がウルフィエナを創生の時代から見守っている。

 つい先日、イリック達はこの指輪を譲り受ける。そのための旅であり、ライトニングリングはどうしても入手しなければならなかった。

 これはエムム遺跡の装置を稼働させる鍵となるマジックアイテムだ。先んじて確保することにより、暗躍する女の目的を阻むつもりでいた。

 完全に裏目だ。アジールはそう悟り、絶望する。

 自分の手首よりも指輪を奪われたことと、何より小さな指輪を見落とさないリインの洞察力がただただ恐ろしい。

 突然の襲撃だったため、アジールは指輪のことを失念していた。マジックバッグにしまっておけば、このようなことにはならなかったかもしれない。今となっては後の祭りだが、そう後悔するのも致し方ない。

 リインの関心がライトニングリングに移ったことで即死は免れたが、早いか遅いか、それだけの差だ。


「ま、まさか……」


 そしてロニアも察する。リインが獲物を前にして躊躇するような人物ではないことは百も承知だ。ゆえに、その奇怪な行動の目的にもすぐに気付けてしまう。

 どのタイミングでそれを見つけたのかはわからない。リインにとっても重要なライトニングリングが、今はこうして敵の手に奪われている。

 この事実が、ロニアを呆然とさせる。


「この感覚は雷」


 リインの独り言は誰の耳にも届かないが、正解を言い当てている。

 左手の人差し指と親指でそっと指輪をつまむと、体温のせいか少しだけ暖かい。紫色のそれは大事そうに外され、対照的にアジールの手は無造作に落とされる。

 素っ気ないデザインだが、その輝きはこの世のものとは思えないほど美しい。もっとも、この女はそんなことに心を突き動かされたりはしない。

 この指輪から、なぜ大精霊の匂いがするのか。問い詰める必要がありそうだ、とリインはアジール達の殺害を一旦取り下げる。

 だが、その必要はない。欲する答えは必然の如く与えられる。


(それがあなたの望むもの。欲するもの。探していたもの)


 静かな、しかし、力強いこの声は彼女にしか聞こえない。頭の中で鳴り響いた女性のささやきはひどく冷たい声質ながらも、リインにとってはどこか暖かく、どこまでもなつかしい。

 あまりの出来事に思考は完全に停止する。当然だ。突然、どこの誰とも知れない人物から未知なる方法で話しかけれたのだから、理解できるはずがない。

 だが、リインが驚いた理由は別だ。

 この声が誰なのか、考えるまでもなく察することができてしまう。

 信じられない。

 しかし、事実だ。

 三百年以上、その指示に従っていた。

 間違いではなかった。

 雷に打たれたような衝撃が、リインの全身を駆け巡る。信じていた信仰が絶対的に正しいと今まさに証明されたのだから、本来ならば喜べば良い。だが、それすらもできないほどに、今は何も考えられない。

 アジール達からすれば、突然身動きを止めたリインはただただ不気味だ。考え事をしているようにも見えるが、実際のところはわからない以上、じりじりと後退するチャンスだと捉え、さらに間合いを計る。


「あなた、大丈夫? あれを回収出来次第、魔法で回復してあげるわ」

「それよりも指輪を取られた」

「仕方ないわ。今は諦めなさい」


 下がるアジールへ、ロニアは小さく話しかける。自分達の置かれている状況はなお最悪だ。

 いつ殺されてもおかしくない。その上、絶対に渡してはいけないライトニングリングまで奪われてしまった。

 それでもまだ生きているのだから、仲間の傷を心配する。

 手首を綺麗に切断されたアジールの左腕からは、少しだけひねった蛇口のように赤い液体が流れ続けている。残った右腕でぎゅっと肘付近を握ることで水量は弱まったが、出血が完全に止まったわけではない。脇の太い血管を押し込む方が対処としては正しいが、冒険者と言えども人体の構造を正しく把握できているわけではない。

 治療は必須。誰の目から見ても明らかだが、今はまだできない。手首をそこに添えてからでないと、アジールは二度と盾を握れない。右手で装備することは可能だが、それでは武器を持つことができない。


「これがエムム遺跡の鍵……」


 わずかに砂埃を舞い上がらせながら、北からの風が赤い髪を弱々しく揺らす。

 その風によって運ばれた発言は、彼女達の頭にガツンと響く重大な内容だ。


「な……、手に持っただけでわかってしまうの!?」


 そんなことはない。ロニアもそうは思えないため、声を荒げてしまうが、リインの口から提示された事実は寸分違わぬ正解だ。

 銀色の上から紫色を薄く塗ったようなその指輪は、今を生きる人間達は誰一人として目にしたことがない。それは三百年以上も生き続けるこの女も例外ではない。

 だが、真実に辿り着く。

 答えを与えられる。

 神からのメッセージ、啓示がそう教えてくれたのだから、疑う余地もなく絶対だ。


「探す手間が省けた。そう……、雷の大精霊が作り出すんだ。あなた達、どうやって知ったの?」

「す、素直に教えるわけないでしょう……。指輪と足元の手、返してくれないかしら?」


 赤い瞳はそれだけで人間を殺しかねないほどに冷たい。それでも、ロニアは反抗するように口を動かす。

 この主張が通るとは微塵も思っていない。しかし、アジールの傷をこれ以上放置し続けるわけにもいかず、左手首の回収は最優先だ。

 自分達から近寄るわけにはいかず、ゆえにダメもとであろうとそう言わざるをえない。


「あぁ……、これ」


 リインは戦利品を左手でそっと包み込みながら、前屈みになって利き手で落し物を拾い上げる。

 そのまま投げ返してくれればそれで良い。アジールとロニアが抱く淡い期待は、次の瞬間に塵と化す。


「あなた達人間は本当に不便」


 リインの右手が青い炎に包まれる。それは同時に、掴んでいた物体の消失を意味する。

 返却するつもりなどない。

 拾ったついでに燃やし尽くす。

 無慈悲な行動は、彼女にとって単なる気まぐれだ。そもそも目の前の二人を生かして帰すつもりなどないのだから、今更左手を失おうと瑣末な問題にしか思えない。


「くっ! なんてこと……」


 当事者にとっては最悪の状況だ。ロニアは口を強く閉じ、悔しさを内側に溜め込む。

 こうなってしまっては、アジールの左手は一生失われてしまう。

 どれだけ高い魔力を有していようと、回復魔法は失った部位を生やすことなどできない。今できることは、止血を目的とした治療程度だ。

 片腕のまま冒険者を続けることは難しい。

 だが、そんなことを心配している時ではない。リインの残酷さが、自分達の生存を完全に否定していると改めて突きつけられてしまう。

 大人しく、死を受け入れるしかない。

 少なくともロニアは諦め始める。

 それでも、もう一人は屈しない。右手で左腕を締め付けながら、いっきに走り出す。

 彼女の頭上には二本の腕が浮いており、武器を持たずともそれだけで凶器として成り立つ。

 敵わないことは百も承知だ。しかし、ただ殺されるわけにはいかず、無駄であろうと抗うことを選択する。

 冒険者は無謀な人種ではない。どちらかと言えば慎重な連中だ。そうでなければ、モンスターという異形な存在に殺されてしまう。

 目的を明確にし、入念な計画をたて、戦力を整えた上で出発する。

 道中も急ぎ過ぎず、現状把握を怠らない。

 臆病ではないが、むしろそう見える程度が丁度良いのかもしれない。冒険者が長生きする唯一の秘訣だ。

 だが、全員がそれでは成り立たない。誰か一人は、率先して危険に足を踏み入れる役が必要となる。

 それが盾役だ。そういう意味からもパーティのリーダーを担当することが多い。

 アジールは盾役だ。秀でたものは何一つ持っていないが、勇敢さと献身の心は常備している。


「ウォーシャウト」


 彼女から放たれる怒気のような威圧は、同時に仲間への合図だ。

 自分が引き付けるから今の内にネッテと逃げて。

 そういう意味合いが籠められていると、ロニアはすぐに察してみせる。

 マッカスが敗れた時点で、勝ちの芽は摘まれている。

 殺されるか逃げるか。生存者に与えられた選択肢はこの二つだが、リインがアジール達の逃亡を許可してくれない以上、無駄とわかっていながらも戦いを挑むしかない。

 それでも仲間には生きてて欲しい。盾役として、アジールは強くそう願う。

 パーティという強い絆で繋がっているのだから、見捨てることなどできない。自分が囮になることも辞さないその精神こそ、盾役をこなす上で最も必要な要件だ。


「その戦技はもう飽きた」


 対象の行動を制限できるウォーシャウトは、使い勝手に優れた戦技だ。再使用時間は三十秒と長くもなく、習得者は何も考えずにその都度使用しても良い。

 だが、リインにとっては自分を殺してくれと大声で主張されるに等しい。その指示に従うことしかできないのだから、無駄な抵抗は無意味だ。

 ゆえに、アジールを新たな標的と定める。

 相手から近寄ってくるのだから面倒なことは何一つなく、右腕が届く範囲に侵入され次第、その命を刈り取るまでだ。

 頭の良さが仇となり、手詰まりだと理解してしまったロニア。

 自分の命を担保にして、仲間を救いたいアジール。

 人間を殺すことに特化したリイン。

 三人が三人、同じことを考えている。後一秒もかからず、アジールが死ぬ、と。

 だが、誰も正解には至らない。

 この区画には他にも冒険者と軍人がいる。彼女達もまた、ただ殺されることを待つだけの臆病者ではない。

 リインの右腕は黒い殺意によって、指輪を握る左腕は真っ赤な疾風によって切り落とされる。

 二人の介入は必然だ。

 戦意を喪失するにはまだ早い。だからこそ、最後まで挑み続けるという選択肢を手放しはしない。

 マッカスという最大戦力が敗れようと、彼女達は命尽きるまで戦える。そうしなければならない理由が、原動力となって体を突き動かしてくれる。


「よくも……。よくも!」


 鼻息荒く、小さな少女は闘志を燃やす。アジールの右手を燃やしたその異常性を許せずはずなどなく、両手の短剣を素早く構えなおし、ギラリと排除対象を睨みつける。

 ネッテ。不在の兄に代わり、仲間を傷つけた女へ殺意をぶつける戦意はまさしく復讐者のそれだ。


「いざとなったら、脱出するしかないだろうな」


 左手は黒い突剣を、右手は切断された左腕を握る。この軍人にとって、リインの片腕など気持ち悪いだけだが、今はそれが掴む指輪の確保が最優先だ。

 エミリア。事の重大さは誰よりも理解できている。

 アジールのウォーシャウトが途切れるよりも先に、ここから逃げ出すことも検討しなければならない。ライトニングリングだけは、絶対に渡してはならないからだ。


「本当に面倒くさい」


 ため息をつくように、リインは顔を左右に振りながら呆れる。

 両腕から流れる大量の血液が足元に真っ赤な水溜りを作り上げるも、彼女の生命活動を妨げるには至らない。

 中心に立つ女は、四人の無駄な抵抗をこれっぽっちも理解できない。どう足掻こうと自分に勝つことなどできないのだから、大人しく死を受け入れるべきだと考えるも、なぜか彼女らはそうしてくれない。

 腹は立つが、それ以上に行動原理を読み取れないことが彼女を混乱させる。

 驚いたという意味では、アジールも同様だ。魔女の腕で殴りかかるつもりでいたが、突然の参戦に思わず急ブレーキをかけて立ち止まる。


「エミリア! それをイリックに!」

「そうするしかないか」


 ロニアの叫び声は、最悪の事態を避ける唯一の手段を提示している。

 この指輪をリインの手に渡らせない方法の一つに、イリックのテレポートが挙げられる。シンイをものともせず、いつだろうとどこであろうと、十一秒の詠唱さえ完了させれば別の場所に瞬間移動できるこの冒険者こそ、リインにとっては弱点だ。

 海に投げ捨てようと、この女なら見つけてしまうだろう。それくらいのことはしてみせると底知れぬ恐ろしさが物語っており、ゆえに今はイリックに託すしかない。

 だが、それすらもさせない。

 自身のトレーニングを終え、人間の殺戮もある程度は達成できた今、ライトニングリングの入手は彼女にとっても最優先事項だ。

 神に見守られていること。

 この指輪こそ、エムム遺跡の秘密を解き明かす鍵であること。

 これらを無為にしないためにも、リインはこの四人を逃がすことだけは避けなければならない。


「もう殺されなさい」


 凍えるほどに冷たい声は、彼女の意思を代弁している。トレーニング相手にもならない人間と、これ以上戦う理由はない。言い換えれば時間の無駄だ。

 戦技の影響から、今はアジールにしか攻撃できない。ネッテとエミリアを今すぐ排除したいのだが、こればかりは不可能だ。

 しかし、方法ならいくらでもあるとその力をもって証明する。


「ぐっ!?」

「むあぁ!」

「!?」


 警戒していたアジールだったが、二人の接近は想定していなかった。

 戦利品を手にするエミリアと、殺気立っているネッテ。どちらもわずかに浮いたまま、吸い込まれるようにアジールへ突撃する。

 右手は止血のため左腕を握っており、左手に至っては存在しない。魔女の腕で受け止めることも間に合わず、三人は激しく衝突した後、リインの目の前で倒れこむ。

 ばらけることはない。引き寄せる能力でがっしりと密着することを強要されているのだから、身動きすらままならない。

 それだけなら問題なかった。ここが戦場でなければ、アジールとしてはネッテとの接触は大歓迎だ。

 この力は人間を押し潰す程度には力強く、すなわち、三人は互いを無理やり押し続けながら死ぬしかない。

 エミリアは超人だ。その肉体は常識外に頑丈なため、この力にある程度耐えられる。

 アジールも盾役として体を鍛えていることから、打たれ強さは申し分ない。

 ネッテだけがこの状況に耐えられない。否、残りの二人もいずれは限界を迎えるが、先ずはこの少女が悲鳴をあげる。


「あぁ……。が、ぐぐ!」


 小さな体の内側で、幾本もの骨が歪み、軋む。

 先ず、エミリアと自重で左腕の肘が外れ、そこを中心に砕け始める。

 パキパキと鳴り響く音は肋骨が徐々に折れている証だ。

 ネッテは十五歳の少女だが、それでも冒険者の端くれだ。身体能力は大人のそれを遥かに凌駕しており、だからこそ、兄との旅においても三人を引っ張る勢いで歩むことができた。

 身に付けているムーンハーネスも、布製の防具とは思えないほどに高い耐久性を実現している。

 だが、足りない。神の力にはその程度では抗えない。

 反対側から押さえつけられるように、小さな体はミシミシと音をたてて縮んでいく。


「ぐ、やばいぞ。ロニア!」

「は、早く!」

「わかってる!」


 エミリアとアジールは、目の前で命が燃え尽きそうだと強制的に実感させられる。自分達も危険だが、ネッテの身の危険はそれ以上だ。

 離れた位置で立つロニアは、攻撃と回復、どちらを選択するか一瞬迷うも、二人の叫び声をきっかけに後者を選ぶ。

 だが、その行為は無意味だ。彼女の回復魔法よりも、圧力がもたらす破壊力が勝ってしまっている。

 すなわち、癒える速度よりも損傷具合が上回っている。延命には繋がるが、苦しむ時間が無駄に長引くだけだ。

 本来はかわいらしい声が、今は悲痛な叫び声をあげ続ける。

 誰の目から見ても明らかだ。ネッテは助からない。

 次いで、アジールとエミリアも息絶えるだろう。

 助かる術は簡単だ。元凶を断てば良い。つまり、リインを再起不能に追い込み、この能力を解除させる。

 しかし、ロニアには不可能だ。先端を凍らせて威力を高めたアイスジャベリンは、当たりさえすればこの女を貫けるが、警戒されている内は当然のように避けられてしまう。

 マッカスは倒され、シンイに抗える冒険者も追い詰められている。

 彼女達が自ら助かることは不可能だ。術がないのだから、自力ではどうすることもできない。

 髪と瞳を真紅に染めるこの女は、悶え苦しむ三人を眺めながらそれでもなお、無表情を貫き通す。

 人間を殺すことは愉快だ。

 何より使命だ。

 それでも、自分の感情を表には出さない。

 切断された両腕はそのままだが、流血は既に止まっている。

 荒んだ大地にネッテの悲鳴が木霊する。

 風に運ばれてどこまでも響く。

 その風がリインの足元にも届き、真っ赤な水面に波紋を作る。

 小さな命が尽きてしまう。この場にいる誰にも、それは変えられない。

 受け入れたくはないが諦めるしかない。

 どうすることもできないのだから、仕方のないことだ。

 ましてや次は自分が殺されると、ロニアは理解できている。そういう状況ゆえ、頭の中は絶望の色で塗り替えられている。

 助けて。

 そう願わずはいられない。だが、その声も想いも届かない。いかにコネクトと言えども、そこまで都合の良い魔法ではないからだ。

 諦めたくはない。

 まだ死にたくない。

 助けたい。

 様々な感情が交錯する中、ロニアが作り出した光り輝く水溜りは三人の治療に励む。

 だが、足りない。

 ゆえに助けられない。

 残酷なまでに、この世界は弱肉強食だ。その摂理には誰もが従うしかない。

 エミリア達の危機を察知し、遠方から軍人達が駆けつける。一旦は退避させられたため、どれほどの速さで走ろうと、ネッテの救出は間に合わない。

 間に合わない。

 間に合うはずがない。

 それをわかっているからこそ、リインは三人の死を見届けるつもりでいる。

 この状況において、彼女達を救える人間は二人しかない。

 そう。二人はいる。だからこそ、諦めるにはまだ早い。

 か細い叫び声は今にも消え去りそうだ。

 誰もが失望に押し潰される中、二人の内の一方が、威風堂々と現れる。

 間に合うか間に合わないか。そんな二択はこの男の前では無意味だ。

 必ず間に合わせる。そういう信念を持っているからこそ、その背中は誰よりも大きく、力強い。


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