第三十六章 風と土と火、そして氷
二人の出会いは三十四年前まで遡る。
場所はガーウィンス連邦国の研究区に存在する茶色い建物の中。そこには本棚がところ狭しと並んでおり、本も負けじとぎゅうぎゅう詰めだ。
魔法の研究を行う最も重要な研究機関、火の図書館で三十二歳のゴルドと二十五歳のウーディは顔を合わせる。
ゴルドはすらっとした背丈で灰色のローブを着こなす。黒髪はふわふわな帽子のように頭を覆っており、顔も悪くはないためもてそうなものだが、その性格が災いして女性職員からは避けられている。
隙あらば胸や尻を観察し、あまつさえ、触ろうと腕を伸ばす。そう、ゴルドはこの頃からセクハラを日常的に行っていた。
一方で、誰よりも研究に熱心だった。その姿勢も、成果も一流と言える。ゆえに、セクハラは大目に見られていた。ゴルドというどこか憎めない人物像がそれを許容していたのかもしれない。
そんなゴルドとは異なる方向性の持ち主がウーディだ。魔法と知識、そして頭の良さを認められ、風の図書館から火の図書館に移籍する。
ウーディとしては、風の図書館での遺跡調査を気に入っており、内心ではこの異動を嫌がっていた。それでも断らなかった理由は、自分の生い立ちに関係する。
両親が亡くなり、子供だった自分を引き取り育ててくれたばかりか、魔法学校にまで入学させてくれたガーウィンス連邦国に逆らいたくなかった。
研究機関の職員の人事は、各図書館の館長が出席する館長議会で執り行われる。この議会は、神の名代が出席する代理議会の次に重要な位置づけであり、それはすなわち、国の決定といっても差し支えない。
ウーディは自分の意思を殺して火の図書館への移籍を受け入れる。魔法の才能が無い自分が、魔法の研究を専門とするここに来てもいいのだろうか? そういう不安もあった。
しかし、それは杞憂に終わる。神経質そうな、やややせ細った外見を裏付けるように、ウーディは丁寧かつ慎重に魔法の研究を進めていく。
他の職員と協力したりはせず、一人で寡黙に魔法の可能性を調べ上げていく。
もっとも、比較的無口なだけで、社交性が全くなかったということもない。研究について他の職員と議論することもあれば、ゴルド達から食事や酒に誘われれば普通についていくことも少なくはなかった。酒場で騒ぐような真似はしないが、端でチビチビと顔を赤くしながらも、その場の空気を楽しむ程度の人間性は持ち合わせていた。
この頃のウーディは、生きることが下手なだけの男でしかなかった。
転機が訪れたのは、それから十一年後。すなわち、二十三年前。
突然、ウーディに変化が現われる。
ウーディは魔法を一切使うことができない。可能なことは魔力そのものを具現化し、それを操ること。これはこれで他人が真似できるようなことではないのだが、魔法を覚えていないという負い目は、ウーディの性格に影を落としていた。
しかし、そのことで頭を悩ます必要はもうない。
それは大粒の雨が降りしきる、いつもよりも暗い夜のことだった。
仕事を終えたウーディは、職場から自宅に向けて帰っている最中にそれと出会ってしまう。
平均的な女性よりもやや背丈の低い大人の女性が、傘もささずに雨の中でじっと立ち尽くしている。随分と長い赤色の髪と黒いローブが、雨のせいでぐっしょりと濡れている。そのローブは氷の図書館の職員が着る黒いローブに似ており、少なくともウーディはそうなのだろうと思い込む。
(傘もささずに何をしてるんだ? 俺には関係ないが)
赤い髪の女性は水浸しの土道の端に立っており、ウーディの帰宅が妨げられることはない。
しかし、それは声をかけられなければの場合だ。
「あなた、不思議な力を持ってる」
大雨が降っていようと、その声ははっきりと聞こえた。ウーディはピタリと足を止めてしまう。
理由は二つ。
自分の魔法を見抜かれたこと。
この女性から特異な魔力を感じたこと。
火の図書館に勤めて早十一年。魔法の知識は既にガーウィンス連邦国においてトップクラスだ。現存する魔法はおろか、過去に存在したと思われる魔法についても、誰よりも多く把握できている。
それだけではない。研究成果についても、既にゴルドと互角かそれ以上だ。ガーウィンス連邦国が保持する結界の術式についても、より頑丈な品質を実現できるよう進化させることに成功した。
スムルス平原において、農作物が早く育つ理由の解明についても時間の問題だろうと思われる。
本来、この研究は土の図書館の管轄なのだが、ウーディは魔法の可能性を疑っており、ゆえに火の図書館で研究する意義があると主張する。こんなことは前代未聞であり、周囲からは期待と驚きの眼差しを向けられているのだが、ウーディ本人は微塵も気にしていない。
魔法についての知識も実績も兼ね備えたウーディだが、雨に打たれる女性から感じられる未知の魔力には、後ずさることしかできない。
足を止めたのは失敗だ。
こんなチャンス、逃してどうする。
相反する感情が渦巻く中、ウーディは怯えながらもグッと踏みとどまる。
(に、人間ではない。モンスターでもない……。では、何だ?)
傘はもう落としてしまった。ウーディも雨に濡れながら、目の前の女性に一歩を踏み出す。
「そう。やっぱり望むんだ」
「何を言っている? 私はただ、知りたいだけだ」
濡れた前髪のせいで、女性の表情はわからない。しかし、笑っているように見える。
「ふふ……。復讐は甘美だった? それとも、つまんなかった?」
その発言はウーディを固まらせるのに十分だった。
鼓動が高まる。
なぜ知っている?
それよりもおまえの魔力の波動は何だ?
ウーディの頭の中は既にグチャグチャだ。
「あなたが一歩を踏み出した理由。教えてあげる」
赤髪の女性が右手を差し出す。細い腕にも関わらず、並の人間では辿り着けない領域の魔力をみなぎらせる。酷く冷たく、それでいて力強いその力は、やはり人間が所持できる代物ではない。
「それは……、モンスターから奪ったのか?」
「ちょっと外れ。でも、そう考えられるってことは……、あなた優秀なのね。そういう意味でも適任だわ」
ウーディがその考えに辿り着ける理由はシンプルだ。自身も、他人から魔力を奪うことができる。もっとも、そんなことをしても生活にはなんら役に立たないため、子供の頃に興味本位で奪って以来、二度とこの能力は使用していない。
「おまえ、何者だ?」
「そんなことを知ってどうするの? それとも、この力を得ることよりも、私について知りたい?」
ウーディはゴクリと喉を鳴らす。その二択は考えるまでもない。しかし、目の前の女性について知りたいという欲求もまた、はちきれんばかりに拡大している。
そんな考えはどす黒い衝動によって飲み込まれる。
「力だ」
「でしょうね。だからあなたを選んだの。いい子だわ」
じっと自分を見据えるウーディに、その女性はニヤリと笑う。そして、右手の凍えそうなほどに冷たい魔力を、そっとウーディに流し込む。
ウーディの能力は魔力の吸収と貯蔵だ。ゆえに、この行為は無理やりではあるが、なんら問題ないと言える。
それを証明するように、注入された魔力が驚くほどあっさりと体に馴染む。だが、本丸はこちらだった。
「ふふ。これもプレゼントよ」
女性の左手が、ウーディの体にそっと触れられる。途端、ウーディは先ほど与えられた魔力以上に冷たい何かを注ぎ込まれる。
それはほんの少量だ。先ほどの魔力と比べれば、ほとんど無に等しい。しかし、たったそれだけでも、劇薬のようにウーディの体や神経、はては脳さえも侵食する。
もう立っていることもできない。呼吸もできない。心臓は既に止まっている。だが、新たな魔力が体内でうねり暴れまわる。右手から与えられた魔力など、左手のそれと比べたらゴミだ。
何をした? もう喋ることはできない。
理性が音をたてて崩れていく。
「もう我慢しなくていい。仕返しをしたいんだよね。なら、したら?」
大粒の雨が体に降り注ぐが、それすらももう感じない。地面は泥まみれの水浸しだが、そのことを認識することすらできない。
謎の女が何かを喋ったようだが、もう聞こえない。
ゴルドは意識を失う。このタイミングで、ゴルドは一度死ぬ。
翌朝。ゴルドは自分のベッドで目覚める。昨晩のことは何となくだが覚えている。記憶はひどくあやふやだ。肝心の女については、ぼんやりとしか思い出せない。
それでも、体に宿る新たな魔力が、昨晩の出来事は本当のことだと物語っている。
新たに手にした氷の力。
うれしくてたまらない。こんな晴れ晴れとした気持ちは三十六年生きてきて初めてだ。
さぁ、今日も仕事だ。一刻も早く出社して、職場の面々にアイスクルを披露しなくては。
そうだ。今日から新しい研究に着手しよう。きっと世紀の研究になるはずだ。国をあげて驚いてくれるだろう。
研究の行き着く先が、この国とおまえ達の滅びなのだから。
◆
「あ~嫌だ嫌だ。相変わらず陰湿な奴じゃのう。聞いて損したわ」
「な!? おまえが話せと言うから話したんだぞ!」
ゴルドはやれやれ、と首を左右に振る。
ウーディは要求通り、氷の力の秘密について話したのだが、予想外の反応に落胆しつつも心底驚く。
「だって意味がわからん。誰? その女?」
「それは俺にもわからないと言っているだろう。話聞いてたか?」
「あんまり」
「おい!」
二人の老人が子供みたいな問答を続ける。
イリック達は黙って聞くことを選ぶ。自分達は外野であることをわきまえてのことだ。
「そんな大層なことができるおなごについて何も把握できておらんとは……。間抜けな奴じゃのう」
「女ったらしに言われたくはない」
「あぁ、もうボケたか?」
「それはおまえだ! それともあれか? 筋肉ばかりつけて、脳みそまで筋肉になったのか?」
実は仲が良いのでは? イリック達はそう思わずにはいられない。
そもそもこれは、ガーウィンス連邦国の存亡をかけた戦いのはずなのだが、眼前ではイリックとネッテの兄妹喧嘩並かそれ未満の争いが繰り広げられている。
「その力、明らかに氷の大精霊のもんじゃろ。そこから逆算して、おなごの正体を暴けばええ」
ゴルドは見抜いていた。ウーディの氷魔法の正体に。きっかけは、風の洞窟に出向いた時に感じた魔力だ。そこでは風の大精霊から放たれる人間離れした、それでいて威圧感のある魔力を感じたが、この感覚と何より波動がウーディの氷の魔法から感知できた魔力に似ていた。
冷静に考えれば、風の大精霊の結界を破れる存在はそう易々とはこの世界に見当たらない。あるとすれば、風に対して強属性に該当する氷の大精霊だろう。そのことからも、多少乱暴ではあるが推測することができる。
もっとも、ウーディがその力をどうやって入手したのかが重要だったが、それは本人の口から聞いた今でも謎のままだ。
雨の日に、赤い髪の女から譲り受けた。これでは説明にならない。
「ふん。それよりも俺にはやることがあったのでね」
「それがこれか? 大層なことしおって。おかげでわしらは残業三昧じゃ」
ウーディとゴルドは、広間の中心に存在する機械とその上に添えられている卵型の容器を見つめる。人間がどうこうできる限界を遥かに越えた魔力が蓄積されており、この瞬間にも爆発しそうだが、ウーディは平然とそれを眺める。
「もうすぐだ。後数日で達成される」
「ふん。三百年前の大災害を引き起こそうとしておるんじゃろ? わしらがここに来た時点で失敗じゃ」
ウーディが満足そうな表情を浮かべる一方、ゴルドはズバリ言い当てる。
二百九十四年前。すなわち、真歴256年。
サハハ遺跡に発生した膨大な魔力が、なんの前触れも無く周辺の土地を焼き払う。ガーウィンス連邦国の一部も巻き込まれてしまい、多数の死傷者が出てしまう。
以降、この出来事は大災害として語り継がれる。
サハハ遺跡には結界が張られ、同じ過ちが起きないよう対策が施される。
この出来事の主たる原因は未だわかっておらず、しかし、対策後は再発していないことから、やがてサハハ遺跡は危険視されなくなる。
この遺跡に着目したのがウーディであり、長年の研究により、ついに使用方法を解明してみせる。
「大災害? 違うな。それ以上の災厄をあの国にもたらしてやる」
ウーディの目的。それは、サハハ遺跡に魔力を溜め込み、それを暴走させ、ガーウィンス連邦国を滅ぼすことだ。
ウーディの知識と研究、そして、氷の大精霊の魔力がそれを可能とした。
二十年前、ゴルドに敗れたウーディはガーウィンス連邦国から立ち去る。
その時点ではまだサハハ遺跡の解明が済んでおらず、ウーディは現地で研究を続けることにする。
およそ二十年間、ウーディは無人のサハハ遺跡で一人研究に没頭する。
そして、ついにその使い方を解明してしまう。
サハハ遺跡は古代人が遺した破壊兵器だとウーディは以前から予想していた。それゆえに目をつけ、自らの手でそれを証明しようとしている。
頭上の透明な容器には、膨大な魔力を溜め込むことができる。人間からすれば無限とさえ思えるほどの容量だが、実際には限界があるとウーディは突き止める。
許容量を越えてしまうと、排出口に中の魔力がなだれ込み、スムルス平原へ一斉に漏れ出る。
三百年前の大災害は近いことが起きたからであり、しかし、当時は限界まで魔力が貯まったわけではないというのがウーディの調査結果で明らかになる。
ではなぜ大災害が発生したのかはまだわかっていないが、ウーディにとってはどうでもよく、この仕組みがわかった今は、自らの計画にまい進するだけだ。
頭上の容器、魔力貯蔵装置に限界以上の魔力を溜め込み、いっきに放出させてスムルス平原とガーウィンス連邦国を焼き払う。そして、ガーウィンス連邦国とそこに住む人々を抹殺する。
これがウーディの目的だ。
「なぜそんなことをする? 何がおぬしをそうさせる?」
「言ったところでどうせ理解できまい。そもそも、教えてやる義理もない。せいぜい考えるんだな。そして、そのまま死ね」
食い下がるゴルドに、ウーディは見下すように言い放つ。
「氷の力を身に付けて以降、おぬしは変わった。その女にそそのかれた……というわけではなさそうじゃが、その頃からこれを狙っておったのか?」
「計画はな。館長になっていたらこの方法をとっていたかはわからないが……。おかげでここに辿り着けたよ」
火の図書館館長の座をゴルドと争い、そして負けた。ゆえにウーディはガーウィンス連邦国を去り、以前から目をつけていたサハハ遺跡に隠れ潜む。もちろんそれは研究のためであり、ガーウィンス連邦国を滅ぼすためだ。
結果として、サハハ遺跡による抹殺計画に辿り着くのだが、それが近道だったのか遠回りだったのかは、今となってはわからない。
「サハハ遺跡に存在する土の大精霊と装置を使う。見事なもんじゃな」
サハハ遺跡から観測された魔力は、膨大過ぎて人間の手に余る。ガーウィンス連邦国の最大戦力と呼ばれるシャルロットの魔力でさえ、魔力貯蔵装置に蓄積されている魔力と比べてしまえば、微々たる量だ。
それほどの魔力を人間が用意できるはずがない。魔力の高い人間達を集め、それをこの装置に注いだとしても不可能だ。
唯一の方法があるとすれば、それはサハハ遺跡の奥に存在すると言われている土の大精霊の魔力を利用することくらいだ。
しかし、それも人間には不可能だ。そもそも意思疎通が難しく、ましては魔力を借りる、もしくは奪うことなど到底できない。
だが、ウーディにはそれができてしまう。
謎の女から授けられた氷の大精霊の魔力。もちろん、これを用いたとしても、土の大精霊の結界に穴を開けることはできない。
土属性に有効な攻撃は、風属性なのだから。
ゆえにウーディは、サハハ遺跡の解明が済んだ段階で計画を立て、それを実行する。
土の大精霊の結界を破るためには、風の大精霊の力が必要だ。それを奪うために、ウーディは風の洞窟に出向き、氷の力を使い、精霊界からモノケロスを呼び出す。
大精霊は精霊界にアクセスし、自分の属性に組するモンスターを連れてくることができる。
氷の大精霊の場合、氷属性のモンスターをこちらの世界に招くことができる。
ウーディに支配されたモノケロスは、相性の良さから風の大精霊の結界にヒビを入れ、魔力を垂れ流すことに成功する。
ウーディはそれを吸収し、新たに得た風の力で、土の大精霊の結界を破ることに成功する。
この時点から、サハハ遺跡の魔力貯蔵装置に魔力が蓄積され始める。そのペースは限界値に対して非常に緩やかだが、それでもゆっくりと、それでいて際限なく装置に送られ続ける。
ウーディは計画を早めるため、風の大精霊から奪った魔力をこの装置に注ぎ込む。その結果、ウーディは風の力を失うが、それなら補充すればいいだけであり、再度風の洞窟に出向く。
その帰りに、ウーディはイリック達と出会ってしまう。たかが冒険者に出会ったことなど気にも留めていなかったが、この出来事がきっかけでウーディはゴルドにその暗躍を悟られてしまう。
その後、ガーウィンス連邦国はサハハ遺跡の異変に気づき、ゴルド達館長は右往左往し始める。
一方、イリック達はこの頃、北の地で活躍しており、この事件を知るのはもう少し後のこととなる。
ウーディはさらに計画を早めるため、次は火の大精霊を狙う。風の洞窟は何者かの手によって邪魔されたことから諦めることにした。何より、風の洞窟よりもビサラ山脈の方が地理的に近く、水の大精霊の力を所持してはいないが、三種類のモンスターをぶつければ大丈夫だろうという計算も働き、ウーディは火の大精霊の元へ向かう。
氷、風、土のモンスターをぶつけ、火の大精霊の結界に穴を開けたウーディは、魔力を吸収し、一旦持ち帰って魔力貯蔵装置にそれを注ぎ込む。
再度ビサラ山脈に出向いたウーディは、魔力を持ち帰る際にイリック達と再会してしまう。
ウーディは今になって後悔する。この時に倒しておけばよかった、と。もっとも、それはイリックも同じだ。
サハハ遺跡に戻ったウーディは、自身は氷、風、土、火の力を備え、魔力の貯蔵が完了するのを待ち続ける。
そして今日、ゴルド達が駆けつけてしまう。自分の計画を見抜いた上で、それでも話しかけてくるゴルドにウーディはつらつらと返答する。
「バカなトップが調査を邪魔することも見込んでの計画だ。なかなかのもんだろう?」
「神の名代様の意思さえも折込済みとはな。確かに説得するのに苦労したわい。じゃが、こうしてお主の前に辿り着けたぞい」
「そうだな、正直驚いている」
国家元首である神の名代は、基本的に保守的な思想の元、国を取りまとめる。とりわけ、今回の神の名代は非常に規則を重んじる。先代までの神の名代が定めた掟は絶対遵守の姿勢を崩さず、ゴルド達はサハハ遺跡を調査するための説得にかなり手を焼いた。
サハハ遺跡は二代目の神の名代が立ち入りを禁止しており、それを破ることにかなりの難色を示した。
しかし、ゴルドは説得を成功させ、ついにはウーディの元に辿り着く。
この時点でゴルドの勝ちと言えるのかもしれない。それが早計か否かは、これからの戦いにかかっていると両者は察している。
(あ、お兄ちゃん寝てる)
(暇)
(目的はわかったけれど、動機までは話してくれないのかしら?)
(なるほどナルホド)
四人はゴルドの後方で待機している。イリックはかなり前から、地べたに寝そべって寝ている。こんな長話、聞いていられない。
そんな中、トゥルルはこの広間を観察する。どことなくトゥルル遺跡に似ており、おそらくそう感じるのは、床や壁を構成する長方形のレンガのような未知の素材が、規則正しく並んでいるからだろう。たったそれだけの理由だが、それだけで十分とも言える。
今の人間に、この石のような何かを作る術はない。成分の解明すらできていないのだから、やはりここは古代人の遺した遺跡で間違いない。
トゥルル遺跡については、未だにその存在理由がわからない。しかし、ここ、サハハ遺跡に関しては、ウーディのおかげで判明した。
魔力の貯蔵および破壊への転用。物騒な話だが、明らかになったことがトゥルルにとっては素晴らしい。
球体の上半分を形作っている空間の中心には、まばゆい光を放つ容器が存在している。その下にはそれを支えつつも制御するための仰々しいコンソールがどかっと鎮座している。周囲には大小様々なパイプが床と機械の中心に伸びており、いかにも魔力を供給ないし排出できますよと物語っている。
トゥルルは感じる。ここでなら自分でも何かできそうだと。戦うことしかできない自分に、新たな役割が見つかりそう。透明な容器の下に立ち並ぶ機械を見ていると、そう思えて仕方ない。
「ところで、先ほど言うておったな。後数日で魔力が貯まりきる、と。つまり、わしらはお主の計画を阻止できるということじゃな」
「俺に勝てればな。もっとも、そんなことできるはずもない」
ゴルドの問いかけをあざ笑うように、ウーディは勝ち誇る。何の根拠もない勝利宣言ではない。それだけの実力を保持しているがゆえの絶対的な自信だ。
赤い髪の女から譲り受けた氷の力。
風の洞窟で奪った風の力。
サハハ遺跡で吸収した土の力。
ビサラ山脈で手に入れた火の力。
そして、魔力を具現化させる自身の力。
二十年前は氷の力と魔力具現化の二つしかなく、結果ゴルドに破れた。しかし、今では風と土と火さえも操れる。負けるはずがない。
「この斧で目を覚まさせてやるわい」
ゴルドは背中の両手斧を構える。刃が片方にしか備わっていないその斧は、刃も柄も全てが黒く輝いている。
「ふん。弱体魔法のないおまえなど、ただの雑魚だ」
「そう言うでない。これもなかなかのもんだぞ」
ゴルドが握る斧はダーク製の一級品、シュバルツアクストだ。ダークはアダマンに次いで優れた素材であり、かなりの高性能武器と言える。
「冒険者という無能連中は弱体魔法がいかに有効かも知らず、ただただ火力を追い求めているようだが……、その点、昔のおまえは優秀だったな。今ではただの筋肉だるまに成り下がったようだが」
「それはお主のせいじゃろうが。ならわしの魔力を返さんかい」
ゴルドはウーディに魔力とマジックポイントを半分ずつ奪われた。だからと言って魔法まで使えなくなったわけではないのだが、魔力が半分に落ち込んだことで、ゴルドの戦闘力はそれ以上に低下した。
なぜなら、ゴルドは弱体魔法を主体に戦う。弱体魔法は魔力の高さによって、命中率、すなわち相手に効果をもたらすか否かが決定する。正確には、自分と相手の魔力差によって左右されるのだが、魔力が半分に落ち込んだ今となっては、よっぽど弱いモンスターでもない限り、自慢の弱体魔法を相手に食らわせることはできない。
ウーディが言ったように、一部の冒険者は弱体魔法を軽視している。なぜか? 効果が地味なことと、なによりその魔法だけではモンスターを倒せないからだ。
もちろん、存分に活用し、戦闘を有利に運んでいる冒険者がいるのも事実だが、少数はその有効性に気づいていない。
弱体魔法と一言で言っても、様々な魔法が存在する。
毒を与えてじわじわダメージを与えるスリップペイン。
対象が移動する度にダメージを与えるダークオーブ。
体が痺れる雷撃を帯電させるショックボルト。
相手の動きを鈍らせるグラビティボルト。
魔法の詠唱を不可能とするセクレンス。
対象がまとう強化魔法を一つ消し去るパージ。
一秒程度、動きを完全に停止させるグリムス。
対象を眠らせるスランブ。
対象だけでなく、その周囲の存在すら眠らせるスランバー。
地面に足を固定させて移動を阻害するグラウンドボンド。
これら魔法は、詠唱者の魔力が対象より高くなければ成功させることは難しい。唯一の例外はグリムスであり、この弱体魔法だけはそれに関係なく成功させることができる。
また、相手との魔力差は弱体魔法の効果にも影響する。
魔力差に開きがなければ、スランブを相手にかけることができたとしても、五秒しか眠らないかもしれない。一方、圧倒的に魔力が上回っていれば、三十秒は眠らせることが可能かもしれない。
こういったことから、弱体魔法は攻撃魔法よりも魔力が重要と言われており、そのことが敷居を高くしているとも言える。
二十年前、ゴルドはウーディを負かしたのだが、それはこれら弱体魔法を存分に駆使し、ウーディの実力を出し切らせなかったからだ。
ゴルドはグリムス以外の弱体魔法を習得している。そして、魔力も高い。自身の能力を把握できており、いかに弱体魔法が効果的かをわかっていたからこそ、圧倒的な戦闘力を誇るウーディすらも倒すことができた。
しかし、今のゴルドに弱体魔法を成功させる魔力は残っていない。
ゴルドの武器は、漆黒の両手斧と二つの強化魔法、そして鍛えぬいた己の肉体ということになる。
「残念だが、人間から奪った魔力は返却することができないんでね。しかし、それすらも可能とするのが、この装置だ」
ウーディは手元の機械を撫でる。地下遺跡を構成する紫がかった石とは全く異なる鉛色の角ばった物体には、黒くて四角い小さなでっぱりが規則正しく大量に並んでいる。一部は白や赤で塗られているが、ほとんどは灰色だ。また、何かを差し込む小さな穴や、やや窪んだ青い領域も存在する。そこからはわずかに白い光が浮かび上がっているのだが、上の容器からの発光が強いため、イリック達からは見えない。
この装置を使えば、ウーディの体に溜め込まれた魔力を上の容器に移し替えることが可能だ。
「ふん。言ってみただけじゃ。グレイスウォール」
ゴルドの眼前に茶色い半透明な壁が一瞬浮かび上がる。攻撃を一度だけ肩代わりしてくれる強化魔法だ。
「そういえばそんな魔法も使っていたな……。二十年前のように一人で俺に挑むつもりか? 後ろの仲間はい……、寝ているぞ」
「何じゃと!?」
ウーディの言った通り、イリックとネッテが仲良く寄り添うように寝ている。ネッテはついさっきまで起きていたのだが、寝ている兄に気づき、一緒に眠ることを選ぶ。寝ていいんだ。その事実がネッテをあっという間に寝かしつける。
「私達だけでも加勢するわよ。必要とあらば、この子達を起こしてもいいし」
「う、うぅむ……」
ロニアの助言にゴルドは困惑する。一人で戦うつもりでいたが、まさか居眠りされるとは夢にも思わず、そういえばイリックは常々すぐに寝ていたなと思い出す。
「まぁ、わしにやらせてくれい」
「わかったわ。いざとなったら勝手に参戦するわよ」
「任せたわい」
ゴルドはウーディに向き合う。そのウーディは既に広間中央の機械から離れており、周囲に何もない場所で右手に魔力の炎をたぎらせている。
「もういいか?」
「あぁ、待たせたのう」
一瞬の静寂の後、その一言が合図となる、両者は動き始める。
「再び勝たせてもらうぞ」
ゴルドはシュバルツアクストを振り上げながら突進する。
ウーディは微動だにせず、真正面から迎撃する。右手から放たれた赤い業火は、筋肉の体に容赦なく直撃する。
だが、止まらない。このためのグレイスウォールだ。一度だけ攻撃を無効化してくれるのだから、ゴルドがそれを避ける必要はない。
炎の残滓をかき分けながら、片刃の斧が振りぬかれる。
次の瞬間、ゴルドは目を見開きながら驚く。そこに倒すべき敵がいないからだ。今更止まるはずもなく、両手斧は空を切り、ゴルドは気配の方へ振り向く。
「二十年前も使っておったのう。独自に編み出したフリッカーじゃったか」
「そうだ。上位互換……とは言えないがな」
ウーディが立っている場所は、ゴルドから十メートル以上も離れた何もない場所だ。
フリッカー。移動魔法の一つ。後衛攻撃役が習得可能な魔法であり、最大十メートルまで瞬間移動が可能だ。移動と同時に、自身が負っている状態異常を全て消し去ることが可能なため、汎用性は非常に高い。
ウーディはこの魔法を習得していない。先ほど使ったのは、ロニアが水魔法を開発したように、ウーディ自身が作り出した魔法だ。
フリッカーの移動距離は十メートルが限度だが、ウーディのそれは一度におよそ五キロメートルまで移動することができる。距離という意味では完全に上位互換だ。
一方、状態異常を消し去ることまではできない。ゆえに、ウーディは自身のこれをそこまで高く評価していない。
また、再使用時間にも大きく開きがある。
フリッカーは三十秒だけでいいが、ウーディのこれは八分と非常に長い。
これらを加味し、ウーディはフリッカーの上位互換ではないと表現する。
「もう、使えんのう」
「おまえもグレイスウォールを失った。お互い様だな」
ウーディが言うように、ゴルドのグレイスウォールも剥がされた。しかし、それならもう一度使えばいいだけであり、ゴルドはそれを実行する。
「同じ手はもう使えんぞ」
歩き始めたゴルドの眼前に、茶色い壁が一瞬浮かび上がる。二度目のグレイスウォールだ。
ウーディはもうフリッカーを使えない。ゆえに、次は瞬間移動で逃げることができない。それを踏まえて、ゴルドは再び、愚直な猛進を開始する。
「どうせマジックポイントは残り少ないんだろう」
迫り来るゴルドに構わず、ウーディは険しい表情のまま、ずばり言い当ててみせる。
グレイスウォールと先ほどの戦闘で使用したストレングスフィーは、魔法の中でも一際マジックポイントの消費が大きい。とりわけストレングスフィーは、地味な効果にも関わらず消費の重たい魔法として有名であり、そういう意味からもあまり活用されることはない。
何よりゴルドは全盛期と比べ、マジックポイントが半分に落ち込んでいる。その原因は目の前にいるウーディなのだが、とにかくゴルドはイリックほどではないにしろ、乏しいマジックポイントをやりくりしなければならない。
フリッカーもどきを使用できないウーディ。
マジックポイントが残り少ないゴルド。
どちらが追い詰められているのか、それは次の瞬間に決まる。
「お主のせいじゃろうがー!」
それでもゴルドは駆ける。それしかできないからだ。握り締めている相棒を叩き込むことでしか、ウーディを倒すことができない。ゆえに、それを実行する。
「俺に近づくことがどういうことか、忘れたわけではあるまい」
ウーディは動かない。しかし、ゴルドは何の前触れもなく、横へ吹き飛ばされる。
遠目から観戦していたアジールとトゥルルは何が起きたのか理解できない。唯一、ロニアと吹き飛ばされたゴルドだけが察する。
「そうじゃったー! ぐふっ!」
石とは違う鉱石の床にゴルドは叩きつけられる。ダメージはない。グレイスウォールのおかげだ。地面にぶつかった衝撃は少々痛かったが、被害としてはその程度で済んだとも言える。
「今の何?」
「魔力そのもので殴ったのよ」
不思議そうなアジールに、ロニアは答えを提示する。
「ほう……。そこの娘には見えたのか。その胸は伊達ではないのだな」
「そうじゃ、そこのおっぱいはなかなか凄いんじゃぞ」
「……なんでいちいち胸のこと言うのよ」
ウーディとゴルドがロニアに視線を向ける。そして胸を見る。
「そんな服着てるんじゃから、自慢したいんじゃろ?」
「そんなわけないでしょ」
「な、何だと!?」
ゴルドが男目線でタイトワンピースについて述べ、ロニアはそれをあっさりと否定する。そして、ウーディはなぜか大きく怯む。年寄りの頑固な頭では、女性の美的センスについていけないようだ。
「魔力そのもの……デスカ?」
「ええ。これを見て」
トゥルルに答えを教えるため、ロニアは水柱を一本作り出す。
「私が水を作ったり操ることを得意としているのは知ってるでしょ? そういう才能があったからなんだけど、あいつは水ではなく魔力そのものをこんな感じに具現化させて操ってるの」
「そういうことだ。なつかしいだろう、ゴルド」
ロニアは魔力だけでなく、魔力制御という才能も高い。正確には、水属性に関する魔力制御だけが高いため、水を操り独自の魔法にまで発展させることに成功する。
対してウーディも、魔力と魔力制御が非常に高い。
ウーディの場合、あらゆる属性の魔力制御が高く、しかし、どういうわけか魔法を習得することはできなかった。
その代わりというわけでもないが、ウーディは独自の魔法を見出す。高い魔力制御が可能とする魔力の具現化とその操作。
通常、魔力というものは目に見えない。魔法という現象となることで視認が可能となるのであって、よっぽどのことがない限り、魔力そのものは目に見えるものではない。
したがって、魔力を具現化するウーディの攻撃は、誰にも見えないということになる。
魔力感知が可能な人間ならば、それを感じ取ることができる。ゴルドとロニアにはそれが可能であり、アジールにはそれができないということだ。トゥルルも比較的優れた魔力感知が可能だが、今の攻撃に関しては見落としてしまう。
ゴルドはこれを二十年前に経験している。しかし、その時も今回のようにグレイスウォールでやり過ごすことに成功しており、たいした被害は受けていない。
もっとも、二十年前と今日では状況が全く異なっている。ゴルドはこの後も接近戦を挑まなければならない。一方、二十年前は近づく必要がなかった。その差は非常に大きく、ゴルドはグレイスウォールを唱え、再び歩き始める。
「だからと言ってわしのやることは一つじゃ」
「愚直だな……。二十年前とは別人のようだ」
ゴルドは駆ける。
そんなゴルドにウーディは呆れつつも、そっと魔法の詠唱を開始する。
「グラウンドボンド」
「な、なんじゃと!?」
ウーディの発言と共に、ゴルドの足元に黄色い輪が発生する。それは瞬く間に収縮し、床の中へ消え去る。
ゴルドは動けない。足が地面にびたりとついたように、片足すら持ち上げることができない。上半身も腰も動く。しかし、肝心の足が地面から離れてくれない。
グラウンドボンド。弱体魔法の一つ。対象をその場に縛り付ける移動阻害魔法。攻撃を受けるか時間経過で解除されるが、それまではその場から動くことができない。
「おまえの得意としていた魔法だったな。二十年前はこれに苦労させられたぞ」
「くぅ、卑怯じゃぞ!」
「お、おまえが言うな!」
グラウンドボンドは単なる足止め魔法だ。しかし、その有効性をウーディは二十年前に身を持って学習した。それを今から実演する。
接近された分だけ、ウーディはゴルドから距離をとる。そして、じっくりと何もせず時間が過ぎ去るのを待つ。
この行為の意味に気づけているのはゴルドだけであり、流れる冷や汗をぬぐいもせず、ぐっとシュバルツアクストを握り締め、その時を待つ。
「さぁ、行くぞ」
ウーディの右手が、動けないゴルドに向けられる。それを合図に、ゴルドの周辺に疾風の刃が発生する。それらは高品質な皮と金属があしらわれた軽鎧を切り裂こうとする。同時に足止めからは開放されるため、ゴルドはかまいたちの中を抜け出し、ウーディに迫る。
グレイスウォールが一度だけ守ってくれるため、今の魔法では被害を受けない。足止めが解除されただけであり、ゴルドにとっては反撃のチャンスでしかない。
「グラウンドボンド」
「くぅ! グレイスウォール!」
しかし、ゴルドは再びその場から動けなくなる。足元に発生した黄色い円が、ゴルドの足を地面に固定したからだ。
魔法には様々な時間が存在する。
詠唱時間。
再使用時間。
効果時間。
グラウンドボンドの場合、それらは次のようになる。
詠唱時間、一秒。
再詠唱時間、二十秒。
効果時間、詠唱者と対象の魔力差によって決定する。もしくは、対象が攻撃されるまで。
この魔法においてもっとも重要な時間は、再詠唱時間だ。
もし、効果時間がそれと同等かそれよりも長い場合、対象はその場に足止めされ続けるということになる。効果が切れたらすぐにかけ直せばいいからだ。
しかし、それでは相手をその場に押し留めるだけであり、倒すことができない。だが、二十年前にゴルドはこの魔法を必殺の手段として使いこなし、ウーディを倒すことに成功する。
二十年前にゴルドがとった戦法はこうだ。
先ず、グラウンドボンドでウーディをその場に縛り付ける。
ウーディの氷魔法をグレイスウォールで受け止めつつ、弱体魔法をいくつかウーディに浴びせる。弱体魔法ではグラウンドボンドの足止めは消滅しない。
そして、ゴルドは魔法の射程外まで離れる。この間、両者は互いに攻撃ができない。魔法が届かないからだ。
ウーディだけは弱体魔法に蝕まれ、じわじわと体力を削られていく。
ゴルドはグレイスウォールをかけなおし、その時を待つ。
やがて、ウーディの足は動くようになり、当然接近を開始する。
ゴルドはそのタイミングで再びグラウンドボンドを当てなおす。もちろん、再使用時間である二十秒が経過していることが条件だが、ゴルドの高い魔力はそれを可能とした。
ゴルドは再び離れる。その際、可能な限りの弱体魔法をウーディに当てながらも、グレイスウォールの張りなおしも欠かさない。
このように、ゴルドはグラウンドボンドを巧みに使いこなし、ウーディの体力を一方的に削ってみせる。
ウーディの魔力もかなり高いため、グラウンドボンドが二十秒持たずに解除されてしまうこともあるのだが、それならそれで互いに魔法を撃ち合えばいいだけであり、最終的にはゴルドが有利な状況へ再び移行すれば済む話だ。
こうしてゴルドは、類稀な魔力の高さと豊富な弱体魔法を存分に発揮し、接近戦も遠距離戦も得意とするウーディを倒す。
これが二十年前の一騎打ちの内容であり、この際にウーディは弱体魔法の有効性を身を持って知ることになる。
そして現在、ゴルドは魔力とマジックポイントを半分も失っており、その結果、弱体魔法はウーディに通用しない。
その上、ウーディは氷以外に、風、土、火の魔法を習得しており、土属性に該当するグラウンドボンドでゴルドにそうされたように、仕返しの如く完封しようと試みている。
ウーディに近づく前に足止めされ、有効時間内に再び離されてしまう。再使用時間が満ちた頃、攻撃魔法を一方的に浴びせられ、その隙に近寄ろうとしても、再びグラウンドボンドで移動を阻害されてしまう。
接近戦でしか戦えない相手を一方的に倒すための、究極の手段と言える。
「すげ~。やっぱり魔法って便利なんだなぁ」
「あら、起きたの」
イリックがウーディの戦い方に心底感心する。ロニアも驚いてはいるが、攻撃魔法が使えるロニアの心にはそれほど刺さってはいない。
「あいつ、天才ですね」
「ゴルドが考えた戦法らしいわよ」
感動するイリックにロニアが事情を説明する。
この戦法は二十年前にゴルドが披露した戦い方であり、その時は、同じ魔法使い同士として戦い、相手を倒してみせた。
今回は一方が両手斧で戦うことしかできない前衛的存在であり、難易度としては二十年前の方が遥かに高いと言える。
「グラニート」
「うっくぅ!」
「ほう、これは楽だな」
ゴルドの眼前に、床から盛り上がってきた土の塊が出現する。ゴルドはそれを両手斧で防ぐことに成功するが、そのまま後方に押し飛ばされてしまう。
ゴルドの方から離れてくれたため、ウーディはその場から動くことなく、ただ待つだけで良いということになる。それを指して楽と言ってのける。
(うぅむ。防ぐことはできたが、結局消えてもうたのう……。マジックポイントがもうギリギリじゃ)
迫り来る土の塊を両手斧で受け止めることには成功したが、体に響いた衝撃がダメージと判定され、ゴルドのグレイスウォールは消え去ってしまう。おかげで体は痛くないが、マジックポイントという点では痛いと言える。
それでもかけ直すしかなく、土色の壁を展開しながら、ゴルドはすっとウーディを見据える。
両者は一旦黙り込む。どちらも動かないまま、静かな時間が流れる。
「何をしている?」
「どうするか考えとるんじゃ」
ウーディはグラウンドボンドを使えない。なぜか? それは、ゴルドが射程外に立っているからだ。魔法の射程はそれによって前後するが、およそ三十メートルと言われており、ゴルドはその距離を推し量る術を知っている。
ゴルド自身も相手に弱体魔法を詠唱すればいい。そうするだけで、魔法が届くかどうかを見極めることができる。自分が届かないのだから、相手も届かない。極々当たり前の道理と言える。
(いちかばちか試してみるかのう……)
ゴルドは決断する。ダメもとである作戦を移すことにした。そして、駆ける。ウーディ目掛けていっきに詰め寄る。
「セクレンスじゃ!」
その叫び声と共に、ウーディの体がいくつもの緑色に輝く小さな玉に包まれる。それらはウーディに吸い込まれていくが、体に接触すると同時に次々と泡のように砕けて散っていく。
セクレンス。弱体魔法の一つ。相手の魔法詠唱を一時的に阻害する、まさに魔法使いキラーとも言うべき魔法。その成否は詠唱者と対象の魔力差によって左右されるため、魔力が乏しいゴルドでは成功させることなど到底できない。
「無駄なことを。グラウンドボンド」
随分と接近を許したが、それでも届くはずもなく、ゴルドは半分ほど接近するも立ち往生させられる。
ウーディはゴルドに背を向け距離をとり始める。
その時だった。ゴルドが左手で自分の体を強く殴る。イリックよりも数段太い腕から放たれる打撃は十分な衝撃となって二つの魔法を解除する。
グレイスウォールとグラウンドボンド。どちらの魔法も外的攻撃によって解除される。すなわち、自身への攻撃も有効ということになる。
「何!?」
「どうじゃ!」
瞬く間に距離を詰める。
ついには黒い両手斧が黒いローブに叩きこまれる。
圧倒的な戦力差を、ゴルドは機転だけで覆してみせる。
二十年前同様、二人の戦いはゴルドの完全な勝利で決着する。
もっとも、この戦いに死者はいない。ゴルドの両手斧シュバルツアクストは片刃の斧であり、先端に備わっている刃は一方でしか輝いておらず、反対側は黒い金属が少し出っ張っているだけだ。
ゴルドは刃の逆側をウーディに叩き込んだため、体が切り裂かれるようなことにはならず、金属で殴りかかられた程度のダメージで済む。
シュバルツアクストはダーク製であり、重量も硬質も抜群に高い金属だ。そんなもので叩かれれば、悶えるほどには痛いに決まっている。
普通の人間なら今の一撃で即死するだろうが、ウーディもまた、冒険者のようにモンスターと戦えるだけの肉体を保持しており、その程度で死にはしないが、地面をゴロゴロと転がる程度には苦しんでしまう。
「あ、やり過ぎたちゃったのう」
「ぐ、ぐおぉ……」
刃で切りかからないという加減はしたが、ウーディには十分効いている。
それでも、ゴルドは話しかけなければならない。足元で脂汗を流して悶えているウーディには悪いが、両手斧を肩に背負い、口を開く。
「わしの勝ちじゃ。大人しく悪事を止めろ」
「う……ぐぅ」
勝者が見下ろし、敗者が見上げる。
ゴルドの言う通り、勝敗は決した。その上、命まで取らないという気配りまでみせた。ウーディが悔しそうに食いしばる。
そんな二人を、イリック達は遠目から眺める。
「魔法を知り尽くしてる人は戦い方も違うなぁ。ネッテにもこういう戦い方させたいんだけど、まぁ、無理か」
「少なくともあなたは学べたのだからそれでいいじゃない。というか、勝っちゃったわね」
イリックとロニアがそれぞれ感想を述べる。
ゴルドの戦い方も、ウーディの戦略も、どちらも見事だった。あんな逆転の仕方があるのか、と二人は感心する。
それはアジールとトゥルルも同様であり、ネッテだけはイリックの足元でスヤスヤとまだ寝ている。
「出番、なかった」
「まぁ、いいじゃない。後はゴルドに任せましょう」
アジールが少し残念そうにつぶやき、ロニアが傍観を決め込む。
「ウーディが戦い慣れしてないような印象でしたが、それにしてもゴルドさんが凄かったですね」
イリック的には非常におもしろい戦いが目の前で繰り広げられた。
力や速さ。勝ち負けはこれだけで決まると思っていたその価値観が、音をたてて崩れた瞬間でもある。
勉強になった。そう思わずにはいられない。
「あのエロじじいを褒める気にはなれないけれど、まぁ、よくやったわ。私なら、容赦なくトドメ刺したでしょうけど」
「それはまぁ、俺もですけど」
敵に情けをかけることはしない。それがロニアとイリックの共通認識だ。
「弱体魔法。なかなか便利な魔法なんですね」
「そうね。私達の中では誰も使えないのだけど」
ロニアの言う通り、この五人の中でそれに該当する手段を持ち合わせている人間はいない。
強いてあげるなら、アジールの魔眼によるパージもどきくらいだろうか。
そもそも弱体魔法は後衛補助役の特権だ。後衛攻撃役もわずかに習得することがあるが、それでも一つか二つ程度だ。最大十個近くの弱体魔法を覚えられる後衛補助役は、状況や相手次第では誰よりも活躍できるとイリックは思い知る。
一対一は終わった。だが、これは前座でしかないとウーディは考える。
それも当然だ。ゴルドの土俵で戦うため、ウーディは部下となりうる戦力を呼び出さなかったのだから。
こうなってしまっては負け惜しみでしかないが、力をセーブしたことは紛れもない事実であり、それを披露するため、ウーディは殴られた部分を押さえながらよろよろと立ち上がる。
「――なぜ、殺さなかった?」
「勝ちは勝ちじゃ。それに、殺さずともこうして説得すればええだけのこと。ほれ、あれをさっさと止めんか」
目の前で睨むウーディに臆さず、ゴルドは顔をぐいっと動かし、広間中央の装置を止めろと指示する。
「甘い奴だな……」
「わしが勝ったんじゃから、これくらいのことには従うのが道理じゃろう。まぁ、お主を殺したからと言って装置が止まるわけでもないしのう」
そう。ウーディを殺しても本件は解決にはならない。そもそもの目的は、サハハ遺跡から発生し始めた膨大な魔力の調査および鎮圧であり、それが可能なのは犯人であるウーディに他ならない。
時間をかけて調べれば、ゴルド達でもどうにかできるかもしれない。だが、それをするにしても猶予は残り少ない。ウーディを殺さないという選択は、こういう観点からも正解と言える。
もっとも、ゴルドとしてはウーディと言えども知人であり、火の図書館で研究に励んだ同僚ということから、情けをかけたかったというのが本音だ。
「嫌だと拒んだらどうするんだ?」
「殴ってでもやらせるわい。近づいてしまえば、魔法使いは存外非力じゃからのう。お主の詠唱より速く黙らせることくらいはわしにもできる」
「そうかもしれないな」
消え去りそうな声でウーディは納得する。魔法で戦う人間でありながらここまで相手に接近を許した時点で、抵抗する術はほとんど残っていない。
自慢のフリッカーはまだ使えない。
他の魔法にも突破口は見出せない。
何より、既に負けている。
ウーディは風、土、火の大精霊から魔力を奪い、戦力を向上させた。
ゴルドは魔力とマジックポイントを半分失い、結果、最も得意とする弱体魔法を駆使する戦い方を封印され、戦力は大幅に低下した。いかに体を鍛え両手斧を持とうと、二十年前の全盛期と比べれば随分弱くなったと言える。
それでも負けた。侮っていたと反省することはできるが、それでも敗北は敗北。ウーディはぐっと目の前の元同僚を睨む。
情けをかけられたことで自分はまだ生きている。そのことが悔しくて仕方ない。
やらなければならないことがある。それだけの力と知識も持ち合わせえいる。しかし、それはウーディの敗北と共に頓挫する。
そのはずだった。
(まだ戦えるでしょう?)
そう。自分はまだ死んでいない。まだ戦える。雨に晒され冷え切った女の声もそう囁いている。
魔力貯蔵庫には現在進行形で順調に魔力が流れ込んでいる。
殺さなかったことはゴルドのミス。
一対一では負けたが、そもそも本気を出し切っていない。
まだ戦える。
まだ計画は続行できる。
ゆえに、ウーディは諦めない。
「これで私の二連敗か……。だが!」
その叫び声が引き金となり、ウーディの体から膨大な魔力があふれ出す。それはオーラのように体から漏れ出し、赤、青、緑、黄の四色が決して混ざらずにぞわぞわと周辺へ漂っていく。
赤いオーラは火の力。
青いオーラは氷の力。
緑のオーラは風の力。
黄色いオーラは土の力。
それらは拡大を続け、ついにはウーディの体から分離する。
ゴルドは最初の風圧で吹き飛ばされるも、なんじゃなんじゃ、と声を漏らしながら体勢を立て直す。
イリック達も突然発生したプレッシャーに愕然とする。
「最後に立っている者が勝者なんだ! 私は必ず遂行してみせる!」
ウーディが目を見開くと同時に、四つのもやもやと蠢く煙のような何かから、一体ずつモンスターが排出される。
赤いオーラからは、炎が具現化したような赤い塊が轟々と燃えながら現れる。
青いオーラからは、氷の塊が周囲に冷気を漂わせながら現れる。
緑のオーラからは、緑色の渦が回転しながら風をまとい現れる。
黄色いオーラからは、丸まった土の固まりがまばらに岩を生やしながら現われる。
それらの大きさはどれも人間の半分程度。決して大きくないが、一体一体から放たれる魔力はゴルドとロニアを仰け反らせるほど凄まじい。涼しい顔をしているのは、そういったことを感じ取ることができないイリックとアジールくらいだ。トゥルルも驚いてはいるものの、機械娘ゆえ、さほど表情には現れない。そして……。
「うぅ~ん……。何が起きてるの~?」
ネッテがやっと起きる。魔力は感じていないが、威圧感のようなもので目を覚ます。それも当然だ。一体一体が明らかに雑魚ではない。イリック達はこのモンスター達を知っている。しかし、ウーディが呼び出したこれらは、自分達の知っているそれではないと嫌でも理解させられる。
「精霊を……呼んだ……」
「そのようで。こうやってモンスター呼んでたんですね」
冷や汗を流すロニアの横で、イリックはいいものを見れたと感動する。
現われた四体のモンスターは精霊だ。
炎のようなモンスターは火の精霊。
氷のようなモンスターは氷の精霊。
風のようなモンスターは風の精霊。
土と岩のようなモンスターは土の精霊。
トリストン大陸のあちこちで目撃される、精霊界からの訪問者達だ。
精霊は人間から攻撃をしかけない限り、決して人間を襲わない。
精霊界からただ迷い込んでしまっただけであり、精霊は自分の属性に該当する大精霊を目指し移動するだけだ。
人間もモンスターも襲わない。攻撃されたら反撃するだけ。それだけの、言わば中立的な存在と言える。
人間は精霊を見かけても決して襲わない。理由は二つ。
倒したところで何も得られないから。
強いから。
倒せないほどではない。それこそ、そこそこの立ち回りが可能な冒険者なら、多少苦戦はするかもしれないが倒せてしまう。しかし、得るものもなければ、そもそも無害なため、戦いを挑むことは決してしない。
イリック達も精霊と戦ったことはない。見かけたことなら何度もある。もっとも、眺めて終わりだ。
実力はある程度知っている。ギルド会館に足を運べば、どこどこで精霊を見かけただの、精霊を知らないバカが斬りかかっただの、そういった噂話は耳に届く。
精霊を知らない冒険者が戦いを挑んでしまった場合、それを見かけた近くの冒険者が加勢し、協力して倒すことになる。目の前で同業者に死なれては気分が悪いからだ。
このような出来事は話題としては上質であり、冒険者は嬉々として披露する。ゆえに精霊の強さはギルド会館で聞くことができる。
精霊の召喚。それ自体は別段驚くようなことではない。後衛攻撃役に該当する冒険者や軍人の中には、精霊を召喚できる者もいる。
召喚魔法。この世界にはこういった魔法も存在する。しかし、この魔法で呼び出せる精霊は一度に一体までだ。四体同時などありえない。
「ネッテ、本気で戦うぞ」
「ガッテン!」
イリックが精霊達を見据える横で、ネッテは寝起きながらもハキハキと返事をしてみせる。起きた直後から元気な娘、それがネッテ。
「さぁ、ゴルド! 私はもう負けない!」
「これで勝っても一勝二敗……。負け越しじゃぞ」
「う……」
ウーディは言葉に詰まる。その通り過ぎて反論できない。
「最後に勝てばいいのだ!」
この状況ではそうであり、ウーディは周囲で漂う部下達のように、魔力をたぎらせ始める。
ウーディ側はウーディ自身と四体の精霊。
ゴルド側は六人。
数の上ではイリック達が有利と言える。しかし、相手は精霊。その上、ウーディが呼び出した精霊はただの精霊ではない。見た目や大きさは何も変わらない。放たれる魔力と重圧が、そうではないと雄弁に語っている。
精霊が戦いづらい相手と言われる理由に、タフな点と攻撃手段が挙げられる。
精霊の種類によっては、剣や斧といった物理攻撃では効果的なダメージを負わせることができない。炎や風を斬っても揺らめくだけだからだ。一方で、氷や土なら手間取りはすれど破壊することは十分可能だ。
ゆえに、精霊を倒す際は攻撃魔法と相場が決まっている。だが、精霊は非常に高い魔力防御を要する。
精霊界のモンスター全般に言えることだが、精霊はとりわけこの傾向が高い。弱点に該当する攻撃魔法はもちろん有効だが、そうでない攻撃魔法ではなかなかダメージを与えられない。
それでも倒すしかない。イリックは作戦を練る。
この状況下において、二人の適任者が自分達の中に存在する。
ロニアとトゥルルだ。
ロニアは水の魔法を扱える。
トゥルルに至っては、光と闇以外を全てカバーできる。
以上から、作戦はあっさりと決定する。
ロニアが火の精霊を。
トゥルルが風の精霊を。
この二種類を物理手攻撃だけで倒すとなると骨が折れる。ゆえに、適任者に任せる。
氷と土は比較的物理攻撃が通り易いため、自分達で担当する。
ウーディの相手は、やる気満々のゴルドに任せる。
ここからはイリック達と精霊達が加わった本気の戦いだ。
ゴルドとウーディにとっては、相手の手札が全て晒された第三戦兼最終ラウンドだ。既にゴルドが二勝しているが、これに勝った者が最終的な勝者であり、今までの勝敗はさほど意味を成さない。
「ネッテは土っぽい奴を」
「ガッテン!」
ネッテの大きな声に反応して、精霊達が一斉に活発化する。
ゆらゆらと燃える赤い塊は、その炎を揺らしながら人間達に殺意を向ける。
冷気を帯びた氷の塊は、その冷気で周囲の温度をより一層低下させる。
上下に漂う緑色の渦は、その体をより一層透かせつつも人間達を見定める。
小さな土の塊は、体からはみ出している小さな岩達の重さを感じさせずに上下する。
「さぁ、三戦目じゃ」
「ふん。マジックポイントが切れかけているおまえに出来ることなどない」
ゴルドが黒い両手斧をぐっと握り、一歩を踏み出す。
ウーディは両手を広げ、自分にしか扱えない魔法の詠唱を開始する。それに応じるように、黒いローブはバサバサと激しくたなびく。
多数が入り乱れる戦闘が開幕する。
イリックとネッテが床を蹴り、それぞれの獲物に向けて発進する。
ほぼ同時に、攻撃魔法が飛び交う。
炎の球はフレイム。火の精霊がイリックに向けて放った。
氷の塊はアイスクル。氷の精霊が接近する人間を倒すために放った。
すなわち、イリックは一斉に狙われた。
「何で俺!?」
予想外の集中砲火にイリックは回避行動すらとれずに直撃を受ける。その隙にネッテが土の精霊に詰め寄る。囮としての役目は果たせたとも言える。
精霊はその姿ゆえ、攻撃のタイミングがわかりづらい。現象がふわふわと浮いているようなものであり、顔や体、手があるわけではない。その上、攻撃手段はただでさえ回避しづらい魔法だ。
二つの攻撃魔法に晒されたイリックだが、体の痛みはたいしたことない。軽く押し戻され、そのまま倒れこんではしまったが、すぐに立ち上がる。キュアでの回復は不要だ。
なぜだろう? 一瞬考えてしまったが、赤い上着を見てすぐに察する。
コートと呼ぶには少し丈が短いこれはブレイズマーシャラー。火と氷の属性に対して高い魔法防御を誇る防具だ。ゆえに、フレイムとアイスクルの直撃にも耐えることができた。火の大精霊がよこした生地は伊達ではないことを今の攻撃が証明する。
イリックは今の攻撃で悟る。精霊がいかに厄介な相手かということを。次の攻撃魔法も避けられないだろう。何より数が多い。
土の精霊はネッテが交戦を始めたため任しても良さそうだが、他の三体はどう動くか読みにくい。一秒でも早く、その数を減らすしかない。そう判断し、作戦を練りなおす。
「ゲイルロド」
「コールオブアイスクル」
ロニアとトゥルルも参戦する。
ロニアは頭上に水槍を作り始める。
トゥルルは拳に冷気をまとい、緑色の半透明な渦を目指す。
その渦も、ゆらゆらと漂いながら攻撃を開始する。
距離を詰めるため走り始めたトゥルルの周囲に、突風が吹き荒れる。それらは白い装甲や赤い板金、灰色の部品、そして、肌色の顔を容赦なく切り裂く。
これに最も驚いたのはイリックだ。トゥルルの頑丈さを理解しているがゆえに、こうもあっさりと傷つけられたことに心底驚いてしまう。
ウーディが呼び出した精霊の強さも伊達ではないと思い知る。
それでもトゥルルは止まらない。痛みを感じないがゆえに、多少の損傷には怯まない。緑色の渦は自身の半分程度の大きさだが、浮いているがゆえに殴るには丁度良い。見た目にも大きさ的にもまさに的のようなモンスターに、トゥルルは渾身の右ストレートを叩き込む。
風を殴ろうと、流れを乱すだけ。しかし、風の大精霊はモンスターであり、体は風のようだが実際はそうではない。斬ろうとも、殴ろうとも、手ごたえは非常に弱い。それでもダメージはわずかに与えることができる。その上、トゥルルの拳には冷気が宿っている。
風の弱点は氷だ。それはこの世界の理の一つだ。
風の精霊は機械の拳によって風向きを大きく乱される。同時に、冷気が緑色の体を蝕む。だからと言って、一撃で倒されるほどやわな存在でもない。拡散した渦は、元に戻ろうと抗う。
「倒せるまで殴るマデデス」
トゥルルが気合を入れる。
時を同じくして、完成した水の槍がロニアの頭上から発射される。その先にいるのは炎のように揺らぐ赤い精霊。
火の精霊もまた、攻撃のために炎の塊を眼前に作り出す。
しかし、ロニアのゲイルロドがそれを砕き、そのまま火の大精霊を貫いてみせる。
それまで轟々と燃えていた炎は、萎むように勢いを失う。火の弱点は水であり、ロニアの魔法は絶大な効果をもたらす。
イリックを除き、作戦は順調だと言える。すなわち、イリックが相手をするはずだった氷の精霊は完全にフリーなままとも言える。
もっとも、自由な存在はもう一人いる。
「ウォーシャウト」
イリックが出鼻をくじかれたことを受け、アジールが単独で駆ける。このウォーシャウトにより、四体全ての精霊はアジールに狙いを定める。
一見するとアジールが集中攻撃に晒されるため、悪手に思える。実はその通りだ。では、どうするか? 実は、アジールは何も考えていない。それでもウォーシャウトを使うのが盾役であり、アジールもまた盾役だ。
「アジールさん、そのまま広間を走って逃げてください。そうすれば、攻撃魔法を連続で受けることはなくなると思います」
「あ、それやるんだ」
イリックが即興で思いついた作戦は、アジールに逃げ回ってもらうこと。
攻撃魔法の射程はおよそ三十メートル。アジールが精霊達からそれ以上離れることで、攻撃魔法に晒されることはなくなる。
盾役らしからぬ敵前逃亡だが、これも立派な作戦だ。アジールは敵に背を向け、全速力で走り出す。
精霊達もまた、追いかけっこのようにアジールの後を追う。
「ほっほ。さすが冒険者じゃのう」
ウーディに歩み寄りながら、ゴルドは笑顔をこぼす。
「な、なんだあの戦い方は……」
目の前の倒すべき敵に集中しなければならない状況だが、ゴルドがそうするように、ウーディもまた、イリック達の戦いに目を奪われる。
アジールが逃げ回り、部下達が攻撃魔法を使わずただただ追いかける。そして、トゥルルとネッテは目の前の精霊を追いながら連続攻撃を浴びせる。ロニアは固定砲台の如く、水槍を発射し続ける。
「ほう。お主、知らんのか。やれやれ、ガーウィンスの人間はどうも冒険者を小バカにしたり侮ったりする傾向があるが、お主もそれは一緒じゃのう。これは、マラソンという立派な戦法じゃ」
「マラソン?」
ゴルドはこの戦い方を知っている。冒険者が発明した、多数のモンスターを相手にする際の有効な手段の一つだ。
走り回る様子が、遥か東の大国に伝わる伝統行事、マラソンに似ていることからそう名づけられた。
この戦法にはいくつかの条件と向き不向きが存在する。
先ず、戦場は広い場所でなければならない。走り回るのだから、狭い密室ではおよそ不可能だ。もっとも、それでもやってみせる冒険者はいるのだが、彼らは天才であるがゆえにやれるのであって、普通の冒険者には真似事が限界だ。
最も重要なことは、多数のモンスターを一度に引き連れるためのお膳立てだ。盾役が存在し、ウォーシャウトを使えるのならそれだけで十分だ。
もしいない場合、それでもいくらでもやりようはあるのだが、とにもかくにも、最適なマラソン役は盾役と言われている。次点で後衛補助役がその座に納まる。
この戦法をとるにあたって、モンスターの特徴次第でマラソンのし易さが左右される。魔法を使わない、それでいて足の速いモンスターが相手の場合、マラソンはほとんど不可能だ。逃げ回るマラソン役が、ただただ走りながら攻撃に晒されるだけになる。
モンスターが攻撃魔法を使う場合、マラソンのし易さはぐっと向上する。モンスターの多くは、魔法を詠唱する際、その場で足を止める傾向にある。歩きながらでも、それこそ走りながらでも魔法は使えるのだが、モンスターは一旦立ち止まることが多い。集中力が分散し、詠唱に失敗してしまうという説が濃厚だが、現状ではまだ解明されてはいない。
マラソン役が射程に入り次第、モンスターは足を止め攻撃魔法の詠唱を開始する。マラソン役は走り続けているため、詠唱が完了する頃には既に三十メートル以上の場所まで離れてしまっている。ゆえに、魔法は不発ないし届かず、モンスターは再び射程内まで追いかけなければならない。それの繰り返しになるため、マラソン役は安全にモンスターとの駆けっこを楽しむことができる。
冒険者が編み出した戦法の一つだが、だからと言って頻繁にこんな戦い方をするわけではない。そもそもの大前提として、冒険者はモンスターと一体ずつ戦うことを心がけている。多数のモンスターと一度に戦うという状況は、冒険者にとっては失敗でしかない。
とは言え、理想は理想でしかなく、多数対多数の状況に出くわすことも時には避けられない。
ゆえに、そういった状況における戦い方は昔から冒険者の間で話し合われており、その結果、マラソンという有効な手段が生まれたと言える。
「やはり、モンスターと戦うことに関しては、冒険者やデフィアークを見習わんといかんのう」
ゴルドはしみじみと自論を述べる。
ガーウィンス連邦国には、冒険者を良く思っていない人間が少なからず存在する。偉い人間ほどその傾向にあり、その最たるは神の名代とシャルロットだ。魔法の宮殿や研究機関で働くエリート達もまた、こういった思考に傾いている。
モンスターと戦うだけでの野蛮な戦闘狂。
学がない頭の悪い連中。
彼らには冒険者がこう映ってしまう。
しかし、この考え方は間違いだ。冒険者は何も考えていないように見えて、モンスターと戦うために誰よりも頭を使っている。
マラソンという戦法を知らずとも、自らそれを考え実行に至る冒険者も少なくない。ネッテのように何も考えない冒険者も確かに存在するが、ほとんどの冒険者はそれぞれ一人一人が作戦を企画立案することができるだけの知識と柔軟性を持ち合わせている。
普段は黙っているアジールでさえ、頭の中ではネッテをどう愛でようか考えつつも、少しくらいはモンスターとどう戦えばいいかを検討している。イリックの仲間に加わって以降、知能指数は落ちてしまったが、小さくてかわいいものが好きなアジールは本来このような人間なのかもしれない。
ガーウィンス連邦国とは対照的に、デフィアーク共和国は冒険者を高く評価している。冒険者を軍隊にスカウトすることさえあるくらいだ。戦い方、モンスターの生態といった情報も、冒険者から仕入れている。
モンスターと戦うことにおいては、冒険者が最も進んでいる。朝から晩まで、そのことしか考えていないのだから当然だ。それは軍人も同じだが、冒険者は自由に世界を駆け巡る。
そして、ギルド会館という情報収集にはもってこいの場所を活動拠点にしている。経験と知識、軍人を圧倒する探究心。これらを持ち合わせている冒険者は、今後も様々な戦法を編み出し続けるだろう。
「な……なんだ、これは……」
ウーディが予想外の展開に息を飲む。アジールがマラソンを開始して以降、トゥルルとロニアが担当する精霊を順調に追い詰めている。
火の精霊は既に瀕死だ。体を構成している炎は今にも燃え尽きそう。
風の精霊もまた、先は短い。風が具現化したような緑の渦は、もはやその形を維持できずに霧散する寸前だ。
氷の精霊と土の精霊だけはピンピンしているが、それはすなわち、戦力が半分に削ぎ落とされるまで後少しということになる。
「ほっほ。これが冒険者じゃ。あの精霊はかなり強いようじゃが、まぁ、時間の問題じゃな。さぁ、余所見は終了じゃ」
ゴルドがずいっとウーディに詰め寄る。二人の距離は二メートル。既に互いのキルゾーンに届いている。
「く……う」
ウーディは所持していた魔力を出し切る勢いで精霊達を呼び出した。
そう、精霊界からモンスターを呼び出す行為は、非常に多くの魔力を放出する。氷の大精霊の力だけは時間経過で回復するのだが、他の大精霊の力に関しては再び補充しなければならない。土の大精霊はすぐ近くにいるため何とかなるのだが、火と風に関してはそれぞれビサラ山脈と風の洞窟まで出向かなければならない。
ゆえに、ウーディは今、自身の魔力だけで戦わなければならない。それだけでも膨大な魔力だが、当初の作戦では精霊達もゴルド討伐に加勢させるつもりでいた。
邪魔な冒険者達はさっさと倒すつもりでいたのだが、予想外の展開に冷や汗を流しながら歯を食いしばる。
それでもなお、この一騎打ちはウーディの方が有利だ。それを証明するように、見えなく塊がゴルドに襲い掛かる。
「ぐうっ!」
「先におまえを倒し、冒険者もそれから倒すまでだ!」
まるで巨大な拳で殴りつけられたように、ゴルドは何の前触れもなく、横へ吹き飛んでいく。
ウーディにしか使えない魔法、魔力を放出し、それを固めた魔法による物理攻撃だ。
ゴルドはこの魔法を感知することができる。
魔力自体は目で見えないが、ゴルドやロニアのような才能がある人間なら、そこに存在すると感じ取れる。
だからと言って避けられるわけではない。なぜなら、単純にその攻撃が素早いからだ。
見えない。そして速い。これが、ウーディだけが使えるこの魔法の厄介なところだ。
ゴルドはこの魔法の弱点を把握している。だからこそ立ち上がり、じりっとウーディに歩み寄れる。
「とりあえず近づかなければ安全なんじゃが……。どうしたもんかのう」
「ふん! おまえとて、それでは攻撃できまい」
ゴルドは先ほどとは違い、ウーディから一定の距離を保つ。
ウーディの見えない魔力の塊は、射程が非常に短い。実は、その塊はウーディの体と繋がっており、ロニアの水槍のように発射させるようなことはできない。
もっとも、そんなことができるロニアがすごいのであって、ウーディの才能も十分に化け物じみている。
(やはり直撃を受けると痛いのう。かと言って、グレイスウォールは使えて後一回……)
ゴルドは今の攻撃をグレイスウォール無しで受けてしまった。マジックポイントを節約するための苦肉の策と言える。
ゴルドは残りわずかなマジックポイントを他のことに使用したい。しかし、それがいかに危険なことかは重々承知しており、どうしたものかとウーディを観察しながら考える。
二人の距離は離れている。普通の魔法なら届くが、互いの攻撃は届かない。そんな絶妙な距離感が、一時的に戦いを硬直化させる。
(そうするしか……ないのう)
ゴルドは決断する。それに賭ける。最悪、自分は負けてもいい。ゆえに、決められた。
初めから、一対一などに意味はなかったのかもしれない。
ウーディが精霊を呼び出したことで総力戦に移行したが、本来はこの状態が当然なのだ。
新たな力を得たウーディ。
力を失ったゴルド。
それでも、ゴルドはこの戦いに負けないことを知っている。力を失いはしたが、新たな力を手にしたのだから。
ゴルドの視線の先では五人が戦っている。
イリックがとんでもないことをしている。
ネッテは堅実に土の精霊と戦っている。
アジールは走りながら、次のウォーシャウトに備えている。
ロニアはついに火の精霊を倒してみせる。
トゥルルはぼろぼろになりながらも風の精霊を追い詰めている。
自分は負けてもいい。それでも勝負には勝てるのだから。
◆
ウォーシャウトによるマラソン。これには一つ欠点がある。
ウォーシャウトの効果時間は十秒。対して、再使用時間は三十秒。
すなわち、十秒間足らずの時間しか、モンスターを強制的に走らせることができない。その後の二十秒間は通常の戦い方に戻る可能性があるということだ。
もっとも、十秒間は有利に戦えるのだから、その時間を有効に使わない理由もない。
ロニアはゲイルロドを何度も繰り出し、火の精霊を追い詰める。
トゥルルは風の精霊の背後から、多数の拳を叩き込む。
そして、十秒が過ぎ去る。
この瞬間、四体の精霊はアジールの枷から開放されるのだが、それぞれの行動は比較的読みやすい。
火の精霊は当然ロニアに反撃を開始する。そうしなければ、自分が倒されてしまうのだから。
氷の精霊はアジールを追い続ける。他の誰からもちょっかいを出されておらず、アジールに対して最も敵意を向けている。
風の精霊はトゥルルに攻撃魔法を放つ。火の精霊同様、やるかやられるかの瀬戸際だ。
土の精霊はネッテとの攻防を再開する。ネッテのエイビスとビーニードルをもってしても、この精霊にはたいしたダメージを与えられてはいない。それでも、背後からチクチクと体を構成する岩や土を削ぎ落とされれば、土の精霊としては目障り極まりない。
十秒が過ぎ去ろうと、アジールは走らなければならない。氷の精霊に追われているからだ。一対一なら盾で攻撃魔法を防げるが、戦いの邪魔になるため、モンスターは密集させるより散らした方が良いことをアジールは知っている。氷の精霊だけでも孤立させることができれば、他の面々が戦い易くなる。
円形の大広間を利用し、外周付近を走り続ける。ウーディや他の精霊には極力近寄らないよう気をつけながら、氷の精霊を孤立させ続ける。
イリックも動き出す。
ウォーシャウトの効果時間は十秒だ。その時間を把握することは非常に重要であり、イリックはその秒数を頭の中でカウントしていた。ウォーシャウトから解放される精霊達の次の動作に備えなければならないからだ。
とりわけ、火の精霊が危険と言える。攻撃対象がロニアな上、ウーディが呼び出したこれら精霊達は非常に魔力が高い。ロニアにフレイムを浴びさせるわけにはいかない。
ロニアは魔力が高いため、必然的に魔法防御も高い。だからと言って、業火に晒されて無事でいられる保障もない。
そういった背景から、ウォーシャウトの効果が切れると同時に、イリックは行動を開始する。
アジールを追わなくなった火の精霊はピタリと空中に静止し、ロニアに向けてフレイムを放つ。ゲイルロドと交錯する形で燃え盛る塊がロニアに迫るが、間一髪のタイミングでそこからロニアの姿が消える。
イリックがいつぞやのように、お姫様抱っこでロニアを避難させたからだ。
「んな!? またこのパターン!?」
「残念ながらそうです」
イリックは既に当初の作戦を諦めている。一人一人が個別に戦って倒せる相手ではないと、最初の被弾で悟ることができた。
したがって、方針を変更する。火の精霊もしくは風の精霊を先ず倒し、次にもう一方を倒す。最後に、残りの二体をじっくりと倒す。これしかないと結論付けた。
なぜなら、ネッテの戦いを見ると明らかだが、物理攻撃が比較的通用する土の精霊ですら、ネッテの類稀な猛攻を受けてもビクともしていない。普通の精霊ならさすがにもう倒れていないとおかしい。
ウーディの呼び出した精霊達は、魔力だけでなく生命力も並ではないらしい。
「んじゃ、さっさと倒しましょう」
「え、ええ。でも、この状態で?」
「もちろんです。ほらほら、倒さないとずっとこのままですよ」
ロニアはうろたえる。先日戦った岩のモンスター、ゲシュタルトとの戦闘で既にこれは経験済みだ。それでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
筋肉質ではないとはいえ、イリックは平均以上の体つきをしている。太くもなければ細くもない両腕に足を背中をがっしりと抱きかかえられ、決して厚くはない胸板とアジールと同程度の腹筋で体が支えられる。
男と女の体が至る所で密着している。
鼓動が高まってしまうのも当然だ。
仕方ないか、とロニアは腕をイリックの首に回して体を支えることに貢献する。
(役得だー!)
イリックは心の中で吠える。
同時に、火の精霊が放つフレイムをテキパキと回避する。来るとわかっていれば避けられない攻撃ではない。例え、ロニアという重りを抱えていようとそれは変わらない。五十キロ程度ならどうということはない。本当は何キロか、それは誰にもわからない。
「ゲイルロド!」
ロニアももはやヤケクソだ。鋭い刃を備えた水槍を作り出し、バシンバシンと一定のリズムで発射し続ける。
(うらやましいな~)
(いいなぁ)
(冒険者がおかしいのか、あやつが特別なのか……)
ネッテは土の精霊と戦いながらも器用にロニアを妬む。
アジールは氷の精霊に追いかけられながらもイリックを眺める。
ゴルドはイリックの人間離れした行為に呆れる。この光景は二度目だが、それでもやはり呆然とする。
トゥルルだけはそれどころではない。風の精霊が、殴られながらも攻撃魔法で反撃してくるからだ。
やられる前にやる。まさに死闘となっている。
作戦通り、火の精霊は力尽きる。炎は燃え尽き、赤い塊はガラスのように砕け散って消えてなくなる。
精霊は残り三体。
「さぁて、トゥルルに加勢してあげたいけど、かえって邪魔になりそうだ」
イリックはロニアを降ろし、風の精霊を眺める。トゥルルの連打を受け、もはや原型など留めていない。風が具現化した緑色の渦は、今にも霧散しそうだ。
それでもストームを唱え、トゥルルの装甲を切り裂いているのだから相当な強敵だとイリックは感心してしまう。
だが、トゥルルの勝ちだ。
風の精霊が放つストームより、コールオブアイスクルによって冷気を宿したトゥルルの拳が勝っていた。
火の精霊に続き、風の精霊もついに散っていく。緑色の渦は跡形も無く消滅し、傷だらけの勝者はほっと肩で息をする。
残り二体。
氷の精霊と土の精霊。
ここからはイリックも加勢する。
そして、アジールが再びそれを使う。
「ウォーシャウト」
これが勝利の宣言だ。氷の精霊と土の精霊は、離れていくアジールを追うことしかできない。
この十秒間で倒しきる。そう意気込み、イリックは指示を出す。
「ロニアさんは氷を。ネッテは引き続き土を。トゥルルは一旦傷を回復しろ」
「わかったわ」
「ガッテン!」
「回復しますデス」
言うまでもなく、アジールはマラソンを継続だ。
イリックはゲイルロドが飛んでくる前に、氷の精霊へ駆ける。
ここから先は、ロニアの水槍では効果的なダメージを与えられない。水の魔法は相性という点から火の精霊にだけ有効だからだ。
ゆえに、イリックが加勢する。水槍の生成中は自分が攻撃に参加し、一秒でも早く氷の精霊を倒すことに貢献する。
イリックは片手剣のお手本のような形をしているカッパーソードを氷の塊に突き刺す。
その結果、ほんのわずかだが、透き通る塊の表面に小さなヒビを入れることに成功する。しかし、その反動で黒に近い茶色の刃はそれ以上の負担を受けてしまう。具体的には、丁度半分の場所からぽっきりと折れてしまう。
「そ、そんなー」
ロニアのゲイルロドに備えてイリックは後退する。そして、崩れ落ちる。
氷は硬い。だからと言ってこれは想定していなかった。念のため、斬りかかるのではなく突き刺したのだが、それでも結果はご覧の有様だ。
「まぁ、そうなるでしょうね。ゲイルロド!」
ロニアの頭上にじわじわと水槍が生成される。螺旋を描く刃が生み出され、その後ろには細い柄がすらっと伸びていく。
完成と同時に発射されたそれは、アジールを追いかける氷の精霊に叩き込まれる。しかし、カッパーソードが折れたように、水槍もまた、ばしゃっと砕けて水に戻ってしまう。
「火のようにはいかないか……」
ロニアはつぶやく。それも当然だ。氷の精霊に有効な攻撃手段は火属性の攻撃魔法だ。水の魔法は効かないわけではないが、効果は薄い。
それでも攻撃するしかなく、イリックは半分に折れたカッパーソードで再び突き刺しにかかる。
パキン。
残りの刃が粉々になってしまった。
「どうしろと……」
イリックは後退し、再び落ち込む。イリックが握っている物体は、刃が付いていない柄と唾だけになったカッパーソードの成れの果て。もはや素手に等しい状態だ。
一方、ネッテは一人で黙々と土の精霊を削り続けている。
茶色い土を体とするそれからは、大小様々な石がはみ出しており、ネッテは二本の短剣で無作為に削ぎ落としていく。
ゲシュタルトがそうであったように、漂っている土や岩を削いだところで、体積が減少するだけらしい。小さくなりながらも、元気にアジールを追い続ける。
ネッテの攻撃は無意味ではない。土の精霊には確実にダメージを与えている。だが、ウーディの呼び出した精霊は非常に生命力が強い。弱点の属性で攻撃をしなければ、倒すことは容易ではない。
つまり、トゥルルの出番ということになる。
「コールオブストーム」
すっかり傷の癒えたトゥルルが戦線に戻る。
ここはサハハ遺跡であり、土の大精霊が近くに存在している。ゆえに、トゥルルは随時エネルギーを補充することができる。自己回復に多くのマジックポイントを消費してしまったが、それは現在進行形で補給されていく。
トゥルルはこの場所においては、永久機関を内包しているに等しい。
機械の拳が疾風をまといだす。コールオブストームにより、トゥルルは風の属性を自身に付与する。
土の弱点は風であり、土の精霊と戦う準備をトゥルルは済ませる。同時に、ネッテと並ぶように敵へ接近し、漂う小さな岩と土の塊に乱撃を浴びせ始める。
「あやつらの勝ちじゃのう。お主もさっさと勘弁したらどうじゃ?」
イリック達の戦況はゴルドを安心させる。イリックだけは酷く落ち込んでいるが、その点には触れない。
「……まだ二体倒されただけだ」
「四体から二体に減らされたということがどういうことか、お主でもわかるじゃろうに」
ウーディの強がりをゴルドはあっさりと看破する。
精霊が四体いる状況から、イリック達は二体を倒した。
残り二体の殲滅はより簡単に達成されるだろうと、ゴルドは見抜く。ウーディもそれはわかっているのだが、そんなことを口にする気にはなれない。
「いざとなれば、私がまとめて倒せばいいだけのことだ」
「ほう。その言い様じゃと、もうモンスターのおかわりはないようじゃな」
「う!?」
失言にうろたえるウーディとは対照的に、ゴルドはにやりと笑う。
ウーディは魔力を補充しない限り、精霊界からは後一体しかモンスターを連れてくることができない。
つまり、ゴルドの分析は少しだけ外れている。
モンスターの召喚は、それに該当するマジックポイントを多く消費する。
該当するマジックポイント。そう、ウーディは大精霊達から奪った魔力を個別に管理することができる。
人間から奪った魔力に関しては自身のものと同化してしまうが、風の大精霊から奪った魔力は風の魔力として、土の大精霊から奪った魔力は土の魔力として、個別に体内で管理できる。
ウーディの才能ということもあるが、それ以上に、自己主張の激しい大精霊達の魔力がそうさせている。ウーディにとってはうれしい誤算だ。
ウーディは、既に幾度となくモンスターを召喚している。
先ず、風の洞窟で氷のモンスター、モノケロスを呼び出し、風の大精霊の結界を破らせた。
サハハ遺跡に戻り、風のモンスターに土の大精霊の結界を破らせる。もっとも、このモンスターは土の大精霊が呼び出したモンスターに倒されてしまう。だからと言って土の大精霊は破られた結界を修復できずにいる。サハハ遺跡の装置に、それを阻止する機能が備わっているからだ。
その後、この場所を守るために土のモンスター、ゲシュタルトを護衛として配置する。
また、風の大精霊から再び魔力を吸収したため、風の魔力に関しては補充が済む。
ビサラ山脈では、氷、風、土のモンスターを呼び出し、火の大精霊の結界を破らせる。
サハハ遺跡に戻ってからは、ゲシュタルトが倒されたことを受けて、火と土のモンスターを呼び出した。
この時点で、火、氷、風、土に該当するマジックポイントが残りわずかになっている。
それでも、氷の属性に関してだけは時間経過で回復することができる。与えられた力ゆえに、すっかり自身の体に馴染んでいるからだ。
また、土の魔力に関しても、土の大精霊から奪うことですぐに補給できる。
イリック達がこの場所に現れた時点で、ウーディのそれぞれの魔力残量は次のようになる。
火の魔力は残りわずか。ここを守るために、火のモンスター、リコを召喚したためだ。
氷の魔力も残りわずか。なぜなら、時間経過で回復することを受けて、魔力貯蔵装置に吸わせてしまった。
風の魔力も残りわずか。補充後に、ビサラ山脈で風のモンスター、アンシリーコートを召喚したからだ。
土の魔力は補充済みゆえ、余裕がある。ゆえに、もう一体くらいはモンスターを呼び出せる。もっとも、強力なモンスターは不可能だ。なぜなら、強いモンスターを召喚する場合、それ相応にマジックポイントを消費してしまう。
精霊達は少ない消費で呼び出せるという特性があるため、ウーディは先ほど、四体の精霊を呼び出すことにした。土以外はそれしか呼び出せなかったとも言える。
追い詰められてはいるが、ウーディはもう一体だけ土の精霊を呼び出せる。この行為も魔法の一種なため、再使用時間が発生する。そのために、土の精霊を続けて二体呼び出すことができなかった。
その時間は既に過ぎ去っており、今ならそれも可能だ。
だからと言って、この状況でこの行為に意味があるとは思えず、ウーディはゴルドを倒すことだけに専念する。
ゴルドだけは自力で倒せる。自身の魔力は豊潤に残っており、先ほどのような油断さえしなければ、正攻法で勝てる相手だとわかっているからだ。
「相変わらず、わかり易い奴じゃのう!」
ゴルドが叫びながら迫る。
ウーディは見えない魔力の塊を巨大な拳に見立て、ゴルドに右ストレートをおみまいする。
目で見えずとも、ゴルドはウーディの魔力を感じとれる。攻撃が眼前から迫ってきていると察し、両手斧で防いでみせる。
受け止めたからといって、無傷で済む威力ではない。ゴルドは自身を上回る巨大な塊に吹き飛ばされ、両手斧を落とし激しく後方に転がっていく。
「くぅ、効くのう」
(じゃが、やはり対応しきれんほどではないか……)
ゴルドは確信する。立案した作戦を実行する時だ、と。
失敗する可能性は高い。それでも構わない。今更一対一に負けたからと言って、それは悔しいだけで結末には影を落とさない。
そう。この戦いは単なる自己満足でしかないことをゴルドは理解している。
ゴルドが勝てばそれで終わり。
ウーディが勝ったとしても、イリックあたりに倒されてやはり終わり。
結局、結末は変わらない。
ウーディは強い。魔力を具現化し、それを操れる人間などこの大陸にはいない。さらには、精霊界からモンスターを召喚できる。
しかし、それだけだ。
ここには、煉獄のモンスターを倒しきった人間がいる。ウーディが呼び出した精霊界のモンスターも全て殲滅している。
ウーディは勝てない。ゴルドには勝てたとしても、その後で倒される。ネッテに短剣を突き立てられるか、イリックに素手で殴り倒されるか、それはまだわからない。
ウーディではこの兄妹の速さに対抗できない。魔法使いはえてしてそういう相手には滅法弱い。ウーディとて例外ではない。
ゴルドはもそっと立ち上がり、よろよろとシュバルツアクストを拾いに向かう。勝利を確信しているのか、ウーディがひどく楽しそうだが、そんなことは気にしない。ずっしりと重たいそれは、今ではすっかり自分の相棒だ。いかに体を鍛えようとも、ダーク製の両手斧はやはり重たい。だが、どこか頼もしいのも事実。ウーディが笑うように、ゴルドも自然と笑顔になる。
「さぁ、いくぞい」
「かかってこい」
二人の年寄りが雌雄を決する。
二十年前はもう少し若かった。白髪はぱらぱらと生えていたが、肌にも声にももう少し張りがあった。
「ストレングスフィー!」
「ほう。そんな魔法も使えたのか……。だからと言って、今更そんなもの」
ゴルドの体が赤い膜で覆われる。見た目の変化とは別に、筋力がグンと高まる。魔法使いが習得したところで無意味な魔法だが、ゴルドに関しては別だ。己が肉体で戦うゴルドには切り札と成り得る。
この強化魔法は非常に多くのマジックポイントを消費する。この決断により、ゴルドのマジックポイントは残りわずかまで減ってしまう。そう、まだ一度だけ、とある魔法を使うことができる。
戦闘準備が整った。ゴルドはずいっとウーディを見つめる。目には見えないが、ウーディの左右に一つずつ、魔力の塊を感じ取ることができる。
まるで三本目と四本目の腕が生えているように、ウーディの背中から二本の魔力が伸びている。それらの先端は巨大な岩のように膨れ上がっており、それにも関わらず異常な速さで動くことから、回避するという選択肢はゴルドの頭に存在しない。
「これで終わりじゃ!」
「おまえがなぁ!」
漆黒の両手斧を構え、ゴルドは走り始める。
ウーディは当然のように魔力の塊で迎え撃つ。もう一本の右腕を動かし、向かってくるゴルドの左側面に叩き込む。
それはゴルドにも見えていた。感じ取れる魔力の波動をイメージに置き換えて、シュバルツアクストをそれに叩き込む。
先ほどまでなら対抗することなどできなかった。しかし、今は違う。ストレングスフィーにより高まった腕力が、ウーディの具現化された魔力と渡り合うことを可能とする。
「ふんぬー!」
ゴルドは踏ん張る。ダーク製の武器は頑丈だ。石の壁程度なら容易く粉砕するウーディの魔力を相手に、刃こぼれ一つせず耐え抜いてみせる。
ゴルドもまた踏ん張ってみせる。体に加わる圧力をもろともせず、見えない塊と激しく押し合う。
「くう、それほどとは」
ウーディの顔が歪む。渾身の打撃を受け止められるとは思ってもいなかったからだ。速さも去ることながら、その破壊力は並の攻撃魔法を上回る。それを正面から受け止められ、ついにはじわりと押し返される。
焦らない方がおかしい。
それでも、ウーディが有利なことに変わりない。
「だが、これで終わりだぁ!」
ウーディの咆哮に呼応して、もう一本の見えない腕がゴルドに襲い掛かる。
右腕を受け止められたのなら左腕も使うまで。そして、そのまま潰すせばそれで終わりだ。
右腕を受け止めることしかできないゴルドは、背後からの攻撃に対応することができない。もう一本の塊には成すすべなく押し潰される。
そのはずだった。
寸でのところで唱えたグレイスウォール。そして、正真正銘最後のグレイスウォール。
もはやマジックポイントは微塵も残っていない。
唱えたばかりのグレイスウォールは、背後からの一撃であっさりと解除されてしまう。
しかし、今の一撃に耐えることができた。二つの武器を使わせることに成功した。
ゴルドは最後の力を振り絞り、前後の塊を押し広げる。
ストレングスフィーの効果時間は三十秒。ゆっくりとはしていられない。
「もらったぞい!」
魔力の塊から脱出したゴルドは、真っ直ぐにウーディを目指す。次は峰打ちなどしない。片刃の刃を打ち込む気概で両手斧を振るう。
そのための後一歩。
しかし、その一歩が届かなかった。
「グラウンドボンド」
「な……なんじゃと!?」
ウーディは間に合わせる。魔力の操作は間に合わなかったが、ゴルドの足止めには成功する。
ゴルドの足が床にびたりとへばりつく。足を上げることすら叶わない。
この足止め魔法は自身を殴ることで解除できる。ゴルドは慌ててそれを実行しようとするが、ぎょっとしてしまったことが命取りだった。
ゴルドの太い腕が自身の腹を殴るより先に、ウーディの見えない魔力がゴルドを大きく吹き飛ばす。
「おしかったな、ゴルド」
しかし、返事はない。床を転がり終えたゴルドは、内臓を損傷したのか、吐血しながら唸る。
グラウンドボンドは土属性の魔法だ。そして、ウーディはまだ土の魔力だけはある程度保持している。ゆえに、この魔法だけはまだ使えてしまう。
(ぐ、う……。おしかったのう)
ゴルドは体を震わせながら、なんとか上体だけを起こす。
今の一撃は効いた。老体には重過ぎる攻撃だった。立てと言われれば立てるが、もはや走ることもままならない。
ゆえに、ここから先は若い人間に任せることにする。
「ふふ……。ついに私の勝ちだな」
「一つだけ忠告しといてやる。後ろに気をつけるんじゃ」
「え?」
しかし、もう遅い。
ウーディが驚くと同時に、それは成される。
◆
この戦いにおいて、二人だけ役に立てない人間がいる。
イリックとネッテだ。
ネッテはまだ貢献している方だ。切れ味鋭い短剣、エイビスが土の精霊にわずかだがダメージを与えたのだから。
イリックに至ってはロニアを救って以降、何もできていない。唯一の武器、カッパーソードを失ったのだから当然と言えば当然だ。
片手剣か両手剣をアジールから拝借するという選択肢もあるが、イリックはそれを選ばない。なぜなら、この戦いの中心人物はアジールだ。
マラソンという戦法において、敵を引き連れて走り回る人物は最も重要な位置にいる。そのアジールから武器を借りるということは、すなわちマラソン役の戦力を削ぎ落とすことに繋がってしまう。これはしてはいけない。
では、イリックはどうすればいいのか? 実はまだ何も思いついていない。
考えている間に、トゥルルが土の精霊を倒してみせる。
機械の体が繰り出す圧倒的な打撃力と連射力。
その上、コールオブストームがトゥルルに風の力を付与し、その結果、土の精霊は成す術なく土と岩に成り下がる。
二度目のウォーシャウトが効果を失ったタイミングで、残りは氷の精霊のみになる。
角ばった氷の塊が、冷気を撒き散らしながらイリック達の中心でふわふわと上下に漂う。
誰を狙うのか、それがわからない。
ウォーシャウト中、氷の精霊にはロニアとイリックが攻撃をしかけた。
ゲイルロドはあっさりと砕かれ、イリックのカッパーソードも同じ末路を迎えた。
ネッテとトゥルルは、まだ氷の精霊に攻撃をしかけていない。
アジールは二度のウォーシャウトを浴びせたが、効果が切れた今、狙われるかどうかはわからない。
氷の精霊は見た目だけならただの氷の塊だ。純粋な氷とは異なり、ところどころが青いものの、それを含めても大きな氷の欠片にしか見えない。
ゆえに、誰を狙っているのか、何をしようとしているのか、見た目からは判断できない。
同じ精霊同士なら、その心情を汲み取ることができるのかもしれない。少なくとも、人間には不可能だ。
氷の精霊が自身よりも大きな氷塊を前方に作り出す。攻撃魔法アイスクルだ。
その先に立っているのはイリックであり、氷の精霊が狙っている相手はイリックということになる。二度の物理攻撃が気に食わなかったようだ。
まさか自分が狙われるとは思ってもおらず、何より、カッパーソードをあっさりと破壊されたショックから、イリックは防御も回避にも移行できなかった。
イリックと同程度の塊が、落ち込むイリックに叩き込まれる。虚を突かれてしまっては、さすがにどうすることもできない。イリックは容赦なく、巨大な氷と平らな床に挟まれて潰されかける。
とっさにキュアを唱えて損傷を抑えようとしたイリックもなかなかのものだが、窮地を救ったのはトゥルルだ。炎を宿した拳が、氷の塊を砕いてみせる。
「た、助かったよ」
「マスター、ご無事ですカ?」
氷の欠片達が舞う中、トゥルルに差し出された手をイリックは掴む。
イリックは頭から血を流しながら起き上がる。アイスクルを受けながらのキュアと、なによりブレイズマーシャラーによって生きながらえることに成功する。
「この調子であれも頼む」
「はい、マスター」
イリックに指示され、トゥルルはファイティングポーズへ移行する。
氷の精霊はアイスクルで攻撃してくる。
詠唱時間は一秒。
再詠唱時間は四秒。
すなわち、五秒のインターバルが存在する。
精霊はそれほど多芸ではない。氷の精霊の場合、攻撃はこれしかしてこない。四体もいれば危険極まりないが、一体だけならどうということもない。
(さてと……)
氷の精霊はもう問題ない。氷の弱点は火であり、火を宿したトゥルルなら一人でどうにかできてしまう。
ゆえに、イリックは最後の一人に視線を移す。
ゴルドとウーディがぶつかりあっているが、今回はウーディが優勢だ。
ゴルドがウーディを目前にして苦しんでいる。何かに挟まれているような、押さえつけられているような、イリックには理解できない戦いが繰り広げられている。
ゴルドが駆け出し、ウーディに両手斧を振り下ろそうとした直前で、ピタリと歩みを止めてしまう。ゴルドの足元に黄色い輪が出現し、それはいっきに収縮して消えてなくなる。グラウンドボンドだ。
驚くゴルドだったが、次の瞬間何かをくらって吹き飛ばされる。
苦しいのだろう、もう立ち上がることもできないように見える。ゆえに、イリックは行動を開始する。
隙だらけな背後に移動し、細い両足を全力で蹴り飛ばす。
声にならない悲鳴をあげながら、ウーディは地面に転がる。それもそのはずだ。イリックの蹴りは、ウーディの両足をあっさりと砕く。立つことは決してできない。もちろん、キュアをかけるつもりもない。
イリックの背後では、最後の精霊がパキンと半分に割れて床に落下する。トゥルルの攻撃に耐えられず、あっさりと絶命したそれはガラスコップのように床で粉々に砕け散る。
アジールは三度目のウォーシャウトを使おうとしていたが、それよりも早く、トゥルルが氷の精霊を倒しきってみせる。
ネッテ達がぞろぞろとイリックの元へ向かう。
「ほれ、わしの勝ちじゃ」
ゴルドは血のついた口を拭いながら、ごほごほと咳き込みながらも小さく笑う。
ウーディは歯を食いしばり、脂汗を流しながらイリックを見上げる。
四体の精霊達は全て倒された。
ウーディ自身も、ゴルドとイリックにそれぞれ一度ずつ敗れた。
こうして戦いは終わるはずだった。
(あの時のように力を望む?)
頭の中に聞こえてきたのは、あの時の声だった。




