お風呂
気づけば我が家のように落ち着けてしまう宿屋の四人部屋。
ここはサウノ商業国。窓から外を眺めれば、街灯で照らされた夜の大通りを大勢の人間が闊歩している。
時刻は夜の八時過ぎ。
ネッテとアジールはいつものように二人で入浴中。
四つのベッドが並ぶ部屋には、イリックとロニアの二人だけ。
それぞれ、自分達のやり方で一日を締めくくろうとしている。
イリックは満腹な腹を摩りながらも、スチールソードとスチールバゼラードを手入れ中。高級品ゆえ、大事に扱わない理由がない。
ロニアは次に浴室へ向かうため、ベッドに寝転がり小難しい本と睨めっこ。
比較的静かな部屋の静寂を破ったのはロニアだった。
「すっかり体が冷えちゃうわね。夕食より先にお風呂を済ませる方が賢いのかしら?」
「俺はめんどくさいんで現状通りにします。女性は二度風呂とか好きそうですよね」
今は北の地の調査中ゆえ、朝から晩まで吹雪に耐えながら歩きまわる日々を過ごしている。いかに防寒具を着ようと寒いものは寒い。
野営という選択肢は存在せず、日が暮れると共にテレポートでサウノ商業国に戻っている。
こうでもしなければ凍死してしまうかもしれない。ロニアは想像するだけでぶるっと振るえる。冒険者の体はそこまでやわではないため耐えられるが、どちらにせよ敵陣のど真ん中で一泊など不可能だ。
「お風呂気持ちいいじゃない。どんな疲れも一発で吹き飛ぶわ」
「そうですか~? そもそも頭や体を洗うのがめんどくさい……」
表情を緩ませたロニアは、イリックの発言を理解できず固まってしまう。
「――ちゃんと洗ってるでしょうね?」
「それはもちろん。え、そこ疑われちゃうんですか?」
自業自得なのだがイリックは愕然とする。かなり心外だった。
「きちんとしないと、ネッテちゃんに臭いって指摘されるわよ」
「時々汗臭いって言われてます」
ネッテは隙あらばイリックにくっつこうとする。最近はアジールやロニアという姉的存在に構ってもらう機会が増えたが、それでもベッドや寝袋の中ではイリックにべったりだ。
「そうならないためにも、ちゃんと体を洗うことね」
ロニアはぷいっと手元の本に視線を戻す。
イリックは反論したいようなそうでもないような、不思議な感情にかられる。
(洗ってるんだけどな~。どちらかと言えば清潔好きなんだけどな~。そんなことでネッテは俺を嫌ったりはしないんだけどな~)
しかし、言わない。口論でロニアに勝てないことなど、短い付き合いながらも十分理解している。こうなってしまっては、男は黙るしかないと重々承知だ。
ふと、気になる。
(ロニアさんはどこから洗うんだろう?)
ちなみにイリックは頭からだ。汚れを上から順に洗い流していく。どうでもいい情報だが。
訊いてみようかな。
止めておこうかな。
どうでもいい葛藤に苛まれる。
(ネッテは俺と同じなんだよな~。今でもそうなのかは知らないけど)
イリックとネッテは、何年か前まで一緒に入浴していた。
兄の真似ではないのだろうが、ネッテもまた頭から順に洗っていく。
ネッテの髪は長い。灰色の髪を左耳の後ろで束ねている。それを解かせば、背中まで届く程度には長い。
浴室では洗髪を終わらせた後、髪が湯船に浸かることを避けるためにぐるぐるっと丸めて頭の上や後ろで固める。これもどうでもいい情報だが。
(アジールさんはどうなのかな? あぁ、後でネッテに教えてもらえばいいのか)
ネッテは男では決して知り得ない情報を把握している。日々、一緒に入浴しているのだから当然だ。
イリックはさらに気づく。他にも様々なことを訊けばいいのだ、と。
アジールとロニアの胸の形。
毛深さ。
ホクロの有無。
(こんなことに気づけないなんて……。俺はなんてバカだったんだ)
イリックはバカだ。こんなことをネッテにたずねた日には確実に殺される。
そのことに気づけたのは、三途の川を渡った頃だった。




