1章20話 権力の崩壊と魔王の定義
1章20話
権力の崩壊と魔王の定義
「……さて。
ここまでで、阿久津さん。
貴方には『無能な親』、そして『汚職政治家』という、二度と剥がれることのないレッテルが貼られたわけだ」
真は、静かに、そして獲物の息の根を止めるタイミングを測るように、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。
その動作一つで、阿久津の顔色から血の気が一気に失われる。
「そ、それは……!
それだけは、それだけは出さないでくれ!!
公開しないでくれ!!」
阿久津が、先ほどまでふんぞり返っていた椅子を乱暴に蹴り飛ばし、這いつくばるように床へ崩れ落ちた。
県議会議員としての威厳、仕立ての良いスーツ、高価な腕時計、そのすべてが、床に散らばったペットボトルの水と共に、無惨に汚れ、色褪せていく。
「貴方が先ほどまで、全知全能の神を気取って侮っていた代物ですよ。
『隠蔽』も『捏造』も自由自在だと豪語していた、このスマートフォン。
……阿久津さん、今この瞬間の貴方に、もう一度同じことが言えますか?
私を『無力な市民』と見下した、その言葉を繰り返せますか?」
「た、頼む!
悪かった!
私が、私が全面的に間違っていた!
金なら……金ならいくらでも用意する!
望む額を言ってくれ!
億か!?
数億で足りるか!?
私の地位も名誉も、何もかも差し出す!
だから、そのデータだけは、それだけは消してくれ!!
頼む、頼む……ッ!!」
阿久津は額をタイルの床に激しく打ち付けた。
鈍い音がホールに響き、床にはどす黒い血が滲み始める。
かつてこの街の「王」として君臨した男が、一人の父親の足元で、プライドの欠片もなく無様に命乞いをする。
「……無様ですね。
悪党なら悪党らしく、最期までその傲慢な仮面を脱がずにいて欲しかった。
まあ……貴方程度の『小悪党』では、底の浅いプライドが限界だったようですね」
その光景を、真は感情の凍りついた瞳で見下していた。
「……私は最初、3つの結末を用意していました」
真は、這いつくばる阿久津を見下し、冷徹な判決を下すように指を一本ずつ立てた。
「第一の結末……真実を公開し、貴方たちに『無能な親』という社会的レッテルを貼るに留めること。
第二の結末……その上に、セレナちゃんへの公的な謝罪と相応の慰謝料、そしてタカシの治療費を含めた、貴方たちの資産を枯渇させるほどの『金銭的な制裁』を加えること。
……そして」
真の瞳の奥で、最後の一筋の光――「人間の温情」が完全に消失した。
「……貴方は、私の家族に手を出すと言った。
……それは、私にとって、この世で唯一、絶対に、万死に値する禁忌です。
ですから、私は最も過酷な三つ目の結末を選びました。
貴方に、『永続的かつ社会的な死』を与えることに」
「頼む……!
何でもする!
県議も今すぐ辞める!
子々孫々まで詫びるから!!」
「……そう言えば、一つお伝えしていませんでしたね。
……実は、私は自分のチャンネル……『魔王の法律相談所』を通じて、このホールの様子を最初から『限定公開』で配信していました。
招待された大手メディア関係者たちは、貴方の『捏造宣言』も権藤先生の『嘘』も、すべてリアルタイムで視聴済みですよ。
……もっとも、貴方が一線を越えなければ、公にしないという報道協定でしたがね」
真は、意図的に減らされた蛍光灯の陰に、ひっそりと配置された監視カメラを、勝利の女神を指すように静かに指差した。
「ですが、貴方が私の家族を脅した瞬間に、その契約は瓦解した。
私は『眼鏡を外す』合図を送り、待機させていた私の事務所の精鋭たちが、配信を『全公開』へと切り替えました。
アーカイブはすでに再生可能な設定に変更され、世界中へ拡散されている。
同時に妻の『ゆうゆうチャンネル』にもリンクが共有され、さらに……。
私の部下が、貴方の『捏造予告』のシーンを、最も醜悪に見えるように編集したダイジェスト動画として、すでにSNSへ叩き込んでいます……。
今頃、テレビ局は特報の準備で戦場のような騒ぎでしょうね」
真はスマホの画面を、絶望の深淵に沈んだ阿久津の目の前に突きつけた。
そこには、数分前の阿久津の狂気じみた暴言が、数百万回再生され、世界中から呪詛のコメントが滝のように流れ落ちる光景があった。
「今この瞬間に配信へなだれ込んできた何十万人もの視聴者は、すでにSNSで貴方の悪行を詳細に『予習』してから、現在の貴方の無様な土下座と出血を、娯楽として鑑賞しているわけだ。
……お分かりですか?
貴方が自ら、一縷の希望が残された、最後の防波堤をぶち壊したんですよ」
「……あ、……あ、あ、あああああああ…………っ!!」
阿久津の声にならない絶叫が、全世界の陪審員たちの前で、醜く響き渡った。
共に加担していた四人の父親たちは、椅子から滑り落ちることさえできず、ただ口をパクパクと酸欠の金魚のように動かして硬直していた。
彼らの積み上げてきた輝かしいキャリア、守ろうとした会社、誇りだった役職、そして平穏なはずだった日常。
それらが今、情報の濁流に飲み込まれ、光の粒子となって永久に抹消されていく。
「……あなた方4人は、そのまま静かにしていれば『二つ目の結末』……。
つまり、自己破産とガサ入れ程度の傷で手を打ちましょう。
……だが」
真が冷たく視線を転じると、そこには精神の均衡を完全に喪失した権藤がいた。
彼はガタガタと全身を痙攣させ、「私は正しい、私は規律だ、あのガキが、あのガキがいなければ」と、血を吐くような呻き声を呪文のように呟き続けていた。
その焦点の合わない瞳は、暗黒の狂気と憎悪を湛え、右手に握りしめた事務用カッターの鋭利な刃が、青白い蛍光灯の下で不吉な、銀色の光を放っていた。
「……『あれ』は、もう人間の言葉が通じる段階ではないようだ。
ただの、壊れた暴力装置ですね」
……カツン……カツン……。
真は、静まり返ったホールに、心臓の鼓動を狂わせるような硬い靴音を響かせながら、死神の歩調で権藤に向かってゆっくりと歩を進める。
「リサ先生、サオリ先生。
セレナちゃんのご両親と共に、静かに、できるだけ遠くへ離れてください」
真の指示は、穏やかだが逆らうことの許されない絶対的な強度を持っていた。
やがて真が権藤の間合いに入った瞬間、権藤は獣のような咆哮と共に机を蹴飛ばした。
「私は悪くない!!
お前の!!
お前のせいで何もかもが!!
ああああああぁ!!」
ブンっ!
ブンっ! と、空気を切り裂く鋭い風切り音がホールの静寂を蹂躙する。
プロレスラーのように屈強な肉体を誇る権藤が、理性を完全にかなぐり捨てて、刃物を振り回す姿は、まさに狂った野獣そのものだった。
その凄まじい殺気と威圧感に、見守る大人たちは腰を抜かし、ホールには悲鳴が木霊する。
「白沢さん!!
逃げて!」
「危ないッス!!
冗談抜きで死ぬッスよ!!」
リサとサオリが、恐怖に震えながらも掃除用具入れからモップを持ち出し、真を助けようと駆け寄る。
「ありがとう、だが心配はいらないよ。
君たちはそこで、この男の無様な終焉を特等席で眺めていなさい
――我が息子、タカシが受けた痛みと屈辱を、私がどのように『清算』するのかをね」
真は背後も見ずにリサたちを制止し、紙一重の余裕で権藤の凶刃を躱し続ける。
その足取りは、もはや武道の域を超え、死神のダンスのように軽やかで、一ミリの無駄も、一片の焦りもなかった。
「私がなぜ『魔王』と呼ばれているかわかるかい?」
死の淵を歩いている自覚があるのか疑いたくなるほど、真のトーンは平熱のままだった。
「RPGゲームをやった事は?
……勇者に討伐される魔王の定義だよ」
「あ、ありますけど!
そんな事より、前!
前を見てください!!」
「大丈夫。
理性すら保てない筋肉ダルマ程度。
『こいつは四天王の中でも最弱』というお決まりのテンプレを地で行く、掃き溜めの存在だ」
真は、三日月のように深く口角を上げ、月光を浴びた飢えた狼のような、凶暴でいて美しい笑みを浮かべる。
権藤が、ありったけの怒りと、自己正当化の残滓を込めてカッターを振り下ろした。
その瞬間、真の姿がブレた。
パシンッ!
乾いた音が響き、真は権藤の突き出された腕を的確に捕らえ、その懐へと滑り込む。
それは、病室で眠る貴が園児を投げ飛ばした時と同じ、洗練された古流柔術の体捌き……。
「魔王はね――」
だが、その後の処理は、幼い息子のような慈悲深さは微塵もなかった。
腕を固定し、自らの背を権藤に預ける。
テコの原理を最大限に利用し、真の肩が支点となった瞬間……。
バキッ!!!
権藤の右肘が、生木をへし折る様な耳障りな音を立てて、解剖学的にあり得ない方向へと強制的に折り曲げられた。
「ガアァアァアァアッ!!」
肺から空気を絞り出すような絶叫がホールを震わせる。
カッターが手からこぼれ落ち、虚しく床を転がった。
しかし、魔王の蹂躙はここで止まるほど生易しいものではない。
グシャッ!
真は無造作に折れた腕を離すと、振り返りざまに、体重移動と遠心力を極限まで乗せた蹴撃を、権藤の左膝に正確無比に叩き込んだ。
今度は膝の皿が粉砕される音が、凍りついた空気に響き渡った。
「………………ガァッ!!!」
巨漢を支える土台を粉砕され、男は声にならない悲鳴を上げながら、崩れる土砂のように体勢を崩す。
ゴスンッ!
悶絶し、頭の位置が下がったそこへ、真は全身のバネを乗せた振り下ろしの正拳を、左のこめかみへと打ち抜いた。
メキッ、という頭蓋が軋む音が、真の手の平に確かな感触として伝わる。
脳を直接揺さぶる必殺の一撃。
権藤の意識は白濁し、白目を剥いて、その巨躯は大木が根こそぎ倒れるように床へ激突した。
ゴシャッ!!
真は、力なく倒れ伏した権藤の頭部を、無慈悲な踵で踏み抜き、その意識を永久の闇の底へと沈めた。
タイル張りの床を割り、権藤の頭が地面に数センチ沈み込む。
――ホールに静寂が訪れる――
「――強いからこそ、『魔王』なんだよ。
――勇者が現れないこの腐りきった世界では、私が唯一の、絶対的な法だ」
プロレスラーのような巨漢を、人ならざる力で完全に無力化し、絶対的な勝者として宣言する真の姿は、もはや一介の弁護士という枠を遥かに超越していた。
その静かな、しかし抗い難い暴力の気配に、ホールの空気は物理的な質量を伴って凍りつく。
真はその立ち姿のまま、恐怖のあまり失禁し、ガタガタと震えながら自分を見上げる阿久津に、最後の一言を投げかけた。
「……あなた方や、足元の『これ』が破滅したのは、実に……実に単純な理由ですよ」
「……ルールを破ったからです。
何が正しいか、何が美しいか。
やっていい事と、絶対にやってはいけない事。
……そんな普遍的な倫理は、4歳の幼稚園児だって、誰に教わらずとも知っていることですよ」
真は、病室にいる息子の、あの清らかな瞳を思い出すように目を細めた。
「貴方たちは、そのガキ以下だった。
……ただ、それだけのことだ」
「パパ、強すぎて震える……!」
「権藤ざまぁ!」
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