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ブランシュタキュ 24th.Aug.1346-26th.Aug.1346

 8月23日の日が暮れる。

 先行するグデマー・デュ・フェイは、アブヴィルより5マイル下流の地点へと軍隊を進めていた。当初フランス王から授けられていた1000人の騎兵と5000人の歩兵はこのとき強行軍のために大幅に減っていて、その代わりに地元ピカルディ地方の守備兵らが編入されていた。

 ここに橋は無い。しかし膝下程度の深さの川底が長く伸びていて、多くの人数(1ダースと称される)が同時に徒歩で渡れた。この浅瀬はブランシュタキュ──白砂利と呼ばれ、地元の住民はアブヴィルの橋が出来るよりずっと昔から利用していたという。

 しかしローヌ=アルプ地方の小領主がここを知っていた筈は無く、地元の守備隊から迎撃に適したこの場所の情報を得たのだろうか。もしくは予めこの場所の存在を知らされていて、ようやくエーレーヌに辿り着いて休憩しているフランス王に代わり、イングランド軍を足止めするつもりだった。


 同じ頃、イングランド王エドワード3世は前者の選択を採用する。恐らくオワーズモンの戦いの後の追撃で得られた多くの捕虜の中から、この辺り出身の人間は選び出された。誰かの騎士に仕える馬丁たちは、同じく捕らえられていたアブヴィル近郊出身の農民ゴビン・アガセを推薦する。

 彼に取引材料として提示されたのは、彼と彼の友人20人の釈放、そして金品の授与である。ゴビンの口から白斑の名が出るのに、さして時間は掛からなかった。彼らは確かに釈放され、そしてゴビンには褒賞としてノーブル金貨100枚(0.9kg)と良馬が約束される。

 エドワード3世の鋳造したノーブル金貨は、当時大陸で流通していたフローリン金貨(6シリング)よりも少し高価で、6シリング8ペニーの価値があり、金貨3枚で1ポンドと看做された。ペニー換算だと100枚で12800ペニーだから、つまり労働者の給料数年分を貰った。馬は軍馬だろうか。このときのイングランド軍の軍馬の価値平均が15ポンドだったという。

 僅かな休憩の後にトランペットの音が鳴り響き、イングランド軍の行進は再開された。


 8月24日夜明け、先に浅瀬へ辿り着いたのはイングランド軍だった。下流域のために潮位で水位が上下するので、干潮になるまでしばらく待たされることになる。渡河の開始は午前8時から10時頃、そのときグデマー・デュ・フェイ率いる先遣隊が北の対岸に姿を現した。

 デュ・フェイの軍隊が整列を始める。イングランドの弓兵もジェノヴァのクロスボウ傭兵もまだ攻撃はしない。川幅は2kmあり、どちらの射程でも全く届かなかった。

 イングランド軍はどうしても渡河しなければならない。敢えて死地に進んでいく必要があるのは彼らである。特に一番前を歩かされる弓兵たちは、ジェノヴァ傭兵の正面に立たされることになる。とはいえノーサンプトン伯、ヒュー・ディスペンサー、レジナルド・コブハムら騎士たちも、進路の指示と橋頭堡の確保のために徒歩で彼らと同行した。

 イングランド軍の最前線がクロスボウの射程に到達したとき──射程150から300ヤード(130-270メートル)のロングボウに対して、クロスボウの射程は400-450ヤード(350-410メートル)──イングランドの弓兵は格好の的になった。

 死傷者は相当出たという。

 これに乗じてデュ・フェイらフランスの騎士たちも浅瀬に飛び込んで騎兵突撃を敢行する。彼らはイングランドの騎士や弓兵たちと激しく戦い、そして特に際立った活躍も無く撃退された。

 明らかな数的不利によってフランスの騎士たちが後退していく内に、イングランド弓兵はロングボウの射程圏内に対岸のフランス軍を捉えた。ジェノヴァ傭兵たちは、イングランド軍の渡河という状況のために数的な差はあまり受けなかったとは思うが、川で乱闘するフランスの騎兵が邪魔なせいか良く掩護ができなかった。

 フランスの騎士たちは北岸に押し込められる。とうとう橋頭堡がイングランドの騎士たちによって確保された。この後は橋頭堡を広げていって渡河の安全を確保すると共に、アブヴィルまたはソンム下流域へと撤退を始めるフランス軍を追撃するだけだった。


 川底に敷き詰められた白い砂利は石灰岩で、輜重車はその車輪が川底の砂に嵌ることなく北岸へと移送される。渡河するのに十分な水位となる時間は短く、彼らは急がねばならなかった。

 騎士たちが身代金目当ての快進撃を始め、弓兵たちの殆どが川を渡り終えた頃、漸くボヘミア王とエノー伯つまりブラバント公ジャン3世率いるドイツ人部隊がブランシュタキュに辿り着いた。先にポンレミ橋でイングランド軍を阻止した彼らだったが、今回は2時間ばかり出遅れた。彼らの軍団は多分誰一人この場所を知らなかったために。しかしそれでもまだ渡り切っていなかった一部のイングランド兵と輜重車が、彼らの戦利品となる。

 さらに遅れてフランス王の軍隊が浅瀬にやってきた。エーレーヌからほぼ18km。まだ暗くなる前だったが潮は満ちていて、渡河は不可能になっていた。彼はしばらく潮が引くのを待ったが、恐らく深夜になるだろう干潮の渡河を諦めてアブヴィルへと戻った。


 エドワード3世がゴビン・アガセに約束どおりの褒賞を与えて釈放した後、イングランド軍はソンム北岸に沿って沿岸へと向かう。その先は沿岸都市ル・クロトワ。先のボヘミア王の一件を受けた物資不足のために町を掠奪対象と看做しただけでなく、彼らはここで本国イングランドからの補給と連絡を得る手筈になっていた。

 その約束が為されたのはカーン包囲のとき。つまり戦術的失敗に基づく多少の困難はあれど、ここまでの結果はイングランド軍の計画通りだった。


 先にソンム下流域へとフランス軍を追撃していたヒュー・ディスペンサーたちは、彼らを捕らえる為にノイエル=シュル=メールとリュを掠奪、ル・クロトワで港の船舶を焼き払う。

 約束どおりならばハンティンドン伯の船団が狼煙を合図にして港にやってくる。しかし翌日になっても音沙汰は無かった。そして多分ここでフランドル軍が到着しないことにも気付く。彼らが得たものは、精々物資不足を少し補填する程度の掠奪品だけだった。

 作戦は転換される。かつてソンム北岸下流域一帯を覆っていたクレシーグランの森の中で、エドワード3世はそれまで避けてきたフランス軍との決戦を考える。

フランス軍に対する偵察は派遣され、イングランド軍は有利な地形で戦うために少し東に進路を変えて、ゆっくりと行進を始めた。

 その先にはエスダン、そして城塞都市ベテューヌが見えるが、攻略する狙いは無かった。そしてブランシュタキュの戦果に不満で先回りを試みたエノー伯は、待ち惚けを食らう羽目になる。


 イングランド軍にとっての適切な戦場は8月25日の正午までに見つけられた。ブランシュタキュから北西に9マイル離れた森の端、クレシー村を見下ろせる低く長い丘。

 戦いを決意したエドワード3世は、軍隊に休養と武装のメンテナンスを命じ、その日一日が休息に費やされた。


 8月26日の夜明け、フランス王はいつものようにミサを聴講した後アブヴィルから出発する。しばらく歩いた後、彼はボヘミア王の助言を受けて、偵察のために四人の騎士を派遣した。

 ボヘミア王の家臣でスイス人のアンリ・ル・モワンヌ・ド・バゼイユ、老齢で王の顧問だったフランス元帥マイルズ・ド・ノワイエ、またこの戦いの後に元帥となるエドゥアール・ド・ボージュ、あと誰だか良く判らないオービニー卿。

 彼らの短い冒険によって、ほんの数マイル先にいたイングランド軍は発見される。既にイングランド軍の布陣は開始されていて、その戦意は見て取れた。

 イングランド軍の方も優勢な地勢から偵察隊を見て取ったが、闇雲に彼らを追うことはしなかった。

 アンリ・ル・モワンヌ・ド・バゼイユはフランス王にその様子を伝え、マイルズ・ド・ノワイエは警告を発した。フランス王はこれを受けて軍隊の停止と休息を命じる。最前列で行進するジェノヴァ傭兵や落伍者の目立つ徴用歩兵たちはこれに快く応えようとしたが、馬に乗って楽をしている多くの騎士たちは立ち止まらなかった。騎士たちに押されるようにして前進は続けられ、半日近く行軍は続いた。

 後方ではイングランドに助力するオマール女伯の兵士たちによる妨害もあり、フランス軍の隊列はアブヴィルからずっと伸びたままだった。


 8月26日の朝、イングランド軍は長い休憩を終えて、丘の斜面に布陣を開始していた。今残存する総戦力は5000から13000までと幅広く推定される。ここに至るまでに大体1-2割程度──主に弓兵たちがこの2ヶ月の間に失われていた。

 騎士たちは馬に乗らず、騎馬は逃亡しないように輜重車を集めて作った囲いの中に閉じ込められた。出入り口は一つだけあって、必要になったとき以外は衛兵によって封じられていた。

 歩兵と馬から降りた騎兵は三つの部隊に分割されたが、この三隊が縦に並んだのか、横に並んだのかも判らない。三つの部隊は、行軍時の縦隊から横隊に再編される。第一部隊は黒太子の先陣、第二部隊はノーサンプトン伯の後陣、そして第三部隊はエドワード3世率いる補充兵たち。

 布陣を終えると、エドワード3世は後方にあった風車小屋を指令所とする。ここからは戦線の全景を見渡すことが出来た。 またこの際に、弓兵の保護のため、何らかの措置が採られた。具体的に何であるのかフロサワールが言及していないために、歴史家たちによって幾つかの提案がされている。

 一つ目は古い提案で論外と見ていい馬防柵、二つ目の提案は歩兵に支援された楔形の陣形を採ること、三つ目は比較的新しいものとして輜重車を盾にするもの、四つ目はそもそも歩兵と弓兵は分離されず混在していたという主張。

 多くの場合、二つ目の論説がその整然とした陣形への魅力と戦術的な合理性のために採用されるが決定的ではない。


 8月26日の午後4時、夏の長い太陽が少し傾きかけてきた頃、フランス軍の姿は現れた。ただし戦闘はその一時間ほど後、フランス軍の最前列を進むジェノヴァ傭兵が、クロスボウの射程圏内にイングランド軍を捉えたときを起点にする。

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