09. エンドラの森 前編
「稽古は明日からだーー。俺はちょっとそこら辺歩き回ってくるから、今日はゆっくりしとけ……。明日からハードな練習メニューが待ってるから覚悟しとけよーー」
エドワードはそう言って、街へと出掛けていったーー。
そういえばこの領地に来て一ヶ月ーー特に領主としてやるべき問題を解決できていないなと思い、領民の要望書に目を通す。
「ふむふむ……魔物の被害が広がっていて騎士団が対処してくれない……、街道が不安定で大きな町からの輸入品が入ってきづらくなってきている……治水工事が途中までしか進んでおらず、田畑の農作物の出来高があまり良くない……なんか、地方ならではの生々しさが激しいなーー」
「大抵はこういうものですよーー坊ちゃまーー」
頭を悩ませながら、いつくもある中からどれを先に対処するかを考えさせられる……が、やはり急を要する物が最優先だろうーー。
「魔物の討伐ーーか。最近は夜間になるとウォーウルフが出没するんだっけ?」
「ええーー、あやつらは狡猾で人里離れた村や田畑を襲う習性があります。肉食でありながら雑食なのがまた悩みのタネですな〜。この辺りに、冒険者ギルドでもあればよいのですがーー」
冒険者ギルドーー。魔物の討伐や薬草の採取、鉱石の採掘や素材の売買など個人で多種多様な依頼ができる国際連合組織である。
ランクはE級、D級、C級、B級、A級、S級に分かれており、依頼の達成具合や登録時の測定数値によってそのランクが決まる。
特に、S級は上限がない為、冒険者の間柄ではS級下位やS級上位など口コミの評判によって分かれてたりもする……。
わかりやすく基準を設けるならーー、S級上位は〝帝〟の称号を持つ者ーーエドワード等が相当するだろう。
「…………冒険者ギルドはここには創れないのか?」
クロノの問いかけに、アーモンドが渋い顔をする。
「……できなくはありませんがーーやめておいた方がよいでしょうな……。冒険者ギルドは国際組織ではありますが、金勘定についてはギルドごとに一任されております。つまりーー、統括する者がその一切を任せられる経営手腕を持つ者がクランマスターにならねばなりませぬ。……何より、冒険者ギルドには相応の実力者があって初めてその体勢が機能するというものですーー。今はそのどちらも足りていないですなーー」
それはつまりーー、ここには冒険者ギルドを創るだけの資金も人材も足りていないーーという事だろう。
「なるほどな……それじゃあ真面目にコツコツと、一つづつ片付けて行くしかないなーー」
クロノは外出用のコートを羽織り、玄関のドアを開ける。
「クロノ様ーーどちらへ?」
「……決まってるだろうーー。〝狩りの時間〟だーー」
……………………。
領主屋敷から少し離れた林並木がある所。
ここは〝エンドラの森〟と呼ばれており、魔物の出現する頻度も多いことから領民からは避けられた地でもあったーー。
「いたーー。あれか……」
ウォーウルフは夜間に活発になる夜行性の魔物だ。
つまりーー、昼の今は奴らにとっては夜襲ならぬ昼襲をかけられるも同然だーー。
「寝込みを襲うってーー本当おれ、領主かーー?これじゃあ丸で盗賊じゃないかーー」
しかし、そんな甘っちょろい事を言っていられない。
無害ならいざ知らず田畑を荒らす危険な魔物だ。しっかりと狩っておかねば領民の食料が減る事になりーーひいては租税が減る要因にも繋がるのだ。
「ここにいるのはひぃ……ふぅ……みぃ……全部で十五匹かーー。魔物相手でもレベルは上がるのかな?」
結果ーーアーモンドとの訓練もエドワードとの試験もレベルは上がらなかったーー。敵を殺す事が条件になるのか、はたまた別の要因が絡んでくるのかーーこの魔物の量は実験するにはちょうど良いーー。
かつてシェリカに送ってもらった短剣を片手に、単身ウォーウルフの群れへと突き進む。
がーーしかし、
「ダメェェェッ!!」
「うわっ!何っ!?ーーって、プルシュスカ……何やってるんだよここで?」
急に草の茂みから姿を現したプルシュスカが、大声をあげてクロノの特攻を静止する。
「ご主人様っーー!!……あの子たち、そんなに悪い魔物じゃ無いよ……見逃してあげて!!」
プルシュスカが半泣きになりながら、クロノの裾を掴んでお願いする。
「でもなぁ……実際に領地に被害が出ているし……このまま放っておくのもーー」
とーー、クロノがどうするか悩んでいると、プルシュスカが何やら思いついた様子で耳をぴーんと立てる。
「そうだ!ご主人様っ……見てて!!あおう〜ん!!」
「ちょっーー何やってーー」
プルシュスカが吠えるや否や、ウォーウルフの群れが目を覚ましてこちらへと走り出す。
「だぁぁぁぁっ!!あいつら起きちゃったじゃないか!?……どうするんだよ!」
「待って、見ててーー」
いつになく頼もしい姿のプルシュスカが、クロノより一歩前へ出てウォーウルフの侵攻を食い止めようとする。
そしてーー
「アウォーーン!アオーーーン!ーー」
プルシュスカがウォーウルフに向かって吠え出す。
するとどうした事か、ウォーウルフも揃ってプルシュスカに向かって吠え出したのだ。
「……この子たち、お腹が空いてたんだってーー。なんだかね、とっても凶悪な魔物に追い立てられてこの地に流れ着いたみたいで……ねぇ、ご主人様ーーこの子たちどうしたらいいかな?」
うるうるとした瞳で上目遣いのプルシュスカ。
(な……なんだよコイツーーいつの間にそんな色仕掛けみたいなものを覚えてきたんだーー)
シェリカを彷彿とさせる、人をドキッとさせるような仕草でおねだりをするプルシュスカに、クロノは一瞬悩み込む。
しばらくお互い顔を見つめ合った結果ーークロノが根負けした。
「はぁ〜……わかった。わかったよ。どうにか対応を考えるから、とりあえず人や田畑を襲うのだけはやめさせるように言ってくれーー」
ぱぁあっと顔が明るくなるプルシュスカ。
クロノの手をぎゅっと握りながら尻尾をブンブン振って喜びをあらわにする。
「ありがとう〜ご主人様っ!!わかった!この子達には人や田畑を襲っちゃ駄目だって伝えたらいいんだね!!任せてよ!」
僅か一ヶ月でずいぶん頼もしくなったものだと、感心するクロノ。
いや、そんなことよりも気になる事がーー
「プルシュスカ……魔物と会話できるのか?」
先程の魔物とのコミュニケーションは、まるで会話をしているようだった。
「ん?うん!わたし、同じ亜人系統の魔物だったら吠えておしゃべりできるよっ!」
なんと……プルシュスカの意外な特技を発見する。
「へぇ〜。プルシュスカはすごいな〜」
(俺も《言語翻訳》のスキルがあるから……もしかしたら魔物と会話できるかもな……?)
よしよし、とプルシュスカのもふもふ耳を撫でて褒めちぎるクロノ。それに甘えて気持ちよさそうにするプルシュスカだったがーー
「しかし問題はーー」
ウォーウルフの群れは、何かに追われてこの地に辿り着いてきたと報告書にはあった。プルシュスカが言っていたウォーウルフの証言もあるし、間違いは無いだろうーー。
つまりーーこの近辺にはウォーウルフよりも厄介な魔物がいるかもしれないということだ。
「……なぁ、プルシュスカ。ウォーウルフにこの辺で強力な魔物に遭遇しなかったか聞いたりできるかーー?」
先程から何やらウォーウルフに指示のようなものを飛ばしているプルシュスカにクロノが問いかける。
「う〜ん……難しい会話はまだできるかわからないけど……やってみるねーー」
「ああっ、頼むーー」
とーー、ウォーウルフの元へと向かおうとプルシュスカが背を向けた瞬間ーー茂みの中から〝何か〟が姿を現す。
「っーー!!危ない、プルシュスカ!!」
「っーー!!」
……………………。
「いや〜、結構大量に仕入れたなぁ〜」
廃材やら何やらずいぶんと大量の物資を背負い込んで、屋敷へと戻るエドワードの姿が。
「明日からの鍛錬のメニュー……クロノにはちっと厳しいものになるかもなぁ〜。ハァ…………昔を思い出すなぁ〜」
くっく、と含み笑いをしながら、過去の自身の体験談を思い出してため息を吐くエドワード。
その表情はどこか嬉しそうで、色褪せない思い出に浸っているような様子だったーー。
「ん?どうしたってんだい……?」
何やら騒がしい様子の屋敷に、疑問を浮かべるエドワード。
「む……?ああ、帰ってきたかエドワードーー」
「アーモンド、一体こりゃあーー」
屋敷には街の住民は数十人集まって話をしていたーー。
中には武装した者もいるーーいわゆる、街の自警団のようなものだろうかーー?
「お坊ちゃまとプルシュスカがまだ帰ってこないーーもしかすると、何かあったのやもしれませぬ……考えたくはありませんが、報告書の中にあったーー〝これ〟の仕業やもしれませんなーー」
一枚の人相書きらしきものを受け取るエドワード。その瞬間ーーエドワードの表情が一変した。
「っーーこいつは!!」
……………………。
「危ないっ!プルシュスカーー!!」
バッーーと地を蹴り、すんでのところでプルシュスカを抱き留めて回避するクロノ。
「危なかった〜……怪我はないか、プルシュスカ?」
「は……はい、ご主人様。ありがとう……」
頬を赤らめながら、礼を言うプルシュスカ。
しかし、事態はそんなに悠長な事をしている場合ではなかったーー。
「…………まさか、本当にここにいたなんてなーー〝ジャイアントスネーク〟っーー!!」
キシャアアアッ!と威嚇する巨大なヘビの姿がーーそこにはあった。
その全長三十メートルはあるだろうかーー?
全身を白い鱗で身を包んだその〝ヘビ〟の魔物は、鋭い視線をクロノへと向ける。
「ひぃっ!?……ヘビ…………」
ヘビに対しての苦手意識があるのか、戸惑いを見せるプルシュスカ。
無理も無い……大の大人ですらーーそれこそ、パーティーを組んだいっぱしの冒険者ですら、やっとの思いで討伐できる代物だーー。
それを目の前に対峙する恐怖は並ではない。
(俺に勝てるかどうか…………もしやられたら、プルシュスカも危なくなるーー)
「プルシュスカっ!今すぐにこの場を離れてーー屋敷へと戻ってこの事をアーモンドに伝えてくれ!」
クロノの言葉が耳に入らないのか、混乱して動けないプルシュスカ。
「あわ……あわわ……大きなーーヘビ」
どうやら見た目以上に深刻な様子らしい。
「プルシュスカっ!!」
「っーーは、はいっ!!」
初めてクロノが大声で呼びつける事に、びっくりして耳をピーンと立てるプルシュスカ。
縮こまった様子のプルシュスカは、未だ恐怖の色を顔に滲ませている。
「…………頼む、巻き込まれるかもしれないから離れてくれーー」
「っーー!!……ご主人、様ーー」
プルシュスカは瞬時に察知した。
クロノと初めて会った日ーー公園の広場で見せたあの時と同じ顔をしている事にーー。
同時に嫌な予感が頭の中を過ぎ去るーー。〝死ぬんじゃないか〟ーーと。
「嫌だよ……ご主人様……死なないでーー」
内心ぐちゃぐちゃのプルシュスカが、必死で声を振り絞る。
相手はジャイアントスネーク。とてもじゃないが、子供のクロノが勝てる相手では無い……。
今ここにクロノを置いていけば、この先二度と会えなくなるかもしれない……。
「フッーー安心しろ。死にに行くくらいなら、さっさと逃げてる……。行けーー」
「っーー!!」
その言葉を皮切りに、クロノとジャイアントスネークから背を向けるプルシュスカ。
その思いはただ一つ。今自分がどれだけクロノの足を引っ張っているかを察知した為だったーー。
(ははっ……本当はコイツを狩りに来たんだけどーー予想以上にキツそうだわ……これ)
しかし、クロノの瞳からは以前の恐怖だけでは無い。挑戦にも似たーー格上を相手にした命を賭けた緊張感の色がある。
(さっきは俺が睨み聞かせてたからなんとかなったけど……今俺が背を向けたらこっちがガブリだろうなーー)
手から握るナイフに、汗が滲み出る。
準備は足りていないーー装備も人材も圧倒的に不足しているーー。
それでも、〝領主〟なら引くわけにはいかないーー!!
「さぁ……〝狩り〟の時間だーー!!」
……………………。
(ご主人様が死んじゃうご主人様が死んじゃうご主人様が死んじゃうっーー!!ご主人様っーー!!)
「ーー痛っ!!」
ドテッーーゴロゴロゴロゴロと、石に躓き転がるプルシュスカ。
その膝からは血を垂れ流していた。
「痛たたた……このくらいなんて事ーー痛っ!」
痛みでとっさにうずくまるプルシュスカ。
その目からは、涙が溢れてポロポロと滴っていたーー。
「ご主人様ぁ〜…………」
プルシュスカは、思い出す。
僅か一ヶ月前ーーそれでも、自分の運命が変わったーー人生で最も深く刻まれているあの日の事ーー。
(初めて会った時は……とても怖かった。人間……私たち亜人を差別する人たち。私たちの故郷を焼き払った人たち。私たちの仲間をーー大勢殺した人たち。怖くて怖くて、ただ泣きじゃくるしかできなかったーー。前の人達と同じように、私の事をただ飼い慣らすだけで、こんな地獄を永遠と生かされると思うと……怖くて怖くて仕方がなかったーー)
ポロポロ、と涙が滴る。
その無力さたるや、ただ地に生えている雑草を握りしめて己の弱さに嫌悪する。
(でもご主人様は違ったーー治らない病持ちの私を……死ぬ事が決まっていた私を……ご主人様はボロボロになりながら助けてくれた。前に怖いのに会った時は、頭を撫でて守ってくれた。おいしいご飯をくれた。あったかいお部屋をくれた。いろんな事を教えてくれた。いろんな人に会わせてくれた。私を……傍に置いてくれたーー)
「…………私、従者失格だーー」
蹲ってポロポロと流れる涙を拭う。
一息ついてプルシュスカは決意したーー。
「私も戦う……今度は、私がご主人様に恩返しするんだーー」
……………………。
カキンッーー!
「うわぁっ!」
ジャイアントスネークの尻尾の薙ぎ払いを、ナイフ一本で受け止めーー吹き飛ばされる。
ゴロッゴロッと転がり、一瞬で体勢を立て直す。
グワアアアアッ!と自身をかぶりつこうとするジャイアントスネークをギリギリまで誘導し、木々へ突進させて、隙を突いてその鱗にナイフを突き立てる。
キィィィィィンッ!!
甲高い音が、林の中を響き渡る。
「チッーー!!刃が通らない……!狙うなら奴の目玉か……頭。それ以外はこのナイフじゃ鱗を貫通しそうにないなーー」
全てのステータスが子供よりちょっと強いくらいのクロノには、ジャイアントスネークに対処する術が無い。
唯一対抗できる手札は二枚ーー《未来眼》と《隠密》だ。
(勝算はかなり小さいけど……せめて動けなくすれば《隠密》でこの場を切り抜ける時間くらいは稼げる……でもーー)
このジャイアントスネークが今いるのは《エンドラ領》だ。
すなわち、領民がこの脅威に怯え、被害を受けながらこれから先暮らしていかなければならない事になるーー。
その判断はーー〝領主としては失格〟だーー。
「ヘッーー考えるより体を動かせ……か。《隠密》ーー!!」
クロノの気配が朦朧とし、消え去る。
シュルルルルルルッ!?と驚きを露わにするジャイアントスネーク。
クロノはその一瞬を見逃さない。
グサッーー!!
『キシャアアアアアアッ!!』
ジャイアントスネークの左目をナイフで突き刺したクロノは、その場から離脱するーーが、しかし。
「あれっ!?ーーしまったーー」
何故か、不意に《隠密》状態が解除される。
左目を潰されたジャイアントスネークの殺意が、不意に目の前に現れた存在に向くのは必然だった。
キシャアアアッ!と大声で威嚇してクロノを攻撃するジャイアントスネーク。
(そうか……スキルレベルが低いと持続時間が持たないんだーーまだ俺は長時間このスキルを使える程、練度を上げてないーー)
苦い顔をするクロノだが、時すでに遅し。
完全に威嚇状態のジャイアントスネークの牙が、クロノへと向かう。
(くそっ……このままじゃまずい。一体どうしたらーー!?)




