第五十五章 トリストン大陸の実力者達
比較的平坦なサウノ商業国とガーウィンス連邦国に対し、デフィアーク共和国の街並みはいくらか立体的な構造を採用している。
最も低地な場所は港であり、ギルド会館や市街地へ向かうにつれ、徐々に階段を上がることになる。一方で住宅密集地や店舗が立ち並ぶ二本の大通りには、またも階段をいくらか下る必要があり、この国は山沿いを切り開いて作られたと容易に想像できる。
ネレネン王国はアリカ大陸の西に位置する広大な平原に成り立つ。それでもその街並みはデフィアーク共和国以上に立体的だ。
右を向いても、左に視線を向けても、正面を眺めようと、壁のようなものが視界に映り込む。それらはトンネルのように通路が設けられており、二階とも言うべき階層へ上がるための階段があちこちに存在する。
店や施設は、石畳の一階や石を積み上げて作られた二階に点在しており、用事によっては世話しなく階段の上り下りを強制させられる。
そんな薄茶色の街並みを眺めながら、一行は先頭を歩く男に案内されながら今晩の寝床を目指す。
ここはネレネン王国。
すなわちアリカ大陸。
冒険者としてここに足を踏み入れたのはこの四人が初めてだ。付き添いの軍人もその立場は同じであり、もっともそんなことで感動はせず、目に映る街並みが五人の感情を昂ぶらせる。
「こちらがこの国で最も由緒ある宿屋でございます。武神祭の開催は明後日となります。その日は朝から迎えに参りますので、どうぞごゆるりとおくつろぎを下さい。店員には言付けておりますので、何かございましたらなんなりとお申し付けください」
「あ、ありがとうございます」
非常に低姿勢かつ丁寧なこの男はイリック達の案内を任された王宮の人間だ。黒い服はだぼっと膨らんでおり、それは下のズボンも変わりない。
男にしてはやや長い茶色の髪はすらっと顎あたりまで垂れており、決して若くはないが、肌艶は随分と良い。
「大変助かりました。近隣の土地へ軽く赴くことは可能でしょうか?」
「はい。ですがお気をつけ下さい。モンスターがはびこっております。必要とあらば傭兵を手配致しますので、その際は店員に言付けて頂けると助かります」
ウェイクはイリック達に代わり、外出許可を取り付ける。すなわち、この地での冒険も可能だということだ。
もちろん、二日後には武神祭が開催されるため、それまでには戻らなければならない。
五人は案内人に別れを告げ、三階建ての随分と大きな建物に足を踏み入れる。イリック達のことは既に把握済みらしく、店員は五人の名前を順に読み上げ、それぞれの部屋に案内する。
(よっし! 個室!)
そう。ここでの宿屋生活は全員個室だ。ネッテだけが頬を膨らませるが、兄は当然のように無視する。
五人は三階の最も立派な部屋に通される。とは言え話し合わなければならないことがあり、ウェイクはイリックの部屋で椅子に腰掛ける。
一人で寝るにはやや広いベッドは一つ。
丸いテーブルも一つ。
背もたれに柔らかそうなクッションが採用されている椅子も一つ。
一人用だがいくらか広く、これら家具が置いてあっても自由に歩ける空間が確保されている。
四角い窓枠からはネレネン王国の街並みを眺めることが可能だ。ここは三階ゆえ、随分遠くまで見渡すことができる。
「先ずは報告だな」
「そうですね」
イリックは既にマジックバッグからそれを取り出し、丸いテーブルの上にちょこんと設置している。
黒い水筒のような、しかし下側が少しだけ膨らんでいるそれは小型化されたエレメンタルフォンだ。
アリカ大陸に渡ろうと通信機能は衰えない。今は手に入らないドラゴンの骨がそれを可能としている。
ウェイクがガーウィンス連邦国のギルド会館と会話を始めたタイミングで、イリックはどさっとベッドに横たわる。三日間の船旅ゆえ、少々疲れている。ただそこにいただけなのだが、船の上にいるという心構えと状況が体力を徐々に奪い去ってしまう。
到着前に今日の過ごし方は決めてある。一言で言えば自由行動だ。
初めてのネレネン王国。市街地を歩くだけでも時間はいくらでも潰せてしまう。五人がぞろぞろと集団で歩くと目立つだろうという推測の元、一同は一人ないし数人でこの国をうろつくつもりでいる。
イリックのやりたいことはシンプルだ。
釣り。
傭兵会社の見学。
この二つだ。
釣りに関しては何時間でも没頭できてしまう。
傭兵会社については、そもそもそれが可能なのかどうかもわからないため、ウェイクとの話し合いが済み次第、二人で向かってみるつもりだ。
ゴルドからも、そして先ほどの案内人からもこの国がいかに危うい状況かは聞かされている。
リザードマンとオーク相手に戦争中。
それらが攻めてくる際は事前にわかるようになっているものの、突然の出現も警戒しなければならず、そういう意味では領土の外へ出ることは非常に危険だ。
東にはビリット平原が広がっており、その北にはママカ荒野、南にはキナイ草原が隣接している。
一日、二日で後者の土地には辿り着けないが、ビリット平原くらいは探険してみたいとイリックは考えている。
ガチャリとノックも無しに扉が開く。ネッテとアジールが顔を覗かせる。もちろん、ネッテの顔が下で、その上にアジールの綺麗な顔が並んでいる。
「お外行ってくるねー。晩御飯どうしよっか~?」
「あ~、飯か……。それも今日は自由にしよう。俺もぶらついてから考える」
「は~い。行ってきます!」
「ます」
そしてネッテとアジールの姿が見えなくなる。女性陣三人は仲良く町をぶらつく。残された男二人はそこまで急ぐこともなく、そもそもウェイクはまだガーウィンス連邦国と通信の最中だ。
「ああ、変わろう。イリック、ゴルド殿だ」
ウェイクの報告が一段落ついたのか、イリックに指名が入る。断る理由もなく、イリックは言われるがまま、ウェイクと入れ替わるように椅子へ座り、黒い筒と向かい合う。
「はいはーい」
「そっちはどうじゃ?」
「町の構造から随分と違うなぁ。早く散歩に行きたいくらい」
「そうじゃろうな」
イリックとゴルドは取り留めのない雑談から会話を始める。もっとも、ゴルドには伝えておきたいことがあり、このタイミングで言う必要もないのだが、トゥルルのために早速このやり取りの真意を口にする。
「そっちでやりたいことが済んだらで構わんから、わしとトゥルルをエムム遺跡まで連れてってはくれんかのう? テレポートの移動先に残っておるんじゃろ」
「良くご存知で。いいですよ」
エムム遺跡。ガーウィンス連邦国の遥か南に位置する古代人の遺跡。大木が覆うサファ樹林の奥深くに存在するため、地理的に遠いということとなによりモンスターが手ごわいことから調査はあまり進んでいない。
ゴルド達はサハハ遺跡の調査を進めているが、同時に他の遺跡も見ることで共通点や手がかりがないか調べようとしている。
「とりあえず今はネレネンを満喫するんじゃ。武神祭では無茶するんでないぞ」
祖父と孫のようなやり取りはこうして終わる。やるべきことを済ませた二人は、女性陣の後を追うように外へ繰り出す。
ネレネン王国を満喫。ゴルドに言われるまでもなくそのつもりでいる。
イリック達はトリストン大陸の人間だ。そしてここはアリカ大陸。先ず、文化が異なる。
この国には冒険者はいない。似た職業として傭兵が存在する。
冒険者と傭兵の違いは、思考の方向性だ。
冒険者は己の欲求を満たしたい。
傭兵もそれは当然だが、それと同じかそれ以上に祖国を守りたい。
傭兵がそう考える理由はシンプルだ。ネレネン王国が外敵の脅威に晒され続けているからだ。
リザードマン。
オーク。
周囲のモンスター。
これらはネレネン王国を何百年も滅ぼそうとし続けている。ゆえにそこに住む人々は戦わなければならない。守らねばならない。
トリストン大陸の人間は、ネレネン王国ほど危機的状況には置かれていない。
オークやゴブリンとは何度も争ってきたが、全ての戦争で勝利を収め、オークに関してはトリストン大陸から排除できている。
ゴブリンはかなりの数が生息しているが、結束して人間に戦争をしかけるほどの戦力を要していない。
自分達を滅ぼすほどのモンスターがトリストン大陸に同居していない。こういった背景から、冒険者達は傭兵や軍人ほど使命感を抱いてはいない。
もちろん、彼らが知らないだけでそこに住まう人々は命の危険に晒されていた。それらはイリック達無名の冒険者によって回避されただけであり、そのことを知る人物は非常に少ない。
冒険者と傭兵は似ているようで異なる。背負っている物が違う。置かれている立場も別だ。
どちらが強いのか? その疑問は意味を成さない。
冒険者も傭兵も、全員が個性ある人間だ。何らかの方法で平均値を見出すことが可能なら、優劣を決めることは可能なのかもしれない。
そのような遠回りは必要ない。直前まで迫る武神祭がわかりやすく結果をもたらしてくれるからだ。
武神祭の開催まで、残り二日。
胸が高鳴る理由は待ち遠しいからか、異文化との接触が原因か、それはイリック本人にもわからない。
◆
「いやはや、すごいですね、ここ」
「見るもの全てが新鮮だな。お、これも美味いぞ」
笑い声と騒音と食べ物の匂いで満ちるこの店はネレネン王国で最も栄えている酒場だ。非常に大きなフロアには四角いテーブルと安上がりな椅子が綺麗に並べてあり、それは当然のように全て埋まっている。
一日を締めくくる夕食時ということもあり、誰もが腹を空かせてこの店に足を踏み入れる。それはイリックとウェイクも例外ではなく、見慣れない料理に少し驚きながらも嬉々としてかぶりつく。
灰色のいかにもといった鎧をまとう男達はこの国の軍人だ。同僚と楽しそうに酒を酌み交わす。
丸い帽子は赤く、茶色い装束にはグネグネと植物のような模様が描かれている。人気の防具なのだろう、ちらほらと身に付けている男や女を見かけることができる。彼らは傭兵だ。他にも大勢がここで夕食に舌鼓しており、イリックとウェイクは彼らの装備を初めて目にするため、ついつい凝視してしまう。
「料理名だけじゃ、それが何なのかさっぱりわかりませんね」
「そうだな。とりあえず頼むだけだ」
こんな時でもウェイクは男らしい。
異国でも動じないそのおとこ気を見習いたいと思いながら、イリックは魚と野菜が交互に刺さっているネレネン風串焼きをほうばる。
(うん、美味い。なんて魚だろう?)
肉料理かと思いきや、刺さっていたのは魚の白身。ゆえにイリックはご満悦だ。
この酒場を利用する客は当然全員がネレネン王国の国民だ。料理と酒で胃を満たす連中の半分以上はモンスターを倒せない一般人だが、それ以外は軍人や傭兵であり、宴のように盛り上がっている。
イリックはきょろきょろと周囲を見渡す。ギルド会館が冒険者の見本市なら、ここは傭兵のそれだ。見たことのない装備がところ狭しと陳列されているに等しく、興味本位で眺めてしまう。
そしてそれを見つけてしまう。
「あの眼鏡のお兄さん。それと、あそこに座ってる赤い髪の盾役っぽい人も、俺達と同じミスリルソードを持ってますよ」
「そのようだな。ネレネンにもデフィアークから輸出されているのか。知らなかったな」
ミスリル製の武器はデフィアーク共和国が一手に生産している。それを可能とする職人とギルドがそこにしか存在しないからだ。作られた装備品の多くはサウノ商業国に輸出されるが、ネレネン王国にも少ないなりに渡っている。
「この国の武器も防具も、曲線的というかなんというか……」
「曲刀、湾刀と呼ばれる類だな。槍や斧についても、トリストン大陸とは少々毛色が異なるようだ」
例えば片手剣。
トリストン大陸で生産される剣は比較的直線的な刃をしている。
一方、ネレネン王国産の剣は、刃が緩やかに曲がっていたり、反った片刃を採用している。遥か東の小国で生まれた刀に影響を受けている証拠だ。
防具のデザインも少々異なる。
トリストン大陸の鎧や装束はシンプルかつ無骨な傾向にある。装飾は少なく、ただただ防御性能だけを突き詰めた結果だ。
アリカ大陸の場合、先ず色合いからして艶やかだ。赤や紫、青といった目立つ色を採用していたり、一見すると必要なさそうな装飾や模様が備わっていることが多い。
戦う者にも華を。そういうことなのかもしれないし、職人達のこだわりなのかもしれない。
「派手な国ですね~」
イリックの発言にウェイクは黙る。おまえがそれを言うのか。そう言いたいところをグッと堪える。
イリックは血のように真っ赤なピーコート、ブレイズマーシャラーを羽織っている。ネレネン王国においても、十分目立つ存在だ。
注文した料理を一通り食べ終えた頃合いに、ウェイクは明日の過ごし方をイリックに問う。ウェイクとしてはイリック達についていくだけのつもりであり、もちろん色々と見て周りたいのだが、付き添いという立場を軽率にするつもりもない。
「今日、ちらっと寄った傭兵会社に全員で行きませんか? おもしろいもの見つけましたよ。その後はまた自由時間でいいかなと思っています。明後日のために英気を養う的な」
「わかった。イリックは何をするつもりだ?」
「釣り」
ずばっと言い切るイリックに、ウェイクはこれといった反応を示さず納得する。ここはネレネン王国。西側の港は海に面しており、イリックが釣りをしないはずがない。
宿屋に戻った二人は、女性組がまだ戻っていないため自室でゆっくりと時間を潰しながら微妙に疲れた体と頭を休める。
アリカ大陸ではどんな魚が釣れるんだろう? そんなことばかり考えていると、ノックも無しにゆっくりと扉が開かれる。
「お・に・い・ちゃ・ん」
聞き飽きたその声は普段よりは幾分艶っぽく、それゆえに兄は兄として兄らしく振舞うことを決意する。
「部屋に戻れ」
「やだ!」
吠えるようにネッテが侵入してくる。入浴を済ませた後らしく、薄手のかわいらしい桃色の寝間着を着ている。長い髪は束ねられておらず、そのままの状態で垂れている。歩く度にゆさゆさと大きく揺れる。
「んっふっふ~」
ベッドに仰向けで横たわるイリックに、ネッテはニヤニヤしながらそっとくっつく。
「部屋に戻れ」
「今日はここで寝るー」
(なんだと……)
普通に嫌だ。せっかく個室が宛がわれたのだから、一人の時間をゆっくりと堪能しつつ、一人でぐっすりと眠るつもりでいた。
イリックは比較的妹に甘い兄だ。冒険の際はネッテと同じ寝袋を共有する。宿屋に泊まる際も、基本的に女性陣との同室を諦めた上でさらにネッテと一つのベッドで眠ることが多い。
しかし、今日は個室。今回の旅では個室。そういう時くらいは一人でいたいものだ。そんな願望は、顔をすりつけてくる小動物のようなネッテによって粉砕される。
「今日はみんなと何見て周ったんだ?」
「ぐるっと一周してからお茶したよ! 大きなお茶屋さん見つけたんだ!」
ネッテは嬉々として目を光らせる。顔の動作に、長い髪が少し遅れて付随する。
「へ~。そこには行ってないな。さっき言った通り、明日は傭兵会社行くけどその後は自由時間だから、その時にそこ教えてくれ」
「うん。ケーキとチャイが美味しいんだ~」
「チャイはここ発祥の紅茶らしいからな~。本場は違うのか」
チャイ。イリックとネッテは今ではすっかりこの紅茶の虜だ。初めての旅でワシーキ村に向かい、リンダに飲ませてもらって以降、兄妹は紅茶の良さをついに理解する。イリックの言う通り、チャイはネレネン王国から三大大国に伝わった飲み物だ。美味しい製法、食べ合わせという点では発祥国が最先端を進んでいるのかもしれない。
「食通集団って名乗る人達がいてね~。変な被り物してるんだけど、新商品を店員さんに提案してたりして、おもしろかったよ」
(不思議な国だな)
その後もネッテがペラペラと今日の感想を述べ続けるため、イリックは相槌を打ちながら耳を傾ける。
その日はなし崩し的に二人で眠ることになったが、兄としてはこれこそが日常であり、異国でもその習慣は変わらないのだなと学ぶ。
翌朝。雲一つない空に浮かぶ太陽が市街地をやさしく照らす。大陸が異なろうと朝は一層世話しなく、町行く人々はどこか早足だ。
全員は町をぶらりと見て周ってから、イリックの提案で傭兵会社の一つ、岩砕傭兵団に向かう。
イリックとウェイクは昨日も立ち寄ったが、その際にとあるものを発見したため、それを確認するためにも再度足を運びたかった。
ギルド会館ほどではないが、それでも十分広い建物の中には、所属する傭兵と彼らを支える職員がざわざわと一日の始まりを歌う。
ギルド会館は四つの掲示板にクエストが貼られるが、傭兵会社の場合、発行される任務は全て窓口の職員が案内する。その窓口は全部で六つもあり、目的地に応じてそれらは使い分けられている。
傭兵達は窓口に掲載されている任務の中から、自分の実力に見合った仕事を選び、職員から発行してもらう。
イリック達の目的地はそこではない。隅っこに立ち、傭兵達をニコニコと眺めている人の良さそうな角刈りの職員だ。正確には、その近くの棚に鎮座する不思議な装置だ。
大きさも形も地球儀のようなそれは、しかし地図のようなものは一切記されておらず、ただただ黄色いだけの球体だ。マジックアイテムであることは昨日の内に見抜いており、何よりその用途がイリックを驚かせる。
壁には五人が見たことも聞いたこともない単語がずらりと並んでおり、この装置はそれらと関係している。
「おや、初めて見かける方々ですねー。もしや! 我が岩砕傭兵団を希望される傭兵志望の方々ですか!?」
イリック達に気づいたこの男は受付兼人事を担当する職員だ。短く刈り上げられた茶色い髪は清涼感を演出しており、どこか間抜けそうな顔つきや雰囲気を幾分相殺している。
この職員は人事を担当しているだけあり、所属する傭兵全員の顔と名前を覚えている。ゆえにイリック達が傭兵でないことを一目で見抜いてみせる。
「いえ。あ~、ばらさない方がいいんでしたっけ?」
「いや、必要とあらば構わんぞ」
自分達の素性を明かしていいのかどうか迷うイリックに、ウェイクは胸を張りながら補足する。
「俺達はトリストン大陸から渡ってきたんです」
「あ~! お~! 武神祭に招かれた方々ですね! 社長から話は聞いていますよ! うちの会社に入られたいんですか?」
「いえ、これに興味があって……」
どこか勢いのある青年に少し仰け反りながら、イリックは黄色い装置を指差す。昨日から気になっており、そもそもその効果は非常におもしろそうだ。
「あ~! 西の皆さんはご存知ないのかもしれませんね。これは傭兵の分類を確認するためのマジックアイテムです!」
「そういうこと……。聞いたことがあるわ。ネレネン王国は魔法や戦技の研究が三大大国より進んでるって」
ロニアは魔法学校に勤めていた際、時折ネレネン王国の噂を耳にすることがあった。ガーウィンス連邦国とネレネン王国は浅いなりにも貿易を続けており、ゆえにそういった情報もわずかながらに舞い込む。
「こちらをご覧下さい!」
男が背後の壁を指差す。そこにはでかでかと羊皮紙が貼られており、イリック達には理解できない単語がずらりと並ぶ。
「この、ウォーリアとかモンクって何ですか?」
「おぉ! そこからなんですね! くぅ~! 一から全てご説明します!」
イリックの質問がなぜかうれしいらしく、職員は意気揚々と話し始める。
全ての人間はこの羊皮紙に書かれているどれかの分類に属する。トリストン大陸風に言うならば、盾役、前衛攻撃役、後衛回復役といったものだ。
ネレネン王国はこの部分で三大大国よりも研究が進んでおり、さらなる分類分けに成功する。
それらには名称をつける必要があり、ネレネン王国は次のように定義する。
パラディン。
ダークナイト。
ウォーリア。
ローグ。
モンク。
侍。
ハンター。
バード。
メイジ。
シャーマン。
ドミネーター。
プリースト。
ドルイド。
合計十三の分類が人間の正しい属性だと辿り着く。
職員の隣に鎮座する地球儀のような黄色い装置は、手をかざすだけでその人間がどれに当てはまるのかを教えてくれるマジックアイテムだ。
「では、早速やってみましょう! あ、もちろん無料ですよ!」
説明を終えた職員が、嬉々として五人に分類調査を勧める。
「おお~。おお~?」
(あ、やっぱりわかってないな)
ネッテは驚きはするものの、今の説明では理解しきれなかった。
兄は鋭くそれを察する。
「すごいわね。この情報はトリストン大陸に知らせても問題ないのかしら?」
「ええ。むしろ西の国々もご存知なのかと思っていました」
ロニアは感銘を受ける。傭兵会社の中で学ぶことがあるとはこれっぽっちも想像しておらず、ここに入り浸るだけでいくらでも時間が潰せそうだと目を光らせる。
「ふむ。俺からやってみよう」
「ウェイクさんは……。実際どれなんでしょうね~」
一歩前へ踏み出すウェイクの分類がどれなのか、イリックは想像を膨らませてみる。
ウェイクはウォーシャウトが使用可能だ。ゆえに盾役か前衛攻撃役に絞られる。もっとも、手がかりが少なすぎるため、それ以上は絞ることができない。
「はい。回転しているこれにやさしく触れてください」
「どれどれ……」
職員の操作で周り始めた地球儀のような黄色いそれに、ウェイクはごつごつした手をそっとかざす。チリチリと手のひらが球体に接触すると、その部分がじわりと色を変化させていく。
黄色い球体に赤い帯が浮かび上がり、それはウェイクの分類が確定した瞬間でもある。
「ウェイクさんはウォーリアでーす! おめでとうございます!」
「ほう。俺はこれはなのか」
一人拍手を送る青年に少し照れながら、ウェイクは自身の新事実に小さく驚く。
ウォーリア。前衛攻撃役。魔法は使えないが戦技をいくつも習得できる。盾役のようにモンスターの注意をひきつけたり味方を庇うことも可能だが、自分の肉体を強化したり、相手を弱らせる攻撃的な行為が得意だ。
まさに武器で戦う人間に適した分類と言える。
「次、わったしー!」
「はい、どうぞ!」
テンションの高いネッテとそれに勝るとも劣らない職員が、周囲の空気をただただ騒がしくする。
ネッテの小さい手の先で、黄色が徐々に緑色に染まりだす。
「ネッテさんはローグさんです! おめでとうございます!」
「わーい!」
(うわ……。なんか腹立つな、この光景……)
職員はなぜかうれしそうだ。
ネッテはローグが何を意味するのかもわからずはしゃぐ。
そんな光景がイリックを苛立たせる。特に理由はないのだが、無駄に高いテンションがイリックの何かを刺激するのかもしれない。
ローグ。前衛攻撃役。他の前衛攻撃役と比較すると習得できる戦技の数は少ない。しかし、そのどれもが独特であり、攻撃面においても決して見劣りはしない。相手を翻弄しながら戦うことを得意とする。
「私はどうせこれでしょ? メイジ」
「でしょうね……」
「まあまあ。やってみましょう!」
ロニアは自分の分類を当然のように見抜いてみせる。
後衛攻撃役は二種類存在する。メイジとシャーマンだ。メイジは攻撃魔法を主体に戦い、シャーマンは精霊召喚を可能とする。
消去法で、ロニアの分類はあっさりと確定だ。
それでも言われるがままロニアは装置に細い手をかざす。回転する黄色い球体に黒い帯が作られ、予想の的中が証明される。
「はーい! ロニアさんはメイジでーす! おめでとうございます!」
「別にうれしくないのだけど」
拍手を送る職員と冷めたロニアの反応が、周囲を不思議な空間に作り変えていく。
「イリック、先にいいよ」
「いえいえ、どうぞどうぞ。お楽しみは最後に」
アジールの好意を丁重に断りつつ、イリックは笑顔を返す。
この中で最も分類があやふやなのはイリックだ。自力で習得している魔法はキュアだけなため、候補が三つも存在する。ゆえに、あえてじらすことで自身も周囲も楽しませる算段だ。
アジールはすらっとした右手で球体に手をかざす。手のひらが接触した部分が灰色に染まり出す。
「アジールさんはパラディンです! おめでとうございます!」
「なるほど」
パラディン。盾役だ。キュアを筆頭に回復魔法の習得も可能だが、特筆すべきは特化した戦技達だ。どれもが味方を守るために存在しており、まさに盾役に相応しい分類と言える。
「さあ! イリックさんもどうぞ!」
「実は俺もパラディンだったりしないかな~」
イリックは少しだけ期待している。男なら誰もが憧れる盾役。自分もまだその可能性があると信じており、期待に胸を躍らせずにはいられない。
もっとも、ロニアはそうでないことを知っている。それでも今はあえて黙り、地球儀のようなマジックアイテムによる診断結果を待つことにする。
イリックがドキドキしながらそれに手を伸ばす。すると黄色い球体にじわりとピンク色が現れ始める。
「イリックさんはプリーストでーす! おめでとうございます!」
「そ、そんな~」
がっくし。わかってはいたが、やはりそうなのだと判明した途端、イリックはその場に倒れこむ。男の子の夢はあっさりと打ち砕かれる。
プリースト。後衛回復役。戦技もわずかながらに習得可能だが、それらはやはり回復に特化している。習得する魔法はほとんどが回復魔法であり、パーティに一人は欠かせない人気の分類だ。
テレポート。古代人が発明したこの移動魔法は、実はプリースト専用の魔法だ。古代人にはそんな分類はなく、誰もが習得可能だったが、現代を生きる人間の場合、プリーストでなければ扱うことはできない。
ロニアは風の大精霊からテレポートが強化魔法に属する魔法だと教えてもらっており、イリックは間違いなく後衛系なのだろうとその時点から見抜いていた。
「分類の詳細についてはあちらに壁に掲載されております。良かったら眺めていってください!」
「ふむ。そうさせてもらおう。感謝する」
職員に礼を述べつつ、ウェイクは別の羊皮紙がずらりと貼られている壁に足を運ぶ。今晩の報告における最大の話題を前に、気持ちが静かに昂ぶる。
ロニアとアジールもそこに向かい、崩れ落ちるイリックとよくわからず慰めるネッテだけがその場に取り残される。
(西の人達も楽しい人達でいっぱいなんだなぁ)
職員は兄妹を眺めながらそう思わずにはいられない。
◆
昼食後、五人はそれぞれの行動を開始する。
ネッテは昨日同様、この町最大の茶屋に向かう。国民の憩いの場として人気を博しており、茶請けの菓子は絶品だ。ネッテは午後を優雅に過ごすため、そこへ向かう。
ウェイクはそれについていく。何かと食事に誘ってくれる部下の影響で、甘いものに感心を持ち始めたからだ。一人では通いづらい場所だが、ネッテがいれば百人力だ。
ロニアは傭兵会社に戻り、どこか人懐っこい先ほどの職員と再び話し込む。初めて訪れる異国ということもあり、人一倍貪欲な知的欲求はどこまでも満たされていく。
イリックはネッテから茶屋の場所を教えてもらい、その後は当然のように西の港へ向かう。手には釣竿を握り締め、勇敢にアリカ大陸の魚と格闘するつもりだ。
そして、なぜかアジールも同行する。てっきりネッテと行動するものと思っていたイリックは、無言でついてくるアジールにいささか戸惑いを感じつつも、今は釣りのことしか考えられない。
(小さな釣具店があったから、ちょっくら情報収集から始めようかな)
イリックは抜け目なく確認している。機船でこの国に辿り着いた際、港に降り立つと同時に見つけている。屋台のような出店がちょこんと道端に存在しており、そこには餌と釣竿等がずらりと並んでいた。
店員が少し痩せた老人だったことも覚えており、鼻息荒くそこを目指す。
ネレネン王国はあちこちに壁が君臨する。時にはそれが進行方向への直進を阻止するが、トンネルのように道がくり貫かれていることも多く、いくつもの横穴を通って海の見える場所まで移動する。
イリックの予想通り、小さな出店を構えている老人がカウンターの中で海をぼんやりと眺めている。
「すみません。ここで釣るのは初めてなんですが、何がひっかかるんですか?」
「いらっしゃい。このあたりですと、カタクチイサシやスズダイですよ~。どちらを狙いで?」
店員の言葉にイリックは目を輝かせる。どちらも知っている魚だが、釣った経験は一度もない。昨晩食べた料理にもこれらが姿を変えて出されたが、それを釣れるとあっては釣り人として血が騒いでしまう。
「先ずはカタクチイサシを狙いたいです! 餌はミミズですか?」
「そうですね~。こちらになります」
イリックは知っている。カタクチイサシはイサシの仲間だ。ゆえに、イサシと同じ餌でヒットするだろうと推測し、それは見事的中する。
店員からミミズを購入し、せっせと港の端へ移動する。
機船が停泊できる程度には大きなここは、今は非常に静かな空き地のように落ち着いている。主役がいないのだから当然なのかもしれないが、だからと言って無人ではない。イリック同様、釣り糸を垂れる男達が何人か海に向かって佇んでおり、中には釣竿をしならせている幸運な男もいる。
波打つ海が足元まで迫る場所で、この国の最も端に陣取ったイリックは、早速釣竿をシュッと伸ばす。
「小さいミミズが餌なんだ」
「ええ。カタクチイサシはそんなに大きくない魚ですからね。あ、挑戦してみます?」
うねうねと動くミミズを眺めながら、アジールは前かがみを維持しつつそっと問いかける。
それを一匹掴み、釣り糸の形にそってミミズをグサリと通す。残酷かもしれないが、釣りとはこういうものだ。
「ううん。見てる」
「んじゃ、始めますよ~」
釣竿を立て、餌のついた針をそっと海に落とす。ポチャンという音が聞こえたような気もしたが、足元の壁を叩く波の音が勝るため、おそらく気のせいだろう。
当たりがないまま五分ほどが経過する。もちろん焦るには少々早い時間だが、アジールにとってはいささか退屈なため、同行した理由にも繋がる話題を口にする。
「明日から始まるね」
武神祭が始まる。二日に分けて開催されるこの大会は、明日が初日であり、いっきに一回戦の八試合が行われる。
二日目はそこから三日後だ。二回戦、準々決勝、準決勝、決勝の八試合が予定されている。
「そっちもがんばりますよ~」
すなわち、イリックとしては武神祭も去ることながら目先の釣りも大事ということだ。まだ魚は食いついてくれないが、諦めない心が大事だとこの若さで悟っている。
「昨日今日と見て周ったけど、傭兵って強そう」
「そんな感じがしますね。俺達より必死というか、戦時中ゆえに逞しいというか」
アジールが抱いている感想はイリックも感じている。明日からの武神祭ではそんな彼らと戦わなければならない。負けるつもりはないが、この地に降り立ち、勝ちあがることがいかに大変か身に染みて理解したつもりだ。
「まだ優勝狙ってる?」
「当然です。なんとしても優勝賞品を持ち帰らないと。我がパーティの盾役には何度もお世話になってますから、その恩返しです」
今回の武神祭では、優勝者に盾が贈られる。防具屋で買えるような代物ではなく、この国に伝わる唯一無二の盾だ。
イリックは軽い口調で優勝を口にするが、その根底には感謝の気持ちがあるからだ。
装備を失ったアジールに恥ずかしくない装備を着せたい。その先駆けとして、盾を贈りたい。
誰よりもモンスターの攻撃に晒され、身を呈して仲間を庇う。アジールの役割は過酷であり、しかし非常に重要だ。ゆえに装備は妥協できない。何より、したくない。
イリックはあまり表には出さないが、アジールには心底感謝している。
見回りを解雇され、冒険者になる後押しをしてくれたから。
甘えるネッテといつも一緒にいてくれるから。
強敵と戦う度に、ウォーシャウトで自分達の危機を救ってくれるから。
どこに行こうとも、文句一つ言わずについてきてくれるから。これに関しては、もう少し自己主張して欲しいとは思っている。
イリックは常々感じている。自分がここに居られるのはアジールのおかげだと。遠い異国の地に辿り着いた今はなおさらそう思わずにはいられない。
口下手ゆえ、そんなことをストレートに表現することはできず、それならせめて形として表したいと考えるに至り、武神祭の出場および優勝を決意する。
鬼教官達の地獄のようなスパルタに一ヶ月耐えられた理由はまさにこれなのかもしれない。
「ウェイクさん倒せる?」
「う!」
それを言われると何も言い返せない。
イリックはこの国の傭兵がどれほど強いかはわからない。しかし、一つだけ断言できることがある。
ウェイクにはまだ敵わない。
順調に勝ち進んだとして、途中で、もしくは決勝で、必ず戦うはめになる相手がいる。ウェイクだ。負けるはずがない。
仮に、イリックとぶつかる前にウェイクが負けたとして、それはすなわち、さらに強敵が立ちはだかるだけであり、どちらにせよ自分より強い相手と戦うことに変わりはない。
そんな人間がいるとは思えず、結局はウェイクとどこかしらで戦うことになるのであって、その時は素直に負けるしかない。
「コネクトを使えばあるいは……。でも」
「使うわけにはいかないですよね~。あ~、どうしたもんかな~」
武神祭には観客がいる。大会なのだから当然だ。大勢の前で時間を止め、三秒間の内に相手を倒そうものなら、それこそ周囲から疑いの目を向けられてしまう。
超スピードでもなければ、既存の魔法でも戦技でも実現できない何かをしでかしたと一瞬で見抜かれてしまう。
それは避けなければならない。
最悪の場合、勝利を認めてもらず、反則負けとみなされてしまうかもしれない。
コネクトを使うのなら、それはネッテかアジールの戦技目的だ。そうすれば、イリックは前衛攻撃役か盾役と判断されるだけで済む。
キュアを使うのなら、消去法でアジールの戦技しか披露できないことになる。キュアを使うローグなどありえないからだ。
「ほんと、どうしたもんかな~」
釣竿を握りながら、青い空に向かって問いかける。残念ながら答えは返ってこない。
「無理はしないでね。私は安い盾でいいから」
アジールは真っ直ぐイリックを見つめる。黒目の中の赤円は、この町でもやはり目だってしまう。身長の高さと綺麗な顔立ちもそれに拍車をかけるのかもしれない。
こんなことを言われてしまったら男として奮起するしかなく、イリックはやる気をみなぎらせながら笑ってみせる。
「ウェイクさんに相談してみます。優勝したら盾ください、って」
落としどころをそこにした。リーダーとして、現状はこれくらいしか手がない。勝てない相手に勝つ方法ではなく、優勝賞品を手に入れる最善手を考えた結果がこれだ。イリックは自画自賛しながら、波のように釣竿を動かす。
その晩。
昨日に続き、イリックは宛がわれた個室でゆるりと過ごす。一人用だが十分広いその部屋には窓が一つついており、室内から外を眺めると驚くほどに暗く、どこか物足りない。
外出する人間も非常に少ない深まった夜特有の静寂は、椅子に座り小さなエレメンタルフォンと向き合うウェイクとその話し相手によって一切気にならない。
「なるほど……。ウォーリアやプリーストか」
「はい。ネレネンは我々が思っている以上に進んでおります」
ウェイクの話し相手はエミリアだ。話題が尽きないのか、かれこれ一時間は話し続けている。
夕食や入浴は随分前に終わらせており、後は寝るだけの状態だ。
時刻は夜の十時過ぎ。まだ寝るには早いかもしれないが、明日は大事な武神祭ということもあり、そろそろ寝たいと思いつつ、イリックはそのことを主張できない。
「調べるためのマジックアイテムまで開発済みか……。リンダに見せれば、なんとかなるだろうか」
「リンダ殿ならアイデアを見抜いた上で、同様のものを作られてしまうかもしれませんね」
エミリアとウェイクのやり取りは終わらない。非常に大事な報告ということもあり、イリックとしても黙って聞く他ない。
その後も二人の軍人らしい会話は続き、イリックが大きなあくびをしたタイミングでやっと終わりを告げてくれる。
「明日の武神祭、抜かるんじゃないぞ」
「はい。お任せください」
元部下を叱咤激励し、エミリアは今日の報告を締める。
「長々と悪かったな。明日は朝九時頃に案内役が迎えにきてくれる。それまでに朝食を済ませておかないとな」
「わかりました。ところで、さっきの話ですが……」
椅子から立ち上がるウェイクに、イリックはしゃきっと姿勢を正してたずねる。ベッドには座ったままだが、今更そこまでかしこまる仲ではない。
「俺が優勝したらの話か?」
「それですそれです」
「俺は構わないが……」
ウェイクがイリックを打ち負かし、そのまま優勝した場合、優勝賞品は当然ウェイクが手にする。それをそのままアジールに譲ってくれないかと報告前に懇願したが、返事はまだ聞けていない。
ウェイクは盾を装備しない。片手剣と己の肉体だけで戦う前衛攻撃役のウォーリアだ。オハンを入手しても使う機会がなく、そういう背景もありイリックはこの提案を持ちかける。
「もし俺達が戦った場合、かすり傷でも構わんからつけてみろ。それが条件だ」
「あ……、相変わらずスパルタだ~!」
ウェイクの発言にはいくらか光明が見えるものの、それがいかに困難かは十分承知しており、イリックはゴロンとベッドに倒れ頭を抱える。
「先ずは明日のトーナメント表を確認してからだな。初戦からぶつかっても手加減はせんぞ」
「本当に手加減してくれないんだろうなぁ……」
ウェイクは冗談を言わない男だ。そんなことはこの一ヶ月で十分把握できている。イリックは愚痴ることしかできない。
「長居してすまなかったな。失礼する」
ウェイクが退室し、個室は本当の意味で一人用となる。
明日から武神祭。ネレネン王国の実力者達が自分達の力を出し切って優劣を競う小さな戦場。
イリック達は客人として招待され、参加する。
トリストン大陸を代表して。
冒険者として。
デフィアーク共和国の軍人として。
他の参加者とは少々事情が異なる。背負っているものも気概も違う。部外者として、早々に倒されてしまうかもしれない。イリックもウェイクも、例外なく。
人類にとって最も脅威となる存在は紛れもなくオークだ。トリストン大陸よりも遥かに広大な領土を誇るシーブル大陸が陥落したことからもそれは疑いようもない。
一説には、サウノ商業国の前身となるサウノ村や、西側のジャイル村やマーム村はシーブル大陸から追いやられた人間達によって設立されたと言われている。
人間はオークに敗れている。少なくとも、シーブル大陸では敗退した。
トリストン大陸の人間にとっては、ガーウィンス連邦国の北に位置するルワミリ島がオークに奪われたままだ。
アリカ大陸は現在進行形で侵略を受けているが、ネレネン王国は互角以上にやりあっており、そういった意味からもこの国の国力は決して侮れない。
冒険者など手も足も出ないかもしれない。だからと言って尻込みする必要もない。
イリックにも負けられない理由がある。自分達のために身を呈して戦う仲間のために、今度は自分がその役目を負うと決意した。
やる気に満ち溢れながらも、それ以上の眠気に襲われ、イリックはそっとベッドの中に入り込む。
「お・に・い・ちゃ~ん」
音もなく扉が開き、ちょこっと顔だけを覗かせながら見知った声を響かせる。
兄として、やさしく微笑みながらこう返す。
「帰れ」
「も~。本当はうれしいんでしょ~。素直になったら~」
とことこと歩み寄る寝間着姿のネッテは満面の笑顔で決め付ける。そのままもそっとベッドに滑り込み、ここが自分の居場所だと当然ように主張する。
喉を鳴らす妹の頭におでこをくっつけながら、イリックはふと思いついてしまう。
(替え玉ってできないのかな?)
血のにじむような、それこそ吐血しながらも何とか乗り越えられたデフィアーク共和国での修行の日々。この一ヶ月で最も伸びたのはネッテだ。イリックもかなり成長できたが、ネッテの伸び具合にはウェイクやマッカス、エミリアさえ目を丸くした。
ウェイクに勝てたら結婚してやる。
冗談で言ったこの発言がネッテのやる気をどこまでも高め、それが成長に繋がったらしい。
ネッテなら優勝できるかも。
そんなことを一瞬考えるも、やはりウェイクという壁が立ちはだかる以上、それは難しい。
「お家どうしよっか~」
「それも考えないといけないよな~。場所はどこがいい?」
兄妹は自宅を失う。サラミア港に両親が遺してくれた極々普通の一戸建ては、イリンという謎の女によって燃やされてしまう。
建て直す金銭的余裕などなく、前からそうだったが完全な宿屋生活を送るハメになる。
自宅を買う、もしくは建てるにしろ、先ず考えなければならないことはその場所だ。
冒険者を続けるのなら、選択肢は三箇所に絞られる。
デフィアーク共和国。
サウノ商業国。
ガーウィンス連邦国。
これら以外の場所でもイリックの場合問題ない。一瞬で別の場所に移動できるテレポートを習得しているからだ。
それでも膨大なマジックポイントを消費することから、やはりこの三国がベストと言える。
「難しいよね~」
「俺的には、デフィアークなんだよな~」
「なんでなんで?」
イリックは候補としてデフィアーク共和国を選んでいる。シンプルな理由だが、実にイリックらしいその内容にネッテはなるほどと納得する。
デフィアーク共和国は西側を海に面しており、領土内には小さな小川が縦断している。
そう。海釣りと川釣りが同時に味わえる唯一の大国だ。
サウノ商業国には海しかない。
ガーウィンス連邦国は湖が流れ込んでいる。
どちらも一方しか味わえない。
この利点はイリックにとって大きく、この時点で三大大国の優劣は決する。
街並みや機能美という意味ではサウノ商業国が頂点だろう。トリストン大陸の中心は伊達ではなく、後発の国ではあるものの、それゆえに整った街並みが出来上がっている。
ガーウィンス連邦国は土地そのものが非常に広く、その結果様々な店があちこちに点在している。やや不便と言い切れてしまう。
デフィアーク共和国は比較的店が集中しているが、それでもサウノ商業国には敵わない。
住み易さだけならサウノ商業国が優れているのかもしれないが、一方で人口が最も多く、その点を毛嫌いする人間が少なからずいるのも事実だ。中心にそびえ立つサウノ宮殿は毎日が祭りのように人でごったかえしている。
「なら私もデフィアークでいいかな~」
「まぁ、金がないからどうにもならないけど」
そう、金がない。家を建てるには百万ゴールドは必要だ。立地条件によってはそれ以上だろう。
そんな大金は持っていない。一時期は五十万ゴールドも持ち合わせていたが、幸運が重なっただけのまさに天からの恵みでしかない。
今の所持金は七万ゴールド。短期間の旅なら問題なくこなせる金額だが、アジールの装備を購入するには到底足りていない。家など夢のまた夢だ。
「そうそう! さっき言い忘れてた! アイランって飲み物がしょっぱ美味しいよ!」
「アイラン?」
ネッテと話しているとこのように話題が急に変化する。それでも戸惑わないでいられる理由は、長年一緒に過ごしてきたからだろう。
アイラン。ヨーグルトに水と少量の塩を混ぜ込んだ飲み物だ。ネレネン王国では親しまれているが、三大大国にはまだ出回っていない。
「ウェイクさんも美味しいって言ってた!」
「ふ~ん。明日飲んでみるか」
「明日はがんばって!」
「おう」
ネッテに応援されるまでもなく、イリックは負けるつもりなどない。武神祭を目標に定め鍛錬を積み上げたのだから、成果を遺憾なく発揮し、一戦一戦を勝ち進みたいと考えている。
やる気をたぎらせながら、そっと目を閉じ明日に備える。
ネレネン王国のことはまだまだわかっていない。満喫できてもいない。それでも明日は訪れる。時間が足りないと嘆きながら、今は心地の良い暖かさを感じて眠ることを選ぶ。
強くなるために、そして仲間のために鍛錬を積んだこの男の快進撃は明日から始まる。
「ん~……、チュ」
「今何した! 本当にそういうの止めい!」
兄妹喧嘩の騒音は、隣の部屋まで届いたらしい。翌朝、ロニア達に指摘されてイリックは少し反省する。
◆
この国で唯一見知ったその人物に連れられて、五人は区切られるように存在する塁壁に辿り着く。ネレネン王国の国民ですら決して通れないその扉は巨大な石壁に設けられており、今からそこを通るのか、と周囲の人々は驚きの眼差しを向ける。
だぼっと膨らむ上下の黒い服をまとった男が、二人の門番にそっと右手をかざす。
ゴゴゴと低い音を響かせながら決して開かないはずの扉が開き、一同はその中に足を踏み入れる。
ネレネン王国の三つ目の壁であり、市街地とこの区画を区切る理由は、その奥が最も重要な場所だからだ。それを裏付けるように、雰囲気も街並みもいっきに変貌する。
右手側は軍関係の敷地だ。点々と建てられている味気ない施設はどれも軍人のためのものであり、随分と広い空間を贅沢に利用している。
左手側には立派な家々が立ち並ぶ。市街地のそれらとは別種の豪華さを誇り、住む人間の命がいかに重たいか、傍から見ているだけでも思い知らされる。
ただひらすらに前進したその先には、王族のための一際大きな御殿がそびえ立つ。窓の数からしても他とは一線を画す。外見からでは四階建てなのか五階建てなのか、それすらも曖昧だ。
(掃除が大変そうだな~)
貧乏性ゆえ、イリックが抱ける感想はこの程度だ。
事実、専属の人間が複数人総出で日々掃除だけに従事しなければこの建物は維持できない。
この王宮の主は二十六歳。すなわち王は若い。案内人の説明に一同は小さくため息をつく。
目的地はそこではない。右手側の軍区画であり、その中でもやや大きい建物がそうだ。丸い形をした建築物はいくつか存在するが、最も大きなそこに足を踏み入れれば、なるほどと強制的に理解させられる。
周囲を観客席で覆われたそこは紛れもなく試合会場だ。中心は軍人が戦うための場所であり、盛り上がった場所から真剣勝負を一部始終眺めることができる。
「トーナメント表はこちらに貼り出されております」
入り口から始まる上り階段を上がりきればそこは観客席だ。案内役の男は最も高い位置でもある外周をぐるっと歩き、壁に貼られている大きな白い紙まで五人を導く。
グネグネと直線が折れるこれはトーナメント表であり、一番下には出場選手達の名前がずらりと並んでいる。
「お兄ちゃん発見!」
「三試合目か」
「俺は最後のようだな」
ネッテが真っ先に兄の名前を見つける。
対戦相手の名前はピピと書かれているが、当然イリックにはその人物のことなどわからない。
ウェイクの名はトーナメント表の一番右に列挙されている。八試合目、初日の最後を締めくくる大役だ。
(ウェイクさんとは準決勝までぶつからないのか。助かった~)
イリックとウェイクが勝ち上がった場合、決勝の一つ前で戦うことになる。そこを勝ち上がった者が、シード選手であり決勝戦の相手でもある前回優勝者と戦う権利を得る。
「試合前になりましたら、あちらから中にお入り下さい。その先で別途指示がありますので」
「わかりました」
そして役目を終えた案内人が立ち去り、イリック達はいよいよ緊張感に包まれる。
予想よりもきちんとした会場に怖気づきはしないものの、ちらほらと座っている観客達にじろじろと見られてしまう。それもそうだろう。イリック達の顔は彼らにとって初めて見る顔なのだから。
何より、見知らぬ相手と戦い、勝たなければならないという不安感のようなものが実感として押し寄せる。
一同は物色されるように見つめられながら、周囲に誰も座っていない場所に腰を降ろす。
「あそこだけ個室みたいになってるね~」
「きっと王様の特等席よ。椅子がまさにそんな感じだもの」
ネッテが指差す方向には、周囲とは隔絶された部屋が設けられている。ロニアの言う通り、長い人生で一度も見たことのないような豪華な椅子が二つ並べてある。無駄に装飾されたそれは背もたれにも柔らかそうな、それでいて凝った膨らみが設けられており、誰が座るのか、一目で予想できてしまう。
「俺の対戦相手って誰なのかな~」
「名前だけじゃわかんないね~」
イリックとネッテは観客席をキョロキョロと眺める。
まだ開始時間には早いため、ただでさえ少ない観客はさらに少ない。
全身が黒い装備で覆われている男。
長身かつ髪も長い女。
黄色い髪の双子の兄妹。
はちきれんばかりの筋肉をまとう大男。
この辺りは一目で傭兵だと見抜けてしまう。
軍服を着こなす年のいった軍人。
高級な服をまとう男や女。
傭兵ではないが独特の雰囲気を放つ男や女。
彼らはこの大会唯一の純粋な観客だ。
「自分の対戦相手くらいは把握したいところだが、そうもいかないようだな」
「こればっかりは仕方ないですね」
ウェイクとしても、戦う相手がこの中の誰なのか、その程度は事前に知っておきたい。イリックも同様だが、すっかり諦めている。
「試合開始までまだ一時間もあるけど、どうするの?」
アジールの言う通り、一試合目はまだまだ始まらない。案内人にここまで連れてきてもらったものの、時間まですることがないのも事実だ。
「挨拶やらなんやらがあるんでしょう。大人しく座って待ってま……」
ロニアが言い終える前に、ネッテはスタスタと立って歩き始める。会場に着いてまだ五分も経っていない。落ち着きのなさは異国でも健在だ。
どこかハニカミながら、ネッテは円を描く観客席をぐるりと練り歩く。声をかけて欲しいのか、声をかけたいのか、それは誰にもわからない。
(なぜもじもじしてる? 素直に話しかければいいだろうに……)
(かわいい)
(暇しないように話題を提供し続けないとダメそうね)
(俺の相手は誰だ?)
大人しく座る四人と挙動不審なネッテ。トリストン大陸の人間はネレネン王国にまだ溶け込めていない。
そんな中、一人の男が立ち上がり、イリック達を目指し始める。
茶色い髪は短く、顎のヒゲもやはり茶色い。黒を基調とした重鎧は下の肉のせいではちきれそうだ。高い身長とその横幅がこの男の威圧感をそれ以上に感じさせる。
アジールとウェイクは見抜く。自分達に歩み寄っているこの男が只者ではないと。なぜなら、観客達が全員、この男を目で追っているからだ。
注意を払うに値する人物だろうと推測しつつ、二人も黙ってその時を待つ。
そして辿り着くや否や、英雄と言われているこの男はゆっくりと口を開く。
「あんた達がトリストン大陸からの客人かい?」
「あ、そうです」
「俺はヴォイス。あんた達のことは社長から聞いてる。よろしくな」
無骨な顔は一瞬で和らぎ、遠路遥々訪れた客を歓迎するように小さく頭を下げる。
イリック達もつられるように続き、まだ歩いているネッテを置き去りにして一同は雑談に花を咲かせる。
(この男が決勝の相手)
(どれほどのものかしら?)
アジールとロニアは気づく。自分達の隣に座った大男が、決勝戦まで勝ち進んだ選手に立ち塞がる最後の壁だ。
どこかで聞いたことのある名前だなとしか思わないイリックとウェイクは、ヴォイスからもたらされる情報に耳を傾けつつ、トリストン大陸についてつらつらと説明を受ける。
「イリックとウェイクだな。覚えたぜ」
ヴォイスは二人の名前を胸に刻む。これで武神祭に出場する全選手の情報は頭にインプットし終えたことになる。もちろん、探りを入れに来たわけではなく、隣の大陸からやってきた一同に礼を尽くす意味合いで話しかけている。
「そういえば試合のルールってどんな感じなんですか?」
「もうそろそろ審判役を務める三将軍が現れるだろう。その時に説明があるから安心してくれ」
イリックのささいな問いかけにもウェイクは嫌な顔一つせず答える。しかし、その回答の中にいちいちわからない単語が含まれるため、次から次に新たな疑問が湧きあがってしまう。
「あなたも傭兵なのよね? 儲かるの?」
「自分で言うのもなんだが、のし上がればのし上がっただけ良い暮らしができるようになる。それはそちらの冒険者とやらも同じではないか?」
「そうね」
ロニアはあまり興味はないものの、冒険者らしく金の話を振ってみる。イリックが気にしているだろうという気遣いでもある。
「ここの人々は、トリストン大陸のことをどれくらい知っているんだ? 我々はあなた達のことをほとんど知らされていない」
ウェイクはデフィアーク共和国を代表する軍人だ。第三陸軍を統べる軍長であり、実力も地位もまさにトップクラスに違いない。しかし、アリカ大陸のことも、そこに君臨するネレネン王国の情報もほとんど耳に届かない。
ガーウィンス連邦国とひっそりと物資のやり取りを行っているだけなのだからそれは当然なのかもしれないが、それにしても情報が少なすぎると勘ぐってしまう。
「俺達もあんたらのことはたいして知らないなぁ。傭兵ではなく冒険者制度があるってことや、三つの国が支えあってるってことくらいか。だからまぁ、どこか嫉妬してる人間もいるくらいだ、俺達はリザードマンやオーク連中と戦争してるのに、西の連中はのうのうと生きてるってな」
「隣の芝が青く見えるだけよ。何回も国が滅びかけてるもの、こっちだって」
「ほう、それは大変だな」
ロニアの小言にヴォイスは目を丸くする。
トリストン大陸にはトリストン大陸特有の危機が幾度もなく人間を蹂躙している。
ドラゴン。少なくとも、アリカ大陸には生息しないモンスターの頂点に位置する最強の称号が相応しい存在だ。
オークおよびゴブリンとの戦争。
煉獄の門を開き戦力を増強させたフブキ。
古代人の遺跡を使い、ガーウィンス連邦国を滅ぼそうとした男。
現在進行形でモンスターと戦争しているネレネン王国ほどではないのかもしれないが、トリストン大陸に生きる人々も脅威に晒されている。
「あ、ピピって人がどなたか知りませんか? 俺の相手なんです」
「あそこに座っている双子の兄がそうだ。ちなみにウェイク殿の相手が妹の方だ」
「ほう」
イリックとウェイクは知る。ヴォイスの視線の先に座る子供にしか見えない黄色い髪の二人組みが、ピピとロロだと認識する。
「どちらも手ごわいぞ。間違いなく優勝候補だ」
(ガ~ン)
ヴォイスの発言はイリックのテンションを急降下させる。ウェイクとは当面戦わなくて済むと内心喜んでいたが、初戦の相手が優勝候補と聞かされては、脆いハートにヒビが入ってしまう。
「随分小さいようだが……」
「ああ。まだ十五にも満たないと思う。だからと言って侮っていると一瞬でやられるぞ。特に兄のピピがすさまじい。イリック殿、運が悪かったようだな」
「いや~!」
ウェイクとヴォイスは双子を眺める。十四歳の二人は、まさにそれを裏付ける背丈と見た目をしており、少なくとも今回の出場者の中では最年少だ。
しかし、イリック達はそんなことで油断したりはしない。自分達の中にも十五歳の化け物がいるからだ。今はもじもじしながら不審者のように観客席をうろついているため、ただの子供にしか見えないものの、紛れもなく最強の十五歳だ。
「あなたとどっちが強いの?」
「ふ、それはわからんな」
(はぐらかされた)
アジールは少し意地悪だと承知の上でたずねるも、ヴォイスは正直な感想を口にする。前回優勝者すらも一目置く存在がイリックとウェイクの対戦相手と言うことだ。
「強いと言えば、リザードマンやオークってどれほどのものなの? 知性を持ったモンスターってゴブリンやジャイアントくらいしか知らないのだけど」
ロニアは嘘をつく。イリック達は知性を持ち合わせている様々なモンスターと戦い、勝っている。
ゴブリン。
ジャイアント。
これだけではない。
アーリマン。
デーモン。
フブキ。
ナニカ。
ヘカトゥーム。
挙げればきりがないほどに、他とは別種と言い切れる存在と相対している。
一方で、ネレネン王国にとっては当たり前にすらなっているリザードマンやオークとは一度も出会ったことがない。なにかと知りたがるロニアが興味を抱くのは当然だ。
「逆に俺達はジャイアントを知らないが……。モンスターだってピンキリだ。雑魚もいれば手ごわいやつだっている。そうとしか言えないな」
「あなた達がこうして生き延びていられるってことは、少なくともあなた達なら倒せる相手ってことでいいのね?」
「そうとも言えるな。姉ちゃん、頭良いな!」
ガッハッハッと笑うヴォイスの声は比較的静かな会場を大いに賑わせる。この声につられたのか、ネッテがとことこと帰還する。
「誰々~?」
「ヴォイスさん。色々教えてくれてる最中」
ネッテが頭上にハテナマークを浮かせる一方、イリックは兄としてさっと状況を説明する。
「おう、よろしくな、嬢ちゃん」
「ネッテです! お兄ちゃんの妹です!」
すっかり意気投合したのか、それとも波長が合うのか、二人はその後、ペラペラと長話を続ける。
その様子を冷たい目で見つめる人物がいる。いくらか離れた場所でポツンと座る少女だ。緑色の髪を頭の後ろで束ねており、茶色いカーディガンと黒いズボンの上に青いなめし革の皮鎧をまとっている。一試合目に出場するスルフィだ。左腰には銀色の短剣が携帯されており、深遠を覗くのような目で楽しそうなヴォイスを睨みつける。
父親を殺した相手。
殺さなければならない相手。
決勝で殺す相手。
スルフィの心は、既に負の感情で支配されている。
「お、やっと来たか。では、存分に楽しんでくれよ」
所属する傭兵会社の社長が会場に現れたため、ヴォイスはその場を後にする。
「あなた達、どっちが勝ちあがるのかは知らないけど、決勝で今の男と戦うのよ」
「ああ、あの人がそうなんですか」
やっぱり知らなかったのね、とロニアは呆れる。
イリックはやっと理解し、女性の隣に座るヴォイスを眺める。胸板の厚さが重そうな鎧の上からでも見て取れる。腕も足も丸太のように太く、掴まれでもしたら一瞬でその部位は握りつぶされるだろう。
たいした時間ではなかったが、ガサツさの中に一本筋の通った芯の強さが見え隠れしており、冷静に振り返ると納得させられる。
(まぁ、先ずは目先の戦いだよな~)
ヴォイスと戦うためには決勝まで勝ち進まなければならない。そのためには一回戦の突破が大前提であり、イリックとウェイクの相手は小さな子供達だ。
双子ゆえに兄だ妹だということもないのかもしれないが、奇しくも自分と同じ境遇の二人にいくばくかの親近感を抱きつつ、イリックは試合会場に現れた三人の男女を見下ろす。赤い鎧には金色に輝く艶やかな装飾が施されており、その豪華さと三人という数字から彼らがそうなのだろうと一目で察してみせる。
三将軍。
本大会の審判。
それを裏付けるように、最も長身な男が大きな声で挨拶を始める。それと時を同じくして、三将軍以上に豪華な衣装をまとう男女が老人を引き連れて現われる。紫色の装束を着込む護衛らしき集団に守られるその二人についても、イリックは誰にたずねるまでもなく理解してみせる。
王と王妃だ。
ヴォイスと話し込んでいた間に出場選手も会場に揃っており、いよいよ空気がうねり始める。
審判のアインが試合のルールや予定時間等を説明する中、二人の男女が立ち上がり、選手用の入り口へ吸い込まれていく。
高鳴る鼓動がどこか心地よく、耳に届く力強い声がより一層高鳴りを強めてくれる。イリックは小さく拳を握り、改めて観客席を眺める。
男も女も、大人も子供も例外なく倒さなければならない。
ウェイクを倒し、ヴォイスも倒す。
優勝し、アジールに盾をプレゼントしたい。
そのための一歩がもうすぐ始まる。イリックは三試合目なため、今は観客席から試合を見届けなければならない。二回勝てたとしたら、どちらかと戦う可能性があるのだから。
そういう意味では全員がそうだと言える。余所者ゆえに、出場選手の情報は無いに等しい。裏を返せば自分達についても知られていないというメリットがある。
もっとも、イリックとウェイクはそんな利点を活かせるような器用な人間ではない。目の前の相手を一人ずつ、愚直に倒すことしかできない不器用な二人だ。
どこか似ているこの二人は、やはり同じことを考える。
負けるつもりはない。
「始まるね!」
「片方は女の子」
中心近くに立つ長身な審判に、二人の男女が歩み寄る。
およそ傭兵には見えないかわいらしい女の子。どこか頼りない皮装備をまとい、短剣一本で相手に挑む。
もう一方は真っ黒な重鎧で武装するいかにも傭兵な男。背負う両手剣も月が照らす夜よりも黒い。
ネッテはうれしそうにそんな二人を見つめる。
アジールはネッテと自分の間くらいの女の子が出場することに驚く。
「一回戦! 第一試合!」
審判役を務める男が吠える。武神祭が始まることを宣言するためだ。
「モンクのスルフィ! ダークナイトのナーキス!」
審判がこれから戦う両者の名前を告げ、会場の空気がピリッと張り詰める。
アインが一旦呼吸を整えると同時に静寂が訪れ、それもまたアインによって破られる。
「王の御前だ。無様な戦いは許されんぞ。では……、構え!」
武神祭に出場する選手にはそれぞれの思惑がある。
名誉を手にするために。
優勝賞品をこの手に掴むために。
自分の実力を試すために。
復讐のために。
仲間のために。
戦う動機が異なろうと、やるべきことは皆同じだ。目の前の相手を倒す。それをうながすように、審判が大きく口を開く。
「始め!」
戦いが始まる。決して大勢とは言えない観客が見守る中、記念すべき一試合目を飾る二人が武器と武器をぶつけ合う。
(これが……、武神祭)
その熱気に飲まれそうになりながらも、イリックは初めて味わう緊張感のような何かに小さく震える。
三試合目は自分があそこにいる。
そう考えると胸が高鳴って仕方ない。それでも臆することはない。アジールのために優勝したいのだから、そんなことで足を止めるわけにはいかない。
劣勢のスルフィがそれでもなお諦めないように、イリックもまだ諦めていない。戦う前から負けることなど考える必要もない。
そしてネレネン王国を代表する傭兵達は知ることになる。トリストン大陸の冒険者と軍人は、決して侮れない連中だということを。
先ずは三試合目。冒険者が傭兵を倒すところから快進撃が始まる。
◆
「すごかった!」
「思っていた以上に本気の戦いが見れるわね」
拍手が落ち着いた頃合いに、ネッテが興奮しながら感想を述べる。
ロニアは涼しい顔を維持しているが、内心は少々熱くなっている。
一試合目が終わり、勝者と敗者が決する。戦技を駆使し、スルフィが砦のような傭兵を打ち負かした。
(ネッテほどじゃないけど強い女の子だ。貧乳じゃなければなぁ)
くだらないことを考えながら、イリックは脇の通路に消えていくスルフィを眺める。
苦戦しながらも戦技で己を高め、ついには逆転する。侮れないタイプだ、とイリックは分析する。
「かっこいい女の子だったな~」
「ネッテもかっこいい」
ネッテの目蓋にもスルフィの勇姿は焼きつく。
アジールはネッテのことになると流暢に話す。イリックに対しても積極的になることがあるが、ネッテと比べればかわいいものだ。
「ネッテがかっこいいかどうかは置いといて、アサシンステップを習得したらきっとすごいことになるだろうな。あ……」
イリックは言い終えて気づく。ネッテはグングン成長しており、まだウェイクには届かないものの、射程圏内の一歩手前にはたどり着けている。アサシンステップを習得されでもしたら、ウェイクを倒してしまうかもしれない。
ウェイクを倒したら結婚うんぬんの約束はもう反故だろうと一人で納得しつつも、ネッテがまだ有効だと主張したらどうしようと青ざめる。
「その時は負かされてしまうかもしれんな」
「キラーン!」
冗談っぽく言ってのけるウェイクに、ネッテは目を輝かせる。すなわち、あの約束はまだ有効らしい。
「い、いや! もう一ヶ月の期限は終わったから! もう無いから!」
「やだ!」
必死に否定する兄の戯言を妹は一言で吹き飛ばす。
「イリック、諦めなさい」
「やだ!」
ロニアが諭すように言い放つも、イリックは全力で拒絶する。
「ネッテちゃん、あそこ見てみなさい。偉そうな二人が座ってるでしょ?」
「うん。誰~?」
ロニアがイリックを追い詰めるために、そしてネッテを応援するために、追撃を開始する。
綺麗な指先が指し示す方向には、二人の男女が派手な椅子に座っている。赤い服には職人が丹精かけて紡いだ金色の装飾が施されており、気高さがにじみ出ている。
男は男性にしては長い黒髪をセンター分けにしており、女は頭の上でぎゅぎゅっと束ねている。
「王様と……誰だっけ?」
アジールも自分達から見て右に座るドレス姿の女性については理解できていない。
「王妃よ。つまり……」
「王様のお嫁さん!」
「よく出来ました」
ロニアに褒められ、ネッテはわーいと両手を上げて喜ぶ。
イリックはどこか似ている二人はてっきり兄妹か何かだろうと思っていたため、へ~と感心する。
「数年前に結婚して、今はお腹に赤ちゃんがいるらしいわ。その子が王子か王女ってことになるわね」
「お~、ロマンチック~」
ロニアの発言にネッテはいちいち感動する。しかし、ロニアにとって本題はここからだ。それは同時にイリック包囲網の完成でもある。
「ちなみにあの二人、右が姉で左が弟よ。つまり、姉弟で結婚したってこと」
「なんですと!」
「はぁー!?」
ロニアの爆弾発言に、ネッテは興奮し、イリックは困惑する。
アジールは小さく驚くが、当然のように表情は崩さない。
ウェイクは知っていたため、この問答には最初から参加していない。
親族同士の結婚。これはこの世界において珍しいなりにも存在する。アリカ大陸では普通に認められており、それを実践するようにネレネン王国の王族は近親婚が比較的多い。
トリストン大陸の場合、生まれてくる子供を考慮し、倫理観からタブーとしている。
そう、近親者の子供にはある程度の確率で珍しい症状が発症してしまう。
戦技を司る臓器もしくは魔法を司る臓器の発育不全だ。
モンスターと戦わないのならそれらは一切不要だが、裏を返せば子供の可能性を潰すことに繋がってしまう。
トリストン大陸ではこの考えが浸透しており、ゆえに兄妹姉弟での結婚は暗黙の了解で禁止されている。
アリカ大陸で禁止されていない理由。それは、それほどにモンスターとの戦いが逼迫しているからかもしれない。
一人でも子を残さねばならず、ゆえにデメリットを飲み込んでいる。仮に生まれてきた子供がモンスターと戦えずとも、それならそれで別の仕事に従事すればよいのであって、表立って戦う軍人や傭兵を陰から支えることは可能だ。
その症状は次の世代に遺伝しないということも、近親婚の禁止には至らない理由に含まれる。
国民や取り巻きからすれば、王族同士の結婚は願ったり叶ったりだ。なぜなら、戦争に自ら赴かないからだ。
戦えないのだからそんなことをするはずもなく、ゆえに王族は次の世代に子孫を残すことが可能となる。
ロメロンは王になった今でも、時折防衛戦に参加する。宰相や軍人からすれば肝が冷えるどころではない。もちろん、その異常な強さから戦力としては大きく貢献してくれるものの、やはり王宮でふんぞり返ってくれた方が気持ち的には楽で仕方ない。
生まれてくる王子、もしくは王女には、王の血の気の多さが受け継がれないことを皆が願っている。
「お、お兄ちゃ~ん」
「涎を垂らすな!」
ネッテが心底うれしそうにイリックへ詰め寄る。前例を見せつけられた以上、もはや拒絶される言われはないと開き直る。
イリックはトリストン大陸で生まれ育ったため、どうしても近親婚をタブー視してしまう。
ネッテだけは両親から兄との結婚を承諾されていたため、その考え方が欠如している。
一緒に育てられたものの、その差が二人の感性に溝を空けている。
「生まれてくる子供を安全に育てるという意味では、肉親同士の結婚もありなんでしょうね」
「そういう考え方でもできるんだな。単純に好き合ってのことかと思っていた」
ロニアのいかにもな分析に、ウェイクは唸るように納得する。
ロメロン王とトゥリン王妃の場合、ウェイクの発言が正解だ。
「抱きつくな! 腰を振るな!」
心底嫌そうなイリックとは対照的に、ネッテは求愛行動で自身の感情を表現する。抑えが効いていないだけとも言える。
「イリック。今回の勝者と戦ったらどうだ?」
「え、楽勝です」
「だろうな」
ウェイクとイリックは共通の認識を抱いている。一回戦の勝者、スルフィは確かに屈強な傭兵を倒してみせた。しかし、同様の方法でイリックを倒せるかと問われれば首を左右に振らずにはいられない。
少なくともイリック自身はそう思っており、スルフィが準決勝まで上がってくれれば楽に勝てるだろうと見下すように予想している。
この自信は先の鍛錬から生まれ出ている。血反吐を吐きながら過ごした一ヶ月の日々は、イリックを一回り以上も成長させることに成功する。
「言い切るなんてらしくないわね~」
「一皮剥けた的な」
ロニアとアジールはどこか他人事のように言ってのける。
妹を引き離したいにも関わらず、手も足も出ない兄にそのような実力が備わっているようには見えないが、この場合、妹の方がおかしいだけだ。
騒いでいる内に二回戦が始まり、イリックが一目ぼれしかけた女性が敗れてしまう。
アジールに匹敵する長身。
女性特有のすらっとした長い黒髪。
色っぽい顔。
大人の色香。
胸の大小は防具のせいでわからなかったが、どちらにせよ、イリックの心は既に魅了されている。
「くぅ、あのハゲ!」
イリックは勝者をなじる。想い人が敗れたため、いたくご立腹だ。
その一言でネッテ以外の女性陣は察する。
「あぁ、確かにイリックの好みよね」
「ネッテ。イリックが浮気しようとしてる」
「兄上!」
ロニアとアジールの告げ口がネッテを奮い立たせる。
イリックはこれから試合なのだが、その前から既に瀕死の重傷に追い込まれる。戦う前からマジックポイントを大きく減らすことになったが、次の試合に影を落とさない。
試合時間が訪れ、イリックは指示された廊下を目指す。背後から応援する声が聞こえたが、ぼこぼこにされた直後ということもあり、素直に喜ぶことはできない。
暗い階段を下ると広くない控え室に辿り着く。
黒い軍服を着た係員が待ち構えており、イリックは試合前の簡単な手続きを手早く済ます。
廊下を突き当たりまで進むと二股に別れているため、右に曲がれと指示される。すなわち、イリックの戦場はその先ということだ。
またも薄暗いその通路を進むと、光がぱあっと押し寄せる。周囲の観客席からは見知った声援が届き、それが不思議と力に変換される。
やる気はここに至る前から溢れている。
自信は一ヶ月の鍛錬により身に付いた。
イリックが立つ闘技場には三人の軍人が見守るように立っている。審判役を務める三将軍だ。
ネレネン王国の国民にとって、現れたイリックは完全に未知の存在だ。
黒髪はさっぱりと整えられている。二度に渡る若返りで伸びてしまった髪は鍛錬の途中でばっさりと散髪した。
赤いピーコートはイリック専用の防具であり、誰もが初めて見ることになる。
背中のミスリルソードはここの国民にとっては輸入品として親しまれており、比較的有名な武器だ。
ざわざわと話し声が響く中、イリックの正面から子供にしか見えない対戦相手が姿を現す。
黄色い髪は耳に少し届く程度の長さ。
十四歳に相応しいあどけなさの残る子供の顔。
身長もイリックと比べれば幾分低く、しかし、身に付けている装備のせいでただの子供には決して見えない。
赤と黒が織り成す重鎧は小さな体を完全に包み込んでおり、背中には上半身よりも大きな両手斧がぶら下がっている。
その足取りは軽く、子供には耐えられないほどに重い装備品を当然のように着こなしている。
出場選手が揃い、審判のアインが大きな声で両者を説明する。
ピピはウォーリア。ロメロン王の推薦により武神祭に出場した双子の兄。
イリックはパラディン。西のトリストン大陸から招かれた冒険者。
イリックはパラディンではなくプリーストだ。しかし、この大会ではそのように申告している。キュアだけでなく、いずれはインビンシブルを使わなければならなくなるだろうと考えてのことだ。
虚偽申告に変わりないが、コネクトという魔法がそれを可能としてしまうため、反則すれすれだと開き直るしかない。
本大会では珍しいこのカードに観客は大いに湧く。しかし、内心ではこう思っている。
西の冒険者も運が悪い。初戦の相手がこの傭兵では成す術なく無残に倒されるだろう、と。
王が推薦するほどの傭兵ゆえに、実力も知名度も抜群だ。少なくとも今回の観客はほぼ全員がピピの勝利を信じて疑わない。それは親しく会話を交わしたヴォイスとて例外ではない。
「お兄ちゃん、がんばってー!」
ネッテが兄を応援する。完全にアウェーな空気を払拭するように、観客席からイリックを見守る。
「ピピ! そんな弱そうな男倒しちゃえ!」
ピピの妹、ロロは兄の勝利を確信している。優勝候補の一角に数えられている自分達が初戦で負けるとはこれっぽっちも思っておらず、それは他の観客とて同じだ。
「お兄さん、強いの?」
「ぼちぼちです。君は?」
イリックは涼しい顔で回答し、流れとして聞き返す。
少年は口角を釣り上げて笑う。
「子供だと思って油断しない方がいいよ」
この忠告はイリックに対して全く意味を成さない。相手が子供だからと言って侮らないからだ。三歳も年下の妹がまさにそれを体現するような存在ゆえ、目の前の対戦相手も対等に扱っている。
「こう見えて、傭兵歴三年のベテランなんだ。お兄さんは冒険者? だっけ? どのくらいやってるの?」
「まだ一年も経ってないです」
その経歴の浅さがピピを笑わせる。自分よりも年上にも関わらず、のうのうと今まで生きてきた証拠だからだ。
いよいよ負ける要素がない。勝利を確信し、ゆっくりと背中の両手斧に手を伸ばす。
柄が赤いそれは先端に巨大な両刃を備えており、少年が構えれば上半身はまるまる隠れてしまう。子供の細い腕では到底持ち上げることもできないはずだが、少なくともこの傭兵にとっては相手を倒すための商売道具でしかない。
「ぶっ倒してあげる」
この発言は本気だ。十四歳の少年から、隠しきれない殺意がぶわっと放たれる。
これにはイリックも審判三人も驚かずにはいられない。あどけなさすら残る子供から、純粋な殺意が轟々と漏れているからだ。
この大会では相手を殺してはいけない。だからと言って殺すつもりで戦ってはいけないわけでもない。死ぬ寸前まで追い詰めても構わないのだから、殺意を向けることもなんら反則ではない。
それでも驚愕に値する。鎧を着こみ、斧を握っていようと、やはりまだ子供にしか見えない。にも関わらずモンスターのような殺意を目の前の人間に向けることができてしまう。通常ではありえない。
相手を萎縮させるほどの黒い圧力が、イリックを丸ごと飲み込む。
(これが王の推薦した選手か……。すさまじい怒気だ。戦争がこのような子供を生み出してしまうのかもしれんな)
アインは両者を眺めつつもピピについて推測する。子供が三人いる親として、何よりこの国を代表する三将軍の一人として、どこか異常なピピを悲観してしまう。
この予想は大きく外れている。ピピとロロの二人は生まれもってこのような人間として設計されている。
傭兵だった両親の才能を色濃く継いでおり、物心ついた頃には子供の規格から既に外れていた。
親を失ったことで自由に生きることが可能となった双子は、当然のように傭兵会社の門を叩く。
親の遺品を装備し、十一歳の子供がたった二人でモンスターを倒す日々。一見すると異常な光景かもしれないが、二人にとってはこれが追い求めていた日常であり、兄はウォーリアとして斧を振るい、妹はドルイドとして回復魔法と攻撃のサポートを行う。
三年の月日が双子をさらなる強者に追い上げ、今では王の目にとまるほどの逸材にまで進化する。
ピピとロロの強さ。それは親譲りの常人ならざる身体能力だけではない。殺意を容易く抱ける精神構造が最たる所以だ。
その感情は攻撃の手を鈍らせず、躊躇なく武器を振るわせる。手加減や情けのような戦いにおいて不要な要素を省くことにも繋がる。
目の前の獲物を仕留めることに特化した心と体の持ち主にこそ、天才という単語が相応しいのかもしれない。
生まれ持った才能。
戦うことに適した精神。
三年の戦闘経験。
ピピはこれらを武器として、これからイリックを仕留めようとしている。
「準備はいいな? 両者! 構え!」
審判は体を震わせ叫ぶ。一回戦第三試合の開始だ。
ピピは既に両手斧を構えている。うずうずとうれしそうに対戦相手だけを凝視しており、その殺意は観客席さえ飲み込もうとしている。免疫のない人間には毒でしかなく、息苦しさから既に失神している者さえいる。
イリックは背中のミスリルソードに手を伸ばし、銀色の刃を斜め前に向ける。
「始めえぇ!」
大声が空気を振るわせると同時に、審判は後方に下がる。
それよりも速く移動する物体が棒立ちの対戦相手を吹き飛ばす。ガキンと耳をつんざく金属音が鳴り響き、その少年は眉をひそめる。
「あれ、受け止められちゃったな~」
巨大な斧で相手の胴体を両断するつもりだったが、それは失敗に終わる。イリックがミスリルソードで防いだからだ。
(こ、殺す気か!)
後方まで吹き飛ばされてはしまったが、イリックは無傷で初撃をやり過ごす。その一撃はジャイル村で戦ったヘカトンケイルの棍棒を彷彿とさせるほどに重く、わずかに手が痺れるほどだ。
「僕ね~。あんまり戦技って覚えてないんだ~。四つだけ。お兄さんは?」
「ふ、二つ……です」
ピピは微笑みながら話題を提供する。嘘偽りなく、ピピはウォーリアの戦技を四つ習得している。
一方、イリックはパラディンということになっているため、アジールから拝借できるウォーシャウトとインビンシブルが使用可能だ。
「少ないんだね。まぁ、僕も人のことは言えないか。ダンサーモード」
ピピは脳内のスイッチをカチリと切り替える。見た目には一切変化がないが、戦技の発動は既に終えている。
ダンサーモード。ウォーリアの戦技。素早さを高め、代わりに筋力が低下する。アグレッシブモードの対となる戦技だ。
「これだけじゃないよ。これけっこう珍しいんだって。グレイブストーン」
「うう?」
ピピが左手をかざすと同時に、イリックは自身に気持ち悪い変化が起きたことを察する。ずしりと体が重くなり、まるでこの体が他人のものかと錯覚させられる。
グレイブストーン。ウォーリアの戦技。対象の体重を二倍に増やす。習得者が少ない希少戦技であり、手を向けるだけで発動させられる。効果時間は二十秒。
イリックは思い知る。自分と眼前の子供では様々な面で違うことを。
生まれ持った才能。たった三年でこの強さを手にしていることが、何よりの証拠だ。
戦技の差。キュアしか使えなかった自分の運の悪さは、こういったことでいちいち思い知らされる。
今なお殺意をたぎらせる精神力の強さ。十四歳で大人顔負けな芯の通った意思を持っている。イリックが十四歳の頃は釣りのことばかり考えていた。もっとも、それは今もあまり変わらない。
「とっておきを見せてあげる」
(か、体が重い……。今の内に倒そうって魂胆か)
にじり寄るピピはダンサーモードにより筋力が低下しているが、それでもなお、重たいはずの武器と防具をあっさりと持ち運んでいる。
一方のイリックは体重が二倍に膨れ上がっており、言わば六十キロ以上の錘を背負っている状況だ。
しかし、イリックが受けている枷は何ら問題ない。
徒歩から突然爆ぜるように駆け出したピピは、イリックの周囲を不規則に移動する。観客席からは小さな子供が突然姿を消したようにしか見えない。それほどの高速移動を実現しており、三将軍はピピの才覚に目を見開く。
まだ十四歳の子供が人間の限界領域に足を踏み入れている。音を置き去りにするほどの超スピード以上に、この事実が実力者達を唸らせる。ネレネン王国の将来は安泰だと胸を撫で下ろすこともできるが、対戦中のイリックにとってはたまったものではない。
「それじゃ、終わらせるね~」
声はすれど姿は見えない。ピピはただ走り回っているだけだが、多くの人間を置き去りにする異次元の強さがそんな芸当を可能とする。
周囲を走るだけでは相手を倒すことはできない。そんなことはピピも理解しており、隙だらけの背後へ両手斧を振りぬく。
だが、そこにイリックはいない。対戦相手の動きに反応し、右へぴょんと跳ねてやり過ごす。
いかに強靭な肉体を誇る冒険者であっても、六十キロは確かに重い。それでも動きをわずかに鈍らせる程度だ。
そんなことは傭兵も理解しており、そのためのダンスモードだ。二重の策は必勝のパターンであり、手加減なしの殺意を向ける。
その作戦は悪くない。ピピがイリックを倒すための唯一の手段だ。
それでもまだ足りない。少なくとも、この男を倒すには到底届かない。
イリックは目の前の子供ほど才能を持ち合わせていない。
一方でイリックにも引けを取らない点がある。精神力の強さだ。
ピピは殺意をもって相手を全力で倒す。
イリックはそんなものを持ち出さずとも戦えてしまう。
それを証明するように、追撃を試みるピピが両手斧を振りぬく前に、満面の笑顔を浮かべるかわいらしい顔へ全力の蹴りをお見舞いする。
イリックとピピの差。その最たるは鍛錬の差だ。
十四歳の少年は三年間の傭兵歴を積んでいる。それはそれで十分立派だが、まだ届かない。
イリックは七歳から己を鍛え始めた。
十一歳からアイール砂丘の見回りを始め、それは十八歳まで続く。
鍛錬四年。
見回り七年。
それだけではない。冒険者としてトリストン大陸を駆け巡った時間と、デフィアーク共和国で軍人達に揉まれた一ヶ月間が存在する。
長さがそのまま強さに結びつきはしないが、この戦いにおいてはこれが圧倒的な差となって勝敗を分かつ。
全く届かない。三年の年月ではこの冒険者を倒せない。
放たれた矢よりも速い少年は、トリストン大陸という壁を貫くには至らない。
首がへし折れたピピはもはや動けない。地面に倒れこみ、呼吸すら行えない。
「勝者! イリック!」
「キュ、キュアー!」
審判が勝敗を告げると同時に、イリックや医療班は総出で敗者にキュアを唱える。殺してはいけない。そのルールを破る寸前だ。
優勝候補を無傷で倒した冒険者に、観客達は信じられないと呆然としながら視線を向ける。
先ずは一勝。
武神祭の波乱はまだまだ収まらない。
◆
一回戦第八試合。すなわち、初日の最後を飾る戦いだ。これが終われば武神祭は全工程の半分を消火したことになる。
ゆえに観客席から見守る男も女も手に汗握り見守る。
この試合は一回戦で最も注目されている。優勝候補の一人とトリストン大陸の軍人がぶつかるからだ。
王が推薦した双子のドルイド。十四歳の少女でありながら既に名うての傭兵として確固たる地位を築いている。
非常に稀有なその分類と幼い外見は観客席の視線を釘付けにするが、勝敗はもう一方の対戦相手が掴み取る。
ロロ対ウェイク。
結果はウェイクの圧勝だ。
戦いの過程でこの軍人はミスリル製の短剣を拳で粉砕する。
この行為は観客席から見守るイリックを気絶させる。当然だ。人間業ではない上に、貧乏性の男には非常に衝撃が強い。自分のミスリルソードが同じことをされたら、おそらく立ち直ることはできない。
こうして武神祭の一日目は終わりを告げる。勝ち上がった選手は次の通りだ。
一試合目。
マンイーターを振るうスルフィ。
二試合目。
スキンヘッドを輝かせながら刀を巧みに使いこなす侍のバハウ。宰相の推薦選手だ。
三試合目。
双子の兄を一撃で倒した冒険者、イリック。
四試合目。
パラディンとして不死身の戦い方を披露したローアン。イリックの次なる相手だ。
五試合目。
宰相が推薦したもう一人の選手であり、最も優勝に近い傭兵と噂されているモンクのオランヤン。
六試合目。
片手剣と短剣による二刀流のローグ、スミレ。
七試合目。
この国を代表する天才を接近戦で破ったハンターのエンディ。
八試合目。
トリストン大陸から招かれたウェイク。
栄えある二日目に勝ち進んだ彼らは、三日後に再び合間見える。決勝戦で挑戦者を待ち続ける最強の傭兵を倒すために。
試合会場から立ち去る者達は様々な感情を抱くも、最大の関心は二人に収束される。
イリックとウェイク。推薦選手である双子を倒した冒険者と軍人。
トリストン大陸からの客人ゆえに侮っていた。
平和な土地でのうのうと暮らす弱者だろうと蔑んでいた。
その考えは間違いだと気づかされる。
それでも揺るがないものがある。武神祭を二度優勝している男が最後に勝利することだ。
ヴォイス。後に四人目の将軍と呼ばれる傭兵が、今回も優勝するのだろうと誰もが信じて疑わない。
結末は三日後に判明する。




