番外編《シェリカ・イザレア・セントルイス》
わたしには生まれた時からの記憶があるーー。
わたしの一番古い記憶は……燃えるような赤い髪をした少女ーーアメリア・イザレア・セントルイス。つまりわたしのお姉ちゃんが……生まれたばかりのわたしを抱き上げた時の事だった……。
わたしはいわゆる〝特異体質〟らしく、一歳になった頃には普通に本を読んだり読み書きができ、三人以上の話を同時に理解して対話できる頭の良さが評判を呼んだのか、二歳の頃には貴族のパーティーでよく出席していたーー。
どうやら貴族のお偉方のおじさん達はよく父に、わたしを許嫁として取り合う政治的な話を持ちかけていたらしいーー。
でもわたしには……憧れ、慕い、恋している人がいたーー。
「あんたってシユウの事嫌いだったでしょう?…一体何があったのよー?」
昼下がりの午後、食後の紅茶を嗜みながら姉・アメリアが問いかける。
「そうですか〜?そんな事ありませんよ〜……それより、お姉ちゃんの方がシユウさんに冷たくしてたじゃないですか……」
「ちょっーー!あんた、それはもう過ぎた事だから言わない約束でしょーー!」
相変わらず姉の取り乱す姿が愛らしいのか、からかいがいがあるのか、シェリカはクスッと含み笑いをして軽く流す。
「そうですね…………シユウさん、花をくれたんですーー」
「花?」
紅茶をコトリーー、と起きながらシェリカはゆっくりと口を開く。
「仕方ないですね……それじゃあお話ししますね。シユウさんと過ごした……ある晩の出来事をーー。」
二年前ーー。
「いやあ〜、さすがはシェリカ殿。僅か四歳という年齢でありながら戦略囲碁でわたしを負かすとはーー。将来が楽しみな逸材でありますな!」
上機嫌な老紳士が、顎の髭をなぞりながら対面するわたしに称賛の賛辞を送る。
わたしは退屈だーー。〝わざと負けるような戦い〟に勝っても……得るものなんて無いのだから……。
「ありがとうございます♪」
しかし、それを対外的に出す事はしない。
私は貴族令嬢だから、評判を下げるような振る舞いをしてはいけない……。父や母に期待されているけど、正直政治には全くもって興味が無いーー。
つつましく、お姉ちゃんと一緒に楽しく過ごせれば……それでいい。それでいいのです。
でも……最近わたしからお姉ちゃんを奪った悪い男がいる……。ずっと隣にいるのはわたしだったのに……いつの間にかわたしの居場所は、あの男の居場所になっていたーー。
「シユウ〜♪さぁ、今日は山へピクニックに行くわよ!!さっさと来なさい!!」
「そう言って……またボクに荷物持ちをさせる腹づもりなんじゃ無いですか……?この前川に水浴びへ行った時も足がつったアメリアさんを背負って帰るの大変だったんですから…………あ、シェリカさん。おはようございますーー」
何か言った?とゲンコツを叩き込むお姉ちゃんの動きをまるで読んでいたかのようにかわしている。
半年前、お姉ちゃんの許嫁になったこの男ーーシユウ・ヴィ・ランスロット。他の貴族家からは〝痣持ち〟と呼ばれているこの人はわたしにとっては敵……。絶対に気を許してはならないーー。
「〝厄災〟をお姉ちゃんにーー私たちの家に近づけちゃいけないーー。みんなはわたしが守なくちゃ……」
「ーー?何か言った?シェリカさんーー」
「っーー!……いえ……何でもありません♪」
三日後ーー。
「ふふんふんふふ〜ん♪」
「ご機嫌だね、お姉ちゃん。何かあったの?」
ジュースをストローでちゅぅ〜、と吸い上げながらお姉ちゃんは鼻歌を歌っている。こんなに上機嫌な姉を見るのはずいぶん久しぶりだ……。
「わかる〜?この前シユウから誕生日プレゼントだってこれもらったのっ!」
手を差し出して見せてもらったそれは、質の悪い宝石に安物の紐を通して作った出来の悪いネックレスだった。
「……これを、もらったの?」
でもそれを姉はーーとても満足そうに笑顔で答える。
「うんっ!だってこれ、シユウの手作り何だもん!」
「…………へぇ〜」
それが確かなら、五歳児にしてはなかなか出来た物なのだろうーー。それでもやはり、宝石商からしっかりしたものを取り立てて送った方が喜んだはずだ。少なくとも私なら、不細工な出来の自作品を送るよりそちらを選ぶ。
でも何故かわたしはーーほんの少しだけ、理解した。
納得はしていない……でも、この姉の笑顔を見る限りはこれが、姉にとっての百点満点なのだろうーーと。
二週間後ーー。
ホウホウ、とフクロウの鳴き声が夜の庭に響き渡る。明日は満月の夜。全て万事抜かりは無し。一年かけて育ててきた。準備は整ったーー。
「明日の日を跨げばーーお母さんの誕生日。」
きっと問題なんて無いのだろうーーそんな甘い見通しが、わたしに経験の幼さを教える事とは夢にも思わなかったーー。
翌日ーー。
「そろそろ月が満ちる頃合いですね。……シェリカさん、この度は本当にありがとうございますーー」
「いえ、大丈夫ですよ♪シユウさんがお母様であるミーリア様に、この花の種を仕入れてくださったからこうやって採取できる訳ですし……これくらい」
今日は待ちに待った満月の夜。舞台は《セントルイス家》の庭園。種の採取に協力してくれたお礼として、シユウさんも花の採取に同行していた。
「ところで……どうしても今日じゃ無いとダメなんですか?何か視線を感じますし……妙に嫌な予感がするのですがーー」
どこか不安げにーーわたしの顔を見つめている。
しかし、決行に変更は無いーー。
「はい。この『ツキノハナ』は満月の夜に、一、二時間しか咲きません。……それ以降は枯れてしまうので、今日採取しましょう」
「……そっか、でも何だか今日は魔物が出そうな予感がするから注意しておこうーー」
「はい!念の為に巡回の警備も増やしてもらいましたし……問題はないかと」
多少表情が和らぐけれど……それでもどこか張り詰めた顔をしている。
(確かにツキノハナは本来ーー魔大陸にしか咲かない種類……。それ故に、魔素を浴びた花に釣られて魔物を引き寄せる事があるって聞いたけど…………そんなに魔素を感じるのでしょうか?)
心配性なのかと、心の中で若干呆れてしまう。
公爵家の人間なのに、こんな腰の低い人は初めて見る。
しかしーーそんなわたしの想定とは裏腹に、事態は深刻化して行くのだったーー。
「て、敵襲!敵襲です!魔物が現れました!!お嬢様っご避難をーーぎゃああ!!」
「えっーーちょっと待って……嘘でしょ!?」
数匹の狼の魔物が、護衛を振り切ってこちらへと突進してくる。
(あ……ああ、嫌……やめて来ないでーー)
初めて間近で姿を捉える魔物に、足がすくんで動かない。このままじゃあやられるーー殺される!!
「危ないっーー!!」
「きゃっ!!」
間一髪のところを、シユウに助けられて命拾いするシェリカ。
「大丈夫ですかお嬢様!?」
「……え、ええ。わたしは何とかーーありがとうございます、シユウさん」
間一髪。もしこの人がいなければ今頃わたしは、あの狼に噛み殺されていたかもしれない……。そう考えると、再び恐怖で足がすくむ。
「見てください、あれーー」
「えっ……?はっーーそんな!!」
見ればツキノハナは、魔物の群れに食い荒らされ始めていた。
ガルルルルゥゥッ!と狼同士で喧嘩しながら、花を次から次へと食い荒らしていく。
「だめっ!それはお母さんのだから……食べちゃダメ!!」
「っーー!ダメです行っちゃあ!!」
がしっーーとシユウに腕を掴まれ、シェリカはその場に立ち尽くす。
「離してくださいっ!!……あれはお母さんの……大事な…………一年間……育てた…花なのに……………………」
ポロッーーと、頬を涙が伝って溢れる。
きっとシェリカはずっとこの日を楽しみにしていたのだろうーー。そう思うと、シユウはとてもやるせない気持ちになった……。
「……それでも、駄目です。もしシェリカさんに何かあったら、アメリアもエリカさんも悲しみます!!……悔しいですがーー」
「うっーーうわあああああああああんっ!!」
この日初めてーーわたしは声をあげて泣いた……。
…………。
「あんたばっかじゃないの!?……花なんてまた来年育てればいいじゃない!!」
部屋に戻るや否や、事情を聞きつけシェリカを叱るアメリア。
普段はしっかりしているシェリカだったから、アメリアが妹を怒るのはとても珍しい事なのだろう。
「…………本当にすみません」
意気消沈したシェリカは、俯いたまま静かに謝罪する。
「全く……あんたも、巻き込んで悪かったわね。シェリカ、もうすぐでママの誕生日だからプレゼントは別のを用意しておきなさい。ケーキとかそういうのは、わたしがやっといてあげるからーー」
「……はい、わかりました。お姉ちゃん……」
バタンッ、とドアが閉まったと共にシェリカの目に再び涙が溢れる。
「……シェリカさん、もしかしたら無事な花があるかもしれませんからもう一度見に行ってみませんか?」
「……………………はい」
魔物は護衛の人たちによってあらかた掃討されていたーー。
しかしーー
「やっぱり、全滅ですねーー」
改めて見るボロボロに散り去った花の数々。探さずともわかる。
残っている花はーー無い。
見るに絶えず、力無くとぼとぼーーとシェリカが屋敷へと帰ろうとしたーーその時だった。
「シェリカさんーー」
ゆっくりと、泣き腫らしたシェリカが振り返ったそこにあったのは……一輪の花だった。
「はいっ。どうぞ。」
「……………………え、これってーー?」
ツキノハナ。白い花ビラの中心は黄色く、一輪だがとても妖艶な魅力を持った花だった。
「…………どうして?これ、何でーー?」
「その…………実はシェリカさんを助けた直後、たまたま手元に咲いてたから咄嗟にーー。運がついてて良かったです」
シユウからツキノハナを受け取るシェリカ。
ふるふる、と再び彼女の頬に涙が伝う。
「す、ーーすみません!……やっぱり一輪じゃ足りなかったですよね!?本当にすみまーー」
ぱしっーーと、シユウの両手を包み込むように手を取るシェリカ。
「……本当に……本当に、ありがとうございます!……シユウさんーー」
不意の笑顔に、ドキッとするシユウ。四歳とは思えない大人びたシェリカの言葉は、少し刺激が強かったようだ。
「どう……いたしましてーーははっ」
ぽりぽり、と頬をかく。
シェリカはその様子を見て、少し不安げにおずおずと尋ねる。
「それよりーーその……シユウさん、せっかく待ってくださったのにお花ダメにしてしまったのに……いいんですか?」
一瞬……彼女の言葉に戸惑うシユウ。
しかしーー
「別にいいよ。シェリカの方がずっと楽しみにしてただろう?……ボクはまた今度でも大丈夫だからさ。また一緒に育てるの手伝ってくれるかい?」
その言葉を聞いて、シェリカは満面の笑顔を浮かべる。
「はいっーーぜひ!これからもよろしくお願いします!!シユウさんーー」
(この人は〝厄災〟なんかじゃない……。少なくとも、私たちにとってはーー)
月明かりの中、一輪の花を抱いて微笑む少女。その姿は何故か、シユウには面白おかしく見えたーー。
「ふふっ、なんだか今のシェリカってば花より満面の笑顔だよっ」
「っ〜〜!!」
……………………。
「そうしてお母さんに無事お花も渡せてめでたしめでたしでしたーーと。ん?お姉ちゃんどうしたんですか……?」
シェリカの話を聞いて、若干ドン引きのアメリアが。
「…………え、あいつ最後そんな事言ったの?『花より満面の笑顔』って……?」
「……?はい、そうですがーー」
沈黙がーー訪れる。
しかし数秒後、笑いを堪えきれなくなったアメリアが、ついに爆発した。
「あっははははははははは!!クッサ〜!めっちゃクッサ〜!!そんなセリフ今時口説き文句で使う奴居ないわよっ!!あははっーーあ〜待って、すっごい、お腹しんどい……あはははっ、はぁ〜」
「ちょっとお姉ちゃん!!シユウさんが真剣にわたしを想って言ってくれたんだから笑わないでよ〜!もうっ……!!」
「いやっ、それは無理っーー」
(シユウさん……。わたしは正直、ーー最初はあなたの事が嫌いでした。〝お姉ちゃんを盗った〟ーーなんて幼稚な理由で、です。でもあの日ーーシユウさんはわたしの命を助けてくれました。わたしに花をくれました。世界の誰が何と言おうとーーわたしはずっとあなたを想っています。だからまた、必ず会いに行きます。どこに行ってしまってもーーそれが辺境の土地でも必ずあなたの元に行って、力になってみせます……。だからもう少しだけ、待ってくださいーー。)
「シユウさん……あなたは私の…………初恋の人です。だからいつか……あなたのお傍にいさせてくださいねーー」




