第五十九章 男達に忍び寄る影
「報告致します」
赤い玉座の前にひざまずき、紫色の装束を全身にまとう男が口を開く。
薄暗い広間は静まり返っており、男の声は小さいながらも響き渡る。
玉座に座る赤い服とマントを身につけた王は、耳を隠す程度は長い黒髪を揺らしながら眼前の配下を見下ろす。
「イリックをついに発見致しました。市街地の店に数件寄った後、茶屋に滞在し今に至ります」
「どこに姿を隠していたか検討はついたか?」
「皆目不明です。申し訳ありません」
ロメロンは報告を受けて疑問を投げ返す。
イリック達の見張りを開始した王直属の親衛隊は、真っ先に驚かされる。イリックが宛がわれた宿屋にいないからだ。
部屋には本人も荷物もなく、それなら市街地をうろうろしているのだろうと調べるも、その足取りすら見つけられずに半日ほど過ぎ去ってしまう。
隣接するビリット平原に出ていないことは門番に確信しており、ゆえに市街地にいるはずの五人を誰一人も見つけられずにいた。
イリック達は先ほどまでデフィアーク共和国とガーウィンス連邦国にいたため当然なのだが、テレポートの存在を知らない彼らにとっては驚愕の状況だ。
昼食で腹を満たしたイリックは、頭上の太陽がいよいよまぶしい頃合いにネレネン王国へ帰還する。
「どこかに身を潜めていた……というわけでもなかろう。親衛隊の調査は今朝から開始したのだから、気づかれるはずもない……か。店では何を?」
「そ、それが……」
王に返答しなければならない男は言い淀む。早く言えと急かされ、覚悟を決めて発言する。
「至宝神器の売却をもちかけておりました」
「ふん。誰も選ばれなかったか。扱えない以上、そう動くのは当然だな。結果は?」
「どの店も断ったようです」
多くの人間が装備できない盾を買い取る奇特な店など存在しない。仮にあったとしても安く買い叩かれてしまうのがオチだ。少なくとも、イリックはネレネン王国に売却先を見つけられずにいる。交渉決裂ゆえの八方塞に陥ったため、茶屋でお茶しているのが現状だ。
なお、ここにはイリックだけが単身乗り込んでいる。ネッテ達はガーウィンス連邦国をそれぞれのやり方で過ごしており、合流は夜の予定だ。
「なんとかオハンを奪取できないか試みよ。街中ゆえ、騒ぎ立てないようにしろ。難しいようなら商人を装い買い取ることも辞さない。いくらで買い取れるか調べておけ」
「かしこまりました」
ロメロンの目的はオハンだ。イリックがそれを携帯して市街地にいるのなら、方法はいくらでもある。
王の指示を受け、親衛隊の男は頭を垂れる。
ここからは早く、私服を着こみただの国民を装った親衛隊の面々がずらりと茶屋に集結する。
そこはネレネン王国の中でも一際人気の施設であり、傭兵や主婦が憩いの場所として昼間から栄えている。
区切られたそこには屋根が設けられておらず、ゆえに今は午後の穏やかな陽射しを浴びながら、男や女、老人や若者がコーヒーやお茶、紅茶を楽しんでいる。
端の席に座るイリックは、足元にオハンを立てかけズズズとチャイを飲む。喉越しも去ることながら、鼻から伝わる紅茶の甘い香りが絶品なため、自然と顔が綻んでしまう。
(周りの人は一緒に茶請けの菓子も注文してるな……。まぁ、俺はこれだけでいいか)
周囲のテーブルには、丸いケーキやコップに収まるプリンが彩りを艶やかにしている。美味しそうにほうばる彼らの姿は食欲をそそるが、冒険の最中でもなければあまり率先して間食をしないイリックには追加注文に至るほどの起爆剤にはならない。
(さて……。あそこの集団は何なんだ?)
イリックは見抜いている。宿屋を飛び出して以降、誰かに見張られていることを。それは紅茶をすすっている今も変わらず、それどころか自分に向けられる視線の数が増加したことを不審に思う。
彼らは一見するとただの町民だが、存在感や眼光の鋭さは明らかに実力者のそれだ。傭兵でもなければ軍人でもなく、王直属の部隊なのだが、イリックにそこまで見抜くことはできず、気づいていない振りをして様子をうかがうことが唯一の選択肢と言える。
(あ~、これが目当てなのかな? 国宝らしいし、当然と言えば当然か。となると泥棒集団か素行の悪い傭兵ってとこか?)
とりあえずそう決め付ける。目的は正解だが、身元はこれっぽっちもかすっておらず、それでも対応は変わらない。
オハンを守りきる。単純なことだ。
一方、紫の装束をまとっていない普段着の親衛隊達は、イリックの実力を武神祭で把握できていることから、強奪以外の方法を検討する。
一対一では敵わない。
二人ないし三人でかかれば倒せるかもしれないが、そもそも狙いはイリックの討伐ではなくオハンの奪取だ。
街中で戦うわけにもいかず、隙を見て奪い去りたいが、その隙が見当たらない。
遠目から親衛隊の面々はイリックの様子をうかがっている。椅子に座り紅茶を飲んでいるだけだが、こっそりと近づき背後から素早くオハンを奪うイメージを思い描いても、必ずイリックに阻止されてしまう。武神祭で見せ付けられた実力と無警戒に見えてそうではない佇まいが彼らをその場に足踏みさせてしまう。
「俺が行こう」
頭頂部だけ禿げ上がっている渋い男が一歩を踏み出す。灰色のジャケットと黒いズボンは中年の渋さをさらに加速させており、周りの面々は勇敢な男を見送る。
「隊長、応援してます」
「無茶はしないでください。さらに髪の毛が薄くなりますよ」
上官思いの部下達のやさしさに後押しされ、親衛隊の隊長を務める男がイリックに歩み寄る。
「もし。一つよろしいか?」
「あ、はい」
隊長は落ち着いた物腰で語りかける。
イリックは何も知らない振りを装いながら、普段より少しだけ高い声で返答する。
「その盾を売りたいと小耳に挟みまして、値段の交渉をさせて頂きたいのですが……。あぁ、私は軍に装備を卸している者です」
隊長は商人を装い値段交渉を開始する。オハンを売りたいという意思は既に見抜いており、落とし処さえ見極めてしまえば王の命令は瞬く間に完遂できてしまう。この交渉はその一歩だ。
「値段ですか……。そういえばまだそこまで考えていなかったです。あ、この盾のことご存知なんですか?」
「い、いえ。珍しい一品物としか。見せて頂いても?」
「どうぞどうぞ」
イリックは本当にオハンの売値を決めていない。売れるかどうかの確認と、いくらの値段がつくのか調べるつもりでしかなかったからだ。
頭頂部が禿げており、両側だけがふさふさしている男はイリックからオハンを受け取り、その重みを予想していながらも小さく驚く。
(これが至宝神器か。くぅ、確かに選ばれし者のみが扱えるようだ)
当然、隊長はこれがどんな物か知っている。しかし、今は商人を演じなければならず、表情をわざとらしく驚かせてみる。
「見た目よりも重たいようですね~。頑丈そうではあるが、これでは使い物になりませんね」
「そうなんですよ。そういうこともあって、値段を決めかねているんです」
「ちなみにこれはどこで手に入れたんですか?」
「知人から譲ってもらったんです。入手先までは聞かなかったので知らないんです」
嘘を嘘で塗り固める会話が交錯する。
イリックはオハンを売りたいがために。
隊長はオハンを入手したいがために。
それぞれの思惑は一致しているのだが、交渉はまだ始まったばかりだ。ここから本題に突入する。
「この重量ですと、そうですね~。五万ゴールドはいかがでしょう?」
「あ~、それくらいになりますよね~。少し考えてみます」
五万ゴールド。決して小額ではないが、スチール製の盾すら買えない。金額も不満だが、そもそもイリックはこの男達に売るつもりはない。商人という設定がでまかせだと最初から見抜いているからだ。よっぽどの値段をふっかけられれば心も揺らいだが、この金額ではそうもならない。
「で、では、十万ゴールドでは?」
「そんなに重たい盾を調達してもいいんですか? 買い手が見つかるとも思いませんよ。軍人と言えども、きっとどうすることもできないんじゃ?」
「い、いざとなったら傭兵を当たってみます。丈夫さに惚れこみ購入したがる人は必ずいるはずです。私が保証します」
隊長は値段を釣り上げる。十万ゴールドは大金に違いないが、イリックを唸らせるには至らない。まだミスリル製の盾すら買えない金額だからだ。
「傭兵……。あぁ、ヴォイスさんくらいならきっとこの重さを克服するかもしれませんね」
「はい。彼ならきっと選ばれるでしょう」
「でも、確かダーク製の盾を持ってましたし、それで十分なのでは?」
イリックの言う通り、ヴォイスはダーク製の盾を装備している。ものとしては十分過ぎるため、イリックは探りを入れる。
「この盾はきっとそれよりも頑丈です。私が保証します」
「じゃあ、値段もそれより上じゃないとなぁ」
イリックのどこかずる賢い発言に隊長は言葉を失う。
ダーク鉱石で作られたヴィオスの盾は、五十万ゴールド以上の超高級品だ。いかに隊長と言えども、王の許可なしに提示できる金額ではない。
「もう少し考えてみます。声かけて頂いてありがとうございました」
固まる隊長からオハンを取り上げ、イリックはその場を後にする。今のやり取りでいくらか情報を得ることができたため、これ以上の長居は不要だ。
(これがオハンだって見抜いてるってことは……。そしてヴォイスさんに譲る気満々ってことは、ヴォイスさんの知り合いか? となるとこの人達は傭兵か。それなら売ってもいい気がするな~。値段次第だけど)
そう結論付け、イリックは宿屋に撤収する。もちろんそこで一泊するのではなく、ガーウィンス連邦国に戻り、オハンをゴルドに預ける予定だ。
一方、交渉が実らなかった隊長は肩を落として部下達のもとに合流する。金額の目処をつけることは出来たが、それが前進なのか否かは王に判断してもらわねばならず、今は一般市民を装って王宮に帰って行く。
ここまでは問題なかった。
しかし、イリックが翌日ついてしまう嘘が、事態を急激に悪化させてしまう。
翌朝。手ぶらで宿屋から現れたイリックを確認した親衛隊は、こっそりとイリック用の部屋を調べる。もちろんそこにオハンはなく、すなわち目当ての盾は行方不明ということになる。
ガーウィンス連邦国で火の図書館が調べている最中なのだが、そんなことを知らない親衛隊は慌ててイリックに確認する。
「あぁ、あの後、傭兵さんに売れちゃいました。悪くない値段だったので……。申し訳ないです」
「な! だ、誰にですか!?」
「名前は聞いてないです。顔も忘れちゃいました。すみません。それでは」
イリックは対応が面倒になり、そんな嘘を作り上げる。こうすることで、もうからまれないだろうという算段だ。ネレネン王国よりもサウノ商業国で冒険者に売った方が儲かるだろうという冒険者らしい考えも働いている。
立ち去るイリックの後ろ姿を眺めながら、隊長の頭からさらに髪の毛が抜けている。傭兵の人数はかなり多い。一日二日で探しきれるはずもなく、変な場所で死なれでもしたら、いよいよ発見は困難だ。
隊長は急ぎ王に報告する。自分達の手に余る事態ゆえ、判断を仰がなければならない。
「落ち着け。それが真かどうかも怪しい。こうなってしまっては、その者に直接問い詰めなければならんな」
(あれについても真実を明らかにせねば……)
ロメロンは薄暗いフロアで決心する。玉座から立ち上がり、ひざまずく男に言い放つ。
「模擬戦会場に招集せい! 併せて人払いも任せたぞ」
「かしこまりました」
ロメロンは赤いマントをはためかせ、男は紫色の装束をわずかに揺らし、その場を後にする。
そして二人は合間見える。武神祭が行われた会場はすっかり軍人の模擬戦会場に戻ったが、王の命令によりそこはもぬけの殻となる。
王妃にも宰相にも知らされず、親衛隊すら立ち入りを禁止された戦場で、力を与えられた二人がその時を迎える。
「王様が何の用でしょうか?」
「イリックと言ったな。訊きたいことがある」
◆
「王がお呼びです」
この発言を、イリックは真正面から受け止める。もちろん驚きはしたが、その理由は予想が外れたからだ。
昨日、商人を装ったこの男は傭兵ではない。イリックはとりあえずそう理解し、次の推理を開始する。
王が呼んでいるということから、軍人だろうと決めつけ、イリックはその男の後をついていく。
禿げ上がった頭がこの男の苦労を物語っており、イリックもなんとなく察してしまう。
やがてネレネン王国の三つ目の塁壁に辿り着く。市街地と奥を隔絶するそれはまさに巨大な壁であり、一般市民は決してこの先に足を踏み入れることができない。
私服の、しかし独特な雰囲気をまとう中年男性と、赤いピーコートを羽織る冒険者を迎え入れるように、大きな扉が鈍い音と共に開かれる。
左手に並ぶ立派な建物群を眺めながら歩くこと数分、男はパッと足を止める。
「武神祭の会場で王がお待ちです」
「わかりました」
言葉少なに二人は別れ、それぞれの方向へ歩き出す。
太陽は大地を照らしながらより高い場所を目指す。白い雲はまばらにしか浮かんでおらず、イリックが見上げる空はトリストン大陸のそれとは別かもしれないが、少なくとも丸い太陽は同じはずだ。
二日間通った丸い施設に到着する。石造ゆえに冷たく感じるそれは周囲の建物より一回りは大きく、イリックは躊躇なく入り口へ足を踏み入れる。
階段を上がるとそこは外周付近、すなわち観客席だ。一段下がっている中央を囲うようにずらっと席が設けられている。
自分を待っているもう一人が見当たらない、そう考え身近な椅子に座ろうとしたその瞬間だった。
(あぁ、そこにいたのね。失礼失礼)
イリックが中央を見下ろすと、そこには煌びやかな赤い服をまとう黒髪の男が腕を組んで立っている。ただ切っただけのイリックと比べれば、顔の中央で左右にわけられているその髪型はオーソドックスではあるものの風格に花を添えている。
金色の刺繍や装飾が施された服はまさに王だけが着ることを許される。
左手には鞘に収まった片手剣が握られており、そのことがイリックの肩を落とす。
ただの話し合いでは終わらないかもしれない。そんな予感がする。
(そういえば、俺も訊きたいことがあったんだ)
イリックは歩く。中央の会場に続く廊下は薄暗く、階段を下りると待合室のような小さな部屋が現われる。前回は手続きを行う軍人が一人待機していたが、今回は当然のように誰もいない。
その先にも廊下は続いており、イリックは小さな足音を響かせながら何度も歩いた道をなぞるように進む。
そして両者は合間見える。
「お待たせしました」
イリックの声に反応して、ロメロンは閉じていた目を開く。
「王様が何の用でしょうか?」
「イリックと言ったな。訊きたいことがある」
「実は俺もあるんですが、王様からどうぞ」
二人が抱く疑問は共通だ。
「準決勝で見せたあの能力……。一体何だ?」
王の問いかけにイリックは即答できない。大っぴらにはできない魔法であり、イリックだけのとっておきだからだ。
一方でイリックは知っている。眼前の男には知る権利がある、と。
「俺にしか使えない魔法です。とある錬金術師に謎の液体を無理やり飲まされて、結果身に付きました……。うっ」
イリックは涙を流す。何度思い出しても酷い仕打ちだ。リンダは笑ってこういうことをする人間だと既に学習できているが、それでも自分が実験台に立たされる不幸には涙がこぼれてしまう。
「そうか。俺とは経緯が違うようだな。効果は時間の停止か?」
ロメロンの発言にイリックは眉をひそめる。おかげで同じ境遇の人間だと理解できたが、全く同じではないと知りえる。
「三秒間、時間が止まります。それだけではありませんが」
「ますます俺と同じだな。魔法の名は……」
一瞬会場が静まり返る。両者は同時に口を開く。
「コネクト」
「コネクト」
二人の声は重なる。同じ魔法名を口にしたからだ。
ロメロンは大きく息を吐き、一旦話題を変える。
「オハンはどうした? 売れたわけではあるまい」
「あ~、そこまでご存知なんですね。まだ売れていませんが、近い内に売るつもりです。そのために今は調べてもらっている最中です」
ロメロンにとって、コネクトよりも重要な議題はこちらだ。オハンの奪取。これだけは必ず成さねばならない。
そしてイリックは悟る。昨日から尾行していた男達が王専属の部隊であることを。
(紫色の服を着てた人達かな? だから身のこなしが普通じゃなかったのか)
親衛隊。王を守り、王の勅命で動く軍とは独立した部隊。どんな任務もこなす精鋭達であり、戦闘力も非常に高い。
「あれはこの国のものであり、ヴォイスに必要なものだ。返してもらいたい」
(あぁ、そういうこと……)
王の要望から、イリックは今回の武神祭の真相をある程度把握する。つまり、ヴォイスが優勝することを前提に優勝賞品が決められたということだ。
その目論見は失敗に終わる。ウェイクが優勝してしまったからだ。ヴォイスがどれほどに強い男かは部外者のイリックですら既に理解できている。無敵と思われたウェイクを追い詰めるその実力は人間の規格から外れており、本来ならば優勝して当然の傭兵だったのだ。
「わかりました。お返しします」
そこまで仕組まれたものなら返却するしかない。イリックはそう考え、素直に諦める。大金を手に入れる絶好の機会だったが、今回ばかりは手を引くことを選ぶ。
もっとも、まだマンイーターについては諦めていない。せめてこちらは手に入れてみせると決意を強める。
「王として礼を言う」
ロメロンは小さく頭を下げる。こうもあっさりとイリックが受け入れるとは想定しておらず、親衛隊にあれこれと指示を出したことがいかに遠回りだったか思い知る。
「い、いえいえ」
(あぁ、でも、もったいないことしちゃったな~。マンイーター手に入っても、ミスリルの盾くらいしか買えないな~。もう言っちゃったし、我慢するしかないな~)
イリックは涙を堪える。国宝の返却は早まったかと後悔するが、ヴォイスの手に渡るはずだったオハンを横取りしたことには違いなく、実力で勝ち得たとは言え、後ろめたさから王相手に交渉できるほどの図太い神経を持ち合わせてはいない。
「もし盾が必要なら、代替の品を用意しよう」
震えるイリックを見かね、ロメロンが交渉を開始する。当初は金で解決するつもりだったが、実物を望むのならそれはそれで構わない。
イリックが目を輝かせたことから、この申し出は正解だったと王は安堵する。
「でしたら、可能な範囲でけっこうですので上質な盾をください」
「わかった。明日までに用意させよう。オハンもその時でいいな?」
「はい」
交渉はあっさりと成立する。ゆえにロメロンは本件が片付いたと胸を撫で下ろすが、イリックとしては話を戻したくて仕方ない。
「王様はどうしてコネクトを使えるんですか?」
「ん。これに認められ、習得した。ミュルグレス。至宝神器の一つだ」
ロメロンは左手に握っている片手剣をぐいっと前に突き出し、水色の鞘からすっと剣身を披露する。
銀色のそれは突剣であることを一目でわからせるほど細く、そして鋭い。鍔の一辺は柄尻へぐるりと伸びており、拳を守る役目をより一層強くしている。柄には青く澄んだ宝石が組み込まれており、武器と一言で片付けることはどこかおこがましい。剣身は銀で、それ以外を金色で構成されるこの剣はロメロンを所有者として認めており、それを証明するようにコネクトの伝授と身体能力の向上を実現している。
(俺と比べると随分と立派なことで……。涙が出そうになるな)
白く濁った液体を無理やり飲まされたイリックと、神秘的な武器から力を与えられたロメロン。その差は歴然だが、結果だけ見れば同等だ。イリックはそこまで開き直れるほど図太くもないため、またも涙を堪えなければならない。
「俺のコネクトを見せてやる」
ロメロンはミュルグレスを握る右手は一旦腰近くに戻し、左手の鞘だけを前に突き出したままそっと離す。
「コネクト」
それを合図に世界から色が抜けている。灰色がかった世界は元々静かな模擬戦会場をより一層黙らせ、元の色を保つ二人の存在が際立つ。
イリックは目を見開く。落下する灰色がかった鞘がゆっくりと落下しているからだ。
止まらない。この空間の時間は停止していない。そのことを理解し、ただただ驚くことしかできない。
「俺のコネクトは時間を五秒間、急激に遅延させる。その間、俺は普段通りに動くことができる。お主もそれは同様だろう?」
「あ、そのようです」
王が手ぶらの左手をグーパーと何度も握り直す。
イリックも周囲を見渡し、右腕をグルグルと回転させてそのことを確認する。
五秒間、時間の流れを遅らせるロメロンのコネクト。
三秒間、時間を停止させるイリックのコネクト。
差異はあるが、似通った能力には違いないのかもしれない。何より、この魔法はこの先が本題であることを両者は理解している。
「そしてこれが俺のコネクトだ」
時間の流れが正常化したタイミングでロメロンは水色の鞘を掴み、同時に何かを頭上に生成する。
周辺に空気を凍らせるほどの冷気を放ちながら、穂先が鋭い氷の槍が前を向いた状態で出現する。長さはロメロン自身よりも一回り大きく、作られる過程やコネクト中に使用可能なことから、イリックはロニアのゲイルロドを連想する。
「フロストキング。姉から拝借している魔法だ。ちなみに俺は、この魔法、魔力、マジックポイント、戦技を姉と同調している」
「そんなに?」
ロメロンの披露した魔法も去ることながら、明かされた事実がイリックを混乱させる。
イリックはロニアから魔法一つと魔力だけを借りることができる。一人二個という限度が存在しており、ゆえにそれらしか間借りできない。
「お主はパラディンの娘から戦技や身体能力を拝借するのだろう?」
「いえ……。どうやらここも違うようですね」
「ほう」
イリックは自身とロメロンのコネクトが似て非なる魔法だとやっと理解する。
「俺は三人の仲間から、二個ずつ何かを借りることができます」
「三人!?」
イリックから明かされた事実に今度はロメロンが驚嘆の声をあげる。
ロメロンは姉のトゥリンとしか接続できない。しかし、拝借可能な能力は将来姉が行き着く高い魔力とマジックポイント、そして二つの戦技と攻撃魔法一つ、合計五つの要素を引き継ぐことが可能だ。
一方のイリックは、人数の縛りは一人ではなく、その反動なのか二つまでしか能力を借りることができない。
「俺もそれに似た魔法を借りることができます。完全な偶然ですけど」
イリックは時間を停止させ、頭上に水の槍を作り出す。螺旋状の刃を備えたそれはオムニシエンスだ。最大八本の槍と片手剣を召喚する。
「その上で他の分類の戦技も扱えるということか?」
「はい。ウォーシャウト」
王の問いかけに、イリックは実践で答える。放たれた圧力はロメロンを包み込み、攻撃対象を無理やり固定させる。
「個人差なのか、発生方法が異なるからか……。不思議なものだな」
「魔法の種類そのものは完全に同系統なんでしょうね。フレイムとインフェルノ。もしくはプロテクトとプロテクトシギルを連想すればいいのかな?」
フレイム。下位の攻撃魔法。属性は火。
インフェルノ。上位の攻撃魔法。属性は火。
プロテクト。仲間一人の打たれ強さを高める強化魔法。
プロテクトシギル。周囲の仲間達の打たれ強さを高める強化魔法。
それぞれが同類の魔法であり、イリックはこれらを用いて自分達のコネクトを表現する。
「かもしれんが……。よもやこの魔法を扱える人間が自分以外にいるとは思ってもいなかったな」
「俺もです」
互いのコネクトを披露し、二人は小さく笑う。
イリックは武神祭で抱いた謎を解き明かすことができたことに安心感を抱くが、それはロメロンも同様だ。
和やかなムードのせいか、正面の男に集中していたせいか、それが放たれるまでその存在に気づくことはできなかった。
突如発生した息苦しい重圧が、二人だけでなく周囲一帯を完全に飲み込む。
「いいもの見せてもらった」
女の声にイリックとロメロンは即座に反応する。観客席から自分達を見下ろす姿は、まるで高みの見物だと言わんばかりに余裕ぶっている。
赤い髪はどこまでも長く、無表情なまま男達を見据える女の目は髪同様真っ赤だ。イリック達よりは幾分低い背丈だが決して子供ではなく、無地のローブはありえないほど黒い。
王は二重に驚く。ここには誰もいれないよう、親衛隊に言付けていたからだ。にも関わらず部外者が入り込んでいる。その上、この女から放たれる圧力は生まれて初めて感じる異質な何かだ。
イリックは驚く。なぜここにいるのか、いつ入り込んだのか、そんなことはどうでもよく、ただただ会えたことに心を震わせる。
「これが私の力に抗える理由。なるほど。でも、あの女達はなぜ?」
「おい、女」
自分達を無視して考え込む異物に、イリックは冷たく言い放つ。
「何?」
「イリンはおまえだな。サラミア港では妹達が世話になったな。次は俺が殺してやる」
「ふふ、あなたもあの娘達も覚えてる」
自分を置き去りにして会話を交わす二人に、ロメロンはただただ疑問を抱くことしかできない。
「何者だ?」
「人間もどきです。以前、仲間がこいつに襲われたんです。その時は妹が返り討ちにしたんですが、バラバラにしても死ななかったそうです」
「殺さないように手加減してあげたのに。酷い子供だったわ」
三人は視線を交錯させながら警戒し合う。
「どうやって侵入した?」
「珍しい魔法の残滓を追ってみたらここに辿り着いた。見たことも聞いたこともない魔法を披露し合ってる二人がいたから見物させてもらった」
イリンの発言からイリックは直感的に理解する。こいつは煉獄の扉を開けるネル同様、コネクトに適合できる人間だ、と。
そして、自分同様テレポートかそれに類似する魔法を使えるため、何らかの方法でガーウィンス連邦国からネレネン王国への移動を感知し、追尾したのだろうと結論づける。
それらは正解だ。そういったことが出来る人間が眼前の女であり、状況を理解しきれていないロメロンでさえ、いかに危険な状況に立たされているか、ぼんやりと飲み込めてしまう。
「――倒した方がいいのか?」
「はい。バラバラにしても死なない女です。おそらく不可能でしょうけど……」
「そうか。ところでこのプレッシャーは何だ?」
「シンイとかなんとか……」
ロメロンとイリックのやり取りを眺めていたイリンは、その単語に拍手を送る。
「あの娘達から聞いたんだ。助けは絶対に来ないわよ。今頃この辺りの全員、気絶してるでしょうし」
「そういう攻撃らしいです。コネクトを使える俺達には効かないみたいですけど……」
イリンとイリックからもたらされた情報に、王はこの女がいかに危険な存在かさらに認識する。
人間である以上、決して抗えない重圧を撒き散らす毒のようなシンイ。冒険者や傭兵、軍人であろうとそれは変わらず、この国最強の兵力である三将軍も例外ではない。模擬戦会場の外で待機している親衛隊達は全員なんとか意識を保てているが、そこから一歩も動けない。
「女。おまえは何者だ?」
「正直に話せー」
ロメロンが問い詰める。イリックは便乗する。戦うにしろ、話し合いで終わらせるにしろ、先ずは互いのことを明らかにしなければ始まらない。殺さなければならない相手には違いないが、現状それをすることは不可能なため、最終的には見逃せばいいのか、自分達が逃げなければならないのか、その判断材料が必要だ。
「ただの代理人」
「代理人? 誰の代理だ?」
「この世界よ」
イリンは正直に話しているのかもしれないが、ロメロンは納得することができない。イリックに至っては理解することを諦めている。
「目的は何だ?」
「私個人としてはおもしろければそれでいい」
ロメロンの問いにイリンは本心を打ち明ける。しかし、それがイリックの逆鱗に触れてしまう。
「俺の妹と仲間を襲った理由もそうなのか?」
「もちろん。捕まえて実験したかった。それだけ。今はどこにいるの? 次こそ捕まえて生きたまま解剖してあげる」
これ以上、この女の声を聞きたくない。そう主張するように、イリックは頭上に光り輝く片手剣とロニアの水槍を作り出す。
「へ~。それがあなたの魔法。あ、もしかして……」
「イリック、始めるか?」
「はい。殺します」
訊かなければならないことは山ほどある。だが、もはや限界だ。イリックは闘志と殺意を抑えきれず、コネクトを発動させた今だからこそ詠唱できる魔法を放つ。
オムニシエンス。ロニアが至る極致。剣身が白く輝く片手剣とロニアが普段作り出す水の槍が競うように発射される。イリンの腹から上と左足を消し去り、石造りの観客席を貫いてその攻撃は役目を終える。
「終わったように見えるが」
「いえ。多分生き返ります。方法は知りませんけど……」
二人は跳ね上がり、イリンの残骸が転がる場所へ近寄る。観客席の階段を一歩ずつ上がる最中、イリックの予想は的中してしまう。
残った腹部と右足がわずかに震え、傷口から急激に骨や、肉、皮が爆発的な速度で再生されていく。
左足、胸、両腕、首、顔、髪がたちまち復元され、大きな瞳がパチリと開けば蘇生は完了だ。
「秘術か何かだろうな」
(ネッテ以外の裸なんて初めてかも……。鼻血出そう)
王は冷静にイリンを眺めるが、童貞は先ほどまで抱いていた殺意をどこかに置き忘れてしまう。
「妹さんだっけ? バラバラにされたから少し考えてみた。これがその成果。消費は少し増したけど、別に問題ない」
イリンは全裸を隠そうともせず立ち上がる。それだけではなく、蘇生速度が増したことをあっけらかんに言ってのけ、二人の視線を真正面から受け止める。
(く、平たくはないと思ってたけど、案外胸あるな。アジールさんに匹敵するか。や、やばい。このままだと真っ直ぐ立っていられない!)
イリックは殺さなければならない女を変な目で見てしまう。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。それほど高くはない身長に対して双丘は女性らしく膨らんでおり、どちらかと言えばやせ細っている手足や腰周りと比べるとその曲線は非常に目立っている。
大きな赤い目はパッチリしており、整った鼻や口が端整な美しさを表現している。真っ赤な髪は肌色を大きく隠しながらも艶っぽく揺れており、ロメロンは耐性があるため何ともないが、イリックは見たくなくても視線を外せない。
「とりあえず殺し続けるしかないようだな」
「無意味。オーバース」
ロメロンはイリンの詠唱を遮るように氷の槍を発射する。イリックの攻撃を再現するように、それは裸だった上半身を消滅させる。
精気を失った顔や両腕、下半身が血の池にゴロンと転がるが、これが終わりではないことを二人は承知している。
「オーバースペックを使うのか?」
「強化魔法は全部使えるらしいです。それと、フレイムやよくわからない攻撃も」
「ドミネーターとメイジを併せ持った女ということか……。ますます理解し難いな」
イリックも聞きかじっただけだが、ロメロンはその事実に眉をひそめる。
ドミネーターは強化魔法と弱体魔法、一部の回復魔法を習得する。
メイジは攻撃魔法と一部の弱体魔法を扱える。
イリンはそれらを部分的だが両立させているイレギュラーな存在だ。
「オーバースペック」
生首が魔法を唱えたため、二人はさっと後退する。
頭だけになろうとイリンならこの程度の芸当は可能だ。それを裏付けるように、残された体は薄いオレンジ色のオーラで包まれる。
オーバースペック。詠唱者のスピードを高める強化魔法。効果時間は四分と長く、再使用時間はそれよりも短いため、マジックポイントさえ続くのならこの効果は永続的に得られてしまう。
「フロストキング。顔は残さない方が賢明だな」
ロメロンは姉から借り受けている氷の魔法を詠唱する。鋭い刃が備わった槍は太く、長い。再生を開始したイリンに穂先を向けたまま柄部分をパキパキと伸ばしていく。
トゥリンはこの魔法をフロストクイーンと名づけたが、ロメロンが使う際はフロストキングと呼んでおり、違いは名前だけではなく、威力もロメロンのそれが上回っている。
周囲の空気を凍らせる槍が、再生中の胴体と繋がろうとしている顔を肉片すら残さず消滅させる。観客席にも大穴が空くが、今はそんなことを嘆いている場合ではない。
肉片からオレンジ色の魔力が消え去り、真っ赤な血が観客席の段差をじわじわと垂れていく。
「殺し続けることは可能だな」
「そうですね。俺の場合、マジックポイントが少ないので王様のような芸当は続けられませんけど……」
ロメロンは首のない死体を眺めながら現状把握を済ませる。完全に復活する前にフロストキングを叩き込めば、この状況を維持することは可能だ。
イリックはマジックポイントの都合上、水の武器を九本程度すら作れない。ガイストピアスによって時間さえ経過してくれればそれ以上も可能だが、イリンの蘇生速度が衰えない場合、瞬く間に行き詰ってしまう。
その時だった。模擬戦会場の入り口に、頭からつま先に至るまで紫色の装束をまとう男が現われる。
「王! 御身は無事ですか!?」
親衛隊の隊長だ。イリックはこの二日間で何度も聞いた声ゆえ、目元しか見えないその男の顔を思い出す。
イリンが死んだことで放たれていたシンイが解除され、この場所を守る親衛隊もその呪縛から解放される。
「問題ない。誰も立ち入らないよう、引き続き警戒しろ」
「かしこまりました」
王の指示を受け、親衛隊のその男は踵を返し消えるように戻っていく。
紫色の姿を見送った二人は、死体の状況を確認するため視線をその場に向ける。頭が生えかけている頃だろう、そんな予想は打ち砕かれてしまう。
「な!?」
「しまった!」
イリックは殺気を探す。
ロメロンは目を見開く。
血だまりの上には何も見当たらず、本来あるべき裸の死体はそこにはいない。
「あなたから複製させてもらう」
酷く冷たい声はロメロンの背後から発せられる。眼前の男が振り向くよりも先に、イリンは野菜のニンジンよりはやや長い灰色の棒をトンと赤い服の上から背中に押し付ける。
「何をす」
ロメロンが言い終える前にそれは発動してしまう。雷の攻撃魔法サンダースパークに晒された時のように全身が痺れてしまう。激痛とは異なるその衝撃に抗うことすらできず、今は悲鳴にも似た叫び声をあげ続けることしかできない。
イリックは助けるためにもイリンに斬りかかるが、それは空いている手から放たれた巨大な業火によって阻止される。
フレイム。ただの攻撃魔法だが、膨大な魔力の持ち主が使えばそれは避けようのない必殺の破壊行為に到達する。
気が動転していたことと、何よりミスリルソードを叩き込むことしか考えていなかったことから、イリックは燃えたぎる岩のようなそれに飲み込まれる。
「終わり」
イリンの一言が嘘でないことは、身動きが取れなかったロメロンが足元に倒れたことからも明らかだ。
苦痛に顔を歪ませながら、ロメロンは裸のイリンを見上げる。
「ぐ、う……、今のは何だ?」
「これであなたの魔法を全てコピーさせてもらったわ。もちろん、コネクトも」
イリンは左手で握る灰色の棒をうれしそうに凝視する。金属のようの見えるが、それはブロンズでもなければアイアン、スチールでもない。少なくとも、現存する鉱石からは再現できない何かだ。
イリンの小さな手で握ると残りの半分が晒される程度の長さを誇るそれは円柱の形をしており、どんなに強く握ろうと決して潰れない程度には硬い。
「トゥルルで見つけた。あそこには色んなマジックアイテムが眠っている。あなたに言ってもわからないでしょうけど」
(トゥルル? トゥルル遺跡か……。つぅ)
顔や首を筆頭にほぼ全身を焼かれたが、イリックは死んでいない。以前なら絶命していただろうが、今は火と氷に高い耐性を誇るブレイズマーシャラーに守られている。なにより、イリック自身の成長がこの魔法に耐えるだけの生命力を身に付けさせる。
「俺の魔法を……コピーしただと?」
「ええ。安心して。複製だからあなたの体には何も起きていない。もっとも、その痛みに耐えられずに普通なら死んでもおかしくはないのだけど。温室育ちの王様ではないのね」
ロメロンは床に伏せながら驚愕する。イリンの手元にある灰色の棒にそんなことができるとは思えず、しかし嘘をついているとも思えない。
二人の男の視線を全身に浴びながら、イリンは小さな口を釣り上げる。
「この使い方が正しいわけじゃないのでしょうけど、この方法しか知らないの」
言い終えるや否や、棒を握った左手首を自身のむき出しな腹部にズボリと突き刺す。赤い血と共に左手を抜くとそこには棒が握られておらず、つまりは体内に押し込んだということだ。
「何だと……」
(キュア。しかしあれだ……、裸一生分は眺めちゃったな……)
ロメロンは立ち上がろうとしながらも、まだ体が思い通りに動いてはくれない。
イリックは回復を行いながら、ゆっくりと立ち上がる。ついでに妹以外では見たこともない女性の裸をしっかり観察する。
「こんな胸の高鳴りは久しぶり。さぁ、宿りなさい」
イリンは真っ赤に染まった左手で自身の右胸を揉みしだく。腹部の傷は癒え、体内で新たな魔力の胎動が始まる。
元来、魔法の習得には痛みなど伴わない。すっと感覚的にその魔法が頭に浮かび、仕様を理解できてしまう。
しかし、今回はイリンさえも混乱させる。決して混ぜてはいけない二つの薬品が、内側で毒に変貌し暴れだしてしまったからだ。人であることを辞めたイリンにすら耐えられないそれは、痛覚を遮断していようと関係なくこの女を悶え苦しませる。受身すら取れずにその場へ転がり落ち、大声をあげながら四肢を暴れさせることしかできない。
「今の内に殺すか?」
(うっわ、エロい……)
王と童貞はそれぞれの感想を抱きながら苦しむイリンを見下ろす。
赤い目は見開かれており、口からは白い泡が漏れ出している。右手は喉をかきむしり、左手は床を削りだす。両足をバタバタを動かしながら、裸の体を振動させる。
「アアァ! これは! そんなことが!」
イリンは痛みの中で答えに辿り着く。今にも体が裂けてしまいそうだが、この事実を認識できてしまった以上、悶えながらも驚くことしかできない。
与えられた力と自らの手で掴んでしまった力が出会ってしまえばそうなることは必然であり、イリンの整った体の内側では正と負、光と闇、創造と破壊、男と女、有と無、善と悪、そういった対極する現象が干渉しながらも自己主張を行っている。
「あなた達! 無自覚でこれを使っていたの! やはり許せない! 滅ボサナイト!」
イリンは横たわり体を震わせながら赤い目でコネクトの所有者達をギロリと睨む。愚か過ぎるその知性がただただ信じられず、もはや存在を許すことさえできない。
自覚する。人間の不必要性を。
再認識する。世界から与えられた指示を。
恐怖する。人間の品のなさを。
渇望する。そのための力を。
そして、イリンは停止する。
「お、止まった。なんか散々なこと言われましたね」
「何かを掴んだようだな」
イリックは悶える度にほよほよと震える胸から目を離さない。
ロメロンは自分達を見ていない赤い瞳をじっと観察する。
散々苦しんでいた女がピタリと動かなくなったのだから、次の動向が気になって仕方ない。襲いかかってくるようなら、それぞれの方法で殺す用意はできている。
「マダ時間ガカカル。モウアナタ達ニ用ハナイ」
言い終えるや否や、男達の返事など聞こうともせずに裸のイリンはその姿勢のままその場から消え去る。
イリックはテレポートの類だと一瞬で見抜く。詠唱の長さが違うことから、近い魔法なのか、詠唱時間を短縮する術を持ち合わせているのか、そこまではわからない。
「消えた……。逃げたか」
「多分。こいつならそういう魔法を使えても不思議ではないですし」
未だ緊張感を解かないロメロンとは対照的に、自身がテレポートを使えることを伏せたまま、イリックは脱力していく。
(ロニアさん達に報告しないとな~。驚くだろうな~)
すっかりボロボロになってしまった周囲を眺めながら、イリックは帰還した時のことを思い描く。よもやネレネン王国でイリンと出くわすとは夢にも思わず、その上ロメロンのコネクトを習得しようとした。その結果はまだわからないが、良くない方向に進んだことだけは確信できてしまう。
「――明日、オハン持ってまた現れます。何人か連れてきてもいいですか?」
「もちろんだ。今の女についても、もう一度聞かせてもらえるか?」
「わかりました」
イリックはこの事態を一人では切り抜けられないと悟る。今日の出来事を仲間と話し合った上で、明日出なおすと約束する。
どの道オハンを返却しなければならない。名残惜しいが、アジールが装備できないのなら仕方なく、代替の盾をもらえるならそれで十分だ。
「それでは失礼します」
イリックは長い詠唱を完了させてその場から一瞬で消え去る。イリンのようなそれはテレポートであり、行き先は仲間が待っているガーウィンス連邦国だ。
土と植物と水の匂いが立ち込めるそこに到着してから気づく。王の前で使ってしまったことを。
(まぁ、いいか)
開き直り、土の道を歩き出す。目の前の宿屋に入り、押さえてある部屋を目指す。
誰かいるだろう。仲間は三人もいるのだから、一人くらいは部屋でゴロゴロしているかもしれない。
何の根拠もなく予想しながら、イリックは扉をゆっくりと開ける。
「あ、おかえりー」
「おもしろい話があるぞー」
◆
案内されたその建物はイリック達を強張らせる。大きさという点ではサウノ宮殿ほどではないが、内装は経験してきたそれとは別世界だ。廊下には赤いカーペットがどこまでも敷かれており、廊下の脇に飾られているツボや壁を彩る絵画には手を伸ばすことさえできない。
「触るなよ」
「うきょ」
ただただ高級そうな青いツボに手を伸ばす妹に、イリックは兄として注意する。割られでもしたら一生ここで働くハメになるからだ。
窓枠一つを見ても作りが凝っており、点々と設置されているマジックランプすらも高額に見えてしまう。
(そういえば、アジールさんちのもこんな形をしてたな)
金持ちの行き着く先はどこも同じなのだろうと失礼なことを考えながら、イリックは先頭を歩く男の後ろをついていく。
紫色の生地で作られたそれは目元以外を完全に覆っており、親衛隊だけに配布されている極めて優秀な防具だ。
太陽の光が差し込む石造りの廊下を一同は黙々と歩く。建物の中にしては長い道のりに唸らされるが、初めての光景ゆえに決して退屈ではない。
やがて赤いカーペットは一旦途切れる。そこには薄水色の鎧をまとった二人の男が門番のように立っている。ここを守る軍人だ。その背後には大きな扉が行く手を遮っており、廊下はそこで終わりを告げている。つまりは、その先はほんの一部の人間しか足を踏み入れることはできない重要な場所だ。
鈍い音をたてながら茶色い扉が開き、一同は真っ直ぐ伸びるカーペットの上を前進していく。
そしてその男が姿を現す。数える程度の段差を上がるとそこには玉座が設置してあり、金色の肘掛に右手を乗せながらこの国の王は現れた客人に視線を向ける。
長い黒髪は両耳を隠しており、赤を基調とした服には金色の模様が煌びやかに輝いている。
「よくぞ参った」
「おはようございます」
ロメロンとイリックは肩を並べて戦った仲だ。堅苦しい挨拶は必要ない。
「デフィアーク共和国第三陸軍軍長のウェイクと申します」
「ガーウィンス連邦国、火の図書館館長を務め上げております、ゴルドと申します。此度は招かれていないにも関わらず、こうして御身の前に参上したことをお許し下さい」
今回はイリックとその仲間達だけではない。
ここ、ネレネン王国の王宮には六人で訪れている。同行者はウェイクとゴルドだ。
昨日、イリックからロメロンとイリンについて話を聞かされたロニアは、ことの大きさに泡を吹いて失神しかける。なんとか耐えることに成功してからは、急いでイリックを連れて火の図書館に出向き、話はデフィアーク共和国にも伝播される。
二国は時間がないことからサウノ商業国を抜きにして話し合い、とりあえずの結論を導く。
イリックがオハンを返却する場面に二国も立会い、少しでも情報のやり取りを済ませることを決定する。
デフィアーク共和国からは武神祭を優勝したウェイクが、ガーウィンス連邦国からは今回の渡航を実現したゴルドが同行する。
もちろん、イリックはロメロンにこのことを告げておらず、二人の訪問は約束されていない突発なものだ。
ゆえにウェイクとゴルドはひざまずき、謝罪から入る。
「よい。後ろの三人は、昨日話に聞いたコネクトの接続者達だな」
「ネッテです!」
「アジール」
「ロニアと申します」
どんな時でも、どんな場所でもネッテの活力は失われない。小さくぴょんと跳ね上がり、ただただ広いだけの王の間を明るく照らす。
「持参しました。オハンです」
「すまんな、無茶を言ってしまい」
「いえいえ」
イリックは心の中で涙しながら重たい盾を前に突き出す。やや縦長な丸いそれは縁が黒く、内側は作りたてのように銀の光を周囲に放つ。金色の線が二本走っており、それが装飾品のような斜めに傾く十字を作り出す。
ネレネン王国の国宝、至宝神器の一つ、オハンだ。アジールが装備できなかったことと、何よりネレネン王国に必要なものということもあり、残念ながら返却するしかない。
イリックは親衛隊の隊長にそれを手渡し、これで用件の一つはあっさりと終了する。
「例のものを持って参れ」
「はっ!」
王の指示を受け、その男はオハンを大事そうに抱えたままさっとその場から消え去る。
「盾の受け渡しのためだけに参ったわけではあるまい? もしそうだと言うなら、当然帰しはしないがな」
ロメロンはイリックを見据えながら小さく笑う。一人ではなく六人で現れたことが、昨日から抱いている疑問を払拭してくれるためと期待してしまう。
「先ず、イリックについて説明致します」
「ゴルドと言ったか。覚えておるぞ。我が国と交渉を執り行った立役者だな。おかげで武神祭は大変盛り上がった、感謝する」
「そ、そのようなお言葉、もったいない限りです」
ゴルドは片膝をついたまま、王の言葉に恐縮する。普段は前衛攻撃役のような冒険者紛いな防具を着込む学者だが、今回はきちんとガーウィンス連邦国の正装をまとっている。制服のような茶色いそれはぴちっと筋肉隆々な体を包んでおり、背伸びする子供のように似合っていないが、これでもれっきとした館長だ。
ゴルドはその姿勢のまま、イリックがどんな冒険者か丁寧に語り始める。
三大大国の危機を幾度となく救ったこと。
風の大精霊に認められ、転送魔法テレポートを習得したこと。
コネクトを使えること。
ロメロンは明かされた事実を一つずつ受け止め、最後には小さく笑う。
「イリンなる女のように消えた理由はそういうことか」
「はい」
「テレポートか。冒険者なる仕事においては非常に便利なのだろう」
肯定するゴルドからイリックに視線を向け、ロメロンはニヤリと笑って見せる。
「お待たせしました」
(うおー、美人だー)
妖艶な雰囲気をまとう絶世の美人が薄暗い奥から現われる。赤いドレスはずわっと足元で広がっており、王以上に煌びやかな刺繍が威厳と美しさを彩っている。
両手で青い盾を持つこの女性はトゥリンだ。ロメロンの姉であり、王妃でもある。腹には愛の結晶が宿っており、まだ目立つほど膨らんではいないが、時折やさしく撫でることが癖になっている。
「イリック、受け取ってくれ。偉大な功績をあげた軍人にしか贈られない特注の品だ。センチネルシールド。見た目通り、アダマン製だ」
「あ……、はい……」
ロメロンの説明と好意はありがたいが、今はそれどころではない。歩み寄って来る女性は胸元が大きく露出したドレスを着ている。ただでさえ大きな胸が寄せて上げられており、その谷間は上半分近くが顕わになっている。
昨日は散々女性の裸を眺めたが、眼前の女性の方が随分と巨乳なため、完全に別腹だ。
目が離せない。盾などどうでもいい。それほどまでに、美しい谷間に吸い寄せられてしまう。
「兄上!」
「グハッ!」
王と王妃がそこにいようと、姑役のネッテには関係ない。将来の旦那が他人の嫁をいかがわしい目で眺めている以上、強靭な肉体を持つ冒険者すら卒倒させる手刀を鳩尾に浴びせざるをえない。
白目を向いて倒れたイリックに代わり、これの持ち主となるアジールがそっと盾を受け取る。
鏡のように輝くそれは空よりも青く、長身のアジールの上半身を易々と隠せる程度には大きい。形は長方形をしており、縁取りは白に近い金色をしている。
ロメロンの言う通り、素材には人類にとって最高品質を誇るアダマン鉱石を用いており、外周部分はそれよりも高価なプラチナで塗り固められている。
センチネルシールド。ネレネン王国にしか存在しない最強の盾だ。
「ありがとう」
「あなた達もコネクトで繋がっているのよね。私と一緒だわ~」
以前使っていたサウノシールドよりも力強く重い盾の手応えに、アジールは驚きながら礼を述べる。
トゥリンは同類と呼べる女性を見つけたことに喜びながら、やさしく微笑んでみせる。
「コネクトを使える人間がイリック以外にいることが驚きよ。姉弟で繋がってるあたり、この子に似てるわね」
「え? え?」
ロニアはトゥリンの境遇をネッテに重ねる。もちろん、似ていない部分もかなり多いが、兄弟姉妹という点とコネクトによる接続という意味では他に類を見ない近似点だ。
ネッテは昨晩の説明ではまだ理解しきれておらず、頭の上にハテナマークを出現させながら首を傾げる。
「あら。あなたもこのお方と兄妹なのね。私と王は姉弟なの」
「うん! 知ってます!」
さすがのネッテもそこまでは武神祭の最中に学習済みだ。
「私と王はコネクトで繋がっていて、あなたもお兄さんとコネクトで繋がっている。つまり、似た者同士ということよ」
「おぉ~」
王妃の丁寧な説明でネッテはついに理解する。うれしそうに目を輝かせ、そしてあることを思い出す。
「そういえば、王様とは結婚してるんだよね?」
「ええ、そうよ。来年、子供も生まれるわ」
「きゃー!」
笑顔のトゥリンから明かされた事実に、ネッテは倒れ動かないイリックに感極まって飛び乗る。肝心の兄は気絶しており、妹の重みに気づくことすらなく、浜辺に打ち上げられた魚の如く、そこに横たわっている。
「お兄ちゃ~ん。結婚しようよ~」
しかし、返事はない。しかばねではないが、それに近い状態だ。
(こ、こやつら……。王の前であろうと本当にマイペースじゃな……)
呆れるゴルドは話を戻す。
「王。盾の譲渡、誠に感謝致します」
「なに、俺のわがままをイリックが受け入れてくれたお礼だ。こちらこそ感謝している」
ゴルドの言い分をあっさりと受け流し、ロメロンはこの国を代表して頭を下げる。
そんなことをされたらゴルドとしてはどうすることもできず、さらに頭を下げるしかない。
「ウェイクよ。お主の活躍にも感銘を受けている。これを期にこの国は奮い立ち、さらに精進してくれよう」
「とんでもございません。決勝で相対したヴォイスは非常に強い男でした。次はどうなるかわかりません」
「ふ、謙遜するでない」
ひざまずくウェイクがいかに強いか、ロメロンは自分の目で確かめている。西の三大大国がいかに優秀か、今回の出来事により突きつけられてしまった。
ネレネン王国の国民は、とりわけ王は西の大陸に住まう人々を見下していた。モンスターと今なお戦争している自分達と、平和を享受している人間。その差が身勝手に優劣を空想させてしまう。それを払拭してくれたのがイリックでありウェイクだ。ロメロンは思い違いを恥ながら、今は感謝の気持ちを胸に抱く。
「さて、あの女について教えてくれるか?」
「はい。イリンと名乗る女は、トリストン大陸で暗躍しているようです」
王は疑問の答えを求める。
三大大国としてもそこまで多くの情報を持ち合わせておらず、ゴルドは知りえる情報を可能な範囲で打ち明ける。
ガーウィンス連邦国に入り込み、何かをしていたこと。
サラミア港でネッテとアジールを捕らえようとして返り討ちにあったこと。
煉獄の力を備えていたモンスターと同等のことが可能なこと。
イリンと戦ったロメロンは、もたらされた事実にため息をつくことしかできない。
「一体何者なのだ?」
「人間は辞めてるわね」
ロメロンのぼやきとは対照的に、ロニアはあっけらかんに言ってのける。
イリンが人間を超越していることは間違いない。切り刻まれても死なない、もしくは生き返ることが可能な時点で、それはただの生物ではない。少なくともそういったことを可能とする秘術はガーウィンス連邦国にも伝わっておらず、今なお館長達はイリンの正体を掴みかねている。
「俺のコネクトを複製し、取り込んだことも気がかりだ。何が目的だ?」
「わかりませぬ。言動からして、未知の魔法に対する好奇心だと思いますが……」
ロメロンはコネクトがイリンの手にも渡ったことを危惧する。ただでさえ強い化け物がさらにその戦闘力を向上させることは間違いなく、それが自分達にどんな災いをもたらすのか、想像することすら難しい。
ゴルドは推測を交えてその行動理念を分析するが、やはりまだ空想の域を出ない。
「お兄さんのこと好きなのね~」
「あ~ん、受け止めてこの想い~」
楽しそうなトゥリンと、動かぬ兄に腰を振るネッテ。二人はロメロン達のやり取りなどこれっぽっちも聞いていない。
普段は薄暗く感じる大広間が、今は眩しいほどに輝いている。賑わう女性陣のおかげか、客人の多さがそうさせるのか、晴れやかな気持ちが錯覚させるのか、それは王にも王妃にもわからない。
「テレポートなる魔法があるのだろう? 必要とあらば、そちらに駆けつけよう。やつらが攻め込んでこないタイミングなら三将軍すら貸し与えるぞ」
「お、恐れ多く……。そのお言葉だけで十分でございます」
ロメロンの発言にゴルドはさらに恐縮する。
テレポートの前では大陸の壁など関係なく、だからと言ってネレネン王国の王に助けを求めることはさすがに不可能だ。
「俺がそちらに行ってみたいだけだ。三大大国、夢に見ないはずがない」
ネレネン王国の国民にとって、西のトリストン大陸は平和な土地だと思えて仕方ない。そこに存在する三国がどんな場所なのか、興味を抱かないわけもなく、少なくとも目の前でひざまずくゴルドとウェイクはそれらを知っているのだから、うらやましいと思えてしまう。
その上、ネレネン王国にこうして足を踏み入れているのだから、それは不公平だとロメロンは笑い飛ばす。
「あら、それはいいわね~。ベークに仕事を押し付けて行きましょう」
トゥリンもその意見には賛成だ。
二人の王族が突然わがままなことを言い出したため、ガーウィンス連邦国とデフィアーク共和国の両代表は顔をつき合わせて困ることしかできない。ネレネン王国の王族を招く以上、それ相応のもてなしが必要だからだ。
もはや乾いた笑いを漏らすことしかできず、正式回答は一旦待ってもらうしかない。
その後も話題は尽きず、談笑はいつまでも続く。
トリストン大陸とアリカ大陸の距離はいくらか縮まったのかもしれない。その場に居合わせた全員が自然とそう思うことができた以上、この交流は決して無意味なものではないのだろう。
オハンの返却。
イリックとイリンについて。
武神祭から始まった海を越えてのやり取りは、大きな一歩に繋がったはずだ。




