1章9話 賢者の覚悟と幸運の欠片《ビスケット》
1章9話 賢者の覚悟と幸運の欠片
リサ先生の戦線復帰によって、ようやく事態は収束した――。
だが、貴が「公開処刑」から完全に解放されたわけではない。
園児たちから「タカシパパ」「茜ママ」という不名誉(?)な称号で呼ばれ、顔を真っ赤にする羽目になったのは、間違いなく『29人目の敵』のせいだった。
「くっ、あのサオリ先生……。
『パパ、ママ! こっち向くっス!』なんて言って、勝手に写真を撮りまくるなんて……」
嵐のように場をかき乱し、満足げに去っていったリス組の担任を、貴は「いつか必ずこの借りは返してやる」と恨みがましく思い出した。
そんな貴の横では、茜は音符が見えそうなほど上機嫌に体を揺らしている。
「タッカくんとふーふ!
タッカくんとけっこん!
タッカくんといっしょ!」
茜はポニーテールをぴょこぴょこと跳ねさせながら、まるで春の光を体現したような笑顔で自作の歌を口ずさんでいる。
そのあまりにも屈託のない様子に、クラスの園児たちも「なんか楽しそう」と手拍子を始めそうな雰囲気だ。
「……茜は、ご機嫌だね」
「うふふ!
だって、タカ君が茜の事を『大好き』って言ってくれたんだもん!」
茜が放った純度100%の言葉に、教室内が再び「おぉ~っ!」と色めき立つ。
「あ、あれは……違くって!
……茜を起こそうと……」
貴は再び顔が熱くなるのを感じ、しどろもどろに弁明を試みた。
――しかし
「え……違うの……?」
茜の大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
今にもこぼれ落ちそうな大粒の雫。
その「絶望」に近い悲しみの波動を前に、貴の理屈は一瞬で霧散した。
(……ずるい。
そんな顔をされたら、僕の負けだ)
自分の羞恥心と、茜の笑顔。
天秤にかけるまでもなく、答えは決まっていた。
「……嘘じゃないよ。
僕も、茜のこと……
本当に、大好きだから」
その言葉が貴の唇から紡がれた瞬間、茜の表情にパァーッと大輪の花が咲いた。
貴は逃げるのをやめた。
羞恥心で心臓が破裂しそうだったけれど、それ以上に、彼女の涙を止めるためならプライドなんていくらでも差し出せる。
(……あぁ、もう。
一生分の恥をかいた気がするけど、茜が笑ってくれるならそれでいいや)
「はーい、今日のおやつを配るわよ!
みんなに配り終わるまで、手はお膝で待っててね!」
リサ先生がおやつを持ってみんなのお皿に配り始める。
「はい、タカシパパと茜ママの分ね」
「……リサ先生まで、その呼び方はやめて」
貴のジト目での抗議に、リサ先生は「ぷっ」と吹き出し、肩を震わせながら去っていった。
その目元には、隠しきれない慈愛が滲んでいる。
「わぁー!
動物ビスケットだ!」
茜が配られた袋を開けると、様々な形のビスケットが出てきた。
「あ、これは茜の好きな馬の形だね!」
貴は自分の袋から出てきた馬を見せる。
「茜の方にもお馬さんがいたよ!
……でも少し形が違うね?」
茜は貴の持っていた馬の隣に並べると違いがある事に気づいた。
「茜のは『PONY』。小さいお馬さんのことだよ。
僕のは『HORSE』、大きな馬のことさ」
貴はビスケットに刻まれたアルファベットを指差しながら、丁寧に教えた。
「タカ君すごーい!
英語読めるんだね!」
「図鑑に英語の名前も書いてあったから、覚えたんだよ」
貴は自分のお皿から、鳥の形をしたビスケットをつまみ上げると、誇らしげに掲げた。
「この鳥は『HAWK』、日本語で『鷹』って言うんだ。
僕の名前と響きが似ていて、一番好きな動物なんだ」
どこまでも高く、どこまでも自由に大空を駆け巡る――。
自分の名に似たその姿に、貴は密かな憧れを抱いていた。
「へー!
タカ君のタカと同じなんだね!
カッコいい!
こっちのはなんて読むの?」
「それは『DOLPHIN』。
イルカさんだね!」
茜が袋に入っていたビスケットを次々と貴に見せながら英語の読み方を勉強する。
「茜の袋の中には『タカ』いなかったね……」
茜は大好きな『タカ』の名前を冠した鳥がいなかった事が、少しだけ残念だった。
「実は、僕も動物ビスケットで鷹を見つけたのは初めてなんだ!
滅多にいないのかもね?」
「それなら、今日のタカ君はラッキーなんだね!」
「あはは、それなら幸運のお守りに残しておこうかな?」
貴は手元にある『HAWK』の形をしたビスケットを、改めてじっと見つめた。
表面に刻まれた小さな凹凸を、指先で慈しむようになぞる。
(僕の名前、タカと同じ鳥……。
君は、僕にどんな幸運を運んできてくれるのかな?)
貴は、自分の名に似たその翼を、壊れやすい宝物のようにそっと白いハンカチで包み、ポケットの奥深くへと仕舞い込んだ。
――それからは、茜と楽しくおやつを食べていると、近くに座っていた園児が、話しかけてきた。
「タカシパ……」
「パパはやめて!!」
貴の鋭いツッコミに、周りの園児たちは一瞬怯んだが、好奇心が勝った。
「……タカシ君、これはなんて読むの?」
「……それは『TIGER』。
虎だね!」
貴が教えてあげたのを皮切りに、次々と園児たちが「教えて! 教えて!」と集まってきた。
「これ、僕の!」「次、私のだよ!」と、前後左右から小さな手が伸びてくる。
ビスケットの甘い匂いと、好奇心にギラギラした視線が貴のパーソナルスペースを完全に埋め尽くした。
「順番に教えるから!
同時に答えられないよ!」
まるで人気アイドルの記者会見のようなもみくちゃ状態に、貴は一気に集まってしまった園児たちを前にあたふたするばかりだ。
――パンパン!
静かな、しかし教室の隅々まで通る澄んだ柏手の音が響いた。
その音を聞いた瞬間、貴に群がっていた園児たちの動きがピタリと止まる。
「ほら!
みんな!
朝お話した事を忘れちゃった?」
リサ先生が手を叩きながら、みんなを注意しに来てくれた。
「お友達を困らせるのは?」
「「カッコよくない!!!」」
「はい!
それじゃあ、みんな席に戻って、一人ずつタカシ君に聞きにおいで
……タカシ君?
それで大丈夫かな?」
リサ先生が上手くみんなをまとめてくれて、貴の心配をしてくる。
「うん!
大丈夫だよ!
リサ先生ありがとう!」
そこから無事(?)におやつの時間を終えて、お迎えの時間までの自由時間を迎える事になった。
「タカシパパ、苦労人すぎて草w」
「英語の授業が始まっちゃった!」
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