1章4話 天空の跳躍と、二人の包囲網
皆さん、こんにちは。花菱 葵です。
前回のラスト、壁に追い詰められたタカシ。
第4話では、そんなタカシの超人的なパルクールと、幼馴染・茜との「最強の連携」が描かれます。
たった二人で28人を相手にする、異次元のドロケイ。
「賢者」と「野生」が混ざり合った時、園庭はもはや彼らの独壇場となります。
1章4話 天空の跳躍と二人の包囲網
「えっ……」
茜の目の前から、貴の姿が消えた。
重力を無視するように、垂直の壁へと飛びついた。
――タッ。
――タッ。
――タンッ!
小さな足がリズム良く、それでいて力強くブロック塀を蹴り上げる。
滞空時間は、わずか一瞬。
4歳児という「軽さ」を最大の武器に変え、貴は垂直の壁を二歩、三歩と蹴り上げた。
物理法則を嘲笑うかのような跳躍。
重力から解き放たれたその背中が、春の陽光を浴びてキラリと輝く。
次の瞬間、彼は3メートル近い塀の頂へと、軽やかに舞い降りていた。
砂埃が舞う地上で、茜が呆然と上を見上げる。
塀の上で逆光を背負った貴は、いつものように優しく、そして最高に満足そうな笑みを浮かべていた。
「……にぱーっ!」
同時に、リサ先生の笛の音が、試合終了を告げるホイッスルを園庭に響かせた。
荒い呼吸の音だけが、陽だまりの園庭に響いていた。
ブロック塀の最上部、春の突き抜けるような青空を背負って立っていた貴は、ふう、と小さく息を吐き出すと、身を翻した。
降りる際も、その動きは淀みなかった。
登った時と同じように、左右の壁の反動を巧みに利用する。
小さな身体を交互に打ち付け、重力を分散させながら、最後はふわりと砂場の上に着地した。
膝を深く曲げて衝撃を吸収し、すっ、と立ち上がる姿は、『忍者』そのものだった。
貴は足元の砂を軽く払い、まだ呆然と立ち尽くしている茜の元へ歩み寄った。
彼の額には玉のような汗が浮かび、体操着の胸元が激しい鼓動に合わせて上下している。
「……危なかった。
あと一歩で、本当に捕まるところだったよ。
必死に逃げればもっと余裕があると思ってたのに、茜がどんどん近づいてくるから、最後は本当に焦って奥の手を使うしか無かったよ!」
貴は手首で汗を拭いながら、茜に向かって照れくさそうに笑いかけた。
それは嘘偽りのない本音だった。
貴の計算では、遊具を駆使したパルクール的な逃走で十分に逃げ切れるはずだったのだ。
しかし、茜の野生的な勘と爆発的な脚力は、彼の予測を上回る速度で距離を詰め、彼を『壁』という袋小路へ追い詰めた。
あの土壇場での壁登りは、彼にとっても生存本能に近い、乾坤一擲の選択だったのである。
「……スゴイ!
タカ君、スゴイよ!
本当に忍者みたい!
逃げてる時もずっとカッコよかったけど、最後のあれ!
ぴょんぴょんってお空を飛んで、茜の目の前から消えちゃった!」
ようやく呼吸を整えた茜が、弾かれたように叫んだ。
悔しさなど微塵も感じさせない、純粋な驚愕と称賛。
彼女にとって、目の前で起きた超常的な光景は、敗北の痛みすら無くさせるほどの輝きを放っていた。
彼女は興奮のあまり、貴の周りを跳ね回りながら、何度も「消えた」瞬間の身振りを繰り返した。
その二人の姿を、リサ先生はようやく動くようになった足で駆け寄って、包み込むように見つめた。
「……泥棒チームの、勝ちね!
タカシ君も、茜ちゃんも本当に凄かった。
でも、先生、心臓が止まるかと思ったわよ」
リサ先生は、震える手で二人の肩や背中に土がついていないか、どこか擦りむいていないかを確認した。
彼女の頭の中では、勝利を讃える言葉と、安全管理上の懸念が激しく火花を散らしていた。
4歳児が、自身の背丈を遥かに超える壁を蹴り登り、そして降りてくる。
教育者としての常識が、目の前の現実を受け入れるのを拒否したがっている。
「怪我はない?
足とか、どこか痛いところはない?
タカシ君、あんな高いところから……」
心配そうに顔を覗き込む先生に対し、貴はいつものように優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ、先生。ちゃんと柔らかいところに降りたし、どこも痛くないよ。
茜が本気で追いかけてくれたから、僕も本気になれたんだ。
楽しかったよ!」
その屈託のない笑顔、そして隣で「ねえ、今のもう一回やって!」とはしゃぐ茜。
リサ先生は、二人の間にある圧倒的な信頼関係と、それを支える桁外れのポテンシャルを、改めて肌で感じていた。
泥棒チームの園児たちが牢屋から溢れ出し、貴を英雄のように囲み始める中で、リサ先生は静かにストップウォッチをポケットにしまい、心の中で呟いた。
(特別扱いをするつもりは無かったんだけど……。
ここまで規格外だと、特別に注視しておかないとこっちの心臓が持たないわ……)
春の強い風が吹き抜け、園庭の砂を巻き上げた。
これから3年間、普通では体験出来ない幼稚園生活を送る事になるとは、リサ先生以外誰も気づいていなかった。
――当たり前である
ここにいる園児達は初めての体験が「彼等」であり「普通」を知らないのだ。
「……春の……嵐……。
なんてね!」
リサ先生は園庭に吹いた、春風に目を細めながら、二人を詩的に表現してすぐに、考えを改めた。
(嵐なんて、そんな乱暴な言葉は似合わない。
あの子たちは――)
歓声の渦中で、ひときわ眩しく輝く二人の笑顔。
(暗闇さえも一瞬で塗り替えて、世界を温かく照らす――『太陽』
そう!
それが一番しっくりくるわ)
砂埃が舞う園庭で、白沢貴と馬渕茜の二人は、もはや「ウサギ組」の枠を超えた英雄として崇められていた。
先ほどの鮮烈な逃走劇と追撃劇。
その余韻に浸る間もなく、園児たちは口々に二人への称賛を浴びせ、次のゲームを求めて声を張り上げる。
「次のチーム分け、どうする?」
リサ先生の問いに、真っ先に手を挙げたのは茜だった。
彼女はポニーテールを勢いよく揺らし、迷いのない瞳で宣言した。
「茜、次はタカ君と同じチームがいい!
二人でみんなを捕まえちゃうんだから!」
その瞬間、周囲の園児たちから一斉にブーイングの嵐が巻き起こった。
「えー!
ずるいよ!」
「そんなの勝てるわけないじゃん!」
「二人一緒は反則だー!」
子供たちの本能的な危機感が、拒絶の声を上げさせる。
貴と茜が手を組めば、それはもはや遊びではなく、一方的な蹂躙になることを誰もが予感していた。
板挟みになったリサ先生は、苦笑いをしながら苦肉の策を捻り出した。
「……それじゃあ、タカシ君と茜ちゃんの二人だけで『警察』をやって。
残りの28人全員が『泥棒』。
これでどうかな?」
あまりに極端な戦力差。
しかし、これならば「多勢に無勢」という論理で納得がいく。
園児たちは一転して、数に物を言わせた勝利を確信し、意気揚々と作戦会議に入った。
「タカ君、どうする?」
茜の問いに、貴は園庭の全域を見渡しながら、静かに微笑んだ。
「茜が『捕まえる係』で、僕が『守る係』だよ。
茜は僕に追いかけるルートを指示するから、その通りに走って。
僕は牢屋を守りながら、隙を見せた子を捕まえるから」
ゲームが開始されると、戦場は二人の完璧な連携によって支配された。
茜は持ち前の瞬発力で泥棒たちを追い回す。
だが、その追走は単なる力押しではない。
貴が遠くから出す指のサインや短い指示に従い、泥棒たちをじわじわと園庭の中央、すなわち貴が守る「牢屋」の近くへと誘導していくのだ。
「右に追い込んで!」
「今、後ろから回って!」
貴の鋭い指示が飛ぶたび、茜は風のようにコースを変える。
茜の勢いに焦った泥棒たちが、逃げ場を求めて牢屋の死角へ飛び込むと、そこには音もなく待ち構えていた貴がいた。
「捕まえたよ」
「ああっ!
タカシ君いつの間に!」
一対一、あるいは多対一の状況でも、貴は最小限の動きで相手の進路を塞ぎ、確実にタッチを重ねていく。
それはもはや、連携などという言葉では生ぬるい。
逃げ回る28人の泥棒たち。
数だけ見れば圧倒的に警察が不利なはずだった。
だが、園庭に展開されていたのは、たった二人が網を絞り込んでいく『逆転の包囲網』
貴が冷静に盤面を読み、茜が弾丸となってその隙間を埋める。
二つの個性が重なり合った瞬間、戦場を支配する力は「足し算」を突き抜け、敵に絶望を与える「掛け算」へと昇華されていた。
終盤、泥棒チームの中で最も足の速い5人が、アイコンタクトを交わして一斉に牢屋へと突っ込んできた。
玉砕覚悟の救出作戦。
しかし、貴はその動きを数秒前から予見していた。
「茜、戻って!」
貴の呼び声に応じ、茜は瞬時に全速力で反転。
「えー!?
もう茜ちゃんが戻ってきた!」
正面から来る貴と、背後から迫る茜の挟み撃ちに遭い、5人の精鋭たちはなす術もなく一網打尽にされた。
終わってみれば、二人の警察チームによる完全勝利。
園庭には呆然と立ち尽くす28人の泥棒たちの姿があった。
「もう!
やっぱり強すぎるよ!」
「二人で守るなんて卑怯だー!」
再び沸き起こる不満の声。
だが、貴はそこでただ笑って済ませることはしなかった。
彼は項垂れる仲間たちの元へ歩み寄ると、一人ひとりの顔を見て、優しく語りかけた。
「みんな、惜しかったよ。
もし、あの5人の突撃の時、残りのみんなが反対側から一斉に動いていたら、僕たちは手が足りなくて負けていたと思うよ」
「……え?
そうなの?」
園児たちが顔を上げる。
貴は具体的に、どのタイミングで、どの方向に走れば自分たちの防御を崩せたかを、子供にも分かりやすい言葉で丁寧にアドバイスした。
「次は、もっとバラバラに……。
でも同時に動いてみて。
そうすれば、きっと僕たちを困らせることができるから」
その言葉は、敗北感に沈んでいた子供たちの心に、新たな挑戦の火を灯した。
「次は負けないぞ!」
「作戦を練り直そう!」
貴の言葉によって、遊びは単なる勝敗を超え、全員で高みを目指す真剣勝負へと昇華された。
「……それじゃあ、約束通り、次はタカシ君たちが『泥棒』の番ね」
リサ先生の宣言に、28人の警察たちが一斉に帽子を赤く裏返す。
最強の二人が逃げ、28人が追う。
園庭の温度が、また一段と上がった。
第4話をお読みいただき、ありがとうございました!
強いだけじゃなく、負けた相手に「次はこうすれば勝てるよ」と教えるタカシ君……4歳にして徳が高すぎますね。
「タカシ君のパルクール、映像で見たい!」
「2対28で勝っちゃう二人が尊すぎる!」
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