5. 傷だらけの栄光、そして(ラハルト視点)
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しかし、彼に残されたのは全滅に近い部隊と、腐り始めた肉体だけだった。被曝の強度が酷すぎて薬も効かない。全身の筋肉は引き裂かれ、まともに動くことさえままならなかった。
傷だらけとはいえ、栄光は栄光だった。戦勝を導いた英雄として、ラハルトは王宮に足を踏み入れた。数多の貴族が集う謁見の間、思うように動かない足を引きずり、杖を突きながら進んでいく。
煮えたぎる油を注がれたような目は、眼球こそ辛うじて残っているものの、視力はほとんど失われていた。
それでも、自分を見つめる視線が痛いほど鮮明に感じられた。明白な嫌悪。どこからか、えずくような音さえ聞こえてきた。
自分でもおぞましい姿だと自覚していたから、彼らを咎めることはできなかった。
戦争の英雄である彼には、莫大な褒賞金が与えられた。カランから奪い取った領地も与えられた。
だが、彼の両手に残るのは、ろくに効かない薬と、爛れた皮膚を覆うための包帯だけだった。
莫大な褒賞金は、家族の借金を清算するために全て消えた。
拝領した領地は、汚染にまみれた不毛の地に過ぎなかった。
全てを捧げたというのに、彼に残ったのは戦争の傷跡だけだった。
表向きには、彼の生活は以前と変わりないように見えた。依然としてラハルトは侯爵であり、広大な領地を持つ大領主だったからだ。
だが、皮を一枚剥げば、彼の人生は悲惨さに満ちていた。領地経営どころか、この体では社交活動も不可能だ。
いや、そもそも日常生活さえままならないではないか。血膿の滲む皮膚は腐り落ち、悪臭を放った。そんな彼の世話を買って出る侍女も従僕もいなかった。
家族でさえ、誰も彼に近づこうとはしなかった。
「健康のため」「療養のため」「安静のため」。
ありとあらゆる美辞麗句を並べ立てられ、彼は別邸へと追いやられた。彼の傍にいるのは、主治医という名目の、スラム街から拾ってきたに違いない子供が一人きり。
それでも、ラハルトは領主であり侯爵だった。
毎日のように彼のもとには嘆願書が押し寄せ、王族が主催する夜会には当主として赴かねばならなかった。
華やかな社交界で、化け物のように変貌したラハルトを望む者は誰もいなかった。
国王ですら、彼を忌々しい腫物のように扱っていることを知っていた。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月……。
戦争が終わって半年が過ぎようとしても、彼の生活に変わりはなかった。領地経営は行き詰まり、差し押さえの書類だけが積み重なっていく。
それなのに贅沢に慣れた家族の浪費は止まらず、その全てを背負わされるのはラハルトの役目だった。
誰かが訪ねてきても、会いに行く余裕さえない。
毎日どこかへ出向いては、金を借りる日々。
(ああ、そうか……)
ユフィネル、お前は……この地獄の中を、独りで歩いていたのだな。
たとえ化け物のような外見であっても、英雄である彼に手を差し伸べる者は多かった。その事実が、彼をいっそう惨めにさせた。
生が苦しくなるほど、薄れゆく古い記憶が蘇った。鮮やかな薔薇色の髪、澄み切った青い瞳。彼を見つめて穏やかに微笑んでいた姿。
悪夢から目覚めるたび、決まって彼女の微笑みが残像のように瞳に焼き付いていた。誰かがこの地獄から救い出してくれたなら、どれほどいいだろうか。
しかし、ラハルトには救いを願う資格さえない。家族の責任を取らねばならない。それが彼にできる唯一の贖罪だと信じていた。
侯爵夫人であるエイミーの懐妊の知らせが届いたのは、長い冬が終わり、短い春が始まろうとする頃だった。
終戦後に屋敷へ復帰してから、ラハルトは一度も彼女と会ったことがなかった。彼も彼女を訪ねず、彼女もまた彼を訪ねてはこなかった。
まるで遠い昔、ラハルトがユフィネルに接した時のように。
会うはずがないのだから、当然、子が宿るはずもない。それなのにエイミーは子を授かり、屋敷の者たちはこぞって彼女の懐妊を祝った。
その子が誰の子なのか、誰もが知っている。子は間違いなく侯爵家の血筋なのだから、隠す理由も恥じる理由もないのだろう。
怒りも苦しみも、悲しみさえも湧かなかった。ただ、全てが虚しかった。
片付けられぬまま散らかった執務室で呆然としていた時、どれほどの時間が過ぎただろうか。誰も訪れるはずのない別邸の扉が開く音が聞こえた。ゆっくりと視線を向けると、執務室の入り口に立つ男が見えた。
ラハルトと瓜二つの灰色の髪を端正に結んだ男は、懐かしいほど整った顔立ちをしていた。生まれてくる子の目の色は、彼と同じ黒だろうか。
「ロウェル」
彼が弟の名を呼ぶと、黒い瞳がラハルトを射抜いた。
「お久しぶりですね、兄上。少し痩せられたのではありませんか?」
「……」
「まあ、そんな無様な姿をしていれば、食事が喉を通るはずもありませんね。毎朝鏡を見るたび、吐き気をこらえるだけで精一杯でしょうから」
歪んだ笑みで吐き出される非情な言葉に、何の感情も揺れ動かないのは、蔑みの視線に心が磨り減ってしまったせいだろうか。
「何の用だ?」
嫌味を言いに来ただけではあるまい。早く用件を言って失せてほしかった。ラハルトの視線に、ロウェルは肩をすくめた。
「そう冷たくしないでください。私だってこんな棺桶のような……失礼、別邸に好き好んで来たとでも?」
「用件を言え」
「はは。兄上もせっかちだ。いいでしょう、そんなにお忙しいのであれば本題に入りましょう」
執務室の中へ入る気はないようで、扉に寄りかかって立つロウェルは、家族とは信じがたいほど残酷で冷ややかに輝いていた。彼が言った。
「兄上。いつになったら死んでくださるのですか?」
「……何?」
思いもよらない問いに、思わず呆然とした声が漏れた。
「兄上もご存知でしょう? 戦争はもう終わったのです。もはやあなたを望む者などいない。なら、空気を読んで消えていただくべきではありませんか? ましてや、その体」
ロウェルは吐き気を催すように顔を歪め、言葉を継いだ。
「被曝者が死ねば、周囲は広範囲にわたって汚染される。感染体を抱え込んだ身でここに居座るなんて、あまりに厚顔無恥だとは思いませんか?」
弟の言葉がまともに耳に入ってこなかった。ラハルトの防衛本能をもってしても、心を抉る鋭い言葉は止まらなかった。
「いつ死んでもおかしくない体で飯を食らうだけの、あなたのような穀潰しはもう必要ないのです、兄上。どうせ死ぬのなら、人里離れた場所で死んでいただかないと、我々も迷惑を被りますから」
ロウェルの声に、いつかの自分の声が重なって聞こえた。
(ああ、ユフィネル。お前もあの日、こんな言葉を投げかけられたのだな。こんな心境だったのだな)
「あの日、私は、お前に何をしたのだろうか」
もはやロウェルの姿は見えなかった。何一つ視界に入らなかった。どうやって屋敷を出たのかさえ記憶にない。
ただ、ただ、ユフィネルに会いたかった。
彼女がこの世にいないと知りながら、執拗に辺境へと向かった。
どうせ死ぬのなら、彼女と同じ場所で死にたかった。
ユフィネルは望まないだろうが。謝罪さえも贅沢だろうが。
それでも、踏み出す足を止めることはできなかった。




