第五十四章 いざ! アリカ大陸!
イリンにサラミア港の自宅を燃やされて一ヶ月。
荒野のような味気ない風景が広がっているここはデフィアーク共和国の東に存在する軍区画だ。
一見すると空き地のような場所は軍人が使うグラウンドであり、きちんと整備されている。
ロールケーキのような単色の建造物は大小いくつもあり、倉庫や屋内用の訓練場として使われている。
高さを伴う四角い石製の建物はそれぞれの部隊の本部や多目的な施設になっており、住宅密集地と比べるとここは密度の低い場所と言わざるをえない。
時折吹く風が地面の薄茶色な砂を巻き上げるが、軍人達は一切気にも留めない。何より今は珍しいものを眺めている最中だ。それどころではない。
一際大きなグラウンドに立つのは四人。
イリックは少しだけ長い黒髪を揺らしながら、複雑な心境を抱く。それもそうだろう。眼前に屈強な軍人が三人も立っているのだから。
二人は銀色の軽鎧をまとう男だ。
茶色いオールバックがウェイク。渋い顔にはちょび髭さえ似合う。
二枚目な顔立ちに灰色の短髪の組み合わせはマッカス。ニヤニヤしている。
赤い軍服を着込む紅一点はエミリア。無言の圧力を放つ。
まるで立ちはだかるような三人に、イリックはそっと口を開く。
「非常に有り難い申し出ですが、ちょっとスパルタ過ぎませんかね~」
「そんなことはない」
「これくらいが丁度いいんだよ」
ウェイクとマッカスがすぱっと否定する。ペアルックだがそんなことをおちょくる余裕は今のイリックにない。
ウェイクの右手には木製の片手剣が握られている。
マッカスの右手には木製の両手槍が納まっている。
模擬戦用の模造武器であり、対するイリックもウェイクと同じ武器を掴まされている。
「安心しろ。他の隊長にも面倒見てもらえるぞ」
(なんか大げさな話になっちゃってるな~)
エミリアの発言はイリックを青ざめる。この状況、通常なら誰もが憧れてもおかしくはないのだが、だからと言って素直に喜ぶことはできない。体が耐えてくれるか不安だからだ。
「昼飯食って腹いっぱいだろ? とりあえず俺が一時間くらいは鍛えてやるぜ~」
「いや、せっかくだ、二人がかりでいくぞ」
「お、それもいいな!」
ウェイクの提案を受けてガハハとマッカスが笑うほど、イリックは本気で身の危険を感じ取る。
「急用を思い出したのでこれで」
「待ちなさい」
「速い!?」
心の折れたイリックが本気で脱出を試みる。しかし、オレンジ色のオーラをまとったエミリアがあっさりと逃亡者の首を捕まえる。
オーバースペック。自身の移動速度をわずかに向上させる強化魔法だ。ただでさえ常人離れしたエミリアがそれを唱えれば、もはや鬼に金棒以外のなにものでもない。
「観念するんだな~。さぁ、楽しい楽しい訓練の始まりだ~」
「いや~!」
イリック、十八歳。デフィアーク共和国で死を覚悟する。
話は遡ること一ヶ月。
イリック達はゴルド達からとある提案を持ちかけられる。
東の大陸に君臨するネレネン王国に行けるぞ、と。
それはネッテの希望であり、とは言え非常事態の直後ということもあり、イリックは即答できずにいたが、最終的にはその提案に乗っかる。
そこから先はなかなかに慌しかった。
出発は約二ヵ月後。そういう意味ではのんびりとできそうなものだが、そうもいかない理由がいくつも重なる。
先ず、同行者の選定だ。
ネレネン王国には五人で向かう手はずになっている。すなわち、イリック達四人ともう一人だ。
その人物はイリック達のお守り役と言える。併せて、小型化に成功したエレメンタルフォンで日々の状況を報告する。
イリックとしては誰でもよく、適当に決めて、とゴルドに言い返す。
同行者にはいくつかの条件がつく。
一つ。前衛攻撃役。
二つ。そこそこの実力者以上。
三つ。イリック達との長期出張に賛同してくれる人物。
四つ。それが可能な者。
イリック達のネレネン王国渡航を取り付けるに至り、ゴルドはある条件を突きつけられる。
今年の武神祭への出場だ。
ゴルドは勝手にイリックと同行者の出場を確約し、結果、ネレネン王国への船旅が実現する。
イリック以外にもう一人出場しなければならない。ネレネン王国は前衛が重要視される国ゆえ、今回の同行者もそれが相応しいとゴルドは考える。
それなら活躍した方がいいだろうと実力者に限定する。
この二つでガーウィンス連邦国の館長達は条件から外れる。軍人ならいくらでもいるが、イリック達は面識がないため、デフィアーク共和国の軍長達が指名される。
イリックと親しい軍人となるとエミリア、ウェイク、マッカスの三人が真っ先に名が挙がる。
エミリアは忙しいため難しく、マッカスも第五陸軍の仕事が忙しい。
ウェイクも決して暇ではないのだが、カルック坑道の一件が片付いたばかりなため、比較的時間にゆとりがある。
何よりその実力は格別だ。武神祭がどんなものかはわからないが、いくらか活躍できるだろうという根拠のない推測から、イリック達の同行者に抜擢される。
ウェイクは快く同意し、ガーウィンス連邦国はネレネン王国と最終調整を開始する。
渡航者は冒険者四名と、デフィアーク共和国の軍人一名。
武神祭に出場するのはイリックとウェイク。
そういう段取りで交渉は進み、ついに日程が決定する。
二ヵ月後。
武神祭が開催される直前であり、イリック達としては随分と待たされるこの状況にやきこきする。
もっとも、やらなければならないことは多い。なぜなら、イリンのせいで自宅や装備を失ったからだ。
アジールの装備を購入。
アジールのマジックバッグを購入。
自宅を購入。
自宅については完全に未定だ。場所を決めてもいなければ、そもそもそんな大金を持ち合わせていない。
それを言うならマジックバッグすら購入できない。冒険者にとっては必需品だが、かなりの高額マジックアイテムだ。
装備に関しては妥協さえすればどうにかなる。裏を返せば、妥協しなければやはり手が届かない。
とにもかくにも金を稼がねばならず、冒険者ゆえにやることはシンプルだ。
ギルド会館に通って、掲示板をチェックし、程よいクエストに挑戦する。
実に冒険者らしいが、買わねばならぬ物品がどれも高額なため、士気はなかなか上がらない。
そんな四人を見かねたわけではないが、デフィアーク共和国が話を持ちかける。手始めに、リンダの引越し依頼が舞い込む。
錬金術師リンダ。とんでもない発明により、二十四歳に若返ってしまったこの女性は、活動拠点をワシーキ村からデフィアーク共和国に移す。
ゆえに家具等を運ばねばならないのだが、最適な冒険者に白羽の矢が立つ。イリックだ。テレポートを使い、リンダの引越しを手伝うことになる。
冒険者は言ってしまえば何でも屋であり、報酬さえもらえるならこういったことも当然請け負う。
イリック達四人は、イリックのテレポートを活用しつつ、リンダの新居に荷物をせっせと運ぶ。
リンダはエミリアの自宅に同居するつもりでいたが、当然それは却下され、渋々すぐ近くの一軒家に腰を落ち着かせる。
一人暮らしゆえにそれほど家具は多くなく、マジックポーションも高額なため乱用できず、数日かけてやり遂げる。
これが一つ目の依頼だ。
二つ目はカルック高原のモンスター増加に伴うワシーキ村とテホト村の安全確保だ。これもリンダが一枚噛んでおり、具体的にはリンダが発明したモンスター避けの結界が正常稼動しているかのチェックも兼ねている。
イリック達四人とリンダ、そして第三陸軍第一部隊副隊長のミヤが二つの村とその周辺をじっくりと調査する。
リンダは結界の動作確認を、残りの五人は周囲の探索に明け暮れ、問題ないと結論付ける。
そもそもワシーキ村とテホト村には第五陸軍が常駐しており、それに加えて金の匂いを嗅ぎ付けた冒険者が一時的と言えども住み着き、彼らが増えたモンスター達を日夜討伐してくれる。
ゆえに本件はそれほど重要視せずとも問題ないと言える。そもそも原因は断たれており、後は終息するのを待つだけの状態だ。
二つ目の依頼は二週間ほどで完了する。
ついでにデフィアーク共和国に腰を落ち着けた一同は、時にアジールの実家に帰り、時にクエストに励み、時に防具屋で防具の高額っぷりに眩暈を起こし、時に釣りに明け暮れる。
そして今に至るのだが、その前に少しだけやり取りがなされる。
ネレネン王国への出発までおよそ一ヶ月。その時間をどう過ごそうか考えていたイリック達に、エミリアが話を持ちかける。
鍛えてやろう、と。
その申し出は願ったり叶ったりだ。イリックは二つの理由で今よりも強くなりたいと考えていた。
イリンから仲間を守りつつ、返り討ちにしたい。
武神祭で優勝したい。
どちらが大事かと問われれば前者だが、後者も決して疎かにはできない。
武神祭の優勝賞品は盾だ。それにどれほどの価値があるのか、当然イリックは知らない。それでも、きっとすごいのだろうとぼんやりと思い描いており、ゆえに優勝したい。
その盾はアジールのために入手したいからだ。
防具の類を全て失ったアジールだが、金銭的理由からすぐに同等のものを購入することなどできない。全てを揃えようものなら、年単位の金策が必要だ。
大会で優勝さえすれば、立派な盾が手に入る。ゆえにイリックはエミリアの提案に勢いよく首を縦に振る。
そのついでだ。ネッテとアジールも鍛えてもらう。
イリンがいつ襲ってくるかわからない。最悪、イリックがいない状況で再び出会うかもしれない。イリックだけが強くなっても効果は薄く、ネッテ達もこれを機会に強くなるべきだと兄らしく言いくるめ、ネッテ達もエミリアも了承する。
今回、ロニアだけは別行動だ。
この話をどこからともなく聞きつけたシャルロットが、ロニアの修行相手を申し出たからだ。
魔法に関する鍛錬は、やはりガーウィンス連邦国が頭一つ抜けて優れている。デフィアーク共和国の軍人達にも優れた魔法使いはぞろぞろといるが、シャルロット達と比べればヒヨッコの域を出ない。
ロニアにうってつけの仕事もあるらしく、それを手伝ってもらう代わりにシャルロットがロニアの鍛錬に付き添うことを提案する。
イリック、ネッテ、アジールがデフィアーク共和国で、ロニアがガーウィンス連邦国で修行を開始する。
ネレネン王国への出発まで一ヶ月。その間のスケジュールはこうして決定する。
そしてその初日。
イリックはエミリアに退路を塞がれ、ウェイクとマッカスの二人から同時にしごかれるはめになる。
「手加減してもらえても、あっさりと死んじゃいそうなんですけど……」
「ギリギリの加減でいじめてやるよ」
「いやー!」
イリックは知っている。この二人が常軌を逸した実力の持ち主だと。デーモンすらも軽く撫でるように倒してしまうのだから、自分もあっさりと二枚に畳まれそうだと震え上がる。
マッカスはうれしそうに肩を回す。そろそろ始めるぞ。そういうジェスチャーだ。
「俺達に勝ったら夕飯おごってやるよ」
「微妙にしょぼいけど……、そういうことならがんばります!」
マッカスの提案は確かにちっぽけだが、イリックに活力を与えることには成功する。
この戦いはイリックの正確な実力を測るためでもあり、今後の方針を決めるための模擬戦でもある。
午後の緩やかな時間帯ということもあり、エミリア、ネッテ、アジール以外にも野次馬がぞろぞろと集まりだす。
当然だ。第三陸軍軍長と第五陸軍軍長が冒険者と戦うのだから、デフィアーク共和国の軍人なら誰もが興味を抱く。
「お兄ちゃんがんばって~!」
「がんば」
ネッテとアジールの声援を受け、イリックは模擬戦用の片手剣を握る右手を振り上げる。
気づけばグラウンドには人だかりが出来上がる。その中心でこの国最強クラスの二人としがない冒険者が向かい合う。
事情を知っている軍人達はニヤニヤと。
何も知らない軍人達は不思議そうに。
ネッテとアジールはただただ見守るように。
エミリアは将来の部下を味見するように。
観衆から様々な眼差しを向けられながら、ウェイクが左手をクイクイッと動かす。来い。そういう意味であり、模擬戦は静かに始められる。
イリックは迷わない。この二人に下手な策など意味を成さないと知っている。
ゆえに愚直な前進を開始するが、それは不敵な笑みを浮かべるマッカスの登場で邪魔される。
加速したイリック以上の速さで移動し、二枚目な軍人は木製の槍を大きく振り回す。
当たれば怪我では済まない。模擬戦用の武器であろうと、それはすなわち木製のれっきとした武器であり、その上これはマッカスから繰り出される一振りだ。死にはしないだろうが、キュアを数回かけても完治することはないだろう。
ゆえにイリックはそれを片手剣で受け止める。右手がありえないほど痺れたが、これでもマッカスは手加減している。
防がれたことにうれしさと驚きを抱きながら後退するマッカスと入れ替わるように、次はウェイクがイリックに立ちはだかる。
その剣撃も目にも留まらぬ速さで繰り出される。少なくとも周囲の軍人達の半分は目で追えない。
イリックは体勢を崩しながらもスレスレの回避行動を間に合わせる。しかし、片手を地面につけて体を支えなければならないほどに上体を揺さ振られる。反撃など到底不可能だ。追撃を避けられるとも思えない。少なくとも、ウェイクの二打目は次の瞬間にも脳天に直撃しそうだ。
「コネクト」
反則業かもしれないが、仕方ない。イリックは早々にこれを使わされる。
どこまでも続く殺風景な景色から色が抜けていく。周囲を囲うように立っているギャラリーはその色を失わない。当然、眼前のウェイクとマッカスも変色せず、銅像のように身動き一つとらない。
無音の空間で、イリックはせっせと二人から距離をとる。
戦う前からわかっていた。到底太刀打ちできないと。手加減してもらえてるにも関わらずご覧の有様だ。
いつかは越えたい壁は随分と高く、今はその難関さを思い知れただけで良しとする。そう自分を慰めながら、イリックは動き出した世界でそっと口を開く。
「もう少し手加減してくださいお願いします」
シュビッと礼儀正しく頭を下げる。妹達が観戦している以上、みっともない戦いは見せられない。この姿が既にみっともないかもしれないが、それは棚に上げる。
「ふむ……。確かに少々本気過ぎたな」
(そうなの!?)
「手加減なんてつまんねー」
(このままだと殺される!)
ウェイクとマッカスは全力ではないにしろ、それに近い状態でイリックに襲いかかっていた。コネクトの使用も仕方なかったのかもしれない。
「しかしあれだ……。今なら本気でも構わないのだろ?」
「あぁ、そうだな」
親友二人はどこかうれしそうだ。それもそうだろう。今のイリックはコネクトを発動させた状態であり、すなわち様々な戦技を使いこなす。
「勘弁してください……。マジで。本当に」
「問答無用!」
許しを請うイリックを他所に、マッカスは本気の突きを放つ。
当然、それは刺さらない。アジールの戦技、インビンシブルを使ったため、向こう一分間はどんな攻撃も弾き返してしまう。
「これだこれ! 一度経験してみたかったんだよ!」
「マジこえぇー!」
いかに無敵であろうと、雨あられのように槍で攻撃されれば、それは怖いに決まっている。ましてや相手は化け物じみた実力者だ。マッカスの本気はイリックの想定を上回っており、とりあえずの回避行動すら全く意味をなさない。
「くぅ、アサシンステップ!」
「ほう、俺も加わろう」
イリックが本気以上の実力を発揮したタイミングでウェイクも戦いに加わる。
アサシンステップによりイリックの速度は五割ほど増す。その上どんな攻撃も受け付けない。
言わばイリックの最終奥義であり、最後の手段だ。それを披露したイリックの実力を知りたいがために、大人二人は決して倒れない相手に全力の攻撃をぶつけていく。
イリックはいよいよ泣きたくなってしまう。ネッテの力を借りようと、二人の攻撃を避けきれないからだ。
一人が相手ならなんとか耐えしのげるかもしれない。もちろん十秒限定だが。
しかし、今は二人を捌かねばならず、無敵であることをいいことに反撃を試みようと、木製の片手剣は一度も届いてくれない。
ウェイクの一振りは空気を揺らし砂塵を舞い上がらせる。
マッカスの突きは衝撃波を伴う。
イリックの動きは周囲の軍人はおろか、エミリアでさえ捉えきれない。
たった三人でここが大規模な戦場のど真ん中と錯覚させるようなぶつかり合いを披露しており、軍人達は一人、また一人とイリックという少年の異常性を認識していく。
ウェイクとマッカスが普通ではないことなど既に誰もが承知している。そこにこの冒険者が加わっただけなのだが、それは凡人には成し遂げられないことだと理解しているからこそ、この光景には息を飲むことしかできない。
とは言え、イリックのこの強さはコネクトのおかげであり、何よりアサシンステップは十秒しか継続しない。
それが過ぎ去ればただの的であり、インビンシブルの効果が切れればいよいよ敗北だ。
「オラオラー!」
(俺は後四十秒くらいで死ぬんだろうな……)
手心を加えず木製の槍を怒涛の速さで浴びせ続けるマッカスを眺めながら、イリックは自分の死期を悟る。
その予想は的中し、インビンシブルが消失すると同時に、イリックは白目を向きつつ泡を吹いて倒れこむ。
模擬戦用の武器であろうと、二人が使えば必殺の凶器でしかない。
◆
一人殉職してしまったが、気を取り直して次はネッテが立ち向かう。
やり過ぎたと反省したのか、相手は女の子だからか、今回はウェイクが一人で相手を務める。
結果だが、やはりウェイクが勝利する。しかし、決して楽な戦いではなかった。紙一重とは言えないが、手を抜くことはできずに模擬戦は終わる。
ネッテは強い。イリックは誰よりも承知している。その強さにはムラがあることも把握済みゆえ、模擬戦の前に兄として声をかけずにはいられなかった。
敗れた自分の仇をとって欲しいという気持ちも少しだけ潜んでいたが、純粋にその力量を見たかっただけとも言える。
ウェイクさんに勝ったら結婚してやる。
悪魔のような囁きだが、ネッテには効果が抜群だ。過去最強の実力を発揮し、ネッテは怒涛の攻撃でウェイクを追い詰める。
風すら起こすウェイクの一振りを未来予知の如く回避し、攻撃の手を緩めないその立ち回りはまるで踊っているようだった。
野次馬達を魅了するその動きは、イリックの予想通り長くは続かない。
ゴン。
ぎゃん。
ウェイクの一打がネッテの頭に振り下ろされる。良い勝負だったが、負けは負けだ。ネッテは戦技もなしに第三陸軍軍長とある程度やりあってみせる。もっとも、ウェイクも戦技の類は一切使用していない。
イリックは知っている。ネッテは持久戦が苦手なことを。体力的な意味では普及点だが、その高すぎる身体能力が体力を大きく消耗させるため、短時間なら問題ないが、長々とは実力を発揮できない。
結婚成立の前から離婚を言い渡され、ネッテはよよよと泣きながらアジールに抱きつく。
そのアジールだが、マッカスから模擬戦を提案されるも当然のように断る。この兄妹と違い、自分は普通の冒険者だと自覚している。どうあがこうと、軍長クラスとは勝負にならない。
「これはあれだな。部下達の訓練も兼ねて、ばしばしと練習試合させればいいか」
「そうだな。体力、筋力は申し分ない。後はひたすら実戦だ」
マッカスとウェイクは明日からの予定を組み終える。
ここには力を持て余している部下が山のようにいる。その実力はピンからキリまで様々だが、それはイリックとネッテ、アジールの三人も同様だ。
突出している隊長クラスはイリックかネッテにぶつけ、そうでない部下はアジールと戦わせる。時には多数をぶつけることもありだろうと、二人は本人達に聞こえる音量でぼそぼそと勝手に決めていく。
「三人のこと、後のことは頼んだぞ。私も時々混ぜてもらうからな」
「はい!」
「お任せください!」
立ち去るエミリアに、ウェイクとマッカスは背筋を正して返答する。
そのエミリアだが、実は誰よりもこの状況を楽しんでいる。未来の部下が成長する様をこの目で観察できるのだから、それは当然の感情だ。
エミリアはまだイリックを諦めていない。どうにかして、第二陸軍に引き入れるつもりでいる。
その粘り強さがエミリアを今の階級まで登りつめたのだが、そんなエミリアにも苦手とする存在がいる。
「お、いたいた~。今日ご飯に食べに行っていい?」
白いぼさぼさ頭は未だに健在だ。その胸はもはや凶器にしか見えず、歩くだけで上下にほよんほよんと振動する。
清潔感溢れる白いブラウスを妖艶な衣装のように着こなすこの女性は若返ったリンダだ。その年齢は二十四歳に相当する。以前とは異なり、肌はもちもちとしている。
「な……。引越しが済んだのだから、自宅で食べればいいだろ……」
「まぁまぁ。お、イリック達、早速やってるね~」
「ああ。って、胸を揉むな!」
リンダはエミリアと肩を並べながら人だかりを眺める。その中心ではイリックがげっそりしている。これからしごかれることを自覚してしまったからだ。
「後一ヶ月で出発だっけ?」
「ああ」
リンダもイリック達の動向を把握している。一同は一ヵ月後にネレネン王国へ旅立つ。それまではここで鍛錬に励むのだが、リンダはリンダでやるべきことがある。
「それまでには間に合わせてやるよ」
「頼む。ところで、さっさと手を離せ」
リンダは錬金術師として胸を張るが、同時に隣のエミリアにちょっかいを出す。
決して大きくはないそれをまさぐられながら、エミリアは小さくため息をつくことしかできない。
デフィアーク共和国は今日も平和ということだ。
大陸の反対側、すなわちガーウィンス連邦国もまた、穏やかな陽射しに照らされて子供達が笑顔を浮かべる。
皆の視線の先には二人の女性が立っており、一方は子供にしか見えないが、少なくとも生徒達よりは幾分年上だ。
黒いローブには幾何学模様が描かれており、この服は彼女専用の特注品だ。灰色の髪は幾分長く、ツインテールとして頭の両側で束ねられている。
風の図書館館長のシャルロットだ。特別講師として、魔法学校に招かれている。
その隣には少々刺激的な服装の女性が並んでいる。水着のように体の凹凸を顕わにするその服はタイトワンピースと呼ばれている。丈は長ズボンのように長く、脛辺りでぶわっと膨らんでいる。肌色に近い黄色なため、一見するとドキリとさせられるが、もちろん裸ではない。
綺麗な黒髪はおかっぱのような形だが、顔を包み込むその髪型はボブカットが正解だ。
冒険者のロニアもまた、シャルロット同様、魔法学校に招かれている。
以前の勤め先であり、ほとんど全員見知った顔だ。ゆえに少しこそばゆいが今は耐えなければならない。
ここは教室ではなく屋外だ。魔法の実技ゆえ、裏庭が急ごしらえの教室となる。
ロニアはシャルロットから魔法の鍛錬を見てもらえる約束をこぎつけているが、それには一つ条件がある。魔法学校の臨時教師として働くことだ。
人手が足りないわけではない。ロニアないしシャルロットが適任なだけだ。
授業内容は魔力制御に関して。
魔力と違い、魔力制御はほぼ全員が横並びだ。しかし、広い世界ゆえ例外は必ずどこかに存在する。
ガーウィンス連邦国の場合、ロニアとシャルロットが最たる存在だ。
シャルロット一人よりもロニアという目に見えてわかり易い存在がいれば、魔力制御についてもきちんと教えられるだろうという考えのもと、シャルロットはロニアをここに連れてくる。
(まさかまたここに来るハメになるなんて……。デフィアークに残ってた方が楽だったわ)
シャルロットに教わらずとも、ロニアなら十分魔法の鍛錬は可能だ。自ら水魔法を編み出していることがそれを証明しており、イリック達の模擬戦を横目に一人で汗を流せばそれで十分な側面もある。
しかし、ガーウィンス連邦国で一、二位を争う魔力の持ち主から教わることもきっとある。そう考え、魔法学校の臨時教師にはいささか抵抗を感じてしまうが、耐えなければならないと覚悟を決める。
「今日は私とロニアが先生よ。感謝なさい」
子供相手であろうと、シャルロットはどこか高飛車だ。
自分達と大差ない背丈の偉そうな先生を無視して、生徒達は一斉に騒ぎ出す。
「ロニア先生、ひさしぶりー!」
「先生! 何してたの?」
「やっぱりおっぱい大きい!」
「服が前と違う!」
「彼氏できたー?」
「早く魔法見せて!」
ワーワーギャーギャーと子供らしい喧騒が校舎裏の庭を包み込む。先生を辞めたロニアが再びこうして姿を現したのだから、生徒達は久しぶりの再会にわっと湧く。
魔法学校は随分と広い一階建ての建物だ。ギルド会館のように深みのある黒茶色の木材で建築されており、裏にはグラウンド代わりの庭が広がっている。大勢で走り回るにはいささか狭いが、魔法の実技演習なら可能だ。
見学人は生徒以外に数人の教師もおり、もちろん安全のためでもあるが、一番の理由はシャルロットの魔法を見れるからだ。
この国において、シャルロットは誰からも羨望の眼差しを向けられる。若くして研究機関のトップに登りつめたのだから、まさに天才の二文字が相応しい。
その上他を圧倒する魔力を持ち合わせているのだから、文武を両立した理想の象徴と言えなくもない。
野外授業に出席している生徒は全員ではない。人数の都合、何組かに分かれてこの授業を受ける。その証拠に、ジャイル森林で救った男の子、ドントンの姿は見当たらない。
ロニアは未だに生徒達の顔と名前を覚えている。仮に忘れていたとしても、誰よりも驚きの眼差しを向けているその生徒のことは決して忘れない。
黒い髪に黄色がまじるその子供は自分の半分くらいの年齢だ。茶色い瞳がキラキラと輝いており、小さな口は半開きだ。
髪の色は父親と母親から半分ずつ受け継ぐ。瞳は父親似。頭と魔力の良さは姉同様両親から受け継いだ。
ロニアの弟、パニタだ。学校を辞めた姉がこうして姿を現したのだから、心底驚くのは当然なのかもしれない。
(なんかやりづらいわね……。それにしても、少し背伸びたかしら?)
ロニアとパニタは既に半年以上も顔を合わせていない。ロニアは勘当された身ゆえ、実家に帰れないからだ。
冒険が忙しく、帰る余裕もないのだが、時折調べ物をするためにガーウィンス連邦国の図書館に入り浸ることはあるため、自宅に顔を出すだけなら容易だったりする。
「おまえのお姉ちゃん、冒険者になったんだろ?」
「う、うん……」
「すごい服だな!」
「うん……」
隣の男の子がパニタに話しかける。
ロニアの胸は大きい。子供には刺激が強すぎるほどだ。もっとも、大人も十分刺激を受けている。
そして今はタイトワンピースを着込んでいる。この選択は間違いだったとロニアは今になって気づかされたが、今更後悔しようともう遅い。生徒達の視線にさらされることには慣れているが、今だけはどこかやるせない。
「こらー、騒ぐなー」
シャルロットがやる気なく叱りつける。生徒達がロニアにだけ興味を抱いていることが微妙につまらない。館長としての威厳より美貌が勝ると見せ付けられ、心は萎え始めてしまう。
「みんな元気だったようね。ちゃんと毎日勉強してるかしら?」
「はーい!」
生徒の扱いはお手の物だ。なぜなら長年ここの先生だったのだから。ロニアは頼りないシャルロットに代わり、この場を取りまとめ始める。
やることは理解している。眼前の生徒達に魔力制御はどういった才能なのか、実演を交えて教えてあげればいい。
「魔力と魔力制御の違いについてから始めるわよ。これくらいなら授業で既に習ってるでしょうけど、復習よ。ちゃんと思い出しながら聞きなさい」
「はーい!」
ただでさえ小さいシャルロットが立場を失いより一層縮まる横で、ロニアは元先生の実力を発揮する。
先ず、水の柱を地面からぞわっと呼び出す。
子供達が驚きの声を小さく漏らす中、ロニアは魔力制御についてツラツラと授業を始める。
(私は何をしたらいいんだろう?)
当然の疑問を抱きながら、シャルロットはロニアの説明に耳を傾ける。
シャルロットも非常に秀でた魔力制御を持ち合わせている。しかし、左には目に見えてわかり易い水魔法の使い手がいる。授業内容は完璧であり、補足すら必要ない。
出番が来るまで、作り笑顔を維持しながらただただ立っていることを選ぶ。その笑顔は引きつっており、そんなことも満足にできないやるせなさがいたたまれない。
「知ってるでしょうけど、私は水属性に関する魔力制御が優れているの。その反動か、他の属性に関してはダメなのだけど、それならこうして水魔法を磨けばいいのであって、この柱はその成果よ」
ウォーターインカーネイト。ロニアが作り出す水柱だ。
水属性の攻撃魔法はスプラッシュ、もしくはアクアロアの二つだ。ロニアは水属性の魔力制御が高いため、こうして新たな水魔法を編み出すことに成功する。もちろん、才能だけでなく、長年の努力がなければ辿り着けない。
「風の館長は私とは比べ物にならない魔力とマジックポイントを秘めているから、こういうことができちゃうの。ほら、飛びなさい」
「く、どこか偉そうね」
「私はもうここの職員じゃないもの。館長が相手だろうとへりくだる必要はないわ」
ロニアに指示されることに違和感を感じながらも、シャルロットは自身にしかできない芸当を開始する。魔力を周囲に展開させ、力場を発生させる。その作用として、空中浮遊が可能となる。
生徒達と先生達から一際大きな歓声が漏れる中、ロニアは授業を続ける。
その過程で自身の実技を披露することになり、ロニアは自分だけの魔法を詠唱する。
「先に言っておくけど、私を見習うのではなく、自分のできることを探しなさい」
そんな前置きと共に、ロニアは水柱をグネグネと変形させていく。先ず、急激にそれはやせ細る。支えとなる柱が出来上がり、その上には行き場を失った残りの水が球体を成して鎮座する。
それもまた次の形態へ姿を変える。横たわる棒のように細くなりながらも前後へ伸び、その先端には螺旋状の刃が現われる。
ジャベリン。水柱を得て作られるロニアの槍だ。水ゆえに透き通っており、一見すると柔らかそうだが、モンスターを貫けるだけの剛性は持ち合わせている。
子供達の歓声を浴びながら、ロニアはジャベリンを崩壊させ新たな魔法を披露する。
頭上に同様の穂先が現われる。そこから後方にグングンと柄が伸びていき、ジャベリンと同等の形をした水槍が空中で静止ながら現われる。
水柱の工程を省略した攻撃魔法、ゲイルロドだ。
「そしてこれが私のとっておき……になるのかしら?」
(わがままなリーダーを支えるための魔法。ううん、守ってもらうための魔法ね)
これは自分のためではない。なぜなら本来必要ない魔法だからだ。ゲイルロドだけで事足りる現状で、それでもなおこの魔法はなくてはならない。
イリックの戦力を高めるために。
イリックが仲間達を守るために。
イリックの支えとなるために。
他人のための魔法。そういう意味では、ロニアにとって初めてのアプローチになるのかもしれない。
それゆえにこれは美しい。ゲイルロドの造形も凛々しいが、この片手剣はそれを凌駕する。
空中で剣先から生成され始める。剣身が完成する直前、返しのような突起物が一対設けられ、次いで拳を守る唾が出来上がる。細かい模様が施された柄が最後に姿を現し、この片手剣は完成する。
形そのものはオーソドックスだが、向こう側が透けて見えるこの造形はまるで宝石のように美しく、ロニアがそれを握れば女戦士にしか見えない。
リーベルタース。アジールの案が採用され、この魔法はそう名づけられる。強度はそれほど高くはないが、ことあるごとに自身の武器を失うイリックにはなくてはならない魔法だ。
空中に待機させたままの水槍に、水の剣でコンコンと叩いてみせる。本物の武器がぶつかりあうように、それらは決して形を崩さず今の姿を維持し続ける。
「魔力がシャルロットほど高くなくても、水の魔力制御が高ければこれくらいのことは可能になるの。両方が飛びぬけてると空も飛べるのかしらね」
「ふふん。今はせいぜい勉強に打ち込むことね」
ロニアがある種極致的な具体例を見せ、今回の授業は終了を迎える。
生徒達はうれしそうに拍手を送り、なぜかシャルロットがさらにふんぞり返る。
生徒達が臨時教師に別れを告げながら教室へ戻る中、シャルロットとロニアは現役の先生達と談笑を続ける。
そしてその子はそっと語りかける。
「お姉ちゃん」
「久しぶりね。ちゃんと勉強してる?」
久しぶりの再会を喜ぶのは弟だけではない。家を飛び出した身であろうと、それは姉も変わらない。
二色の髪にそっと手を乗せて、ロニアはパニタをやさしく撫でる。
「少し成績上がったよ」
「そう、すごいじゃない」
姉は学年で一、二位を競えるほどの優秀な生徒だった。
弟はそこまでではないが、十分優等生と言える。ゆえにロニアは親の期待を裏切り冒険者の道を歩めたのだが、決して両親や弟が嫌いで家を飛び出したわけではない。
この目で広大な世界を見て周りたい。そんな欲求に負けてしまった。実に冒険者らしい理由だとロニアは自覚しており、この道を選んだことを後悔はしていない。
この選択が弟に寂しい思いをさせていないだろうかと少しだけ不安になることもあったが、男ゆえ、そこは我慢してもらうしかないと開き直る。
「当分、ここに居てくれるの? 帰ってくるの?」
「ううん。家には帰らないわ。二週間くらいはガーウィンスにいる予定よ。また、こうして学校に来るかもしれないわね」
パニタから向けられる視線は純粋に家族へ向けられるそれだ。姉であり先生が突然いなくなったのだから、寂しくないわけがない。
ロニアは家族として曖昧に答える。今はそうすることしかできない。
長話ができるほどの時間もなく、パニタは先生と共に教室へ戻っていく。
残された二人は依頼されていた先生役を無事果たし、一旦風の図書館へ帰還することを選ぶ。
その道すがらで、シャルロットはロニアの才覚を見込んで提案を持ちかける。
「あなた、冒険者なんて辞めて、うちに来ない? もしくはゴルドのとこでもいいわ」
引き抜きだ。ロニアほどの優秀な人材なら、ガーウィンス連邦国の研究機関で働けると判断してのことだ。
ロニアは既に各図書館では有名人だ。
北の地に生息するモンスターを何体も倒したパーティの魔法使い。
サハハ遺跡の暴走を阻止した命の恩人。
成果だけ見ても、この国で最も栄光のある六つの研究機関で働けるだけの条件を満たしている。
何よりシャルロットはこう考えている。
「冒険者の末路なんて二つだけよ? モンスターに殺されるか、他の仕事に渋々移るか」
「そうなんでしょうね」
冒険者の最後は悲惨なことが多い。相手はモンスターなのだから、ちょっとしたミスで命を落とすことに繋がる。
もし冒険者で居続けるなら、必ず最後はモンスターに殺されて終わりを告げる。老死や病死より先に、そんな形で命を落とす。
悲劇的な死に方が嫌なら、転職するしかない。
冒険者とはそういう職業であり、ギルド会館に足しげく冒険者達は心の奥底である程度覚悟を決めているのかもしれない。そこまで深く考えていないのかもしれない。どちらにせよ、長生きはできない過酷な仕事だ。
それでもロニア自身がこの道を選んだ。そして出会ってしまった。頼もしくもどこか頼りないリーダーに。
ゆえに今はこう答える。いずれは冒険者を続けられなくなる時が訪れるのかもしれないが、それを不安に思う必要もない。なぜなら、おそらくそれ以降も一緒にいられるのだから。
「仲間がいるもの。今はそこが私の居場所なの」
「かっこつけちゃって。あんな男のどこがいいのよ」
「あら、私イリックのことなんて一言も言ってないわよ。もしかして、この輪に加わりたいのかしら?」
「な! な!」
顔を赤らめるシャルロットを見ながらロニアは気づく。この子をからかうのは確かにおもしろい、と。イリックが何かとシャルロットをいじくる理由がわかったところで、二人は丸い屋根を被った研究機関に辿り着く。
「おもいっきりしごいてやるんだから……」
「あら、こわいこわい。ところで、私こういうことがしてみたいのだけど……」
愚痴るシャルロットにロニアは提案する。自身の方向性は誰かのおかげで理解している。それを実現するために、これから二週間、ロニアは己を鍛えなければならない。
イリック達三人はデフィアーク共和国で、ロニアは単身ガーウィンス連邦国で、一皮向けるための日々を駆け抜ける。
ネレネン王国への出向は一ヵ月後。
四人は来るべき時に備え、次の段階を目指す。
◆
「もう帰る! 帰ってロニアさんのおっぱい揉みしだく!」
「お兄ちゃん! もうお家はないよ! ロニアさんもそんなことはさせてくれないよ!」
錯乱する兄にネッテは非情な現実を突きつける。
周囲に広がる地面は薄茶色をしており、ポツポツと味気ない建物が並んでいる。ここはデフィアーク共和国の東に位置する軍区画。
一同が集う場所は柵で囲まれたグラウンドだ。
「あれは……、禁断症状か何かか?」
「そうかも。ロニアと二週間も会ってないし」
マッカスは呆れながらもイリックを眺める。ボロボロかつ疲れ果てていても、今日一番のテンションを披露している。
アジールは半分正解を口にしつつ、実はあまり興味ない。
「今日はこれくらいにするか?」
「おいおい。これから俺とやるんだから、それは勘弁してくれよ」
ウェイクがいかに心配しようと、マッカスは了承しない。これから楽しい模擬戦を始めるのだから、そんな案はとてもじゃないが了承できない。
「第五陸軍の隊長を三人抜きした後だろう? 手厳しいな」
「いや……、おまえほどじゃないから……。三時間もイリックと戦い続けるってどんな拷問だよ」
イリックは先ほどまで、マッカスの直接の部下に当たる隊長達と模擬戦を繰り広げていた。
その中にはサラミア港でイリンと戦った第五陸軍第三部隊の隊長も含まれており、両者は比較的近い実力ということから、十分近くも戦い続ける。
結果はイリックの勝利で終わるが、勝敗で言えば六勝六敗。すなわち、やっとイーブンだ。
第五陸軍で隊長を務める軍人達は、総じてイリックに近い実力を持ち合わせている。それはイリックがどれほど強いかを意味しているのだが、何より驚きなのはこの二週間での成長具合だ。
イリックは七歳から鍛錬を始める。目的はアイール砂丘でモンスターに怯えることなく釣りを楽しむためだ。
十一歳でその域に達し、十四歳でアイール砂丘のモンスターを圧倒する。
十七歳でキュアを習得し、十八歳で失業と共に冒険者に転職する。
その後は冒険の合間に己を鍛え続けたが、軍人達に朝から晩までしごかれるこの二週間はイリックをさらなる領域に昇らせる。
例えば隊長クラスとの模擬戦では、初めの頃は負けることが多かった。コネクトを使用すればもちろん勝てる。しかし、裏を返せば素の状態では敵わないということになる。
ゆえにウェイクとマッカスは言い渡す。自分達と戦う時以外はコネクトの使用を禁止すると。
イリックはあっさりと承諾する。なぜなら、コネクトの強力過ぎる性能に依存することがいかに危険か、誰よりも理解しているからだ。
コネクトは一度使うと十分間のインターバルを必要とする。すなわち、この長いとも短いとも言える期間はコネクトに頼れない。ネッテ達の戦技を使用することは可能だが、戦技ゆえ、やはり再使用時間は長い。
コネクトの使用は最後の切り札。本当にどうすることもできなくなったら、自分の力だけでは状況を打開できない時だけ頼る。イリックはそう決めている。
もっとも、隊長達の実力はすさまじく、当初は一戦一戦でそんな状況を出くわしてしまった。
コネクトの使用を禁止された以上、イリックは自身の身体能力のみで戦わなければならない。キュアの使用は認められているため、低い魔力と少ないマジックポイントをやりくりして回復しつつ、隊長達と激戦を繰り広げる。
初めの一週間は負けてばかりだった。実力は拮抗しているにも関わらず勝てない。なぜか? それは、戦闘技術の差だ。
冒険者はモンスターを倒すことばかり考えている。それに特化した、そしてそれが可能な数少ない人種と言える。
一方、軍人も比較的それに近い存在だ。根っこの部分は同様とも言える。しかし、やはり別種だとイリックは思い知る。
剣の振り方。
体の使い方。
体力の容量。
それの配分。
そういった部分が、冒険者と軍人では異なる。
冒険者の多くは我流だ。それが悪いわけではない。それでも、やはり基礎は大事だ。
軍人は一から順に教え込まれる。
武器の使い方。
体力の付け方。
モンスターとの戦い方。
味方との連携の重要性。
トレーニング方法。
時間はかかるが、完成した際の出来は軍人が上回るのかもしれない。
一方、イリックは未完成ながらもある程度出来上がっている冒険者だ。ゆえに、並の軍人よりは幾分強い。
では、軍人として完成している隊長クラス、軍長クラスを相手にした場合どうなるか? 結果は敗北だ。
イリックの強さの根底はコネクトの有無だ。どんな戦況も覆すことができる。それもそうだろう。冒険者にとって最も重要な仲間の力を借りているのだから、それくらいのことはできてしまう。
それを取り上げられたイリックは、成長しなければ隊長達に到底敵わない。ゆえに、さらなる強さを身に付けてみせる。
それはウェイクから教え込まれた戦闘術であり、マッカスから叩き込まれた体の使い方でもある。
隊長達との一戦一戦がその錬度を高め、二週間経った今では、隊長達を全員負かせる程度には進化する。
我流で強くなれたのだから、師がつけばさらに成長できて当然なのかもしれない。もしくはウェイク達の教え方が上手いのかもしれない。ただ単にスパルタなだけかもしれない。理由はどうあれ、イリックはウェイク達の領域に半歩足を踏み入れることに成功する。
「よっしゃ! やるぞー」
マッカスは獲物を前にニヤニヤと笑みをこぼす。
どれだけ成長しようと、イリックはまだこの男の強さに辿り着けていない。ゆえに、大勢の軍人達の前でマッカスにぼこぼこに倒され、最終的にはボロ雑巾のように倒れこむ。
しかし、この攻防は隊長達を含む全員に冷や汗を流させる。
イリックは確かに敗れた。それでもやはり成長していることに変わりはない。およそ五分程度の戦いだったが、マッカスは四つの戦技を使わされた。その上、浅いなりにも攻撃を左腕に浴びせられた。
隊長ですら、軍長のマッカスに一太刀浴びせることなどできない。戦技など使われた日には、その差はさらに開くばかりだ。
それをやってのける冒険者。その上十八歳。
周囲の軍人達は理解する。イリックの鍛錬に付き合うのではない。イリックと共に成長しなければならない、と。
一方、ネッテとアジールもイリックほどではないがグングンとその実力に磨きをかけている。
ネッテに足りないもの。それは体力と経験だ。
十五歳ゆえ、それは仕方なく、ゆえにウェイクは実践の合間は走りこみを言い渡す。
アジールに不足しているもの。それは戦技と体の強さだ。
戦技についてはどうすることもできず、ゆえに基礎トレーニングに重きを置きつつ、軍人同士の模擬戦に混ぜてもらい、自身で自分の得意不得意を模索させる。
アジールに関しては装備が最も足りていないが、それについては金を稼ぐしかない。もっとも、実はマジックバッグだけはなんとかなってしまう。
ここはデフィアーク共和国。すなわち、アジールの実家がここにある。
アジールはイリックとネッテを連れて一度顔を出す。その際に事情を話した結果、父親のユーグはマジックバッグの費用十万ゴールドをおこづかいをあげるかの如く娘にぽんと渡してみせる。機船旅行会社の社長は伊達ではないということだ。
十万ゴールド。見回り時代の年収に匹敵する金額であり、助かった反面、やはりアジールの実家には近寄りがたいと改めて知ったイリックだった。
「今日はここまでにするか」
太陽が沈み始めた頃、マッカスがイリック達や部下を解放する。
マッカスにしごかれた後も、イリックは隊長達と再び剣を交える。回復魔法があるからこそ可能な芸当だが、それでもスパルタなことに変わりはなく、イリックはすっかりやつれてしまう。
「お兄ちゃんはこれからロニアさんとこ行くんだよね?」
「ああ。明日の朝帰るよ」
ネッテとイリックが並ぶと仲睦ましい兄妹にしか見えない。もちろんそれは正しいのだが、この二人は隊長や軍長と渡り合えてしまう言わば化け物であり、軍人達は何とも言えない感情にかられる。
「明日からは俺が、その後はマッカスが忙しい。エミリア隊長が時々面倒を見てくれるそうだが、さぼるんじゃないぞ」
「さぼる暇なんか与えてくれそうにないんですけど……。ま、いいんですが」
ウェイクの指摘にイリックはたじろぐ。軍長がいなかろうと、隊長が入れ替わるように訪れるため、模擬戦の相手にはこれっぽっちも困らないのが現状だ。
何より、軍長は二人だけではない。
デフィアーク共和国には陸軍が五つ、海軍が二つ存在する。
すなわち軍長は七人おり、隊長に至ってはその数十倍だ。
この二週間でイリック達はほぼ全員の軍長と顔を合わせている。七人全員と模擬戦をしたわけではないが、顔と名前を覚えてしまう程度には会っている。
イリック達は言わば有名人だ。
煉獄のモンスターを倒し、カルック坑道の騒動を治めたばかりか、ここ二週間は毎日のようにウェイク達と模擬戦を繰り広げている。その実力は十八歳のそれではなく、ゆえに軍人達は暇さえあれば野次馬に現われる。
模擬戦だけに精を出せばいいイリックはある意味シンプルなのかもしれないが、ネッテやアジールも大変なことに違いはない。
模擬戦という形式をとっているがゆえに、挙手をすれば誰でも戦いに参加することは可能だ。
アジールに対してはそんなことを思いもしないが、ネッテの幼い外見から子供の相手をしてやろうと遊び半分で戦いを挑もうものなら、悪鬼羅刹の実力であっさりとねじ伏せられる。
二週間という十分長い期間により、この三人の実力は誰もが知るところとなる。
ほとんどの軍人にとって、この兄妹の実力は雲の上だ。アジールは丁度良く、ゆえに多くの軍人達はアジールとの模擬戦を楽しみにしている。
なぜか? 美人だからということもあるのかもしれないが、現役の冒険者と剣を交える機会はそう多くない。
デフィアーク共和国は冒険者を決して下に見たりはしない。モンスターや戦闘に関する情報収集を彼らから行っているほどだ。
その実力を買われ、軍に引き抜かれる者も少なくはない。
イリック達の出現は、軍人達にとっても悪くはないと言える。
「んじゃ、ガーウィンス行って来ます。また明日~」
イリックはテレポートの詠唱を開始する。ロニアと合流し、進捗確認と今後について確認するためだ。
「しっかり休むんだぞ」
ウェイクは完全に上官気分だ。
「明日からもバシバシ行くぞ」
マッカスは手加減などするつもりもない。それがイリックの成長に繋がるのだから、それはなおさらだ。
「私はアジールさんのお家に泊まるね」
「ネッテは任せて」
ネッテとアジールはそういうことだ。
楽しい時間を過ごしてくれ。そう願いなら、イリックはその場から立ち去る。
「よし、解散だ。二人共、気をつけて帰るんだぞ」
「さ~て、書類片付けるか~」
ウェイクとマッカスは同時に歩き出す。帰路ではなく、第三陸軍と第五陸軍の拠点を兼ねる建物を目指す。軍長ゆえに、仕事は非常に多い。
「は~い。ばいば~い」
「また明日」
ネッテとアジールも歩き出す。薄暗くなり始めた軍区画はどこか荒野のような雰囲気を漂わせるが、ここもしっかりとデフィアーク共和国の領土内だ。東にそびえ立つ岩山を背に向けながら、二人は豪華な夕食が待っているだろうアジール宅に向かう。
手を繋ぎ歩く二人の姿は、仲の良い姉妹に見える。
一方、がらりと雰囲気が変わった街並みを眺めながら、イリックは待ち合わせ場所を目指す。
土の地面。
草が当たり前のように生え渡っている脇道。
鼻をすっと通る草の匂い。
冷たさすら伴う水の匂い。
あちこちに生い茂る樹木達。
ツタが伸びるいくつもの建築物。
木製の家々。
湖にかかる木の橋。
丸みを帯びた、両脇に小さな子分を従える大きな建物。
ここは牧歌的な雰囲気を建国以降保ち続ける魔法大国、ガーウィンス連邦国だ。
終業時間ゆえ、仕事を終えた人々が家路を急ぐ。
そんな中をイリックもそれらしく歩き、タイトワンピースを色っぽく着こなす仲間を視界に捉える。
「お元気そうで」
「そっちこそ」
実に二週間振りだ。顔を合わせた瞬間、そんな溝は一瞬で埋まる。交わす言葉は少なく、先ずは夕食を食べにギルド会館へ向かう。
「ロニアさんは順調ですか?」
「ええ。やっと一段階前へ進めたわ。今すぐにでも見せてあげたいけど、ここじゃそうもいかないわね」
二人が歩く土の道は往来する人々で賑わっている。いかに安全な魔法であろうと、この場で披露することはいささか危険だ。
「じゃあ、予定通り?」
「明日からは私もデフィアークでお世話になるわ」
イリックの問いかけにロニアは頷く。四人が揃う。そういうことだ。
巨大な黒茶色の建物に到着した二人は、意気揚々と出入りをする冒険者をかき分けながら左側の食堂フロアに移動する。
日が沈んだため、席はほとんどが埋まっている。かろうじて席を確保できた二人は、店員に夕食を注文しつつも会話に花を咲かせる。
「こっちのみんなは元気そうですか?」
「ゴルド達はサハハ遺跡にずっと篭っちゃっててここ最近は会えていないのだけど、他の館長達は忙しいなりにも充実してそうよ」
火の図書館館長のゴルドは、部下と傭兵代わりの冒険者を連れてサハハ遺跡に出向いている。もちろん遺跡を解明するためであり、かれこれ一週間は図書館を空けている。
同行者の中にはトゥルルとマリィ、コルコルもおり、今も最深部で古代人の遺した装置を四苦八苦しながら調査している。
「……あの女については何かわかりました?」
イリックの口調がわずかに暗くなる。ネッテとアジールを襲ったイリンについて、何か手がかりが得られたのか。つまりはそういうことだ。
「いいえ。シャルロットが忙しい中、私の面倒見ながらも調べてくれてるわ。時間はかかりそうね」
「いざとなったら、釣りの釣果だか何だかに押しかけて聞き出しますよ」
「神の名代ね。そんなことしたら捕まるから大人しく待ってなさい」
イリンと国家元首である神の名代には繋がりがある。それがどういったものなはわかっておらず、現状では明らかに情報が不足している。
「神の名代って強いんですか?」
「シャルロットくらいって思っておけばいいと思うわよ」
「うわ……」
「それに、当然だけど護衛が山のようにいるわ。それを全部なぎ払いながら魔法の宮殿に乗り込むつもり?」
「それは大変そう」
イリンについての聞き込みがいかに大変か、ロニアの口からもたらされる。
イリックは急激にテンションを落としながら、椅子の背もたれに体を預けて周囲の観察を開始する。
数え切れないほどの冒険者達が同席する仲間達とわいわいと盛り上がっている。
その一組みが自分達であることを実感しながら、周囲から漂ってくる焼けた肉や魚の匂いで空腹を誤魔化す。
「ところで、おっさん達にしごかれてかれこれ二週間経つけど、少しは強くなれた?」
「多分」
ロニアの疑問にイリックはハッキリと答えられない。具体的に目で見えるものでもなければ、実感もしにくい。
隊長達に勝てるようになってきた。そういう意味では間違いなく成長しているはずだが、やはり即答できるほどの手応えも得られていない。
「ネレネン王国で優勝しないといけないんでしょう? がんばりなさい」
「冷静に考えたらウェイクさんがいるですよね……。どうするかな~」
イリック同様ウェイクも武神祭に出場する。仮にネレネン王国の出場者を全員倒せたとしても、最大の壁は身内に存在するということだ。
未だ軍長クラスには敵わないのが実情であり、イリックとしては頭を抱えざるをえない。
「コネクト使っちゃいなさいよ」
「大会だから観客がいるんでしょ~。さすがにまずいですよ」
大勢の目の前で時間を止め、ウェイクを倒す。周囲の人間はイリックが何をしたのか絶対にわからないだろうが、裏を返せば何かとんでもないことをしでかしたと見抜かれてしまう。コネクトを世にさらけ出すわけにはいかない以上、疑惑の目を向けられたくはない。ゆえにそんな手は控えなければならない。
「じゃあ、勝ちなさい」
「そうなるのか~。インビンシブルだけでも解禁するかな~」
ロニアにずばり言われてイリックは考え込む。コネクトをアジールの戦技を開放するためだけに使用するのなら、それは何ら問題ない。
初めから自身が盾役であることを公言しておけば、キュアもインビンシブルも使えて当然なのだから。インビンシブルは非常にレアな戦技ゆえ、そういう意味では驚かれるだろうが、いかさまを疑われることはない。
「それもありでしょうね。というかそれ前提で作戦を練ることね」
「世の中って広いな~。上には上がいるんだな~」
だからこそこの世界で生きることは楽しい。そんな悟りのような境地に至りつつ、イリックは運ばれて来たガーウィンス風サラダに手を伸ばす。ちなみにこれはロニアが注文した料理だ。
二人は仲睦ましく夕食を済ませ、行き着けの宿屋を目指す。
「あ、やっぱりちょっとだけ夜釣りしてきます」
「はいはい。好きにしなさい」
ここはガーウィンス連邦国。北側は湖の水が流れ込んでおり、マンルルスカープやコンティティバスがわらわらと泳いでいる。
体は鍛錬のせいでヘトヘトだが、せっかくっこに来たのだから、釣り糸を垂れない理由もない。
ロニアとはどうせ別の部屋だ。ここから先は完全に自由時間なため、始まったばかりの夜を今からしっぽりと楽しむ気概で歩き出す。
釣りのために鍛錬を始めた男だ。その情熱は今なお色あせることはない。
◆
イリック対エミリア。
この配役は軍人達の業務を中断させる程度には注目される。
第二陸軍軍長であり、デフィアーク共和国の軍務における頭脳を担当するエミリアが本気で戦うのだから、第二陸軍に所属していなかろうと注視してしまう。
対戦相手は十八歳の冒険者であり、今ではすっかり有名人だ。ゆえに誰もがこの対戦カードに食いつく。
エミリアは強い。それは軍人全員が認める事実であり、現に上から数えた方が遥かに早い位置につけている。
そう、決して最強ではない。軍長は全員で七人いるが、その中で比べた場合、残念ながら最下位だ。
唯一の女性であり、何より子供を生み現在進行形で育てているのだから、他の軍長と比較してどうこう言う人間はいない。
それでもその実力が確かなことは揺るがなく、少なくとも彼女に勝てる軍人はその六人以外にはいても一人か二人だろう。
対するイリックはウェイクとマッカスにしごかれており、腕試しをしたい軍人達が入れ替わるように挑戦するも、例外なく全員がこの少年に負かされている。
イリック達が軍区画で汗を流すこと三週間。すなわち、ネレネン王国は一週間後に迫っている。
その総括というわけではないが、エミリアはイリックがヘトヘトになる前に挑戦状を叩きつける。
この組み合わせは決して初めてではない。その度にこうして普段以上に軍人が観客として集まるのだが、今回はさらに特別だ。
エミリアは模擬戦用の武器ではなく、愛用の突剣、シュレイガーを左手で握っている。その剣身は非常に細く、黒く輝いている。まさに突き殺すための凶器であり、本気であると周囲の軍人達は固唾を飲む。
一方のイリックは少々変則的だ。握る武器は水のように透き通っており、水滴が零れ落ちないことが不思議で仕方ない。ロニアが作り出している魔法の剣、リーベルタースだ。その
イリックはロニアと共同でエミリアに戦いを挑む。今後、必ずこういう状況に出くわすだろうという想定の元、エミリアを相手に実戦を試みる。
この戦い、イリックは少々不利だ。相手がエミリアだからという意味ではなく、完全に実力を出し切れない。
ロニアが作り出す水の武器は、実はそれほど丈夫なわけでもない。モンスターの多くを切り裂く程度には強力な魔法だが、ミスリルやそれ以上の武器を装備する人間と戦う場合、どうしても苦戦を強いられる。
それを実演するように、イリックの剣撃はエミリアの片手剣で受けとめられ、弾かれた直後に両断される。
この突剣はダーク製ゆえ、武器としては非常に高額かつ頑丈だ。ロニアのリーベルタースでは太刀打ちできない。それでも今は立ち向かわねばならず、イリックはおかわりを求め、ロニアは次の一本を頭上に作り出す。完成した片手剣はイリック目掛け飛んで行き、イリックは新たな水の剣でエミリアに向き合う。
この戦いにおいて、両者はどちらも奥の手を使用しない。
イリックはコネクトおよびそこから派生する戦技を。
エミリアは弱体魔法をそれぞれ制限する。
純粋な接近戦が本題であり、それらを開放した場合、一瞬で勝負がついてしまう。
イリックがコネクトを間に合わせればイリックの勝ち。
エミリアが弱体魔法を間に合わせればエミリアの勝ち。
対人戦において、二人のこれらは必殺を意味する。ゆえに今回は使わない。
距離を詰めたエミリアが、数え切れないほどの突きを放つ。
イリックはそれらを難なく避けつつ、ミスリルソードよりはいくらかもろい水の片手剣を大事そうに振りぬき、黒い刃先を弾いて無理やり隙を作る。
オーバースペック。エミリアはこのタイミングで強化魔法の使用を開始する。これはイリックが相手ということもあり使わざるをえない。それもなお、この冒険者には届かないのだから。
オレンジ色の光に包まれたエミリアはその動きをわずかに上昇させる。
イリックはその動きにも十分対応しつつ、迫り来るシュレイガーをリーベルタースで弾き、互角以上の攻防を続ける。
ダーク製の武器が相手ということもあり、いかに大事に扱おうとやはりロニアの片手剣は破壊されてしまう。
それなら次を作り出してもらえばいいだけであり、イリックは三度飛んで来たリーベルタースを受け取る。
エミリアの攻撃は一度もイリックに届かない。避けられるか、リーベルタースに受け止められてしまう。
その度に水の剣は破壊されるが、ロニアはその都度補給する。
イリックの攻撃は時折エミリアに届く。もちろん、寸止めだ。その度に周囲を取り囲む観客からは歓声の声があがるが、エミリアとイリックは模擬戦を継続する。
二十分ほど経過した頃、エミリアは終了を宣言する。
イリックは額の汗を振り払いながら小さく息を吐く。
ロニアはそれ以上にヘトヘトだ。
水の武器を維持しつつ、破壊される度に生成し直すのだから、この戦い方はロニアを大きく疲弊させる。
最後までリーベルタースは武器としての質が低下しなかったため、エミリアはその点を褒め、次いでイリックを叱咤する。
「やはりこの戦い方はまだダメだな」
「あ、やっぱりそう思います?」
指摘されるまでもなく、イリックは自覚している。
ロニアが水の剣を作り出し、イリックがそれで戦う。この戦闘スタイルは実にイリックと相性が良い。
なぜなら、イリックは根っからの貧乏性だ。スチールソードを購入した際はその高額さが仇となり、大事に扱うことに重点を置いてしまう。その結果、本来の実力を出せないことがあった。
武器であろうと、否、武器だからこそ必ず消耗し、最後には壊れてしまう。イリックは丁寧に使い、極力長く持たせることを無意識に考えてしまう。
一方、ロニアが作り出すリーベルタースなら、壊れても再び作り直してもらえばいいのであって、そういう意味ではこういった心配をする必要もなく、まさに使い捨てる勢いで戦ってしまえばいい。
しかし、やはりイリックはそういう戦い方ができない。むしろ、すぐに壊れるからこそ、かえって変に意識してしまう。
エミリアはそれを見抜いており、この戦法にはまだ至れないと結論付ける。
意識改革が必要だ。人間にとってそれは難しく、イリックも例外ではない。
「ロニアからの補給にも少々時間がかかり過ぎている。この点も改善だな」
「そうでしょうね。さすがにこれを想定した修行はしてなかったわ。私の課題の一つね。自覚できたわ」
この戦い方を実践する場合、イリックが武器を破壊された直後に新たな武器を手元に送り込まなければならない。エミリアはこれの実現が第一と考える。
もし達成されれば、イリックの不安や性分も幾分和らぎ、リーベルタースの強みである無尽蔵の補給とイリックの高い戦闘力が組み合わさる。
「アプローチの仕方は二種類だ。武器の強度を高めるか、補給速度を高速化するか……。私が言うまでもないだろうが」
「もう一つあるのだけど、それも含めて検討するわ」
エミリアの言う通り、水の片手剣がより一層頑丈になれば、壊れる頻度は減り、イリックとしても破壊の恐怖から幾分解消される。
ロニアとしては三つ目の選択肢を既に思い描いている。それはイリックがコネクトで示した自分の到達点であり、その片鱗は既にシャルロットとの訓練で既に習得済みだ。
武器としてさらに硬くし、生成の時間を短縮もしくは複数本の維持を実現し、そして攻撃力を高めるための細工を施す。
やらなければならないことは多く、ロニアは遠い目標にうんざりしつつも、リーダーのために前だけを向く。
「よーし! イリックは少し休憩。おらおらー、おまえら散れ散れ!」
マッカスがこの場を取りまとめる。野次馬達は模擬戦が終わろうと持ち場に戻らないため、右腕をブンブンと振り回し一旦帰らせる。
エミリアはウェイクにそっと歩み寄り、模擬戦の感想をそっと述べる。
「イリック、順調に成長しているな」
「はい。伸び代の多い男です」
ウェイクを両腕を組んだまま、遠くで座り込むイリックに視線を向ける。
「前からそうだったが、今では完全に私を越えたな」
「弱体魔法を使わない隊長が相手なら、です」
「それは慰めのつもりか?」
エミリアは得意とする魔法の半分をイリックに使わない。模擬戦には適さない魔法ばかりだからだ。
そういう意味では、イリック以上に実力を抑えているとも言える。
「隊長の魔法はそれほどに素晴らしいと言うことです。私やマッカスもそれを使われたらどうしようもありません」
「ふ、やさしい男だな。そういうことにしておこう」
エミリアの使える弱体魔法には、スランブやグリムスが含まれる。
スランブは相手を強制的に眠らせる魔法なため、命中し効果が発揮されれば、その瞬間に対戦相手は敗北が決定する。
グリムスは相手の動きを一秒ほど完全に停止させる。エミリアなら一秒で相手を倒すことが可能だ。
これらを駆使すれば、どんな人間が相手であろうと一対一なら勝てるかもしれない。こういう背景から、ウェイクはそう発言する。決してエミリアを慰めたいわけではない。
「おーい」
話し込む二人に、遠くから若い声が届く。錬金術ギルドから訪れたリンダだ。右手には銀色に輝く輪を握っており、エミリアは一目で用件を察する。
「完成したようだな」
「ああ。待たせたね。もっとも、私のおかげで納期を二ヶ月も繰り上げられたんだ。褒めて褒めて」
エミリアに見せ付けるように、リンダは軽口をたたきながらも完成品を提示する。
銀色のそれはネックレスだ。ただし、単なるアクセサリーではない。錬金術ギルドが随分前から作成を試みていたマジックアイテムであり、リンダの復帰に伴い完成にこぎつける。
「ウェイク。今日の鍛錬はここまでだ。これの慣らしに行くぞ」
「はい。マッカス! 俺は撤収する!」
「あーいよ」
エミリアを先頭に、リンダとウェイクは錬金術ギルドを目指す。軍区画の北側に存在するそこは、研究者達が日々様々な研究に励んでおり、本件は軍から依頼されていた最重要案件だ。
「よく間に合ったな。さすがリンダということか」
「ざっとこんなもんさ」
エミリアが小さく微笑むと、リンダはそれ以上の笑顔を返す。
銀色の光沢が美しいこのネックレスには、一箇所紫色の宝石が組み込まれている。小さいながらもハッキリと自己主張するそれは、覗き込むと光が交差するスター効果を披露してくれる。
「私がこれを身に付ければいいのですか?」
「……そのつもりだったが、少々似合いそうもないな」
ウェイクの問いかけにエミリアは考え込む。
これはイリック達のために開発したマジックアイテムだ。効果はリンダが小型化に成功したエレメンタルフォンに着信があった場合、共鳴して小さな音を鳴らしてくれる。
たったそれだけのネックレスだが、前例の無い発想だったため、その実現は非常に難航してしまう。リンダの復帰は錬金術ギルドの研究者達にとって救いとも言える。
「テストが済み次第、早速イリックに渡してもいいさ。もっとも、もう動作することは確認できてるから、今すぐでも構わないけどね」
これは既に完成品だ。これからやる行為は、どちらかと言えばエミリアとウェイクが使い勝手を確認するだけとも言える。
「これでイリック達といつでも連絡が取れるようになるのか。便利なものだ」
エミリアの言う通り、イリックにこのネックレスと小型エレメンタルフォンを支給することで、三大大国はいつでもイリックと会話が可能となる。
各国のギルド会館に設置してあるエレメンタルフォンを使用すれば、イリックがクエストに励んでいようと、宿屋で寝ていようと、遺跡を探検していようと、他の大陸に出向いていようと、時間と場所を選ばずに意思疎通ができてしまう。
イリックは現在の居場所をテレポートに登録し、一瞬で三大大国に戻ることが可能だ。どんな急ぎの案件であろうと、それに対応可能な唯一の冒険者であり、困難であろうと達成できうるだけの実力も持ち合わせている。
「いよいよ国家冒険者じみてきましたね」
「ふふふ。イリック達もそれは自覚しているかもしれんな」
国家冒険者。三大大国のどこかに所属する冒険者。国からの仕事だけに取り組む冒険者であり、言ってしまえば軍人に近い。ギルド会館で発行されているクエストに取り組むことはおろか、自由な旅も不可能になるため、イリックは一度この申し出を断っている。
「出発は三日後だっけ?」
「そうだ。特訓は明日で切り上げ、ウェイク達にはガーウィンスに向かってもらう」
リンダもイリック達の状況はある程度把握している。
イリック達一向は、三日後にガーウィンス連邦国の南東に位置するフキン港から出向するネレネン王国行きの機船に乗り込む。
そのために前日にはガーウィンス連邦国でゴルド達と合流せねばならず、ゆえに厳しい鍛錬の日々は明日でとうとう終了だ。
準備は整った。
四人はさらに強くなれた。
小型エレメンタルフォンと通信を知らせるネックレスも完成した。
同行者もウェイクに決まり、万全の状態だ。
「武神祭だっけ? そこでこの大陸トップクラスの軍人と冒険者が暴れるのか……。私も見てみたかったな」
「あちらの国には悪いが、イリックがテレポートを開通してくれる。いざとなればいつでも行き来が可能だ」
「はっは。傑作だね~。ギルドに戻って正解だ」
若返ったリンダにはいくらでも時間がある。新たな研究のテーマはこれからいくらでも生まれそうだと今から期待に胸躍らせる。歩く度に豊満な乳房も上下に揺れる。
「そういえば隊長に確認したいことがありました。私は武神祭で優勝を目指してもいいのですか?」
ウェイクは決めかねている。トリストン大陸の人間として、またデフィアーク共和国の軍人として、ネレネン王国で開催される王のための大会で出しゃばってしまってもいいのだろうか、と。
客人として招かれた以上、ある程度実力を披露しつつ、他国の人間としてアリカ大陸の人間に勝ちを譲るべきなのか、力をいかんなく発揮し優勝を目指した方がいいのか、柔軟性の乏しい頭では判断できずにいた。
「もちろん、勝ちに行け。我がデフィアーク共和国の力をいかんなく見せ付けて来い」
「かしこまりました。ところで、イリックとぶつかった場合は……」
「それは好きにしろ。もっとも、わざと負けてやるほどやさしい男でもないだろう?」
「はい」
(あ~、怖い怖い。これだから軍人は……。イリックの最大の敵はこのおっさんになりそうだ)
エミリアに鼓舞され、ウェイクは方針を決定する。武神祭を勝ち進む。
この男が武神祭の台風の目になるのだが、当然、ネレネン王国の国民達は誰一人として予想できない。
そして、イリックという冒険者もまた、暴風雨の中でそれ以上に暴れまわり大会を盛り上げる。
トリストン大陸からの来賓がただの客人ではないことを、主催者の王は近い内に知ることとなる。
ネレネン王国への出発まで後三日。
準備は整った。後はその時を待つだけだ。
◆
どこか寂れたようにも見えてしまうこの港町は、隣接する大国と比べれば確かに田舎でしかない。薄茶色の地面はどこまでもそのままで、立ち並ぶ家々も古めかしい。
しかし、どかっと巨大な船が寄港した時だけは一変して慌しくなり、同時に町の血色が良くなる。
ここはフキン港。太陽が輝いている空と、東にどこまでも広がる海に挟まれたガーウィンス連邦国の玄関口だ。
内燃機関の低い音を周囲に響かせながら、ギルド会館よりも大きな塊が海に浮かんでいる。デフィアーク共和国が完成させ、ネレネン王国に売却した一隻だ。
一見すると山のようにそびえ立つそれは、後方に帆を張っており、甲板は走り回れる程度には広い。
内部には食堂や寝室が設けられており、居住性は決して悪くない。
イリック達にとってはかなり久しぶりの乗船となる。それもそうだろう。イリックがテレポートを習得した今となっては、必要のない移動手段なのだから。
足の速い機船を用いても、トリストン大陸とアリカ大陸の行き来には三日を要する。その長さはイリック達には未知の領域であり、とりわけロニアは既に青い顔をしている。
「あっちに着いたら、出迎えが宿まで案内してくれる手はずになっておる。詳しいことはウェイク殿に伝えてあるから、お主は指示に従って動けばええ」
「わかりました」
イリック達と機船に向き合うように立つのはゴルドとガラハだ。
ゴルドは相変わらず冒険者のような格好をしており、緑色の正装を身に付けているガラハが逆に目立ってしまっている。
今回ネレネン王国に向かうのは五人だけではない。本来、この機船は物資をやり取りするために二つの大陸を往復している。ネレネン王国からの輸入品がせっせと町民によって降ろされ、それが済み次第、三大大陸からの輸出品が詰め込まれる。
特産の食材。
デフィアーク共和国が作成した装備品。
サウノ商業国だけで作られるマジックバッグ。
ガーウィンス連邦国の研究機関が作り出した新素材。
様々な物資を細々とやり取りしており、それらがこの機船に積まれている最中だ。
「昨日散々言ったからわかっておると思うが、絶対に問題を起こすんじゃないぞ。おっぱいちゃんやウェイク殿がおるから大丈夫だとは思うが……」
「なんとか祭に参加しつつ、ぶらぶら旅をするだけだから大丈夫ですって」
真剣なゴルドとは対照的に、イリックはヘラヘラと言い返す。逆に問題を起こす方が大変だと思っている節があり、心配はこれっぽっちもしていない。
少し離れた場所では、ネッテとアジールが久しぶりの機船を見上げており、早速遠足気分を満喫している。
「無事到着でき次第、先ずはゴルド殿に連絡を差し上げます。以降は昨日話した通りで」
「頼んだぞ。ネレネンは戦争中ゆえ、何が起きるかわからん。ウェイク殿は問題ないにしろ、こやつは案外抜けておるからのう」
(俺ってそう思われてるのか……。ちょっとショック)
本人を前に悪口を言ってのける老人を眺めながら、イリックはウェイクとゴルドのやり取りに耳を傾ける。
「今朝、シャルからこれを預かってきました。どうぞ受け取ってください」
ガラハがマジックバッグから取り出したのは二本の小瓶だ。透明なそれには赤い液体が詰まっており、イリックは一目でこれが何なのか見抜いてみせる。
「おー。ありがとうございます。シャルには何か特別なお土産買ってあげないといけませんね」
イリックは二本のマジックポーションを受け取る。非常に高価な薬であり、自腹なのか風の図書館の備品なのかはわからないが、ありがたいことに変わりはない。
「その言葉だけで喜びますよ」
「はっはっは。そんなかわいい奴じゃないですよ」
半ば育ての親のようなガラハを前にしても、イリックはシャルロットに対して毒を吐く。二人は言わば犬猿の仲だ。
「おっぱいちゃん。もう顔が青いぞ……。大丈夫か?」
「私、テレポートで送ってもらいたいのだけど……」
このタイミングでロニアが尻込みを始める。三日の船旅に恐れをなしているからだ。
ネレネン王国に到着したイリックがそこをテレポート先に登録し、ガーウィンス連邦国に一旦帰還し、待機するロニアを合流後、再びテレポートでネレネン王国に移動する。悪くはない案だが、残念ながらゴルドは却下する。
「五人で海を越えると伝えてある以上、大人しく乗り込めい。酔い止めの薬は持っておるんじゃろ?」
「三日も耐え凌げるとは思えないわ……。機船をこうして眺めてるだけでこみあげて来るもの」
(重症だな……)
(そんなにきついのか)
(大変そうですね~)
二人のやり取りに、イリック、ウェイク、ガラハは同情することしかできない。
「あ、お魚がいる~」
「ほんとだ」
「マジで!?」
のん気なネッテとアジールの会話が耳に届くや否や、イリックは瞬時に移動を開始する。
(く! 釣りしたい!)
イリックはフキン港で釣りをした経験がない。朝からいくらでも時間はあったのだから、良い機会だったと出発直前になって後悔する。眼下で泳ぐ小さくない魚影を眺めていると、そんな感情が止めどなく押し寄せる。
「ウェイク殿。かの国はオークとリザードマン相手に百年戦争の最中じゃ。くれぐれも無理はなさらないようにのう」
「はい。イリック達の案内と報告役、見事果たしてみせます」
ゴルドは心配している。ネレネン王国は三大大国と違い、人類にとって最も脅威な存在、オークと交戦中だ。その上、アリカ大陸の最大勢力と言われているリザードマンも相手にしている。いかに強靭な軍事力を保有していようと、危険なことに変わりはない。
ウェイクは自身の役割をきちんと把握している。本来ならば四人の護衛役も兼ねるべきなのだが、そもそもこの四人は自分の身を守れないほど弱くはない。
「これが三大大国とネレネン王国にとって有意義な一歩になるといいですね」
「そうじゃのう」
ガラハは期待する。トリストン大陸とアリカ大陸に住まう人間にとって、この旅路が友好の架け橋になってくれることを。
ゴルドは予想する。その一歩になるだろう、と。
時間が来たのだろう。汽船の乗組員らしき男がゴルド達に手を振る。乗船の時だ。
イリック達五人はゴルドとガラハに見送られながら新たな一歩を踏み出す。
港にかけられた鉄の橋を渡り、潮の香りが漂う船内にぞろぞろと乗り込む。
「行って来ます!」
誰よりも眩しい笑顔で、ネッテがゴルドとガラハに手を振る。
いざ、アリカ大陸。
目指せ、ネレネン王国。
機船に揺られること三日間の船旅は、無事出航の時を迎える。
内燃機関が出発の合図のように吠え出す。
巨大な船はゆっくりと、しかし力強く動き出し、東に頭を向ける。
荷物を積んで、乗組員を乗せて、来賓も乗せて、機船はグングンと波をかき分ける。
青い空には雲一つ見当たらない。
青い海には自分達しかいない。
自分達に宛がわれた寝室に荷物を降ろし、イリック達は新たな旅を開始する。
「オロロロロロロ」
「はいはい。キュアキュア」




