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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十八章 畏れよ、私を(Ⅰ)

 釣竿片手に少年は歩き出す。外はまだ薄暗く、背後の宿屋では多くの客人が夢を見ている最中だ。

 太陽はまだ顔を覗かせない。

 代わりに三日月がひっそりと浮かんでおり、ぽつぽつと漂う雲が月や星を時折隠す。

 人間が起きるには早い時間帯だ。耳を澄まそうと、日中のような喧騒は一切聞こえてこない。

 それでも少年は歩みを進める。左肩に背負っている古臭いマジックバッグには必要な道具が揃っており、逸る気持ちが釣竿を右手に握らせる。

 目的地はこの国の西側にある港区。夜と朝の境目は、魚達が活動を始める頃合いなため、運さえ悪くなければ望むだけの釣果が狙える。

 朝とも夜とも言えぬ独特な空気は、やんわりと非日常感を演出する。出歩く人の少なさも異質極まりない。

 石畳の大通りは怖いほど静かだ。国民が全員姿を消したのかと錯覚させられる。

 見慣れた道に胸躍らせながらも、少年は静かに足音を鳴らす。


(十時に集合だから……、ざっと五時間ってとこか。ありがたいありがたい)


 イリックの顔は自然とほころぶ。

 普段着も兼ねているピーコートは、朝陽を浴びずとも真紅の色艶を周囲に見せ付ける。観客はいないが、そもそも見せびらかすために着ているわけではない。

 約束の時間は午前十時。それまでは空き時間だ。

 つまりは今日も自由行動であり、嵐の谷から戻って以降、三連休ということになる。

 所持金が増えたことで全く問題ないが、冒険者にしては少々遊び過ぎかもしれない。

 時間の使い方は各自に委ねられており、イリックは釣竿片手に海を目指す。

 リーダーの趣味に興味のない三人は、一足先に軍区画へ向かう予定になっている。

 ネッテ達がそこでどう時間を潰すかまでは聞いておらず、イリックはたずねることなく自分の予定を伝えて昨晩は我先に就寝する。もちろん早起きのためであり、女性陣はその情熱を自分達に少しでもいいから向けろとぼやいたが、その願いは眠るリーダーには届かない。

 デフィアーク共和国はまだ眠っている。国民が起きなければ国も動かず、しかし、今はまだその時ではない。

 イリック同様早起きな人間も少なくはないが、大多数は日が昇ってから起床する。

 この静けさは、決して寂しさを伴っておらず、言ってしまえば祭りが始まる前の準備段階のようなものだ。

 一年中、決して例外なく騒がしい土地が三大大国であり、ここもその一つなのだから静かな時間は今だけと言える。

 階段を上り、真っ直ぐ歩き、左手の階段をまた上り、直進後に眼下の段差達を降りる。

 住宅街と商店街が立ち並ぶ中心街と、西に位置する港区は少々離れているため、道中はいくつもの階段を上り下りしなければならない。

 この国は山を削って建国されている。ゆえに段差が非常に多く、立体的な街並みはこの国の宿命だ。

 その外観は初めての訪問者を驚かせる。美しさと力強さ、そして技術力が垣間見えるのだから、内陸に住まう田舎の出身者はこぞってこの国に移住する。

 利便性の点からも、この国およびサウノ商業国とガーウィンス連邦国は内陸の村々を圧倒する。

 機械と魔力の力で動く機船は、人間の足ではおよそ出せない速度で海を猛進する。徒歩では何十日とかかる距離を、この船は一日そこらへで移動するのだから、物流は大きく進化し、三大大国に住んでいれば他国の名産品を存分に堪能できてしまう。

 定期船は次のルートで巡回する。

 サラミア港。

 デフィアーク共和国。

 サウノ商業国。

 フキン港。

 そう。スムルス平原の中央に位置するガーウィンス連邦国には直行便が存在しない。その役割はフキン港が請け負っており、届いた物資は専用の業者が数時間かけてせっせと運搬する。

 三大大国にはそれぞれの毛色や特徴が存在する。

 科学技術に長けたデフィアーク共和国。作物の育ちにくい乾いた土地で、国民達は鉱石を元手に加工技術を磨いている。

 商人の町、サウノ商業国。トリストン大陸の中央という強みはすさまじく、いくつかの出来事が集まり人口は急激に高まる。人が増えれば物の流れも加速し、それを嗅ぎつけて商人達は集まりだす。その循環が大国一の人口を実現する。

 自然と魔法を愛するガーウィンス連邦国。広大な土地と周囲の平原は人間に様々な恩恵をもたらしている。肉や野菜、果物には決して困らず、魚に至ってもフキン村の漁でまかなえる。

 どこで暮らすかは自由だが、冒険者が大事な一歩目を踏み出す場所はある程度絞られる。

 デフィアーク共和国かガーウィンス連邦国だ。

 残念ながらサウノ商業国は選べない。その理由は隣接する土地に住まうモンスターが異常に強く、ヒヨッコでは命がいくつあっても足りない。

 トリストン大陸には三大大国以外にも、いくつもの村々が点在している。

 例えば、デフィアーク共和国とサウノ商業国の中間地点には、テホト村とワシーキ村がひっそりと存在する。

 どちらも時代の流れに取り残されているが、村民達は変わらぬ時間の流れに身を委ねて人生を謳歌している。

 彼らからすれば、三大大国は騒がしいだけなのかもしれない。どちらにせよ、この大陸では人間が活気に満ちて暮らせている。

 邪魔するものは少なくなく、それらの討伐は軍人と冒険者の役割だ。

 モンスター。それらは生まれた瞬間から、本能にとある衝動を刻まれている。

 人間を殺したい。

 その欲求がそれらを突き動かしており、トリストン大陸だけでなく、他の大陸でも人間とモンスターは争い続けている。

 どちらが勝つのか。それはどちらにもわからない。

 負けるわけにはいかず、しかし、そんな気概とは裏腹に、モンスターがじわりと優勢だ。

 北東のシーブル大陸はほとんどがオークに支配されている。

 生き残った人々は選択を迫られ、二つの道を見出す。

 一つ。他の大陸に逃げる。トリストン大陸の人間達はもとはと言えばシーブル大陸の出身者だ。モンスターから逃げることは決して悪手ではなく、その先で戦いの準備を整えれば良いと三大大国が現在進行形で証明している。

 二つ。最後まで抵抗する。その結果は無残な死かもしれないが、実はシーブル大陸には生き残り達が今なおオークと戦い続けてる。そして、それに加勢する者もおり、オークはそんな彼らに手を焼いている。

 人間は戦わなければならない。

 この世界はどこまでも残酷だ。それを強いているのだから、平穏な日常を甘受するためには、誰かが血を流さなければならない。

 そのために軍人がいる。

 一方、冒険者はどちらかと言えば自分本位だ。彼らは己の欲求に突き動かされ、モンスターを殺める。

 金を稼ぐため。

 装備を買うため。

 モンスターを殺すため。

 宝を求めて。

 理由はどうあれ、その行為は人間の平和に繋がっている。

 軍人は祖国のため、そして国民のためにモンスターを狩ることから、人々からの信頼度は高い。寄せられる期待に答えるためにも、彼らは朝から晩まで鍛錬に励み、強くなることに精進する。

 モンスターを倒すためにも、自分達が生き延びるためにも必要不可欠なのだが、それを踏みにじり、あざ笑う者が現れた場合、彼らはどうするのか。

 そして、それが人間だった場合、その首をはねることができるのか。

 できない。そう、この国の軍人にはできない。

 相手が人間ゆえ、躊躇してしまうからではない。圧倒的な強さによってそれを阻止されてしまう。つまり、実力が足りない。

 始まってしまう。

 この国を未曾有の惨劇が襲ってしまう。

 それを止めることはできるのか。

 残念ながら不可能だ。相手は何もかもを超越しており、ただの人間では決して太刀打ちできない。

 だからと言って諦める必要もない。

 絶望と希望は隣り合わせであり、この世界は調和を重んじるよう作られている。

 男と女。

 人間とモンスター。

 光と闇。

 白と黒。

 対となるものが存在する。

 デフィアーク共和国に危機が訪れるのなら、そこに救いの手も差し伸べられる。

 イリックは鼻歌交じりに歩く。決して他人に聞かれるわけにはいかず、薄暗い静寂の中で足音だけを響かせながら、今はうれしそうに海を目指す。

 一方的な殺戮は、これから数時間後に起きてしまう。



 ◆



「おはようございます! お邪魔します!」

「あら、おはよう」


 客人ではあるが、その声は少々大き過ぎる。やかましいと言っても過言ではなく、しかし元気の良さは子供の特権ゆえ、誰にも叱られたりはしない。

 部屋の主は驚きながらも少しだけうれしそうだ。一児の母だが、突然現われた少女と自分の息子を重ねたりはしないものの、そのあどけなさはただただ微笑ましい。

 エミリアは読んでいた書類をそっと机に置き、椅子に腰掛けたまま二人の客人を歓迎する。

 一人は十五歳ながらも年齢より若く見えてしまう少女、ネッテだ。剛健な扉を開け、跳ねるように入室する。

 もう一人は付き人のように寄り添う長身の女性、アジール。訪れるには少々早い時間だが、ネッテのわがままを尊重してここに足を運んでいる。

 第二陸軍の根城とも呼べるこの建物は、他と比べると少々小柄だ。この部隊がそもそも少数精鋭なため、大所帯の第五陸軍と比べてばその規模は百分の一にも満たない。

 それでも重要な場所に変わりはなく、リンダとの口約束を守るため、二人は軍人とは異なる空気を醸し出しながら軍長の部屋に突入する。

 現在の時刻は朝の九時過ぎ。約束の時間は十時ゆえ、完全にフライングだが、自由な冒険者には単なる誤差でしかない。

 もちろんそんなことはなく、ネッテが暇を持て余した結果、鼻息荒く先行しただけだ。

 こういう時、アジールは暴走娘を止めない。そんな挙動もかわいらしいらしく、眼福だと楽しんでいる。

 樹木と金属が混ざったような匂いに鼻を刺激されながら、魔眼の持ち主は赤い軍服を来た年上の女性にその目を向ける。


「おはよう。リンダはまだ?」

「ああ。十時からだと聞いている。その頃に来るだろう。ゆっくしていってくれ」


 アジールは催促しているわけではない。念のため確認しただけであり、わかってはいたが、淡い期待を籠めてエミリアの顔を見つめてしまう。

 約束の時間、すなわち、マンイーターの調査結果に関する報告会は一時間後ということになる。


「ゆっくり! 何してよう!」

(何も決めずに来たのか……。イリックの妹らしいが……)


 ネッテは少しだけ興奮気味だ。第二陸軍で最も偉い人間の部屋は、ピリッとした空気を作り出している。家具の少なさがあまり広くないこの空間を大きく見せており、訪問客としては少しだけ落ち着かない。

 ネッテは走り出したい衝動を抑えながら、エミリアが背を向けている壁の窓にそっと歩み寄る。

 そこから見える風景は味気ないが、ここは軍人のための場所だ。決して繁華街ではない。

 いくつものグラウンドはきちんと整備されており、そこを走る何十もの軍人達は競うように汗を流している。

 別の空き地では、集団に囲まれた二人の男達が武器をぶつけあっている。喧嘩ではなく模擬戦なのだが、扱う剣は本物だ。

 肌色に近い砂が敷き詰められたここは、グフータ野同様本来は何もない荒地だったが、自国の民を守るため、今は軍人達が汗を流しながら己を鍛える場所と化している。


「エミリアは聞いてるの?」

「いや、まだだ。じらすように口外しなくてね。あいつらしいよ」


 アジールは楽しそうなネッテを眺めつつ、すっと視線を横にずらす。

 座ったままのエミリアは今回の主催者とは深い関係だが、肝心の中身については同様に聞かされていない。


「そう」


 なら話は終わりだ。アジールもまた、窓枠へ向かう。ネッテ同様、ここからどんな景色が見えるのか、それを確かめたい。

 イリック達はこの地で一ヶ月近くを鍛錬に費やしている。今ではすっかり思い出と化しているが、決して遠い出来事でもなく、兄妹ほどではないが、アジールも例外なく屈強な男達にしごかれている。

 ネッテと比べれば、アジールは随分と体が出来上がっている。その結果が百八十センチを目前とした長身であり、四肢は当然だが鎧で隠されている部分もしっかり筋肉をまとっている。腹は田の字に割れており、ネッテはこの腹筋を大層気に入っている。

 体力もあり、筋力もある。精神的にも決して弱くはなく、冒険者としてのキャリアも短くはない。

 一流とは呼べないが、数多くのモンスターを独りで倒してきた事実は胸を張るべきで、イリック達と縁を紡いでからも、その冷静さと盾役としての誇りが仲間達を何度も窮地から救っている。

 だからと言って、この兄妹には到底敵わない。

 イリックは独学と劣悪な装備での長い見回り時代をえて、優秀な戦士に成長する。

 ネッテはずば抜けた才覚だけでそんな兄に食い下がっており、少なくともアジール程度はあっさりと追い抜いている。

 そんな二人でさえ、この地での訓練には何度も音を上げるも、長身なこの冒険者は弱音を吐かずに最後までやり通す。

 ただ無口なだけだったのかもしれない。

 そもそもメニューが兄妹とは別だったことも関係しているが、それでもその根性は盾役として優秀な要素だ。

 自分達がしごかれたグラウンドを見下ろすために、アジールはネッテの隣に立って、窓から外を眺め始める。


「残りの二人はどうした?」

「お兄ちゃんはギリギリまで釣りするって~」

「ロニアは直接錬金術ギルドに向かうらしい」

「なるほど……。らしいと言えばらしいな」


 つまり、ロニアはリンダの元へ向かい、さっさと答えを聞き出そうという腹積もりだ。もう少し待てばいいだけなのだが、知的欲求に飢えている元教師は、こういうことでじらされることを好いておらず、約束の時刻は目前だが、それすらも待つことはできない。


「サラミア港で一緒に戦ったおじさんがいるよ~。一番前で走っている~」

「おじさん……」


 ネッテの声はうれしそうだ、大勢の軍人と知り合いになれたものの、その人物にはとりわけ親近感を抱いている。

 アジールはその単語を手がかりに視線を動かすも、残念ながらすぐには見つけられない。いかに魔眼と言えども、ネッテの視力には敵わない。

 一際広いグラウンドには、ずらっと並んで走る集団が縦の列を形成している。グルグルと走り続けているのだが、何周もすれば、やがて列は前後に伸びてしまう。

 その集団において先頭を走る男をネッテとアジールはよく知っている。後ろの男達よりも背が高く、全員が白いティーシャツと灰色のズボンを履いてはいるが、鋭い眼光は部下には真似できない力強さを秘めている。

 あの時は黒いヘルムと鎧をまとっていたが、今はランニング中ゆえ、そんなものは身に付けていない。

 角刈りの頭からは少しだけ汗がしたたっているものの、後続の男達はそれ以上に汗まみれだ。


「あぁ、ルーガーだな。知っての通り、優秀な兵士だ。ああやって、毎朝部下達と汗を流している」


 この部屋には窓が二つ設置されている。机を挟んで反対側から、エミリアもその人物を観察する。

 ルーガー。マッカス率いる第五陸軍に所属する将来を有望視されている実力派の男だ。分類は盾役であり、そういう意味ではアジールと同類なのだが、有力な戦技をいくつも習得しており、何より高い身体能力はこの大陸のあらゆるモンスターを圧倒している。

 サラミア港でネッテとアジールがリインに襲われた際、この男が駆けつけ加勢している。人間よりも巨大な火の玉を浴びせられるも、ミスリルソードであっさりと両断した剣技は化け物すらも驚かせる。


「あの人強いよね~。私、まだ勝てたことな~い」

「私も」


 ネッテとアジールは口を揃えてルーガーの強さを称える。

 軍人は、正確には人間という生物は三種類に分類できる。

 一つ目。モンスターに殺されるだけの無力な大多数。人間の九割はここに分類される。だからと言って恥じる必要はない。人間はそのように設計されており、ある意味これが正常だ。

 二つ目。モンスターとやりあえる絶対的な強者。残りの一割はここだ。長年の努力や類稀な才能が彼らをその領域に導いている。

 本来ならば、人間はこの二種類しかいないはずだった。だが、そうではないと逸脱した戦闘力が証明してしまう。

 すなわち、三つ目が存在する。

 風よりも速く駆け、巨大な岩はおろか大地や海すら切り裂く。

 作り出す炎は燃え盛る太陽のように恐ろしく、放たれる雷は上空で踊るそれと大差ない。

 一握りの一割は、既に選ばれし者達だ。それでもなお、モンスターとの戦いは熾烈を極め、一対一での戦闘を避ける傾向にある。

 有利な戦況を選び、複数人で一体の獲物を仕留めることは定石であり、一人で多数のモンスターと戦うことは愚の骨頂だ。

 だが、大挙して押し寄せる集団を、たった一人で殲滅せしめる愚か者が人間の中にいることも事実だ。モンスターが百を越えようと、その者達は悠然と立ち向かい、眼前の軍勢を破壊しつく。

 その戦力はあらゆる生物を超越しており、一割の人間はおろか、この世界で蠢くモンスターすらも寄せ付けない。

 彼らは超人と呼ばれている。極小数のこの者達がウルフィエナのパワーバランスを保っていると言っても過言ではない。

 そう。この世界からモンスターを殲滅するにはあまりに人数が少ない。身近な人々を守ることはできても、いくつもの大陸を股に駆けてあだなす存在を葬り去ることは決してできない。

 超人。デフィアーク共和国はそんな人間を七人保有している。全員が軍属であり、同時に軍長の地位に収まっている。

 そして、その候補が隊長達だ。ぞろぞろと縦に列を形成する男達の先頭を走るルーガーもまた、人間を越えかけている。


「二人は十分強いよ。もっとも、言わせてもらえば鍛錬が足りていないがな」

「う……」


 超人の一人、エミリアは左手を腰に添えながら、少し意地悪く笑う。

 ネッテはばつが悪そうに肩をすくませるが、心当たりがあるからであり、忠告通り反省しなければならない。

 だが、その若さがあらゆるものを許容する。

 十五歳。もうすぐ十六歳だが、それでもまだ子供の域を出ない。

 にも関わらず、この国の隊長クラスとある程度渡り合っているのだから、その成績はただただ驚愕だ。


「他人事のような顔をしているが、アジールにも言っているのだぞ?」

「わかってる」


 わかっている。アジールは無口だが、内側では様々なことを考えている。

 ネッテを愛でたい。

 ウォーシャウト以外の戦技を習得したい。

 ネッテを撫でたい。

 もっと強くなりたい。

 ネッテの体を舐めまわしたい。

 盾役としての引き出しを増やしたい。

 残念ながら、イリック達のパーティに加わったことで、若干知能指数が低下してしまったが、それでもなお、冒険者としての責務は果たそうとしている。

 盾役。東の国ではパラディンと呼ばれており、西の大陸では守護騎士と命名され重宝されている。

 どこであろうと、この役割はパーティに一人は必要だ。

 モンスターは案山子ではないのだから、必ず攻撃してくる。それを受け止め、仲間を庇う人物は集団戦においては欠かせない。

 だからと言ってハードルが高いわけではない。身を守るための防具は非常に高価ゆえ、そういう意味では誰でも務まるわけではない。

 その反面、とある側面が憂慮される。

 モンスターを倒せなくても良い。なぜなら、その仕事は他の仲間が達成してくれるからだ。

 盾役自身も攻撃面で貢献できればなお素晴らしいが、それよりも自身の仕事を果たすことを最優先とすべきであり、そういう意味ではシンプルなのかもしれない。

 アジールはウォーシャウトしか扱えない。ゆえに盾役としては不甲斐ないが、この戦技を最大限有効活用していることは間違いない。

 対象を十秒間、問答無用で縛れるのだから、あらゆる局面で戦況に変化をもたらすことができてしまう。

 その上、このパーティには優秀な仲間が揃っている。

 ネッテは機動力を活かし、相手を翻弄しつつもリズムを崩すことなく戦い続けることが可能だ。

 ロニアは高い知能と魔力を持ち合わせており、自ら編み出した攻撃魔法でモンスターを貫くばかりか、今ではリーダーに武器すらも提供している。

 そして、イリックが最たる存在だ。冒険者としての経歴は浅いが、故郷のギルド会館で日々情報収集を行っていたことから、多様な戦法を知り尽くしている。

 何より、特異な魔法がこの男をどこまでも成長させており、仲間に頼らずとも一人で戦況を覆すことが可能だ。

 アジールは盾役としては申し分ないが、一方で他に秀でたものを持ち合わせてはいない。強いてあげるなら魔眼だが、これもスパイスでしかない。

 イリックとしては、現状のアジールにこれ以上の成果を求めたりはしない。諦めているのではなく、今の実力を受け入れた上で作戦を立案すればよいと捉えている。

 それでも成長は必要だ。アジール自身が攻撃面で貢献できればそれに越したことはなく、その結果がイリック達を救うことに繋がるかもしれない。

 そういう意味もこめて、エミリアは母親のように忠告する。

 無論、言われるまでもなく本人が一番理解している。焦っても何も変わらないこともわかっており、果報は寝て待て、ではないが、うれしい誤算が彼女の戦力を向上させる。


「鎧もらえたし、パワーアップできたよね~」

「うん」

「それはなによりだ」


 ネッテは満面の笑みで隣を見上げ、アジールは表情を変えずに頷く。

 盾役は防具の頑丈さがそのまま強さに直結する。多くの冒険者はスチール製の鎧で満足せざるをえないが、その上がないわけではない。

 ミスリル。

 ダーク。

 アダマン。

 これらは非常に稀有なため、いっぱしの冒険者には縁のない世界だ。そもそもスチール製の装備ですら十分高級なのだから、ミスリル以上の装備を手にできる者は極小数の金持ちだけと言える。

 ここは軍区画ということから、アジールは昨日受け取ったミスリルアーマーを着ている。

 ミスリル製のこれは銀色に輝いており、重厚な作りはまとう者をどんな攻撃からも守ってくれる。その分重くなってしまうが、それ以上の恩恵を受けられるため、アジールは盾役として完全に復権したことになる。


「本当に助かった。何か恩返ししないと」

「まぁ、気にするな。君達の働きを省みれば、不足しているくらいだ。それこそ、テレポートでの送り迎えに対してもその都度賃金を支払いたいくらいさ。経費清算が面倒だから勘弁してもらいたいが……」


 アジールの言葉を受け、エミリアは正直な気持ちを打ち明ける。

 この四人はデフィアーク共和国に対して何度も貢献している。それに対する支払いが足りていないことを打ち明けるが、予算には限りがあり、それは軍隊と言えども例外ではない。

 ゆえに今回は物資を提供する。

 ミスリルアーマーはそのほとんどをミスリル鉱石で構成されている。購入金額は一般庶民からすればありえないほど高い。

 五十二万ゴールド。すなわち、この鎧二つで家が買えてしまう。冒険者や軍人はそんなもので武装せねばならず、戦う相手がそれほどに手ごわいのだから必要不可欠の出費だ。


「便利な魔法だよね~。この前もウェイクさんを運んだって言ってたよ。どこだっけ?」

「ワシーキ村だな。増えすぎたモンスターの動向を探るため、第三陸軍には少々働いてもらっている。帰りも頼むことになるだろう。片道五日以上の陸路はやはり不便極まりなくてな」

「その距離を一瞬!」


 ネッテはキャハハを笑い、味気ない部屋が一層華やかに彩られる。

 デフィアーク共和国とサウノ商業国の中間に位置するワシーキ村までは、グフータ野とマンルルス盆地を越えなければならない。

 カルック高原の南東で栄えるその村は、内陸の人里においては最も人口が多く、先の件でモンスターが増えたことから、デフィアーク共和国の軍人達が昼夜目を光らせている。

 ウェイクは現在、数人の部下を引き連れ、長期出張中の身だ。軍人ゆえ、決して珍しいことではないが、その期間は転送魔法のおかげで半分に短縮される。

 ありがたい。テレポートに身を委ねた者達は、例外なく感謝の言葉を発する。

 冒険者としては、それだけで十分なのかもしれない。己の欲求のまま生きる彼らだが、自身の行動が人助けに繋がるのなら、それだけで活力がみなぎってしまう。


「余り口外することではないが……、実はウェイク以外のもう四人の軍長も今はいないんだ。今日戻る予定だが、彼らの移動もイリックに頼るべきだったかもしれないな」

(四人……。第一、第四、後は海軍か)


 エミリアがこぼした発言を、アジールは正確に理解する。

 デフィアーク共和国の軍隊は、五つの陸軍と二つの海軍で構成される。つまり、それらを取りまとめる軍長は七人いることになるのだが、今日現在、この地には二人しかいないことになる。

 第二陸軍軍長エミリア。

 第五陸軍軍長マッカス。

 もちろん、軍長および配下の者がいないだけで、数え切れないほどの軍人達が待機しているのだから、不安がる必要など一切ないはずだ。

 それでもなお、エミリアは言葉には言い表せない何かを感じている。


「私会ったことあるかな~?」

「さすがに手合わせはしていないはずだが、何度か挨拶くらいは交わしたはずだ。ジャイアントほどじゃないが大きなおっさんがいたろう? 彼もその一人だ」

「いたいた! 頭のてっぺんがツルツルの筋肉おじさん!」

「ああ、正解だ」


 そしてネッテとエミリアは楽しそうに笑い出す。本人を前にしてはできない話題だが、それゆえにおもしろくて仕方ない。

 軍長はこの国の象徴とも呼べる偉人だが、彼女達からすれば笑いの種でしかない。


(確かにすごい迫力だった。ん?)


 アジールは窓の外を眺めたまま、少しだけ別の場所に視線を動かす。ただただ広い敷地にはいくつものグラウンドが設けられており、グルグルと外周を走る集団は一つや二つだけではない。

 その中の一つが、赤円を宿した瞳を釘付けにする。

 緑色の髪は以前よりも短く、ポニーテールだった面影はもうない。

 身長は低くはないが高くもなく、控えめな胸をわずかに振動させながら、一生懸命走っている。

 前を走る女性二人に追いつくことはできないが、それでもその姿は聞いていた話とは一致しない。

 ゆえにアジールは驚く。女性でありながらだらしなく大口を開き、白いティーシャツと茶色いだぼっとしたズボンでランニングに励むこの少女とは面識がある。


「スルフィがいる」

「え! どこどこ?」

「あそこ」


 アジールのつぶやきに驚いたのか、ネッテはエミリアから窓の外へさっと向き直し、綺麗な指が指し示す方角をじっと見つめる。

 柵で囲まれたグラウンドには大勢の男達が立っており、その中心では二人の男が戦っている。

 その集団の隣では三人の女性が一列を成して走っている。地面に描かれた大きな円をなぞるように駆けており、前を行く二人に関しては顔も名前もわからないが、最後尾の少女だけは別だ。

 ネッテは知っている。アジールだけの知人ではなく、決して親しくはなかったが、それでもその顔を見れたことはただただ喜ばしい。


「いた! 軍人さんになったの!?」

「ああ、私の部隊に勧誘した。そういえば言ってなかったな」


 ネッテの表情はころころと変化するが、エミリアは対照的に落ち着いたままだ。二人同様、窓から外を眺め、苦しそうな表情ながらも走ることを止めない部下を誇らしそうに見下ろす。


「体、ボロボロだったんじゃ?」

「医師もそう判断していたな。だが……、もったいないだろう? おまえ達とは違い、戦技を八個も習得しているんだ。才能もお墨付きな以上、勧誘しない道理もない」


 アジールの疑問は当然だ。マンイーターを取り上げられた結果、否、そうでなかろうと、スルフィの体は既に崩壊を始めていた。短期間での強制的な成長が肉体を激しく痛めつけ、ついには走ることを含む些細な運動すらできない体に成り下がる。

 少なくともイリック達はそう聞かされていた。歴代のマンイーター所有者がそうであったのだから疑いの余地などないはずだ。

 しかし、この光景がそれを否定する。

 スルフィは健気に走っており、前を走る二人の先輩にはズルズルと離されているが、追いすがろうという気概までは失っていない。口を大きく開いて酸素を吸い込んではいるが、残念ながら推進力までは得られない。


「ほほう。八個も……。すごいですなすごいですな」


 デュアリズムしか習得していない少女はさらに驚かされる。スルフィがいくつもの戦技を使いこなす強敵だったことは記憶しているが、その数までは聞かされておらず、ゆえにエミリアの発言には素直に驚嘆の声をあげる。


「体が衰えたのなら、鍛えなおせばいい。それだけのことだ。毎日、朝から晩まで……、とはいかないようだが、休み休みでも走りこめば、いつかはまたおまえ達にも勝てるだろう。ふふ、冗談だ」

(笑えない)


 言い終え、エミリアは小さく笑うが、アジールは殺されかけた以上、無表情を貫くことしかできない。

 三人がかりでも倒せなかったスルフィが、今は一からスタートしている。戦技に関しては習得したままゆえ、そういう意味では振り出しに戻ったわけではないが、身体能力という点においては大きく後退してしまう。

 エミリアのおかげで第二陸軍に入隊できた以上、この少女は新たな地で歩き出さなければならない。

 今は鬼のような上官のせいで走りこみをさせられているが、エミリアのスパルタ教育は今に始まったわけではない。

 その成果がウェイクとマッカスだが、二人は感謝しつつも厳しい教育が原因で未だにエミリアを当時の肩書き、すなわち隊長と呼んで恐れおののいている。


「今では一日二十キロ程度は走れるようだ。このペースなら、近い内にグフータ野のモンスターにも勝てるだろう」

「戦技使えば普通に倒せると思う」

「確かに、そうかもしれないな」


 エミリアとアジールは、草色の短い髪をそれぞれの感情を抱きながら見定める。

 ネレネン王国から連れてこられて、既に一ヶ月以上が経過している。この土地の空気にも馴染めた頃合いだが、彼女は異国では独りぼっちの存在だ。

 祖国では唯一の肉親だった父親を失い、自らも呪われた短剣によって健常な体を奪われてしまう。

 生きる術と場所を取り上げられたのだから、この少女は生きることを諦めるしかなかったのだが、イリックとエミリアによって新たな居場所を提供される。

 デフィアーク共和国。

 第二陸軍。

 全てを失ったスルフィは、遠い西の大陸で新たな人生をスタートする。

 上官の教育方針は少々厳しいが、恩を返すためにも、罪を償うためにも、長い髪をばっさりと切り落としたこの少女は前だけを向いて走り続ける。


「私もいっぱいの戦技使いたいな~」

「同じく」


 ネッテは唇を尖らせ、窓越しに青空を見上げる。澄み切った水色にはところどころに白い綿菓子が浮いており、美味しそうだが残念ながら手が届かない。

 ネッテは攻撃を二重化させるデュアリズムを。

 アジールは相手の攻撃対象を自分に強制させるウォーシャウトを。

 それぞれ重宝される戦技を習得しているが、その数はいかんともし難い。


「ウェイクもウォーシャウトだけでのし上がったんだ。嘆く必要もあるまい。私が言っても説得力はないかもしれないが……」


 エミリアは後衛補助役だ。ゆえに戦技ではなく魔法を多く習得している。

 モンスターを弱らせ戦闘力を低下させる弱体魔法。

 自身の能力を高め、戦闘を優位に運ぶ強化魔法。

 それらをバランス良く使いこなせる上、人間を逸脱した身体能力まで備えているのだから、鬼に金棒だ。

 大きな棍棒を持ったジャイアントの亜種、ヘカトンケイルとの戦闘では遅れをとったが、精鋭の軍人達が粉々にされてもなお、自身は軽症で戦いをくぐり抜けたのだから、強靭な肉体は人間の規格を遥かに凌駕している。


「ウェイクさんと比べられてもね~」

「ね~」


 冒険者の二人からしても、この男は規格外だ。ありとあらゆる能力がずば抜けており、エミリアやイリックでさえ、太刀打ちできない。

 渡り合える男はマッカスないしそれ以外の軍長くらいだ。


「おまえ達は四人一組だ。足りないものは互いに補えばいい。パーティとはそういうものだろう?」


 エミリアの言う通り、冒険者は通常六人単位で徒党を組み、モンスターに立ち向かう。

 盾役。

 攻撃役。

 補助役。

 回復役。

 内訳はケースバイケースだが、ほとんどの状況においてこの四種を集めてから困難に立ち向かう。

 盾役だけでは攻撃力と回復能力が不足している。

 攻撃役はまさに攻撃一辺倒だ。

 補助役には決定力がなく、縁の下の力持ちに徹するしかない。

 回復役は仲間の傷を癒すことだけに注力すれば良い。

 一人一人の仕事は限られているが、全員が己の役目をきちんとこなせば、結果は自ずとついてくる。

 パーティとはそういうものだ。人間がこの世界で生き延びるために編み出した発明とも言える。

 モンスターは手ごわく、人間はか弱い。

 冒険者や軍人と言えども、一人では手も足も出ない強敵がこの世界には蔓延っている。

 超人のような例外も存在するが、例外は例外だ。絶対数が圧倒的に少なく、戦力としてはカウントできない。

 それでも彼らは逃げ出さない。諦めない。

 冒険者。

 金を稼ぐため。

 世界を旅するため。

 モンスターを倒すため。

 動機は個人個人でバラバラだが、戦えない人間からすればモンスターを退治してくれる善行者だ。

 本人達にはそんな気はなく、自分達の欲求を満たすためだけに行動している者が大半なのだが、それでもモンスターを倒していることに変わりはない。

 それでいい。

 冒険者はそういう人種だ。

 自由を求め、道を踏み外した連中なのだから、今更人間らしい生き方に戻れるはずがない。

 イリック。

 ネッテ。

 アジール。

 ロニア。

 この四人も普通の人間と比較すれば、思考のどこかが壊れている。

 異常者かもしれないし、少しだけ闘争本能が昂ぶっているだけなのかもしれない。

 どちらにせよ、このパーティは今後も四人で旅をする。

 作戦の立案および万能な戦闘を可能とするリーダー。

 料理と接近戦と得意とする妹。

 盾役としての心構えと魔眼を兼ね備えた無口な女性。

 高い知能と魔力で仲間を支える元教師。

 不思議な四人組は結成してまだ一年経っていない。

 一方で、もうすぐ一年とも言える。

 長かったのか、あっという間だったのか、それはエミリアとしても訊いてみたい話題だが、今はそれよりも気になることがある。


(――先ほどから何なんだ? この……、息苦しい圧迫感は?)


 女の勘が囁いている。今すぐ逃げろ、と。

 この部屋には他に二人の女性がいるが、気づけているのはエミリアだけだ。軍人としての経験がそうさせるのか、それともネッテ達が鈍感なだけか、それは三人にもわからない。

 楽しそうな冒険者二人は窓から見える景色に飽きたのか、向かいあって互いに乳繰り合っている。わいのわいのと新たな話題で盛り上がっており、言うなれば平常運転だ。

 そんな喧騒に耳を貸さず、エミリアは拭えない気持ち悪さを胸に秘めたまま、何かを探すように窓枠から外を見渡す。

 そこには見慣れた景色が広がっている。地面は一面を薄い茶色に塗られており、粒の小さな砂が敷き詰められている証拠だ。

 男達はむさ苦しさを振りまきながらも精進に努めており、極わずかな女達もそれは同じだ。

 ぽつぽつと並ぶ建物は味気なく、強固な作りには違いないが、見惚れるようなことはない。

 いつも通りの風景だ。エミリアでさえ、そう思い違いをする。

 あまりに些細な異物が、ひっそりとそこに存在している。

 青い炎と赤い女。

 味気ないこの場所において、これらは邪悪なまで目立っている。

 青い炎は何を燃やしている? 同胞達だ。

 赤い女は何をしている? 考えるまでもない。殺人だ。

 状況を理解したことで、エミリアの頭に激しい衝撃が加わる。同時に胸騒ぎの正体にも気づくことができたが、今は何も考えられない。

 知っている。この女を知っている。

 赤い髪はどこまでも長く、黒いワンピースは長いスカートを少しだけ揺らしている。

 赤い瞳は新たな獲物を物色している。

 周囲に漂う青い火の玉はその数だけ命を燃やそうとしている。

 軍人達は思い知る。自分達はモンスターを倒す側の人間だが、今回ばかりは倒される立場だと。

 二度目の休眠から覚醒したこの女は、遂に動き始める。

 これは戦いではない。一方的な殺戮ショーだ。

 まとう魔力はただただ異質であり、放たれる炎は強靭な肉体を持つ軍人といえども例外なく燃やし尽くす。


「くぅ!」


 エミリアは駆ける。部屋の隅に置いてある突剣を拾い上げ、開けた窓からいっきに飛び降りる。

 これ以上の被害を出さないため。

 探していた女を殺すため。

 自分にできることを成し遂げるため、今はひたすらに急ぐ。

 空はいつも通りに澄んでおり、西や南からは塩気を含む風が吹き込む。

 軍人達は汗をかき、いつも通りの一日を終えるはずだった。

 しかし、そうはならない。今日はデフィアーク共和国にとって最悪の一日となる。

 その原因はたった一人の人間だ。否、もはや人間とは呼べない。

 思考も、魔力も、そして身体能力でさえ、人間を超越している。

 この地に現われた化け物は、己の目的と使命のために目の前の軍人達と淡々と殺す。

 そうすることが可能であり、何よりそうすることが存在理由だからだ。

 後に、蒼赤の死闘と語り継がれるこの虐殺は、なんの前触れもなく始まってしまう。



 ◆



 ギィと乾いた音が鳴り響く。

 埃が積もる無人の小屋で、その音が住民の存在を肯定する。

 その女はゆっくりと、それでいて静かに上半身を起こす。真っ赤な長髪は木の床に垂れたままだが、そんなことを気にする素振りは一切見せない。

 偶然なのか過去のリズムがそうさせるのか、またも目覚めたタイミングは眩しいほどの朝だ。隙間だらけのぼろぼろな小屋の内部には、太陽から降り注ぐ陽射しが何本も差し込んでいる。

 規則正しい生活を過ごしてはいないが、体の奥底に染みついた以前の習慣はまだ消え去ってはいない。

 そういう意味では、この女はまだ人間なのかもしれない。

 だが、内側でうねる魔力は完全に人外のそれだ。

 無色の魔力は誰のもの?

 黒い魔力は誰のもの?

 灰色の魔力は誰のもの?

 リインは知っている。

 色の無い魔力は自分自身だ。人間なら誰もが内に秘めるこれは、魔法を扱う者にとっては命綱と言える。

 黒い魔力は天の恵みだ。人知を超越したこれは、まさしくこの世を総べる力そのものと言える。

 灰色の魔力もまた、魔法の根幹を成す絶対的な力だ。二人の男には相応しくない。リインは自分にこそ保有する資格があると自負している。

 二度目の長期睡眠がどれほどの時間を経過させたのか、今すぐにはわからない。永遠を生きる彼女には些末な問題ゆえ、確認作業は後回しでも十分だ。

 一度目の眠りにより、この女は奪った力に適合してみせる。その成果が肉体の急成長と魔力の変化だ。身長は頭一つ分以上も伸びており、呼応するように身体能力も高まる。

 魔力に至ってはそれ以上だ。単純な魔力値はたいして増してはいないが、質が大きく移ろっている。

 人間を捨て去り、神の領域へ。

 そう。この女はついに人間を凌駕する。不老不死を達成した時点でそうとも言えるが、こんなものは単なる発明でしかなく、真の超越はまさにこの瞬間だ。

 魔力の質が神に近づいたことでどういったことが可能になるのか。

 それは、既存の魔法に縛られず、自身の思い描いた通りに魔力を具現化できるということだ。

 言い換えるなら、魔力制御が大きく向上したに等しく、そもそも魔力制御という概念が、魔法の生みの親にどれほど近づけているかの指数ゆえに当然だ。

 リインは三百年以上昔に、神から指名され、代行者として認められている。その際は誰も知りえぬ様々な知識と膨大な魔力を贈られたが、今回のコネクト奪取はそれに匹敵する。

 一度目の変化では同時に精神を浸食されたが、二度目に関しては肉体に影響を及ぼす。

 人類の抹殺。その信念は変わらず、破壊兵器に頼らずとも成し遂げられてしまいそうな力をついに手に入れてしまう。

 もちろん、そんなことは不可能だ。ウルフィエナは広い。どこまでも続くこの世界において、人間を超えた超人の数は一人や二人ではない。

 彼らがおめおめと殺されるはずもなく、人間をひれ伏せるシンイを用いれば無力化できなくもないが、そういう意味ではもっと身近に敵がいる。

 イリックおよびその仲間達。

 この四人は神の力に怯まない。耐性が備わっており、コネクトという奇跡がそれを実現している。

 だが、もはやこの四人は眼中にない。シンイを使わずとも簡単に始末できる雑魚だからだ。

 手足がいっきに伸びたこの体なら、もはや後れをとることはない。

 心理に近づいた魔力が容赦なく燃やし尽くせる。

 だが、前回がそうだったように、まだ万全の状態ではないかもしれない。先ずは自身についての把握から始めなければならない。

 ゆえに立ち上がる。

 リインは薄暗い空き家で一人、背筋を伸ばして前だけを見据える。

 体の調子はすこぶる良い。冬眠のように一週間近くもぐっすり眠ったことで、脳と体が馴染んだからだ。

 自然と唇が吊り上る。元来、リインは無表情な方だが、今は湧き上がる喜びを抑えきれない。

 それでも油断は禁物だと自覚している。一方で、己の強さを確認したいという欲求も頭から離れない。

 神からの贈り物が融合したことで、自分がどこまで近づけたのか、今は知りたくて仕方ない。

 では、どうする?

 簡単だ。人間相手に試せばいい。

 行先の候補はいくつもあるが、リインはその中から一つを選び取る。無意識の選択だと自覚しているが、実はそうではない。

 そんなことはこれから起こる大虐殺に関係なく、隙間だらけの屋根から差し込む鬱陶しい光に晒されながらも、リインはその魔法を詠唱する。

 無人の港で誰にも見送られることなく、黒いワンピース姿は音もなく立ち去る。

 目的地はトリストン大陸の南西。

 技術大国、デフィアーク共和国。

 荒野と山脈を切り開いて作られた、海沿いの大国だ。


「さぁ、踊りなさい」


 リインが使える転移魔法、テレポートレムはイリックの魔法とは少々毛色が異なる。元来の性能に近く、すなわち条件を満たす場所へのみ移動が可能だ。

 だが、今は全く別の魔法に昇華されている。思い描いた場所へ、ほとんど誤差なく到着できてしまう。

 だからこそ、血の色をした髪を背中で揺らしながら、この地に立てている。

 遥か後方には、石造りの登り階段が隣の区画まで山のように連なっている。これを登り切れば国民が集う住宅街と商店街に辿り着けるが、この女の目的地は目の前の広大な敷地だ。

 殺風景なここは軍用の施設と平たい地面の二種類で構成されている。軍人達が集う場所なのだから、華やかにする必要もない。

 リインがデフィアーク共和国へ赴いた理由はシンプルだ。自身がどこまで強くなれたのか、それを確認するためであり、これから行う殺戮はただの挨拶代わりだ。

 こぶし大の青い炎が彼女の周囲にいくつも発生する。

 赤くない炎は珍しいがゆえに、何も知らない人間からすれば不思議な芸に見えてしまうかもしれない。

 だが、この魔法は彼女の殺意そのものだ。十個のそれらは冷たい合図で一斉に発射されてしまう。

 一際大きなグラウンドを走る男達は、決して遅くはない速度でランニングに励んでいる。既に何十週も走っているのか、息を切らしている者も多く、先頭集団は後続の事情を顧みずにペースを維持するため、三十人以上の塊は徐々に縦へ引き伸ばされていく。

 上半身は白いティーシャツのみを着ているため、汗のせいで背中の肌色が透けている。灰色のズボンは彼らが第五陸軍に所属している証であり、先頭の男は一つの部隊をまとめあげる隊長だ。

 その集団へ、蒼い殺意が撃ち込まれる。

 何が起きたのか。

 なぜ、こんなことになったのか。

 何も理解できぬまま、瞬く間に無作為に選ばれた十人が青々と焼かれてしまう。

 彼らはただの人間ではない。国に忠義を尽くし、己を鍛え続ける兵士達だ。

 モンスターにすら劣らない肉体の持ち主を、リインの魔法は十秒もかからず灰に変える。

 響いた叫び声はあっという間に消え去り、人間の形は一切残らない。

 焼かれながらも方角を見極め、犯人を特定した者もいたが、同胞達に伝えることもままならず、炎と一緒に消滅する。

 ある者は前のめりに倒れ、二度と立ち上がらずに燃え尽きる。

 別の若者はまとわりつく青い火を振り払おうとするも、願い叶わず膝から崩れ落ちる。

 唯一の紅一点は倒れ込み、地面を何度か転がりながら力なく停止する。

 長身の男は目の前の仲間に手を伸ばすも、人としての形を失う。

 リインにとっては最高の眺めだ。十通りの死の舞踊を堪能できたのだから、本来の目的を忘れて魅入ってしまう。

 無意識に次の炎達を呼び出してしまうが、この行為は目論見としては正しい。

 自分を敵と認識させるため、手始めに小さな炎達を一斉射したが、次弾の装填は軍人にとって戦闘開始のゴングだ。

 生き残った男達から様々な声を投げかけられるも、リインは気にも留めず新たな弾丸を撃ち込む。

 燐火。決して大きくはないそれらは、一度に最大二十個まで生成可能だ。

 そもそもここへは、人間を殲滅するために訪れたわけではない。己の成長具合を実践で確かめるためだ。

 ゆえに、青い炎で獲物を不必要に間引く行為は悪手でしかない。

 それでも、十人二十人程度なら問題ない。この地には軍人が大量に溢れている。空地のようなわびしいグラウンド地帯だけを見ても、百人を越える男や女がざわついている。

 二度目の魔法を詠唱してしまったのだから、今更引っ込める方が面倒極まりない。リインは人間の死にざまを見たいがために、虫を踏みつぶすような心境で周囲の炎達を前進させる。

 残念ながら、居合わせた第五陸軍の面々では太刀打ちできない。朝の走りこみ中だったため、防具はおろか武器すら持ち合わせてはいない。ティーシャツ姿でどうこうできる相手ではなく、雨のように迫り来る地獄の炎をただ受け入れるしかない。


「おまえがぁ!」


 それをよしとしない男がいる。当然だ。これ以上、部下達をむざむざと死なせるわけにはいかない。

 短髪の黒髪と鋭い目つきは隊長としての誇りを醸し出しており、自身が素手であろうと抗うことを諦めたりはしない。

 怒りと悲しみを動力源として、この男、ルーガーはいっきに前へ躍り出る。立ち込める死臭を嘆くよりも先に、今は見覚えのある女を排除しなければならない。

 リインとルーガー。この二人は既に一度戦っている。サラミア港での一件において、人間よりも大きな業火を一刀両断したこの男は、決してこの殺人鬼を侮ったりはしない。

 既に戦技を発動させており、魔法耐性を高めるエレメンタルアーマーは盾役にとって生命線の一つだ。

 ルーガーは怒りに震えながらも冷静さまでは失っておらず、自らの肉体を防波堤とするため、リインとの距離を詰めて青い炎を受け止める策にでる。

 残念ながら全てをせき止めることは叶わない。降り注ぐ雨が体をかすめて地面に届くように、小さな青い炎達は半分以上がこの男を素通りし、後方の人間へ突き刺さってしまう。


「勇敢と無謀をはき違える。人間は本当に愚か」


 リインは無表情を貫いたまま、眼前の光景に対して感想を口にする。

 いかにその男が軍長に匹敵する強靭な肉体の持ち主であろうと。

 盾役にしか使えない魔法耐性を高める戦技を発動させていようと。

 この男が将来有望なエリートであろうと。

 そんなことは関係ない。燐火を四発も受けてしまえば、誰であろうと例外はない。

 青い炎は瞬く間に燃え広がり、ルーガーの長身を飲み込む。小さなうめき声をあげながらも、ゆっくりと歩みを進めるこの気概はまさしく人間を超えた何かだが、命の灯は今にも消え去りそうだ。

 駆け付けた軍人達が消火活動の如くキュアを詠唱するも、リインにとっては無駄な足掻きにしか見えない。

 それもそうだろう。回復魔法は負傷者の傷を癒すことはできても、死人を蘇らせることはできない。

 何より、燐火の殺傷力は治療速度を圧倒的に上回っている。リインの魔力と軍人のそれとでは比べものにならない。

 自身の魔力が突出していることを誰よりも理解しているからこそ、彼らの必死な詠唱はただただ愚かしい。

 遅かれ早かれ殺されるのだから、大人しく死になさい。

 そんな考えを抱くこの女は、次の瞬間に目を見開く。

 侮っていたわけではない。ただただ想像を上回っていた。それだけのことだ。

 蒼い殺意を振り払いながら、その大人はギラリと相手を見据える。倒れるどころか右足を前へ突出し、大きな一歩を踏み出す。

 ティーシャツは完全に消失しており、顔を含むあちこちが見るも無残に変色している。肌色よりも赤色や茶色が大多数を占めてもなお、この男は諦めることなく前だけを見据える。


「驚いた。あなたにも、こいつらにも」


 感嘆の声は紛れもなく本音のそれだ。リインにとって、この事実はそれほどまでに信じ難く、言うなれば人間の領域を遥かに超えている。

 青い炎にわずかながらも抗える強靭な肉体。

 死を恐れず突き進む精神。

 ルーガーはこれらを兼ね備えた隊長だ。しかし、一人だけではダメだ。リインには太刀打ちできない。それほどの実力差が決して埋められない溝として両者の間には存在している。

 だからこそ、問題ない。この地には大勢の同胞達が同じ方向を向いて立っている。回復魔法のスペシャリストも当然のように内包しており、駆け付けた彼らがルーガーを窮地から救ってみせる。

 第一陸軍。

 第二陸軍。

 第三陸軍。

 第四陸軍。

 第五陸軍。

 第一海軍。

 第二海軍。

 リインは独りだが、彼らにはこれだけの同胞が肩を並べて立っている。所属が違えど、力を合わせ、助け合える存在だ。

 それでも、全ての命を救えるはずもなく、流れ弾に被弾してしまった軍人達はそのまま灰になって消えてしまう。隊長クラスの体力を持ち合わせておらず、いかに優秀なキュアで治療されようと、恩恵を受けきるよりも先に死を迎えてしまう。

 それでも救えた命があることも事実であり、白い光に包まれながらこの男は次いで左足を前へ運ぶ。


「おまえだけは許さん。確実に捕まえる」


 地面の奥底から響く深く重い声がルーガーから発せられている。

 この男は知っている。リインの不死性、厄介さ、圧倒的な魔力、どれもが超常的な域に達していることを経験から学んでおり、冒険者およびガーウィンス連邦国から提出された報告書にもきちんと目を通している。

 ゆえに捕縛する。いかに死なない体であろうと、意識を奪ってしまえばいい。最も手っ取り早いリインの討伐方法だ。

 そうしなければ、ロープの類でくるみ、牢獄に放り込もうと意味はない。リインはイリック同様、テレポートを使用できる。

 これを防ぐ術はあるが、ルーガー自身はそれを試みることができない。ゆえに昏睡させることを第一の目的とする。


「ただの虫けらじゃないようね。ここを選んで正解」


 リインは己の力量を計るためにこの地を訪れている。無作為に選んだつもりでいるが、実際はそうではなく、その片棒を担いでいるその少女は突然の訪問客にただただたじろぐことしかできない。


「な、何なんですあれ!?」


 スタミナは尽きており、額を垂れる汗すらぬぐえない。両肩を上下させながら、それでもなお、絞り出すように疑問を吐き捨てる。

 緑色の髪は濡れた額に張り付くが、白いシャツもまた、火照った柔肌にへばりつく。茶色いズボンはだぼっとしており、細い足を太く見せている。

 胸は同部隊の二人と比べると子供のように小さいが、先輩達が一際大きいだけゆえ、落ち込む必要はない。

 スルフィ。ネレネン王国出身の、唯一の軍人だ。

 朝のマラソンの最中だったため、脳が酸素不足に陥っているが、それでもこの状況の異常さは理解できている。


「あいつがエミリア軍長の言ってたリインでしょ? 私だって実物は初めてだけどさ」

「だ~と思うよ~? ホントに髪の毛真っ赤っかだぁ~。思ってたよりもスタイル良いね~」


 長身の女も服装は同じだ。ティーシャツの胸元は大きく膨らんでおり、坊主のような短髪は雪のように白く、勝気な雰囲気を振りまく。

 三人の中で最も背丈が低い女性も胸だけは随分と大きく、茶色い髪は頭の両サイドで細くまとめられている。温厚そうな顔つきとその髪型が理由で、年齢よりも若く見られることが多いのだが、本人は全く意に介していない。


「スルフィは急いで本部に戻りなさい。報告後速やかに私達の武器を」

「行ってらっしゃ~い。手ぶらでもいいんだけどね~」


 話口調が対照的な二人は、どちらも第二陸軍に所属する優秀な軍人だ。

 白髪の女性は周囲の男達に勝るとも劣らない長身を誇り、しゃんとした立ち姿は軍長から心意気を受けついている証拠だ。

 イマ。第二陸軍第一部隊隊長、すなわち三人しかいないその一人だ。その実力は他の軍隊の隊長クラスと同等以上とも噂されており、エミリアの厳しい指導が着実に実を結んでいる。

 両目の脇には鏡合わせのように小さなほくろが添えられているが、実は服に隠されている部分にもこのようなほくろが点在している。

 その隣に立つ女性は背丈だけ見れば子供のようにも映るが、イマよりも大きな胸がそんな考えを吹き飛ばす。

 ファシーネ。第二陸軍第一部隊所属。隊長ではないのだが、イマとは長い付き合いゆえ、唯一ため口で話せる間柄だ。

 茶色い髪は軍人にしては長く、ツインテールという髪型のせいでやはり子供っぽさを加速させている。

 隊長という肩書には縁のない軍人生活をおくっているが、実はその戦闘力は第二陸軍においてトップクラスだ。

 第四部隊を設立し、その隊をファシーネにまとめさせる案が一度は浮上するも、最終的にはエミリアが取り消してしまう。

 闘志も実力も申し分ないが、他人をまとめあげる統率力は一切持ち合わせておらず、そもそも本人にその気がないのだから、当面は親しいイマの下で隊長の働き具合を観察させることから始める。

 それだけではなく、エミリアは知将らしく、ファシーネにさらなる課題を押し付ける。

 マンイーターの元所有者、スルフィの教育だ。

 一人では難しいだろうという温情のもと、イマに頼ることも許可し、こうして三人は暇を見つけては行動を共にする運びとなる。

 その一つが朝のジョギングであり、二人にとっては単なる準備運動でしかないが、病み上がりの少女にとっては拷問のような時間で一日の幕が上がる。

 装備さえ整っていれば問題なく勝てる。ファシーネの発言は、裏を返せばそういうことだ。

 一対一でも負けるつもりはなく、そもそもここには百を越える軍人が居合わせており、現在進行形でその数は増している。

 あっさりと十四人もの戦死者がカウントされてしまったが、それでもなお、数の優劣は覆らない。

 軍人達は決して有象無象の人間ではない。

 この国を守るため。

 迫り来るモンスターを打ち滅ぼすため。

 集められ、自ら集った精鋭達だ。

 その上、朝から晩まで精進に努めており、どこかやる気のないファシーネでさえ、決して才能に胡坐をかいたりはしない。エミリアがそれを許さないだけとも言えるが、どちらにせよ、ここでは男も女も、新人も軍長も、例外なく汗を流すことを強要されている。


「わ、わかりました!」

「だーっしゅよ~」

「ひぃ!」


 スルフィが嘆くのも無理はない。呪われた短剣を手にしたことで、一度は体が崩壊してしまったのだから、こうして走れていること自体が奇跡にも近い。エミリアのスパルタ方針が功を成したとも言えるが、イマとファシーネが甘やかさないことも付随している。


「おまえの倒し方はわかっている。観念するんだな」


 一方、主戦場では男と女が互いを睨み合う。相思相愛の真逆ではあるが、どちらにせよ、二人だけの空間が形成されていることに変わりない。


「素手で?」

「十分だ」


 否。その問いかけには嘘を混ぜ込む。

 ルーガーは決して戦闘態勢ではない。シャツと軍服のズボンしか身に着けておらず、剣も盾も持ち合わせてはいない。

 後方には頼もしい同胞達が大挙しているが、武器を握っている者は模擬戦中だった一部だけだ。


「そう。丁度いい。私もそのつもり。もう魔法は使わないであげる」

「ほう、気前がいいのだな。一つ教えてくれ。一度に二人以上でかかってもいいか?」

「お好きにどうぞ」


 リインは言い切る。雑魚がどれだけ束になろうと、自分にとっては手間が省けるだけだ、と。

 もっとも、ここへは人間を間引きに来たわけではないのだが、体をフルスロットルで動かすためにはその方が都合が良いと前向きに捉える。


「――では、始めさせてもらう」

「ええ。せいぜい抵抗し」


 そして、オレンジ色の風が戦場に吹き込む。それは左手に刃を握っており、剣にしては細すぎるそれで、赤い髪ごとその顔を横に切断する。


「どうせ死なないんだろう?」


 赤い軍服は彼女の女らしさと気高さを体現している。

 左手が握る突剣は怪しくも黒く輝いており、ダーク製のこれで突き破れないものはない。

 もちろん、斬ることも可能だ。片手剣である以上、そういった運用も前提としており、細くも力強い刃が慢心を抱く不死身の女を殺してみせる。

 体を包み込む膜のようなオーラはオレンジ色に揺らいでいる。強化魔法の一つが彼女に力を与えている。

 オーバースペック。アサシンステップのように使用者の速度だけを高める魔法。その効果は数ある魔法の中でも特に秀でているが、使いこなせる者は決して多くはない。

 この魔法は後衛に属する人間において、その中でも後衛補助役に当てはまる冒険者や軍人しか習得できない。彼らは魔法で仲間達を支えつつ、弱体魔法でモンスターを弱らせることに特化している。

 つまり、前衛や盾役のように接近戦を主体とする獰猛な兵士ではなく、遠方から戦いを眺め、戦況を有利に運ぶ脇役だ。

 オーバースペックは詠唱者自身にしか効果はなく、杖を握って魔法を唱えるだけの後衛には無用の長物と言える。

 持続時間は四分と長く、その上再詠唱はそれよりも短い三十秒で可能となる。

 すなわち、マジックポイントさえあれば永続的に恩恵を得られるこの魔法は、瞬発力はあるが効果が短時間で消失する戦技とは比較にならない強みを持ち合わせている。

 習得者が非常に少ないこの魔法は、第二陸軍の長をさらなる次元へ誘う。ただでさえ高い身体能力が速度の面に限定されるものの一割以上も増すのだから、奇襲攻撃というシチュエーションも複合させれば、それはもはや何人たりとも受け入れるしかない。


「死なんて概念、三百年前に乗り越えた。でも、褒めてあげる。さっきから想定外が続いて思いのほか楽しめてる」


 エミリアからの攻撃を受け入れてなお、リインは平然と立っている。顔は鼻から上を切り落とされており、断面はただただ平たく綺麗だが、真っ赤な血が噴水のように溢れ漏れている。

 それでもこの女は倒れない。足元に転げ落ちる上半分の顔はしっかりとエミリアに視線を向けており、どちらが遠隔操作を受けているのか、軍人達にわかるはずもない。


「イリックの推察通り……か。もはや一時的な仮死状態にすら陥らない、と」

「ええ。その男もただのバカじゃないのね。血液すら、今の私にとっては昔の名残でしかない」


 平然と眺めるエミリアと、死体のまま会話を続けるリイン。この光景は居合わせた軍人達から言葉を奪う。それほどに恐ろしく、受け入れがたい光景だが、それでも怖気づく者は一人もおらず、今は互いに次の一手をじっとうかがうことに徹する。

 戦いが終わらないことを、この場の誰もが理解している。


「勘違いをしているようだから忠告しておこう。殺せないことと倒せないことは別だぞ?」

「そんな戯言に興味はない。私はこの体を慣らすためにあなた達を殺す。それだけ」


 エミリアの見下すのような物言いが癇に障るのか、決して転倒しない死体が黒いドレスをより漆黒に染め上げながらゆっくりと向きなおす。

 その先には奇襲攻撃を仕掛けてきた張本人が立っている。

 リインは、周囲の無能連中はこの姿に震える敗者だと早々に決めつけ、相手をエミリア一人に絞る。


「殺されるのは」

「貴様だ!」


 リインがそうであるように、彼らも容赦などしない。脳を失ったこの女へ、二人分の殺意が向けられる。

 一人目はエミリアだ。毅然とした態度で、自分を狙う上半分の顔を睨みつける。

 二人目はルーガー。自分に背を向けた化け物へ、先ほどの疾風に匹敵する爆発力で距離を詰め、右手の片手剣を振り上げる。

 相も変わらずジョギング姿のままだが、角刈りの男はこのやり取り中の間に受け取った銀色の片手剣を握っており、戦技により高められた肉体で急激な加速を実現する。

 このタイミングは抜群だ。リインがエミリアを標的に定めたと同時に、ルーガーは追撃を試みている。完全な奇襲に成功しており、どんな実力者であろうとこれを退けることはできない。

 ミスリルソードがリインの右肩に振り下ろされる。ルーガーには背を向けていることから、対処のしようなどない。

 何よりその移動速度と斬撃の鋭さは周囲の軍人達すら置き去りにしている。自ら発した声を追い抜かんとするその速力は完全に生物の領域から踏み外しており、銀色の刃は女の体ごと大地すら割ってしまいそうだ。

 鍛え上げられた太い腕がさらに膨れ、ありったけの一撃が黒いワンピースへ押し付けられる。

 その直後に鳴り響いた金属音は、奇襲が失敗に終わったことを意味する。

 背後からの一撃。本来ならば受け入れるしかない。

 だが、この女には通用しない。

 理由はいくつかあるのだが、今回に関しては地面に転がっている上半分だけの頭部に起因する。

 迫り来る軍人に背を向けていようと、地面に転がる顔は真っ赤な両目でしっかりとその動きを捉えていた。

 つまり、今に関しては背後も死角ではなく、その上、ルーガー程度の斬撃などどうということもない。

 現に、右手の甲で簡単に払い落とせてしまう。


「ほう……」

「もうこの手は通用しない」


 ルーガーは戦況を立て直すため、一歩、二歩と後退する。

 戦力を見誤っていたと認めざるをえない。ゆえに上方修正が必要だ。今は続けざまの攻撃よりも、そのための時間を求め、一旦離れることを選ぶ。

 一方、リインは淡々と次の行動を開始する。足元に転がる落し物を拾うため、そっと腰を折り、すらっとした両手をダランと垂らす。野菜のように切断された頭部からはいつの間にか流血が止まっており、首をもたげようと体液が流れ落ちることはない。


(今の剣技を受け流す……か)

(イリックが苦戦するわけだな)


 エミリアとルーガーの両名は、それぞれの感想を抱きながらもリインのやろうとしていることを淡々と見守る。

 侮っていたわけではない。この女がどれほど脅威か、それはいくつもの報告書から把握済みだ。

 サラミア港の遭遇戦。

 ネレネン王国でのコネクト使い二人との攻防。

 エムム遺跡で顕となったリインの思惑と急成長。

 十分だ。この女を人間のものさしで計ってはいけない、とこれらが雄弁に語っている。

 だが、わからないこともあった。

 ネレネン王国の王からコネクトを複製し、自身に取り込んだことで、この女は許容量が足りない体を拡張させている。

 その結果がいかほどのものか、イリックとの一戦では情報不足だったことも否めない。

 もっとも、このやり取りでその疑問はいくらか解消される。

 死してなお、行動を継続できる不死性にはさらに磨きがかかっている。

 ネッテやアジール、そしてイリックを翻弄した身体能力は確実に上昇している。

 不十分かもしれないが十分だ。エミリアとルーガー、そして周囲の軍人達は、この地に降り立った化け物の危険性を認識し直す。

 そんな中、多数の瞳に注目されながらも、リインは地面に落ちた自分の頭部を拾い終える。

 この行為自体が既にありえないが、次の行動にはざわざわと唸るしかない。

 まるでヘルメットを被るように、リインは顔上半分を本来あるべき場所にすとんと乗せる。少しずれていたのか、さっと位置を微調整したことで顔を分断していた線はすっと痕も残らず消え去る。

 信じられないな。

 隊長! 俺に仇をとらせてくれ!

 燃えるね~。

 次は俺にやらせてくれ!

 二人がかりならやれそうだけど~、気持ち悪い女~。

 もっと呼んでこい。

 会議中の軍長もだ!

 いくつもの喧騒に包まれながら、リインはあっという間に原状回復を終える。おかっぱのように切り揃えられた赤い髪も、顔同様あっさりと元の長さに復元され、そこに立つ女は以前と変わらぬ姿を取り戻す。

 人間の姿をしているが、人間ではない。誰もがそのことを理解する。この出来事にはそれだけのインパクトがあり、手加減や情けは不必要どころか、逆に殺されるだけだと思い知る。


(――揺さぶってみるか)


 赤い軍服が似合うエミリアは、左手の突剣を下に向けつつも警戒心は解かずに、そっと口を開く。


「何回殺せばおまえを倒せる?」

「無理」


 素っ気ないリインの返答は、この質問の愚かさをあざ笑っているからだ。それでも、エミリアにはある確信を抱かせる。


(イリックの言っていた通りかもしれんな……。有限だ)


 知っている。

 体験している。

 エミリアは、不死身のようなモンスターとの戦闘経験がある。

 ジャイル村を滅ぼした煉獄の巨人、ヘカトンケイル。このモンスターは時間内に三度殺さなければ、何度でも蘇る不死に近い存在だ。

 イリックがその特性に気づき、コネクトを駆使して追い詰めるも、最終的には逃げられてしまう。

 最後はガーウィンス連邦国の最大戦力であるシャルロットに破壊されてしまうが、このような芸当は誰にでも真似できることではない。

 この女もそれに近い何かを隠し持っている。

 イリックは随分前からそのことを見抜いていた。浅いなりにも冒険者として一級品の感性を持ち合わせているからこそ可能な推察だ。

 誰にも漏らしていないが、それの内容についてもある程度絞れている。否。正解を言い当ててしまえる。

 だが、それでもなお、リインという不死者を倒しきることはできない。それほどに手ごわい相手ということもあるが、いくつかの条件が障害としてイリックの前に立ち塞がっている。

 一人では無理なら、この地の軍人達の力を借りればどうか?

 残念ながら、リインの討伐において数は全く意味を成さない。むしろ足手まといでしかない。

 最たる理由は人間を無力化する不可思議な重圧、シンイの存在だ。これを使われてしまった場合、イリック達四人以外はこの女に抗うことはおろか、立っていることもままならない。

 コネクト所有者およびその接続対象にだけ与えられた特権が、神に選ばれし人間と戦うためには必要だ。

 残念ながら、軍人達は一人も当てはまらない。

 だが、今は諦めない。リインがそれを使わないばかりか、魔法も使わないと宣言したのだから、この機を逃す理由もない。

 手を抜いている。

 結構だ。好機と捉え、全力で叩き潰す。

 同胞が十人以上も殺されても、彼らの瞳からは光が失われることはない。


「あなたから殺そうと思ったけど」


 赤い髪を背中の後ろで揺らしながら、赤い瞳が周囲をぐるっと見渡す。

 開戦から既にいくらか時間が経過したからか、野次馬の如く、大勢の軍人達が次々と集っている。

 リインの前には角刈りの男が、後方には赤い軍服の女が立ち塞がっているが、ルーガーの後方には二百を越える屈強な男達ががやがやと立ち並ぶ。

 姿形はまばらだが、彼らの抱く感情は共通だ。

 この女を逃がさない。

 この場で殺す、もしくは捕縛する。

 そうするとは可能だと自負しており、第五陸軍第三部隊の隊長がリインに後れを取ろうと、勝利を諦める材料にはならない。

 タフな精神力と一級品の戦闘力。

 この国を守る軍人達はそれらを兼ね備えている優秀な兵士だ。

 そして、この地にはこの女に対抗しうる数少ない戦力が集結している。


「見つけたぁ!」

「参上」


 駆け付ける。

 一人目は騒がしさの中に幼さと純粋さを両立させている少女だ。白とも黒とも言えぬ髪は長いため、左耳の後ろで束ねられている。

 ゴムのように伸び縮みする黒い生地製の防具をまとっていることから、一目で冒険者だと見て取れる。もっとも、軍人達には顔を知られており、ネッテという名前も有名だ。

 二人目は保護者のように付き添う長身の女性だ。銀色に輝くひどく重そうな鎧を着こんでいるが、その足取りは軽く、壁として仲間を守る盾役に相応しい筋力を備えている。

 アジールの名前もまた、軍人達には広く知れ渡っている。兄が第五陸軍に所属しているからではなく、過去の戦果および冒険者でありながら軍人に交じって鍛錬に励んだことが大きい。

 ネッテとアジールの二人はリインとの間に深い因縁がある。サラミア港では家を燃やされ、その挙句にひと悶着あったのだから、お互い顔を忘れるはずもない。

 ネッテとアジールにとって、この女は憎い敵だ。

 リインにとって、この二人は実験対象でしかない。

 だからこそ、ではないが、遅れて到着したネッテとアジールは倒すべき相手を睨み付け、リインもまた、多数の軍人よりもこの二人に関心を抱く。


「手間が省けた。いつか殺そうと思ってた」

「そうはいかないもん!」


 冷静なリインと鼻息荒いネッテ。あらゆる意味で、両者は対照的だ。


(仮にシンイとやらを使われても、二人がいればなんとかなりそうだな。これならやれるぞ)


 エミリアは戦況をそう分析する。リインが素手で戦うと宣言したとは言え、心の奥底から信用できるはずはなく、保険という意味でも戦力としてもネッテ達は頼もしい。

 実力面でもこの二人は一介の軍人以上だ。

 才能豊かな少女。

 いくつもの死線をくぐり抜けた盾役。

 どちらも自分のやれることとやらなければならないことを自覚できており、とりわけアジールは身の程をわきまえている。ゆえに無茶をせず、だからといって自分の仕事を疎かにはしない。

 習得できている戦技はウォーシャウトのみ。そういう意味では盾役として二流以下だが、今回に関しては問題ない。

 なぜなら、リインと相対するように百を超える軍勢がずらっと立ちはだかっている。

 その中にはウォーシャウトやそれに類似する戦技の習得者がごろごろといる。つまりはリインの行動を常にコントロールすることが可能だ。

 この戦技はたったの十秒しか持続しない。

 一方、再使用には三十秒を必要とする。

 ゆえに三人いれば事足りる。順番にウォーシャウトを浴びせ続ければ、対象はその盾役にしか攻撃をできない。

 魔法が神の生み出した神秘なら、戦技もまた神の産物だ。

 そのことを知るものは少なく、けれどもそんなこととは関係なしに戦技の恩恵には預かれる。

 だからこそ、軍人達は自分達の勝利を確信している。既に大勢の同胞が戦死したが、状況を理解し、立て直した今ならこの指名手配犯を捕まえることが可能だと信じて止まない。

 突き刺さるような視線に晒されながらもそんなことは一切気にも留めず、リインはゆっくりと周囲を眺める。


「あの男は?」

「お兄ちゃんなら釣りしてる!」

「もう少しで来る。逃げるなら今の内」


 口にした男の姿は見当たらない。真紅のコートはどこであろうと目立つ。殺風景なこの場所で見落とすことはない。

 ネッテとアジールは約束の時間よりも早く現地到着を果たしたため、この戦闘に居合わせる。

 残りの二人は約束通りに到着する予定なため、この戦いには加勢できない。少なくともアジールはそう考えている。

 長引くはずがない。

 一方の戦力は一人のままだが、デフィアーク共和国はその数を現在進行形で増やしている。

 両脇に多数の武器を携えて、若い軍人達が慌しく駆けつける。

 銀色や灰色、黒も見受けられる色とりどりのそれらはティーシャツ姿の手ぶらな男や女に配られ、戦力はみるみる整えられていく。

 それだけではない。

 抹殺対象の化け物が出没したとあらば、それを耳に挟んだ軍人達が見過ごすわけがなく、次から次に軍人達が加勢しに現われる。


「もし投降するなら、聞き入れてやろう」

「おもしろくない冗談。私は皆殺しにするつもりでここに来てる。この数だって少ないぐらい。全然足りない」

「それこそ笑えないな」


 そう。どちらもつまらないことを言っている。

 戦いは避けられない。エミリアはそれをわかってはいても、第二陸軍の軍長として相手の意志を確かめる。

 だが、次のステップは明白だ。

 戦闘は続行され、わびしい大地が真っ赤に染まる。

 同郷の人間を殺されたことが許せないからではない。

 言葉が通じないからではない。

 この女がその意思を捻じ曲げないからこそ、この死闘は止まらない。

 今なお増え続ける軍人達は、攻撃衝動を抑えながらもたぎっている。誰かが限界を越え、我先にとリインに襲いかかってしまいそうだが、そうならない理由は彼らの我慢強さと三人の人物に起因する。

 赤い髪の女、リイン。

 長身の男、ルーガー。

 肩上で黒髪を揺らす女、エミリア。

 軍人達の前方では、ルーガーがリインの行く手を遮るように立っている。その背中はどこまでも頼もしく、隆々とした筋肉が白いシャツを浮かび上がらせる。

 リインの背後では、エミリアが針のように細い剣を携えて待機している。

 戦闘開始の合図は二人のどちらかによってもたらされる。このことを理解しているからこそ、二百に膨れ上がった軍人達は姿勢正しく待機している。


「スルフィちゃん遅~い。このままだと終わっちゃうよ~」

「エミリア軍長が出張るなんて。でも、どう倒す?」


 周囲をむさ苦しい男連中に囲まれながらも、二人組はそれぞれの華を保つ。

 ファシーネはおっとりとした様相を見せつつ、茶色いツインテールを揺らして少し困惑気味だ。まるで風に揺られる花のようだが、芯の強さと実力は誰もが認める一級品だ。

 隣のイマは頭一つ分背丈が高く、直立不動ゆえ、茎が太いひまわりやチューリップのよう。


「これではっきりしたじゃ~ん。ルーガー隊長じゃ手に負えないっぽいけど、私達とエミリア軍長なら余裕余裕~」

「殺せないぞ?」

「生け捕りにすればいいだけ~。見てたでしょ~? 手足切り落として細切れにすれば終わり終わり~」


 ここに居合わせた軍人達は、リインとルーガー達の攻防を楽しむ観客ではない。祖国を守るために日夜鍛錬に励む戦闘集団だ。

 ゆえにこの攻防から多くの情報を各々の解釈で収集する。

 大きな胸をわずかに揺らしながら、ファシーネは上司であり親友のイマを上目遣いで見つめる。

 わかったでしょう?

 少なくとも、ファシーネはリインの倒し方を見出す。

 頭部を切断されたこの女は、自らの手で拾い上げ、元の場所に戻して復元を終える。つまり、キュアのような回復魔法同様、失った部位は生やせないと読み取ることができる。

 ゆえに両手両足を切り離してしまえば、魔法を使用しない限り戦闘不能に陥ることと同義だ。


「青いフレイムを使われたらさすがに危ない」

「そんなの封じればいいんだよ~。ほら、私達の勝ち~」


 イマはいぶしげに相方の茶色い瞳を見返すも、揺らぐことなく言い返されてしまう。

 リインは自ら宣言している。これ以上は魔法を詠唱しない、と。

 信憑性など微塵もないが、それならそれで構わない。弱体魔法の一つ、セクレンスで相手の魔法を封じれば良い。

 二人の尊敬するエミリアはこれを習得している。

 すなわち、勝利は揺るがない。


「どちらにせよ、追い詰める必要があるね」

「必勝法で終わり終わり~。エミリア軍長は伊達じゃないも~ん」


 ファシーネの言う通り、奇襲攻撃だけに留まらず、もう一度殺すことは容易だ。エミリアはそのための手段を持ち合わせている。

 そして、それを今まさに繰り出さんとしていることを、背の低いこの部下は既に見抜いている。

 軍勢から少し離れた位置に、飛びぬけた実力者が三人立っている。

 白いティーシャツは硬い筋肉の輪郭を顕わにしており、角刈りの髪と鋭い目つきがこの男の剛健さを物語っている。

 赤い軍服はこの国の一品物だが、この場所で軍長の肩書きを得ている人間も彼女だけだ。

 報告書以上の狂気を振りまく女は誰よりも長い髪を背中に垂らし、真っ黒なワンピースからはすらっとした四肢を伸ばしている。


「多勢に無勢。こんな言葉は嘘。私には当てはまらない。全員殺してあげる」

「させんよ」

「そうですね」


 微動だにしないリインとは対照的に、エミリアとルーガーはそっと武器の剣先を相手に向ける。


「グリムス」


 ただただ静かに、しかし、はっきりと空気を揺らして、絶対の勝利を得るための魔法を詠唱する。

 エミリアはこの魔法を切り札として運用している。それほどまでに強力な、そして揺るぎない信頼を寄せるに足りる効果を秘めているからだ。

 グリムス。弱体魔法の一つ。詠唱時間はほぼ無に等しく、狙った対象の動きを一秒程度、完全に停止させる。

 この魔法は後衛補助役と後衛攻撃役が習得できる弱体魔法だ。その中でも一際希少な魔法だと言われている。

 そういう意味でも特異性が高いと言えるが、グリムスにはもう一つの特徴が存在する。

 弱体魔法は詠唱者と相手との魔力差によって成否が決定する。

 ターゲットよりも魔力に秀でていれば、その魔法は着弾後に相手を弱らせることに成功する。

 一方、その逆の場合、すなわち格上に放った場合、弱体魔法は命中後に霧散し、効果を発揮できずに終わる。

 弱体魔法はそういう意味でも運用が難しい。

 しかし、唯一例外と言える魔法が存在している。それがグリムスだ。

 この魔法は魔力差に関係なく、それこそモンスターの方が優れた魔力を持ち合わせていようと、失敗することなく動きを停止させることが可能だ。

 一秒よりも短時間に縮まることはあるが、それでも動きを完全に止めるという意味では間違いなく成功する。

 たかが一秒。

 されど一秒。

 エミリアほどの実力者にとってはあまりに長い時間だ。相手を殺すには十分過ぎるゆえ、彼女にとっては必殺の魔法となりうる。

 エミリアはこの国に七人しかいない軍長の一人だ。しかし、実力を他の六人と比べた場合、一回りどころか二回りも劣ってしまう。

 冒険者のイリックを基準とした場合、軍長のほとんどがこの少年を圧倒するが、エミリアだけは身体能力の一点において下回る。

 それでも、グリムスを使われてしまえば、勝敗はその瞬間に決してしまう。それはウェイクやマッカスと言えども例外ではない。

 唯一、第一海軍の軍長にだけは通用しないが、裏を返せば残りの五人にはこれで勝ててしまう。

 その戦法をエミリアが繰り出したのだから、リインは二度目の死を受け入れるしかない。

 紫色の閃光が一瞬で黒いワンピースを縛る。

 動けない。一秒には満たないかもしれないが、エミリアが今まさに繰り出そうとしている突剣での串刺しには抗えるはずがない。


「無駄」


 だが、そうはならないことをリインはあっさりと実演する。

 グリムスは実力差がどんなにひらいていようと、その効果を発揮してくれる優秀な弱体魔法だ。

 しかし、実はそうではない。魔力で劣っていようとそれを補正しうるだけの高い魔法命中が内包されているだけだ。それではカバーできないだけの圧倒的な格上相手には、グリムスと言えども機能しない。

 およそ想定外過ぎるこの状況でも、第二陸軍軍長は怯まない。

 それでならそれで構わない。そんな気概を伴いながら、エミリアは攻撃の手を止めることなく、左手のシュレイガーをリインの顔に突き入れる。

 一閃。この戦いにおいて最も速い攻撃だったが、赤い瞳は異常発達した動体視力で捉えてしまう。

 迫る黒い針を、首を曲げて避けてみせる。

 グリムスの無効化に続いての回避行動。二度もありえないことが連続すれば、本来ならば人間は思考を停止させてしまう。

 だが、エミリアは異なる。まるで相手がこう避けることを想定していたかのように、鋭い剣を一旦引っ込め、間髪入れずに再度前へ向かわせる。

 目に見えないほどの四連突きが自身の顔を追尾して迫りくるも、飄々とした表情のまま、リインは上半身を大きく折り曲げて四つ全てを避けきってみせる。

 反り過ぎた体は倒れこむように地面へ寄っていく。ゆえに手を地面に付け、真横になりながらもその場で回転して、二人の軍人から一旦離れて体勢を立て直す。


(案外速かった。不意打ちしかできない能無しでもない、か)


 リインとしても、エミリアの一連の動作には小さく唸る。

 有象無象とは完全に別格だ。そう認識し直すほどには、この軍人は他とは違う。

 そして一瞬の静寂が訪れる。

 吹く風が地面の砂をわずかに舞い上がらせながら、赤い髪もふらりと躍らせる。

 沈黙はそう長くは続かない。劇の合間に挟まれる場面転換が手早く済まされるように、彼女達の戦いも決して途切れることはない。

 リインが見せた信じられない行動は、この国を守る軍人達の目を覚まさせるには十分過ぎた。

 弱体魔法グリムスの無効化。すなわち、それが出来うるほどの圧倒的な魔力を誇示しているということだ。

 エミリアの魔力は決して突出してはいないが、軍長レベルの時点で人間の規格からは外れている。

 にも関わらず、この結果だ。同胞をあっさりと十人以上焼き尽くした青い炎だけでも想像できていたが、この出来事はそれ以上の事実を突きつける。

 何より、怯まなかったエミリアも優秀だが、彼女から繰り出された四連撃を超反応と超スピードで回避したリインの身体能力は完全に全員の予想を上回る。

 これらから、この場の空気が一変する。

 軍人達は観客ではいられないことを悟り、同時に自分達が生きて帰れない可能性を十分理解する。

 ゆえに、戦闘準備を始めなければならない。

 殺すか殺されるか。

 デフィアーク共和国の軍区画は、こうして戦場へと変貌する。


「プロテクトシギル」

「アグレッシブモードォ!」

「ブレスベールシギル」

「オーバースペック」

「腕力向上だ!」

「プロテクトシギル!」

「アサシンステップを使う」

「皆さん、ブレスベールシギルです」

「肉体向上……」

「ガーディアンヤウル!」

「エレメンタルアーマー」

「封じ開眼」

「出し惜しみは無しだ! フェラルステップ!」

「オーバースペック」

「カスケード」

「プロテクトシギル」

「スニーク」

「ネザーエナジー使っちゃお~」

「脚力向上ぉ!」

「デュアリズム」

「ブレスベールシギル!」

「ダンサーモードで対応する」

「ゴッドガード」

「グレイスウォールだ!」

「ストレングスフィー」

「ホットブルームよ」

「闘気開眼!」

「疾風の吐息」

「マジカエクステンション」

「ミエンフレイム」

「ゴッドガード」

「プロテクトシギル」


 一斉に大勢の強化魔法と戦技が花開く。

 防御力を高めるもの。

 攻撃魔法に備えるもの。

 身体能力を高めるもの。

 魔力を高めるもの。

 種類は多く、色とりどりの光があちこちで発生しては消えていく。

 三百に膨れ上がった軍人達は傍観者ではなく、ここからは戦闘に参加する。

 リイン。この女を殺し、捕獲するためにはそれ相応の準備が必要だ。自らを、仲間を強化することから始めなければならない。


「無駄な足掻きを」

「無駄かどうかはこれから判明する。覚悟しろ」


 押し寄せる熱量に長い髪を激しく揺らされながらも、それすら気にも留めず、リインは赤い瞳を細める。

 オレンジ色のオーラをまとうエミリアは再び剣先を排除対象へ向け、話しかけることで少しでも時間を稼ぐ。

 人数が多ければ、強化魔法の配布にも時間がかかる。長々と待つことはできないが、可能な限りこの女を足止めせねばならない。


「一つ教えて。この中で一番強いのはあなた?」

「肩書きだけならそうなるな」

「へ~。もしかして軍長? 七人しかいない」

「そうだ。この国のことも調査済みか」

「もちろん」


 そして、二人の間に沈黙が訪れる。

 対照的に群集の中では次々と魔法の詠唱が行われる。エミリアの思惑通り、戦いの準備は着々と進んでいく。


(最強がこの程度……。がっかり。なら……)


 リインの使命は人類の滅亡だ。ここへはその準備のために訪れている。言い換えるなら、慣らし運転のようなものだが、エミリア相手では不十分だと既に察しており、とは言えそれ以上の強敵はここにはいないと告げられてしまう。

 つまらない。

 このままでは無駄足だ。

 だからこそ、リインは自らに縛りを設ける。

 既に魔法と神の力を制限しているが、それだけでは不足しているため、軍人達をあざ笑うかのような制約をここに宣言する。


「あなたは最後に殺してあげる。目に焼き付けて絶望に打ち震えなさい。無能なクズが皆殺しにされる様を」

「ふざけるな!」


 どんな時もリインの表情は崩れない。酷く冷たいそれはどんな台詞を吐く時も維持されるため、相手の神経をさかなでるには丁度良い。

 何より、対戦相手をこけにするその物言いは到底許容できず、エミリアは苛立ちを募らせ、ついに爆発させる。

 だが、やはりリインには響かない。ただただやかましい叫び声など当然のように無視した上で、二番目に近い人間を標的に定める。

 第五陸軍第三部隊隊長、ルーガー。人間の中では飛びぬけた実力者だが、神の代行者からすれば、つまらない人間の一人に過ぎない。


「ほら、始めるわよ。追いついてみせなさい」


 リインは顔を動かしてチラリと後方に視線を向ける。そこに立つ真っ赤な軍服姿の女を煽るような発言は、同時に殺戮ショーが始まることを意味する。


「案外おしゃべりだな」


 その声は前方にいるはずの男から発せられる。

 気づいた時には既に手遅れだ。一瞬だが外してしまった視線を前に向けようと、次の獲物はそこにはいない。

 では、どこか?

 リインは自身を覆う影から所在を把握する。

 舞う巨体はミスリルの剣を既に振り下ろしている。足音もなく一瞬で距離を詰められたことも想定外だが、またも奇襲を受けることがただただ腹正しい。

 この状況はどこまでもつまらない。

 指揮棒を振るうのは自分であり、これから殺される小物がしゃしゃり出ることを許した覚えはない。

 殺し合いにフライングの概念など無いが、ルーガーの行為はリインにとってひらすらに行儀が悪い。

 ゆえに殺す。

 元からそのつもりでいたが、この男は最優先で抹殺する。

 だが、その前に回避せねばならない。ミスリルソードはこの瞬間にも首筋から胸へ、そして腰を抜けて自身を両断しようとしている。

 以前のままならこの剣撃でまたも殺されていただろう。少なくとも何度か戦ったイリックのそれよりも鋭く、なおかつ速い。

 三百年以上も共にしてきた器では避けられない。苛立ちながらもそう冷静に分析できてしまう。

 一方で、今なら間に合う。この国のトップクラスに位置する男の不意打ちにも、この体なら対処できてしまう。

 魔法は必要ない。

 神の力も使わない。

 コネクトすらも不要だ。

 まるでそこから消え去るように、リインは半歩横へスライドする。

 途端、銀色の片手剣は無人の大地に斬りかかり、地を割るように鋭い亀裂をどこまでも伸ばしていく。その結果、それはエミリアの足元を素通りし、軍区画のグラウンドに大地の裂け目を作り出す。

 いかに鍛え上げられた肉体を持ってしても、ただの剣撃で地面に切れ目を作ることなどできはしない。

 それは、モンスターと渡り合える冒険者や軍人も同様だ。

 だが、そういうことができてしまう一部の人間が隊長以上のエリートであり、生まれ持っての才能や日々の努力が実り、この領域に足を踏み入れている。

 では、この女の場合はどうなのか。

 才能は間違いなくあった。ゆえに、国をまとめあげるため、国家元首として崇め奉られた。

 しかし、その才能は魔力に関してであり、肉体は背の低い少女そのものだ。発射された矢のような速度で走ることなど、ましては片腕で大人を持ち上げることなどできるはずもない。

 今はどうなのかというと、真の代行者として神に選ばれたばかりか、自らの手でさらなる神の力を習得した結果、この地で汗を流す軍人達をあざ笑うほどに、何もかもを超越してしまう。

 それを証明するかのように、一人の男が破壊される。

 リインがどこへ姿を消したのか認識するよりも先に、ルーガーの分厚い上半身と逞しい下半身は腹部を境に分断されてしまう。

 細い右腕から繰り出された攻撃はただの引っかきだ。爪を立て、五本の指が肉を削ぎ落とす行為は、紙を破るように鍛え上げられた肉体を断裂させる。


「なん……」


 自分の体に何が起きたのか。それだけは理解することができた。しかし、明瞭な意識とは裏腹に言葉を紡ぐことは叶わず、ルーガーの上半身と下半身は別々の場所に落下する。

 リインは絶望に打ちひしがれる人間達の表情を見たいがために、視線を敗者から群集に向ける。

 その人間達を今から絶滅させるのだから、胸の高鳴りを止めることなどできるはずがない。

 だが、リインもまた見誤る。

 軍人は国に忠義を尽くし、時に命をかける勇敢な戦闘集団だ。リインの驚異的な身体能力とルーガーの敗北を目の当たりにしようと、戦意を失うようなことはない。

 男達は倒すべき化け物をじっと捉え、女達は周囲との連係を視野に入れて腰を落とす。彼らの両目は少しも光を失っておらず、虎視眈々とリインを狙い続ける。

 一方で、二人の冒険者は息を飲む。ルーガーとは面識があり、サラミア港で共闘して以降は、この地での鍛錬で何度も手合せしている。

 ネッテは、部下をとりまとめる厳格さと向上心に溢れたルーガーの中に男の中の男を見出している。兄に足りないものを持ち合わせているからといって惚れたりはしないが、隊長という肩書きを持つ軍人の中で最も話し合える間柄だった。

 誰よりも人懐っこい性格は、厳格な雰囲気漂う軍区画においても発揮される。あどけなさを振りまく十五歳の少女はたちまち人気者になり、それは大人だけでなくその子供達も魅了する。

 軍人と言えども、休日はデフィアーク共和国の住民でしかない。何より、仕事を忘れてリフレッシュする時間は彼らにも必要だ。

 とは言え、偉くなればなるほど仕事の量は増えてしまう。自宅で子供と遊ぶ時間を削り、職場へ出向くこともある。

 そんな時に子供がついて行きたいと言えば、親は押し黙ってこう考える。

 いいよ。

 ダメだ。

 その二択だが、ルーガーは子煩悩なため、わがままを聞き入れることが多い。

 そう。第五陸軍第三部隊の隊長は結婚しており、子供が二人いる四人家族の大黒柱だ。

 二人共男の子だが、下の子はまだ幼く、どちらかと言えば母親にべったりなため、休日のルーガーは十歳にも満たない長男と手を繋ぎ、職場へ出向く。

 目的地に不釣合い且つ破天荒な女の子がいれば、子供が興味を示すのもそう珍しくはない。

 ましてや、いざ模擬戦が始まれば、大人達をバッタバッタと倒すのだから、小さな男の子にとってはただただ驚きだ。

 イリック達の面倒を見る監督役はウェイクとマッカス、すなわち第三陸軍と第五陸軍の軍長達だ。

 たった二人では、イリック、ネッテ、アジールの三人を指導することはできない。ましてやイリックの対戦相手を自ら務めることも多く、どうしてもネッテやアジールは疎かになってしまう。

 ネッテは体が完成していないため、もっともそれは兄も同様だが、軍人との戦いとは別にジョギングや素振りにも一定の時間を割けさせる。

 しかし、体力は無尽蔵ではない。冒険者の体は非常に丈夫だが、スタミナはやがて尽きてしまう。

 少し休めば驚くほど早く回復するものの、裏を返せばやはり休憩は必要だ。

 私服のルーガーがその子供をつれてくれば、そしてその子がネッテに興味を抱けば、たちまちネッテとアジールは休憩時間に突入する。

 まるで弟をあやすようなネッテの立ち振る舞いは、いかつい男達にも癒しを与える。アジールも鼻血を流して歓喜する。

 キャッキャと騒ぐ女の子と男の子。

 片方は先ほどまで軍人達と刃をぶつけていたのだが、その面影はどこにも見当たらない。

 ルーガーは我が子をネッテに任せ、休日にも関わらず軍区画へ訪れた理由を達成するために自分達の本部へ向かう。

 隊長とは、すなわち中間管理職だ。下には大量の部下達が、上には軍長が存在する。

 ルーガーは上司の顔色をうかがうようなタイプではなく、そもそもマッカス相手にそんなことは必要ない。

 部下達の育成や様々なタスク管理をそつなくこなし、進捗や成果を上司に報告するだけで良い。

 第五陸軍はこの国で最も規模の多い軍隊だ。必然的に隊長の負担も他所よりも大きくなってしまう。

 だからこそ、ルーガーは時に休日であろうとこうして職場にふらっと足を運ぶ。私服で構わない理由はそういう組織だからであり、休日に軍服を着て職場を歩いているところを上司に見られでもしたら、それこそ説教が始まってしまう。

 長居をすることはなく、何より子供をグラウンドで待たせているのだから、ルーガーは手早く仕事を片付け、周りの職員や軍人達に挨拶を済ませつつ来た道を戻る。

 休憩時間が終わったのか、ネッテは長身の男と一対一の最中だ。二本の短剣も、大きな斧も、どちらも練習試合用の模造品だが、高い腕力から繰り出される攻撃は当たれば当然痛い。

 ネッテの腕が細かろうと、ルーガーの子供を笑顔のままひょいっと持ち上げ、そのまま数メートル程度なら楽に放り上げることが可能だ。

 短剣と斧がぶつかることで生じる破壊力は凄まじく、その音と衝撃は観客の一人である男の子を大いに喜ばせる。

 すごい女の子だろう? あそこでマッカス軍長と戦っているお兄さんの妹さんなんだぞ。

 すご~い。僕もあんな風に強くなりたい! なれるかな?

 あぁ。きっとなれるさ。帰ったらお父さんが剣の振り方を教えてあげよう。

 親子のやり取りは続くも、ルーガーとしては自分の子供を戦場などには送り出したくない。

 そこは命を奪い合う場所だ。

 平和な時代が訪れることはなく、それを誰よりもわかっているからこそ、ルーガーは自分にできることをやるしかない。

 息子を鍛え、生き抜けるだけの強さを身に付けさせる。

 もっとも、これは容易なことではない。

 モンスターの強さは人間のそれを遥かに超越している。

 ひ弱なモンスターもいる一方で、冒険者や軍人のような特別な人種であろうと太刀打ちできない強敵がいることも事実だ。

 例えば、ゴブリン。人間のように戦闘力の幅が非常に大きく、多数の魔法や戦技を巧みに操る精鋭が、過去の戦争で幾人もの軍人達を葬ったと記録されている。

 例えば、オーク。ゴブリン同様、固体毎にその強さには非常にばらつきがあり、その平均値は人間は当然ながらゴブリンすらも上回っていると噂されている。

 モンスターは強い。その上、数が厄介だ。

 この世界、ウルフィエナは命に溢れた世界だが、実は人間よりも圧倒的にモンスターが多く、平和な大陸は非常に限られている。

 トリストン大陸はその一つだ。三大大国がゴブリンやジャイアントとの戦争に勝利し、オークの侵攻にも互角以上に渡り合えている。

 もっとも、この大陸は例外だ。残念ながら、他の地はそうもいかない。

 北東のシーブル大陸はオークが完全なる支配を終えている。少数の人間が団結し、未だに抵抗を続けてはいるが、旗色は決してよろしくない。

 東のアリカ大陸は、ネレネン王国とリザードマンが長年争っている。近年ではオークまで参戦したことで、戦争の行く末は不透明だ。

 西のコンティティ大陸では、王国に住まう人々と少数の魔女、そしてジャイアントが三つ巴ではないが膠着状態を維持している。

 人間とモンスターは殺し合う。互いにそういう宿命を背負わされており、決して抗うことはできない。

 人間は自分達よりも圧倒的に強い存在に対抗するため、己を鍛え、武器や防具を作り出し、戦術を磨き上げることで生きながらえている。

 ルーガーは軍人だ。子供はまだモンスターを見たことがなく、できればそのまま大人になり、平和な一生を過ごして欲しいと親として願ってしまう。

 ネッテは冒険者だ。兄と出かければ、その先で何体ものモンスターに刃を突き立て、命を奪う。それが生業であり、生きるためには必要だ。

 ネッテは人間を殺したことがる。その理由は防衛のためであり、アジールのためだ。そうしなければアジール共々囚われ、実験台にされていただろう。

 ゆえに躊躇なく殺すことができたが、一方でまだ十五歳の少女だ。人の生き死にを目の当たりにしたことなど少なく、親しい存在の死は両親以来だ。

 ゆえに、この事実には衝撃を受ける。

 突然の死。

 残酷な死。

 受け入れ難い死。

 悲しまないはずがない。一般人と比べれば耐性がある方かもしれないが、知り合いの体が上下に裂けた場面に出くわせば、自然と腕も震えてしまう。


「大丈夫。今はこの人達に任せよう。私達の出番がやってくるまで」

「――うん」


 アジールは母のように小さな手を握る。

 ネッテにとって、その温もりと柔らかさは安心感そのものだ。冷え始めた感情はゆっくりと氷解される。

 この二人は申し分ない実力を秘めた冒険者だが、多数の軍人に混じり戦うことは難しい。

 足を引っ張るかもしれない。

 戦いの輪を乱すかもしれない。

 真っ先に殺されるかもしれない。

 なんにせよ、今は見守ることが最良な選択だ。

 なぜなら、二人にしかできないことがある。

 リインが肉弾戦に徹すると宣言したところで、それが守られるかどうかはわからない。もしシンイを使われた場合、ここにいる全員、それこそ飛び抜けた実力者の隊長や軍長と言えども、この女に抗うことはできない。

 四人だけ。神の代行者と戦える人間はたったの四人だけだ。

 その内の二人がネッテとアジールであり、エミリアにとってはある意味切り札となっている。

 万が一、自分達が無力化されたとしても、その状況を覆してもらえるという算段がこの二人の存在によって立てられる。

 だからこそ、出番がまわってくる時までは待ちに徹するべきと言える。

 この時間は彼らの持ち時間だ。今なお増え続ける軍人達は、誰もが危機感を抱きつつ戦場に立っている。

 相手はリイン一人だが、彼らは決して手を抜かない。それどころか全力以上のありとあらゆる全てを出し切ってこの女を迎え撃つつもりでいる。

 それゆえに、残された猶予を無駄にはしない。


「この調子で全員殺してあげる。あなたは最後。さて……。来ないなら私から近づいてあげる」

(何たることだ……。今の攻撃は私でも避けきれない)


 赤い瞳がゆっくりと移ろう。死体からエミリアへ、そして次の獲物達へ。リインは髪をひゅるりと舞いあがらせながら、反転を終える。

 殺した人間と最後の獲物には用がない。眼前に集う大量の人間達を一人ずつ抹殺することを最優先と定め、もちろん自身の体をコントロールするための予行練習でしかないのだが、今となってはどちらでも構わない。

 エミリアは完全に理解させられる。以前なら自分でもなんとかなった相手が、今は手の届かない化け物に成長してしまった、と。


(時間を……稼がないと。一秒でも長く、一人でも多く救うために。早く来い!)


 今のままでは倒せないとわかったところで嘆きはしない。自分だけでは歯が立たないなら協力すれば良い。

 この国には超人と呼ばわれる軍人が七人もいる。残念ながら、その内の五人はそれぞれの用件で祖国を離れているが、裏を返せばエミリア以外にもう一人滞在している。

 彼の力が必要だ。この騒ぎを嗅ぎ付け、必ず駆け付ける。

 そう理解したからこそ、左手の剣を握りしめ、ルーガーの亡骸ではなく、赤い長髪をたなびかせる後ろ姿をじっと睨みつける。


「百年ぶり? 人間の排除ってやっぱり楽しい。あの時はモンスター達にやらせたけど」


 言い終わるや否や、リインは静かに走り出す。この地の誰よりも速い疾走は、軍人達に迎撃の隙すら与えない。

 だが、エミリアの思惑に答えるかの如く、女の前進は一旦阻止される。

 まとわりつくような圧迫感が、リインの体を包み込む。このまま走り続けようと、誰も殺すことはできない。それを使われた者は、強制的にその人物しか攻撃できないからだ。


(これは?)


 リインをもってしてもわからない。背後からの意味不明なプレッシャーが原因だと理解できているものの、そこにいる人物は後衛補助役だけであり、移動を阻害する弱体魔法、グラウンドボンドでないことは、足が持ち上がることから否定できる。


「まさか……」


 そして気づかされる。

 赤い軍服を着る女だけではない。そこにはもう一人、死体が転がっている。


「ウォー……シャウト……だ。黙っては……行か……せん」

「ルーガー!? 回復を!」


 地面に這いつくばりながら、体を二分された男が最後の力でそれを発動させる。

 ウォーシャウト。相手を自身に縛り付ける戦技。これをもってすれば、いかに人間の皮を被った異形であろうと、一時的に縛り付けることができる。

 魔法と戦技はこの世界の根底を成す仕組みそのものだ。神に選ばれし絶対者だからこそ、その法には従うべきとも言える。

 エミリアの叫び声を合図に、回復魔法の習得者達は一斉に走り出し、射程ギリギリから各々の魔法を詠唱する。

 死者を蘇らせることはできない。回復魔法はそこまで万能ではないからだ。

 しかし、負傷者を癒すことはできる。下半身を切り落とされた現状でも、それを本来の場所に添えて回復魔法で治療すれば、結合すらも可能だ。

 キュア。

 オーバーキュア。

 ヴィジリング。

 様々な回復魔法が勇敢な男をやさしく包み込む。

 一方、最も近い位置に立っているエミリアは、急いで下半身を拾いあげ、ルーガーの元へ急ぐ。

 このままでは下半身を失ったままでルーガーの傷が癒えてしまう。それでは一時しのぎの延命行為でしかない。

 今ならまだ間に合う。オーバースペックで走力が向上したエミリアなら、優秀な軍人達の治療に割り込んで体を結合させることが可能だ。


「わずらわしい」


 その一言はリインの率直な感情だ。殺した人間を二度殺す手間はひたすらに面倒ゆえ、涙ぐましい治療行為には虫唾が走る。

 だからこそ、手間だがやるしかない。

 ウォーシャウトにより、今は死にかけのルーガーにしか手出しができない。それならそれで従うまでだ。

 下半身を回収したエミリアをあっさりと追い越し、長い髪を線のように走らせ、その女は転がる男の頭を完膚なきまでに踏み潰す。

 まるで形が不出来ゆえに出荷できない野菜を処理するかのように、慈悲などなく、その球体を粉々にかち割る。

 いかに魔力が高い後衛回復役が団結しようと、トドメを刺されてしまっては手遅れだ。

 それをわかっているからこそ、リインは彼らの行いがいかに愚かか思い知らせるため、ルーガーの頭を潰し、死者の数を一人追加する。


「決めた。次はキュアを使ったこいつら」


 エミリアや回復行為に及んだ十人以上の軍人達が息を飲む一方で、リインは表情を変えずに腹を立てる。

 殺す人間に優先順位を設ける必要がある。今のやり取りからそう学習する。

 鍛錬にフォーカスを合わせれば、回復魔法を扱える軍人は最後に殺した方が良い。負傷者を前線に復帰させてくれるのだから、本来ならばありがたい存在だ。

 だが、人間を絶滅させることに重きを置くならば、彼らの存在は目障り以外のなにものでもない。

 だから殺す。

 最初に殺す。

 リインはそう決定する。

 もちろん、デフィアーク共和国を守護する精鋭達がそれを良しとするはずがない。

 エミリアの魔法が効かないことは確定している。

 だが、戦技に対しては抗えないことがルーガーの死と引き換えに証明される。

 ゆえに守れるはずだ。

 冒険者がパーティを結成してモンスターと戦う際、前衛は相手の挙動を随時監視し、後衛の安全を確保しなければならない。

 とりわけ盾役にとっては最重要事項だ。もし、モンスターが魔法を毛嫌いし、後衛に狙いを定めた場合、ウォーシャウト等ですぐに対応することが定石とされる。

 もちろん、このことは軍人にも当てはまる。

 そして、この戦闘においても、ましてや相手がモンスターではなく人間であろうと、やるべきことは変わらない。

 シンプルだが失敗の許されない戦術。

 信頼関係の上に成り立つ絶対普遍の戦法。

 ウォーシャウトのような殺意を無理やり捻じ曲げる戦技は、これらを可能とする非常に効果的な手段だ。

 後衛攻撃役に分類されるリインは、こういった戦技を習得していない。他者から奪った強化魔法等、本来ならばありえない引き出しを持ち合わせてはいるものの、前衛が習得する戦技までは手中に収めていない。

 使えないからこそ、知らないからこそ、その有効性を見出せていない。どちらにせよ、これからその身をもって思い知る。

 リインは返り血で汚れた黒いドレスの裾をヒラリとたなびかせ、次の獲物として白いティーシャツ姿の男に狙いを定める。

 茶色い髪は五分刈りに整えられており、遠目からは坊主頭に見えなくもないが、短い髪が生えそろっている。

 人当りの良さそうな顔立ちとあまり筋肉質ではない体つきは、彼が回復魔法のスペシャリストだと一目で知らしめる。

 ジョギングの最中だったため、武器や防具は用意できていない。それでもキュアで戦闘に貢献できる以上、この若者は我先に飛び出し、瀕死のルーガーを治療した。

 ゆえに狙われてしまった側面もあるが、もちろんそんなことを後悔したりはしない。

 仲間のために命をはる。盾役がそうであるように、回復の専門家も同じ信念を抱いている。

 赤と黒の二色で成り立つ殺気の塊が、命を刈り取るため、この軍人に襲いかかる。無手で戦える軍人も多くいるが、残念ながら彼はこのケースに当てはまらない。

 何より、迫り来る女の速度に動体視力が追いつかない。

 自分の死を受け入れるより先に、殺されてしまうだろう。

 だが、そうならない。

 今は死なない。

 役職を持たない彼らにはどうすることもできないが、この群衆内には隊長の地位に納まる男と女が居合わせている。


「ウォーボイス!」


 一瞬で距離を詰めようと、黒いワンピースから伸びる右腕をその顔に伸ばそうと、この戦技を使われてしまっては中断せざるをえない。

 ウォーボイス。ウォーシャウトの範囲は自身を中心とした周辺に及ぶが、こちらは単体だけを御する。状況を選ばないという理由から使い勝手は良く、一方で再使用時間や効果時間に差異はない。


「こっちだ! 女!」

「――無意味なことを」


 リインは表情を少しだけ歪ませ、いきり立つ軍人に赤い瞳を向ける。人間ごときに指図されるいわれはないが、神が作り賜ったルールゆえ、今は大人しく従うしかない。

 この戦いが心底楽しいのか、その男は大きな口を吊り上げ、生意気そうな両目をギラギラさせながら獲物を挑発する。右手の槍は自身の背丈に匹敵しそうなほど長く、銀色の輝きは多少の埃や砂では衰えない。

 前ボタンをきちんと閉じていなくとも、空よりも青い軍服は隊長としての威厳をこの男に宿す。

 短い黒髪はツンと天を仰ぎ、ギラリと光る両目は獲物を見つけた狩人のそれだ。

 この軍人のあるべき主戦場は海だ。第一海軍はその名の通り、海上で戦うことを本職とする。

 だが、そんなことは関係ない。そもそも近年は敵対しているモンスターが大人しいため、彼らの仕事はもっぱら大地の上が多い。

 第一海軍はデフィアーク共和国における最強の軍隊だ。人数こそ第五陸軍に劣るものの、ごく一部の精鋭達がその平均値を大きく上昇させている。

 軍長と隊長。

 八人の隊長は一人一人が手の負えない荒くれ者だが、性格のひねくれ具合に比例して実力も突出している。

 彼らの多くは以前別の軍隊に所属していたものの、上長が匙を投げ、今ではとある男の下に集められている。

 第一海軍軍長。この国どころか、他国の軍人達もこの男には一目置いている。

 もし、北西のクルル島から一斉にゴブリンやジャイアントが、あるいは北東の大陸からオーク軍が一斉に攻め込んできたとしても、デフィアーク共和国だけは壊滅しないと噂されている。

 その理由はたった一人の男に集約される。

 身の丈は三メートル近くに達しており、この時点で人間とは思えないが、丸太のように太い四肢にはやはり人知を超えた力が溜め込まれている。

 この男にはいくつもの逸話が存在する。

 嘘か本当か。

 作り話か事実か。

 知る者は少なく、しかし、この国の軍人にとっては常識だ。

 その一つが、海上を高速で進む巨大な船、定期船の運行を邪魔した事件だ。

 この国でいくつもの窃盗を繰り返した犯罪者が、今まさに出向する定期船に乗り込み、他国への逃亡を試みる。

 そのことを小耳に挟んだこの男は、管轄外の任務にも関わらず、急ぎ港へ向かってしまう。

 犯罪の取り締まりは第四陸軍の仕事だが、定期船、すなわち海の上に犯人がいるという事実がこの男を駆り立て、責任感を動力に変えて走らせる。

 軍区画と港は、デフィアーク共和国の東と西に位置する。つまりは最も離れた真逆の場所にそれぞれが存在している。徒歩で移動する場合、およそ二十分程度は見繕う必要がある長距離だ。

 いかに走ろうと、これから出航する機船に間に合うはずもない。

 時計の針は今まさにその時刻を指し示しており、定期船は時間きっかりに出発してしまう。

 足がある程度速く、体力に自身があれば、五分とかからない距離かもしれない。つまりはどうあがこうと間に合わない。

 そんな距離を、第一海軍の軍長はまるで飛ぶように走り、出航直後の定期船に追いついてしまう。

 この時点でありえないが、それでも本来ならばここで終了だ。

 走り出した巨大な船に手出しなどできるはずもなく、定期船の運航室へ連絡を入れる手段もなく、つまりは港から手を振って見送ることしかできない。

 だが、この巨漢は至極当然のようにやってのける。

 乗船口は既に閉じられており、山のような機船は内燃機関を唸らせながらゆっくりと港から離れようとしている。

 飛び乗ることはできただろう。見上げてもデッキは見えないが、崖のような高さを跳躍だけで越えることはこの男にとって朝飯前だ。

 そうした方がスマートだっただろう。

 被害額を抑えられた上に、なにより定期船の運航を阻害せずに済んだはずだ。

 そうしなかった理由はただただこの男の配慮と思案が足りなかったからだ。眼前の巨大な物体に興奮させられたからとも言える。

 女性の胴体よりも太い腕を真っ直ぐ前へ伸ばす。

 足場はこれ以上前にはなく、海へ落ちるギリギリの場所だ。

 そして、届いてしまう。

 ゆっくりと離れていく船の外壁へ、長い腕がズブリと突き刺さる。

 ゴツゴツとした五本の指が内部の何かを鷲掴み、用意は完了してしまう。

 さぁ、勝負の始まりだ。

 この男の腕力が勝るか、巨大な船がその重量を誇示するか。本来ならばありえない力比べが、デフィアーク共和国の港で開催される。

 あらゆる生物を萎縮させるような低い声を響かせ、黄色い軍服が膨れ上がる。この男がまとう筋肉の躍動が始まった証拠だ。

 港区で務める住民達は、色んな意味でこの行いに介入できない。

 その軍服を着る男はこの国に一人しかいないからだ。つまり、この男が誰なのか、一目で理解できてしまう。

 そして、最たる理由は、放たれる重圧が生物としての圧倒的な格の差を実感させるからだ。

 そもそもやろうとしていることが理解できないのだから、どう声をかければいいのか、わかるはずもない。

 定期船の運航を管理する職員達も、海を眺めに来た町民達も、釣り竿を握る男達も、子供を連れて散歩している母親も、誰もがただただ唖然とさせられる。

 この人は何をしようとしている?

 そんな疑問に答えを用意できる者はいない。

 自らの目で、結果を目撃しなければ回答など得られるはずもない。

 そして、軍人の足元に亀裂が走る。石造りの波打ち際が、重さに耐えられずに悲鳴をあげ始めたからだ。

 そんな声は機船のエンジン音とこの男の低い声に飲み込まれてしまう。

 競い合う両者のどちらに軍配が上がるのか。本来ならば検討するまでもない。

 機船はジャイル森林の木材を筆頭に、多様の金属類を用いて造船されている。

 全長は五十メートルを、高さは二十メートルを越えており、何よりその重量は千トンを上まわる。

 こんな巨大な施設がトリストン大陸周辺の海域を猛スピードで進むのだから、人間の叡智が作り出した世紀の大発明と言っても過言ではない。

 もっとも、第三者の入れ知恵があったからこそ完成したのだが、そのことを知る者はこの世界にはいない。

 人間は当然ながら、その巨体さが武器とも言えるジャイアントですら、この船の前では小人のようだ。

 山を砕き、ひとなぎで村々を滅ぼすドラゴンには及ばないが、機船の比較対象として唯一成り立つ存在だ。

 人間が持ち上げられる重量など、数十キロから多くても百キロ程度だろう。

 これは普通の人間に対する総評であり、モンスターと渡り合える稀有な彼らはその尺度から逸脱する。

 冒険者や軍人。そういう意味において、この人種は人間ではないのかもしれない。

 持てる重さはそれこそ個人差はあるものの、ネッテのような子供でさえ、五十キロ程度の重さなら笑顔で持ち上げてしまう。

 前衛や盾役に分類される冒険者の中には千キロ、すなわち一トンの重量挙げが可能だ。

 自分に向けて射られた矢を素手で掴み取れる人物もいるのだから、一般人と同様の測定方法に意味などないのかもしれない。

 西の大陸では、薬きょうがこめられた弾丸を撃鉄で叩いて発射する兵器、銃が開発されたが、その弾すらも見極め、指でつまむことが可能な超人が英雄として王国に君臨している。もっとも、人々を守り、慕われるべきその人物は、恐怖の対象として取り巻き以外からは畏れられている。

 トリストン大陸にはまだ銃が輸入されていないが、もし同様のことが可能かと問われれば、冒険者や軍人の一部はやってのけるだろう。

 その一人は間違いなくこの男だ。

 二倍近い身長は、日常生活をおくる上ではただただ邪魔なだけだが、こと戦闘に関しては有利に働く。

 リーチの長さはそれだけで利点の一つになるからだ。

 白い歯をくいしばるその男は、視界を覆う定期船の側面に両腕を突き刺し、今まさに持ち上げ始めてしまう。

 小山のように巨大な船がゆっくりと海面から浮かび上がろうとするその光景は、この地で生きる人々にとっては初めての経験だ。

 何がうれしいのか、大男は大声で笑う。

 黄色い軍服が、膨れ上がった筋肉のせいでビリビリに破けてしまったことが愉快だからか。

 自分でも定期船を持ち上げられるとは思ってもみなかったのか。

 否。どちらも違う。祖国の平和を守れることがうれしくて仕方ないからだ。

 出航を開始した船はもはやそれ以上進まない。このような不足の事態に陥れば、船長が緊急事態を発令して運行を中止するからだ。

 本来ならば、このような方法で泥棒を追い詰めることは危険極まりない。周囲には何も知らない一般人が乗船しているのだから、人質にとられてしまっては元も子もない。

 もちろん、この男はそんなことまでは考えておらず、それをわかっているからこそ、追いかけて来た他の軍長が彼をカバーするように機船へ飛び乗り、傾いている船内で見事犯人を捕縛する。

 もう降ろしていいぞ。

 そう言われるまで、第一海軍の軍長はけたたましく笑い続ける。

 誰よりも速く、誰よりも力強く、誰よりも正義感に溢れたこの男は、少しばかり知能が低いかもしれないが、それでも最強の人間に他ならない。

 ザザ。五十三歳。どこかの館長ほどではないが、髪の本数はいささか少なく、円形に禿げ上がった頭部は茶色い髪と肌色の二色で構成されている。

 その年齢ゆえに少々老けて見えるが、今なお鍛錬は日課に組み込まれている。その結果、金属のように硬い筋肉は日々体積を拡大させている。

 軍長七人の中で、ザザは最も年長だ。

 だからというわけではないが、他の六人はこの男に厚い信頼を寄せている。

 自分達を上回る強さと、相手が誰であろうと態度を変えない性格が、自然と他人を惹きつける。

 それゆえか、軍隊の中でその規律や同僚達との交流に馴染めない者の行くつく先として、第一海軍が選ばれることが多い。そんな人間に限って実力は桁違いに高いからこそ、決して見捨てることはできない。

 目をギラギラ光らせ、殺し合いの最中にも関わらずどこか楽しそうなこの男もその内の一人だ。

 リインの超スピードに反応できた数少ない盾役ゆえ、回復役の同胞を何とか救うことに間に合う。

 右手の槍はミスリル製だ。鏡のように表面が輝いていてもおかしくはないが、道具を大事にしないのか、少々薄汚れている。

 青い軍服の前ボタンをとめていないことからも、そういう性格なのだとリインですら一瞬で見抜くが、そんなことを詮索するつもりもなく、なによりこれから殺す人間なのだから、全くもって興味などわかない。


「貴様は確かに強い! だけどなぁ! 俺に勝てると思うなよ!」


 この男は狂っている。隊長という肩書きは狂人に与えられたりはしないが、軍長のせいで自分の中の価値観や基準点がことごとくずらされてしまった結果、この化け物相手にも一切怯まない。

 リインが放つ静かな殺意は、人間が虫に向けるものだ。家の中に侵入した小さなそれらを、叩き潰す時のそれに似ている。

 一方で、この場に居合わせる軍人達を一人残さず殺す気概を含んでおり、狙われている立場の者達は、本来ならば委縮するか逃げ出さなければおかしい。

 ここにはそれをしない、すなわち生物としてどこか壊れている愚か者しかいない。

 その中でも一際異質な人間が、類まれな反射神経でリインの猛進に対応してみせたこの隊長だ。

 刺々しい黒髪も、血走る眼も、よく動く大きな口も、普段と変わることなく自分らしさを演出している。

 リイン。この女は酷くおそろしい人間だ。

 そんなことはトリストン大陸の軍人達なら誰もが知っている。イリック達からもたらされた情報が水平展開されており、ガーウィンス連邦国ではつい先日まで情報統制されていたが、それも今は解禁されている。

 二代目、神の名代を名乗るということは、三百五十歳を超える歴史の観測者だ。その実力は年齢同様、常識には納まらない。

 サラミア港ではネッテによって細切れに去れるも、テレポートのような魔法でその場から撤退する。

 また、その戦闘で繰り出したフレイムの火力は、ミスリル製の剣すら溶かすほどだ。

 人間同士を引っ張りあわせ、激突される引力のような能力も使える。

 そして、シンイと呼ばれる不可思議な威圧感を周囲に展開することで、その中の人間達から意思や殺意を奪い去ることが可能だ。

 これらの摩訶不思議な術も、何より不老不死の人間など、誰も見たことも聞いたこともない。

 おとぎ話にも歴史を記した書物にも見当たらない存在が、遥か昔にガーウィンス連邦国で生まれ、国家元首に選ばれた後、その姿をくらましたということになる。

 笑い種だ。冗談でもなければ夢や幻でもない。

 今こうして、彼らの目の前に現れただけでなく、瞬く間に同胞達を十人以上も焼き尽くした上、頭部を半分切り落とされても平然としていたことから、疑ってはいなかったが認めざるをえない。

 このような化け物と対面すれば、普通の人間は恐怖のあまり震えるか笑うしかない。自分の命が次の瞬間にも奪われるのだから、正常な思考は早々に失われる。

 にも関わらず、この男もけたたましく笑う。だが、理由は根底から異なる。

 眼前の排除対象がどれほどおどろおどろしい異形であろうと、この軍人は臆することはない。

 それがモンスターであろうと、指名手配中の女であろうと関係ない。

 なぜなら、これよりも強い人間を知っているからだ。

 自分達の上官、すなわち第一海軍軍長のザザを常日頃から目の当りにしている彼らにとって、リインは確かに手ごわい相手ではあるが、怯えるほどの対象ではない。

 比べるまでもなく、この女よりも軍長の方があらゆる面で圧倒的に上だ。

 体の大きさ。

 筋力。

 脚力。

 凄み。

 リインが勝る点は、魔法や不可思議な能力を扱える点くらいだろう。

 不死性。この一点においてすら、両者は同格なのだから。


「うるさい男」

「無口な女は嫌いじゃないぜぇ!」


 大勢の同胞達に囲まれた男と、ポツンと立つ女はにらみ合うように視線をぶつけ合う。

 ウォーボイスにより眼前の回復役を殺せなくなった結果、リインはその場で足を止めて顔だけをその方角に向ける。

 右手の槍は先端が見えないほど高速に回転しながら、その男の体を舐めるように踊り舞う。

 ピタリと止まった瞬間が、戦闘開始の合図だ。

 こういった暗黙の了解に疎いリインですら、その程度は理解できる。

 もっとも、そんなこととは関係なしに、群衆からはみ出していたエミリアは攻撃を開始する。

 自分の相手は最後。そう宣告されようと、そんな言葉を鵜呑みにはせず、そもそもそういうことなら都合が良い。

 隙だらけの背中へ、否、赤い髪の出発点である後頭部へ、愛剣のシュレイガーを突き刺すために疾風の如く追いかける。


(もらった!)


 エミリアはこう推測する。

 いかに死なないリインであろうと、脳を破壊されれば一時的に思考が停止するだろう、と。

 この考えが正しいか否か、それは試してその結果を確認すればよく、ゆえに今から実践する。

 戦場で無為に立ち尽くすその姿は、戦闘経験に乏しい素人のそれだ。

 この女が何百年と生きながらえ、どれほどの命を奪ってこようと、戦い方は魔法を主体とする後衛攻撃役に他ならない。

 接近戦において、この国の軍人達に敵うはずがない。

 だが、そんな考えこそ、この女には当てはまらない。人間のものさしでは人間しか測れない。つまりはそういうことだ。

 途端、黒いワンピース姿はそこからいなくなる。

 凝視していたエミリアでさえ、その動きを追い切ることはできない。あたかもその場から消え去ったとしか認識できず、殺されかけた若々しい軍人と目が合ってしまう。

 どこにいる?

 そんな問いかけは、誰の頭にも浮かばない。直前のやり取りが、答えを提示しているからだ。


「シッ!」


 歯をくいしばるような声から一瞬遅れて、二つの斬撃が空間を切り裂くついでにそれぞれの衝撃波を撒き散らす。

 片方は長い槍が発生源だ。銀色のそれは迫り来る黒い影を粉砕するように、持ち主の右から左へ振りぬかれる。

 もう片方は、黒い殺意が軍人の横を通り抜けた際に産み落とされる。左手に男を眺めながら、もちろん素通りのために駆けたわけではない。

 何が起きたのか、一部の人間しか認識できておらず、もっとも全員へ知れ渡るまでに要した時間はごくわずかだ。

 流れ出る液体が青い軍服を真っ赤に染め始める。

 首の左側面を深々と切り裂かれたのだから、太い血管から滝のように命が漏れ出てしまう。


「――やるじゃねーか、女……」


 敗者は左手で首を抑えながら、ゆっくりと振り向く。その程度で止血できる傷ではなく、それでも延命処置を怠るわけにはいかない。


「思ったよりは速かった」


 勝者もまた、背筋を伸ばして棒立ちのまま反転する。

 発言通り、想定を上回る速度でミスリルの槍が迫ってきたが、彼女の方が単純に速く、結果として、槍が届くよりも先に左手が相手の首を掻っ切ることに成功する。


「あの小僧よりはすばしっこい……か。なるほど、確かに今のままじゃ……無理だろうな」


 小僧とは冒険者、イリックのことだ。

 この男は第一海軍所属ゆえ、本来ならば冒険者とは縁のない世界に住んでいる。冒険者は海上で戦うことはまずないからだ。

 なぜか?

 どういうわけか、モンスターは海の中に生息しておらず、海中での活動が可能なものも少なからずいるが、それが海の中で暮らす理由にはならない。

 ゆえに、海軍と冒険者の間には接点がないのだが、最近は海軍も手持無沙汰ゆえ、地上で他の軍隊と共同戦線を張ることが多い。

 その一環として、つい先日の冒険者強化月間に行き着く。

 その期間、イリックとこの軍人は幾度となく手合せをする。

 二人の軍長が冒険者を鍛え上げるため、朝から晩まで軍人達と戦わせたのだが、その強さが足枷となって、必然的に対戦相手は限られてしまう。

 隊長以上。

 イリックの強さはそこそこ高く、何より内に蓄えられたまま日の目を見ずにくすぶっていた経験値が、きちんとした指導者のもとでいっきに花開く。

 隊長の人数は非常に少ない。軍長の七人と比べれば一桁多いものの、裏を返せば三桁には届かない。

 何より彼らは多忙だ。仕事でこの国にいないことも多い。

 隊長未満の軍人達が腕試しや好奇心でイリックに挑むことも多々あったが、その程度の実力ではあっさりと倒されてお終いだ。

 ゆえに本格的な手合せは隊長や軍長が務めなければならず、しかしイリックが泣きつくため、軍長ではなく隊長との模擬選が最も多く組み込まれる。

 ウェイクとマッカス、どちらも手加減というものを知らないため、イリックは模擬戦の度に半殺しにされてしまう。強くなるためとは言え、毎回死に掛けてしまっては、身も心ももつはずがない。ゆえに対戦相手の選定は非常に重要だ。

 最も多く戦った隊長を挙げれば、それは常日頃からニヤニヤ笑う横暴な男、今まさに敗れてしまったこの隊長だろう。

 イリックが降参を宣言しようと、それこそ意識を失おうと、この男は戦いを続行する。

 そうしても良いと二人の軍長に許可を得ていることも関係しているが、予想以上に鍛えがいがあるこの少年が、凶暴な性格とその内に秘める男気に火をつけたからだ。

 打てば響くその才能は、まるで第三陸軍の軍長を想起させる。

 今でこそ立場は隊長と軍長ゆえ、この二人が戦うことは滅多にないが、それでも過去に遡れば幾度となく拳や武器をぶつけあった間柄だった。

 この軍人は知っている。

 ウェイクの努力と成長曲線を。

 想像できる。

 イリックの可能性とその行き着く先を。

 ゆえに、手加減などしない。

 手心など加えない。

 審判や観客が待ったをかけるまで、この男は無慈悲なまでに少年を痛めつける。

 だが、その甲斐があったのか、イリックはみるみる頭角を現し、ものの一週間程度で隊長達と肩を並べる。

 そこからはさらに加速し、一か月が過ぎ去る前には、ルーガーを含め隊長全員がこの冒険者に追い抜かれてしまう。

 愉快だ。

 笑いが止まらない。

 それは首を斬られた今も変わらず、勝利を当然と受け入れるリインの素っ気ない態度を前にしても口はにやけてしまう。

 魔法も使わず、異質な力も発動させず、魔法使いが自分を打ち負かす。

 傑作だ。

 楽しくてたまらない。

 そんな思考もあるにはあるが、この男は全く別の理由で口元を吊り上げる。

 何の根拠もなく、しかし、何事にも代えられない確信がこの男の脳裏に浮かぶ。

 だからこそ、自然と笑みを浮かばせる。


「これから死ぬのに、なんで?」

「おまえさんは知らなくていいんだよ。それに……、まだ勝っちゃいないだろうが!」


 単なる強がりかもしれない。

 負け惜しみかもしれない。

 いかに深手を負おうとも、死ななければ周囲の仲間達が回復魔法であっさりと治療してくれる。

 だが、そんな後ろ盾は意味を成さず、この状況において死は免れない。リインの破壊力は人間を、それこそ冒険者や軍人であろうと例外なく壊せてしまう。

 状況把握を終えた他の盾役が戦技を発動させるよりも先に、前衛攻撃役が走り出すよりも前に、後衛回復役が魔法を詠唱するよりも早く、二人は次の一打を繰り出す。

 血だらけの男は心底楽しそうに、グンと体を前進させて女に迫る。

 槍を握る右腕は驚異的な速度で伸びる一方、反対側の手は首を抑え続ける。

 ミスリルの穂先は目視できない破壊力でリインの腹部を突き破ろうとするも、残念ながら勝負は既に決している。

 正面から近寄る歩行者に道を譲るかの如く、赤い髪と黒い服は左側へさっと揺れてこの攻撃をいなす。

 その動作の延長上でずずっと前進し、綺麗な右手で男の顔を覆う。

 不愉快な表情を隠すためではない。この人間を殺すためだ。

 次の瞬間、男の顔はそこにはない。首の上に鎮座すべき部位は、振りぬかれた右腕によって地面にバシンと叩きつけられる。

 頭部を失った体は槍を突き出した姿勢のまま、ゆっくりと横へ倒れていく。

 地面に寝転がった時のような光景を眺めながら、この男はやはり最後まで笑みを浮かべる。

 もはやしゃべることなどできない。

 動かしたい四肢も見当たらない。

 霞んでいく思考に抗うこともできず、それでも差し込む光がこの男の目に映り込む。

 自分を殺した女は確かに強い。

 だが、上には上がいることを、思い知らしめる存在をこの男は知っている。

 組織に馴染めず、はみ出し続けた自分を受け入れてくれた上官と、シンイに抗えるただ一人の男。

 さぁ、競え。

 獲物はここにいるぞ。

 どちらがこの女を倒すのか、想像するだけで楽しくて仕方ない。

 残念ながら結果を知ることはできない。

 それが悔しく、けれどもやはりおもしろい。

 死後の世界があるのなら、そこで訊くしかない。そう前向きに捉え、敗者は大人しく死を受け入れる。

 そうするしかない。

 それしかできない。

 選択できない不条理さを満喫しながら、すっと視界が闇に飲み込まれる。まぶたを閉じる必要もなく、目の前は既に真っ暗だ。

 こうして、ルーガーに引き続き、隊長クラスが二人も殺されてしまう。

 この事実は、一瞬だがこの戦場を凍りつかせる。

 空気の変化を感じ取り、リインは亡骸の隣でゆっくりと周辺を眺める。

 無表情ながらも、本人しかわからない程度に笑みがこぼれる。今度こそ、恐怖に打ち震えた表情を一望できると踏んだからだ。

 しかし、その願いはどうしても叶わない。

 彼らは屈しない。ここは戦場だ。

 彼らは泣かない。今は戦いの最中だ。

 やるべきことをやるまで。そう理解しているからこそ、自らを奮い立たせ、倒すべき相手を睨み付ける。

 デフィアーク共和国の軍人は、そこまで弱くはない。


「つまらない」


 そうつぶやくや否や、リインはふと気づかされる。

 単純に殺したりないだけだ、と。

 既に十人以上を殺したものの、周りには数十倍の人間達が集結している。

 その数では不足している。

 心を折るにはもっと生贄が必要だ。

 そう解釈し、隙あらば迫り来るエミリアを淡々とあしらい、当初の獲物達を順番に殺すことから始める。


「え……?」


 何が起きたのか、その若者には理解できない。

 正面からドスンと衝撃が加わったが、それで転倒するようなことはなく、しかし、眼下には赤い髪が見えている。

 ズブリと胸部から何かが抜かれると、黒いワンピースから伸びる右手が真っ赤な何かを握っている。

 見覚えはない。しかし、それが何かはすぐに理解できる。

 弱々しく脈打つそれは、リインの右手に納まっていてはいけないものだ。


「返せ」


 この軍人は味方の傷を癒す回復役だ。人柄の良さそうな顔つきをしているものの、軍人である以上、単身でモンスターと戦うこともできる。

 そういう背景とは関係なく、今の表情は鬼気迫る。

 気づけば、自分の心臓が抜き取られたのだから、悠長に構えている場合ではない。

 右腕を伸ばし、振り絞るように左足を一歩を踏み出す。

 だが、リインがその要望に応えるわけもなく、一言も話さず、右手のそれをあっさりと握りつぶす。

 それと同時に、この若者は前のめりに倒れ込む。

 抜かれた心臓と魂が繋がっているわけではないが、タイミングは完全に一致してしまう。

 こうして、リインは先ほど狙った一人目をやっと殺害する。

 ルーガーに治療行為を行った人間の抹殺。もちろん、この場にいる全員を殺すつもりだが、先ずは回復魔法を唱える連中が最優先だ。


「次」


 この発言と共に、リインは記憶に留めた男達の顔を見渡す。

 一撃必殺を可能とするこの女にとって、キュアのような魔法は全く意味を成さない。それでも腹正しいことには違いなく、ゆえに邪魔されない限りはこの連中を順に殺す。

 ここからは乱戦だ。決して、一対一ではない。

 血しぶきが舞えば、そこには赤い髪の女が立っている。

 肉や骨は易々と砕かれ、返り血で汚れるよりも前に、その女は別の獲物を求めて移動を開始する。

 隊長や軍長でさえ手に負えない化け物だ。ここに居合わせた、もしくは駆け付けた軍人達では歯が立たない。

 一人。

 また一人。

 軍人達が様々な方法で殺されていく。

 頭部を地面に叩きつけられ、そのまま潰される。

 振りぬかれた左腕で、胸部を上下に分断される。

 口に右手を突っ込まれ、そのまま下へ破られていく。

 リインは近接戦闘の心得がないため、力任せに人間を破壊するしかない。もっとも、それだけでも十分事足りており、男達は順番に即死していく。

 その速さは圧倒的だ。回避はおろか防御の姿勢に移行するよりも先に、彼らの命は刈り取られる。

 エミリアは必至にリインを追いかけるも、時にあっさりと置き去りにされ、足を止めたタイミングで斬りかかろうと、一瞬で用事を済ませてしまうため、やはりそこに黒いワンピース姿は見当たらない。

 リインを縛ることなど誰にもできない。

 放たれる閃光はいくつもの弱体魔法だ。

 彼女が立つ足元の地面に黄色い輪が出現する。それは急激に収縮を開始し、小さな点を目指す。本来ならば、それを合図に対象はその場から動けなくなるのだが、輪は閉じきる前に砕け散る。

 液体のような塊がリインに命中すれど、水のように飛び散ってしまい、相手をじわじわと弱らせることは叶わない。

 茶色い輝きを放ちながら、魔力の塊が動きを鈍らせるために突き進む。十人以上が放ったそれのほとんどはあっさりと回避されるが、一つだけはリインのむき出しな左腕に命中する。もっとも、結果に変わりはない。その魔力もまた、他の弱体魔法同様、完膚なきまでに無効化される。

 圧倒的な魔力差が、リインとこの地の軍人達には存在している。

 そのせいで、彼らが放つ弱体魔法はこの女に一切通用しない。非情な話だが、魔法の成否はそういった要因で決定する。リインを魔法で弱らせることなどできるはずがない。

 ゆえに、彼らはそれを選択する。

 戦技。この神秘だけは、どれ程の実力差があろうとその効果を発揮することが可能だ。

 戦技の多くは、使用者の身体能力を強化する。

 腕力を高めるアグレッシブモード。

 速度を急激に上げるアサシンステップ。

 打たれ強さを強化する肉体向上。

 その数は非常に多く、なにより接近戦を主体とする前衛や盾役のニーズに合致している。

 だが、戦技の用途はこれだけではない。

 傷やマジックポイントを回復するもの。

 相手の注意を自身に引き付けるもの。

 そして、対象を弱体化させるもの。

 魔法以上に豊富な戦技だが、誰もがそれらを使えるわけではない。誰が何を習得するかは、この世に生を受けた瞬間から決定している。

 一人一人は限られた道具で貢献するしかなく、そういった背景からも、人間達は協力するのかもしれない。


「速かろうと!」


 その男は右手をかざす。たったそれだけのことで、狙った相手の体重を二倍に増やすことができてしまう。

 グレイブストーン。前衛攻撃役、ネレネン王国ではウォーリアに分類される人間が習得可能な戦技だ。

 効果時間は二十秒。

 再使用時間は五分。

 すなわち、使いどころが重要と言える。

 この戦技なら、子供が使おうと、老人が試みようと、相手がどんな存在であろうとその動きを鈍らせることが可能だ。

 体重が二倍になるということは、自分自身を担いでいるに等しい。

 普通の人間なら、途端に足取りは鈍くなる。

 鍛えている冒険者や軍人であろうと、従来のような俊敏な動きは不可能だ。

 だが、今回は相手が悪い。

 リインの体重は身長が伸びたことで幾分増したものの、それでもせいぜい五十キロ台だ。その程度の重りは、彼女のスピードに全く影響を及ぼさない。

 軽いからではない。決して細すぎない両足が、圧倒的な脚力をもたらしてくれる。

 ただそれだけのことで、回避不可能なこの戦技はあっさりと無力化させられる。

 圧倒的な破壊力で同胞達が次々と殺されようと、軍人達は屈しない。心で負けてはいけないと理解しているからこそ、彼らはこの女にも立ち向かえる。

 だが、精神論だけでは強くなれない。畏れを振り払うことはできても、力の差を埋めることはできない以上、結果を左右するには至らない。

 自身が狙われていると察した時には既に遅く、対応はどうしても後手となる。

 それならそれで構わない。そんな気概と共に、敗者達は最後の抵抗として武器を振りぬくも、目の前にいた女は既に次の獲物を破壊し始めている。

 目で追えない。

 居場所すら見極められない。

 ほとんどの軍人にとって、リインは完全に雲の上の存在だ。手も足もでない上官は身近にいるが、隊長や軍長と殺し合った経験などなく、そもそも勝負にすらならない。

 勝てるはずがない。

 そう理解するも、やはり戦意を失いはしない。

 祖国のために命を使い捨てる彼らは、仲間のためにも命をはることが可能だ。

 その最たる手段がウォーシャウトのような戦技の使用であり、これにはリインも抗うことはできない。

 この瞬間、周囲の軍人達に攻撃のチャンスが訪れる。

 彼女が次に誰を狙うか、それが確定しているのだから、もし、足を止めようものなら、阻むように幾人もの軍人達が取り囲み、それぞれの武器で斬りかかる。

 前後左右を手出しできない人間に包囲される。戦技によって行動を制限されてしまうと、たったこれだけのことすら脅威となる。

 だが、目的が明確な以上、この女はそれに向かって突き進む。

 殺せる人間から殺す。それだけのことだ。

 頭上が空いている。冷静な頭であっさりと答えを見つけだし、長い髪すら切り落とされることなく、リインはその輪からあっさりと脱出する。

 さぁ、殺してあげる。

 赤い瞳がギロリと獲物を捉える。

 空中ゆえに落下するまでの間は退屈だ。着地するまでの時間は誰にも平等に訪れるため、今は大人しく待つしかない。

 待ってあげるほど、彼女達は大人しくない。


「迂闊だったな」


 ついに見出した好機だ。見逃すわけにはいかない。

 赤い軍服を着た唯一の存在が、下降を始めたリインへ黒い刃を差し向ける。

 シュレイガー。剣先から柄まで、あらゆる部位が黒いこれは、ダーク鉱石から製造された希少性の高い片手剣だ。ミスリル製品を上回る超高級品だが、武器屋で普通に売られている。

 もちろん、庶民はおろかほとんどの冒険者が手にすることはできない。高額だから高性能なのではなく、産出量の少なさと性能の高さが金額を釣り上げる。

 鋭い剣身は、これが槍のように突き刺すことを用途としているためだ。切断することも可能だが、エミリアは飛びかかるようにリインとの間合いと詰め、黒い刃をワンピースに隠れた胴体へ真っ直ぐ進ませる。

 少なくともここから移動することはできない。いかにリインと言えども、空中を走ることも飛ぶことも不可能だ。

 何より、全くの無警戒だった。このタイミングで攻撃されることを想定しておらず、ゆえに虚を突かれたに等しい。


(少し)


 本気を出さなければならない。リインにとっても、この一撃は唸るしかない。

 軍長の実力を侮っていたわけではない。他の人間達と比較した場合、確かに突出して高い戦闘力を秘めている。

 それだけは間違いない。

 自分の動きをある程度補足できているばかりか、隙あらば攻撃をしかけられているのだから、体の操縦を慣らす相手としては適任だ。

 そう。エミリアをもってしても、その程度の相手でしかない。

 黒い刃は突進する。その速度は人間の動体視力では決して見ることができない。

 だが、狙われている人物は人間の姿をした別の生き物だ。いかにこの攻撃が抜群のタイミングで放たれようと、無警戒ゆえに反応が遅れようと、認識してからで対応は十分間に合ってしまう。

 空中で、両者は見つめ合うように対峙する。

 エミリアの左手から伸びる片手剣は、目標の部位に達しない。剣身の途中を握られた上に、それ以上の前進を腕力だけで邪魔されてしまったからだ。

 いかに油断しようと。

 どれほどに慢心を抱こうと。

 気にも留めていなかろうと。

 第二陸軍の軍長相手には不覚を取らない。つまりはそういうことになる。


「遅い」


 リインは無表情のまま、つまらなそうに感想を述べる。最後に殺すと宣言した手前、眼前のエミリアを殺しはしない。それでも実力不足を指摘せざるをえない。

 死角からの予想だにしない奇襲攻撃でさえ、エミリア一人では達成できないと完全に露呈する。

 エミリアだけでは傷つけることすら出来ない。

 つまり、やりようはいくらでもある。そういうことだ。


「遅~い」


 二人の足が地面に届く寸前、第三者の介入が始まる。

 作ったようなかわいらしいその声は、もちろん地声ゆえに演技ではない。

 途端、赤と黒、そして肌色の三色で構成される女の姿がそこから消え去る。

 先ほどまでも、こういったことは何度も繰り返されていた。リインの瞬発力は実力者揃いの軍人達を圧倒的に上回っており、一握りの人間にしかその移動を見極めることはできない。

 経験からわかってしまう。次の瞬間に誰かが殺されてしまうはずだ、と。

 しかし、今回はそうならない。なぜなら、リインは自らの足で獲物を襲いに向かったのではなく、突如として現れた三人目の女に蹴り飛ばされたのだから。

 遅い。この発言の意図は周囲の誰にもわからない。

 彼女にとって、リインの動きが遅いのか。

 やっと訪れた好機を待ちわびていたのか。

 エミリアのお膳立てに、遅いと文句を言っているのか。

 なんにせよ、久しぶりの反撃が成功したことには違いない。

 入れ替わるように現われたその人物は、スタッと軽快に着地を果たし、満足気にエミリアと肩を並べる。

 身長は軍長の方が少し上回っている。エミリアが長身なわけではない。茶色い髪で作られたツインテールを揺らすその軍人が、大きな胸とは対象的に小柄なだけだ。

 白シャツと茶色い軍服のズボン。この姿は彼女が第二陸軍に所属していることを意味する。茶色はこの軍隊に割り当てられたシンボルだからだ。

 上着を羽織らずティーシャツ姿ということから、先ほどまで走り込んでいたと見てとれる。

 戦技により高まった身体能力がもたらす蹴りの威力は、完全に虚をつかれたリインを群衆の輪からいっきに追い払う。

 何度も地面に叩きつけられ、砂を撒き散らしながら遠方に吹き飛ばされた結果、エミリアと彼女からはリインがボロ雑巾のようにしか見えない。


「よくやった」

「ネザーエナジーが切れそうでひやひやしました~」


 エミリアは排除対象から目を離さず、隣の部下を称える。

 その働きは反撃の狼煙だ。同時に、乱されたこの状況においてやっと一息つける貴重な時間を作り出す。

 褒めらえた女性は、右足をさっと後ろに曲げ、体を捻じるような動作で軽口をたたいて応答する。

 ファシーネ。隊長ではないのだが、その実力はそれと同等かそれ以上と言われている。

 昇進できない理由は簡単だ。性格と業務態度がよろしくない。シンプルゆえにわかりやすく、それでも実力は本物だ。


「エミリア軍長。あの女は想像以上です」

「ああ。イリック一人では勝てないわけだ」


 ファシーネに続き、隊長も合流を果たす。

 二人よりも長身の彼女は、やはり戦闘態勢の姿ではないものの、凛とした雰囲気が少なくとも隊長としての威厳を保っている。

 イマ。第二陸軍第一部隊を取りまとめる隊長。坊主ではないが非常に短髪で、白髪のような色は生まれつきだ。

 イマも、エミリアも、そしてファシーネも完全に理解する。

 リインは想定を遥かに上回る化け物だ、と。

 一方で、それに対する回答はそれぞれ別だ。


「三人でかかれば楽勝ですよ~。他のみんなはさっさと後退させましょ~」


 緊張感のない声色だが、この状況に臆していない証拠でもある。

 ファシーネは能天気な女性だ。しかし、この発言は実力を伴った結果であり、この国で紛れもなく上位に食い込む戦闘力を保持している。


「マッカスはまだか?」


 エミリアは対照的な判断を下している。三人では足りない。それこそ周囲の全員で挑もうと、結果は変わらないと踏んでいる。


「スルフィに武器を取らせに向かわせました。その際に情報は伝わるはずです」


 イマの推測は正しい。

 自分達は朝一のジョギング中だったことから、リイン襲撃から今に至るまで手ぶらのままだ。これでは殺しきることはできない。

 ゆえに、戦力にならないスルフィを走らせ、自分達の武器を持ってこさせる算段をたてたのだが、その際に本件を報告しないわけもなく、第二陸軍方面にもリインの出現は広まり始める。

 加勢されようと死者が増えるだけかもしれない。

 そんな危惧もあるにはあるが、一方でこの報告は必須だ。

 デフィアーク共和国における最強の一人、軍長のマッカスがその建物の一室で会議中だからだ。

 必ず伝わる。

 だからこそスルフィの報告には意味があり、この男が現れることで戦況は覆るはずだと、エミリアは冷静に分析している。

 裏を返すとこのままでは全滅してしまう。そんな結末が頭から離れない。


「大丈夫ですって~。ほら~、見てくださ~い。あの女、苦しそうですよ~」


 ファシーネが指差す方角では、ポツンと孤立している黒服の女がまだ起き上がれずにいる。

 先ほどの蹴りにはそれほどの威力が秘められていた。リインの内臓および体内の骨は、かき混ぜられたように破壊される。

 普通なら即死しておもかしくはないが、死の概念を克服した彼女にとってはただの負傷でしかない。

 それでも、回復が済むまでは五体満足に活動できない。今はこうして三人での相談が続けられている。


「殺してもダメなら、気絶させればあるいは……」

「それそれ~」


 長年の付き合いだからか、イマとファシーネの方向性は合致している。親子ほどの身長差、地位、どれも似通ってはいないものの、胸囲と戦闘方針は存外に近い。


(よりによってこのタイミングでなければ……。いや、今更考えても無駄だな)


 エミリアは静かに、しかし力強くリインの様子をうかがう。

 このタイミング。つまり今日に関しての襲撃は、この国にとって最悪にも等しい。

 たった七人しかいない最強の軍人が、今日に限っては二人しかいない。大勢の軍人がこの国を守っていることには違いないが、今回ばかりは相手が悪すぎる。数ではなく、純粋な強者が必要な状況だ

 それでも逃げ出すわけにはいかない。そもそもそれすらも困難だ。

 エミリア一人なら、強化魔法によって高まめられた走力がこの場からの逃亡を可能とするかもしれない。

 しかし、それはすなわち同胞達を見殺しにすることに等しく、決して受け入れることはできない。

 既に死傷者の数は二十を超えてしまったが、リインが現れた時点で避けることはできない犠牲だ。

 この状況を打破できるとすれば、それはマッカス以外にいない。少なくともエミリアはそう考える。

 残念ながら、グリムスが通用しない相手にエミリアの強みは発揮されない。

 本来ならば万能の弱体魔法と断言できるのだが、リインの魔力は人間の次元を超越してしおり、魔力差を補正するこの魔法をもってしてもその差は埋まらない。


「イマちゃん、本気だすよ~」

「ああ、わかってる」


 猶予はない。よろめきながらも、リインが立ち上がってしまったからだ。

 戦闘が再開される。ゆえに二人は迎撃態勢へ移行する。


「絶対私狙ってくるでしょ~。性根悪そうだし~」


 ファシーネは理解している。リインの次なる標的が自分であることを。

 頭を切り落としたエミリアに関しては、実力を認められあえて生かされている。だが、その席は一人分しか用意しておらず、二人目は邪魔でしかない。

 ゆえに、狙う。

 リインは自分を蹴り飛ばした女へ、赤い瞳をぎろりと向ける。


「魔法が効かずとも私なら」

「だよねだよね~」


 イマなら相手が誰であろうと拘束できる。わずか十秒だが、対象を殺しきるには十分な時間を作りだ素ことが可能だ。

 その場に縛り付ける方法の最たるは、弱体魔法のグラウンドボンドが挙げられる。足が地面にへばりついたように動かなくなるこの魔法は、魔力で上回ってさえいれば非常に有効な拘束手段だ。

 だが、リインには通用しない。神の代理人を名乗るこの女は、それに相応しい魔力を内包している。

 この事実は、自身への弱体魔法を完全に遮ることを意味する。

 だが、戦技には抗えない。

 ウォーシャウトやウォーボイスを使われてしまえば、リインはその人間を狙うしかない。

 一部の戦技にも、実力差に応じて結果が左右されるものはある。だが、ほとんどが万人に対して性能通りの結果を発揮する。

 イマは弱体系の戦技を習得している軍人だ。魔法と違い、その効果は一定の条件さえクリアすれば必ず発動される。


「アイスタッチを使う。さぁ、いつでも来い」

「かも~ん」


 冷静さの中にも昂りをみせるイマと、やはりペースを崩さないファシーネ。

 周囲の男達が固唾を飲む中、一瞬だが静寂が訪れる。

 アイスタッチ。中衛攻撃役、ネレネン王国ではハンターと呼ばれる分類にて習得可能な戦技。触れるだけで相手をその場から動けなくさせる。効果時間は十秒。

 ハンターに属する人間は、弓やボウガンといった遠隔武器で戦う者が多い。だが、どの武器を使うかは個人の自由であり、イマは片手剣や斧、槍といった様々な刃物の扱いに長けている。

 残念ながらそれらは手元になく、素手での戦いを強いられているが、この戦技を狙うのであれば、素手はむしろ好都合だ。


(威力だけは一品。そういう人間が紛れてたったこと)


 既に体内の損傷は完全に治癒している。自由に動く右手でワンピースの汚れをポンポンと払う姿は一見すると可憐な女性のそれだが、そもそも軍区画で薄汚れること自体が異常だ。


(体は思い通りに動いてくれる。経験の差が原因)


 リインはそう分析する。

 圧倒的な身体能力を持て余すことはもうないが、それでも近接戦闘の心得がないため、どうしても身のこなしは素人そのものだ。

 この地の軍人相手に無傷の勝利は難しいと痛感させられる。


(いや、それだけじゃない。殺気が薄い)


 リインは人間の負の感情、とりわけ殺人衝動の類を敏感に感知できる。ゆえに想定を上回る攻撃でもなければ、奇襲攻撃は通用しない。

 エミリアの初撃はただただ速いだけだった。

 対照的に、ファシーネの不意打ちは事情も種類も異なる。

 確かに他を圧倒する動きではあったが、成立した最たる理由は殺気を匂わせなかったことだ。

 だからこそリインは反応しきれず、戦技により高まった脚力で蹴り飛ばされてしまう。


(どうせ殺すから、どうでもいい)


 そう結論付け、リインは考えることを止める。

 先ほどの攻防において、肉弾戦の経験値不足が露呈したことは確かだ。

 リインは立ちはだかる肉壁を飛び越えてやり過ごそうとしたが、この選択は迂闊だった。

 しかし、それに反応できた者達が優秀なのであり、最も初めに対応を開始したエミリアは軍長の器に相応しい。

 次いで、二人が反応する。

 それがファシーネとイマだ。一方はエミリアが作った好機を活用するため、もう一方はそんな彼女が不測の事態に陥るようなら助け出さんと追いかける。

 もちろん、他にもこの状況に対応できた軍人はいたものの、彼女達が最も速く、この順番はそのまま実力の順位にも置き換えることが可能だ。


「来るぞ」


 エミリアの発言に嘘はない。

 遠方のリインは脱力したように両腕をだらんと下げる。

 大声を出そうと互いの声が届かない距離だが、今更言葉など必要なく、どちらの陣営も相手のやろうとしていることを十分理解している。

 無力化した上で捕まえたい。

 全員殺したい。

 どちらの希望が通るのか、それをこれから決めることになる。

 朝陽が照りつける荒野のようなこの土地で、大勢の軍人と孤独な女は戦い続ける。

 すなわち、戦いはまだ終わらない。


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