第五十六章 そしてめぐりあう
武神祭。その一日目が終了し、勝ち残った出場選手には二日の猶予が与えられる。決勝戦までいっきに行われるその日まで、各々はそれぞれのやり方で時間を過ごす。
イリックとウェイク。二人もまた、他の選手とは一線を画す方法でこの時間を満喫する。
「ここがネレネンかい。たしかにデフィアークとは随分毛色が違うね~。立体的な街並みは攻め込まれた時を想定してるのかな」
きょろきょろと周囲を見渡す若い女は非常に胸が大きい。ぼさぼさな髪は雪のように白く、その見た目が周囲の男達の視線を集めてしまう。
「そうだろうな。壁や建物は全て丈夫な作りをしている。あらゆるものがモンスターとの戦争を想定しているのだろう」
普段は赤い軍服をまとうこの女性は、今日は茶色いカーディガンと肌色のズボンでシャンと凛々しさを演出している。黒髪は肩の上で踊っており、決して若くはないが最近艶っぽいと軍人達は噂している。
異国からの客人であるリンダとエミリアが青空の下、ネレネン王国の市街地に降り立っている。
武神祭最終日を明日に控えた今日、イリックは一旦テレポートでデフィアーク共和国に帰還し、この二人を引っさげネレネン王国に舞い戻る。
経緯は昨晩に遡る。
ウェイクは一日おきにガーウィンス連邦国と母国へ報告を入れる。これまでの経緯を連絡すると共に、必要とあらば物資の補給を依頼する。
その日はデフィアーク共和国に連絡をするも、事前にエミリアから話を聞いたリンダがわがままを言い出す。
自分をネレネン王国に連れて行け。
目当てはもちろん、人間の分類を教えてくれるマジックアイテムの見学だ。錬金術師として、そんなものがあると聞かされれば黙っていられるわけもない。
旅費の補充も兼ねてエミリアは渋々承諾し、イリックがテレポート屋として二人の送り迎えをすることになる。
そして今に至る。
心地の良い朝日は異国でも変わらないことを実感しながら、リンダはウェイクを急かしながら傭兵会社へ向かう。
ここはネレネン王国ゆえに、デフィアーク共和国の軍服を着るわけにもいかず、ほとんどスパイ行為と変わらないことを自覚しながら、私服のエミリアは内心そわそわしながらイリックと肩を並べながら二人の後を追う。
「すまないな。急に無理を言ってしまい」
「エミリアさんって、本当にリンダさん相手にはてんやわんやしてますね」
「そ、そうなんだ……。昔からあいつだけはどうすることもできない……」
同情するイリックに、エミリアは落胆しながら小さく本音を漏らす。
飄々としつつも、天才的頭脳を持ち合わせているリンダ。その上、異性は当然ながら同性すらもストライクゾーンだ。
男勝りな軍人であり、非常に頭の切れるエミリア。
両者は女性であることを全面に押し出さないという意味では似ているが、実際は全く異なる。
リンダは趣味と仕事が同じ方向を向いており、自身の才能を存分に発揮している。気づけば年を重ねすぎてしまい、結婚相手を見つけ損ねるほどだ。
エミリアは軍務を仕事と割り切っており、ゆえに冷徹な判断を下すことさえある。若い頃はリンダと蜜月な関係にあったが、その後男性とも恋愛をえて結婚に至る。
自分のやりたいことだけにまい進するリンダと、才能を国のために使うエミリア。
リンダの自由奔放な態度と性格が、堅苦しいエミリアには眩しいのかもしれない。
「それ普段着ですか? 似合ってますよ」
「ふ。世辞を言う相手を間違っているぞ」
エミリアは白いシャツの上にだぼっとした茶色いカーディガンを羽織っている。反面、肌色のような薄い色のズボンはぴっちりと足のラインを表しており、普段の赤い軍服姿とは全く印象が異なる。
厳しさの中にもやさしさと包容力を醸し出すこの外見は、イリックとしても褒めざるをえない。
「おっと、忘れてた。イリック、これあげる」
リンダは振り返ると同時に、ポケットから小さなアクセサリーを取り出す。
耳に取り付ける銀色のそれには小さな赤い宝石がはめ込まれており、イリックは生暖かいそれを慎重に受け取る。
「君達がサハハ遺跡で得た宝石が使われている。イリック、君のために開発したマジックアイテムだ」
エミリアがそれについて補足する。銀色のピアスには非常に小さな赤がちょこんと備わっている。サハハ遺跡で討伐した岩のモンスター、ゲシュタルトの戦利品だ。
「なんと! 身に付けるだけでマジックポイントがじわじわ回復する! これでテレポートの再使用時間を大幅に短縮できるよ」
リンダの説明にイリックは目を丸くする。
イリックはテレポートを詠唱すると、マジックポーションなどで回復しない限り、数時間待たなければもう一度テレポートを使うことがでいない。一度の詠唱でイリックの貧相なマジックポイントをほとんど使い切ってしまうからだ。
このピアスは毎秒少しずつマジックポイントを回復してくれるため、その時間は従来よりもグンと狭まることを可能とする。
効果はいついかなる時も有効なため、戦闘時にはキュアの使用回数を増やすことにも繋がる。
マジックポイントを時間経過で回復してくれる装備品はいくつか確認されているが、ピアスのような小物で実現することは不可能だと言われていた。それを成したのは赤い未知の宝石とリンダの才能だ。
イリックはガイストピアスと名づけられたマジックアイテムをありがたく受け取り、早速左耳にぶら下げてみる。
「リクエストではマジックポーションのようにどかっと回復して欲しいんだっけ? 残念ながら私でもそこまでは無理だったわ。今はそれで我慢しな」
「十分ですよ」
リンダの言う通り、イリックはマジックポイントの少なさを解決する手段として、一度に回復する方法を望んでいた。その方がマジックポイントの管理やテレポートが使用できるか否かの把握が容易だからだ。
今の錬金術ギルドおよびリンダではそれを実現することはできなかったが、そこまでわがままを言うほどイリックは贅沢ではなく、このピアスの性能でも十分に喜べる。
「しかしあれだな……」
ウェイクは意味深な視線をイリックに向ける。
「似合わないね」
「似合わん」
リンダとウェイクがズバリ言ってのける。
(じゃあ、ピアスじゃなくて別のもんにしてくれ……)
涙を堪えながらイリックは震える。作った本人にダメだしされたら立ち直ることなどできるはずもない。
その後、リンダ達は初めて訪れる国の景色を堪能しながらも、気さくな社員がいる傭兵会社で地球儀のようなマジックアイテムをこっそりと内偵する。
効果は上々だったのか。それはリンダにしかわからない。少なくともその表情は非常に満足そうだったため、エミリア達はネッテ達とも合流し、夕食を食べて帰っていく。
戦いの前の気分転換としては良かったのかもしれない。二人を送り届けたイリックはそんなことを考えながらネレネン王国の宿屋に帰還する。
なぜかネッテが既にベッドを占有していたが、兄妹にとっては普通のことだ。
翌日。すなわち、武神祭、二日目。
二回戦から決勝戦までいっきに駆け抜けるこの日は、出場者にとっても主催者の王にとっても重要な一日だ。
二回戦第一試合はモンクのスルフィと侍のバハウが対戦する。
マンイーターとソホロ助広。短剣と刀。決して埋められないリーチと実力の隔たりは、戦技によって覆される。
自然一体。
脚力向上。
スルフィはこの二つを習得していた。それだけでは足りないため、この試合で進化してみせる。
真空圧。
三つの戦技を総動員し、復讐者は野望のための階段を順当に上がってみせる。
二回戦第二試合。
注目カードの一つだ。観客は目を光らせて二人の選手を見下ろす。
一方は赤いコートを羽織る少年。その黒髪も、背中のミスリルソードも、既に全員の目に焼きついている。
西の大陸から招かれた冒険者、イリック。優勝候補を倒したのだから、誰もがその躍進に期待してしまう。
もう一方は重厚な銀色の鎧で体を守るハンサムな男。灰色の髪は長く、そのルックスから観客の女性達は必然的にこちらの選手を眺めてしまう。
パラディンでありながら高い魔力とマジックポイントを誇る傭兵、ローアンだ。一回戦では猛攻に晒され追い詰められるも、振り返れば圧勝に終わる。試合が終わる前には無傷で立っており、敗者に手を差し伸べる余裕すら持ち合わせていた。
「相手を殺してはいけないルールにおいて、今回の相手はただただやりづらいだろうな」
「なんでなんでー?」
観客席から見守るウェイクはそう分析する。
ネッテはそう行き着く理由が全くわからず、兄へ手を振るのを止め首を傾げる。
「キュアで傷を回復されちゃうから。気絶させるか殺す以外に倒す方法がない」
「そういうことだ」
アジールもその答えに辿り着いており、ウェイクはこれから戦う二人を見下ろしながら小さく首を縦に振る。
「しかもこのローアンって男、ミスリルの鎧を装備してるわ。イリックの剣は通用しない。難儀な相手ね」
「おぉ~、ミスリル同士~。みんなお金持ちなんだね!」
「ふふ、そうみたいね」
ロニアとネッテは微笑ましく顔を合わせる。
ローアンが着込む銀色の鎧はミスリル製だ。購入金額は平均的な世帯の年収二年分に匹敵する。自分達ではどう足掻いても届かない金額ゆえ、羨望の眼差しを向けることしかできない。
何より厄介な点がローアンの片手剣と盾だ。どちらも鎧とは対照的に黒く、この色は決して張りぼてではない。ダーク製、すなわちミスリルの上に該当する。
一式を買い揃えれば家が建てられる。この男がそれほどの金を稼げる実力者だと外見からだけでも見て取れる。
(イリック、苦戦しそうだな)
ウェイクは一ヶ月間鍛え上げた少年をじっと見つめる。ここが執念場だ、そう念じながら今は見守ることに徹する。
「一回戦の戦いがまぐれかどうか、これでハッキリしますな」
「あの子もかわいいわね~」
二人、宰相を含めれば三人のために容易された観客席で、ベークとトゥリンはそれぞれの考えを抱きながら会場を見下ろす。
イリックが双子の兄を倒し一回戦を突破したことが今でもにわかに信じられず、宰相としては疑った目で西の冒険者を見つめてしまう。
「軍人も勝ったのだ。トリストン大陸……、決して侮れない土地なのだろう」
ロメロンは既に受け入れている。イリックとウェイク。西の大陸から招いた二人が想像の上をいく存在だと真正面から受け止める。
偶然で勝てる相手ではなかった。どちらも決勝戦に進出し、ヴォイスと戦えるほどの天才だ。しかし、どちらも敗退する。
勝者の片割れは今まさに次なる傭兵と戦おうとしており、高みの見物の如く、王は煌びやかな椅子の背もたれに体を預け、行く末を楽しむつもりでいる。
「不思議よね~。どちらも戦技を全然使わないのはなぜかしら?」
「そういえばそうですのう」
王妃は眉を曲げて考える。イリックとウェイク、どちらも一回戦で戦技を一切使っていない。
「使うまでもないのか、あるいは……」
「あるいは~?」
ロメロンとて、トリストン大陸から遠路遥々やって来た二人のことは何もわからない。考えられる可能性は二つあり、その両方を思い描く。
戦技を使えるが、使わずとも倒せてしまうがゆえに使わない。
戦技を習得していない。
正解は後者だが、前者もあながち間違いではない。
「この試合でわかるだろう」
ロメロンは自分に言い聞かせるようにつぶやく。西の冒険者の力量を見定めるように、熱い眼でイリックを見つめる。
王がそうするように、英雄と呼ばれるこの男も太い眉毛を上下に動かしながら出場選手を見下ろす。
本大会の最後を締めくくるヴォイスは、三度目の優勝も本気で狙っている。金や名誉のためではない。王が定めた優勝賞品を手にするためだ。
至宝神器の一つ、無敵の盾オハン。ネレネン王国の国宝だ。
ヴォイスは自分のために用意されたそれを決して他人の手に渡すつもりはない。過去に何度も王からの誘いを断り続けた。将軍という地位は自分には早計だと考えてのことだ。
それでもこのような形で将軍への道を用意されては、ヴォイスとしても覚悟を決めなければならない。
将軍には至宝神器が与えられる。それを優勝と共に自分の手で掴み取れと提示されては、もはや首を左右には振れない。
オハンが他人の手に渡る危険を冒してでも自分を将軍にしようとする王の器量に驚愕しつつ、ヴォイスは三度目の優勝を絶対的な実力で成し遂げようとしている。
そのためには決勝まで進出する相手を見極めなければならない。相手の情報を少しでも多く収集しなければならない。
ゆえにこの男は、強面の顔を戦場に向けて出場選手を凝視する。
先の一回戦から、ヴォイスは可能性を二人に絞っている。これから始まる二回戦でその推測が間違っていないか検証しなければならない。
(ローアンとイリック……。どちらが勝つ?)
ヴォイスの考える二人に、この両名は含まれていない。なぜなら、その二人があまりに突出しているからだ。
熱い視線に晒されながら、審判を挟むようにイリックとローアンは見つめ合う。
二人よりも長身なアインが二回戦第二試合の選手を叫ぶ。
名を呼ばれたローアンはキラリと輝く白い歯を見せながら、観客席を仰ぎ見て手を振る。湧き上がる拍手を自分のためだけに送られていると錯覚しながら、満足そうに対戦相手へ向きなおす。
両者は静かに武器を構え、上げられた右手が振り下ろされるタイミングをひたすら待ち続ける。
一瞬の静寂の後、空気が大きく震える。
「始めえぇ!」
しかし、どちらも動かない。
ローアンは様子見のために。
イリックは相性の悪さから攻撃をしかけられない。
そう、イリックにとって眼前の傭兵は非常に戦いづらい相手だ。理由は三つもあり、それゆえにじりっと足を動かすことしか出来ない。
一つ。ミスリル製の立派な鎧を装備していること。銀色に輝くこれにはおよそ隙など見つからず、下手に斬りかかっても成果が得られるとは思えない。
二つ。ダーク製の片手剣と盾。とりわけ四角い盾が厄介だ。ミスリルを上回る剛性を実現しているそれは、決してイリックの剣では突破できない。
三つ。これはイリックだけでなく全員に当てはまるが、対人戦においてこの男の戦闘スタイルは自身の敗北を可能な限り遠ざける。致命傷がそうならないのだから、殺してはいけないというルールにおいて、これほど手ごわい人間は存在しない。
「来ないなら俺っちから行っちゃうよ」
「ど、どうぞ……」
長い髪を揺らしながら、ローアンは体を上下に揺らす。男が見ても二枚目だとわかるその顔立ちは、当然観客席の女性陣を虜にしている。
「あの男、かっこいいわね」
「うん! あ、お兄ちゃんほどじゃないよ!」
ロニアは案外面食いだ。灰色の長髪が少し気に入らないが、それ以外は概ね満点をつけている。
ローアンの剣撃を下がりながら回避するイリックを眺めながら、アジールは違和感を抱く。
「戦いづらそう」
「ふむ、悪い癖が出てしまったな……」
アジール同様、ウェイクもいち早く気づいてみせる。
「随分と押されてるわね。あんなの、イリックなら問題ないでしょうに」
ロニアはわからない。頭脳明晰な元先生だが、その思考は戦闘とは別の方向を向いており、ウェイク達のような分析をすぐには行えない。
「がんばってー!」
ネッテが黄色い声援を飛ばす。
ローアンはこれを自身に向けられたものと捉え、観客席のネッテに笑顔を向けながらそっと手を振る。
「ち、ちがーう!」
ふんがーと叫ぶネッテを他所に、戦いは継続する。
イリックは心底やりづらい。ウェイクの言う通り、相性の悪さがマイナスの性分を引き出してしまったからだ。
貧乏性。イリックをイリック足らしめる要素の一つだが、こと戦闘においてはプラスに働かない。
つまり、相棒のミスリルソードをローアン相手には活用できない。黒い片手剣も、黒い盾も、銀色の鎧も、ミスリルソードの刃こぼれに繋がるかもしれない。それが怖くて仕方ない。
金額にして二十八万ゴールド。並の冒険者では何ヶ月金策しようと全く届かない。
アジールの装備を新調した上で家すら建てたいと高望みしている現状では、この出費はもはやありえない。
ゆえにイリックはつばぜり合いを避け、ローアンの攻撃を避け続ける。
「これは作戦かい? それとも、力の差を感じ取ったのかな?」
ローアンは追いかけるように攻撃を続ける。
イリックとしても、現状維持では勝てないとわかっている。このままでは埒が明かないことも理解している。
ゆえに渋々反撃を試みる。最低限の動作で振り下ろされた黒い片手剣を右へ避け、立ち位置を逆転するように移動し、唯一露出している顔にミスリルソードを走らせる。
ヘルムを被っていないがゆえに、対戦相手の顔だけは顕わになっている。そこへの攻撃は殺傷禁止のこの大会では危険極まりないが、情けないミスをするほどイリックも落ちぶれてはいない。正確に左耳だけを削ぎ落とすよう狙ったが、それをまともに受けるほどローアンはやさしくなく、耳を半分切り裂かれる程度でやり過ごしてみせる。
(むぅ、案外素早いな)
「やるじゃない」
致命傷に至らなかったことに不満を抱くイリックとは対照的に、ローアンは振り向きながら笑みを浮かべる。同時にその体は白い光に包まれ、耳からの出血は瞬く間に治まってしまう。
キュア。後衛回復役と後衛補助役、そして盾役が使用できる回復魔法。ネレネン王国風に言うならプリーストとドミネーター、そしてパラディンが該当する。
ローアンはパラディンでありながら、非常に高い魔力と後衛以上のマジックポイントを保持している。すなわち、ささいな傷は当然ながら、意識さえ失わなければ瀕死の重傷からでも復帰できてしまう。
一回戦において、ローアンは数え切れない傷を負いながらも回復魔法だけで凌ぎきり、最終的には対戦相手をねじ伏せる。それをこの戦いでも再現するつもりだ。
「俺っちに勝てないと思ったらいつでも降参してくれていいんだぜ」
「そうもいきません」
ローアンの目を見返しながら、イリックはきっぱりと断る。勝たなければならない理由があり、そのために厳しい時間を乗り越えた。その成果を発揮するように無音でその場から消え去る。
(速い!)
イリック渾身の加速に大勢の人間が驚く。
間近でそれを体験するローアンが最も肝を冷やすが、赤い軌跡はかろうじて目で追えており、それを辿るように片手剣を振りぬく。
イリックもまた驚かされる。背後へ周ったものの、追撃がきっちりと向かってきたからだ。迫り来る片手剣をミスリルソードで受け止め、踏ん張った足でローアンの背中を蹴り飛ばす。
鎧の上からでも傭兵の体をきしませる程度には高い圧力が加わり、ローアンは体を歪ませながら前方へ大きく吹き飛ばされる。
イリックは目を見張る。蹴りを浴びた男が同時にキュアの詠唱を完了させたからだ。
(これは……面倒だなぁ)
手ごわい。
倒しづらい。
手を焼く。
苦戦する。
時間がかかる。
ローアンとの戦いはこれらを意味する。イリックは矢継ぎ早のキュアを目の当たりにし、そう思わずにはいられない。
当然のように立ち上がり、苦悶の表情を一切浮かべない対戦相手を眺めていると、益々骨が折れることを実感させられる。
「ちなみに教えてあげると、俺っちってライフラプチャーも使えるぜ」
ライフラプチャー。パラディンが習得できるとっておきの戦技だ。傷だけでなくマジックポイントを半分以上も瞬時に回復する。つまり、膨大なマジックポイントの持ち主こそ、この戦技から得られる恩恵は大きいことになる。
ローアンは持久戦に耐えられるだけのキュアを使用出来る。回数にして五十を超えており、仮にマジックポイントを枯らすことに成功しても、ライフラプチャーを使われでもしたら、キュアの使用回数は三十回近くまで容易くリカバリーされてしまう。
仮に、その後に再びキュアを使い終わらせることに成功したとしても、ライフラプチャーの再使用時間である十分が経過していれば、マジックポイントは瞬間的に回復されてしまう。
終わりなどない。ローアンとの持久戦は時間無制限の一方的な消耗戦を意味する。もちろん磨り減るのはイリックだ。
ゆえに自分が勝つ。ローアンは赤いコートを羽織る冒険者を眺めながらそう確信している。
そうはならないことをイリックは証明する。
いかに分厚い装甲をまとっていようと、ダーク製の盾を構えていようと、弱点はいくらでも存在する。イリックはそれらを一つずつ丁寧に攻め始める。
露出している首から上。
脇。稼動域ゆえ、この部分は実質無防備だ。
肘。この部分にも装甲は存在しない。
指先。
攻撃を成立させるための作戦。それは超接近戦。ローアンと密着するほどの距離で、イリックは黒い片手剣をいなしながらも手傷を負わせていく。
ローアンとて接近戦は歓迎なのだが、それ以上に近寄られたため、小回りの効かない盾が足を引っ張る。相手を殴るには大きすぎるダーク鉱石の塊は、イリックの体裁きであっさりと受け止められ、実質左手が封じられたに等しい。
両手を自由に使えるイリックと右手だけで戦わなければならないローアン。この時点で優劣の格付けは済み、傭兵にやれることはただただキュアで自身を癒すだけとなる。
吐息が届きそうな距離での攻防はイリックの一方的な攻撃へ置き換わり、ミスリルソードは装甲の隙間から相手を突き、手ぶらな左手は拳を作り二枚目な顔を殴り続ける。
一分以上も続いた接近戦は、両腕の筋を斬られ剣と盾を落とした瞬間に止められる。
「勝者! イリック!」
いかにキュアで己を回復しようと、この男を倒す術は見つからない。ましてや武器を落としたとあらばそれは致命的だ。
アインはそう判断し、審判として勝者の名を叫ぶ。
「はは、参った参った。すごいね、君」
ローアンはキュアの光に包まれながら、目の前に立つイリックの肩にそっとおでこを乗せる。激しい攻撃を凌ぎきれず、すっかりヘトヘトだ。
重なる両者の姿は観客席の女性陣を刺激してしまう。
アジールは鼻血を流し、ロニアはこういう嗜好もあるのかと気づき、ネッテだけは憤慨する。
「お、お兄ちゃんをとるなー!」
(わけのわからんことを言うな!)
妹は叫び、兄は心の中で吠える。
かわいらしい声が轟く中、ヴォイスは自身の推測が正しいことを確認する。
(やはりイリックはそれほどではないな。侮れない相手ではあるが、準決勝でどちらかに敗れるとみた)
ヴォイスは既に見抜いている。イリックの次の相手はスルフィだが、その戦いは問題なく勝つことを。
問題はその次だ。ヴォイスが認めた二人の選手は必ずどちらかが準決勝まで進出すると確信している。それは同時にイリックがそこで敗れることを意味する。少なくともこの国最強の傭兵にはそう思えて仕方ない。
二回戦第二試合はイリックが勝利する。
第三試合は優勝候補の筆頭、モンクのオランヤンが相手を圧倒する。
第四試合はウェイクが圧倒的なパフォーマンスで相手を屈服させる。
こうして勝者はその数を八人から四人に減らす。
スルフィ。
イリック。
オランヤン。
ウェイク。
いくらかの休憩を挟んだ後、準々決勝が始まる。
◆
ネッテ達の声がイリックの背中をそっと押す。
「がんばりなさいよ」
ロニアの少しだけ低い声もはっきりと届く。
前の試合から三十分経過した今でも、丸い会場の空気は緊張している。
石造りの模擬戦会場は軍施設の中ではやや大きく、観客席には何百人も収納可能だ。武神祭にはそれほどの人数が集わないため、パラパラとしか席が埋まらない。
区切られた特等席には三人が陣取っており、その周囲には紫色の装束をまとった独特な男達が立っている。
観客席に囲まれた中央は選手が戦う場所であり、観客席から見ると少しくぼんでいる。
そこで相対する二人の選手の元に、審判役のアインがゆっくりと歩み寄る。
準々決勝の一試合目がこれから始まる。
選手の一人はイリック。この相手なら負けることはない。傲慢にさえ思えるその確信は自信の表れでもある。
最終目標は優勝賞品の盾。そのためには一つ一つ勝たなければならない。
背中のミスリルソードは今ではすっかり自分の武器だ。頼もしすぎる相棒の重みはイリックの強さを一段階上へ上昇させる。
黒い短髪をそっと掻きながら、イリックは審判の様子をうかがう。背の高さに驚かされるが、茶色い眉毛の太さも格別だ。
(将軍か~。すごい強そうだな~。というか強いんだろうな。ウェイクさんやマッカスさんとどっちが強いんだろう?)
強者を見定める際、どうしてもその二人が脳裏に浮かぶ。それほどまでに、デフィアーク共和国の軍長は強すぎる。
次いで観客席に目を向ける。
当然のようにネッテ達と目が合ってしまう。対戦相手と向かい合ってこれから試合を始まる前という状況下では、どこかむずがゆい。
一旦顔を伏せてから、ゆっくりと正面に向きなおす。
緑色の髪は随分と長く、後頭部で束ねられている。ポニーテールと呼ばれる髪型だ。美人というよりはかわいらしい顔立ちは十代後半だと主張する。ちなみにイリックの好みではない。
茶色いカーディガンもその上の皮鎧も膨らんでおらず、ゆえに胸はあまり大きくないのかもしれない。黒いズボンはピッチリと足のラインを表現しており、無駄のないその着こなしはこの少女の正装だと容易に想像できる。
青い皮製の鎧をまとっており、防御面積は少ないものの、コートだけを羽織るイリックよりは幾分まともに見える。武器は左腰の短剣一本のみ。
(さてさて……。楽勝だとは思うけど)
イリックはやんわりと見下す。一回戦、二回戦の戦いっぷりを眺めての感想だ。スルフィがいくつかの戦技を使いこなすことはわかっている。それでもなお、手ごわい相手ではないと踏んでいる。
「お二人共、ここまでの戦い、お見事です。この試合も全力を出し切ってください。王のためにも、自分達のためにも」
「がんばります」
アインの発言にイリックは力強く答える。ここで負けるつもりなどなく、そもそも勝てる相手に勝利を譲るつもりもない。
イリックにとって、武神祭は仲間のために勝ち上がらなければならない。
アジールに盾をプレゼントするために。
感謝の気持ちを形にするために。
喜んでもらうために。
スルフィがさっと銀色の短剣を引き抜いたため、イリックは呼応するように背中から銀色の片手剣を引き抜く。
「準備はよろしいですな?」
アインは二人を交互に見定めて、大きく呼吸を整える。これから戦う二人の名を挙げ、右手をゆっくりと持ち上げる。
観客のボルテージが上昇するにつれ、スルフィの殺意も高まっていく。
「始め!」
勝ち進んだ西の冒険者と、勝ち進んだ薬屋の娘がネレネン王国でぶつかる。
数奇な運命に導かれ、両者は武神祭以上の意味合いを背負って戦い合う。
先制攻撃かつ必勝方にもなりうる戦技を繰り出したのはスルフィだ。その場から動かず、マンイーターを握ったまま、右手を前へ突き出す。
真空圧。衝撃波を打ち出すモンクの戦技。再使用時間は一分と短く、ゆえに出し惜しみせずに使うことが可能だ。破壊力は腕力に依存するため、スルフィが放てばその威力は人間を殺せてしまう。
見えない攻撃な上に咄嗟のタイミング。ゆえに回避は難しく、イリックは両腕を前でクロスさせ、防御の体勢でそれを受け止める。腕まで伸びる赤いピーコートの生地がバリッと削ぎ落とされるが、裏を返せばその程度の損傷で済んだ言える。
耐えられたことが不本意だと主張するように、スルフィは短剣を握り締めていっきに距離を詰める。二回、五回、七回と振りぬくも、それらはミスリルソードで容易く弾かれてしまう。
渾身の一撃。全力に近い勢いでマンイーターを突き刺そうとした瞬間だった。スルフィの顔面に左ストレートが命中する。
乱撃ゆえに反撃の隙などないはずだった。しかし、わずかに力んだ結果、イリックにとっては攻撃のチャンスに繋がる。空いている左手を有効活用するように、剣撃ではなく殴りで相手を一先ず怯ませる。
「うぅ!?」
鼻が熱い。何かが流れる。鼻血だ。スルフィはよろめくよりも先に後方へ跳ね、一旦距離をとる。
ただ痛いだけで戦闘に支障はない。自然一体を使うか否か迷ったが、今は我慢することを選ぶ。
対戦相手は片手剣の使い。最悪の場合、四肢のどれかを切り落とされるかもしれない。回復を可能とする戦技は切り札として温存する。
イリックは反撃開始と鼻息荒く、鼻血を拭こうともしないスルフィ目掛け駆け出す。
上から下へ、ミスリルソードを単純に振り下ろす。その一打は重く、スルフィはかろうじて受け止めるも、歯を食いしばって耐えるのがやっとだ。
イリックは追撃を試みる。素早く姿勢を変えて、右足を相手の腹部に打ち込む。
ただの蹴りでしかない。しかし、冒険者の身体能力から繰り出される攻撃である以上、常人の枠からは逸脱している。現に、スルフィは模擬戦会場の端まで吹き飛ばされ、堅い壁に打ちつけられる。
スルフィの口からは、ありえないほどの血液が吐き出される。それは足元に小さな血の池を作るが、こんなことで戦意を失いはしない。
鼻血に加わり、口元からも血を垂らしながら、スルフィは痛む体を鼓舞するようにゆっくりと起き上がる。
「自然一体」
体から舞い上がる湯気が反撃開始の狼煙だ。ここから二分間は、多少の傷なら自動的に癒えてくれる。その間に倒すつもりで、ミスリルソードを構えるイリックに歩み寄る。
(やっと一つ使ってくれたか。いっそ使われる前に倒しちゃうか)
イリックは戦技を出し惜しみするスルフィにトドメを刺しに行く。傷を癒しながら前進を開始するスルフィの左側面に全速力で移動し、手前の足に斬りかかる。
「反応速度向上」
スルフィはこのタイミングで新たな戦技を発動させる。
反応速度向上。モンクの戦技。三十秒間、反射神経を向上させる。
これは想定の範囲外だったため、イリックは虚をつかれたように身動きが取れない。その上、これだけでは終わらない。
「真空圧!」
「はやっ!?」
マンイーターを握った拳から放たれる見えない衝撃。先ほど使ったばかりにも関わらず再び使えてしまうその利便性に驚きながら、イリックは左腕でとりあえず顔と首を庇う。ドシンと圧し掛かる重い打撃にじりっと体を押されつつも、左腕と体が痛むだけで済んだことに再度小さく息を吐く。
「キュア」
たいした負傷ではないが、念のための自己回復を行いつつ、イリックは相手をじっと観察する。
苦戦していたにも関わらず、なぜ一回戦と二回戦でこの戦技を使わなかった? そんな疑問を抱こうと、今はまだ答えに辿り着けない。
「腕力向上」
スルフィはイリックの予想をさらに上回ってみせる。
腕力向上。三十秒間、腕力が大きく上昇する。
スルフィは全力だ。否、それ以上と言っても過言ではない。
自然一体。
反応速度向上。
腕力向上。
これらを使った状態であり、なにより身体能力は一回戦、二回戦の時よりも向上している。ゆえに今回の相手にも勝てると踏んだが、その目論見は外れる。これでもなお届かない相手がトリストン大陸からの来賓だ。
高めた反射神経をもってしても、鋭い剣撃をいなしきれない。
高めた腕力でならミスリルソードの攻撃を受け切れるが、反撃のチャンスには結びつかない。
イリックの攻撃をかろうじて捌こうと、打撃が飛んでくるため生傷は耐えない。それは自然一体で解消されるが、状況は最悪だ。
反応速度向上と腕力向上はそれぞれ三十秒で効果が消え去る。その前に叩きのめさなければならない。
ゆえに最後の一つを披露する。脚力を高め、自身の速度を限界以上まで高める。
「脚力向上」
「お、やっと本気か。気張らないと」
スルフィのやる気を汲み取るように、イリックは気合を入れなおす。少女の身体能力が自分を上回った。そう捉え、攻撃よりも防御に徹する。つまり、戦技の効果切れを狙う作戦だ。スルフィがどれほど強くなろうと、多少の時間なら耐えられると踏んでいる。
イリックは一ヶ月の厳しい鍛錬を乗り越えたばかりだ。劇的な成長には至らないが、それでも強くなれたことに変わりはない。自分をしごいた一人が観客席から眺めている以上、下手な戦い方はできない。
スルフィは硬い地面を粉砕するような勢いで走る。上昇した脚力が矢のように体を突き動かす。対戦相手の背後にまわり、渾身の回し蹴りを浴びせる。
左腕で防がれるも感触は悪くない。少なくとも、腕はボキリと折ることに成功する。
間髪入れずにマンイーターで斬りかかる。時間がない。今はがむしゃらに攻めるしかない。
上から下へ、殺意がこめられた短剣の一振りをイリックは片手剣を受け止める。回避は間に合わない。それほどに腕の振りが素早い
「くぅ、キュア」
蹴られた腕が痛む。本当は泣き叫びたい程度には痛むが、戦闘中ゆえ我慢する。もっとも、回復魔法を使えるのだからそれを使えばいいだけであり、対戦相手の目の前で負った傷を癒してみせる。
「ぐぐぐ!」
「ぬおー!」
相手に覆いかぶさるようにスルフィはマンイーターを押し付けていく。
イリックは左腕の回復を終え、両手でミスリルソードを押し上げる。しかし、戦技による力量差はいかんともし難く、じわりじわりと押し負ける。片膝を地面につけ、必死の形相で踏ん張ることしかできない。
女神はスルフィに微笑んでいるのかもしれないが、勝利の女神とは別人だ。
イリックはミスリルソードの剣身を肩で受け止め、離した左腕をかわいい顔に叩きつける。女だろうと容赦しない。というわけでもないが、こうでもしなければ負けてしまう。
スルフィは重い拳を顔面に受け、軽く仰け反る。
自ら作り上げた隙を見逃すはずもなく、イリックは相手の短剣を上空に払い飛ばす。武器を失えば降参するだろう。そういう算段だ。
クルクルと舞い、短剣は勝者の手元に降り立つ。来たついでというわけではないが、何気なくそれを掴み取る。
その時だった。
イリックとマンイーターは共に戦慄する。感じたことのない悪寒が体を駆け巡ったからだ。
なつかしいと錯覚してしまうそれが何なのかわからないが、とにもかくにも両者は恐れおののく。
イリックは驚きのあまり、慌ててそれを投げ捨てる。この気持ち悪さは耐えられないこともないが、そもそも我慢する理由もなく、開放されたい一心でそうしてしまう。
マンイーターもそれは同じであり、この人間がただの人間ではないと嫌でも気づかされる。
その動作の真意など気づけないまま、スルフィは再び流れ始めた鼻血をすすりつつ、一瞬だが手放してしまった相棒を拾い上げる。
もはや勝負は決した。スルフィの体からは次々とモンクの戦技が時間切れを向かえて効果を失っている。
それでも戦うことを選ぶ。負けられない理由があるからだ。もっとも、その理由は書き換えられてしまう。
(この男は殺さないとダメ)
(そうなの?)
(ええ。絶対によん)
(――わかった)
このやり取りがスルフィに新たな感情を植えつける。
父親の仇をとるためにヴォイスを殺す。今まではこの目的だけに突き動かされていたが、ここから先は異なる。
トリストン大陸から渡ってきたこの冒険者を獲物と見なす。赤いコートを防具として装備する同い年くらいの男の子を絶対なる敵として殺さねばならない。
なぜそうしなければならないのか、それはスルフィにもわからない。マンイーターから流れ込む焦りにも似た感情が後押しし、本来なら抱かなければならない疑問に至れない。
イリックを殺す。ただただシンプルな目的は、スルフィにあっさりと黒い殺意を抱かせる。
敵わないかもしれない。それでも戦っていればいつかは届く。これはそういう武器であり、人間をあっという間に限界まで成長させることが可能だ。
この戦いにおいてもスルフィは幾分成長している。自分よりも強い相手との攻防は、所有者を急激に成長させる。それが肉体にどれほどの負荷をかけようが、銀色の短剣には関係ない。
「それ何?」
イリックは確認しなければならない。対戦相手が握る短剣がただの武器でないことが発覚したのだから当然だ。マジックアイテムにしては酷く気持ち悪いそれは、武器とは別次元の何かだ。
しかし、返答はなく、スルフィはゆっくりと前進を開始する。目は濁っており、まるで目の前の人間を殺すことに特化した道化だ。
そして急激に加速する。
「じゃあ、いいや」
教えてもらえないならどうしようもなく、イリックは容赦なくスルフィの右腕を切り落とす。
マンイーター。この武器がいかに危険なものか察知できた以上、勝負を長引かせるつもりはない。勝負が終われば回復してもらえる。そのことを承知しているからこそ、情けなどかけずに戦いを終わらせる。
右手が落下すると同時に、審判は素早く吠える。
「勝者! イリック!」
準々決勝、第一試合はトリストン大陸の冒険者であり、来賓でもあるイリックが勝利を掴む。
「ごめんね。キュアは手伝ってあげる。で、それ何なの?」
イリックは敗者に声をかける。戦いとは言え、右腕を切断したことを悔いており、必要はないのかもしれないが、せめてもの贖罪として回復を申し出る。ついでに短剣についても訊かねばならず、むしろ本命はこちらだ。
スルフィはそれどころではない。右腕が痛いということではなく、敗れたことがただただショックだからだ。
この男を殺さねばならない。
ヴォイスを殺さねばならない。
そのどちらも達成できず、今は一言も言葉が出ない。茫然自失な状態で、プリーストの軍人達に傷を癒されていく。
「お兄ちゃん! やりすぎ!」
「そうね、最後のはあんまりだわ」
観客席からイリックに向けて野次が飛ぶ。ネッテとロニアがご立腹だ。
(自覚してるけど……。わざわざ怒らんでも……)
シュンと落ち込みながら、イリックは許しを請うようにキュアを唱える。
イリックとマンイーターは接触する。互いが互いを異物だと認識できてしまう。そういう意味では初対面の印象は最悪だが、必要な接触だったのかもしれない。
この武器が何なのか。それを探らねばならない。イリックは頭の片隅に忘れないよう記憶する。
調べる方法は存在する。頭の良い学者に訊けばいいのだ。そのための人脈はありがたいことに出来上がっている。
繋がった両腕が痛むのか、指先一つ動かさず、敗者は呆然と佇む。
◆
準々決勝、第二試合。
ゆっくりと現れた二人に熱い視線が向けられる。
オールバックの髪型が似合う渋い男は異国の軍人だ。
銀色の鎧は特注品であり、その土地の冒険者は手にすることができない。装甲は薄く、重鎧と比べれば防御面積も少ないが、軽いことと動きを制約しないことから隊長や軍長は好んで選ぶ傾向にある。
背負っている片手剣はオーソドックスな武器だが、それは誰もが認める名剣を意味するのであって、決して手軽というわけではない。
デフィアーク共和国第三陸軍軍長、ウェイク。二人目の来賓もまた、トーナメントを勝ち進んでいる。
もう一方は優勝候補の一人であり、宰相が推薦した実力者だ。頭部の左右は鏡のように輝いており、中心に沿って茶色い髪が伸びている。モヒカンと呼ばれる髪型だ。
赤色と茶色が混ざる胴着には見栄えのする刺繍が施されており、両手には拳を保護する青いプレートが握られている。
最強の傭兵の一角と謳われているオランヤンだ。分類は前衛攻撃役のモンク。
(どちらが私と戦うことになるかな?)
観客席でどっしりと構え、周囲の人間よりも一際大きな男は考える。これから戦う二人の実力は、今回の武神祭の中では頭一つ抜けて高いと見抜いている。
(オランヤンは手ごわいぞ。モンクが繰り出す戦技の猛襲……、軍人に凌げるだろうか)
この男、ヴォイスは一年前の武神祭でオランヤンと決勝戦で戦っている。ゆえに身をもって知っている。戦技を多く習得しているモンクがいかに一対一では厄介な相手かということを。ましてはオランヤンは戦技なしでここまで勝ち上がっている。
ウェイクは相当の苦戦を強いられるだろう。ヴォイスはそう思わずにはいられない。
「ウェイクさん、がんばってー!」
ネッテが右手をつき上げて応援する。
隣に座るアジールも動作だけは真似る。
(う~む。いっそ負けてくれた方が俺としてはありがたいような……。でも、その場合、対戦相手がもっと化け物ってことになるのか。あ~、嫌だな~、勝てる気しないな~)
イリックの心中は複雑だ。この戦いの勝者が自分の対戦相手になるのだから。
この次の試合は準決勝。決勝戦で前回優勝者と戦うための切符をかけて戦わなければならない。
イリックはウェイクが勝つと予想している。その実力をこの国の誰よりも知っているからだ。
ゆえに、負けて欲しいとも願ってしまう。勝たれてしまった場合、準決勝でぼこぼこにやられる姿しか想像できない。
「バカなこと考えてないでちゃんと応援なさい」
「あ、はい」
ロニアは自分達のリーダーが何を考えているか見抜いている。母親のようにピシャリと釘を刺し、イリックは渋々応援を開始する。
隔離された観客席で、前かがみの老人はすっと目を細める。
「もしこの試合も勝たれでもした場合……、いえ、何でもございませぬ」
宰相は渋く言い淀む。
準々決勝の一試合目は西の冒険者が勝利した。
二試合目でウェイクが勝った場合、準決勝に進出する強者はトリストン大陸から招いた二人ということになる。
そのような状況は、ネレネン王国としてただただ恥ずかしい。ゆえにこの試合はオランヤンに勝ってもらうしかなく、不吉なことは言いたくないとベークは口を閉じる。
「戦時中でなかろうと、腕を磨くものはどこにでもいるということだな」
「そうなんでしょうね~」
王と王妃はこれから戦う両者を見下ろす。
ロメロンの言う通り、トリストン大陸では大規模な戦争はここ最近起きていない。前回勃発したオークとの戦争は既に七十年も昔のことだ。だからと言ってその大陸が平和だったかと問われれば、ハッキリと否定できてしまう。
一歩町の外に出れば、そこはモンスターが住まう広大な土地だ。
それなら中に篭っていれば平和だとも言い切れない。ジャイル村は煉獄のモンスターによって滅ぼされたばかりだ。
カルック高原周辺ではモンスターが大量発生し、日夜冒険者と軍人がモンスターの駆逐に励んでいる。
確かにトリストン大陸はアリカ大陸よりは平和かもしれない。しかし、それは様々な人間の努力の上に成り立っているのであって、冒険者や軍人のおかげだとも置き換えることができる。
彼らはモンスターとどう戦えばいいか、朝から晩まで考えている。とりわけ冒険者はそれだけに特化した人種だ。
ネレネン王国の人間からすれば、西の大陸に住まう人間は平和をただただ享受している落ちぶれた連中に見えてしまうのかもしれない。しかし、それは偏見でしかない。
少なくとも冒険者や軍人は、平和を維持するために戦略を練り、腕を磨き続けている。
乱暴な言い方をすれば、リザードマンやオークを倒しきれないネレネン王国の国民こそが、トリストン大陸の人間よりも劣っているのかもしれない。
ゴブリン、ジャイアント、オークといった軍勢との戦争に勝利し、三大大国は今の平和を築き上げている。
オークが派遣している軍隊の規模は大陸によって全く異なるため、単純に比較はできないが、少なくともデフィアーク共和国を代表する軍人とネレネン王国の傭兵はどちらが強いのか、この試合で決する。
「わしはオランヤンを応戦しますぞ。ふぁいとじゃ~」
ベークはしわしわな拳をつきあげる。その声量では睨み合う二人には届かないが、年寄りゆえ仕方ない。
(誰が勝とうと関係ない。最後はヴォイスが勝つのだからな)
ふん、と鼻息荒く王は笑う。
この戦いも、次の準決勝も、決勝戦の前哨戦でしかない。ヴォイスは誰と戦おうが必ず勝利する男だと確信しており、今はただ余興を楽しむつもりで試合開始を待ちわびる。
三人目の男がそこに現われる。選手よりも長身な男は赤い鎧をまとっており、金色の装飾が地位の高さを物語る。
審判役のアインは両者に一言二言語りかけ、観客席に選手の名を轟かせる。
どちらがイリックと戦うのか、それを決める試合が始まる。
「始めっ!」
すぱっと言い切り、審判がその場から消える。
一瞬の静寂が会場を包み込み、小さな一歩がじりっと地面を擦る。二歩、三歩と距離を詰め、優勝候補がギロリと目を輝かせる。
「はいぃ!」
両者の距離にはまだ開きがあった。長さにして二メートル。到底攻撃など届かない。しかし、オランヤンの右手はウェイクの顔を掠める。打撃を繰り出す刹那、目にも留まらぬステップでその距離を詰め終えたからだ。
(速い)
ウェイクの左頬がわずかに切れ、大げさに血液が流れ出る。浅い傷ゆえ怯むこともせず、左肘を相手の胴着に打ち込む。
(いない?)
まるで今の攻撃が幻影だったかのように、オランヤンの姿がウェイクの目の前から消え去る。ゆえに反撃は届かず、しかしそれよりも重要なことがある。
オランヤンは試合開始地点でファイティングポーズを維持しながら立っている。
もちろんウェイクはこのカラクリを見切っている。同様のことが可能な部下がいるからだ。
後方跳躍。前衛攻撃役、正確にはモンクが習得可能な戦技。その名の通り、後方へ移動するためだけの戦技だ。方向と距離が限られた瞬間移動であり、再使用時間は一分と短い。非常に使い勝手が良い。
両者は前衛攻撃役だ。すなわち、接近しなければ戦えない。近づかなければ相手を倒せない。
ゆえに、ウェイクはそれを実行する。にじり寄ったオランヤンとは対照的に、グンと足に力をこめ、およそ数メートルを駆け終える。
オランヤンはナックルガードに相当する格闘武器を握っている。青いそれはアダマン製の非常に頑丈な装甲でできている。イリックやウェイクが扱うミスリルソードよりも二つもランクが上だ。すなわち、それを打ち破ることは決してできない。
もっとも、相手は胴着を着ているだけゆえ、大部分が攻撃可能な部位だ。ウェイクは青い格闘武器アダマンナックルの有無を気にせず、オーソドックスながらも王道な斬撃で反撃を開始する。
トーナメントを二勝した実力は伊達ではない。そう訴えるように、オランヤンは頭上から迫る銀色の剣身を最後まで眺めながら最小限の動作で回避する。
両者の動きが静止する。ほぼ密着上ゆえ、観客席にまで異常な緊張感が走り抜ける。
先に動いたのはオランヤンだ。足先の床に叩きつけられたミスリルソードを最小限の動作で蹴り飛ばす。
それでも離すわけにはいかず、ウェイクは蹴られた方向へ自身も飛び、右手に加わる衝撃をある程度いなしやりすごす。
着地と同時にウェイクは気づかされる。対戦相手が見当たらない。もちろん立ち去ったわけではなく、しかし、一瞬考えてしまった結果、対応は間に合わない。
相手の視界外から背後にまわったオランヤンは、全力の正拳突きを軍人の背中に浴びせる。仰け反り、くの字で吹き飛ぶその姿は、勝敗が決したと見間違うほどだ。
ミスリルソードを手放し、ウェイクは観客席を構築する壁に叩きつけられる。
「が、がんばってー!」
ネッテは慌てふためきながらエールを送る。負けてしまうかもしれない。そんな考えが頭をよぎってしまう。
「あら、すごい。世界って広いのね~」
ロニアは感嘆の声をもらす。第三陸軍軍長の実力は十分知っている。イリックを上回る化け物をさらに上回る人間がいることに、驚きを隠せない。
「今のうちだー。二十回くらい蹴り飛ばせー」
イリックは小声で応援する。身内ではなく対戦相手のオランヤンを。
「あなた、時々さらりと毒を吐くわね。こうなったらどっちが勝っても変わらないでしょうに」
「いえいえ。のん気に様子見して、挙句に失態を犯したウェイクさんが悪いんです。オランヤンって人なら俺の敵じゃなさそうなので、がんばって勝ってもらわないと」
イリックの発言にロニアは首を傾げるが、アジールもまた見抜いている。両者の力量差と、今後の展開がどうなるか、それは既に決定している。
イリックとアジール以外にもう一人いる。ヴォイスだ。一見するとオランヤンが勝っているように見えるこの攻防から、真の勝者を見極める。
観客の大多数は、今の一撃でオランヤンが勝利したと勘違いしている。地に伏せるウェイクの姿はまさに敗者のそれでしかない。審判役の三人もそう思っている。
イリックの応援も空しく、ゆっくりとオランヤンが歩き始めたことから、この戦いは消火試合と化す。
オランヤンが地面に転がっている銀色の片手剣に辿り着いたタイミングで、ウェイクがゆらりと体を起こす。
「立ち上がるか……。手ごわい、実に手ごわい。しかし!」
オランヤンは今の正拳突きからウェイクがどれほど頑丈な男か見切っている。普通の人間は当然ながら、並の傭兵でも絶命するか気絶してもおかしくない威力にも関わらず、まるでネレネン王国に存在する三つの塁壁の如く、この男を打ち破るには至れていない。
ウェイクは痛がる素振りすら見せず、体の汚れを気にも留めず、落し物をじっと眺め対策を講じる。先ずは拾わなければならない。頭の固いウェイクはそれだけを考える。
そして歩き出す。ミスリルソードの近くには対戦相手が立っており、どいてもらうか拾ってもらうか、現状その二択しか存在しない。
「素手であろうと手加減はしない。しないぞ!」
オランヤンは届かない距離からまたも正拳突きを披露する。それは戦技のためであり、放たれた衝撃波がウェイクをドシンと押し戻す。
真空圧。モンクにとって唯一の遠距離攻撃だ。威力は使用者の筋力に比例するため、オランヤンの放つこれは決して人間に向けてはいけない。
しかし、この男には傷を負わせることすらできない。一瞬前進を阻害されたが、逆に言えばその程度でしかなく、歩みを再開しミスリルソードを目指す。
「先ずは拾わせてくれ」
「そうはさせん!」
ウェイクの申し出をあっさりと断り、オランヤンは次なる戦技を繰り出す。立ちはだかるように距離を詰め、ボディブローを当てに行く。
速く、重い一打だが、ウェイクはあっさりと右手で受け止める。アダマンナックル越しであろうと、この程度は素手で受け止められる範疇だ。
それでも対戦相手は満足そうに両手でラッシュをしかける。狙いは達成した。ゆえに攻撃の手を休めずにその時を待つ。
一旦歩みを止め防御に徹するウェイクだったが、先手を打たれたと今になって気づく。右手がバシンと弾かれたからだ。
原因はオランヤンの両手から繰り出される猛攻ではない。その直前に放たれた重たい一撃だ。
錬気打。モンクが習得する戦技の一つ。相手に与えた一撃が数秒遅延して再発生する。
ラッシュの最中に発生したこれは、ウェイクの右手を一瞬だが硬直させる。本来防がれるはずだったが拳が、ウェイクの顔や上半身に届く。
じりっとウェイクは足を下げ、両者の間に再び距離が開く。
「これほどにタフな相手……。ヴォイス以来だ。以来だな」
「それは光栄だ」
オランヤンは確かに有効な打撃を当てることに成功した。にも関わらず、ウェイクは擦り傷程度しか負わない。
人間が加工できる限界寸前のアダマン鉱石。それを素材とするアダマンナックルは、オランヤンの常軌を逸した腕力を上乗せされてウェイクの顔や胸に叩きつけられた。しかし、この男を傷つけるには至らない。第三陸軍軍長もまた、三将軍やヴォイス同様、人間を越えた人間だと思い知らされる。
オランヤンは一年前にその一人に敗れている。その経験から、眼前の対戦相手にも敵わないとこの瞬間に悟らされる。それでも諦めない。一年前の敗北以降、傭兵としての数多くの任務をこなしてきた。その量は他の同僚達を数倍も上回る。もちろん金のためではない。数多くのモンスターを倒し、己を鍛えるためだ。
そして辿り着いた極致。オランヤンはそれを披露する。
勝てない相手に勝つために。
この試合で負けないために。
眼前の軍人がミスリルソードを拾う前に。
決勝戦でヴォイスに再戦するために。
オランヤンは手に入れた新たな力を発動させる。
「限界突破! 突破だ!」
「ほう……。俺の知り合いにも一人しかいないぞ。やはり侮れない相手だったな」
オランヤンの体が黄色いオーラに包まれる。この現象はモンクが習得する希少戦技以上に珍しい戦技の副次効果だ。
ウェイクは唸る。あまりに稀有なこの戦技は、デフィアーク共和国の軍人でも一人しか該当しない。それほどに習得者が少ない、そして強力な戦技だ。
限界突破。効果時間は一分間。再使用時間は三十分。効果は、あらゆる身体能力を大幅に向上させる。シンプルな性能だが、上昇具合が大きく、何より己が肉体で戦う傭兵にとっては最大級の戦技と言える。
「卑怯と言われようが、このまま倒させてもらう」
「決して卑怯ではない。さぁ、来い」
オランヤンは力が具現化したような黄色い闘気を激しく揺らしながら、素手のウェイクに襲いかかる。
今までの比ではないその速度は、ウェイクに回避行動すらとらせずに右ストレートを叩き込む。だが、命中したかと思われたそれは、左手で受け止められる。
拳を掴まれた状態で、左足を大きく上げて上段蹴りへ移行する。それもまた右手で防がれる。
オランヤンはいくらか力量差が埋まったのだろうと考えつつも、まだ越えられていないことに恐怖する。
一旦離れ、体勢を立て直そうとしたその時だった。ウェイクが追いかけるように距離を詰め返す。ミスリルソードを拾うのではなく、自身もまた、格闘戦に持ち込む算段だ。
空気を圧縮しながら右手を打ち込む。
避けられない。オランヤンはそう察するも、まだ諦めない。こんなところで敗退するために武神祭に出場したのではない。決勝戦で最強の傭兵と戦わなければならない。そのためにはこの状況を凌ぎきらなければならず、本能的に次の戦技を発動させる。
自然と体が動き、迫る拳をやり過ごす。同時に足が独りでに動き、それはカウンターとなってウェイクの体を蹴り飛ばす。
絶対回避。モンクが習得できる戦技の一つ。迫り来る攻撃を自動的に回避し、なおかつ蹴りを同時に成立させる。再使用時間は二分と短く、そもそもモンクの戦技は多くが比較的短時間で使える。戦技による波状攻撃こそがモンクの戦闘スタイルと言える。
追撃として、オランヤンは真空圧を放つ。地面に着地したウェイクは見えない衝撃に晒され、さらに吹き飛ばされる。
(これで終わったか? 終わってくれ)
オランヤンは願う。対戦相手の底知れぬ実力に恐怖してしまった時点で勝敗は決してしまったかもしれない。そう思いながらも、戦うことを選べたこの男はやはり優勝候補に相応しい。
しかし、勝者には成りえない。今回に関しては相手が悪かった。腹をこすりながら、ゆっくりと立ち上がるウェイクが次の瞬間に勝利をもぎ取るからだ。
「イリックなら死んでいただろうな」
(でしょうね~。と言うか、なんで俺を引き合いに?)
ウェイクの独り言は観客席のイリックに届く。それほどの痛打に耐え切ったばかりか、たいしたダメージに繋がっていないことが、戦っているオランヤンは当然ながら、審判役の三将軍や王達を驚愕させる。
西の大陸から渡ってきたこの軍人も、超人の域に達していると。
「さて……」
右腕をぐるんと一周させ、ウェイクがその場から消え去る。目で追えたのはイリック、ネッテ、ヴォイス、三将軍だけだ。残念ながらオランヤンはそこに含まれず、すなわち自分が殴られたことで状況を察するしかない。
前進しながらの叩きつけるような右ストレート。ただただ単純なこの攻撃は、オランヤンを一度地面に押し付けた後、観客席まで吹き飛ばす。
この大会に場外負けは存在しない。観客席への移動は禁止だが、相手の攻撃によって乗り込んでしまった場合は戻れば試合再開だ。
しかし、今回は再開されない。オランヤンが意識を失い、審判のアインが勝者の名を宣言したからだ。
「勝者! ウェイク!」
歓声は一人分しか聞こえない。きゃっきゃと喜ぶネッテのかわいらしい声だけだ。
アジールはそもそも無口であり、いちいち声を出さない。
ロニアは騒がない。
イリックは内心悔しがっている。オランヤンになら勝てるが、ウェイクは別だからだ。
他の観客達は異常な戦いに声も出ない。それもそうだろう。モンクのオランヤンに、素手のウォーリアが勝ってしまったのだから。
「手ごわい相手だった。非常に楽しかった」
ウェイクは鼻と口の間に生えるヒゲを撫でながら、心底うれしそうに勝利を喜ぶ。
準々決勝第二試合はこうして終わる。
勝ち残った選手は残り二人。イリックとウェイク。西の大陸から招かれた来賓が、武神祭を席巻する。
次は準決勝。この二人が決勝進出をかけて勝負する。
(でしょうね~。当然勝ちますよね~)
身内が見事勝利したにも関わらず、イリックは素直に喜べない。次の試合では自分がぼこぼこにやられるからだ。
(がんばってみるかな~。勝てるかな~)
それでも勝たなければならない。アジールのために優勝賞品を手に入れたい。
次の試合でウェイクは知る。仲間のために己を鍛えたイリックがどこまで強くなれたのかを。




