第12章:吾輩の筆は古いのか、それとも電子の筆が速すぎるのか
「――で、ですね先生。今の先生の勢いは本物です!」
新宿・歌舞伎町の喧騒から少し離れた、静かなカフェの一角。
アイスコーヒーの氷がカランと音を立てる中、大手出版社の若手編集者・佐伯は、目を輝かせながら身を乗り出した。
前日のX(旧Twitter)での「文豪バズ」から一晩。
金之助のもとに届いたスカウトDMの主こそ、この佐伯であった。
目の前に座る夏目金之助は、黒いスウェットの上にゆったりとした羽織を引っ掛け、アンバランスながらもどこか厳かな雰囲気を漂わせながら、じっとメニューを見つめている。
「佐伯君とやら。」
「はいっ!」
「この店には、例の……茶のほかに、かの甘美なる宝石箱は置かれておらんのか。」
「チョコあ〜んぱんですね? 残念ながらこの店は高級喫茶なんで置かれていないんですよ。代わりに特製のエクレアで手を打ってください」
「ふむ……。まあ、よい」
金之助は不満そうに髭を撫でながらも、フォークを手に取った。
佐伯はスマホを取り出し、画面を金之助の前に突き出す。
「冗談はさておき、先生。昨日のあの投稿、インプレッションがすでに数十万を超えてます。リプ欄も大盛り上がりです。『本物の漱石が現代に降臨した』って、ネットの文学クラスタが蜂の巣を突いたような騒ぎになってるんですよ」
金之助はエクレアを上品に一口食べ、ふうと息を吐いた。
「騒がしいことだ。明治の新聞だって、ここまで下世話ではなかったぞ」
「いや、褒め言葉ですよ! 現代の読者は、綺麗事に満ちた無難な文章には飽き飽きしてるんです。先生みたいに、文明の利器にボロクソ文句を言いながら、本質を突く文章に飢えているんです」
佐伯はスマホを引っ込め、真剣な表情に切り替えた。
「で、本題なんですけど……。うちのレーベルで、本格的にWeb連載をやりませんか? もちろん、のちには書籍化を視野に入れて」
「連載、とな」
「はい。SNSの140文字じゃなくて、しっかりとした長編を、カクヨムとかのWeb小説プラットフォーム、あるいはうちの特設サイトで公開するんです。PVやランキングで読者の反応がリアルタイムで分かる仕組みになってます」
金之助の動きがピタリと止まった。
PV。
ランキング。
そして、読者からのダイレクトな反応。
先日のSNSでのやり取りが脳裏をよぎる。
「古い」と嘲笑する声と、「AIには出せない」と熱狂する声。
そのどちらもが、かつての新聞連載における読者席のざわめきに酷似していた。
「……佐伯君。」
「はい?」
「君は、吾輩に何をかかせたいのだ。」
佐伯はニヤリと笑った。
「決まってますよ。――令和を生きる人間たちの、業と滑稽です。『吾輩は猫である』の現代版みたいなのを、先生の筆で描いてほしいんです」
金之助は目を細めた。
文明の利器に振り回され、AIに怯え、SNSの「草」に一喜一憂する現代人。
スマホという黒き板にしがみつき、魂をすり減らしている令和の猿ども。
それを描くことは、明治の文豪にとって、最高にして最大の娯楽かもしれない。
「……面白い。」
金之助はフッと鼻で笑った。
「いいだろう。この令和の世という大舞台、吾輩がもう一度、筆――いや、この光る板を叩き割る勢いで引っ掻き回してやろうではないか」
「本当ですか! ありがとうございます!」
佐伯が歓喜したその瞬間。
金之助のスマホが、再び無機質な音を立てて震えた。
画面には、佐伯とは別の、見慣れぬ通知。
【AIアシスタントからの提案:あなたの過去の文体を学習したプロットが生成されました】
金之助の手が止まる。
その画面を覗き込んだ佐伯が、何気なく言った。
「あ、これ最近流行りの生成AIです。先生の文体を学習させて、自動で小説を書かせるツールがあるんですよ。これがまた、人間より圧倒的に速くて、使いこなせば――」
金之助の瞳に、鋭い光が走った。
機械が、文章を書く。
己の魂の結晶であるはずの文体を、データとして模倣する。
いよいよ、この物語は「電子の文壇」から、さらなる深淵――人間とテクノロジーの境界線へと足を踏み入れようとしていた。




