ファイナルモードながれツーウェイのちゅうこうごひゃく
バキン。
決して聞きたくないその音にイリックは青ざめる。何年ぶりだろう。五年ぶりくらいかもしれない。
そんなことを振り返ったところで事態が良くなるわけでもなく、イリックは握っている釣竿をそっと眺める。
半分の長さに縮んでいる。正確には真ん中付近から先が折れてなくなっている。
愛用していた釣竿は四メートルジャストの長さだった。今は二メートルかつただしなるだけのちょっと丈夫な棒っきれに成り下がる。
「そんな……」
誰もいない釣り場でイリックは崩れ落ちる。
ここはサウノ商業国。
金を稼ぐために連日連夜クエストに励んでいる最中であり、今日は久しぶりの休日と定めた。一週間近く冒険三昧だったのだから誰からも異論はなく、イリックは朝早くから港区の端で釣り糸を垂れていた。
サウノ商業国で釣れる大物は主に二種類。
サウノソール。
マーダーラ。
どちらも手ごわい。それでも前者なら何とか釣れる。古ぼけた竿は悲鳴をあげるが、今まで耐えてくれていた。てっきり問題ないだろうと高を括っていたが、どうやら間違いだったらしい。
イリックは何よりも大事にしていた竿を抱えて涙を流す。
「うかつだった……。やっぱり使い分けるべきなのか……」
釣りは奥が深い。
釣り場によって、すなわち狙う魚によって餌や針、糸、そして竿を使い分けなければならない。
小魚を釣るなら小さな針で細い糸。
大きな魚を釣るなら頑丈な針と太い糸。
竿も当然そういうことになる。
イリックは貧乏だった。見回りの給料は少なく、釣竿はおろか商売道具の武器すらやりくりできないほどの日々を過ごしていた。
カッパーソードに関しては解決する。イリックの上達と共に、長持ちするようになったからだ。
それでも生活に余裕は出ない。サラミア港は多くの食糧を他国からの輸出に頼らねばならず、その結果、食糧は高額傾向にある。
釣竿は第二の商売道具であり、日々イサシを釣って食卓に並べなければならない。その竿も父のお古を使い続けた。
カッパーソード同様、釣竿もいつかは必ず壊れる。父のお古も五年前に壊れ、十三歳のイリックは初めて釣竿を購入する。武器を買う時よりもドキドキしたことを今でも覚えている。
それが壊れた。
酷使してしまったことを侘びながらも、今はただ感謝するしかない。
ありがとう、と。
(さて、どうしよう)
イリックはさっと泣き止む。ここはサウノ商業国であり、港区の南側だがそれでも人の往来はなくはない。定期船が到着した際はぞろぞろと乗客が近くの建物からなだれ込んでくる。
今は機船の姿がどこにも見当たらないため静かな場所だが、それでも人はちらほら周りにいる。
これ以上泣いていると変人だと思われてしまう。ゆえに立ち直る。
どうするか。
そんなことは決まっている。新しい竿を買うしかない。
(出費は抑えたいんだよな~)
今は金策中。生きるためにも金が必要だから稼いでいる……わけではない。ウーディとの戦いが原因で多くのものを失った。それらを買いなおさなければならない。
最低限のものは買い足せた。衣服やカッパーソードがそうだ。
では、今は何を買おうとしているのか。
ロニアのタイトワンピースだ。
単なるおしゃれな服ではない。魔力がこめられたウール製であり、れっきとした後衛攻撃用の防具だ。
ポンと支払える金額ではなく、その上複数枚の購入を本人は望んでおり、四人はせっせとクエストに励んでいる。
そんな状況で釣竿を買いたいとは言いづらい。しかし、言わなければならない。なぜならな折れてしまったのだから。
これがないとイリックは生きていけない。
毎日釣りがしたいとは言わない。それでも、釣りができる状況でのお預けを我慢できるほど辛抱強くもなく、早ければ明日にでも禁断症状の一つや二つは発症してしまうかもしれない。
イリックはぐっと拳を握る。
広げていた釣り道具をマジックバッグにしまいこみ、宿屋へ向かう。
三人の許可を得なければ。
話はそれからだ。
(何て言おう?)
折れたから買いたい。
シンプルに責めるならこうだ。そもそもこれ以上でもこれ以下でもなく、まさにこうなのだから当然だ。
買わせてくださいお願いします。
下手に出るならこうだろう。四人で稼いだ金を使わせてもらうのだから、これが正しい態度かもしれない。
買っていい~?
コネクトで繋がった仲だ。今更かしこまる必要もない。これくらいざっくばらんでも良さそうだ。
いくつかの候補から正解がどれか吟味しつつも、イリックは腹を括る。自分達が利用している宿屋に到着したからだ。
ネッテ達は部屋でくつろいでいるはず。三人で買い物に出かけると言っていたが、開店時間にはまだいささか早い。
この宿屋は三階建てであり、近隣の建築物と比較すると頭一つ抜きん出て大きい。
イリック達の部屋はまさに三階であり、窓から見える風景は格別だ。
木目が顕わになっている階段を二つ登りきり、自室の扉をギィッと開く。予想通り、三人は部屋で姦しく話しこんでいた。
「あら、早いわね」
「おかえりー」
ロニアが目を丸くする。それもそうだろう、イリックが釣りに出てまだ一時間も経っていない。ほっとけば日が沈むまで釣りに明け暮れる釣りバカがこんなに早く帰宅することなど一度もなく、ロニアは不思議そうにイリックを見つめる。
ネッテは普段通りだ。そんな詮索をせず、ただただ素直に兄の帰還を喜ぶ。
アジールも小さくおかえりと言ったのだが、ネッテの声にかき消された。
ここからは早かった。
帰宅と同時にイリックはマジックバッグから折れた釣竿を取り出し、涙を流しながら掲げる。
「折れてしまいました! 新しい釣竿を買わせてください!」
吠えた。
普段は比較的冷静なイリックの遠吠えに、アジールとロニアは仰天する。ネッテはどこか微笑ましくそんな兄を眺める。
「お願いします!」
泣きながら叫び続ける。
いいわよ、とロニアは言おうとしたのだが、それはイリックの無駄に張り詰めた大声によって阻止される。
(なつかしいなぁ)
ネッテはこんな兄の姿から昔を思い出す。
五年前、父のお古だった釣竿が折れた際も、イリックはとてもとても取り乱していた。
十八歳になろうとそういうところは変わっていないとネッテは再認識し、十五歳ながらに母性本能がくすぐられる。
「ご了承ください!」
らしくない口調だが、それだけ必死ということだ。もう使えない釣竿を仰々しく右手で掲げながら、イリックは涙と共に訴える。
「好きにしなさいよ。それと、うるさい」
ロニアがぴしゃりと言い放つ。確かにうるさかった。
「――い、いいんですか?」
「折れちゃったんでしょ? なら買い直しなさいよ。わざわざ私達の許可なんかとらなくていいわよ、こんなことで」
イリックは信じられないと表情で訴える。
そんな顔を無視して、ロニアは自論をささっと述べる。
「良かったね!」
笑顔のネッテが女神に見えてきた。再び涙がこぼれてしまいそうだ。イリックは女神の顔なぞ知らないが。
「ところで、そういうのっていくらくらいするの?」
「ピンキリです」
ロニアの疑問はもっとだ。釣りなどしたこともなければ、釣具店に足を運んだことすらない。釣竿の相場などこれっぽっちも知らない。
「んじゃ、どれくらいのを買おうと思ってるの?」
ロニアのその問いかけには、イリックも固まらざるをえない。なぜならこれっぽっちも考えていなかったからだ。
イリックの言った通り、釣竿の値段には大きな振れ幅がある。
安いものだと千ゴールド。
高級品に至っては一万ゴールドを優に越える。
もちろん、そんな高いものを欲したりはしないが、だからといってあまり妥協もしたくない。
そもそもイリックには、前から欲しいと思っていた竿がある。今まで愛用していたものよりもいくらか上の品質を誇るそれは、釣り人的には喉から手が出るほどの一品だ。
それを口にしていいのだろうかと一瞬葛藤するも、欲求には勝てなかった。
「三千から四千くらいのを……」
弱々しい声でイリックはぼそっと言ってみる。
「案外高いのね」
ロニアの感想は間違ってはいない。
イリック達はこの一週間、休みなくクエストに挑戦し続けた。その甲斐あって所持金をいくらか増やすことができた。具体的には一万五千ゴールド近くを稼ぐことに成功したのだが、もちろんその金額が丸々残ることはない。朝昼晩の食費、宿代、それらによって金は消えていく。
差し引くと純然たる収入はおよそ八千ゴールドであり、イリックの釣竿を購入するとさらに半分近くに減ってしまう。
買えなくはない。
むしろ普通に購入できる。
ゆえにロニアは付け加える。
「好きなの買いなさい」
「感謝!」
イリックは再び涙を流す。泣いてばかりいるせいでいささか水分不足に陥ってきたが、今はまだ倒れる時ではない。
「何買うのー?」
興味はないのだが、ネッテはつい質問してしまう。
「ファイナルモード流の中硬五百! 贅沢品なのは重々承知してますが、ツーウェイ式を選ばせてきます!」
イリックが何を言っているのか、誰も理解できなかった。
ちなみにそういう名前の釣竿だ。ツーウェイ式とは竿の長さを変えられる種類を指す。




