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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十八章 畏れよ、私を(Ⅱ)

 若葉色の髪は短く、ゆえに地面から生える雑草ほどは優雅に揺れない。

 少女は疲れた体に鞭打って走った結果、鬼のような上官の指示は守れそうだと胸を撫で下ろす。

 その胸はあまり大きくはなく、汗を吸って少し湿っているティーシャツをわずかにしか持ち上げない。

 カチャカチャと鳴る金属音は、時折静まり返る拓けた土地において強く自己主張する。周囲には数える程度の軍人しかおらず、彼らもまた、同じ方角へ急いでいる最中だ。

 彼女は両脇に何本もの武器を抱えながら、それでも何とか走り続ける。

 右脇には二本の片手剣。

 左脇には二本の片手斧。

 腰のベルトにはやはり二本の短剣をぶら下げており、たった一人で六本もの武器を運ぶ姿には違和感しかない。

 彼女は運送業者でもなければ、武器商人でもない。この地で汗を流す軍人だ。

 武器の数には理由がある。彼女の指導役は二人とも二刀流を主体とする軍人だからだ。

 運悪く自身も二刀流をやらされているため、結果的に大所帯になってしまう。


(た、戦ってる! 本当の戦闘なんていつ以来だろう?)


 彼女の額からは大粒の汗が滴り落ちる。かわいらしい顔は疲労のあまり歪んでいるが、今は急がねばならず、体裁を気にしている場合ではない。

 塞がっている両手に代わり、頭の中で指を順に折り曲げる。

 残念ながら、十本の指では足りない。脳内でも律儀に右手と左手しか用意しないあたり、彼女の融通の悪さが露呈する。

 この地はこの少女にとって完全なる異国だ。父親が仕事で訪れたことがあるため、多少の親近感は抱けていたが、まさか自分がこうして移り住むことになるとは夢にも思っていなかった。

 スルフィ。東の大陸でマンイーターに囚われた不運の少女。

 平凡ながらも平和な日常はあっさりと砕かれ、さらには戦いの舞台に上がることを強制されてしまう。

 与えられた使命はシンプルだ。

 人間の抹殺。

 それを成すための力と道しるべは、手のひらの刃が与えてくれた。

 所有者の心を蝕み、やがては殺戮マシーンに仕立て上げるこの武器は、彼女とその父親を選んでしまう。

 偶然と才能、そして巡り合わせによって、スルフィの運命は黒く塗り替えられてしまう。

 力を求めて。

 父の仇と戦うために。

 彼女は一年に一度開催される武神祭への出場を決意する。

 独学ながらも近隣のモンスターを討伐できていたことから、優秀な才能と積み重ねてきた努力がマンイーターによって見事に花開く。

 試合の度に戦技を習得する成長曲線は、周囲の傭兵を圧倒しており、苦戦を強いられながらも順調に勝ち進むことに成功する。

 そして、二人は巡り合う。

 神に選ばれてしまった少女と、神に選ばれた少年。

 どちらも名指しで指名されたわけではない。そのタイミングでたまたまそこにいただけだ。

 それでも、稀有な力を手にしたことには違いない。

 マンイーターとコネクト。

 呪わし短剣と謎の魔法。

 似て非なるものだが、実は兄弟のような関係だ。

 その根底は、結合という単語に行き着く。

 漆黒の力と人間を融合。マンイーターの本質はこれだ。

 心と心の結びつき。コネクトは紡いだ絆を具現化する。

 これらの出生を知る者などおらず、そもそも人間が知る必要もない。

 兄弟。正確には姉と弟。

 そんな関係のこれらは、アリカ大陸にて邂逅を果たす。

 スルフィ対イリック。

 傭兵ではない二人が、傭兵の頂点を決める大会で雌雄を決するのだから、観客は誰もが驚き、注目する。

 結果はイリックの勝利で終わる。

 当然だ。付け焼刃の力に負けるほど、この冒険者は落ちぶれてはいない。

 再戦は比較的すぐに果たされる。

 マンイーターに飲み込まれながらも自由意思を保ち続けるスルフィは、そういう意味でも最高の適材者だった。

 ゆえに強制的な成長にも耐え続け、終には人間の壁へ辿り着く。

 だが、それでも足りない。

 届くはずがない。

 マンイーターとコネクト。これらを比べること違いが間違いだ。

 人間を犠牲にして人間を殺す破壊衝動と、そんな脅威のために用意された人間を守るためのまがい物では、そもそも相性からして最悪と言える。

 戦いにすらならない。

 なるはずがない。

 両者の二戦目は、ただ一発の拳で終わりを迎える。

 父親を失い、信頼も失った結果、スルフィはネレネン王国に居場所を失う。

 マンイーターに取り込まれながらも生きながらえたことは幸せなのかもしれないが、その後の人生は絶望だ。

 そんな彼女に手を差し伸べたのが、イリックとデフィアーク共和国だ。

 第二陸軍のエミリアが仕事と住まいを与え、心身の治療も専門家達によってある程度成される。

 もっとも、この話は二つの意味でハッピーエンドではない。

 スルフィはまだ生きている。今後も人生は続くのだから、決してエンドではない。

 何より、エミリアからもたらされた仕事が、到底ハッピーとは言えない。

 第二陸軍第一部隊に入隊。

 本当の地獄はここから始まる。

 エミリアの教育は生半端ではない。今では軍長として祖国を守る最強の二人、ウェイクとマッカスでさえ、当時は心が折れる思いで彼女のスパルタな育成に耐え続けた。

 どのように厳しいのか?

 エミリアは自身が優秀ゆえ、他人にもそれを強いてしまう。決して褒められたことではないが、少なくともその方針は間違っておらず、優秀な軍人の育成には成功している。

 スルフィの体はボロボロだった。

 マンイーターのせいで身体能力は急激に高まったが、正規のやり方でない以上、反動がないはずもなく、所有者ではなくなったことで呪縛からは解放されたが、肉体はついに崩壊してしまう。

 死なずに済んだのだからありがたいことには違いないが、衰えた体では走ることすらままならず、日常生活に支障はないが、モンスターや人間との戦闘行為は夢のまた夢だ。

 なら鍛え直せ。

 エミリアはさらりと言ってのける。

 有言実行と、その日からスルフィはグラウンドを走らされる。

 走れない。ガーウィンス連邦国の学者達は口を揃えてそう言ったが、もちろん間違いではなかった。

 スルフィの体重は、その身長における平均値程度だ。ネッテよりは重く、ロニアよりは軽い。つまり、痩せてもいなければ太ってもいない。

 正常な人間なら、自身の自重などどうということはない。

 いかに鍛えていない女性であろうと、走る、跳ねる程度ならできて当然だ。

 だが、今のスルフィにはそれすらも難しい。全身の筋肉はズタズタに引き裂かれており、それでも歩けることが異常なのだが、治療により幾分回復したことと、元はモンスターを倒せる非一般人だったことが要因としては大きい。

 走れません。

 そんな弱音は聞き入れてもらえず、エミリアは忙しい自分に代わり、スルフィ専属の指導員を二人割り当てる。

 上官でもある隊長のイマと、不良軍人のファシーネだ。

 隊長に関しては問題ない。だからこそその地位に昇進できており、問題はファシーネの方だ。

 その実力は隊長レベルと目されている。否、実はそれ以上だ。

 少なくともイマよりはわずかに強く、そのイマでさえ、他の軍隊の隊長より優秀な逸材だ。

 二人はエミリアに心酔している。自分達同様女性でありながら軍長の座に納まっていることが既に偉業なのだが、仕事具合も美しく、何より見事ゆえ、エミリアは軍長の中でも尊敬されやすい。

 だからなのか、教育方針は見事なまでに引き継がれ、スルフィが泣こうが吐こうが、倒れるまで走らせ続ける。

 体が悲鳴をあげようと、この世界には回復魔法がある。高い魔力を要した人間がそれを使えば、スルフィの体は瞬く間に特定のラインまで復元される。

 マンイーターによって崩壊させられた肉体は傷ではないと認識されるため治療できないものの、走り込みの最中に切れた筋程度なら一瞬で復元できてしまう。

 残念ながら、ここはデフィアーク共和国の軍区画だ。優秀な軍人、ひいては回復役などごろごろとおり、イマとファシーネは使えないが、通りすがりの彼らに頼めば、地に伏せる瀕死の少女などあっという間に立ち上がらせてしまえる。

 走れ。

 ゴ~ゴ~。

 鬼のような指導員は当然のように命令し、スルフィは瞳や鼻の穴、口から様々な液体を垂れながしつつ、限界を越えて走らされる。

 当初、スルフィの入隊に疑問の声が噴出したことは事実だ。

 マンイーターの所有者だったことも懸念材料にあるが、最たる理由は衰弱具合だ。戦えないどころか、筋力も体力も子供以下なのだから、そんな人材は軍隊に必要なく、それどころかお荷物でしかない。

 否定的な声に、エミリアは口元を吊り上げて言い切る。

 戦技を八つも習得している逸材だ。どうだ、すごいだろう?

 つまりは、類稀な拾い物なのだから、何が何でも自分の手駒にしてやる。

 優秀な若者を配下に迎え入れたいという欲求と女の感、そして、軍人としての本能が、スルフィの有効性を見出す。

 もし、使い物になるのなら、それほどの戦技を習得している軍人は優秀な人材と言える。習得している戦技や魔法の数は、そのまま実力に置き換えることが可能だからだ。

 例外は二人。

 第三陸軍軍長、ウェイク。

 第一海軍軍長、ザザ。

 どちらもこの法則には当てはまらない。

 彼らは例外ゆえ、この議論において参考にならず、残りの六人の軍長達はいくつもの戦技や魔法を駆使することで、己の強さに磨きをかけている。

 残酷な話だが、戦技等の習得数は努力の量に比例してくれない。

 どの能力が身に付くかは、生まれ持って決まっており、どれほど血のにじむ鍛錬に励もうと、予め決まったものしか習得できない。

 後衛回復役にも関わらず、回復魔法を覚えられない。

 盾役にも関わらず、ウォーシャウトの類を使用できない。

 どれだけのモンスターを倒そうと、戦技を一つしか習得できていない。

 このような境遇を嘆くことは簡単だ。不運なことには違いなく、時に冒険者や軍人の道を諦めるしかないのだから。

 一方で、対照的に戦技や魔法を順調に身に着けることができた場合、その人間は恵まれていると断言できる。

 例えば、第五陸軍のマッカス。この男は盾役、ダークナイトの戦技を全て使用できてしまう。その上、身体能力までもが超常的に高いのだから、軍長として頼もしいに決まっている。

 第一陸軍のエミリア。強化魔法と弱体魔法をバランス良く覚えており、その上希少性が高い魔法も扱えることが、彼女の強さを飛躍的に高めている。

 そして、スルフィ。肉体的には大きく衰えてしまったが、使用できる戦技の数は変わらずに八個のままだ。前衛攻撃役として重宝されるそれらは、戦局を覆すだけの可能性を秘めている。

 マンイーターのおかげとは言え、武神祭を勝ち抜いた実績と引き出しの多さから、エミリアはスルフィの将来性を高く評価している。

 鍛え直しだ。

 ゆえにそう伝え、毎日のように朝からスパルタ教育を敢行する。

 とは言え、病み上がりだ。小さなグラウンドすら、一周ともたずに彼女は足を止める。

 足を動かしたくても動かせないのだから仕方なく、瞳に届く緑色の髪の下は苦痛にゆがんでしまう。

 そんな彼女に上官は怒ることもなければ励ますことなくこう言い放つ。

 走れ。

 少なくとも立ててはいるのだから、それなら走れ。つまりはこういうことだ。

 スルフィは茫然と口を開きながら、この時にやっと理解する。

 就職先を間違えた、と。

 だが、もう遅い。恩義を感じ入隊を決めてしまった上に、住居さえも軍用の寮とは言え与えてもらったのだから、今更引き返すことはできない。

 だが、足が上がらないのだからどうしようもなく、スルフィは顎を上げながら歩くようにのそのそと前進する。

 走れてはいないが、エミリアの顔はなぜか満足そうだ。

 だが、軍長の肩書が、彼女の鍛錬に割く時間を奪ってしまう。

 それなれそれで構わないと言わんばかりに、エミリアはイマとファシーネを宛がうため、スルフィに安息の日々は訪れない。

 エミリアもそうだが、この二人も戦闘方面における天才だ。

 イマは女性ながらも男勝りな体に恵まれている。高い身長はリーチを生み出し、衣服の下は柔軟な筋肉で覆われている。

 努力も惜しまず、生まれつきの才能が合わさった結果、彼女は男社会の軍隊内で頭角を現す。

 それでも、幼馴染には敵わない。

 真の天才。この言葉が最も似合う軍人は、ウェイクでもなければマッカスやエミリアでもない。

 努力もなしにイマと同等の強さを実現しているファシーネこそ、ゴブリンやオーク掃討に備えるデフィアーク共和国の要かもしれない。

 朝のジョギングをさぼろうと、模擬戦で手を抜こうと、会議の最中に居眠りをしようと、彼女だけは免除される。

 そんなわけもなく、エミリアはその都度、呆れながらも注意する。

 ファシーネとしても、理由はどうあれ尊敬するエミリアに構ってもらえることがうれしく、ゆえに態度を改めることはなかったのだが、環境の変化がついに彼女を成長させる。

 いわくつきの新人、スルフィが部下に宛がわれたことで、ファシーネとしても態度を改めなければならなくなったからだ。

 エミリアじきじきの指示。

 初めての部下。

 想像以上に手のかかるスルフィ。

 この状況では、さすがにサボるわけにはいかない。

 隊長のイマが隣にいてくれるとはいえ、グラウンドを駆けるだけで息も絶え絶えな部下から目を離すわけにもいかず、スルフィを見守りながら、手持無沙汰を解消するように自身も鍛錬に打ち込み始める。

 そして、二人は成長する。

 スルフィは体力を徐々に取戻し、ついには十キロ程度を歩かず走り切ってみせる。

 ファシーネはそんな部下をけん引するように前を走り続け、エミリアに劣らずの乾いた叱咤激励で無茶をさせる。そこに怠け者の面影はもうない。

 隊長のイマはそんな二人に刺激され、相棒だけでなくスルフィにも日常的に模擬戦を持ちかける。

 ファシーネはともかく走れるだけの少女がどうこうできる相手ではなく、毎回のことだが白目をむいて意識を失うか、泡を吹いて卒倒する。

 そんな三人を遠巻きに眺めるエミリアは、やはりどこか満足気だ。

 やる気のないファシーネ。

 男勝りな隊長、イマ。

 知将の軍長、エミリア。

 三人はとりわけ有名な軍人だ。エミリアはその役職ゆえに当然だが、残りの二人もある出来事を境に知名度を急激に高める。

 一年前に遡る。すなわち、デフィアーク共和国がイリックの名前を知る少し前のことだ。

 軍長同士の模擬戦。本来ならば滅多に起こるイベントではない。

 たった七人の彼らは、それぞれがその軍隊の長であり、舞い込む仕事量は部下達のそれを圧倒する。

 それでも各々の時間と思惑が合致すれば、近い実力者同士ゆえ、そういうことも起こりうる。

 エミリア対ウェイク。

 元上司対元部下。

 今では軍長同士だが、この上下関係は少なくともウェイクの方には根付いている。

 この勝負、本来ならば戦いにならない。

 エミリアが弱体魔法グリムスを使えば、いかにウェイクと言えども一瞬で敗れ去るからだ。

 もしこの魔法を禁止する場合、それはそれでやはりつまらない戦いになってしまう。ウェイクがあらゆる面でエミリアを圧倒しているからだ。

 そもそも両者は、エミリアが産休に突入する前は散々手合わせを行ってきたため、そういう意味ではあまり新鮮味はない。

 軍長同士になってからの試合は数えるほどしかないが、ウェイクが手加減をしなければ戦いは長くは続かない。

 だが、実はこの試合は彼らだけの意思によって設けられてはいない。

 きっかけは肩書きのない軍人、第二陸軍第一部隊の怠け者、ファシーネだ。

 暇を持て余していた彼女は、とある人物に腹を立てていた。そして、運が良いのか悪いのか、その女性と鉢合わせてしまう。

 宝石よりもキラキラと輝く青い重鎧を軽々と着こなし、灰色の髪は前にも後ろにも長いため、その瞳は隠れてしまっている。

 身長はファシーネよりも少し高く、シャンと背筋を伸ばして歩く姿は誰が見ても凛々しい。

 最高級の鎧を支給されるということは、軍から高く評価されているということだ。

 それだけならどうでもよい。しかし、問題は彼女への評価だ。ファシーネにとって、その部分が鼻につく。

 第三陸軍第一部隊副隊長、ミヤ。いくつもの戦技を巧みに操る彼女は、ウェイクの下で類稀な才能を発揮し続け、二十代の若さにも関わらず、あっという間にその地位に登りつめる。

 軍人達は口を揃えてこう評価する。

 ミヤこそこの国随一の天才だ、と。

 努力を惜しまず、その分類におけるほとんどの戦技を習得しており、何よりその身体能力は近い将来エミリアに追いつけるだろう、と。

 エミリアの単純な戦闘力は、軍長というよりは隊長に近い。

 打たれ強さは常識外れだが、反射神経や筋力といった他の能力に関しては、隊長よりやや優れている程度だ。それでも十分非常識だが、軍長六人と比べれば、人間の規格に納まっていると言える。

 エミリア軍長を引き合いに出すな。

 ファシーネは沸々と苛立ちを募らせる。

 そんな矢先に当の本人と出くわしてしまったのだから、嫌味の一つも言いたくなる。

 だが、それだけでは飽き足らず、茶色いツインテールをかわいらしく揺らしながら、彼女は目の前の女を貶める最善手を思いつくと同時に持ちかける。

 今度の模擬戦~、私達も部下として参戦しない~?

 ウェイク軍長に相談致します。

 そんなやり取りの結果、軍長対軍長の試合に変則的なルールが導入される。

 エミリア、イマ、ファシーネ対ウェイク、ミヤ。

 三対二。エミリアはファシーネとミヤの参加をおもしろがり、ミヤが相手では一層不利になるだろうと隊長のイマも自軍に取り入れる。

 もちろん、ウェイクはそれを快諾する。

 数の上では第二陸軍が優勢だが、ファシーネが提案した追加ルールによって、観客達のほとんどはウェイク達の勝利を確信する。

 エミリアはグリムスを、ウェイクはウォーシャウトの使用を禁止。

 すなわち、両者の十八番を取り上げた上での混戦だ。

 ウェイクとミヤは迷うことなくこの追加ルールを受け入れる。当然だ。ファシーネの提案は、彼女達の首を絞めるに等しいのだから。

 二人にとって、唯一の敗因要素はエミリアのグリムスだ。詠唱時間がゼロに等しいこの魔法を未然に防ぐことは難しく、何より回避は絶対的に不可能だ。指定した相手へ直接浴びせられる魔法なため、大人しく一秒間程度の硬直を受け入れるしかない。

 一秒。

 隊長や軍長といった規格外の身体能力を誇る彼らにとって、この時間はあまりに長すぎる。邪魔さえ入らなければ、相手を何度も殺しきれてしまう。

 もちろん、この試合は殺し合いではないため、せいぜい痛めつけるだけだが、それでも試合からの脱落は避けられない。

 エミリアのグリムス。これをどう凌ぐかはミヤが考えなければならなかった。ウェイクの決して良くはない頭では突破口など見出せるはずもなく、頭脳労働は副隊長の仕事だからだ。

 防ぐことができない時点で、ウェイクの戦線復帰までの時間を稼ぐしか選択肢はない。グリムスの対象は間違いなく軍長の方であり、ミヤを狙うメリットは何一つない。

 つまり、一瞬だがミヤは一人で三人を相手にしなければならない。

 エミリアには勝てない。いかに最弱の軍長と言えども、その実力は隊長のそれより頭一つ秀でている。

 それでも、ミヤなら防衛に徹することで相手をできてしまう。習得している戦技はどれも一級品な上、身体能力も既に隊長内ではトップクラスだ。

 どれほどに厳しい訓練に弱音を吐かず、男相手の模擬戦では負け知らず。

 数年前には、数多くの冒険者を葬ったことで軍に救援要請が求められたアイール砂丘のウォンテッドモンスター、レッドアクスにトドメを刺し、ついに彼女の実力は誰もが認めるものとなる。

 天才。ミヤにこそ相応しいこの称号は、同時に賛辞でもある。

 そんな彼女にもいくつかの欠点は存在する。課題といってもいい。

 先ず、相手の実力を見誤ることが多い。

 北の地から現われた煉獄のモンスター、デーモン。それを討伐した冒険者の実力を測るため、この後、ミヤはなぜか妹の方と戦うことになる。

 侮っていたわけではないが、最初から本気で戦わなかったことと相手の実力を低く見繕ってしまったことが、敗北に繋がってしまう。

 他の欠点として、大振りな攻撃を多様することが挙げられる。

 細い腕に男顔負けの腕力を持ち合わせおり、だからというわけではないが彼女は大きな両手剣を愛用している。

 この時点で攻撃は単調になりがちだが、それを改善することもなく、むしろ一撃必殺を心情とする。

 それでモンスターを倒せているのだから間違ってはいない。

 同胞達との模擬戦においても、彼女は無敗の軍人だ。

 そう。所属する第三陸軍第一部隊はおろか、第三陸軍全体で見ても、ミヤは軍長のウェイク以外に決して負けない。

 他の軍隊に所属する隊長との戦闘経験はないが、比較的少数の第三陸軍は第二陸軍同様精鋭の集まりだ。

 その中で負け知らずなのだから、その実力は偽りではない。

 だからといって、エミリアと長々と戦うことは難しい。だが、今回は一秒を稼げば良く、それなら高いハードルを越えられる可能性は高い。

 時間を稼ぎさえすれば、ウェイクはグリムスから開放される。それ以降は単純な話だ。たちまち対戦相手の三人を倒してしまうだろう。

 だが、ミヤの相手はエミリアだけではない。ファシーネに加えて隊長のイマまで参戦するのだから、困難極まる。

 一秒とは言え、三人を相手にウェイクを守らなければならない。

 ミヤはファシーネを問題視していない。せいぜい邪魔なだけだ。不真面目な勤務態度の噂は他の軍隊にも届いており、そんな相手に遅れを取るような自分ではないことを彼女は自負している。

 イマ。この人物については少々厄介だ。隊長ということは自身に匹敵する実力の持ち主だからだ。

 肩書きが強さに直結するわけではないが、少なくとも目安にはなる。

 それでもやはり、敵ではない。イマの戦技は戦闘力アップというよりは相手を翻弄するタイプが多く、短期戦においては効果が発揮されにくい。

 触った相手をその場から動けなくするアイスタッチは厄介だが、ミヤにはテレポートのような移動技、猛進の極みがある。それを使えば、どんな状況に追い込まれようとウェイクのもとへ移動できてしまう。

 つまり、エミリアを含む三人に対して、一秒間程度ならなんとかなるだろうというのがミヤの推測だ。

 自分は倒されるかもしれない。それでも構わない。なぜなら、最終的にはウェイクが勝利を掴んでくれるからだ。

 唯一の気がかりだったグリムスだが、対戦相手から禁止を持ちかけられれば、首を縦に振らないわけがない。

 その見返りとして、ウェイクのウォーシャウトを差し出すことになったが、全くもって釣りあっていない。少なくとも、ウェイクとミヤはそう考える。

 だが、ファシーネはそう考えない。むしろ全くの逆だ。

 ウェイクのウォーシャウトほど、おそろしいものはない。

 もしこれを使われた場合、自分達は十秒もの間、この男しか狙うことができない。

 一対一。もしくは三対一だった場合、倒す相手は一人なのだから、この戦技に意味はない。

 今回、ファシーネ達はミヤとも戦わなければならない。

 ウォーシャウトを発動された後、自分達はミヤを自由にしてしまう。これだけは避けなければならない。

 十秒でウェイクを倒しきれるかもわからない上、その間にミヤから一方的に攻撃されてしまうのだから、勝利の道筋は見つからない。

 第二陸軍チームにとって最悪のシナリオはこうだ。

 ウェイクがウォーシャウトを発動。

 エミリアがウェイクにグリムスを使用。

 一秒間、唯一自由に動けるミヤが攻撃を兼ねた防衛に専念。

 動き出したウェイクがミヤと共に自分達を蹂躙。

 そして、敗北。

 この流れだけは避けなければならない。

 ゆえにファシーネはグリムスと引き換えにしても、ウォーシャウトを使わせないよう目論む。

 このルールの場合、両者は戦技を駆使しつつも、実質己の肉体で戦わなければならない。

 そうなった場合、誰もがウェイクの勝利を確信する。

 それほどにずば抜けた強さをこの男は有しており、エミリア程度では相手にならない。

 イマやファシーネなど物の数にも含まれない。

 第三陸軍の軍長は、そういう次元に達している。

 ひ弱な幼少時代において、それでもなお、努力を怠らなかったこの男は、入隊後も訓練に打ち込むが成果がついてくることはなかった。

 だが、誰もウェイクを馬鹿にはしなかった。

 どんなに体力がなかろうと、筋力が平均以下であろうと、前だけを見て走り続けることなど普通の人間には不可能だ。

 その愚直さがこの男には宿っていた。

 周りの同胞達にできることが自分にはできない。

 短距離走では最下位に屈し、長距離走でもやはりビリ。

 模擬戦では誰にも勝てず、そもそもまともに武器も扱えない。

 それでも諦めず、誰よりも訓練に明け暮れるのだから、周りの軍人達はその姿に刺激され、応援するように肩を並べて汗を流す。

 ぼやかない。

 くさらない。

 嘆かない。

 嫉妬しない……、ことはなかったが、少なくとも口には出さない。

 そんな性格の男を軍人達が見捨てるはずもなく、生まれた相乗効果がこの部隊をグンと強くする。

 ウェイクが若かりし頃、つまりは第五陸軍第三部隊に所属していた頃の話だ。

 今では同期のマッカス共々軍長の座に収まっており、その実力は武神祭で優勝したことから、ネレネン王国にも知れ渡っている。

 超人。人間はおろかモンスターすらも超越した実力の持ち主を指す単語だ。彼らの数は非常に少ないが、人間がこの世界で生存するためには欠かせない戦力と言える。

 誰でもなれるわけではない。

 どんなに努力を継続しようと、その壁が必ず立ちはだかる。そして、本来ならばそこで成長は止まる。

 人間の壁。本来は決して誰も越えられない境界だ。人間である以上、人間の上に登りつめることはできない。

 それでも乗り越えてしまう異質が、超人として時にうやまれ、時に恐れられる。

 トリストン大陸およびアリカ大陸では羨望の眼差しを向けられるが、西のコンティティ大陸では王ですら扱いに困る脅威として、その国に居座っている。

 軍長は超人だ。

 隊長はその実力から最も近い人種と言えるが、全員が次のステップに進めるわけではない。

 昇進はできるかもしれない。しかし、その壁を突破できる者はその中でもほんの一握りだろう。

 では、二十七歳のミヤはどちらか。

 今の成長速度を維持できるのなら、間違いなく一握りに含まれる。

 戦技に恵まれ、努力を惜しまず、才能に至っては一級品だ。

 ウェイクですら唸るその実力は、決して張りぼてではない。

 第三陸軍は二人。

 第二陸軍は三人。

 ウェイクとミヤのペアが勝つのか、エミリア率いる女性チームが勝ってしまうのか。

 大方の予想は前者を支持するが、結果は後者の圧勝だ。

 なぜか?

 一重に作戦が勝利を呼び込む。

 ファシーネの思惑通りに戦いは進み、その結果、ミヤは瞬く間に倒され、戦況はあっという間に傾いてしまう。

 ミヤはあっさりと倒される。

 誰がそれを成したか?

 ファシーネだ。

 一対一において、ミヤはエミリアが相手であろうと、防御に徹すればいくらか時間を稼げるほどの実力を備える。しかし、ファシーネには手も足も出ない。つまりはそういうことになる。

 ミヤが早々に負けない理由はその実力もあるが、習得している戦技の多さとその性能に起因する。

 猛進の極み。これを使えば、視界内のどこへでも一瞬で移動できてしまう。

 生の極み。多少の傷なら、回復魔法のように治療可能だ。

 残心。反射神経が高まるこれは、多少の実力差なら埋められる。

 そして、見切りの極み。発動後の二秒間、相手の動きを先読みできるこれの存在が、短期決戦においてミヤの敗北を遠ざける。

 そのはずだったが、その時間内にミヤは敗れる。

 試合開始と同時に、事前の打ち合わせ通り、エミリアとイマはウェイクと距離を詰め、ファシーネは意気揚々とミヤに一対一を挑む。

 途端、ミヤはその速力に驚き、すぐさま残心と猛進の極みを発動させる。すなわち、想定以上の速さに対応するため、自身の反射神経を高めつつ、同時に安全圏への一時避難を敢行する。

 猛進の極みは瞬間移動ではない。実質それと同等の効果だが、実際は自分の足でその場へ超スピードの跳躍を実行しているに過ぎない。

 ゆえに、理論上は目で追えないことはないのだが、そんなことはエミリアでさえ不可能だ。

 音を完全に置き去りにするその跳躍は、瞬間移動と言い換えても大差ない。

 それでも、そうでない以上、その軍人は並外れた身体能力で追尾する。それを可能とする人間こそ、ファシーネだ。

 どこへ逃げようと無駄。そう言わんばかりに追いかけ、その先でミヤに両手の片手剣を同時に振り下ろす。

 戦技を終え、振り向くと同時に、アダマン製の鎧が覆っていない部分が正確無比な剣撃に襲われる。

 具体的には両腕の肘付近だ。ファシーネが振り下ろしたそれぞれの剣は、あっさりと一人目を敗者に変える。

 両腕を切断されてしまっては、戦闘の続行は不可能だ。卓越した精神力で痛みに耐えることができたとしても、勝利には一歩も近づけない。

 この傷では、生の極みで復元することも不可能だ。片腕だけなら、もう片方の腕で拾いあげ、繋ぎ合わせると同時に発動させれば治療もできただろう。両腕を失ってしまっては、もはやどうすることもできない。

 右腕は大きな両手剣を握ったまま、左腕は何も握らず地面に落下する。ミヤは痛みに打ちのめされながら、膝を付くことしかできない。

 この状況にさすがのウェイクも息を飲むが、それでもエミリア達は絶好の機会を活かしきることはできない。倒しきれない。両者の間にはそれほどの実力差が存在している。つまり、二人ではまだ足りない。

 では、どうするか。

 簡単だ。三人で戦えば良い。

 少なくともファシーネはそう考えており、そしてこの作戦は成功する。

 ファシーネは分類上は盾役に属する。

 盾役は、厳密には二種類存在しており、物理攻撃に強く仲間のカバーを得意とするパラディンと、魔法攻撃に高い耐性を持ちつつ変則的な戦いが可能なダークナイトが該当する。

 パラディンは回復魔法も習得できるため、盾役の花形はこちらということになる。

 ダークナイトはパーティメンバーに理解者がいなければ機能せず、そういう意味でも盾役としては少々不人気だ。

 ファシーネはダークナイトに当てはまるのだが、決して盾役をやろうとはしない。攻撃しか興味なく、盾が似合わないことは百も承知だ。

 だが、この戦いでは相手が相手なため、その信念は一旦引っ込めることを選択する。

 ウォーボイス。ウェイクのウォーシャウトは禁止したが、ファシーネのこれは許可されている。

 こうしてエミリアとイマは攻撃に専念できるが、一方でファシーネはウェイクの猛攻に耐えなければならない。

 超人の放つ攻撃は人間を容易く破壊する。

 ゆえに、試合を挑む者はそれがいかに実力者であろうと、一太刀を凌げれば合格だ。

 だが、ファシーネは最後まで凌ぎきる。

 それを可能とする戦技が、この戦いにおいて三人を勝利に導いたと言っても過言ではない。

 ソウルドレイン。習得者が極めて少ない希少戦技よりもさらに珍しい幻のこれが、ファシーネの敗北を遠ざける。

 効果は、相手を負傷させることで自身の傷を癒せる。言わば、攻撃の成立によってキュアが発動するようなものだ。

 ウェイク相手にこの戦技は無意味なようだが、ファシーネは防御を捨てる代わりに斬撃を命中させることで、負った傷を随時回復させることに成功する。

 心底楽しそうに、斬られながらも斬りかえす軍人相手には、さすのウェイクも狼狽せずにはいられず、そもそも相手は他に二人もいる。

 攻撃に専念できるエミリアは加減などせず、何よりイマの実力も隊長の中では秀でている。ミヤと比べても、同等かそれ以上だ。

 この状況ではウェイクの傷は増える一方なため、出血の多さから観衆がストップをかけることで試合はあっという間に終わりを告げる。

 第二陸軍の圧勝。ファシーネはミヤを倒し、ウェイクの攻撃もたった一人で耐え続けてしまう。

 ミヤが天才なら、ファシーネは天才の中の天才だ。そういうことだからこそ、この模擬戦はやる前から勝敗が決まっていたと言える。

 性格に難さえなければ、彼女は間違いなく隊長の器だ。否、将来的には軍長にも登りつめることが可能だろう。

 その性格も、部下の誕生によってゆっくりと改善されていく。

 世話のかかるそれはファシーネにとってただただ面倒くさいだけかもしれない。それでも、尊敬するエミリアに押し付けられてしまっては、文句も言えない。

 同僚であり上官の、そして古くからの友人でもあるイマも一緒になって彼女の指導に付き合ってくれる。

 ゆえに、サボり魔で有名だったファシーネは、まるで心を入れ替えたようにグラウンドで汗を流し始める。

 スルフィ。東の国から運ばれて来たお荷物は、今はそんな上官二人の武器をせっせと運んでいる。

 衰弱していた彼女もまた、半ば無理やりだが変化していく。

 正常な人間なら一日で逃げ出す環境に身を置きながらも、毎日を強靭な精神力だけで乗り越えていく。

 父親不在の経験が彼女をたくましくしたのか、マンイーターとの共闘が心も無理やりタフにしたてたのか、もしくは罪の意識が後退を許さないのか。

 なんにせよ、今では半人前の軍人に仕上がっている。

 だからこそ走れる。

 六本の武器はとにかく重たいが、彼女はやるべきことをやるために、第二陸軍の本部と戦場を往復する。

 第一部隊に宛がわれているフロアから自分達の武器を引っ張り出すついでに、通りかかった同僚達へリインの出現を言い伝える。

 てんやわんやの言い回しになってしまうも、窓の外から薄茶色のグラウンドを眺めれば、彼女が嘘をついていないことは明白だ。

 スルフィは武器を届けるために走り出し、第二陸軍の軍人達もまた、やるべきことを開始する。

 そして、彼女は目の当りにする。

 三対一の戦いが、それでもなお、一方的な殺戮にしかならないことを。



 ◆



 準備は整った。

 イマとファシーネは必要な戦技を発動させ、エミリアもオーバースペックを詠唱し直す。

 遥か前方で一人佇む女を、三人はいつでも迎撃可能だ。

 長い髪は相も変わらず血液を想起させるものの、黒いワンピースはその色のせいで汚れが目立っている。

 デフィアーク共和国の領土は、元はと言えば荒んだ大地と高山が連なる険しい土地だ。

 軍区画だけは当時の面影を残しており、グラウンドを筆頭にそこには粒の細かい砂達が絵具の代わりに大地を薄茶色で染めている。

 四人の戦いが始まる。

 周囲の軍人達は見守ることを選択する。自分達にできることは限られており、軍長および配下の二人を邪魔しないよう、慎重に行く末をうかがう。

 余計なちょっかいは邪魔でしかない。エミリアは当然ながら、イマとファシーネの実力も突出している。

 この群衆内で、この三人に敵う者はいない。

 ゆえに今だけはリインの相手を任せる。もちろん、状況に応じて参戦するつもりでいるが、そもそも彼女達が負けるとは到底思えない。


「怒ってる怒ってる~」


 素手でも強気なこの軍人は、トントンとその場で小さく跳ねながら、ツインテールと豊満な胸を上下に揺らす。上半身は白いティーシャツ一枚なため、その曲線は軍服の時以上に強調されてしまう。

 ファシーネは笑顔を浮かべているが、残りの二人は刺さるような殺気が原因で余裕がない。

 足蹴にされて腹を立てているのか。

 一張羅のワンピースが汚れてしまったことが許せないのか。

 殺人ショーを邪魔されたことが我慢ならないのか。

 なんにせよ、リインは脱力したような姿勢でヒシヒシと邪悪な殺意を放っている。

 赤い前髪が両目を隠しているが、その瞳が何を睨んでいるか、当の本人達は当然気づいている。

 ただの一般人がここに居合わせでもしたら、恐怖のあまり意識を失うか逃げ出すだろう。しかし、軍人達にこの程度の怒気は通用しない。少なくとも、怖気づく者はいない。

 その中でもファシーネの胆力は桁違いだ。天性の才能が彼女を楽観的にさせているのだが、相手の強さに鈍感でいられることは強みに他ならない。

 この状況において、エミリアは言いえぬ不安感を抱いている。恐怖に飲み込まれているわけではないが、自分達の敗北ないし死が頭からぬぐえない。

 自分一人ではまともにやりあえないことは、先ほどまでの攻防から嫌というほど見せつけられている。

 ファシーネとイマが加わったことで戦力はグンと増したが、リインとの差を埋められたとは思えず、時間稼ぎに徹するべきだとわかってはいるものの、そもそもその方法が見つからない。

 全員が個別に逃げ回ることでリインの走る距離は増すのだから、そうすることで全滅までに要する時間は少しだけ延長することが可能だ。

 だが、個別の戦闘は助け合うことを難しくするため、生き残れる可能性は完全に消え去ってしまう。


(どうする?)


 エミリアは思案するも、今はそれどころではない。冷静に考えたところで答えなど見つからないが、次の瞬間にも戦いが始まりそうなこの状況では、いかに第二陸軍軍長と言えども考えがまとまらない。

 一方、隊長のイマはファシーネほどではないが冷静だ。彼女の実力もまた、隊長の中では秀でている。

 ファシーネが究極の天才なら、イマは究極の秀才だ。

 軍人の業務内容は、目先の任務次第で千差万別だ。とりわけ第二陸軍はその傾向が強く、隊長ともなれば押し寄せる雑務は一人分では済まない。

 管理職としての仕事。部下達の業務を把握し、適切な人材を当て込む。

 予算の管理。使用できる金銭は限られている。前期中に算出した金額内でやりくりしなければならない。羊皮紙やインクはおろか、武器や防具も消耗品だ。ゴールドはいくらあっても足りない。

 上官への報告および意思統一。隊長は中間管理職だ。軍長の指示を汲み取り、部下達に噛み砕いて説明しなければならない。優秀なエミリアからは圧力をかけられ、個性的な連中の尻拭いに頭を痛めることも時には必要だ。ストレスの多い地位と言える。

 そして、己の鍛錬。隊長と言えども、その戦闘力は決して飾りではない。モンスターとの争いにおいて、最前線に立つことも少なくはない。鍛えなければ死んでしまう。生き続けたければ、そして、祖国を守りたければ強くなるしかない。

 隊長の仕事は、どれか一つだけでも大変だ。多種多様な重圧が一度にいくつも押し寄せるのだから、心身ともに疲労する。

 それでもこなさなければならず、そのための方法として、早出と残業が挙げられる。

 イマは誰よりも早く駐屯地を訪れ、最後に鍵を閉めるのも彼女だ。

 独身の強みというわけではなく、無尽蔵の体力と強靭な精神力が、矢継ぎ早に、それこそ取り掛かっている仕事が終わるより先に次の仕事が二つ三つ押し寄せようと、優先順位を設けて一つずつ片付けていく。

 彼女が軍区画に滞在している時間は、一日あたりおよそ十八時間ほどだ。

 朝六時過ぎにデスクへ向かい、帰路につくタイミングは日付が変わる頃だ。

 それを毎日、ほぼ休みなく続けようと、彼女は音を上げない。そればかりか昇進後も運動量は決して減らさず、だからこそ、天才のファシーネと肩を並べられる。

 エミリアとしてはイマの勤務時間を是正したいのだが、当の本人が仕事以外にやることを見いだせないため、頑なに現状維持を主張する。

 軍務こそやりがい。両親をモンスターに殺害されたイマにとって、軍人でいられる時間こそ、自分らしく生きていられる唯一の時間なのかもしれない。

 敵討ちなどと肩ひじ張ることもなく、寡黙な訓練態度が確実に実力を高め、デスクワークも苦なくこなす。

 強いてあげるなら人付き合いが良くないため、気を許せる同僚は決して多くない。それでも、ファシーネが隣にいてくれれば、彼女はそれだけで十分だ。

 二人の付き合いは非常に長い。子供時代にまで遡れる。

 愛想の良い小さな少女と、愛想の良くない長身の少女。

 茶色い髪を長く伸ばし、両耳の上で結ぶ少女と、真っ白な髪を顎のあたりで切り揃える少女。

 大きな灰色の目をクリクリと輝かせ、子供らしさを演じる少女と、青い瞳で味気ない街並みを眺め続ける少女。

 ファシーネとイマ。両者は決して似ていない。ただ一点、貧相な服装だけは共通だ。

 二人の家はデフィアーク共和国の北東に位置する。

 イマの父親は鉱山労働者、母親は軍人だった。

 両親はモンスターに殺害されるも、彼女は泣きじゃくることもなく、淡々と事実を受け入れ、残された家で一人暮らしを開始する。

 両親のいない子供など、決して珍しくはない。それほどまでに、この世界は人間にやさしくない。

 それでも繁栄が続く理由は助け合うからだ。

 イマに手を差し伸べた少女こそ、貧困な家に生まれながらも笑顔を絶やさないファシーネだった。

 二人の性格は似ていないようで実は近い。

 イマは周囲の出来事に無関心な上、他人との関わり合いを好まない。

 ファシーネは他人を見下すことで自分の立ち位置を確立しており、それを悟られないよう笑顔の下に隠している。

 二人共、親しい人間以外には全く興味を抱けない人種だ。

 ファシーネはイマのそういった性格を見抜いた上で近寄り、友人として時間を共有することを選ぶ。

 波長の合う二人は、イマの両親が亡くなった後もその関係を維持する。

 ファシーネがイマを慰めるようなこともせず、イマも嘆きはしない。

 変わらない日常は淡々と過ぎ去っていく。

 それでも転機は訪れる。

 目的のない人生から脱出するためではなく、他に道を見いだせなかった少女は母親の後を追うように軍人に成ることを決意する。

 両親の仇をとりたいという復讐心は一切抱けず、身近な仕事ゆえ、とりあえず選択しただけだ。

 ファシーネは一刻も早く貧困から脱したいという思いと寮生活が可能という理由から、同様に軍人になることを選ぶ。

 こうして二人は男世界に飛び込むのだが、一方は努力を苦としない性格から、もう一方は常軌を逸した才能を開花させ、メキメキと頭角を現す。

 五年もしない内に二人はとある部隊に引き抜かれる。

 エミリア率いる第二陸軍だ。

 当時、二人は第五陸軍に所属していたが、ファシーネの不真面目な態度に手を焼いていた上官は、嬉々として送り出す。

 真面目だけが取り柄のイマも差し出すことは痛手だったが、最終的には頭痛の種が減るのならと快諾する。

 第二陸軍は最も規模の小さな軍隊だ。大統領直属ゆえ、表だった任務に取り掛からないことが理由に挙げられる。

 少数ゆえに一人一人の能力が重視されるここは、軍長や隊長が余所から優秀な人材を見繕うことでその数を維持する。

 産休明けのエミリアは、いささか角が丸くなったと言われはすれど、それでもなお、鬼のような厳しさは健在だ。

 イマは今まで以上にしごかれ、ファシーネもさぼりたくてもさぼれない日々を強制される。

 その甲斐あってか、イマは上位に食い込む戦闘力を身に着け、ファシーネもそれは同様だ。もっとも、ツインテールの軍人は上官の目を盗んでは逃亡を繰り返すため、イマと比べると半分の時間も汗を流してはいない。

 それでも、その実力は本物だ。疑いようのないこの事実は、とある出来事によって証明される。

 部外者であるはずの冒険者を招き入れての一か月間限定の修行。

 エミリアを頂点に、第三陸軍軍長と第五陸軍軍長が直々に手ほどきするという前代未聞の案件は、見事なまでに成果を生み出す。

 冒険者になってまだ一年もたたない、駆け出しな少年イリック。しかし、その実力は決して低くはなく、それどころか軍人達を心底驚かせる。

 泣きながらも、時に逃げ出しながらもウェイクやマッカスのシゴキに耐え続けるその頑丈さはとにかく異端であり、何よりその成長速度が軍人達の常識を根底から覆す。

 瞬く間に隊長連中と互角に戦いだし、最終的には倒してしまうのだから仰天だ。興味本位で模擬戦を挑んだ男達は、例外なく地に伏してしまう。

 イリックの最たる特徴は、異質すぎる魔法に集約される。

 コネクト。この魔法が若者を爆発的に強化する。

 前衛攻撃役の戦技。

 盾役の戦技。

 後衛攻撃役の魔法。

 これらを同時に扱えるのだから、一対一の戦いにおいて、挑戦者はまるで複数人と戦っているような錯覚に陥る。

 最も多くの隊長を有する軍隊は第五陸軍だ。ルーガーを筆頭に、その全員が最終的にはイリックに追い抜かれてしまう。

 そんな中、エミリアはついにファシーネを投入する。

 両者の試合は注目を集めるも、観客達はイリックの優勢を支持する。いかに天才と言えども、コネクトを駆使する異質な冒険者には勝てるわけがない。そう分析したからだ。

 だが、結果はファシーネの圧勝だった。戦技を一つしか使わず、何より素手でイリックをあっさりとねじ伏せてしまう。

 ネザーエナジー。一分間、筋力を上昇させるこの戦技だけで、ファシーネはコネクトを圧倒する。

 人間の破壊に武器はいらない。それを実演するように、彼女はスピードでイリックを翻弄しつつ、早々にインビンシブル等の切り札を消費させ、最終的には高まった握力と脚力で腕や足を破壊する。

 イリックは隊長クラスには勝てる冒険者だ。しかし、ファシーネはさらに上をいく。シンプルな構図ゆえ、力関係は一目瞭然だ。

 この結果にエミリアは不敵な笑みを浮かべる反面、ウェイクとマッカスは不満気だ。

 その後、イリックはさらにしごかれるのだが、このシゴキが決め手となり、この場所がトラウマになってしまう。

 デフィアーク共和国とそこに住まう人々を守るための軍事力は凄まじい。個々の能力も去ることながら、その数は近隣の村にも人員を割ける程度には多く、ゆえによっぽどのことがない限り、平和はある程度維持される。

 部隊をまとめあげる隊長達は、異次元の強さを身につけている。だからこそ部下達は尊敬のまなざしを向けるのだが、そんな彼らでさえ、軍隊の頂点には届かない。

 七人の超人。軍長はもはや人間の皮を被った別の生き物だ。そう比喩されてもおかしくはなく、イリック達を追い込んだ煉獄のモンスター、デーモンでさえ、彼らの前では赤子同然だ。

 その領域に最も近い軍人がファシーネであり、次いでイマだ。

 最強の天才と最強の秀才。そんな人材を有する第二陸軍は、まさに国家元首直属の軍隊に相応しく、そして頼もしい。

 その二人に軍長のエミリアが加わるということは、第二陸軍における最強の戦力が集結することを意味する。

 相手は人間なのかモンスターなのか、その区別さえつかない未知の生物だ。それでも、彼女達が負けるはずはない。少なくとも周囲の軍人達にはそう思えてしまう。


「殺してあげる」


 その声は誰にも届かない。独り言だが意思表示でもあり、口に出した以上、絶対に遵守するつもりだ。

 真っ赤な髪は太陽の光を受けても色あせず、対照的にドレスのような黒いワンピースはあちこちが白く薄汚れている。

 両腕は力なくだらんと垂れ下がるが、彼女の両足は力強く地面を踏んでいる。

 少しだけうつむいた顔は前髪に隠されており、他者からはその表情をうかがい知ることはできない。

 真っ赤な瞳はじっと獲物を睨んでいる。

 白いティーシャツと茶色いズボンを着た長身の女。否。

 オレンジ色の膜をまといながら、赤い軍服を着る女。否。

 その二人に挟まれて立っている、背の低い女だ。生意気そうな雰囲気は今なお健在だと、茶色いツインテールを余裕そうに揺らす行為から見てとれる。

 この人間から殺す。自分を蹴り飛ばしたのだから、当然の帰結だ。

 動体視力と反射神経、そしてスピードはリインにとっても脅威だが、それでも腹が立つのだから仕方ない。

 先ず、殺す。

 絶対に殺す。

 それを今から、実行に移す。

 彼女の身体能力は、以前のそれとは比べものにならないほど高い。コネクトの習得が、存在そのものを神に近づけてくれたからだ。

 コネクト。魔法でありながら戦技に似通った神秘。これにはまだ謎が秘められている。

 イリック。

 ロメロン王。

 リイン。

 この三人もまだ全てを把握できているわけではなく、それでも有効活用できているのだから問題ない。

 イリックとロメロンは他者との繋がりを力に変え、リインはそれ以上の段階に踏み込めている。

 この現象は彼女だけの特権だ。イリック達には真似できない。

 神に一度選ばれていたからこそ、コネクトは付随効果としてさらなる力をもらたす。

 魔力の変化と身体能力の向上。

 この戦いにおいて、前者は意味を成さない。魔法は使わないと自ら宣言したのだから、魔力がどう変わろうと、戦局を左右しない。

 魔法など必要ない。そう断言できるからこそ、そして、高まり過ぎた体のコントロールに慣れるためにも、リインはこの地の軍人達を絶滅するつもりだ。

 一時の静寂は、空気を震わせる爆発音によってかき消される。リインが走り出した際、地面が負荷に耐えられず、彼女の後方へ砕け散ってしまったことと、走る速度が音を抜き去ったことで彼女の周囲から衝撃波が発生したからだ。

 身をこわばらせるほどの轟音が耳をつんざく中、彼女達は怯むことなくリインを迎え撃つ。

 ファシーネが先陣を切る。自分が狙われていると察知しており、そういう意味からも相手の動きは予測し易い。

 実戦経験についてはどちらも申し分ないが、センスと近接戦闘の覚えには圧倒的な開きがある。

 だからこそ、初撃が空振りに終わる。

 リインとしても想定外だったのか、ファシーネの急激な前進は、一瞬だが距離感を狂わせる。それでも、右腕の振りを早めた反射神経は脅威に他ならないが、その攻撃は獲物の眼前で空を切る。

 ファシーネは相手と呼応するように、そして目にも止まらぬ速さで駆けるも、リインを翻弄するように、ぶつかる直前で急停止する。

 その緩急にはさすがのリインも対応しきれず、生じた隙を彼女が見過ごすわけがない。


(いただき!)


 黒いワンピース目がけ、正確には心臓を狙って、右腕をいっきに突き出す。

 えぐりだし、握り潰せば一時的にでも行動不能にできるだろう。血流が停止するのだから、いかに不死であろうとあらゆる機能が中断されないわけがない。そんな目論見の元、反撃を実行する。

 自身の腕力だけでももちろん可能だが、リインの音速を超えた突進によって、その勢いだけで胸を貫ける。

 この攻撃が避けられることもなければ、必殺の一撃になることすら、最初からわかりきっている。

 ゆえに選択した作戦だ。

 戦術を組み立てられる軍人とそうでない素人。この差は戦いにおいて優劣を決定する。

 どれほど優秀な肉体を持ち合わせていようと、司令塔の脳がそれを活かせないのなら宝の持ち腐れだ。ファシーネの目論見は一先ず成功する。

 黒い布地を破り、胸部へ突入し、ついには脈動する臓器を掴みとる。

 誤算と言えば、リインの移動速度が速すぎたことから、心臓を握りつぶすより先に衝突したことくらいだ。

 両者は激しくぶつかり合い、絡み合いながら地面をゴロゴロと回転する。

 化け物と寄り添い続けるなどまっぴら御免だ。そんな感情も働き、ファシーネは勢いが衰えるより先にその場から跳ねて体勢を整える。


「速いだけだけ~」


 体中の砂埃など気にも留めない彼女は、勝ち誇るようにあざ笑う。

 だが、周囲の人間達はその光景に息を飲むことしかできない。


「み、右腕!」


 イマの揺れるような悲鳴は、ファシーネが勝てていないことを意味する。

 ティーシャツから伸びる細い右腕は、肘から先が見当たらない。断面図は決して綺麗ではなく、無理やり千切られたような傷口だ。

 ファシーネは自身の変化に気づくも、滴り落ちる血液を無視してそっとリインに視線を向ける。自分同様、その女も既に立ち上がり、こちらをじっと観察している。

 そして、気づかされる。自分が作ったはずの風穴が見当たらない。

 当然だ。そこにはファシーネの腕が突き刺さったままなのだから、胸の穴を通して向こう側を眺めることはできない。


(いつの間に?)


 ファシーネにもわからない。それほどまでに、その攻撃は一瞬だった。

 離れる際に握りつぶされただけなのだが、当の本人にそのことを気づかせない速さはもはや人間業ではない。


「ねえ~。私の右手ちゃん返して~。いらないでしょ~」


 大事な血液が大量に流れ出ているにも関わらず、ファシーネは止血すらせずに平然と言ってのける。

 この状況において、まだ殺されていない残りわずかな後衛回復役達は判断を迷う。もしこのままの状態でファシーネにキュアを唱えた場合、右腕を失った状態で傷が癒えてしまう。

 もし、リインからその部分を返却ないし取り戻してからなら、傷の完治は可能だ。

 ゆえに、目を覆いたくなるような負傷にも関わらず、彼らはじっと戦況を見守る。


「いらない」


 胸を貫く異物は、リインにとっても邪魔でしかない。心臓を掴んだままのそれを眼下で引っ張り出し、もちろん心臓だけは回収してから右腕だけを投げ返す。

 一瞬だが時が止まる。誰かがコネクトを詠唱したからではなく、その場に居合わせる全員が、放物線を描く細い右腕を息を飲みながら注目したからだ。

 しかし、三人だけがそれを見ていない。

 エミリアとイマ、そしてファシーネだ。

 真っ先に動いたエミリアとイマが、リインの両サイドへ移動する。返却に対し感謝の言葉を投げかけるためではない。この女を戦闘不能にするためだ。

 この状況において、ファシーネも阿吽の呼吸で反応してみせる。一瞬で二人の意志を汲み取り、自分にしかできないことを開始する。

 ウォーボイスとソウルドレイン。盾役の多くが習得している戦技と、この国ではマッカスと彼女しか使えない戦技を続けざまに発動させる。

 この瞬間、リインは左右に展開した軍人に殺意を向けられない。唯一できることは回避行動くらいだ。死角とも言うべきタイミングだったため、それが間に合うはずもない。

 しかし、それは人間のものさしで計測した場合だ。赤髪を揺らす女は当然のように二人の攻撃を視認できおり、ゆっくりと歩きだすことであっさりとやり過ごす。

 その先は両者にとって最後の戦場だ。

 ファシーネは前方へ飛び跳ね、空中で右腕を回収する。左手で掴んだそれを右腕の本来あるべき場所へ宛がうも、リインのように元通りにはならない。

 それでも構わない。既にソウルドレインを発動させているのだから、後はリインを傷つけることでその見返りとして自身の負傷が癒えてくれる。

 無理やり繋ぎ合わせた右腕はそのままに、ファシーネは着地と同時に相手との間合いを詰め終える。

 リインが前進することも想定内だ。ゆえに、ここから一息の間も置かず殺し合いを始める。

 右手は使えない。それなら左手で相手を殺す。ファシーネはシンプルな思考と共に、眼前の女へ槍のように尖らせた左手を突き出す。

 残念ながらそれは届かない。音を追い抜く速度だったが、リインはそれ以上だ。差し迫る腕を振り払うかの如く、手刀であっさりと切り落とす。

 背後から二人の軍人が攻撃をしかけてくるも、今は目の前の獲物に集中したいという欲求から、リインは平然と前だけを見据える。

 両腕を失ったのだから、本来ならば痛みに耐えられずに叫び狂ってもおかしくはない。しかし、ファシーネほどになればこの程度の痛みなど問題なく耐えられる。

 ゆえに反撃を継続する。

 まだ残っている両足は自由に動く上、初撃の蹴りが有効だったことから、どうとでも戦える相手だと既に見極めている。

 両腕の損傷を癒すためにも、今は愚直なまでに目の前の女を破壊しなければならない。

 リインは背後のエミリアによって首を切断され、イマの腕が腹部を貫いている。それでもなお、ファシーネから繰り出される攻撃に対してだけは平然と対処する。

 右足から繰り出される攻撃は空気を圧縮させながら相手の左腰を折りに向かうも、やはり届きはしない。

 細い左腕がそれを受け止め、掴んだ脛を骨ごと粉砕する。


「まだ!」


 彼女は倒れない。ソウルドレインは有効ゆえ、相手を傷つけさえすれば自分は回復できる。

 だからこそ、右手、左手、右足を破壊されようと、攻撃を緩めたりはしない。

 もはや歩くこともできない。

 殴りかかることもできない。

 蹴り飛ばすこともできない。

 それでも諦めない。

 ファシーネは前のめりになりながら、倒れ込むように体を寄せて、大きく口を開く。

 零れ落ちそうな顔を気にも留めず、黒い生地の上から相手の左肩に噛みつく算段だ。

 ウォーヴォイスで自分を狙わせながら、反撃の見返りとして自身の傷を癒す。ヴォイスとの模擬戦で実演してみせた無敵の戦法は、相手が誰であれ有効だ。

 だからこそ、ファシーネは負ける気がしていない。四肢のほとんどを損壊させられても、戦意に陰りは見られない。

 噛みついてやる。綺麗な顔がどれだけ歪もうと、彼女は勝利のために真っ直ぐ突き進む。

 この状況において、エミリアとイマも攻撃の手を止めない。

 首を切断した突剣は、その勢いそのままに胴体を横から貫く。この一撃は、リインの内臓をいくつも破壊してみせるも、倒れ込むこともなければよろめくこともない。

 イマは背後から腹部を貫いた腕を引っ込め、腰部分を全力で蹴飛ばす。ファシーネのように遠方へ追いやるつもりでいたが、地面から生える大木のようにリインは動かない。

 激痛のあまり、本来ならば絶命してもおかしくないファシーネ。

 頭部を失い、体も大きく損壊したが、それでもなお立っていられるリイン。

 両者は一歩も引かないが、勝者は一人だけだ。

 大きく開かれた口には、その上下に白い歯が並んでいる。今から肉を噛み千切るための凶器でもあり、後少しで食事にありつける。

 だが、口に放り込まれたそれは別のものだ。肉には違いないが、自分の意志で含んだわけではなく、それでも咀嚼すればよいのだが、残念ながら間に合わない。

 指、手首、腕の順に侵入したそれはリインの左腕だ。ファシーネの口に入り込み、勢いそのままに口内をあっさりと貫く。

 いかにソウルドレインを発動させていようと、相手を傷つけることができなければ意味などない。

 不死身とも言える戦法の弱点をあっさりと突かれ、その軍人は干された洗濯物のように力なく垂れ下がる。

 不死身。その言葉はリインにこそ相応しい。切り落とされた顔が地面に転がろうと、体を串刺しにされようと、腹部に穴を空けられようとも、活動を停止するには至らない。

 この光景がエミリアとイマの動きを止めてしまう。目の前で仲間が一人殺されたのだから、さすがに困惑の色を隠せない。その上、彼女こそが切り札のような存在なのだから、敗色の色はいっきに濃くなる。


「次はあなた」


 コロリと地面を転がりながら、赤い髪の塊が何かを言い出す。その隙間からは真っ赤な瞳が何かを見上げており、誰かがその発言内容を理解するより先に二人目が殺される。

 大きく振り回された物体は死んだばかりの死体だ。その先に立つ軍人は友人の亡骸をぶつけられ、混ざり合うように砕け散る。

 軍人達からの援護すら間に合わせない刹那の攻防は、二人の死者を生み出して終わりを告げる。

 ガシャン。

 戦場から少し離れた場所で、いくつもの耳障りな金属音が鳴り響く。

 両脇に武器を抱えて走っていたスルフィは、上官二人の死を見せつけられ、思考が完全に停止する。

 よもやファシーネとイマが倒されるとは夢にも思っておらず、彼女達の武器を足元に落としてしまう。

 残虐無比な殺され方は確かに衝撃的だが、それ以上に負けたという事実が受け入れられない。

 スルフィは他力ではあったものの、超人の一歩手前まで歩み寄れた数少ない人間だ。肉体が大きく衰えようと、強者を見極めることは十分できる。

 マンイーターの元所有者から見ても、エミリア軍長、イマ隊長、そしてファシーネの三名は別格の軍人だ。

 もし、マンイーターを所持したままこの中の誰かと出会っていた場合、スルフィは間違いなく敗れ去る。

 それほどに強い上官達があっさりと二人も殺されたのだから、頭の中の固定概念が音をたてて崩れ去る。

 何より、異国の地で自分を迎え入れてくれた三人はスルフィにとってかけがえのない女性達だ。

 あまりの厳しさに何度も泣いたり吐いたりしたものの、それでもこの三人が恩人であることには代わりない。


「そんな……」


 四本の武器が転がる地面へ、スルフィは膝から崩れ落ちる。

 武器が不要になったのだから、戦力にならない自分がそこを目指す理由はなく、そもそもそんな気概は親しい二人の死によって霧散してしまう。

 戦技はあれど戦えるはずもなく、スルフィは何もできずに見守ることしかできない。

 もし、彼女にもできることがあるとすれば、それは眼前の集団が全員殺された後で、自分の順番を受け入れることだけだ。

 まばゆい光を放ちながら、太陽がゆっくりと上昇する。

 まばらな雲が青いキャンパスを白く塗るも、この国の大地はそれ以上に赤く染め上げられていく。

 戦死者を嘆くより先に、彼らにはやるべきことがある。

 この戦いはやるかやられるかの死闘ではない。自分達が全滅するより先に、リインを無力化した上で捕縛しなければならない。

 誰よりも速い化け物から逃げることなどできない。

 誰よりも強い化け物に勝てるはずない。

 それでも立ち向かう。軍人とはそういう人種だ。

 朝陽の暖かさを感じながら、彼らは死と引き換えに仲間へ託すことを選択する。

 死を受け入れた人間達と死を乗り越えた人間。

 戦いになるはずがない。

 それでも突き進むことで、道は切り開かれるのかもしれない。

 道半ばで散ってしまった同胞達の無念を胸に、彼らは戦いを継続する。



 ◆



 まばらに赤い地面の上には、あちこちに肉片が散らばっている。横たわる布地も本来は白かったのだが、命を吸って真っ赤に染まる。

 その中心に立つ女は、戦場に咲いた花だ。

 赤と黒。二色の毒々しい色合いからもわかるように、決して触れてはいけない猛毒を宿す。

 この集団における最大戦力ですら歯が立たないことを立証されてしまったが、それでもなお、戦いは終わらない。


「やっぱり邪魔」

「しまっ」


 リインはあっさりと方針を変える。歯ごたえのある相手として、すなわち練習相手として、エミリアだけは最後まで生かすつもりでいたが、ちょろちょろとまとわりつかれることが腹正しく、ゆえについでの如く蹴り飛ばす。

 腰の捻りもなく、ただ右足を左へ振りぬいただけだが、赤い軍服に深々とめり込んだ足首が軍長の体を遥か彼方まで蹴り飛ばす。

 何度地面に叩きつけられようとも勢いは衰えず、水面を跳ねる飛び石のようにその姿は小さくなりながら遠方へ追いやられる。


(ぐ……う、これは……)


 エミリアの体は動かない。抗うこともできずに成すがまま地面にぶつかり続ける。

 やがて速度は低下し、大地に擦られながらついに停止しようと、やはり体は言うことをきかない。

 エミリアは軍長だ。同時に超人の一人だ。体の丈夫さは人間のそれとは比較にならない。

 ジャイル村で遭遇した巨人のモンスター、ヘカトンケイルの巨大な棍棒で殴りつけられようと、片腕の骨折だけで済んでしまう。普通の人間なら破裂するように砕ける威力でさえ、超人はその程度で済んでしまう。

 しかし、武術の覚えがないリインの下手な蹴りは、エミリアを一撃で戦闘不能に追いやる。

 意識はかろうじて保てているが、痛みの深さが彼女に冷や汗を流させる。体内で何が起きてしまったのか、想像すらも困難なほど、思考は混濁してしまう。

 このまま放置された場合、エミリアの行き着く先は絶命だ。

 気絶するか歯を食いしばり続けるか、自分では選べない選択肢を突きつけられながらも、今は痛みに耐え続ける。

 遠くから聞こえる音楽はリインが奏でる殺戮ショーだ。最強クラスの三人が敗れたのだから、残された彼らでは抗うことも難しい。

 それでも軍人達は立ち向かう。

 盾役は自らの命と引き換えに、リインの動きに隙を生じさせる。

 前衛攻撃役は相手の素早過ぎる速度を加味して先読み気味に武器を走らせる。ほとんどが空を切るが、時にその肌から出血させることに成功する。

 中衛攻撃役が放つ矢のほとんどは命中しない。音速を超える獲物を射ることなど人間には不可能だ。それでも数発が黒いワンピースやむき出しの四肢に突き刺さるが、もちろん偶然ではなく彼らの実力だ。

 後衛攻撃役は乱戦において力を十分に発揮できない。攻撃魔法はその威力と狭くない範囲から、仲間を巻き込みかねないからだ。同胞達が作り出した隙を狙って炎や雷撃を撃ち込むものの、避ける価値もないのか、リインは撫でるようにそれらを打ち砕く。


「すまん! 巻き込むぞ!」


 犠牲をいとわず地面から氷の刃を咲かせる変人もいるが、圧倒的な魔力差が彼女への損傷をほとんど抑え込む。ゆえに巻き込まれた軍人達がただただ傷ついただけだ。

 後衛補助役は味方へ強化魔法を配りつつ、必要に応じて回復魔法の使用も検討するが、狙われた者は一撃で葬り去れられるため、治療行為の出番はない。健気に弱体魔法を撃ち込む諦めの悪い軍人も少なくないが、誰一人としてリインを弱らせるには至らない。

 そして、後衛回復役は真っ先に狙われ、ついにその場から完全に消え去る。死体や肉片は残っているものの、もはや誰一人として立ち上がれない。

 エミリア達が倒され、ものの数分でこの地は地獄へ変貌する。加勢を含めれば四百に膨れ上がった軍人達は、その数を百以下に間引かれる。

 死体の山が物語る。ここは地獄だ、と。

 人間の形を保ったままの死体が足場のないほど横たわる一方、どの部位なのか一目では判別できないような肉片が数えきれないほどに飛び散っている。

 色素の抜かれた大地は真っ赤に染まっており、ここがどこなのか、もはや誰にもわからない。

 だが、一人として逃げ出さない。勇敢さが無謀な結果に結びついているのだが、リインの出現は既に周知されており、自分達が犠牲になってでもこの女をここに縛り付け、後から現われる同胞達にバトンを繋がなければならない。

 それほどまでに、リインは危険かつ凶暴だ。

 悲鳴と雄叫びが轟く中、その少女はついに我慢の限界を迎える。自分の出番はまだなのだから、今はぐっと耐えて行く末を見守るべきなのだが、兄ほどの我慢強さを持ち合わせてはおらず、一方で自分にできることなど何もないとわかってはいるのだが、思考は既に深い闇に飲み込まれている。

 ネッテは腰の短剣に手を添えて、すっと腰を落とす。

 それに気づけた時には既に遅く、アジールは駆ける仲間の背中を見送ることしかできない。

 この二人はリインとの戦いにおいて切り札だ。

 シンイ。未知数なこの能力は、周囲の人間から殺意はおろか意思そのものを奪い去ってしまう。ただの町民はおろか、冒険者や軍人であろうと決して抗えずに精気を抜きとられる。

 すぐには死なない。遅効性の毒のようにじわじわと心が蝕まれるだけだ。

 だが、裏を返せば長時間晒されるとそれは死に直結する。

 本来ならば、人間である以上、この力には抗えない。生き物としての圧倒的な格の違いがそうさせるのだが、例外が四人だけ存在する。

 イリック。

 ネッテ。

 アジール。

 ロニア。

 この四人は抗える。

 この四人なら立ち向かえる。

 リインですら困惑するこの事実は、三大大国にとって希望の光だ。

 ゆえにネッテ達は、その時が訪れるまで体力を温存すべきとも言える。

 リインはシンイはおろか魔法すら使わず、素手で戦っている。軍人相手には必要なく、なにより大量殺戮は彼女にとって準備体操でしかないのだから、神の力は必要ない。そういうことなのだが、これは彼らにとってもチャンスだ。

 もし、シンイを使われでもしたら、自分達はその場から動けず、死を受け入れながら目の前の絶望を眺めることしかできない。

 何かを考えることすらできず、人間としての尊厳を奪われてしまう。

 もはや戦うどころではない。このような状況は決して受け入れられない。

 だからこそ、戦場に居合わせたネッテとアジールは最後の切り札だ。

 リインがシンイを発動させたら、抗えるこの二人がどうにかしなければならない。

 その時まではぐっと様子をうかがい、その時間を極力少なくすることが仕事なのだが、ネッテにそこまでの我慢強さを要求する方が酷な話でもある。

 一人、二人、と軍人達が殺されていく。映像が早送りで再生されているかの如く、黒い殺意が赤い鮮血を散らしていく。

 アジールは既にわきまえている。否、力の差を見せ付けられ、半ば諦めている。

 リインと自分との間には到底埋められない実力差が存在している。加勢など不可能だ、と冷静に分析できてしまう。

 アジールの腕前は、冒険者全体で算出した場合、中の下程度だ。魔眼という唯一無二の特技はあるものの、それを踏まえてもこの位置に甘んじる。

 体力や腕力は申し分ない。

 だが、決して突出しているわけでもなく、何より戦技の習得数が絶望的だ。ウォーシャウト一つでは到底優れた盾役など務まらない。

 装備だけは一級と言える。ミスリル製の片手剣と鎧は盾役なら誰もが羨望する装備だ。皆望めど、ほとんどのものが購入できずに一生を終える。

 この二つを合算すれば安い家を買えてしまうのだから、金食い虫の冒険者にはハードルが高すぎる。

 装備面を加味しようと、アジールの実力は平均程度かそれ以下だ。

 イリック達と行動を共にして以降、盾役としての最低限の仕事は果たせているものの、そんなものはその分類に属する冒険者なら当然だ。

 本来ならばそれ以上のことをしなければならず、そういう意味においてもアジールはこのパーティ以外に居場所を見つけられない。

 盾役とは最もやりがいがあり、同時に険しい分類と言われている。

 装備面で妥協は許されず、モンスターとの戦闘中ではその挙動と仲間の立ち位置にすら気をつけなければならない。

 アジールはそういった意味では申し分ない。戦技を一つしか使えないことから使いどころをわきまえており、その成果が四人の生存に繋がっている。

 実力不足も気にする必要はない。努力を怠って良いという意味ではないが、少なくとも仲間から追い出されることはない。

 イリックは今の三人を受け入れ、作戦を立案できる冒険者だ。無計画に旅を計画する側面もあるが、冷え込んだ懐事情を言い訳にして敢行する。

 アジールは四人の中で最も鍛錬に励む冒険者だ。

 無口ではあるが決して内向的ではなく、子供の頃は外で遊ぶことを好んでいた。

 そんな性格が冒険者への道を選ばせるのだが、その結果、モンスターとの戦闘を誰よりも熱望している。

 冒険者になりたての頃は一人で黙々と近隣のモンスターを狩っていたのだが、決して苦ではなかった。

 その期間で冒険者としての知識を身に付けながら、同時に感性も磨いていく。その成果が、いかなる状況でも冷静さを失わない胆力に繋がる。

 逆境に追い込まれることで大暴れするイリック。

 感情が高ぶると自我を失うネッテ。

 この兄妹と比べるとアジールは非常に落ち着いている。

 だからこそ、相手との力量差も客観的に分析できてしまう。

 イリックとロニアがここにいたとしても、リインが相手では四人がかりでさえ手も足もでない。残念ながら、冒険者としてそう判断せざるをえない。

 リインはもはや別人だ。サラミア港で遭遇した時とは比べ物にならないほど高みに昇っている。

 以前はネッテと二人で何とか撃退できたものの、もし今戦いを挑んだ場合、手も足も出せない。軍人達同様あっさりと殺されると、一方的な大虐殺が物語る。

 認めざるをえない。

 リインの相手など務まるはずがない、と。

 戦えるとしたら、ウェイクやマッカスといった軍長レベルの実力者達だけだ。ゆえに、自分達に介入できる余地はない。

 そんなことはネッテもわかっている。しかし、我慢できないのだから仕方ない。

 冒険者がモンスターを殺すように、リインも人間を殺しているだけなのだから、そういう意味では身勝手な感情かもしれない。

 この状況は、普段の行いをやり返されているだけだ。ロニアならそう割り切れるのかもしれない。

 だが、ネッテに同じことができるはずもなく、そもそも人間なのだから、同じ人間が殺されていることに腹を立てないわけがない。

 ゆえに走り出す。

 勝率など考えない。

 力の差など考慮しない。

 勝てる勝てないではなく、勝たなければならない。

 戦場を支配する闇を払うため、小さな体は殺意を力に変えて立ち向かう。

 リイン同様、ネッテの服も黒一色だ。ムーンハーネスはその大部分が伸縮性に優れた黒い布で構成されている。胸部分にはブラジャーのように黒い皮が巻かれているが、それ以外はほとんどが布地だけの防具だ。

 首周りや肘から先、腹部付近は露出しているものの、それでもなお、この軽鎧は高い防御力と魔法耐性を備えている。

 両手には愛用の短剣をそれぞれ握り、軍人を殺し続ける女目掛け、今は黙々と走り続ける。

 リインの移動速度は常軌を逸している。それでも、常に走り続けているわけではない。

 人間を殺す際は、多くの場合で足を止める。

 顔を握り潰す。

 首をへし折る。

 心臓を抉り出す。

 腹部を貫く。

 胴体を縦や横に切り裂く。

 右手か左腕だけでこれらを達成するのだから、もはや誰の目から見てもこの女は魔法使いではない。

 殺されていく軍人達も決してひ弱な人間ではない。それぞれがモンスターと戦える屈強な兵士だ。そうでなければ今まで生き延びることなどできない。

 今日、この場所で殺されるために生きてきたわけではないのだが、神の使いが手を下している以上、もしかしたらそういう運命なのかもしれない。

 仮にそうであっても、ネッテは神に抗う。

 リインが人間を殺したいように、ネッテもこの女を許せない。

 決して相容れない以上、二人は殺し合うことでしか交われない。

 軍人達は異変に気付く。戦場を駆ける黒い姿は一つのはずだが、視界の隅から異常な速度でもう一つが接近している。ゆえに、警戒心を高めずにはいられない。

 しかし、その姿はリインのそれとは似ても似つかない。共通点は黒い服だけ。両者を見比べる必要すらない。

 なにより、軍人達はこの娘を知っている。

 愛らしい笑顔を誰にでも振りまくのだから、大人達は一目でその顔と名前を覚えることができる。

 この少女はそれだけに留まらず、小さな体に軍人顔負けの実力を秘めている。

 だからこそ、戦場で二番目に速く動けている。最速はもちろんリインだが、足を止めた今なら追いつくことなど造作もない。

 飛びかかる動作は、人間よりも野生動物のそれに近い。

 普段はコロコロ変わる表情も、今だけは無機質なほどに冷徹だ。

 ネッテはイリック以上に感情の起伏が激しい。喜怒哀楽を表に出すという意味ではなく、我慢の閾値が低い。

 目の目で一方的な虐殺が行われているのだから、見て見ぬ振りをする方が無理な話だ。

 両手に握った短剣に殺意を乗せて、佇む女へ刃を振りぬく。


「バレバレなのに」


 リインは人間の殺意に敏感だ。視界外であろうと手に取るようにその感情を感知できる。

 ゆえに、ネッテの斬撃は当然のように空を切る。

 ステップを踏むように回避するリインだが、その速度は想定以上だったのか、十本程度の真っ赤な髪が風に乗って舞い上がる。

 ネッテは着地と同時に振り返り、無表情を貫いたまま獲物を見据える。腰を落とし、姿勢を低く保つ姿はまさしく獲物を前にした肉食動物だ。ギラリと光る瞳にも、冷たい闘志がみなぎっている。

 この冒険者の参戦は突然だったが、軍人達とリインは別の理由で驚かされる。ただただ速く、それでいて容赦のない攻撃が、見る者を虜にするからだ。

 相手が人間の形をしていようが、そんなことはお構いなしに二本の短剣で切り裂くという意思が垣間見えていた。

 今のネッテからは、普段のあどけなさは微塵も感じられない。

 野生動物を狩ろうとする狩人でもなければ、モンスターと戦う冒険者でもない。

 腹を空かせた獣が、それでも理性を保ちつつ、獲物を前に闘争本能をむき出しにしている姿そのものだ。

 つまり、絶対に殺す。

 食べるためでもでなければ身を守るためでもない。

 許せないから殺す。

 この点だけは人間らしいが、隠そうともしない殺意と四足歩行のような立ち振る舞いがネッテを別の生き物に仕立て上げる。


(前より速い?)


 リインは以前、ネッテとサラミア港で出会っている。そのまま戦闘に突入するのだが、その時は冒険者特有の戦術によって敗れ去る。

 死んでいないのだから負けではないのかもしれないが、どちらにせよ、戦闘不能に追い込まれたことは変わらぬ事実だ。

 あれから何か月も経過している。

 時間がネッテ達を強くしたわけではなく、汗と涙の上に成長したのだが、リインがそのことを知るよしもない。

 冒険者の参戦で一瞬だが戦場がこう着状態に陥る。ましてやそれが十五歳の少女なら当然のことだ。

 それでも両者には関係ない。

 ネッテは憎むように見上げ、リインはつまらなそうに見下ろす。

 この二人には互いを殺したいだけの理由がある。

 家を焼かれ、自身も襲われ、兄すらも危険に晒されている。ゆえに許せない。

 シンイが効かないばかりか、コネクトという神秘と深く繋がっている。だからこそ許せない。

 どちらも相手を敵視している。

 そういう背景が根底にあるのだから、この場での邂逅が殺し合いに発展しないわけがない。

 初撃は避けられたが、それでもネッテは怯まない。やるべきことがはっきりしている以上、途中で止めるつもりもなく、眼前の女へ再度斬りかかる。

 小さな右手が握る短剣は業物の一品、エイビス。やや湾曲した刃は東方から伝来した証だ。刃には風をイメージした紫色の装飾が施されている。切れ味も耐久度も申し分なく、性能はミスリル製の武器に匹敵する。

 左手の短剣はビーニードル。細い刃は鏡のように銀色を保っており、軽量さが売りの武器ゆえ、エイビスほどの殺傷力は持ち合わせていない。冒険者仲間のマリィから譲り受けた一品物だ。

 ネッテの実力は兄には劣るが非常に高い。デフィアーク共和国の軍人と比較した場合、隊長クラスかやや下程度だ。

 ルーガーやイマのような実力者には勝てないものの、それ以外の隊長とはある程度渡り合える。

 その若さでこの境地に至れていることがもはや偉業に他ならず、生存者達はネッテの攻撃に息を飲む。

 腕の振りは見えないほど速く、それでいて途切れなく続く。空気を押しのけ、同時に切り裂く音だけが響く中、この攻防は一介の軍人達を置き去りにしながらもしばらく継続する。


「前も思ったけど、容赦ない。あなた、人を殺しても何とも思わないの?」


 リインに短剣は届かない。

 上から振り下ろされれば横へ避け、右から左へ、もしくは左から右への斬撃には下がることで対応する。

 迷いのない突き刺しは軽く受け流し、踊るように回避行動を続ける。

 そして、以前からの疑問を口にする。

 リインは姿形は紛れもなく人間だ。中身は別の生き物かもしれないが、見た目だけなら美しい女性のそれと言える。

 軍人ならまだしもネッテはまだ子供だ。にも関わらず、サラミア港では細切れにされ、今もそれを目的として二本の短剣を振りかざす。

 すなわち、この行為は人殺しに他ならない。

 おまえにだけは言われたくない。

 周りの軍人達がそう思う中、ネッテからの返答はない。

 リインの言葉など届いていない。やるべきことに集中していることと、思考が殺意に飲み込まれているからだ。

 時に飛びかかり、フェイント気味に回り込み、兄の真似事として蹴りを織り交ぜるも、何をどうしようと一撃を加えることすらままならない。

 今の両者には、それほどまでの実力差が存在しているということだ。

 膠着状態とは言えないが、先に進まない攻防がとある男をやきもきさせる。何より、一介の冒険者に任せっきりという状況がそもそもありえない。

 ゆえに、加勢する。

 灰色のナックルガードを装備した若い軍人が、素早くネッテの隣に現れる。灰色の軍服は第五陸軍を意味し、拳を守る武器はスチール製だが人間程度なら十分破壊可能だ。

 青い髪をさらりと揺らしながら、その場で小さく跳ねてリズムを刻む。

 長身のリインと比べると上背は劣るが、四肢の太さは上回っており、この男が接近戦を得意とする前衛攻撃役だと誰の目から見ても明らかだ。

 体に反して顔つきはやや幼く、白い歯をちらりと見せながら、ネッテとの即席コンビネーションを開始する。

 この男は隊長ではないが、若さゆえにまだ昇進できていないだけだ。いずれは第五陸軍の部隊を一つ任されると噂されており、その実力が嘘ではないことを次の動きが証明する。

 襲いかかるネッテの両手はまたも空を切る。どんなに距離を詰めようと、この女には届かない。

 戦闘訓練や武術の心得などないに等しいが、あらゆる努力と才能を、神から授かった身体能力だけで超越する。

 一度認識してしまえば、ネッテのスピードなど取るに足らない。もはや髪の毛一本すら斬られることなく、この攻撃も左へ跳ねるだけで悠然と避けきってみせる。


「やっぱりね」


 一対一なら問題ない。

 だが、この場にはまだまだ軍人達で溢れかえっている。その数は四分の一以下まで減らされたが、今も同胞達が駆けつけており、リインの包囲は継続中だ。

 そして、拳が打ちこまれる。

 エミリアを退けたリインであろうと、このタイミングではどうすることもできない。両足が地面についていなければ、体を捻じることはできてもその場から移動することは叶わない。

 ナックルガードによって破壊力が増した打撃が、黒いワンピースの背中に深々と叩き込まれる。


「ぐ」

「イエーイ」


 うめき声と共に、リインは何度も地面に打ち付けられながら吹き飛んでいく。

 その男がうれしそうに右手を挙げて喜ぶ一方、目の前の出来事にネッテは両目をパチクリさせてきょとんとする。


「お嬢ちゃん、相変わらず強いね~。あ、俺のこと覚えてる? 何回か手合せしたんだけど。お兄ちゃんの方には一度も勝てなかったな!」


 返答を待たず、この男は楽しそうに笑い出す。

 イリック達がこの地で鍛錬に励んだ一か月間は、軍人達にとっても珍しい時間だった。ロニアを除く三人の冒険者と自由に戦えるのだから、業務や訓練をほっぽりだして腕試しに挑む者が後を絶たなかった。

 やがて沈静化するも、兄妹の突出した実力が彼らのプライドを砕いたからであり、この男は最後まで抗った一人だが、イリック相手には土をつけられ続けてしまう。


「う、うん……」


 ネッテは正気を取り戻し、小さく頷いてみせる。

 青い髪と人柄の良さそうな顔、そして、拳の武器には見覚えがある。筋肉質フェチなため、忘れかけてはいたがすぐに思い出せてしまう。

 兄に足りない筋肉がそこにはある。格好良く、頼もしさすら見え隠れしている。


「さぁ、一緒にたお」


 声高々な発言が言い終わるより先に、ひどく冷たい風が戦場を走る。その風は二人を追い越すと同時に吹き止み、誰にも認識できない速度で反撃を終える。

 男が体の異変に気づけた時には既に遅く、前へよろめきながらも足を動かす必要はない。

 自分の胸部から腕が生えている。もちろん、そんな怪奇現象が起きるはずもなく、血まみれのそれは細く、すらっとしている。

 すなわち、女性の右腕だ。


「ぐほっ!? な、なんだと……」

「人間は本当に愚かで脆い。少しやり返しただけでこのざま」


 冷淡な声は背後から届く。振り向くまでもなく、そもそもそんな余力はこの軍人に残っていない。

 背中を殴られたから同じように殴り返した。だが、結果は全く異なる。

 リインの右腕は男の体をあっさりと貫き、その上、軽々と持ち上げてみせる。

 心臓をかすめ、太い血管も破られてしまった以上、本来ならば即死だ。にも関わらず、虫の息だが生きていられる理由はこの男の精神力と強靭な生命力に起因する。

 だが、もはや死は免れない。今すぐに腕を抜かれようと、この状態のままだろうと、結果は変わらない。

 回復魔法による迅速な治療があれば、命を繋ぐことも可能だっただろう。

 周囲には、今なお百近い軍人達が臨戦態勢を維持している。減った数を補充するように、少しずつ援軍も駆けつけているが、この場所からは二つの要素が抜け落ちている。

 ウォーシャウトのような相手の注意を自身に向けさせる戦技の所有者と、回復魔法を習得している後衛だ。

 彼らはリインによって真っ先に駆逐されており、この場には状況を打破できる者は残っていない。

 ゆえに、胸を貫かれたこの軍人は死ぬしかない。

 遠方から次々と向かってくる軍人の中にはキュアを使える者もいるが、残念ながら間に合うことはない。


「き、貴様!」


 男は吐血しながらも、眼下の腕を両手で握りしめる。自分が取り返しのつかない状態だと理解してもなお、抗うことは止めず、悪暴きとわかった上でこの腕をへし折ろうと試みる。

 燃え尽きそうな命を燃やし、しぼむことを知らない肉厚な両腕をさらに膨張させて、血まみれの右腕を全力で握りしめる。

 パキリと内側の骨が砕くことに成功するも、リインは顔色一つ変えずに平然とこの姿勢を維持してみせる。痛みなど感じないのだから、この程度の損傷は些末な問題だ。

 骨が折れようと、筋肉は動かせる。切り落とされない限り、何をされようとこの腕は体を貫き続ける。


「無意味なことを。ついでにあなたも殺してあげる」


 そして、事態はさらに悪化する。

 男を貫き、わずかに持ち上げたまま、リインは数歩歩いて次の獲物へ辿り着く。

 そこではネッテが茫然と佇んでおり、真っ赤な腕が何をしようとしているのか、すぐには理解できない。

 血まみれな軍服が目の前を覆うと同時に、子供のような首は生暖かい手に握られる。

 決して速い動きではなかった。狂気じみたこの状況となめらかな動作が冒険者の虚を突くことに成功する。


「ガッ!? グ、グ……」


 息苦しさと、それ以上の激痛がネッテに死を想起させる。

 息ができない。

 首が潰れる。

 首の骨が砕かれる。

 このままでは危険だ。そう察知し、とっさの反撃として右手の短剣を使おうとするも、リインが先手に続き対応策まで施し終えてしまう。

 本来ならば、首を絞める右手の手首を切り落とすだけで良い。そんな至極簡単なことで、この状況から脱出できるはずだ。

 もちろん、そんなことはさせない。リインがさせるはずがない。

 右腕は塞がっている。男を背後から貫き、さらにはネッテすら絞め殺そうとしているからだ。

 だが、左腕は空いている。ゆえに、暇を持て余すそれで軍人の背中をぐぐっと押し込む。そうすることで男とネッテは密着し、右腕の露出がほとんどなくなる。

 この状況では、リインの手首を切断することは難しい。実行する場合、目の前の男ごと切り刻む必要がある。


「こういうのを人質って言うのかしら? 少し違うか」

「ギ……、ぐぅ……」


 リインは淡々とつぶやくも、右手の握力をわずかに高める。殺そうと思えば一瞬で殺せるのだが、思った以上にこのシチュエーションが愉快なため、楽しむように命を弄ぶ。

 神の特権だ。

 神に選ばれし者の自由だ。

 そう主張するかのように、リインはネッテをじわじわと追い詰める。


「俺ごと……、切り崩せ……。もはや助からん……」

「殊勝なことを。ほら、しないの?」


 男は眼下の少女を申し訳なさそうに見下ろす。自分のせいで窮地から脱出できないのだから、遺言のように意思を伝えることしかできない。

 リインはいたぶるように、ググッと背中を押して男とネッテを圧迫する。愉悦だが、それでもなお、表情は冷徹なままだ。

 三人が密着しているこの状況を、周囲の軍人はどうすることもできない。

 手を差し伸べたい気持ちでいっぱいだが、そのための手段がないのだから仕方ない。

 攻撃魔法を放てば、間違いなく二人は巻き添えを受ける。

 接近戦をしかければ、男とネッテが盾にされるだけだ。

 ウォーシャウトの類が必要だ。

 回復魔法が必須だ。

 だが、それらの所有者は全員殺されてしまったため、ここには一人も居合わせない。

 我慢できずに飛びかかろうとする男達も少なくないが、それが悪手だとわかっているからこそ、今は歯を食いしばって耐える。


「ぐ……ぅ」


 ネッテの呼吸は既に止まっている。リインの指が首を深く締め付けているからだ。

 眼前の軍人が邪魔でその手首を切り落とすことはできない。それなら、と両手でリインの指をはぎ取ろうとするが、圧倒的な力の差がそれを容易く阻止する。

 五本の指は既に首回りの肉を押し潰し、血液の流れすらもほとんど阻害している。頸椎もその気になればいつでも折れるのだが、今回はいたぶることを選択した。

 目の前の軍人同様、ネッテももはや助からない。今すぐに回復魔法を浴びせられれば話は別だが、駆け付ける軍人を待っている余裕はない。

 もはや何も考えられない。思考はぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、本能でしか両腕を動かせない。

 兄に助けを求めるという発想すら浮かばない。

 どうすることもできないのだから、大人しく死を受け入れるしかない。

 否。軍人にできなくとも、ここにはもう一人の部外者がいる。

 彼女が仲間を見捨てるはずもなく、そもそも自身はそのために存在している。

 白い鎧は少々重たいが、その足取りを鈍らせることはない。

 これを発動させることで自分がどうなるのか、わかった上でためらいもなくその名を叫ぶ。


「ウォーシャウト!」


 唯一使える戦技。

 ネッテを救える最後の可能性。

 アジールが習得している、盾役としての誇り。

 これしかないのだから、迷うはずがない。

 盾役として、アジールがやれることはここまでだ。だからこそ、先のことなど考えず、今できることを実行する。


「無意味なことを」


 重厚な圧迫感が、リインの肌にヒシヒシと突き刺さる。

 こうなってしまっては大人しく従うしかなく、右手の握力は瞬く間に弱められ、潰されかけた細い首はようやく解放される。

 ネッテは咳き込むことすらできず、崩れ落ちるように倒れ込む。弱々しい呼吸が少量の空気を循環させるが、壊れかけた首が命を停止に向かわせる。

 その上に瀕死の軍人が捨てられる。

 もはや指一つ動かすこともできず、意識はほとんど消えかけている。心臓を傷つけられてもなお、いくらか生きていられたことが奇跡だ。

 この二人にはもはや興味もないのか、リインは介入してきたアジールに視線を向ける。このタイミングで邪魔されるとは思ってもおらず、だからと言って声を荒げたりはしない。

 赤い瞳は長身の冒険者を、正確にはその魔眼をじっと見つめ返す。

 リインをもってしても、特異なこの目については調べがついていない。

 魔眼。西の大陸では魔女の瞳とも呼ばれている。

 黒目の外周付近に赤い線が一本走っており、それが真円を描く。

 そういった外見的特徴だけに留まらず、この瞳を所有する人間は才能次第で戦技でもなければ魔法にも当てはまらない不思議な能力を身につける。

 五感の制御。アジールの場合、痛覚の遮断を可能とする。

 対象の魔法を解除。強化魔法や弱体魔法ないし状態異常を見るだけで打ち消せる。

 魔女の腕。実態を伴わない半透明な腕を出現させる。神の腕と呼称する者もいるが、これが何なのか、使用できる本人すらわかっていない。

 魔眼は女性に限定される。

 その理由はおろか、起源すら解明されておらず、手がかりは西の大陸にあるのだが、わずかな物資の輸出入以上を禁止されているため、この大陸に住まう内は謎のままだろう。

 ゆえにリインもわからない。

 古代人の遺跡には魔眼に関する記述は見当たらない。隠されているのか、彼らが滅びた後に発生したのか、リインは後者だと疑っているが、現状では確認のしようがない。

 この瞳を所有する女性はその時代に数人しかいないとさえ言われている。もちろん、トリストン大陸での話だが、この地に住まう人々にとってはこここそが世界なのだから、この言い回しは間違ってはいない。

 希少性の高さは僻地のモンスターや洞窟に隠された宝物以上だ。リインがそのような研究材料を見過ごすわけがない。

 ゆえに一度はアジールを生け捕りにしようとしたが、その後は執拗に狙っていない。

 その理由は、魔女の瞳を要する人物がもう一人いるからだ。

 ガーウィンス連邦国の国政を一手に司る頂点、神の名代だ。彼女もまた、その両目に特異な力を宿している。

 リインとこの女性は非常に近しい間柄だ。親しいわけではなく、言わば操り人形として、神の名代を巧みにコントロールしていた。

 彼女は魔法の宮殿に軟禁されている。国家元首として国をまとめあげるため、何より国民の心の支えとしてそこにいなければならない。

 だからこそ、リインは焦る必要がなかった。その気になればいつでも拉致できるという状況と安心感が、研究を先延ばしにさせる。

 さすがのリインも、国家元首を失踪させることがいかに厄介かはわきまえており、何より御しやすい彼女をそのままにしておくメリットを計算に入れ、その瞳には手を付けに今日までを過ごす。

 アジールの両目が手に入れば、それならなお良し。

 リインはそう考えるも、今は他にやらなければならないことがあるため、優先順位通りに行動する。

 人間の滅亡。主から言い渡されたこの指示を遂行するため、この女は自身の強化および手段の入手を最優先事項に繰り上げる。


「この戦技、つくづく意味がわからない。殺される順番を変えて何がしたいの?」

「守るため」


 リインにとって、ウォーシャウトやウォーボイスは単なる嫌がらせでしかない。人間の殺害順を強制的に変更されるのだから、つまらない上に意味を見いだせない。

 殺される順番が早いか遅いか。ただそれだけのことだ。


「そんなの無理。まだ生きてるようなら、あなたを殺した後にきちんと殺す」

「させない」


 リインにとって、アジールの返答はどうしても理解できない。

 盾役として正論をぶつけてはいるのだが、価値観が違い過ぎるため、会話が成り立つはずがない。


「わかってると思うけど、今からあなたは確実に殺す。そうして欲しいんでしょう?」

「覚悟はしてる」


 アジールにとって、戦技の使用は死を意味する。軍長ですら太刀打ちできない化け物に狙われるのだから、タフな盾役であろうと耐えられるはずがない。

 それでも使わねばならなかった。

 盾役とは、そういう人種だからだ。


「はあ……。理解できない。人間って本当に愚か」

「理解できないってことはあなたも案外賢くない」


 両者にとって、眼前の女は未知の存在だ。

 何をしたいのか。

 どうしてこんな行動をとるのか。

 何を考えているのか。

 わからない。わからないからこそ、どこか不気味に映る。


「話にならない。死んで」


 そして、リインは汚れきったワンピースをたなびかせていっきに加速する。アジールとの距離はそれほど離れてはおらず、戦技が届く距離だったのだから到着までに一秒もかからない。

 アジールがその動きに対応できるはずもなく、すなわち接近する黒い死を受け入れるしかない。

 速い。どれほど優れた動体視力を有していようと、その速度を目で追うことなど不可能だ。

 風よりも早く、射られた矢すら止まって見える。

 魔眼に映る光景は、赤い髪の女がそこからいなくなり、ネッテと軍人が重なって倒れこむ殺風景かつ悲惨な情景だ。

 リインは既にすぐそこまで来ている。前持って左手の盾を突き出してはいるが、この女から浴びせられる攻撃を凌げるわけもなく、つまりは防御も魔女の腕による反撃も間に合わない。

 どうあがこうと、運ばれてくる死からは逃れられない。

 ネッテを救うということはそういうことだ。

 ウォーシャウトを発動させたのだから当然だ。

 冒険者のパーティが全滅する場合、盾役もしくは後衛回復役から殺害されることが多い。

 モンスターの攻撃に最も長時間晒される盾役は、いかに重厚な防具で身を守ろうとじりじりと命を削られる。

 後衛回復役は、前衛と比べると非常に打たれ弱い。

 どちらもパーティには必須の存在だ。戦闘中にどちらかが欠けた場合、戦況はいっきに傾いてしまう。

 全滅。この二文字が足音を立てて歩み寄ってくる。

 攻撃役が戦闘不能に陥ったところで、盾役が防御と攻撃を兼ね備えれば良い。アジールには不可能だが、多くの盾役は両立できている。

 しかし、盾役ないし回復役を兼任できる冒険者などほとんどいない。いなくもないが、その数はほとんど無に等しい。

 イリックという例外はあくまでも例外だ。この少年はコネクトのおかげであらゆる立ち回りを可能とする。

 盾役をもこなせる他の分類。

 その一つが、前衛攻撃役のウォーリアだ。ウォーシャウトを習得してさえいれば、防御寄りの戦技を習得していない盾役と同等の価値を秘めている。

 もう一つが、後衛補助役だ。多くの強化魔法および弱体魔法を習得できるこの分類は、かなり特殊なやり方だがモンスターの注意を引き付けることができる。

 戦闘の長期化は避けられないが、弱体魔法の特性をきちんと理解している者なら、状況判断およびタスクの複数管理を求められるものの、モンスターに狙われ続けることが可能だ。

 回復役をこなせる分類は、単純な話だが回復魔法を使える連中だ。つまり、盾役と後衛補助役ということになる。

 盾役と回復役。どちらも替えがききづらく、パーティに一人ずつはいなければならない。

 どちらも課せられる責任は重く、戦闘中は誰よりも精神が磨耗する。

 アジールは盾役だ。一人ぼっちだった頃は、モンスターと一対一の戦いに明け暮れていたが、今は四人でパーティを組んでいる。

 責任感と状況把握能力には非常に長けている。だからこそ、手遅れかもしれないがネッテの延命に成功している。

 そして、その結果は自分の死だ。

 諦めるしかない。

 諦めたくない。

 相反する感情を抱きながら、しかし、助けを求めることはできない。

 無口だから。

 助ける側だから。

 そもそも間に合わないから。

 理由はどうあれ、受け入れるしかない。覚悟などっくに済んでいるのだから。


「これで終わり」

「終わらせない」


 生きながらえた理由は仲間がいてくれるからだ。

 つららのような何かが二本、突き進むリインの顔と腹部に突き刺さる。

 その勢いはすさまじく、前進はあっという間に阻止され、そのまま後方へ弾かれる。

 細い二本のそれは先端だけが凍りついていることから、決してつららではない。姿形は武器の一つ、槍そのものだ。穂先から漂う冷気はまさしく氷のそれだが、そこから後ろは固められた水色の液体で構成されている。

 役目を終えた二本の凶器はその形を維持できずに崩れるも、果たすべき役割は達成できたのだから上出来だ。

 リインの頭部は下顎から上をほとんど失う。エミリアに切断された時と近いが、今回は断面図が曲線を描いている。

 腹は黒いワンピースごと貫かれてしまった上、それを成した武器が消え去ったのだから、覗き込めば向こう側が見えてしまう。もっとも、内臓の類が垂れさがるため、それは不可能だ。

 一部の人間はこの魔法を知っている。

 氷の攻撃魔法アイスクルは氷の塊を生成し、相手にぶつける魔法だ。マジックポイントを消費して作り出される氷はここまで細くはなく、ゆえに類似品には違いないが、当てはまらない。

 何より、この魔法の根幹は水だ。凍っていた部位は穂先だけで、柄の部分は水で作られていた。

 そんなもので武器を作り出せる人間など、この大陸には彼女しかいない。

 新進気鋭の冒険者パーティとして、ひっそりと名声を高めている四人の一人。今日は深い紺色のタイトワンピースを色っぽく着こなしており、状況と場所が違っていれば、男達の視線を一手に集めていただろう。


「間に合ったけど……、どういう状況よ、これ……」


 慌てた様子のロニアだが、頭の良さが排除対象を即座に見極め、先ずは仲間の窮地を救ってみせる。

 肩で息をしている理由は、遠方からグラウンドの惨劇を目の当たりにしたためにそこそこの距離を全力で走ったからだ。いかに冒険者と言えども、本気で走れば息もあがってしまう。

 リインを負傷させた魔法はロニアのそれだ。しかし、従来のゲイルロドではない。

 ロニアは知能の高さを活かし、日々精進の術を模索している。自身の欲求である知的好奇心を満たすことも重要だが、イリック達と活動を続けるためには攻撃魔法に磨きをかけることが必須だと理解している。

 ゲイルロド。従来のこれは水柱を経由せずにいきなり槍を生成する攻撃魔法だ。

 水の塊をぶつけるスプラッシュよりも高い威力を実現しているが、それでもなお、物足りない。

 では、どうすれば良いのか?

 その答えは、イリックが提示してくれる。

 水以外の属性を織り交ぜることで、ロニアの魔法はさらなる次元に到達する。

 オムニシエンス。いずれは辿り着ける攻撃魔法の極致。同時に八本もの武器を作り出し、それぞれに火や闇といった属性を帯びさせることで、あらゆるモンスターへの対応を実現する。

 残念ながら、今のロニアにはそこまでの芸当は不可能だ。水の槍も一度に二本までしか作り出せない。

 それでも天才の領域なのだが、目指す先は遥か先だ。

 ロニアは水の魔法が得意な反面、それ以外の属性についてはひどく苦手という欠点がある。

 火を起こす。この程度の芸当ならもちろん可能だ。フレイムを習得している後衛攻撃役なら誰でもできることだが、実はとあることは決してできない。

 お湯の生成。水を沸かすのではなく、暖かい水を作り出すことはほぼほぼ不可能だと言われている。

 なぜなら、冷たい水に後から熱を加える行為と、ほかほかなお湯を生成する行為は全く別だからだ。

 蛇口の如く、水を垂れ流す行為は水魔法の延長だ。これですら、実は相当に難しい。水の攻撃魔法スプラッシュは塊を生み出す魔法ゆえ、水道のように継続した水を流す行為は似て非なる魔力操作を要求される。

 ましてやお湯を生み出すとなると、水の生成と同時に火の属性で温度を高めなければならない。

 すなわち、水属性と火属性の合わせ技だ。こんなことは誰にもできず、そもそもやろうと考えたこともない。

 お湯に関しては水を沸かせばいいのだから、時間はかかれど普通に作り出せる。つまり、安易に達成可能だ。

 ロニアはその手間を省くため、そしてできてしまうがため、指先から暖かい水を生み出すことに行き着く。

 だが、この特性を攻撃に転用しようとは思いつかず、イリックによって提示された自分の将来像から、新たな魔法の創造に踏み出す。

 リインを損壊させた今回の魔法もその一つだ。

 アイスジャベリン。先端を凍らせたことで硬度と威力が高まった水の槍は、魔法耐性が非常に高いリインすらもあっさりと貫いてみせる。

 だからと言って喜んでいる暇はない。

 相手は不老不死の化け物だ。時間は稼げても、倒すことは叶わない。


「これはやばいね~。私達、このまま死ぬんじゃない?」


 ロニアは一人でここに足を運んでいない。

 少し離れた後方には、白いカーディガンの上から黄色いエプロンを羽織る女性が驚いた表情を浮かべながら現れる。

 ロニア以上に大きな胸は歩く度に弾み、その柔らかさと大きさはエプロンの上からでも激しく自己主張している。

 白髪はだらしなく伸びており、ずり落ちた眼鏡など気にも留めず、淡々と第一声を述べる緊張感の無さは彼女のマイペースさそのものだ。

 リンダ。錬金術ギルドから早々に連れ出された結果、彼女は地獄のような戦場に辿り着いてしまう。

 だが、これも天の巡り合わせだ。二人が現れたことで、救われる命があるのだから。


「助かった。あそこにネッテがいる。回復を。早く」

「そんなやばいの!?」


 アジールが指差す方角には、うつ伏せの男が横たわっている。既にこと切れているため手遅れだが、下敷きになっている少女は別だ。

 ロニアは言われるがままに再度走り出し、足元に光り輝く水たまりを生み出す。

 後衛攻撃役でありながら、ついには回復魔法まで編み出した偉才は、水属性と光属性を

融合させた新魔法によって治療行為を試みる。

 ヒーリングカレント。水たまりはまるで生きているように、地面を這って前進する。即座に癒せない特性は欠点かもしれないが、そもそもこの魔法は常識を完全に覆す出来ゆえ、そのような側面を指摘する意味はない。


「私も加勢するよ。あの下にいるのがそうなんだね」


 リンダも少ない体力をおして続く。

 詠唱された魔法は、ロニアの水たまりを追い越して対象を白く輝かせる。キュアは狙った場所で即座に発動されるため、使い勝手は非常に高い。


「――で、あれはどうするの? あなた狙われてたけど」

「何も考えてない」


 ロニアとアジールが動かした視線の先では、倒れ込んでいた女がゆっくりと立ち上がってしまう。

 頭部も腹部もそのままだが、もはや誰もこの光景に驚きはしない。

 なお、アジールは冒険者として、この状況を切り抜ける方法を精一杯考えている。だが、相手が悪すぎるため、突破口はまだ見当たらない。

 考えていないのではなく、思いつかない。

 どちらにせよ、成す術はない。


「あれに対抗できるのはあんたらのリーダーだけだろ? ここにはいないのかい?」

「ギリギリまで釣り」

「そ、そうかい……」


 リンダは当然の疑問を投げかけるも、アジールの冷淡な返答にガクッとうなだれる。

 リインとの戦いにはイリックが必要だ。正確には、シンイに抗える人間でなければどうすることもできない。

 それがイリック達四人なのだが、実力とコネクトの保持がイリックを適任とする。

 だが、今は港で海釣りの真っ最中だ。

 そもそも約束の時刻、十時はまだ先なため、いないことが当然とも言える。

 逸るロニアに急かされ、時間前にも関わらず足を運んだ結果が、リインとの遭遇に繋がってしまう。


「ダッシュで連れて来た方がいいんじゃない? あんたらならすぐだろ?」

「……往復だと五分くらい?」


 リンダとしては、イリックの参戦を望まざるをえない。なぜかここにいる怪物はそれほどまでに異質な上、戦うためには専用のチケットが必要だ。

 アジールは顔の欠けた女から視線を外さず、自信のない返答を口にする。

 ここ、軍人用の区画はデフィアーク共和国で最も東に位置する低地だ。

 対して、定期船が行きかう港は海に面した西に存在する。

 徒歩の場合、片道二十分を要する距離だ。いかに冒険者と言えども往復となれば相応に時間はかかってしまう。

 イリックやネッテなら数分とかからず移動しきれてしまうが、アジールの走力を考慮すると往復時間はその倍以上はかかる。


「やる価値はあるね」

「わかった」

「私はか弱い後衛だからあなたに任せるわ」


 リンダは隣の長身にちらりと目を向ける。自分では到底不可能な数字を言ってのけたのだから、その役目は頼むしかない。

 大人しく頷くアジールへ、ロニアも飄々と言ってのける。筋力、体力共に常人とは比べものにならないほど高いが、やはり前衛に分類される冒険者には決して敵わない。

 ここに残る方がよっぽど危険だが、少なくともネッテを置いて逃げ出すことはできない。回復魔法での治療も最優先事項だ。


「誰もここから逃がさない」

「げ、すごいもん見せられたね……」


 リンダが怖気づくのも無理はない。顔の半分以上を失った女が、口を復元させると同時にしゃべりだしたのだから、それだけでも畏怖の念を抱かざるをえない。

 それだけに留まらず、じわじわと骨や肉、皮や眼球が再生する光景には眩暈を覚える。

 人間や動物はおろか、ほとんどのモンスターにもこのような芸当は不可能だ。

 どんな原理や仕組みがこの現象を可能とするのか、錬金術師としては興味を抱くが、対象が手に負えないばかりか非協力的な以上、その願望は諦めるしかない。


「あの男は見つけ次第殺す。あなた達はここで殺す」


 わかり易い死刑宣告が一同に突きつけられる。言われるまでもないが、強い意思表示はこの場の全員を少しだけ硬直させる。

 リインの実力は散々見せつけられており、周囲に転がる大量の死体が言葉に偽りがないことを物語っている。

 自分がいつ殺されるのか、それを心配しながらも、意味のない反撃を試みる。ここから先はそういう時間だ。


(ネッテちゃんはなんとかなりそうね。覆いかぶさってる男の人は……、手遅れか)


 ロニアはそっと視線を動かす。進ませた水たまりは魔力そのものなため、手応えのようなものを感じ取れる。

 すなわち、命の鼓動が感知できるか否か。

 ネッテは一命を取り留めたが、その上の軍人は死体のままだ。ゆえに、生死の判断はあっさりとつく。


「なんでこんなこと出来るんだい? 一つ教えてちょうだいよ」


 凍りついた空気を溶かすような、どこか間の抜けた調子で質問が投げかけられる。

 戦えないが回復魔法は使える。その魔力も決して低くはなく、傷の治療程度は十分可能だ。何より、ここに来てしまった以上、もはや部外者ではない。

 リンダは覚悟を決めつつ、時間稼ぎも兼ねて質疑応答を求める。わからないのだから本人に訊くしかなく、答えを得られるか殺されるかの二択に悠然と挑む。


「神のご意思だから」

「それはすごい。啓示はいつ降り立ったのさ」

「三百年以上昔」

「それってつまり、神の名代としてガーウィンスを仕切ってた頃かい?」

「あってる」

「ふ~ん……。ありがとう、よくわかったよ。つまり……」


 リンダは考えるように口をつぐむ。

 わかってしまった。

 この世界の仕組みがこのやり取りで一つ明らかになった。

 一瞬の静寂はその事実を整理し直す時間だ。稀代の錬金術師として、世界の理を今から提示する。


「――神様ってのはおとぎ話じゃなかったってことだ。しかも人間様を監視してるときたもんだ」


 リンダはそう確信する。

 ガーウィンス連邦国の祖は、人間離れした魔力を旗印に小さな集落をまとめあげ、終には国を建国する。

 続く二人目も優秀な魔力を有していたが、三人目以降は情報が伏せられたからか、そういった逸話が残っていない。

 二人目本人が神の存在を口にしたことで、リンダはとあることに気付けてしまう。

 神は間違いなく存在する、と。

 そして、昔から人間の営みに影響をもたらしている、と。

 リインの言い分を鵜呑みにしたからではない。タイミングと人選があまりに作為的だからだ。

 二代目、神の名代。

 高い魔力の持ち主ではあったが、先代ほどではなかった彼女の存在感は、ある日突然変異する。

 その理由は本人を除いて誰にもわからなかったが、リインはこの事実をこの場で打ち明ける。

 目的などないのもしれない。

 単なる気まぐれが続いてだけかもしれない。

 どちらにせよ、この事実がリンダに真実へ至らせる。

 神は間違いなく、そしてどこかにいる。

 だが、まだわからないことが一つ残っている。この時間を引き延ばすためにも、問いかけを継続する。


「もう一つだけ……、いいかい?」

「構わない」

「あんたに力を与えた神様は、男の方かい? それとも女?」


 この質問は想定してしなかったのか、表情を変えないリインからわずかに困惑の色が見て取れる。

 リンダの言う通り、伝承では二人の神が謳われている。

 男の神が植物や動物、昆虫を作り出し、ウルフィエナを彩った。

 その後、女の神が人間を生み出し、歴史が紡がれていく。

 男神と女神。神は二人いると考えられている。誰がどんな根拠の元、言いだしたのかはわからないが、遥か昔からそう言い伝えられている。

 では、リインに介入した神はどちらか?

 リンダはそれを知りたい。


「……どちらも」

「悪いがそれには同意できないね。二人もいるんだ、それぞれに役割があ……」


 言葉に力のないリインとは対照的に、リンダは豊満な胸を両腕で寄せて自分の予想を言い切ろうとする。

 この瞬間、彼女の頭の中でバラバラだった謎が一本の線で繋がる。

 二人の神はそれぞれに役割がある。

 単なる個人的な見解だったが、自身の実体験と目の前の化け物が突如として紐づいてしまう。

 わかってしまった。

 今度こそ、真相に気付けてしまった。


(そ、そういうことかい。すごいね、これは……)


 体は震え、脳は人生史上最も沸き立つ。

 二人の神。

 リインという超越者。

 そして、もう一つのピース。


「……何よ? もったいぶらないで早く言いなさいよ。こんなもやもやした気持ちのまま死にたくないわ」


 ロニアは責めるような視線を向けて、言葉の先を催促する。どうせこれから殺されるのなら、リンダが掴んだ真実を聞いてから死にたい。そう考える。


「あいつを倒すには、やっぱりイリックが必要ってことさ」


 この世界を裏で操る黒幕に辿り着けたからこそ、そう断言できる。

 リインほどの強者相手に、そしてシンイに抗えるという意味からも、ロニア達でさえイリックの協力が不可欠だとわかっているが、リンダは別の切り口で断言する。

 つまり、今回、舞台に上がらされた演者こそ、イリックとリイン、この二人ということになる。

 三百五十年に渡る人選ゆえ、実に神らしい。人間の寿命を越えた期間だが、神にとっては一瞬なのかもしれない。

 何より、片方は不老不死を達成している。相方が見つかるまで、いくらでも待つことは可能だ。


「つまらない。おしゃべりはこれで終わり。さぁ、死になさい」


 だが、今回は待たない。破壊された頭部と腹部は既に完治しているのだから、これから殺す人間といつまでも話を続けるつもりもない。


「はぁ、短い人生だったわ。あなたの話もつまんなかったし」

「生き延びることができたなら、この世界の仕組みを教えてあげるよ」

「本当でしょうね?」

「本当本当。まぁ、無理だろうけど」


 はぁ、と大きく息を吐きながらも、ロニアは冒険者として臨戦態勢へ移行する。抗ったところでどうにもならないとわかってはいるが、何もせずに殺されるつもりもない。

 リンダはもったいぶったことを悪びれることもなく、しかし、既にここから生きて帰れるとは思っていない。

 圧倒的な戦力差があることは、錬金術師であろうと見て取れる。周囲の死体とその不死性が、自分達に絶対的な死を突きつけている。


「私がウォーシャウトで引き付ける」

「頼もしいね~。安心なさい、すぐにあんたの後を追ってやるさ」


 アジールは盾役としての使命を貫くつもりだ。ただの時間稼ぎにしかならないことを重々承知しているものの、それしかできないのだから迷いなど生じない。

 リンダは小さく笑って張りつめた空気を和らげようとしたが、失敗だ。絶対的な死が歩み寄っているのだから、彼女達に余裕などない。


(イリック! 早く来なさいよ、もう!)


 ロニアの想いは届かない。距離が離れているからではなく、今は釣竿に神経を研ぎ澄ませている。

 普段なら問題ないが、釣りの最中だけは例外だ。

 趣味は人間を盲目にさせる。

 そして、周囲の雑音すらも時に遮断してしまう。

 ましてやそれが釣りとあらば、視野はいっきに狭まってしまう。

 ゆえにこの場は自分達で切り抜けなければならない。

 イリックが間に合ったとしても、今のリインを止めることなどできないのだから、そういう意味では可能性の芽を残せると喜ぶべきなのかもしれない。


「ふんがー! あ、ごめんなさい!」


 生気と元気を取り戻し、ネッテが鼻息荒く復活する。体を起こした拍子で、覆い被さっていた軍人がゴロンと転がってしまう。慌てながら死体に謝罪するも、当然ながら返答はない。

 この騒音が引き金となり、リインは舞踏会を再開させる。

 先ずは盾役のアジールを狙う。ウォーシャウトは何人たりとも縛る絶対的な拘束具だ。抗うことはできないのだから、最優先で殺す。

 少しだけ体を倒した前傾姿勢で、赤と黒の疾風はあらゆる速度を越えて突き進む。

 当然、アジールやロニア、そして軍人達にその動きを追い切れるはずもなく、迫り来る脅威に誰一人として反応できない。

 大人しく死を受け入れる。リインと出会ってしまった者の末路だ。

 シンイを寄せ付けないアジール達が殺されてしまえば、いよいよこの地は絶望に包まれる。

 それだけは阻止すべきだが、彼女達自身ではどうすることもできない。

 いかに冒険者と言えども、それこそ軍人であろうと、音速を超える化け物相手には手も足もでない。

 相手は人間を辞めている。

 ゆえに、人間ではどうすることもできない。

 圧倒的な力の前に、死以外の選択肢など掴みとれない。

 諦めるしかない。

 アジールやロニア、リンダの心境は本来ならば正しい。生物として、至極まっとうだ。言わば正常とも言える。

 だが、この国の軍人は諦めない。

 リインは人間を超えた化け物だ。

 それでもなお、命を引き換えに時間を稼いだ理由はこの時のためだ。

 同じ土俵で戦える戦力をぶつける。当然の帰結であり、正しい解答だ。

 人間を超えた人間。デフィアーク共和国の軍事力は伊達ではないことを、この男が証明してみせる。


「はえぇな」


 だが、追いつく。

 白銀の輝きと共に現れたそれは、純白の槍を背負うように右手で担ぎ、黒い殺意を右足だけで大きく払いのける。


(何?)


 リインは無防備だった体を蹴り飛ばされ、遥か遠方に建設された登り階段付近まで吹き飛ぶ。その階段を登った先こそ、国民で賑わう商店街や住宅街なのだから、本来なら非常事態だ。

 だが、リインの優先事項は軍人達の抹殺だ。それを承知しているからこそ、誰も慌てることなく、その男を眺める。


「これを……、あの女が一人でやったのか?」


 グレーの髪は随分と短く、顔立ちは女性好みの二枚目だ。筋肉隆々とは言い難く、それでも抜きんでた身体能力を軽鎧の内側に隠している。

 黒い薄手の布地で作られた軍服は、この男のためだけに用意された特注品だ。銀色の鎧も盾役が着込む重厚品と比べると面積が幾分少ない。

 右手が握る長い槍は先端だけが透き通るように青く、その部位以外は武器としては不釣合いなほどに純白だ。

 サリッサ。この男がまだ若かった頃、とある遺跡で亡霊のようなモンスターを退治した際に入手した一品物の槍だ。長身の所有者よりもさらに長く、普通なら扱いにくい部類の武器と言える。

 それを巧みに操るこの軍人こそ、第五陸軍の頂点に君臨する超人、マッカスだ。

 周囲の死体や肉片にはこの男も驚かずにはいられない。戦場と化した真っ赤なグラウンドは、足の踏み場もないほどに命の残骸で散らかっている。

 それらが同胞達の亡骸な以上、許容などできるはずがない。マッカスは静かに怒りを募らせていく。

 実行犯のリインは当然として、阻止できなかった己の無力さがただただ腹ただしい。

 挨拶代りの蹴りをおみまいすることはできたが、腹の虫は到底収まらない。鎮火するにはまだ早い。

 槍を握る拳に自然と力が宿る。

 全身を駆け巡る血流が加速する。

 体を撫でる風程度では、この男を冷ますことなどできない。

 軍人を代表して、マッカスが化け物退治に挑む。

 軍長七人の内、五人がこの国にいない。ゆえに、エミリアと自分で守り通さなければならない。

 そんな気概こそ原動力にすべきだが、今は怒りを胸に抱き、力に変える。

 マッカス対リイン。

 たった一人の女に引き起こされた大虐殺は、次の局面に推移する。


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