第六十七章 彼女の日常
トリストン大陸は世界の中心。
世界とはすなわちウルフィエナ。
数多くの生き物で溢れているこの大陸は、紛れもなく原初の大地。
なぜそう思えるか?
物的証拠が揃い過ぎている。
何より、私が選ばれたことがそう告げている。
ここは神々が作りたもうた神秘の世界。
絶対的存在に指名された以上、その意思には従うまで。
神はこうおっしゃった。
人間を滅ぼせ、と。
だけど、少しだけわがままも言いたい。
人間を殺すなら自分の手で殺したい。
それを邪魔する存在は、モンスターであろうと容赦しない。
本来ならば協力し合える、言わば同士のようなものだけど、これくらいの意思表示は許してもらえるはず。
神はそれほどまでに寛容。
神はどこまでも偉大。
そして、力と知恵を授けられた私もまた、人間などというちっぽけな生き物を超越している。
祖国には読みきれないほどの書物が揃えられていた。
覚醒した私は、それらでは学べない知識を補うことから始めた。すなわち、独学での研究だ。
転送魔法。
転移魔法。
過去に存在した究極の魔法の一つ。私もそれを欲したが、どうやら生まれもった素養だけでは習得できないらしい。それならそれで構わない。授かった叡智と神の力から、新たな魔法を生み出すまで。
十年ほどの月日を要したけど、不老も達成できた。
不死もほどなく完成。
これで私は永劫の時を生きながらえる。
死にたくないから?
全然違う。
神に選んでもらえたのだから、私は与えられた責務をまっとうしたいし、しなければならない。
長い年月が必要。人間はそれほどに多く、どこにでもはびこっている。
人間は嫌い。
狭い場所に閉じ込めたから。
私を選んだから。
私の自由意志を尊重しなかったから。
だから嫌い。
滅ぼしたい。
この目的は神と一致している。
素晴らしい。まさか共感できるとは思ってもみなかった。
神を尊敬している。
ウルフィエナを作れるほどの偉大な存在だから。
私を選んだから。
私に自由を与えてくれたから。
やらなければならないことは人間の抹殺。
そのためには一人一人、プチプチと殺していったら埒が明かない。
こいつらは虫のように次から次に増える。面倒極まりないし気持ち悪い。
大量に滅ぼすための手段が必要。
それを探すための手がかりは神から与えられている。
イスス遺跡。カムハ雪原の南に位置するそこには、一万年前に滅ぼされた愚か者達の知恵が保管されている。
叡智とは呼べない。なぜなら所詮敗者達の戯言だから。
だけど有効利用は可能なはず。
唯一、神の扉に辿り着いたそいつらは神の怒りをかって駆逐されるも、この時代を生きる人間よりは遥かに有意義な存在と言える。
後に北の地と呼ばれるそこは、どこまでも白く、寂しい場所。生息するモンスターも随分と荒々しい。
この大陸に巣食う人間は、北東の大陸を追われ、ここに辿り着いたと言われている。
南下し、いくつかの村を作り、やがてはトリストン大陸全域に繁殖する。
滅ぼさねば。
神がそう告げている。
私に与えられた生きる意味。
それを成すために、イスス遺跡に篭る。
祖国とは比べ物にならない量の、生きた情報達。
読み漁る。
読みふける。
読み解く。
一年……。
十年……。
百年……。
途中、少し飽きて何度か遊び呆けてしまったけど、この程度は、ね?
サハハ遺跡を暴走させてみたり。
ビサラ山脈のドラゴンを怒らせてみたり。
人間が随分と死んだらしいけど、手間が省けたのだからむしろ私の行いは正しい。
一万年前の情報は決して古臭くなく、神から授かった叡智と合わさり、見事な化学反応を成し遂げる。
うれしい誤算。
これで今後の計画がスムーズに進行できる。
だけど、大事なとこが伏せられていた。それが気に食わないし、まどろっこしい。やっぱり人間は嫌い。
学べた知識を元に、一つずつ手がかりを得ていくしかない。
先ずはトゥルル遺跡。そこはマジックアイテムを開発、製造するための言わば工場。氷の大精霊を守秘する役目も兼ねており、私にとっても一石二鳥。
めぼしいアイテムを入手し、それらのテストも兼ねて氷の魔力も奪取する。この力は私には必要ないけど、いつか役立てる日がくるかもしれない。
帰る場所が無い、というのは案外不便。だから、自ら用意するしかない。
祖国の南東に、時代に取り残された小さな港町が存在する。
モンスターをけしかけてみた。同業者の実力を見極めるため。
そこで暮らす人間達はあっさりと殺されてしまった。予想以上の成果に少し落胆。こんなに弱い生き物だと再認識。
今後はここを拠点とする。潮風が吹くだけの、本当に何もない場所。雨風がしのげればそれでいいから、私には好都合。
建物の多くは壊されているが、屋根さえあれば問題ない。死体は全て燃やし尽くしたから、真の意味でここの住民は私だけ。
その後は人間の動向を調査しつつ、おもちゃ探しに明け暮れる。人間を絶滅させるための手段には目星がついた。だから少しだけ自分のやりたいように遊んでみる。
今から七十一年前。しつこいオークがまたもこの大陸に攻め込んできた。今までは傍観してたけど、今回は人間に加勢する。そうしないと、私の役目が奪われてしまいそうだったから。
今から二十三年前。おもしろい逸材を発見。使い道のなかった力をこのタイミングで譲渡する。適度にかき回してくれればそれでいい。それ以上のことをするようなら、私が始末するだけ。
大精霊の力など、私にとっては有象無象に過ぎない。
一方で、神の力は唯一無二。それを受け入れられた私は、やはり選ばれた人間なのだろう。
私の力は大きく分けて三種類に分類される。
私自身の魔法。
神から授かった能力。
研究の果てに編み出した秘術。
炎の魔法は持って生まれたもの。
同質の物質を引き寄せる能力やシンイは神からの贈り物。
不老不死は最大の研究成果。
テレポートの紛い物、テレポートレムは私自身の才能と神の力を混ぜ合わせて完成させた。
強化魔法は、トゥルル遺跡で見つけたマジックアイテムを使い、他者から奪うことに成功。
シンイやカムウタは、その名がまさに意味を体現している。
これだけあれば十分。私自身が生きる上では過剰なほどだ。
それでもあれには驚きと共に執着心を抱いてしまう。
なぜそう思えたのか? 今となっては十分理解できる。
まさに同質の力であり、私にこそ相応しいのだから。
あの男から複製するつもりでいたけど、うれしい誤算は続く。
東の大国の王もまた、その魔法を会得していた。
性質は多少異なるようだが、どちらでも良く、手っ取り早く隙だらけな方からあっさりと入手することに成功する。
誤算はここからだ。
ありえない。
信じられない。
理解できない。
なぜこのような魔法が存在しているのか?
なぜその二人が習得できているのか?
そして、なぜ私だけではなかったのか?
裏切られた。
一瞬だが、そう思ってしまったことが申し訳なく、もし謝罪の機会を得られるのなら、泣いて許しを請いたい。
間違っていた。
嫉妬心を抱く必要などなかった。
これは私に与えられた課題だったのだから。
人間は滅ぼさねばならない。その過程でもし出会うことができたのなら、その時はこの魔法を奪って己のものとせよ。つまりはそういうこと。
それをやり遂げた今、私はさらなる高みに登りつめる。
この器では容量が足りていない。
それなら拡張すれば良いだけ。
そのためには少し時間が必要だった。
人間らしく安静にしよう。
押しては返す波の音。
他人の気配が一切しない静けさ。
時折吹き荒れる野暮ったい潮風。
ここはトリストン大陸。
ここはヨアナ村跡。
ここは無人の小屋。
私は一人。
今は一人でじっと待ち続ける。
その時を。
時が満ちるまで。
◆
初めに訪れた感覚は、ただただ違和感のみだ。
そればかりは仕方ない。手足がグンと伸びてしまったのだから、脳が混乱しないわけがない。
今まで着ていた黒いローブは以前の身長用ゆえ、新たな体には少々不釣合いだ。
ゆえに、新たな着替えを探さなければならない。
運が悪くなければ、数軒以内には見つかるだろう。ここは無人の村だが、以前は人が住んでいた。瓦礫を漁れば、衣服の一つや二つはあっさりと見つかるはずだ。
現状では、体を起こすのも一苦労と言える。それほどまでに、自身の体をコントロールしきれていない。
(頭一つ分……、くらいは伸びたのね)
赤い目は自身の体を見下ろして、現状分析をあっさりと済ます。
慣れなければならない。この体は己の所有物でなのだから、使いこなさなければならない。
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと立ち上がることに成功する。
雨風をなんとかしのげるこの小屋は、あちこちから陽射しが射し込んでいる。動いたことで発生した埃の類が、光の中でチカチカと踊り舞う。
ふと、思い出してしまう。完全に忘れ去ったはずの感覚、痛覚が体の内側で暴れまわったことを。
不死を実現したタイミングで、活動に不要な痛みは遮断したはずだった。にも関わらず、不可思議な魔法を内に取り込んだことで、封印していたそれがなつかしさと共にこの女を悶え苦しめる。
同時に悟ってしまう。自分が人間だったことを。
そして、まだその域から完全に脱しきれていなかったことを。
二人の男から逃げるように、この女は自ら編み出した転移魔法でその場から脱出する。
移動先はここであり、廃墟が並ぶ無人の港町でその女は三日三晩発狂し続けた後に、そっと目蓋を閉じて意識を失う。
こうして、ネレネン王国から帰還したリインは長い眠りにつく。
その時から既に一ヶ月ほどの時間が経過している。そのことをまだ把握する術はなく、わかることは精々一つだ。
空気の湿り気と陽射しの暖かさから、今が朝なのだろう、と。
しかし、肝心の月日がわからない。
(どうでもいい)
そう、そんなことは意味を成さず、それこそ一年だろうと十年だろうと、無限の時間を生きる彼女にとってはまばたきのような刹那だ。
黒いローブから伸びるすらっと長い足をゆっくりと動かす。どこかぎこちない仕草だが、今はこれが精一杯。
ローブは膝上までしかカバーできておらず、以前と比べるとミニスカートのような容姿だ。
扉すら用意されていない廃れた小屋から一歩踏み出すと、長身にまぶしいほどの朝日が浴びせられる。
鼻に届くそよ風は随分と生臭く、眼前に広がる青い海が、生と死を内包していることをいやが応でも実感させる。
(許せない)
赤い瞳と同じ色をした長髪もまた、随分と伸びている。
細い両腕と細すぎない両足を交互に動かし、隣接する空き家に不法侵入する。そこは天井付近が吹き飛んでおり、中の家具も半分以上が瓦礫と化している。
五分ほど漁るも、女性ものの服は見つからない。それならそれで次の場所に向かうまでだ。
(この力は私だけのもの)
周期的な波の音も、体にまとわりつく潮の匂いも、ありとあらゆる無関係な成分をシャットアウトして、リインは無人の港町を探索する。
(いつか、必ず殺してみせる)
怒り。
焦り。
殺意。
そして、ほんのわずかな嫉妬。
リインは二人の男に負の感情を抱いている。
一人目はネレネン王国の若き王、ロメロン。
二人は童顔の冒険者、イリック。
この男達はコネクトを習得している異端者だ。そのことがただただ許せず、同時に認められない。
リインはこの魔法を習得し、ついにその正体に気づく。
ありえない。
コネクトは決して人間には至れない究極の秘術だ。可能性があるとすればそれは自分だけだと理解している。
愚かな人間達には制御しきれない高位の神秘だ。
(この力は私にこそ相応しい)
この認識は間違いではない。
リインは二代目神の名代だ。まぎれもなく神に選ばれし代行者であり、その力を宿すことが許される唯一の存在とも言い換えることができる。
それにも関わらず、無知で愚かなあの二人が何も知らぬままコネクトを自分の所有物のように扱うことが許せない。
この魔法は繋がることに特化した、ウルフィエナの理を具現化しうる究極の手段だ。
(人間如きが……)
見過ごせない。
容認できない。
代行者として、神の指示を遂行する延長で、その二人を必ず殺さなければならない。
とは言え、最優先事項は人類の抹殺手段を確立することだ。
目星はついている。
イスス遺跡で得た膨大な情報と、神から与えられた叡智がリインに目的地を提示している。
イスス遺跡は、古代人が遺した全情報を保管している場所だ。にも関わらず、それに関する記載は一切見つかなかった。
つまりはそういうことであり、答えはその場所に隠匿されている。
エムム遺跡。ここに関する記載だけが不足している。
場所。
名称。
建設時期。
それらは書物やデータベースから見つけることができたが、肝心の用途が書かれていない。
リインは意図的に情報が伏せられていると推察し、同時に確信を得る。
自分の欲するものはそこにある、と。
一万年前に滅びた人間達は、実はオークと大規模な戦争を行っていた。
戦場はトリストン大陸に移ろい、数で圧倒的に劣る古代人達はそれでも互角以上にオーク達と戦い続ける。
数の差は一対一万とすら言われていたが、その差を埋めることができた理由こそ、リインの求める破壊兵器そのものだ。
それの所在に関する記述だけが、イスス遺跡から欠けていた。
同時に、エムム遺跡の情報も不足しており、リインはこれらが関連するものと決め付ける。
持って生まれた聡明さがそう思わせるのか。
後天的な神の知恵が答えへ導いたのか。
どちらにせよ、現在を生きる人間の中で唯一正解に辿り着いた女こそ、リインただ一人ということになる。
そして、その家の玄関跡に辿り着く。
三件目。土色の外壁が半壊している建物はいくらかその形を維持しており、個室に設置されたクローゼットは雨にも風にも晒されていない。
薄汚れてはいるものの、机や椅子はどこかかわいらしく、以前は女性が住んでいたと容易に想像できる。
両開きのそれを開いて中の衣服を右から左に見比べる。リインの予想通り、女性物の衣服が汚れることなくその色艶を保っている。
長身だったのだろう、どれも今のリインにフィットする。
白、茶、オレンジ、黒。色とりどりの服が整列しているが、不法侵入者は迷うことなく一着を選ぶ。
真っ黒なそれはスカートの丈が長く、まるでドレスのような華やかさは田舎には少々似つかわしくない。
ここは金持ちの家だったのだろう。それが今では廃墟と化しているのだから、家主が死んでしまえば裕福か貧困かは意味を成さない。
誰かに見られているわけでもないのだからその行動は間違っておらず、リインは着ていた子供服のようなローブを脱ぎ捨て、黒いドレスを被りなおす。
サイズは問題ない。グンと成長した体とこのワンピースは合致している。
人間らしい行動はこれにて終了だ。ここからは自分の体と向き合わなければならない。
血液のような髪を揺らし、大きな瞳を真っ赤に染めて、黒服の女はその家を後にする。
振り向き、いつ崩壊してもおかしくない豪邸を視界に捉えて、リインは手のひらから得意とする灼熱の炎を撃ち放つ。
(これは……)
そして異変に気づく。
真っ赤な炎をイメージしていたが、生み出された業火は青々と揺らいでおり、静止の命令は間に合わず、それは容赦なくその家を燃やし尽くす。
青い炎は進化の証だ。リインの魔力がさらなる高みに辿り着いたことを指し示す。
以前でさえ、人間を容易く燃やせる程の火力を伴っていた。ミスリル製の装備を溶かすことすら可能だったことから、彼女に抗える生物など地上に存在せず、時間させかければ人間の抹殺も可能だったろう。
眠りから覚めたリインの魔力は、値そのものは大きく向上していない。幾分は高まったものの、最大の違いは質の変化だ。
どう変化したのか。リインは言葉に言い表せないが、直感的に理解する。
神の力がさらに混ざったため、神の炎へ昇華した、と。
その理由はコネクトの習得であり、二度もその力を内に宿した結果、魔力の性質が神のそれに一歩近づいたのだとすぐに悟る。
喜ばしい限りだ。リインは歓喜の余り、口を釣り上げながら自身をぎゅっと抱きしめる。震えは止まらず、悲鳴のような声で笑い始める。
冷徹な声はどこか人間味を帯びながら、無人の村を駆け巡り、死者の魂と共にワルツを踊り始める。
(やっぱりそういうこと)
リインはこう考える。
イリックとロメロン。この二人は神が自分に与えた試練であり、乗り越えることでさらなる成長が見込める、と。
それを裏付けるように、コネクトという神の発明品はリインにさらなる神秘性を付与する。
神の領域に近づいた己の力を祝福しながらも、今はただただこの事実に酔いしれる。
魔力だけではない。身体能力も伸びた身長のようにグンと高まっている。
以前は前衛の人間やモンスターに遅れをとることがあったが、今後はそうならないことをみなぎる活力から実感する。
さぁ、始めましょう。
そう逸る気持ちを今は抑制する。先ずはこの体と能力の再確認が必要だ。
時間はかからない。一日二日でそれは達成できる。
それからでも遅くはない。
エムム遺跡へは一瞬で辿り着ける。一度足を踏み入れた古代人の遺跡へは、テレポートレムで転移できるのだから。
さぁ、始めましょう。
溢れ出る妖気は神の威信そのものだ。その半径は以前よりも広がっている。
小さいながらもここは港町だが、無慈悲な威圧感は丸のみにしてなお、余りある。
まだ上手く使えないかもしれない。
それでも今は、その名を口にせざるをえない。
「コネクト」
途端、色を失った廃墟の村で、その女は意気揚々と笑い続ける。
翌日、リインは目的地へ旅立つ。
◆
わかってはいた。
わかってはいたが、誤算でもある。
読みきれなかったわけではない。自身の成長がそれ以上だったということだ。
リインはエムム遺跡の最奥で、イリック達と遭遇、最終的には追い払うことに成功する。
だが、病み上がり後の初戦闘は予想以上の消耗を招く。
肉体的疲労や精神的疲労。そして、マジックポイントが不必要に磨耗したことは、彼女にとって少々歯がゆい事態だ。
(なんであいつらがここに?)
わからない。
わからないが、エムム遺跡の重要性を嗅ぎ付けたことは容易に想像できる。
(やっぱり、あの男は許せない)
不快な怒りがリインの胸を掻き毟る。この感情はどこから湧き上がるのか、それは本人にもわからない。
イリックがそう思うように、リインもこの男の存在がどうしても認められない。この世界から今すぐにでも排除したいと思ってしまう。
しかし、それは後回しだ。今はやるべきことが二つある。
一つ目はここの解明だ。邪魔者は去ったのだから、ゆっくりと調べなければならない。
エムム遺跡はそれを隠すための倉庫、もしくは隔離施設だと見抜けている。そこまでわかっているのだから、アプローチも容易い。
二つ目はさらなる休養だ。
睡眠時間が圧倒的に不足している。一ヶ月で器の成長は完了したが、完全なる定着には至っていないと、先ほどの戦いが気づかせてくれた。
リインは案山子のように直立しながら、無風の広場をゆっくりと見渡す。
この遺跡は薄紫色の建材で作られている。わびしい色合いがどこまでも続く光景からは人の息づかいなど感じられず、しかし、その異物からは自己主張のような気配が放たれている。
地面からそそり立つそれは楽譜台のような形だ。一本の棒の上で斜めに傾く面が無機質さと共に何かを主張している。
その近くの地面は少しだけ他とは違う色をしており、灰色のそこはまるで大事なものを隠すように蓋そのものだ。
リインは周囲に六つの灯火を発生させる。青いそれは人魂のように揺らぎながら、主の命に従って灰色の地面に襲いかかる。
(ふん。結界……ね)
神の領域に踏み込んだ魔力でさえ、その部分に傷をつけることは叶わない。それほどに強固且つ重要な場所であり、リインの探しものはこの奥にあるということだ。
少しだけ焦げた床にそっと左手をかざす。赤い髪も地面を撫でるが、この女はそんなことを気にも留めない。
静まりかえったその場所で、時間は無為に過ぎていく。薄暗い空がさらに色濃くなろうと、リインはピクリともその場から動かない。
地中には血液のように波動が流れており、それらは微細なれど、この女が見落とすようなことはない。
指先から伝わる力は確かにそこに存在している。ここに何らかの細工が施されている証拠であり、流れを逆探知するためにも、リインは全身全霊で地下を透視する。
何時間が過ぎ去ったか。一度は戦場と化したこの場所で、ゆっくりと立ち上がる。
(そういうこと……。ここで間違いない。けど、足りない)
ついに突き止める。エムム遺跡は予想通りの施設だ。最奥の地下には何かが隠されており、それを見抜くことはできずとも、はっきりと判明したことがある。
(鍵が必要。どこにある?)
この場所に関する文献はいくつかあれど、肝心の部分が欠如している。
情報が伏せられている。つまりはそういうことだ。そこに至る鍵のような何かが必要ということも魔力の解析から判明するも、重要なことは謎のままだ。
謎と言えばあの男もそうだ。
イリック。ただの冒険者が、なぜか自分の前に立ちはだかる。
シンイにすらひれ伏さないその特性は、本来ならば謎のままだが、今となっては冷静に考察できる。
コネクトがこの男を守っている。
そして、仲間三人にもその影響は及んでおり、リインにとっては研究材料にも成りうるが、今となっては邪魔なだけの障害だ。
(一旦戻って体を休めよう)
これ以上の長居は危険だ。イリック達の戦闘は、それほどまでに体力とマジックポイントを消耗させる。
この肉体が馴染みきっていない。そのことを痛感した以上、ヨアナ村跡への帰還は最優先事項と言える。
リインは後衛攻撃役に分類される。今となっては高い身体能力や様々な特異能力を活かして魔法に頼らずとも人間達を殺すことが可能だが、本来の戦い方はフレイム一辺倒の遠距離戦が主体だ。
そこにテレポートレムや強化魔法、神の力が後付けで加わり、ついにはコネクトまでもを手中に収める。
肉弾戦ができようとも、それを得意とするわけではなく、身長が百八十センチを越えた今でも主力は青い炎だ。邪魔者を焼き尽くす。
移動には転移魔法を用い、いざとなれば強化魔法も活用する。
ゆえにマジックポイントだけは絶対に枯渇させてはならない。リインにとっての生命線であり、命よりも大事な源泉だ。
先ほどの戦いで、リインは何度も殺されてしまう。
つまりはまだまだ足りていない。
この体の操縦技術も。
近接戦闘の経験も。
手持ちのカード達を活用する術も。
自分には足りていない。
何百年も生きてきたが、今までは不老不死とずば抜けた魔力だけであらゆる局面を切り抜けることができた。
七十年前の戦争では化け物じみたオーク達と遭遇し、何度も殺されたが、最後に立っていたのは不老不死のこの女だ。
今回も負けることはない。
それでもかすかに脳裏をよぎる不安感のようなものが、リインに慎重な行動を促す。
イリックを殺すためにも、人間を滅亡させるためにも、今は一次撤退が賢明だ。
百年以上も寝床としてきたその廃墟は、どれだけ雨風にさらされようとかろうじて姿を保っている。
村を滅ぼした張本人を守るため、家としての機能を失わない健気さは、人間の暖かみが作り出した産物そのものだ。
リインはそこへ帰る。無機質な風景とは一旦別れを告げ、無人の小屋でそっと足を踏み入れる。
ただいま。
もう何百年も口にしていない言葉を、この女はやはり今日も発したりはしない。
リインにとって、これが日常だ。
しかし、悔いはない。与えられた使命が彼女をかりたて、突き動かす。
栄光ある定めを受け入れた彼女がただ望むもの。それは一重に人間の抹殺だ。
殺してあげる。
殺されなさい。
殺したい。
リインを満たす狂った殺意は、どこから生まれ落ちたのか。それは彼女にもわからない。
植えつけられた欲求が動力となり、赤い瞳はこれからも人々の死を観測し続ける。
殺さないといけない。
絶対に殺す。
新たに芽生えた衝動は、やがて二人をその地で戦わせる。
リインとイリック。
神を信じる者と神を信じない者。
神の名代と冒険者。
女と男。
不老不死の化け物と十八歳の少年。
何もかもが異なるが、一つだけ共通することがある。
コネクト使いとコネクト使い。
否。もう一つ、両者には繋がりが存在する。
神に選ばれし者と神から授かった者。
前哨戦は、彼女が目覚めたその日に、再度行われる。




