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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
ネレネン王国と武神祭
77/100

第六十章 女達の戦い

 太陽の陽射しだけで照らされる薄暗い建物の中から、その少女は数日にぶりに外出する。篭城を決め込むつもりでいたが、こうもあっさりと監視の目が消え去るとは思っておらず、空腹ゆえにうれしい誤算ではあるが、どこか腑に落ちない。

 気配を薄れさせる立ち振る舞いと、家の中だろうと居場所を察する観察眼には恐れ入ったが、自分もそれに近いことが可能になった今となっては、単なる邪魔者でしかない。

 しかし、男達は居なくなる。

 少女は彼らを知っている。武神祭で王族を仰々しく守っていた親衛隊だ。その実力は傭兵を超えており、それでも短剣は軽口を叩くように言ってのける。

 一対一なら殺せるわよん。

 もちろん、それには従わない。多数で攻め込まれれば敵わないということであり、何より今はまだ捕まるわけにはいかない。

 散らかり放題の自宅から久しぶりに外へ出たこともあり、体を突き刺す太陽の光が今は眩しくて仕方ない。

 監視の目から逃れるため、食糧の尽きた家から一歩も出なかったこともあり、腹は今にも背中とくっついてしまいそうだ。


(何か食べようかな)


 暖かい日中の光と町の騒がしい匂いを堪能しながらそんなことを考えていた時だった。それどころではないと次の瞬間に理解させられる。獲物の仲間が三人で歩いているからだ。何が楽しいのかこれっぽっちもわからないが、彼女らは笑顔を絶やさず、真っ直ぐ東へ向かっている。


(あの男がいないわ。でも、丁度いいわね)

(うん……)


 丁度いい。マンイーターの囁きは確実にスルフィを誘惑する。

 強くならなければならない。イリックを殺すために。

 この三人を殺さなければならない。イリックを殺すために。

 マンイーターは人間の血をすすることで持ち主を強くすることができる。それは呪われた力だが、今のスルフィはそれ以上に呪われている。

 殺意の籠められた視線に気づけず、ネッテ達は三人で市街地の東に位置する塁壁を目指す。その先は防衛戦用に設けられた戦場であり、さらに向こうはビリット平原だ。

 スルフィは音もなく尾行を開始する。自然と空腹は遠のき、今は目の前の三人をどう殺すか、それしか考えられない。


(あの三人を殺せば、きっと追い越せるわ)

(わかってる。そうでなくても、仲間の死を嘆くそのタイミングで仕留める)


 マンイーターの甘い言葉に今なお自分の考えをぶつけられる意思の強さは、まさに互いの相性がいかに優れているかの証拠であり、スルフィはこの短剣にとって過去最高の傑作品として生まれ変わっている。


 マンイーター。一見すると綺麗な短剣に見えるこれは、非常に長い年月を歩んでいる。

 産み落とされた瞬間から自分の使命を把握しており、まるで非効率なやり方だとはこれっぽっちも疑わず、千年以上もの間、マンイーターは人間に人間を殺させ続けてきた。

 人間を滅ぼせ。

 至極単純なその命令は創造主からのものであり、与えられた力でそれを達成しようとしている。

 自身を所有した人間の精神を侵食し、人間を殺させる。それを達成する度に持ち主は成長し、より多くの人間を殺すことが可能となる。

 しかし、マンイーターを使った成長にはデメリットが存在する。己の限界を越えてまでその人間は強くなることができず、その領域に辿り着いてしまうと無意識に自害してしまう。脳が肉体の危機感を感じ取った上で、常軌を逸したマンイーターからの殺人衝動があわさり、そのような行動をとらせてしまう。

 所有者を失ったマンイーターは、短距離テレポートを繰り返し次の獲物を探し求める。そして次の出会いを果たし、人間による人間狩りを再開させる。

 そんなことを千年以上も続けてきたのだから、あちこちに伝承は残っており、とりわけトリストン大陸では比較的有名な短剣だ。

 最たる決め手は三十五年前のサウノ商業国での連続殺人だ。ただの商人が実力者達を次々と殺したことが人々の関心を引いてしまう。

 その後、マンイーターは西のコンティティ大陸に渡り、イダンリネア王国の要人を筆頭に何人もの人間を殺め、最終的にはジャイアントに所有者を殺されてしまう。

 トリストン大陸に戻ったマンイーターは、そこで出会ってしまう。アリカ大陸から薬の素材を求め渡ってきていた男、ザラフに拾われる。

 スルフィの父であり、一年という長期の仕入れを済ませたザラフはアリカ大陸に帰還する。

 そして開始する。マンイーターの虜になってしまった父親は、娘の知らないところで次々と傭兵を殺し始める。

 比較的適性の高かったザラフは、ただの一般人から急激に成長を遂げるが、その結末は運が悪かったとしか言い表せない。最強の傭兵に犯行を目撃されてしまったのだから、抵抗空しくあっさりと返り討ちにあってしまう。

 このことはマンイーターにとって不運だったが、幸福はここから訪れる。その娘、スルフィが父親以上の適性を発揮し、さらに武神祭という成長の場が目の前に迫っていた。

 予選を勝ち上がり、本選でも成長し続けたスルフィだったが、その野望は一旦途切れる。トリストン大陸からの来賓が持ち主を打ち負かしたからだ。

 それだけではない。その男はマンイーターに生まれて初めての悪寒を感じさせる。この正体が何なのか、それは未だにわからないが、イリックという冒険者の抹殺を最優先とさせる程度には危機感を抱かせる。


 ゆえにスルフィはそれを実行する。そのためにはさらに成長しなければならず、そのための獲物として、イリックの仲間が選ばれる。

 同じ冒険者ならそれなりに強いだろう。

 殺せばもっと強くなれるだろう。

 イリックという男に隙を作らせることができるだろう。

 そんな算段のもと、気配を感知されずに後をつける。

 予想通り、三人は巨大な岩壁に設けられた扉を抜けて、その奥に足を踏み入れる。

 人気がないならここでやろうか?

 ビリット平原まで向かうならそこまで我慢する?

 スルフィは黒い殺意に満たされながらも冷静に考えを巡らせる。

 防衛戦を行う迷路のような場所は、普段はあまり人の出入りがない。市街地とビリット平原を行き来する傭兵や軍人、商人が通過する程度だ。防衛戦が行われた後は、軍人や職人が修繕作業に励むが、少なくとも今は彼らの姿は見当たらない。

 スルフィの耳にも届いている。次の防衛戦は五日後前後だろう、と。リザードマンの大規模な軍勢が向かっており、軍はその準備に追われている。

 傭兵は日々の任務をこなしながらも、きちんとそれを見据えており、武神祭に出場した実力者達もそれは同じだ。

 大規模。その言い回しは酷く曖昧だが、王や軍人の一部は既に把握している。その戦力は普段の四倍に匹敵すると第一リザードマン監視哨から連絡が来ており、これは決して楽に勝てる量ではない。

 激戦となる。ゆえにネレネン王国の空気はどこかピリッとしているが、それはスルフィの殺意も影響しているのかもしれない。

 これ以上は押さえきれない。マンイーターからふつふつと湧き上がる漆黒の殺意がスルフィをさらに侵食していく。

 彼女達の幸せそうな表情がさらにそう感じさせるのかもしれない。


「市街地なんか目じゃないくらい入り組んでるわね」

「あっち行ってみよー」

「おー」


 そのまま東へ向かえば外へ出られるが、彼女達は進路を左手手方向へ、つまり北側へ曲げてしまう。その先には戦場用に用意された広間があるだけであり、市街地とビリット平原を行き来する人間は決して立ち寄らない。

 都合が良い。

 スルフィは三人を仕留める場所をそこに決定する。

 早く襲いかかりたい。

 早く殺したい。

 早く強くなりたい。

 そんな欲求がそう判断させる。


「階段上がろー!」

「モンスターを分断させて個別に叩ける構造になってるのね。気をつけないと迷子になるわ」


 灰色の髪をピョンピョン揺らしながら、最も背丈の低い少女が軽快に灰色の階段を駆け上がる。

 肌を締め付けるベージュのワンピースを着る女は大きな胸を上下させながら後を追う。

 そのタイミングでスルフィは通路の曲がり角にさっと身を隠す。白いノースリーブニットを着て肩を出している長身の女が、足を止めて自分の方をじろりと警戒しだしたからだ。


(気づかれたかな?)

(大丈夫そうよん)

(まぁ、ここで始めてもいいんだけど)


 マンイーターの言う通り、アジールは首を傾げはしたものの、仲間の後を追って階段に足をかける。

 まだ奥がある。スルフィは辛抱ならない殺意を胸に秘めつつ、ここ以上に人気のない静かな場所まで彼女達が向かうのを待ち続ける。

 数分歩き続けた頃、ついにその時が訪れる。


「広~い」

「左に進めるようだけど、それって町に近づくことになるわよね?」

「うん」


 ネッテは目の前に広がる空間に目を輝かせる。小さな公園程度には広い空き地が存在しており、今までの広くはない道と比べれば反動で大きく感じてしまう。

 ロニアは自分達の居場所を冷静に分析し、来た道を戻らなければビリット平原へは遠回りになってしまうと見抜く。

 アジールは普段通り、黙ってついていくつもりだ。


「どうせイリックはもう少しかかるでしょうし、あっちからぐるっと目指しましょう」

「ガッテン!」


 ロニアが指差す方角は左前方であり、広場を基点に別の道を歩みながら東門、すなわちネレネン王国を守る一つ目の塁壁を目指す。

 能天気に右手を上げて賛成したネッテだが、言い終えるや否や、ピタリとその姿勢のまま動きを止める。殺意の塊のような女の子が、右手に銀色の短剣をむき出しにしてゆっくりと近づいて来ているからだ。

 その姿には見覚えがある。

 緑色の髪は後ろで束ねられており、自身のサイドポニーのように揺れる。

 白いカーディガンの上には青いなめし革を素材にした皮鎧をまとっており、黒いズボンが足のスマートさをシャンと表現している。

 やや大人びた顔は非常に鋭い眼光を備えており、無表情に近いがその殺意は決して隠しきれていない。


「誰だっけー? あ、お兄ちゃんに負けた人ー」

「え? 何でそん」


 ネッテの発言を受けてロニアが振り向こうとした時だった。スルフィがいっきに距離を詰め、マンイーターの刃で斬りかかる。

 こういう時、すなわちイリックがいない場合や頼れない場合、必ず仕事をする女性がアジールだ。状況は理解しきれていないが、殺意に反応するようにそれを間に合わせる。


「ウォーシャウト」

「ちい」


 轟く圧力に飲み込まれ、スルフィはロニアの首筋付近で銀色の刃を止める。これ以上は振りぬけない。この戦技はそれを阻止するためのものなのだから。


「な、殺そうとした? なんでよ? あぁ、そういうこと……」


 ロニアは一歩後ずさり全てを理解してみせる。魔法学校の元先生は伊達ではない。マンイーターの特性を理解した上で、自分達が何らかの理由から標的にされたのだろうと答えに行き着く。

 ロニアを狙えないのなら狙える人間を襲うまでであり、スルフィは唯一攻撃可能なアジールに刃を向ける。


「う、速い」


 アジールが驚くのも無理はない。スルフィの走る速さは自分を軽く超越しており、短剣の軌跡は目で追うこともままならない。初撃は王から授かったセンチネルシールドで受け切れたが、次は難しいと即座に判断する。


「真空圧!」

「あぐ!」


 アジールを追い越したスルフィは、振り向くと同時に左手を突き出す。そこから放たれた空気の塊が長身の背中を吹き飛ばし、三人の分断に成功する。


(やれそう)

(そうね。でも、多勢に無勢よん。気をつけて)


 アジールを倒せたわけではない。背中にモンクの戦技を受けたのだから痛くないわけがなく、それでも致命傷には至っていない。

 アジールはこの三人の中で唯一私服だ。

 ネッテは全身タイツのようなムーンハーネスを着込んでいる。腹部や膝、肘付近は肌色を露出しているが、それ以外は黒い伸縮性に優れた生地で包まれている。胸周辺にはブラックタイガーの黒い皮が巻かれており、見た目以上の防御性能を実現している。

 ロニアは普段通りのタイトワンピースだが、ウール素材に魔力が練りこまれており魔法に対してはそこそこの耐性を持ち合わせている。

 盾だけで自分の身を守らなければならないアジールにとって、素早いスルフィは強敵以外の何者でもない。


「なんでこんなことするのー?」

「訊いても無駄よ。マンイーターは持ち主を支配するって言われているもの。嘘か本当かわからないけど、それは倒してから聞き出しましょう。まぁ、この状況がそうだと肯定してくれてるけど」


 ネッテは当然の疑問を問いかけるが、ロニアは事態の把握を済ませており、戦うことを選ぶ。逃げるにしてもイリックとある程度やりあう相手からそれを達成できるかは不透明であり、何より自分達は三人だ。勝てると判断を下す。

 ロニアの左隣に一本の水柱が出現する。ロニア自身よりもやや大きなそれは、ぷるぷると揺れながらも決して床に広がってはいかない。

 相手は人間だ。マンイーターに支配されているだけであり、できれば殺したくない。ゆえに殺傷能力の低い、それでいて回避が難しい攻撃魔法を選択する。


「早速お披露目よ。スカウリングフロー!」


 ロニアの合図で水柱から小さな粒達が発射される。横殴りの大雨のように、二種類のそれらは弾丸の如くスルフィへ襲いかかる。

 従来の魔法はスカウリングドロップだ。しかしこれは違う。水柱から放たれる攻撃手段が水滴だけではない。


「な!?」


 見たこともない攻撃魔法にスルフィは身を竦ませてしまう。両腕を体の前でクロスさせて耐えようとするも、迫り来る二種類の弾丸が次々と体や服を切り裂いていく。

 そう、この新魔法は水滴以外にもう一つを発射している。酷く冷たい冷気の塊、小さな氷の粒だ。

 ロニアはイリック達がウェイク達にしごかれている間、二週間限定だがガーウィンス連邦国で魔法の鍛錬に勤しむ。師匠と呼ぶには大げさだが、高い魔力と常軌を逸した魔力制御の持ち主であるシャルロットに鍛えられた結果、思い描いていた一歩を踏み出すことに成功する。

 得意とする水魔法に他の属性を混合させることだ。

 この考えに至った理由はイリックのコネクトだ。イリックがロニアと接続したことで披露した攻撃魔法オムニシエンスは、八本の武器を同時に生成し、それぞれに異なる属性を付与させる。

 その利点は様々なモンスターに対応できる柔軟性であり、水攻撃が効かない相手だろうと、異なる属性、例えば火や雷を帯びさせることでその攻撃は相手を貫くことを可能とする。

 ロニアはイリックのオムニシエンスから自身の方向性を理解し、それを目指す。

 以前から、ロニアは利便性を追い求めて火属性を付与することには成功していた。それは攻撃手段ではなく、お湯を作り出すことに留められていたが、それでも立派な属性混合に違いなく、精度と威力を攻撃可能な段階まで引き上げることがロニアの第一歩になっていた。

 シャルロットとの修行の日々はそれを実らせる。その一つが水滴と氷塊を発射するスカウリングフローであり、並の傭兵以上に頑丈な肉体を誇るスルフィに次々と小さな穴を作り出していく。


(い、痛い……)

(この攻撃から脱出するのもいいけど、これを使うのもありよん)


 全身を裂かれ、スルフィはただ耐えることしかできない。

 苦しむ寄生主に、マンイーターは新たな手段を授ける。ロニアの攻撃が水柱に依存していることを見抜き、その時間を耐え抜くための策を講じる。

 与えられたそれはスルフィがいずれは習得する戦技だが、今回は言わば前借にも近い形で付与される。それでも使えるのならそんなことはどうでもよく、容赦ない嵐に抗うため、スルフィは体の内側からそれを開放する。


「絶対防御!」


 ズンと頭上から杭を打たれたように、体の重心が安定する。もはや両腕で水と氷の粒を防ぐ必要もなく、十字の姿勢を解いて前だけを見据える。


 絶対防御。モンクが習得する戦技の一つ。最大十秒間動かない限り、傷を負うことは一切ない。どんな攻撃すらも弾く鉄壁の防御手段と言える。再使用時間は二分とそれほど長くはなく、利便性はかなり高い。


 これだけではロニアの魔法を防ぐことしかできない。既にかなりの手負いなため、それを癒す行為も必要だ。


「自然一体」

「ふ~ん……。この瞬間も成長してるようね。アジール、大丈夫?」

「うん」


 スルフィの体から湯気が発生し、全身に作られた小さな穴が次々と塞がっていく。

 ロニアはマンイーターによる強制的な成長を目の当たりにしながらも、水柱から弾丸を発射し続ける。


「倒すしかないのー?」

「ええ。もしくはマンイーターを取り上げればいいのでしょうけど、それはそれで難しそうね」


 ネッテの疑問をロニアは晴らす。突如として現れたスルフィに、もはや説得や交渉など不可能だ。人間性を失ってはいないが、根底はマンイーターの操り人形であり、過去に類を見ない適性の高さから自分の意思を保ってはいるものの、目的はイリックを殺すことだと認識してしまっている。

 冷静に人間の殺害だけを実行する。そういう意味では、過去最悪の完成品と言えるのかもしれない。

 ロニアの水柱が全ての水を吐き終える。次の柱を生成するか水槍を作り出せば良いのだが、今のスルフィは傷を回復し終えており、そんな隙を与えてはくれない。


「順番に殺してあげる」

「おことわり!」


 スルフィとネッテが同時に爆ぜる。緑色の模様が走る銀色の短剣と、金色の装飾が美しい銀色の短剣が交錯する。

 エイビス。イリックがリンダから譲り受けた業物の短剣。これはデフィアーク共和国を訪れたネレネン王国の人間からもたらされた物であり、今はこうして故郷に舞い戻っている。

 二人の短剣には見事な装飾が添えられており、出生も過程も全く異なる二つだが、今は二人の少女に握られながら激しく金属音を打ち鳴らす。

 速度の面ではネッテが上回っている。スルフィはその事実に焦ることしかできず、イリックの仲間ゆえにそれ相応に強いのだろうと予想はしていたが、それを上回る常識外れな機敏性に防御すらままならない。

 先の一ヶ月間において、最も成長した人物は間違いなくネッテだ。体力面を強化するために暇さえあれば走りこみ、それ以外の時間はひたすらに模擬戦を繰り返した。

 その成長曲線は兄を上回っており、偶然が重なったとは言え、一度だけウェイクに勝ちかけたことすらある。

 ネッテの才能はイリックを遥かに凌駕している。兄の鍛錬七年分にたった数週間で追いついてみせたのだから、そんなことはイリックが誰よりも承知している。

 冒険者になった後は、旅の最中は食事の準備に忙しく、街中ではお姉さん的存在の二人についてまわることばかりしていたため、黙々と修行に明け暮れるイリックとは対照的にその場で足踏みをしていた。

 そういう意味ではこの一ヶ月間は非常に有意義な時間であり、ネッテを急激に成長させることに成功する。

 十五歳の若さが多くのことを吸収し、体力もわずかだが上達する。イリックも十分お手本にはなるのだが、それ以上にきちんと土台が出来上がっている隊長や軍長の存在はネッテにとって刺激的であり、何よりウェイクに勝ったら結婚してもらえるという戯言を原動力にメキメキと腕を磨いていく。

 その結果、ネッテはついにそれを手にする。

 まだ兄には敵わない。そう自覚しながらも、一緒に冒険するために必要な力を一つ身に付ける。


 デュアリズム。ローグが習得できる戦技。次の攻撃を二重化する一見するとわかりづらい効果だが、一度使ってしまえばその利便性はすぐに理解できる。再使用時間は二分なため、連発はできないが一度で十分な効果をもたらす。なお、これは習得者が少ないと言われている希少戦技だ。


「腕力向上!」

「デュアちゃんよー!」


 スルフィは力で相手をねじ伏せようと試みる。

 ネッテはそれに対抗するため、覚えたてのそれで戦いを終わらせようとする。デュアちゃん、つまりデュアリズムの発動だ。

 アジールとロニアを置き去りにしながら、スルフィは右から左にマンイーターを走らせる。その斬撃は非常に重く、同時に鋭いが、ネッテも負けじと真正面から同じ軌道を描いてエイビスをぶつける。

 ガキンとどちらも折れてしまいそうな悲鳴を響かせながら、両者はバランスを崩しながらも一歩後退する。

 だが、ネッテはその時を待つ。この攻撃がこれで終わりではないことを知っているからだ。

 そして訪れる。マンイーターにワンテンポ遅れて衝撃が加わり、スルフィは思わずぎょっとしてしまう。今回はその程度の成果にしかならないが、一瞬怯ませることができたのならそれは上出来であり、動きを止めたスルフィにネッテとアジールが斬りかかる。

 ネッテの短剣はスルフィの右肩に突き刺さり、アジールの剣撃はスルフィの背中を大きく切り裂く。


「な!?」


 それ以上の声は出せず、スルフィはその場に倒れこむ。自然一体によりこれらの傷も徐々に癒えていくが、重い負傷は一時的に意識ないし動きを奪い去ることには繋がってしまう。

 ネッテは相手が女性ということもあり加減したが、アジールは容赦なくブロードソードを振り下ろす。ロニアの魔法を受けてまばらに赤くなっていた白いカーディガンは完全に赤一色に染まる。


「終わりよ。それを寄こしなさい」

「い、嫌だ……」

「まだ反抗できるなんて、意地っ張りなのかマンイーターのせいなのか」


 ロニアが動かないスルフィを見下ろす。この戦いは自分達の勝利であり、後は戦利品を受け取るだけだと自覚している。


(なんで……、なんでこいつらにも勝てないの?)

(これは想定外だわ)


 スルフィは絶望し、マンイーターは困惑する。

 イリックに勝てない。これは仕方ない。だからと言って、この三人にも敵わないとは夢にも思わず、自分が地に伏せているこの状況がただただ許せない。


「アジール。無理やりにでも奪い取りましょう」

「わかった」


 離さないのなら仕方なく、ロニアは強硬手段をアジールにとらせる。倒れてもなお握り続ける銀色の短剣を力業で奪い取ることにする。

 アジールはブロードソードを背中の鞘に納め、自分よりもいくらか小さな右手の指を開放させようと引っ張る。


「や……だ……」

「すごい力」


 戦技が発動しているがゆえに、握力はアジールさえも凌駕しており、腕力でどうこうすることはできない。

 この瞬間も傷は少しずつだが癒えており、悠長なことをしている場合ではない。

 腕力向上は三十秒で効果が消えるため、それを待てばいいのかもしれないが、それを待つということは傷の治療もある程度済んでしまうことを意味する。アジール達は難しい状況に立たされる。


「イリックみたいに腕切り落とす?」

「かわいそうだけどそうするしかないわね」


 アジールとロニアはそう判断する。あの時はイリックを非難してしまったが、今回はマンイーターの奪取を実現せねばならず、そのためには非人道的かもしれないが仕方がない。


(勝ちたい……。負けたくない……)


 スルフィは強く願う。この願望がマンイーターから与えられた偽者であろうと、今は自分のものになっており、ゆえに心の底から求めてしまう。

 マンイーターはどこまでも叶える。自分の使命を達成するため、なにより想像主の代理人を務めるため、スルフィに最後の力を与える。

 これが最後だ。すなわち、スルフィはここで限界を迎える。戦技の習得はこれで最後になるため、後は人を殺して身体能力を高めるしかない。そのためにもこの状況を覆さなければならず、与えられた力はそれを可能とする。

 体内で無理やり覚醒させられた熱い力は、強引な手法かもしれないが新たな力となってスルフィの闘志に火をつける。マンイーターにとっては人を殺すための後押しであり、スルフィにとってはこの場を切り抜ける好機となる。


「チャクラ」


 ぼそりとつぶやかれたその一言が、アジールとロニアを驚愕させる。その効果は知っており、このタイミングで使われるとはこれっぽっちも想定しておらず、悠長に相談していないで即座にやるべきだったと今になって後悔する。

 しかし、もう遅い。一瞬で癒えた傷はスルフィの復帰を意味しており、ここから先は一方的な蹂躙の時間だ。


 チャクラ。モンクが習得できる戦技の一つ。キュアのように傷を一瞬で癒す。自然一体では時間がかかり過ぎる負傷も、これを使えばあっという間にリカバリー可能だ。再使用時間は十分と長いため、切り札のようにしか使えない。


「急ぎなさい!」


 ロニアの叫び声も空しく、アジールのブロードソードが振り下ろされるよりも前にスルフィはそこから姿を消す。逃げたのではない。脚力上昇によっていっきに跳ねただけだ。放たれた矢のように広間を駆け回り、なんとか目で追おうとするネッテに狙いをつける。


「は、速~い!」

「見えない!」


 ネッテとロニアはうろたえる。足音だけは聞こえるが、ロニアに関しては姿さえ見えない。自分達を囲うように走り続けていることは間違いないが、風を切り裂く音と軽快な足音だけがけたたましく周囲を暴れまわっており、次の瞬間にも殺されてしまいそうだと恐怖させられる。


「ウォーシャ」

「それ邪魔」


 アジールがウォーシャウトを使って時間を稼ごうとしたその瞬間だった。ネッテから殺すつもりでいたスルフィは、一瞬にして自身を上回る長身の喉元を切り裂く。赤い鮮血は周囲の地面を赤黒く染め、アジールは声が出せないばかりか致命傷を負ってしまったことを認識し、成すすべなく膝を付く。


「アハハハハ!」


 一瞬見えた姿はさらに加速する。アジールという冒険者を倒したことで、スルフィはさらなる成長を実現する。それでもまだ成長過程だ。そう主張するように次の獲物に刃を向ける。


「アジール! くぅ、ヒーリングカレント!」


 ロニアは慌てて新たな魔法を詠唱する。足元からじわりと水溜りが発生し、まるで意思を持つかのように倒れているアジールへ向かう。それはただの水ではない。白い光をぼんやりとまとっており、長身を受け止めるように包みだす。


「不思議な魔法ばかり使う。どうでもいいけど」


 もはやどうでもいい。これから死ぬ人間が何をしようと関係なく、スルフィはロニアの背後から覆いかぶさるように抱きつき、右手のマンイーターを腹部へ深く突き刺す。この事実を認識させるよりも前に銀色の刃をそのまま右へ走らせ、腹を切り裂きながら再びそこから姿を消す。


「ガハッ」


 限界を越えた痛みに苛まれながら、ロニアは開いてしまった腹部を服の上から押さえつつ倒れこむ。

 ネッテは騒音のような足音と空気を突き破る音に包まれながら、二人が倒されたことをやっと理解する。

 次は自分がやられる。そんなことよりも今は二人のことが心配だ。だからといって駆け寄ることはできない。マンイーターを握ったまま高速移動しているスルフィが今も自分を狙っているからだ。


「よくも……よくも……」


 アジールとロニアを庇えなかったことに腹が立つ。

 涼しい顔をしてそれを実行したスルフィが許せない。

 この状況を今なお継続しようとしているスルフィが許せない。

 スルフィの原動力は殺意だ。そして、ネッテもそれをきっかけに潜在能力を引き出すことが可能だ。普段は体への負担を考慮して高い身体能力を無自覚に押さえつけているが、漆黒の意思をトリガーとしてそれを開放する。

 高まった力を宿し、小さな体はスルフィに追いつこうとする。偶然にも似た短剣を握る二人は、周囲の壁を蹴り飛ばしながら縦横無尽に駆け回る。


「な、化け物め!」


 スルフィは青ざめる。アジールとロニアを倒したことで急激に成長したにも関わらず、小さな少女が自分の速度に追いついてくる。それだけに留まらず、殺意の乗った攻撃が次々と自身の柔肌を切り裂く。

 狭い広場の床、周囲を囲む壁、二階に続く階段、それらを人間の規格を越えた脚力で蹴り飛ばし、次々と破壊しながら二人は互いを殺し合う。

 ネッテは急がなければならない。一秒でも早く相手を殺して兄を呼ぶ必要があるからだ。そうすることで二人を助けてもらえる。自分には出来ないことでもイリックならやってくれると理解している。

 そのことが焦りに繋がったわけではない。単純にこの差は戦技の数から来るものだ。戦闘力がほぼ拮抗している以上、この二つを使われてはどうすることも出来ない。


「反応速度向上! 真空圧!」


 高まった反射神経はネッテの攻撃を見切る。スルフィは真っ直ぐ迫る突きをいなし、相手の体を蹴り飛ばす。間合いが開こうとこちらは攻撃可能だと主張するように、左手から見えない衝撃を打ち込む。

 ネッテは右脇腹に真空圧の直撃を受けてしまう。高まったスルフィの腕力から繰り出されるそれは肋骨を数本あっさりと粉砕し、いくらかは内蔵に突き刺さってしまう。地面に叩きつけられ、ネッテはもがきながらも立ち上がろうとする。


「う、うう……」

「終わりよ」


 言い渡すように、スルフィはうつ伏せで倒れているネッテの背中をごりっと左足で踏み潰す。小さな体は重圧に耐え切れず、限界以上までへこまされる。

 体内から聞こえてはいけない音を感じ取りながら、ネッテは口を満たす血液をいっきに噴出する。


「はぁ、これであの男も殺せるわ。あんたのお兄さんだっけ? あの世があるならそこで再会しなさい」


 スルフィの発言にネッテは恐怖する。狙いが兄だとついに理解できたからだ。自分達はそのついでか何かなのだろうと察し、この相手には負けてはならないと反撃を試みたいのだが、肝心の体が正常に動いてくれない。


「や、止めて……」


 お兄ちゃんには手を出さないで。今のネッテには懇願することしかできない。自分達はどうなってもいい。そういう意味を籠めて願いを口にするも、それはスルフィを楽しませることにしか繋がらない。

 甲高い声で笑いながら、スルフィは左足をより一層強く踏み込む。ネッテがさらに吐血しようとそんなことはどうでもよく、笑い疲れた頃合いにそっとそれを背中に押し込む。

 銀色の刃が小さな背中に突き刺さり、ネッテはピタリと動きを止める。まるで魂が体外へ放出されるように、悲痛な叫び声が戦場に響き渡る。

 この瞬間、勝者は決する。それは一人であり、残念ながら伏せている三人ではない。

 唯一の失態は最後のそれだ。猶予など与えずきちんと殺しきってしまえば、真の勝者になれたかもしれない。

 そうしなかった以上、もはや勝ちの芽はつまれてしまう。ここから先はただの一方的な殺戮ショーだ。


「さぁ、死になさい」


 ネッテの背中に突き刺したままのマンイーターを掴み、ゆっくりと肉を切り裂き始めたその瞬間だった。

 駆けつけた勝者が二人の優劣を決定する。



 ◆



「宰相、王はどちらに?」

「んん? どこかのう?」


 赤いカーペットが中央に敷かれた横幅のある廊下で、二人はそれぞれの心境を抱きながら言葉を交える。

 一方はこの状況がただただ奇妙であり、動転はしていないが肝を冷やしている。

 もう一方は楽しそうにボケ老人を演じる。この男をからかうことが思いの他楽しいからだ。

 王を探しているこの男は親衛隊の隊長だ。紫色の服で全身を覆っており、目元以外は完全に覆われている。足早に王宮の廊下を歩いていたところ、灰色のローブをまとう宰相と出くわしたため、声をかける。


「短剣の娘に関する定例報告を行いたいのですがどこにも見当たりません。ご存知ありませんか?」

「さ~ての~」


 心配する隊長とは対照的に、宰相はフォッフォッフォと笑いながら猫背の姿勢で立ち去ってしまう。

 残された男は隊長として最後の手段を講じる。スルフィの見張りを行っている部下を含めて、全員を王の探索に当ててしまう。スルフィは家から外出する気配がない。そういう安心感と、何より王を護衛することを第一とする親衛隊としては当然の判断だ。

 隊長は部下に指示を出し、自分も探索に加わる。もう一度王宮を練り歩き、意地でも見つけるつもりでいる。王族の相手は精神が磨り減ることは今までの経験から十分知っており、装束の中では今もこうして一本、二本と頭髪が抜けていく。心労がダイレクトに抜け毛に繋がる。中年とはそういうものだ。

 ぐるりと一周し、王の間へ辿り着いた時だった。廊下の突き当たりに存在する大きな扉を開くと、玉座だけが鎮座する殺風景な景色が目の前に広がるはずだった。先ほどはいなかった王を筆頭に、ざわざわと五人と宰相がそこで話し込んでいる。


「王! どちらにいらしたのですか? 探しましたよ!」

「おお、すまんな。なあに、少し散歩していただけだ」


 慌てる隊長に笑いながら、ロメロンはらしくない服を着こなしながら悪びれもなく言ってのける。

 王も王妃も、王族だけが着ることを許される真っ赤な衣装を着ていない。それも当然だ。先ほどまで、デフィアーク共和国とガーウィンス連邦国を見て回ったからだ。


 テレポート。イリックがこのような魔法を習得している以上、王妃が我慢できるわけもなく、そういうことならと王も随伴し、一同はその二国を遠足気分で闊歩する。

 もちろん二人だけの外出が許されるはずもなく、宰相は三将軍の一人、リーダー格のアインを同行させる。イリック達としてもそうしてもらいたく、次のメンバーで先ずはデフィアーク共和国へ移動する。

 イリック。

 ウェイク。

 ゴルド。

 ロメロン。

 トゥリン。

 アイン。

 六人ゆえに満員だ。ネッテ達はイリックと午後の約束を交わし、市街地へ繰り出す。

 ロメロンとトゥリンは王族ゆえ、そのままの衣装では目立ちすぎる。そこでメイド達に一般人の服を用意させ、どこにでもいそうな、しかし随分と品の良い姉弟が出来上がる。

 他の四人はそのままなため、とりわけ長身のアインが真っ赤な鎧のせいで少々目立ってしまうが、冒険者が練り歩くトリストン大陸では問題ないだろうという算段のもと、一同はテレポートでデフィアーク共和国へ向かう。

 イリックとしては街中を案内するだけのつもりでいたが、ウェイクはエミリアに事情を話し、顔合わせだけは済ませる。本来ならば大統領の出番だが、そもそも約束など取り付けておらず、今の王はただのロメロンとしてこの地に降り立っており、今回はさらりと出歩くだけで済ませる。

 それでもロメロン、トゥリン、アインは驚き続ける。三人はネレネン王国で生まれ育ち、他の国など一切知らない。情報としての知識は持ち合わせていても、実際に自分の目で見たことは当然なく、映る景色がどれも新鮮で仕方ない。

 ウェイクとエミリアは住宅街と港、最後に軍区画を案内し、ここで時間切れを迎える。もう少し粘ることは可能だが、次はガーウィンス連邦国へ向かわねばならず、エミリアに別れを告げ、六人はゴルドの故郷へ向かう。

 ウェイクがエミリアにそうしたように、ゴルドはガラハを巻き込む。

 さぁ、同罪じゃ。そんな意味のわからない呪言を払いのけ、ガラハはこの状況を把握し渋々承諾する。

 ガーウィンス連邦国は、ネレネン王国ともデフィアーク共和国とも街並みが随分と異なる。昔ながらの牧歌的な風景を維持しており、人々が歩く道は茶色い土そのものだ。土の壁、小さな岩山を貫く短いトンネル、湖の水が作り出す林。そういったものもそのままの姿で時代を移ろっている。建物はどれもが木造の古いデザインを採用しており、もちろん目新しい家や店、ギルド会館も存在するが、ツタが覆う古めかしい建物がどうしても目立ってしまう。

 ガーウィンス連邦国は敷地面積が三大大国で最も広い。ゆえに一周するだけでもかなりの時間を要してしまうのだが、ロメロン達にとってはあっという間だったのかもしれない。

 ゴルドとガラハは丁寧に町を案内し、火の図書館の館長室が終着点となる。

 ゴルドはこの件をまとめ、上に報告しなければならない。名残惜しいがネレネン王国には戻れず、イリック達は五人でネレネン王国に帰還する。

 ゴルドとガラハに見守られながら、一同はトリストン大陸からアリカ大陸へ渡る。

 短時間ながらも三人はデフィアーク共和国とガーウィンス連邦国を体験する。

 ロメロンは変わらず人の営みが行われていることを受け止め、一層強く王としての責務を感じ取る。

 トゥリンは生まれてくる子供にも今の景色を見せたいと、母として強く思う。

 アインは冒険者およびギルド会館の賑わいに感銘を受ける。傭兵とは少し異なる彼らは自由の代償として非常に重いものを背負っている。それを感じ取り、その意思の強さに共感する。

 テレポートによる一瞬の暗転が済み、五人はふわりとそこに到着する。赤い道が玉座に続くここはただただ広く、天井を支えるいくつもの柱はドッシリと力強い。

 窓はなく、壁や柱に設置されたマジックランプ達が輝き、その光が五人と一人を照らしてくれる。


「おかえりなさいませ。どうでしたか?」

「満足だ。今度はベークも連れて行こう」

「それはうれしい限りですのう」


 王達の帰還を宰相が出迎える。

 王族のお忍び旅行は無事終了だ。アインとウェイクは肩の荷が降りたことを心底喜ぶ。


「次はサウノ商業国を見てみたいわ~」

「そこは人が多いので、考えないといけませんね」

「ブライン殿と話をつけてくれ……」


 王妃のわがままにイリックは頭を悩ます。サウノ商業国は他の二国以上の人口を誇る。サウノ宮殿に近づこうものなら、人ごみに紛れて護衛どころではない。

 ウェイクは自分を巻き込むなと遠まわしに逃げることを選ぶ。さすがの超人もすっかりやつれてしまう。


「イリック殿、ウェイク殿、お世話になりました。お礼というわけではございませんが、昼食を用意させております。募る話もその席で続けるのはどうでしょう?」


 話し込む王と宰相に代わり、アインは客人にこの後についての説明を始める。

 すっかり疲れた二人はもちろん首を縦に振り、食事用の部屋に向かう手はずが整う。


「王! どちらにいらしたのですか? 探しましたよ!」


 慌てた様子で紫色の男が現われる。親衛隊の隊長だ。この場所も探したにも関わらず、王を筆頭に大勢が立ち話をしているのだから驚かずにはいられない。


(あの人も大変そうだな~)


 イリックは他人事のように隊長を見つめる。様子から、王が宰相くらいにしか事情を話さず外出したことが見て取れる。自分のテレポートが犯人だが、今はただただ同情せざるをえない。


「昼食の前に定例報告がございます。王の部屋まで」

「構わん。ここで済ませ」


 親衛隊の隊長がここでの発言を戸惑うのは当然だ。内容が一般人の監視であり、いかに武神祭で活躍したイリックとウェイクであろうと、聞かれることは避けるべきだと判断する。

 しかし、王はそんなことを臆することなく、ここでの報告を要求する。

 そう言われてはどうすることもできず、男は昨日と同様の内容を口にする。

 謎の短剣を所有するスルフィが、監視を始めて以降、一度も外出していないことを告げる。

 家の中から放たれる殺気は常人のそれを超えており、ゆえに気配も含めて家の中にいることは間違いない。

 また、気配を絶つことに長けている自分達の存在に、間違いなく気づかれていることが不気味で仕方ない。体に突き刺さる殺気が、明らかに自分達に向けられているからだ。

 最後に、不在の王を探すため、一旦全員をここで動かしていることも付け加える。


(へ~。こっちの人も、マンイーターについて把握してるのか。どうしたものか……)


 二人のやり取りはイリックを困らせる。王達が狙っている獲物は、自分も欲している物だ。

 スルフィを説得して、もしくは正気を取り戻させ、マンイーターを奪取ないし譲ってもらう。そうすることで、イリック達は報酬として三十万ゴールドを手にする。アジールの鎧を買うためにも、欠かせない金額だ。

 ゆえにここは譲れない。相手がどう出るかを確認するためにも、強攻策かもしれないが提案を持ちかける。


「あの~。皆さんはそれがマンイーターだってご存知なんですか?」

「ほう」

「そ、そういうことか……」


 王と宰相はゆっくりと驚く。

 ネレネン王国にもこの短剣に関する伝承は存在する。しかし、マンイーターが最も猛威を振るっている場所はトリストン大陸であり、次いでコンティティ大陸だ。アリカ大陸でも過去ないしつい先日被害者が出てしまったが、他の大陸と比べれば単なる殺人事件の範疇と言える。

 誰よりも知識を蓄えているベークですら、マンイーターについての詳細は把握できておらず、そういった危険な短剣がどこかにあるのだろう程度の域を出ない。

 しかし、イリックからもたらされた情報で宰相は全てを把握する。

 スルフィの父親が傭兵を殺せた理由。

 スルフィの父親が傭兵を殺した理由。

 スルフィ自身が次々と傭兵を打ち負かし勝ち進んだ理由。

 そして、その成長速度。

 全てに合点がいく。


「あなた達は、あの女の子がマンイーターを使っていることを知ってたの?」

「いえ。つい先日、知人から教えてもらいました。詳しい人というか、専門家がいるんです。さっきガーウィンスを案内してくれたガラハさんです」


 王妃の問いかけにイリックは実情を正直に話す。この状況での隠し事は悪手だと判断し、なにより譲歩を引き出したい以上、手の内は明かしきる。


「あれがマンイーター……。至宝神器と見間違いのも当然か。ありようはまさに神秘の武器じゃ」

「しかし、噂通りなら決して人に扱えるものではないぞ」

「ですのう……」


 ベークとロメロンは悩む。なんとしてでも入手するつもりでいた短剣が人の手に余る禁忌の武器だと判明したからだ。


「イリック。お主はあれをマンイーターだと知った上で何を考えている?」


 王の発言と共に皆がイリックに視線を向ける。把握している以上、それだけではあるまいと詮索する。


「あの女の子をマンイーターから開放して、ついでにもらいます」


 そしてサウノ商業国のギルド会館に提出し、三十万ゴールドを入手する。そこまでは言う必要もなく、イリックは肝心なとこだけは伏せる。


「開放する? そんなことが可能なのか?」

「わかりません。武神祭で一度あれを握っただけですが、異常性だけはすぐに理解できました。あれは明らかに人を壊します」


 ロメロンの疑問を払拭することはできないが、イリックはマンイーターについての正直な感想を口にする。この世ならざる圧迫感のような何かを秘めているあの武器は、厳重に保管するか捨てる以外にどうしようもないと一瞬で理解させられる。サウノ商業国がマンイーターをきちんと扱えるかどうかはわからないが、そこから先は自分達の管轄ではないため、必要以上に悩む必要もない。冒険者として、ギルドのクエストを可能な範囲でこなすまでだ。


「そうか……。この件はおぬしに委ねよう。一度勝ったのだ、問題ないはずだ」


 王として、ロメロンはマンイーターの入手を白紙に戻す。至宝神器に匹敵する武器には違いないが、似て非なる以上、何よりその危険性は連続殺人という形で既に体験していることから、二度と関わるわけにはいかない。そのままにするわけにもいかないが、トリストン大陸の腕の立つ冒険者が手を挙げているのだから、今は邪魔をしないよう見守ることを選択する。


「それじゃ、ご飯にしましょ~」

「こちらです」


 トゥリンとアインが先頭を歩く。話はまだ終わりきってはいないが、それは食事をしながらでも可能だ。先ずは腹ごしらえ。この場はそういうことにして、一同は王族用の食事用フロアを目指す。

 こうしてスルフィの相手は決定する。

 しかし、監視の目がなくなったことで、マンイーターは自由を手にしてしまう。

 隊長の指示により親衛隊がつい先ほどスルフィの自宅から撤退しており、それはすなわち、凶暴なモンスターを檻から開放するに等しい。



 ◆



(あの家か……)


 手渡された紙切れと周囲の街並みを見比べながら、イリックはついに辿り着く。

 薬屋ストーム。決して大きくはない薄茶色の建物には鍵のかかった扉がついており、左右の窓から中を覗いても、人の気配は一切感じられない。

 棚にはいくつもの小瓶や袋、紙がぐちゃぐちゃに並べられており、店としては機能していないと一目でわかる。

 裏の家に住んでいる。イリックは親衛隊の隊長から教えられた通り、隣接する石造りの一戸建てに移動する。

 茶色い玄関をノックしようと返事はない。何より聞いていた様子とこの雰囲気が一致しない。殺気はおろか、人の気配すらしないからだ。

 イリックは信じられないほど豪勢な昼食を腹いっぱいに食べた後、真っ直ぐここを目指す。とりあえず会話ができるかの確認だけでも済ませておきたいという算段が働いたからだ。

 しかし、いない。居留守の可能性もあるが、それにしては静か過ぎる。

 とは言え、こうなってしまってはどうすることもできず、イリックはもう一つの用事に取り掛かる。ネッテ達とのちょっとした探険だ。目的地はビリット平原。アリカ大陸探索の第一歩でもある。

 ネレネン王国に到着以降、なんだかんだと市街地だけで時間を潰せてしまった。ここまで来たにも関わらず、現地のモンスターを一体も見ていないという不思議な状況は実に冒険者らしくない。

 そういうことならと四人はビリット平原を遠足することから始める。

 オハンの件は片付き、アジールはアダマン製の盾を入手する。それではまだ足りないが、それほど脅威となるモンスターもいないらしく、イリック達は遠出をするつもりはないものの、とりあえず町の外へ出てみることにする。

 ネレネン王国でやるべきことは二つ残っている。

 一つはマンイーターであり、それについては持ち主と出会ってから考えなければならない。

 もう一つは頭を働かせる必要もなく、今はその時をただただ待っていればいい。


(なんだかんだ時間通りだな。あっちか……)


 イリックは東を目指す。穏やかな街並みの向こうには巨大な壁がそびえ立っており、それを二つ越えればそこは領土外、すなわちビリット平原だ。

 ネッテ達とは時間を決めて合流する予定なのだが、今の足取りなら問題なく約束を果たすことが可能だ。


(ウェイクさんに全部押し付けてきたけど、まぁ、それが仕事だろうしがんばってもらうしかないな~)


 王宮を抜け出したのはイリック一人だ。ウェイクはデフィアーク共和国の代表として王や宰相と話し合いを続けている。今後のことについて決めなければならないことが山のように積まれているからだ。そういうことはウェイクの管轄外だが、武神祭を優勝してしまった以上、ネレネン王国にとってこの男はもはや特別な存在でもある。今は職務を全うする以外に道はない。

 膨れた腹を摩りつつ、イリックは防衛戦用の市街地とも言うべき場所に辿り着く。

 国民が住むわけでもなければ活発に人が往来する道でもない。しかし、作りはしっかりとしている。リザードマンやオークを迎撃する砦のような場所なのだから、破壊された壁や床は逐次修繕する。

 イリックの視界は、ただただ広い石畳の広間で埋め尽くされる。左右には隣接する区画を隔てるように壁が存在している。壁と言っても厚みはあり、そこでは上の階層として移動も戦闘も可能だ。

 遥か前方にも石の壁が立ちはだかっており、頑丈そうな木製の扉を突破するか、左右から遠回りしなければここには辿り着けない。

 石造りの多層構造は市街地と同様だが、ここは戦のための拠点であり、イリックは固い道にどれだけの血液が染みこんでいるのか想像しつつも一歩ずつ足を動かす。

 市街地ほどではないがここも十分広い。何百、何千もの大軍をここで迎え撃つのだから、狭くていいわけもなく、正門と市街地を防衛する塁壁との間は徒歩だと一、二分では到底行き来できない。

 迷宮のような作りになっていることから、イリックは迷わないよう地理を頭に叩き込みながら前方に見える巨大な壁を目指す。目的地が見えているのだから、迷いようがないのも事実だ。


(ここの宿屋っていつまで利用していいんだろう? さっき確認しておけばよかったな)


 ネレネン王国に招かれたことで得したこと。その一つは宿代の免除だ。来賓である以上当然なのかもしれないが、家を失った今となってはただただありがたく、一日の出費は食事代くらいで済んでいる。稼いでいない以上、懐はどんどん冷え込んでいくが、その速度は想定よりもぐっと穏やかだ。

 いつまでも甘えるつもりはないが、アリカ大陸を探索するのなら宿屋への帰還は必要だ。ここでの土地勘が無いということもあるが、何よりオークやリザードマンとどこで出くわすかわからない。夜は野宿ではなく、テレポートで戻るべきだとイリックは考える。


(そんな遠出をする予定もないんだけどね~。それよりもじいさんの件、そろそろ手伝ってあげるか……)


 つい先日、小型エレメンタルフォンでゴルドと交わした会話を思い出す。

 サハハ遺跡を解明するため、エムム遺跡に赴きたいからテレポートで運んでくれ。

 完全に便利屋扱いだが、冒険者は本来そんなものだ。ビリット平原を探索し終えたら検討しようと考えながら、イリックは石の階段を上って東を目指す。

 その時だった。イリックの耳がそれを受信する。聞き覚えのある声は決してイリックに届くはずがない。それでも、イリックはそれを確かに拾ってみせる。

 決して聞きたくはない叫び声。助けを求めるという段階ですらない死を迎えようとするその絶叫は、遠く離れた兄妹を結びつける。

 疑うこともなく、考えることもなく、イリックはなんの躊躇もせずに発動させる。


「コネクト」


 見慣れない立体的な街並みからは色が抜け、その中をイリックは全力で駆ける。

 なぜだか方向すらもわかってしまう。兄の勘だけではない。コネクトで接続しているがゆえに可能な芸当だ。

 静止する時間は三秒。それでは間に合わないと悟り、イリックは加速する。


「アサシンステップ」


 空気を切り裂き、前方を塞ぐいくつもの壁を飛び越え、がむしゃらにそこを目指す。やがて時間は流れ出し、アサシンステップも効果を失ったタイミングで辿り着く。

 倒れるアジールとロニア。

 そして、うつ伏せのネッテに刃を突き立てる緑髪の少女。

 イリックは瞬時に状況判断を済ませる。

 アジールとロニアから流れ出たであろう血液の多さ。

 痙攣を引き起こしているネッテ。

 一秒を争う事態だ。

 自分が間に合ったかどうかはわからない。それでもやるべきことをやるしかなく、イリックは自分でも不思議なほどに落ち着いた頭から体へ指示を出す。

 足音に気づいたのか、空気をかき分ける音が耳に届いたのか、スルフィは突然現れた男を認識してみせる。

 だが、遅い。イリックに気づこうと殴られるという事実に変化は訪れず、一見するとただの少女にしか見えないそれは顔面をくぼませながら石造りの壁に突き刺さる。


「キュア」


 このキュアはただのキュアではない。ロニアが将来辿り着く常軌を逸した魔力から放たれる回復行為であり、その持ち主に感謝を述べるように地に伏せるロニアは白い光に包まれる。


「キュア」


 次いでアジールだ。イリックからは、二人が順に倒され、最後にネッテが敗れてしまったと見える。その順番はわからないが、体の強さからロニアを最優先に回復する。


「キュア」


 最後はネッテだ。足元の妹は背中を切り裂かれている。痛々しくて直視できないが、イリックが注意すべきは吹き飛ばしたマンイーター所有者だ。

 頑丈そうな壁に埋もれたまま、スルフィは動かない。そういうことなら都合がよく、イリックは三人に二度目のキュアを詠唱する。

 合計六度のキュアはイリックの少ないマジックポイントを半分以上も消費させるが、裏を返せばまだ半分近くは残っており、何より左耳で銀色に輝くピアスが自然回復以上の速度で減った分を満たしてくれる。


「――見つけた」


 かろうじて継続していた自然一体により、スルフィの顔は元通りに復元される。痛みよりも喜びに打ちひしがれていただけであり、髪にかかってしまった小さな瓦礫を左手で払いながら、ゆっくりとそこから這い出る。


「なんで三人を襲った?」


 イリックの疑問は当然だ。わざわざこんな場所で、倒しにくそうな実力者達に挑む理由がわからない。


「あんたを殺すために」

(意味がわからん)


 マンイーターの特性上、強者を倒すほど持ち主は強くなる。倒すべき相手の仲間を襲うという行為は、そういう意味では非常に理にかなっている。

 そんな事情や仕組みなど知らないイリックにとってはただただ不可解な行動であり、目当ての人間を見つけることは出来たが、今はこれっぽっちも喜べない。


「二人は殺せたと思ったのに……。残念」


 スルフィの視界には四人が映りこんでいる。

 抜刀すらせずこちらをうかがう獲物。

 兄の足元で倒れたままの子供。

 ゆっくりと立ち上がる長身の女。

 ベージュ色のワンピースを真っ赤に染めて体を起こし始める女。


「残念。私、こう見えて回復魔法も使えるの。信じられないでしょうけど、アジールはそれで一命を取り留めたわ」

(さっすが~)


 ロニアは片膝をついたまま、どこか勝ち誇る。

 イリックは具体的なことは理解できなくとも、とりあえず感心する。


 後衛攻撃役。

 メイジ。

 ロニアが当てはまる分類だ。破壊に特化した攻撃魔法とほんのわずかな弱体魔法、そして移動魔法のフリッカーを習得できる。

 ロニアは水属性の扱いに秀でているため、独自の攻撃魔法を編み出すが、それの多くはやはり相手を倒すための魔法だ。

 ロニアは自分の可能性を追求する。進むべき道がわかっている以上、後は鍛錬を積めばいいだけであり、シャルロットとの時間はそれを実現してみせる。

 その一つが水属性と光属性の混合だ。

 ロニアは水の魔力制御だけが高く、他は少々落ち込んでいる。だからと言って水の魔法だけしか扱えないわけではない。

 習得している以上、使おうと思えばフレイムも使用可能だ。ひ弱なため、実践では使えないだけだ。

 そういった背景から、ロニアは水の魔法だけを磨くつもりでいた。しかし、この世界には様々なモンスターが生息する。その中には水属性に耐性を持つものも少なくはなく、ゆえにそれでは活躍の場が狭まってしまう。

 では、どうするか?

 答えはイリックが提示する。オムニシエンスというロニアが辿り着く魔法では、全ての属性を水の武器に付与させることでその問題を解決する。

 本来は自力で辿り着かなければならない答えを見つけてしまった以上、ロニアはそれを確立しなければならない。

 まだオムニシエンスのような芸当は不可能だが、その一歩として新たな魔法を会得する。

 それが水と光の混合魔法、ヒーリングカレントだ。足元に癒しの効果を秘めた水溜りを作り出し、それで対象を回復する。

 メイジでこんなことが可能な人間はどこを探しても見つからない。ただ一人、ロニアだけだ。

 アジールは喉を切り裂かれてしまい、呼吸すらままならなくなる。その後も放置されたため、本来ならばかなり危険だった。

 ゆえにロニアはこの魔法で傷の治癒を試みる。その直後に自身もやられてしまうが、意識を完全に失うより先にアジールの傷はわずかに癒え、結果、駆けつけたイリックのキュアが間に合う。


「もう理解してると思うけど教えてあげるわ。あなたの負けよ。素直にそれを渡しなさい」


 お金が欲しいから。とは付け加えない。ロニアもこの雰囲気をぶち壊したくはない。


「あんた達を倒したことに変わりはない。今ならこの男も殺せる!」

「戦技をほとんど使い果たしてるんでしょう? 残念ながら、そんな状態じゃイリックには敵わないわ。武神祭だって話にならなかったじゃない」

(案外良い勝負だったような気もするけど……)


 スルフィとロニアの問答を、イリックは黙って見守る。駆けつけたばかりということもあり、それまでの経緯が飲み込めていない。自身が矢面に立たされていることはわかるが、そもそもその理由がわからない。


「助かった」

「お元気そうで何より」


 アジールは喉を撫でながら姿勢を正す。喉の傷痕は見受けられず、すっかり元通りだ。イリックとしてもほっとせざるをえない。

 ロニアも腹部の傷は癒えているが、残念ながらタイトワンピースは斬りかされており、何より流れ出た血で真っ赤に染まっている。


「教えて。なんでイリックを標的にしてるの?」

「――危険だから」


 スルフィの発言を受け、ロニアとアジールは視線を向ける。

 そんなことを言われる理由がこれっぽっちも思い当たらず、イリックはキョトンとする他ない。


「この子が教えてくれた。だから、殺す」

「あぁ、それもマンイーターの指示なの……。イリック、あなた何かしたの?」

「だ、だから何もしてませんて!」


 スルフィは右手の短剣をそっと揺らす。

 ロニアはその動作でイリックの殺害がマンイーターの影響によるものと見抜くが、そもそもそうさせる理由がわからず、やはりイリックを疑ってしまう。


「そう思わせることが可能な武器。やっぱり危険」

「そういうことね。イリック、さっさと奪い取りなさい」


 普段無口な人間がもたらす言葉は、それが何気ない一言であろうと重い。アジールの発言を汲み取り、ロニアは自分達のやるべきことを開始する。正確にはイリックにさせる。


「ガッテンガッテン」


 言われるまでもなくそのつもりだ。イリックは鼻息荒く同意する。

 その時、足元からガサリと音が鳴る。


「ふんがー!」


 自分の口癖を真似られたタイミングで、転がっていたネッテが起き上がる。寝起きとは思えないそのテンションの高さと動きの機敏性は全員を驚かせるが、本人にとってはこれが普通だ。


「あ! お兄ちゃん!」

「起きたか。武神祭の続きやるから、ちょいと見とけい」

「ガッテン!」


 そういうことだ。この戦いは準々決勝第一試合の延長でしかない。

 スルフィを倒さなければならないイリック。

 イリックを殺したいスルフィ。

 しかし、状況が異なる。

 スルフィはネッテ達を倒したことで大きく成長している。既にスルフィという少女の限界に達しており、それは同時に人間の規格という意味でも同等だ。

 そう、スルフィは人間の壁を越えかけている。今も、そして今後もその壁を越えることはできないが、そもそも人間である以上それが当然であり、その領域に足を踏み入れている時点でもはや常人ではない。

 超人に近い位置の人間。ネッテを倒したスルフィの立ち位置はここだ。

 そんなことはこの男には関係ない。今回ばかりは相手が悪い。

 武神祭でも、そしてここでも勝敗は変わらない。

 イリックとスルフィは歩み寄る。武器を構えることなく相手へ近づく。

 イリックの方がやや身長が高く、吐息がかかるほど接近し終えたスルフィはほんの少しだけ相手を見上げる。

 この身長が二人の強さを表しており、戦技を使えない以上、もはや勝負にはならない。

 右手のマンイーターはイリックの体に届かない。それよりも前に、イリックの拳がスルフィの左頬に叩きつけられたからだ。

 地面に激突したスルフィの体は、石畳の床に大きくヒビを入れてから小さく跳ね上がる。そして再び落下し、もはや動くことはできない。

 その衝撃は脳を激しく振動させ、頬骨や首を破壊する。

 とは言え、殺すつもりはない。イリックはさっとマンイーターを取り上げ、同時にキュアを詠唱する。

 ネッテとアジールから拍手を送られる中、イリックは警戒しながらそれを握る。


「考えてみたら、どうやって持ち帰ればいいのかしら? こんなこと考えてる間に、イリックもおかしくなったりして」

「それは困っちゃいますね~」


 ロニアの指摘をイリックは笑いながら受け流す。大丈夫だろうと楽観視しており、もちろん何の根拠もない。

 勝敗は決した。この事実がマンイーターとスルフィの契約を破棄させる。すなわち次の所有者を探す旅の始まりなのだが、既に別の人間の手に収まっている。

 従来なら、その人間を侵食し、同じことを繰り返させるのだが、マンイーターはつい先日味わった悪寒のような違和感に苛まれる。

 それはイリックも同様だが、今回はそれを前もって覚悟できたことから歯を食いしばって耐えることを試みる。


「くぅ……。なんだこれー!? 気持ち悪い!」

(離しなさい!)


 イリックとマンイーターは互いに困惑する。自分達のありようが根っこの部分から書き換えられるような、両者がこのまま溶け合ってしまうような、この世界の根幹部分に触れてしまうような、言いえぬ何かに飲み込まれていく。

 この感覚は決して人間が味わってはいけないものであり、危険という域を超越している。それでも今はこの短剣を離せない。正確には拳が動かない。


「大丈夫~?」

「きゃー! くっついて取れなーい!」


 心配するネッテを前に、イリックは悲鳴をあげながらブンブンとマンイーターを振り回す。短剣を掴む手は凍りついたように動かず、先ほどまで清涼だった男はすっかり泣きべそをかいている。


「アジール。右腕切り落としてあげなさい」

「うん」

「こ、こわっ!?」


 ロニアの指示はあながち間違いではないのかもしれないが、当の本人にとってはただただ恐怖だ。いかに回復魔法であっさりと治せるといっても怖いものは怖い。何より痛い。マンイーターに侵食されるよりはマシだろうが、だからといってそんな行為と天秤にかけたくもない。


「っていうか、こいつしゃべるんですけど!? 明らかに意思を持ってるんですけど!?」

「へ~、大発見ね。マジックアイテム以上の存在なんだわ」


 イリックはマンイーターの声を聞く。直接脳に働きかけるその声は耳を通さないためむず痒いが、今はそんなことを気にする状況ではない。まるで体中に大きな串が止めどなく差し込まれるような、しかし決して痛みを伴わずに神経だけを刺激するこれは思考を邪魔するほどではないが、耐えられるとも思えない。


(あなた、何!?)

「知るか!」

(こんなこと今までなかった! 人間なら間違いなく支配できるはずなのに!)

「ざまあみやがれ!」


 恐れを抱くマンイーターにイリックは精一杯強がって見せる。周囲の女性陣からしたら大声で独り言を叫んでいるようにしか見えないため、今は生暖かい目で見守り続ける。


(私の力は死そのもの! 人間を滅ぼす代理品なのよん! 邪魔しないで!)

「ん? その言葉どこかで……」


 右手から、正確にはマンイーターから流れ込む黒い束縛感に堪えながら、イリックはその発言に首を傾げる。しかし、思考も体もざわざわとノイズにまみれており、今はそれどころではない。

 男と女の間に運命の出会いなるものが存在するのなら、イリックとマンイーターの遭遇は紛れもなくその真逆をいく。この世界で決して合間見えてはいけない両者が、今はこうして握り、握られている。


(く! 転移できない……。早く逃げないと!)

「そんなこともできるのか。いよいよ化け物だな……」

「何ができるって?」


 マンイーターと会話をしていると思われるイリックに、ロニアは暇つぶしの如くたずねる。

 アジールとネッテはイリックの一人芝居を眺めることに徹しており、本当はどちらかがスルフィの介護をすべきなのだが、完全に放置されている。


「テレポートみたいなことができるみたいです」

「そう。意思を持っている上に人間を支配するんですもの。それくらいはやれてもおかしくはないわね。絶対に逃がすんじゃないわよ」


 ロニアに叱咤激励され、イリックは渋々マンイーターに向き合う。離そうとしても叶わず、そもそも逃がすつもりもないため、こうする以外に手は残されていない。


「おい。おまえは何なんだ?」


 しかし、返事はない。


「誰に作られた?」


 何も返ってこない。


「……死んだか?」


 右手から体に流れる絶望感が幾分和らいでいる。そういう意味からもイリックはこの戦いに勝てたのではと予想する。


(ソンナ……コトガ……。絆サレル……)


 マンイーターは悟る。そういう仕組みが自身に施されていたと理解し、もはや抗うこともせず、ただただ受け入れるしかないと諦める。


(ロイ……ネゼオ……チカラガ……繋ガ……ク……)


 マンイーターの声が聞こえなくなると同時に、イリックは黒い意思の束縛から解放される。右手のマンイーターはまるでただの短剣に成り下がったように落ち着いており、ゆっくりと指を動かすことも、それを手放すことも可能だ。


「死んだっぽい」

「つまり?」


 イリックがきょとんとする一方、ロニアは眉をひそめる。


「もう大丈夫っぽいです。多分……」

「怪しいわね。念のため、専門家に調べてもらいましょう。この子のこともあるし、一旦戻るわよ」


 残念ながらビリット平原の旅はお預けだ。今はそれよりもマンイーターとスルフィを優先しなければならない。

 どこへ戻るか? 選択肢は二つだ。

 デフィアーク共和国。

 ガーウィンス連邦国。

 どちらにも頼れる知人がいる。今回の場合、戦力ではなく知力を借りねばならず、そういう意味でも対象は絞られる。

 デフィアーク共和国ならエミリアやリンダ。

 ガーウィンス連邦国ならゴルドやガラハ。

 この四人なら、マンイーターの調査やそれに支配された少女の介抱を任すことができる。


(ウェイクさんが一番事情を知ってるんだし、デフィアークでいいか)


 イリックはそういうことにしてデフィアーク共和国行きを提案する。

 三人は当然賛同し、意識を取り戻さないスルフィを抱きかかえながらテレポートを唱える。

 ネッテがうらやましそうに視線を向けてくるが、そんなことは意に介さず十一秒間の詠唱を進める。

 イリックの右腰には灰色の鞘がぶらさがっており、そこにはただの短剣に成り下がったマンイーターが収まっている。

 イリックは一つ勘違いしている。吹き荒れる風のような紫色の装飾が施された銀色のそれは、武器として別の進化を果たしている。唯一無二の性能を秘めたこの短剣は、二度と人間同士を殺めさせたりはしないが、今のイリック達にとっては三十万ゴールドを得るための戦利品でしかなく、それよりも今はスルフィの重みに少々驚かされている。


「重い……」

「あ、ひどーい!」

「あなたって本当に女の子の扱いがダメよね」


 口は災いの元だとネッテとロニアの指摘で気づかされながら、一同はその場から姿を消し去る。

 こうしてマンイーターの一件は片付く。戦いが終わっただけであり、スルフィにとってはここからが大変だが、それを考えるにしろ頼らなければならない。

 イリック達は四人組のパーティだが、築いてきた絆はそれだけではない。

 サラミア港。

 三大大国。

 ネレネン王国。

 すっかり広がった輪は、少女一人を救うことくらいはできてしまう。イリックにできることはその道案内であり、そこから先は任せてしまえばいい。

 降り立ったアジールの故郷で、四人は軍区画を目指す。遥か前方にそそり立つ巨大な岩山を眺めながら、どこまでも続く石の階段を下りきってしまえば、その先にはこの国を守る軍人達の砦が広がる。

 彼らとすっかり顔なじみになってしまった四人は、明日からの予定を話し合いながら前だけを向いて歩き続ける。

 北から吹く風はどこか乾いており、これこそがデフィアーク共和国の日常だ。



 ◆



 大雨の夜が明けたように、視界を覆う霧が晴れたように、森を抜けて草原に辿り着いた時のように、もやがかった頭は明快にスッキリしている。

 柔らかいベッドの感触と、暖かいシーツがひたすらに心地よい。このまま寝ていたいと思ってしまったが、覚醒し出した脳がそれを許してはくれない。

 目蓋を開ける前からわかってしまう。ここは見知らぬ場所だと。

 顔を照らす陽射しと室内の空気が、故郷のそれらとは別のものだ。そんな異国の地で、肩まで届く緑色の髪を頭の下に広げながら、その少女はゆっくりと瞳を開く。

 暖かみを感じる茶色い部屋は全面が木で作られている。ベッドが一つ、机が一つ、椅子が一つ、棚が一つの味気ない部屋で、スルフィはもそっと上半身を起こす。

 机の上には数える程度の書物が本立てに並べてあり、棚には薬品や医療道具がしまってある。

 人の気配が感じられない質素なこの部屋を、スルフィは当然知るはずもない。

 デフィアーク共和国。

 東に広がる軍区画。

 そして、ここは軍本部に存在する医療室だ。

 回復魔法が存在する以上、この部屋の出番は訪れない。それでも時には必要な状況もあり、あまり使用されないこの部屋は、一人の少女が三日ほど占有するもなんら支障はない。


(頭が……ふわふわする)


 クリアな状態には違いないが、まるで自分が自分ではないような錯覚に襲われ、決して揺れてはいない体が前後左右に動いていると勘違いする。


(この服は? ここどこだろう……)


 スルフィは白い医療用の服を着せられている。周囲に自分の服は見当たらず、そもそもここがどこだから未だに飲み込めない。

 耳をすますと聞こえてくる。廊下を歩く男達の足音や楽しそうな笑い声が。

 起き上がることは可能だ。少しだけ重たい体をベッドから起こし、二つ存在する窓の近い方へそっと歩み寄る。

 そこから見える景色はどこか奇妙だ。殺風景な薄茶色の大地に点々と味気ない建築物が並んでおり、整えられたグラウンドでは見たことのない軍服や鎧を着ている男達が整列しながら走っている。

 その奥には随分と段差の多い灰色の階段がかかっている。それを登り切った先には、人の営みがあるであろう街並みの一部が垣間見える。

 自分のいる場所がこの領土では低地な方だと察することはできたが、ここがどこだかを断定するには情報が不足しており、スルフィはどうしたものかと室内を見渡しなおす。


(お腹減った……)


 そう思うのも無理はない。スルフィはここ数日何も食べてはいない。点滴等で栄養は送り込まれたが、空腹を解消するには至らない。


(体が軽い。不思議……)


 スルフィはマンイーターの呪縛から開放された初めての人間だ。正確な表現を使えば、生きたまま正気を取り戻すことに成功した一人目だ。

 マンイーターを手にした人間の末路は、例外なく早死にだ。

 人を殺し続けた結果、限界まで成長し、そして滅亡を迎える。

 犯行現場を目撃され、もしくは襲いかかった相手に倒される。

 スルフィは初めて三つ目の道を歩む。すなわち、マンイーターの支配から助け出される。


(思い出した!)


 晴れ渡る空のような脳の片隅に、スルフィは真っ黒な塊を見つけてしまう。マンイーターと共に過ごした残酷な記憶だ。

 それを見つけてしまった以上、スルフィは震えるしかなく、自分の行為に恐怖しながら悲鳴のような嗚咽をもらす。

 駆けつけた軍人が医療班を呼び、スルフィがベッドに寝かしつけられた頃合いに二人の女性が辿り着く。


「状況は?」

「はっ。ひたすら泣き続けており、まだ話はできておりません。今はベッドに横たわらせ、落ち着くのを待っている最中です」

「わかった。後は任せてくれ」


 赤い軍服を着た女性の登場に、少女と医療班の女性を見守っていた中年の軍人は渋い顔を見せる。

 黒い髪を肩の上で揺らしながら、エミリアは医務室に足を踏み入れ軍人を退室させる。


「やっとお目覚めかい。よ~く寝たね~」


 エミリアの後ろを歩く女性は、ぼさぼさな白髪をかきながらずり落ちかけた眼鏡越しにスルフィを見つめる。錬金術師のリンダだ。胸の大きさはこの国のトップに食い込むため、茶色いカーディガンはありえないほど膨らんでいる。


「後は我々に任せてくれ。何かあったら呼ぶ」

「かしこまりました」


 医療班の女性すら退室させ、殺風景な部屋は三人だけとなる。

 エミリアとリンダは肩を並べながら、ベッドの上で泣き続けるスルフィを見下ろす。ひっそりと嗚咽を漏らすその様子から、いくらか落ち着いたのだろうと推測しつつ、探りを入れるついでにその単語を口にする。


「武神祭ではイリックに敗れたそうね。強かったか?」

「何だい、その質問は……」


 エミリアの問いかけに、リンダはただただ呆れることしかできない。しかし、スルフィに対しては絶大な効果をもたらす。


「――はい」


 消え去りそうなその声に、エミリアはすっと右腰の突剣に左手を伸ばす。

 スルフィの記憶はそのままだ。この返答からそう推測できるがゆえに、凶暴性の継続を疑わざるをえない。


「大きな胸と小さな胸、どっちが好みかい? 私はこれくらいかな~」

「ちょ!? や、やめろ!」


 リンダは隙有りと腕を伸ばし、赤い軍服を膨らませる決して小さくはない胸を手のひらで覆う。

 この質問とやり取りには驚かざるをえなく、スルフィは泣き止むと同時に涙が浮かぶ瞳を二人に向ける。


「朝から欲情するな!」

「昨日久しぶりだったじゃん。まだ体がほてってさ~」

「このバカ!」


 ぺしっと手をはたかれ、リンダは渋々この場を納める。

 決して若くはない女性が顔を赤らめながら腕で胸を隠す仕草と、いたずらを叱られながらも決して悪びれない女性の対比がただただおもしろく、スルフィは自然と小さく笑ってしまう。


(ふむ、記憶はそのままだけど人間性は失ってない、と)

(これなら会話もできそうだな)


 リンダとエミリアはそう捉え、自己紹介から始める。


「私はエミリア。知らないだろうが、第二陸軍の軍長だ」

「リンダ。けっこう有名な錬金術師さ。あんた、ここがどこだかわかるかい?」

「い、いえ……」


 スルフィの消え去りそうな声を聞いてから、リンダは窓辺の机に寄り添う椅子に腰掛ける。

 ベッドの横に残ったエミリアは、ゆっくりと言葉を選びながら質問を続ける。


「信じられないだろうけど、ここはデフィアーク共和国。トリストン大陸だ」

「――え?」


 そんなはずはない。スルフィは目元を晴らしながらも疑念の表情を浮かべる。エミリアの落ち着いた物言いから嘘ではないのだろうと思うこともできるが、一方で信じることもできない。


「まぁ、ここがどこだかは問題じゃない。スルフィ、君は全てを覚えてるのか? 父親が人を殺してしまったこと、武神祭に出場したこと、イリックの仲間を殺そうとしたこと」


 エミリアの質問がスルフィの胸をえぐる。触れて欲しくない記憶にズカズカと土足であがりこまれている。


「沈黙ってことは把握できてるのだな。マンイーター、これについてはどこまで把握している?」

「マンイーター?」


 その問いかけにはエミリアの顔を見上げてしまう。その単語が何を意味するのか、わからないからだ。少なくとも初耳であり、記憶のどこを探しても見当たらない。


「君が出会った短剣だ。それを使って武神祭を勝ち進んだろう」

「……そういう名前だったんですね、あの子」


 消え去りそうなスルフィの発言に、エミリアは小さく考え込む。


(打ちひしがれているのか? だとしたらそれは罪悪感からか?)


 後ろで見守るリンダは、椅子をギシッと鳴らしながら二人に割って入る。


「お父さんの件はかわいそうだと思うけど、それも含めて話を聞く気はあるのかい?」

「え? どういう……意味ですか?」

「ふむ、そこからか。エミリア、後は任せた~」


 リンダは早々に匙を投げる。右手をヒラヒラ躍らせながら、ここから先は軍長に任せることを選ぶ。重たい話ゆえ、自分で話題を振っておきながら退避する。


「順に説明しよう」


 エミリアは近い窓をギイッと開く。停滞していた空気が外気の侵入によりかき混ぜられる。スルフィの危険性は低下していないかもしれない。この行為が逃亡に繋がるかもしれない。もっとも、第三陸軍軍長がそんなことを許すはずもなく、それを踏まえて換気を優先する。

 エミリアはゆっくりと話し出す。

 マンイーター。詳細なことは何一つ不明なこの短剣は、イリックの持ち帰った情報によってかなりの部分が解明される。

 人を惑わす。それだけならまだしも、持ち主の人格を歪ませ、人を襲わせる。

 人を殺す度、もしくは戦うだけでその人間を急激に成長させる。

 所有者が死んだ場合、次の人間を物色するためテレポートを使って移動を開始する。

 マンイーターは単なる武器ではなく、人格を持ち合わせている。

 これらは既に過去形だ。イリックとの邂逅がマンイーターの性能を大きく書き換えてしまう。どう変わったかは解明の最中であり、詳細は未だ不明だ。

 エミリアからもたらされた情報は、スルフィのあやふやだった記憶を完全に晴らす。

 なぜ父親が人を殺したのか?

 父親を殺したヴォイスをどうして殺そうとしたのか?

 イリックに標的を変更したのか?

 なぜ強くなれたのか?

 それらはマンイーターが原因だと、ハッキリと突きつけられてしまう。それでも自分は悪くないとは言い切れない。短剣を突きつけたのは自分の右手であり、アジールの喉を、ロニアの腹を、ネッテの背中を切り裂いたことは紛れもない事実だ。

 何より父との別れの真相を知り、今は涙がこぼれ続けてしまう。


「そのマンイーターだけど、私のとこで預かってるよ。どういうわけか無害な短剣に成り下がっちゃってね。それでも念には念をと解明の最中さ」


 リンダの言う通り、マンイーターは錬金術ギルドが預かっている。慎重な調査の結果、誰が握ろうと人格がおかしくなることもマンイーターに話しかけられることもなくなった今だからこそ可能なことであり、マジックアイテムの作成にかけてはトリストン大陸一を誇る彼らは日夜その短剣に向き合っている。


「君はマンイーターに何を命令された?」

「父さんの……、仇をとることです」

「なるほど、そういう理由付けから入るのか。上手いな」


 スルフィは振り返りたくない記憶に腕を伸ばす。許されざる行為を行った自分にできる唯一の贖罪あり、エミリアを納得させる。


「人間やモンスターを倒せば強くなれる。そのことも理解していたのか?」

「……はい」

「だから武神祭か。そして、イリックに負ける、と。まぁ、彼に勝てる人間などそうはいないだろう」

「ご存知なんですか?」


 質問を投げかけられるばかりだったスルフィが、初めて能動的に動く。

 エミリアはそのことがうれしいのか、話題がそうさせるのか、先ほど揉まれたばかりの胸を張りながら答える。


「彼とは何度も戦っている。共闘という意味でも、模擬戦でもな」

「知り合いなんですね……。ひどいことをしてしまいました」


 スルフィは肩を落とす。正気ではなかったとは言え、イリックの仲間を傷つけてしまったことに違いなく、後悔の念に今にも押しつぶされそうだ。


「な~に、気にしなさんな。あんたはマンイーターに操られてたんだから。本人達は臨時収入を前にしてウキウキしてるよ」


 不敵に笑いながら、リンダはイリック達の心情をあっさりとばらしてしまう。

 マンイーターの入手は成された。ゆえに後はギルドに提出することで、イリックはいっきに三十万ゴールドもの大金を手にする。今は解明のために錬金術ギルドが預かっているが、それが済み次第、小金持ちの仲間入りだ。


「話を戻そう。なぜイリックを襲おうとした? ネッテ達を襲う理由は強くなるためだと聞かされたが、肝心のそこがわからない」

「それは……、私にもわかりません。ただ、そうしろと言われたので……」

「ふむ、イリックもマンイーターに気持ち悪さを感じたようだし、そういうことと関係あるのかもしれないな」


 マンイーターにとっても、イリックにとっても、相手はこの上なく不気味な存在だ。出会ってはいけない両者がこの世界で合間見えてしまったことは間違いなく、その結果がどうなるのか、人格を失ったマンイーターには考えることもできず、イリックもそんなことに興味を抱きはしない。

 三人が考え込んだことで部屋は静寂に包まれるが、それはドアのノック音によって破られる。

 エミリアの返事を受けて開けられたドアから、緑色の正装を着た清潔感溢れる男と筋肉隆々の老人が現われる。


「おや、ついに目覚めたんですね」

「ほう」


 灰色の髪はさらさらしており、穏やかな表情はまさにこの人間のありようを表している。水の図書館館長のガラハだ。

 もう一人は冒険者のような軽鎧をまとっており、白髪はまばらにしか生えていない。火の図書館館長のゴルドも同行している。


「お待ちしておりました。彼女は先ほど目覚めたようです」

「運がええのう。それとも、日頃の行いか~?」

「あはは、そういうおもしろいこと言ってると、シャルに殴られますよ」


 エミリアを前にしようと、ゴルドとガラハは自分達のペースを崩さない。


「イリックはどうしたんだい?」

「ギルド会館に向かったぞい。仲間と合流して、クエストに出発するようじゃ。貧乏暇なしとぼやいとった」


 リンダは椅子に座ったままテレポート屋についてたずねる。二人はイリックのテレポートによってガーウィンス連邦国からデフィアーク共和国まで運ばれたばかりだ。


「顔ぐらい出せばいいのに」

「ここに来ると具合が悪くなるって愚痴ってましたよ」


 途端、リンダは腹を抱えて笑い出す。ガラハの発言内容から全てを察することができてしまった。

 一ヶ月間の鍛錬は、まさに血反吐を吐きながらの壮絶なものとなった。地獄の日々からやっと開放されたのだから、イリックはこんな場所に近寄りたくない。つまりはそういうことだ。


「ほう……。それはいかんな。再教育せねば」

「ガラハ、今のは失言じゃ」

「あ」


 エミリアは目を光らせる。将来部下に招くつもりでいる男が軟弱なことを口走ったのだから、将来の上官としてそれは決して見過ごせない。

 ゴルドは呆れ、ガラハは冷や汗を流す。


(ごめんよ、イリック君。でも、ここから先は自分でなんとかしてくれ)


 ガラハにできることはせいぜい応援することくらいだ。

 後日、イリックは本当にしごかれるのだが、真相を知ることはない。


「この子がマンイーターの所有者か。どんな感じじゃ?」


 とっちらかっている話題を修正するように、ゴルドはここを訪れた理由と向き合う。

 エミリアは判明した事実を話し、専門家として招かれた二人は熱心に聞き入る。


「とりあえず食事にしましょう」

「そうじゃな。少し休んで、午後からはワシ達も混ぜてもらう」


 気遣いのできるガラハらしい発言がこの場を一旦終息させる。三日間寝ていたスルフィにこれ以上の負荷はかけたくないという大人としての対応と、冷静なスルフィと話をしたいという館長としての落ち着きが両方そなわった結果だ。


「その前にマンイーター見せてくれんかのう」

「いいですよ~」


 ゴルドの目当ては当然マンイーターだ。呼ばれた理由でもあり、リンダの後をついて歩く。


「今、食事を運ばせる。軽食になるだろうが今はそれで勘弁してくれ」

「あ、なんでもいいです……」


 三人が立ち去った後、エミリアは廊下の軍人に食事の手配を頼み、先ほどまでリンダが座っていた椅子に腰掛ける。


(不思議な人達……)


 スルフィは考える。館長がどういった立場かはわからないが、そのやり取りは奇妙ではあるが、どこかおもしろい。

 何より、会話の節々にイリックが登場することが驚きだ。西の大陸で活動する冒険者ということは知っている。裏を返せばその程度のことしか知らず、二度も戦ったが、それでも何もわかっていない。

 殺意に支配されながら、倒すためだけに武器を交えたのだからそれは当然であり、会いたいような、会いたくないような、不思議な感情が胸に沸き起こる。


「イリックさんって……、有名な方なんですか?」

「有名? ふふ。まぁ、単なる冒険者ではないな」


 スルフィの素っ頓狂な問いかけに、エミリアは目を丸くしてから小さく笑う。

 イリックはただの冒険者だ。一方で、ただの冒険者ではない。そんな二面性を持ち合わせた少年をどう表現すればいいのか、第二陸軍の軍長もさすがに即答できない。


「ああ見えて、実は女たらしだ。いや、その言い方は違うのか?」


 エミリアは足を組んで考える。イリックは三人の女性とパーティを組んでいる。彼女達はリーダーにそれ以上に感情を抱いており、それはコネクトのせいで絶対のものとなっている。

 一見するとハーレムだが、誰がどう見てもそれは紛れもない事実だ。


「かっこいいですもんね」

「本人に直接言ってやれ。あの三人の耳には届かないところでな。どういうわけか、イリックが殴られる」


 スルフィの発言は世辞ではない。イリックの顔立ち十分整っており、何より十八歳にしてはあどけない。それが女性の心をくすぐるのかもしれない。

 エミリアとスルフィは、食事が届くまでイリックの話題で盛り上がる。スルフィは対戦相手だった男のことをほとんど何も知らないのだから、与えられる情報一つ一つがおもしろい。

 暇さえあれば釣竿を握ってどこかに消えていく男。

 四六時中、妹につきまとわれている男。

 つい最近まで、武器とは呼べないカッパー製の片手剣を愛用していた男。

 一ヶ月の鍛錬でグンと成長したが、スパルタ過ぎた結果ここに寄り付かなくなった男。

 エミリアの言葉を通して、スルフィはイリックの人柄を想像する。途端、胸が温まり、自然と笑顔がこぼれてしまう。

 ニシシ。

 もう大丈夫。スルフィはここから新たな人生を歩むことができる。エミリアはそう確信し、一緒になって笑い続ける。

 窓から吹き込む風はスルフィの知らない匂いを運んでくる。

 ここはトリストン大陸の北西に位置するデフィアーク共和国。ネレネン王国からは随分離れている。



 ◆



「来たわよ」

「おぉ、おっぱいちゃんか」

「やあ」


 顔を包み込む黒髪を揺らしながら、ロニアは筋肉の塊を無視してガラハだけに視線を向ける。


「この冷徹さが男心をくすぐるんじゃ。逆効果じゃぞー」


 悶えるゴルドをどこまでも相手にせず、ロニアはずらっと何列にも並べられている椅子の一つに腰掛ける。

 ここは第二陸軍の会議室だ。四角い部屋には三十以上の椅子が前を向いて置かれている。

 正面の空きスペースにエミリアだけが立っており、ガラハは最前列に、ゴルドは三列目の椅子に座っている。

 ロニアが腰掛けると、エミリアが口を開く。


「イリックはどうした?」

「お腹痛いから寝るって押し付けられたわ」


 すなわち仮病だ。ゴルドは先ほどのリンダを真似るように涙を浮かべながら笑う。

 エレメンタルフォンを通じてイリックをここに呼ぼうとしたのはエミリアだ。もちろん話があるからであり、そして現れたのは仲間であるロニア。ガラハの発言を思い出し、エミリアは青筋を立ててイリックの再教育を再度胸に誓う。


「マンイーターの件?」

「ああ。スルフィが目覚めた。色々話も聞けたよ」

「へ~」


 ロニアは小さく驚く。マンイーターおよびその持ち主。未だ解明されていない案件であり、興味を抱かずにはいられない。


「元気そうじゃよ。心身ともに問題は見受けられん。すなわち……」

「全てを覚えてるってこと? それって大丈夫なの?」


 ゴルドから明かされた事実にロニアはたじろぐ。その凶暴性は身をもって経験しており、それすらも引き継いでいるのなら、それは殺人鬼の復活に他ならない。


「人格は正常な状態に戻っているようです。もう少し観察が必要でしょうけど」

「記憶がそのままな上に一度はマンイーターの支配下にあった。長期に渡り様子を見る他あるまい。そういう意味でも、ここに連れて来たのは正解だったな。暴れられようと問題ない」


 ガラハとエミリアが現時点での診断結果を口にする。

 スルフィの記憶はそのままだが、性格は普通の少女に戻っている。演技の可能性や殺人衝動が再発する可能性を考慮し、今後は調査や研究を専門とする第三陸軍の管轄化で経過をうかがう手はずになっている。


「あの子、案外強いわよ。イリック抜きの私達が軽~く殺されかけたんだから」

「ネッテすらも倒されたというのが信じられないな。だが、問題ない」


 ロニアの言う通り、スルフィの危険度はここの軍人にとっても脅威だ。ネッテの強さは既に隊長達を越えており、それはすなわち、スルフィの強さは軍長と隊長の間ということになる。スルフィが本気で暴れた場合、取り押さえられる軍人は極小数だ。

 しかし、エミリアは軽く言ってのける。自分達が強いからではない。スルフィの体を指してそう言っている。


「スルフィさんの体はぼろぼろです。実は、マンイーターで人を殺めた犯人達にはこのような症状が確認されています」

「強制的な成長がもたらす弊害か、許容量を越えた実力を身に付けたしっぺ返しじゃろうな」


 ガラハとゴルドはそう結論付ける。回復魔法ではどうすることもできない症状であり、習得した戦技は扱えるものの、今のままでは近隣のひ弱なモンスターにすら勝てないほどだ。


「日常生活に支障はないだろうが、以前の生活には戻れないだろうな。そもそも、帰る場所はもうないようだが」


 エミリアは窓側へ少し歩み寄り、ゆっくりと沈んでいく太陽の輝きを眺める。

 スルフィの父親はマンイーターに支配され、何人もの人間を殺してしまった。この時点でスルフィはネレネン王国で薬屋を経営することが困難になってしまう。父親がいなくなったこともあるが、それよりも人殺しの娘というレッテルがそれを阻害する。


「ふ~ん。あなた達しかいないから正直に言うけれど、正直あの子の今後がどうなろうと興味ないわ。ようは、マンイーターのせいであの子はボロボロになった。そういうことよね?」

「そうだ」

「冷たい奴じゃのう。そのくせ、イリックの前じゃええかっこしよってグハ!」


 イリックやネッテがいないからこそ、ロニアは非情な本音をぶちまける。スルフィがマンイーターからどのような影響を受けたか、そのことさえ知ることができれば他はどうでもよく、持ち主が今後どういう人生を歩むかには一切感心を抱けない。

 ゴルドはそんなロニアに野次を飛ばすが、目にも留まらぬ速さで発射された水滴におでこを貫かれる。


「彼女はマンイーターの被害者です。ですが、今は保護を兼ねた現状維持に耐えてもらうしかありません。イリック君に送り迎えしてもらえますし、いつでも手伝いに参りますよ」


 マンイーター事件の調査を進めていたガラハとしても、この件には多少の思い入れがある。

 本来ならばデフィアーク共和国とガーウィンス連邦国を行き来するためには、片道二日、往復なら四日を要する。

 イリックのテレポートならその時間はゼロに短縮されるため、いかに館長の仕事が忙しかろうと、いくらか時間を工面することは可能だ。


「今までの話を総括すると、イリックを名指しでここに呼び出す必要はなさそうなんだけど。他にも懸案事項とかあるの?」

「二つある。君達はマンイーターを早くギルドに提出したようだが、当面は難しそうだ。ゆえに、そのことを了承してもらおうと思っている」

「あぁ、お金のこと。ならイリックね。まぁ、いいんじゃない?」


 こういったことを決定するのはリーダーの務めだ。しかし、不在な以上、ロニアがとりあえずの返事を済ませる。アジールの鎧が遠ざかってしまうが、こればかりは仕方ない。

 エミリアは続ける。


「ゴルド殿とガラハ殿を送ってもらいたくてな」

「今日のところは撤収じゃ。まさかタイミングよく起きるとは思っておらんでのう。長居し過ぎたわい」


 テレポートはイリックにしか使えない魔法だ。もうすぐ日が沈んでしまう。ゴルドとガラハとしてもそろそろ帰らなければならない。


「どうせ釣りでもしてるでしょうから、一緒に宿に向かいましょう」


 スルフィに関する考察はこれにて終了だ。たった一日で得られた情報は多く、今後は時間をかけて様子を見守るしかない。デフィアーク共和国の軍区画ならそれは可能であり、施設も人員も揃っている。

 ロニアの提案を受けてこの場は終了を迎える。

 三人が立ち上がったタイミングでエミリアがそっと口を開く。


「あの子に会っていくか?」

「けっこうよ。互いに気まずいだけだもの。会って謝罪したいとか言い出したら考えてあげる」

(相変わらず偉そうじゃのう)

(凛々しいですね~)


 ロニアは飄々と答える。操られていたとは言え、その時の記憶を残しているスルフィと会ったところで何を話せばいいのか思いつかない。それは相手も同様だろうと考え、きっぱりとエミリアの申し出を断る。

 ゴルドとガラハはただただ痺れることしかできない。

 その場を後にした三人は、宿屋でゴロゴロしていたイリックと合流を果たし、ゴルドとガラハは一瞬にして祖国に帰っていく。

 イリックはそこでシャルロットと久しぶりに再開を果たし、明日のことについてツラツラを会話を交わす。


 こうして、マンイーターの一件はイリック達の手によって収束を迎える。

 ネレネン王国が誤ってマンイーターを入手することもなく、スルフィの父親がなぜ犯行に及んだかも解明され、王と宰相は少しだけ肩の荷が軽くなる。

 イリック達はオハンを手放すことにはなったが、マンイーターの入手は成し遂げたため、いずれは大金が手に入る算段だ。その目星は立っておらず、そういう意味では状況は前に進んでいないのかもしれないが、スルフィを救えたことには素直に喜べる。

 そして、スルフィは何も達成できないまま、マンイーターの支配から開放される。手を差し伸べてくれた人物にはまだ再開できていないものの、そうするだけの勇気をまだ持ち合わせていない。

 自分の行いも、記憶も決して消え去らない。後悔の念と後ろめたさが、彼女をそこに停滞させる。

 しかし、問題ない。

 ここはトリストン大陸。

 ここはデフィアーク共和国。

 イリックが救った人間を受け入れるだけの許容は持ち合わせている。そのことを知るには、もう少しだけ時間がかかる。

 それだけのことだ。


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