1章8.5話 孤独な少女と、闇を切り裂く伝説のリズム
皆さん、こんにちは。花菱 葵です。
前回のウサギ組は、タカシ君の「公開告白」で未曾有の熱狂に包まれていました。
しかし、壁を隔てた隣のクラスでは、一人の少女が深い孤独の中にいました。
今回は、金髪の少女・セレナの視点から描かれる幕間です。
言葉の通じない異国で、彼女が受けていた理不尽な仕打ち。
そして、そんな彼女の絶望を切り裂いた「あのリズム」。
彼女にとって、タカシ君という存在がどんな「救い」に見えているのか。
小さな少女の切実な独白を、ぜひ受け取ってください。
1章8.5話 幕間 孤独な少女と闇を切り裂く伝説のリズム
青山セレナの独白
担任のサオリ先生が「ちょっと様子を見てくるから待ってるッス!!」と、嵐のような勢いで教室を飛び出していってから、どれくらいの時間が経っただろう。
先生がいなくなった後のリス組の教室は、春の陽だまりが落ちているはずなのに、私にとってはひどく寒々しく感じられた。
時計の針が刻むチクタクという音だけが、今の私に残された唯一の「理解できる音」だ。
これでまた、私の震える声に耳を傾けてくれる人がいなくなった。
この幼稚園に来て、今日で二日目。
昨日から今日にかけて、私の視界の中に映る世界は、まるで分厚い曇りガラスの向こう側にあるみたいだ。
先生たちは優しく微笑んでくれるけれど、私を見てくれる「友達」は、どこにもいない。
……ううん。
本当はわかっている。
一年前、パパとママと一緒にこの国に来てから今日まで、私を「一人の人間」として見てくれる友達なんて、最初からいなかったんだ。
勇気を出して、覚えたての言葉を繋ぎ合わせて話しかけてみたこともある。
でも、みんな決まって困ったような顔をする。
眉をひそめて、どう返せばいいかわからないという戸惑いを隠さずに。
それは、言葉の通じない未知の「違う生き物」を見るような、冷たい好奇心の混ざった目。
そして最後には、私から逃げるように走っていってしまう。
昨日の入園式の後は、もっと、ずっと最悪だった。
式が終わって、パパたちが先生と話している間、私は一人で園庭のベンチに座っていた。
すると、私より少し体の大きな男の子たちが、ニヤニヤしながら私を囲んできた。
彼らが何を喋っているのかは分からなかったけれど、その濁った目を見れば、私を馬鹿にして、おもちゃにしようとしていることだけは痛いほどわかった。
「What do you want with me?(私に何か用があるの?)」
せり上がってくる涙をこらえて、震える声で聞いてみた。
その瞬間、彼らは「うわっ!」と大げさにのけぞってから、急に下品な笑い声を上げた。
そして、私の肌や、金色の髪を指差して、叫び始めた。
『ガイジン』『ニホンゴ』『シャベレ』『カエレ』
……すごく、怖かった。
言葉の意味は全部わからなくても、それが「私を拒絶している音」だということだけはわかった。
その『音』は、心臓を直接ナイフで刺されたみたいに深く、鋭く突き刺さった。
私の存在そのものが、ここでは間違いなんだと言われている気がした。
ここに私の居場所はない。
誰も私を、一人の「セレナ」として見てくれない。
私の目はみんなと同じように空が見えるし、耳だって風の音を聞くことができる。
なのに――。
言葉の壁という透明な壁に阻まれて、私は音のない真っ暗な部屋に一人きりで閉じ込められているような気分になる。
明日も、明後日も、これから三年間続く毎日が、ずっとこんな孤独なモノクロームの色をしているのだとしたら。
そう思っただけで、胸がギュッと締め付けられて、息ができなくなる。
――ガラッ!
「お待たせッス!
いや~、お隣のウサギ組は、お昼寝明けからいつも以上に賑やか……。
っていうか、爆発してたッスね!」
暗い考えの海に沈んでいた私を引き戻したのは、戻ってきたサオリ先生の底抜けに明るい声だった。
先生は興奮しているみたいで、頬を赤らめながら「信じられないものを見たッス!」と身振り手振りで話している。
……そう言えば、ランチの前に、お隣の教室から私のよく知っている「音」が聴こえてきた。
床を叩くドンドンという振動。
空気を震わせるパンッという乾いた拍手。
それはとっても綺麗で、力強くて、聴いているだけで心臓が熱くなるような……。
誇らしげなリズム。
そして、そこに乗っていたのは、私の大好きな言葉。
パパがよく家で流していた、誇り高い自由を歌うあのメロディ。
……もしかしたら、ウサギ組には私と同じように海外から来た子がいて、その子が歌っていたのかな?
…… もしそうなら、その子なら……。
「Is there a child from overseas... like me?(サオリ先生。
ウサギ組に……私と同じ、海外から来た子がいるの……?)」
縋るような思いで、私はサオリ先生を見上げた。
もし、同じ言葉を話せる子がそこにいるのなら。
この真っ暗な部屋の扉を叩いて、私を外の世界へ連れ出してくれる『友達』になれるかな?
「There are no children from other countries in the Usagi-gumi.(ウサギ組には、セレナちゃんと同じ国の子はいないッスよ!)」
サオリ先生は申し訳なさそうに、けれどはっきりと首を振った。
あ……。
……そっか。
やっぱり、いないんだ。
勝手に期待した自分が悲しくて、視界がまたじわりと滲んでいく。
せっかく少しだけ開いた気がした心の隙間が、また重たい鉄の扉に閉ざされていく。
「But... there was a Prince!(でも……『天使』……ううん、今やもうウサギ組の『王子様』ならいたッスよ!)」
サオリ先生は、私が泣きそうになっているのに気づいたのか、慌てて膝をついて私の目を覗き込んだ。
そして、今まで見たこともないくらい「最高に楽しくて、キラキラしたものを見た」という、輝くような顔で言った。
「その王子様が、さっきの歌をリードしてたッス。
あの子なら、セレナちゃんの言葉も……きっと、言葉以上の何かだって、分かってくれそうな気がするッスよ!!」
……サオリ先生の言葉の半分も、今の私には理解できなかった。
けれど、先生が言った『Prince』という響きだけが、波紋のように私の心に広がった。
日本人の、王子様。
その瞬間。
真っ暗で、冷たくて、出口のない部屋の天井に、少しだけ……。
――ほんの少しだけ
本当に針の穴ほど小さな隙間ができて、そこから眩しい光が射し込んだ気がした……。
私の知っている言葉を、知らないはずの誰かが、あんなに格好良く歌っていた理由。
その人が、本当に私の壁を壊してくれる「王子様」なのだとしたら。
私は、震える手で自分の胸元をぎゅっと押さえた。
まだ会ったこともないその人のリズムが、耳の奥で、優しく、けれど力強く鳴り続けていた。
第8.5話をお読みいただき、ありがとうございました。
「ガイジン」「カエレ」……。
セレナちゃんが受けていた心の傷を描くのは、書いていてとても辛かったですが、タカシ君という『太陽』の輝きを際立たせるためには、どうしても避けて通れない部分でした。
彼女にとって、第6話でタカシ君たちが鳴らした「We Will Rock You」のリズムは、単なる騒ぎではなく、真っ暗な部屋に射し込んだ一筋の希望だったんですね。
サオリ先生が言った『Prince』という言葉に、彼女が何を重ねたのか。
「セレナちゃんを今すぐ抱きしめてあげたい!」
「タカシ君、早く彼女を救い出して!」
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