第88話 ~後始末~
かの騒動から時も過ぎ、いよいよ王都も独立記念日に向けて、王都全体も賑わいも増してきた頃だ。
荒れてしまった中央広場は、応急処置気味に均された形になったが、独立記念日が過ぎた後、きっちり時間をかけて綺麗にされていくだろう。
どうせ祭日の当日は、数多くの人の往来と、出店と活気に満ち溢れる中央広場だ。地面が平坦でさえあれば、周りが適当に飾って盛り上げて、誰も荒っぽい足元など気にすまい。
記念日当日、店を出す者や催しを企画している者らは、王都外からもそろそろ訪れ始め、使わせてもらう区画の確認や抽選、あるいはその為に支払うものを渡すためなり、王都に来る人は急増中だ。
宿がどこもパンパンで予約が溢れるほど、夜は酒場で時間を潰すから日中だけでも泊めて欲しいと、やや強引な宿の確保に妥協する者も多い。
それだけ、祭に関わる人が多く溢れた王都となれば、勿論セプトリア城もてんてこまいだ。
大きな催し事の直前には、役所が手続きで忙しくなることは想像しやすいが、城がその役割を担っているセプトリア王国の城は、いよいよ多忙に追われる日々に突入した。
言い換えればこれこそが、年間最大の祭事を目前に迎えた、幸せな忙しさというやつでもある。
「おっと、お待ちしておりました。聖騎士シリカ様」
「やめて下さい。今すぐ敬語をはずして下さい」
普段は落ち着いて静かなセプトリア城が、今日も明日以降もどたばたと、繁盛する大型商店内のように忙しない。
そんな折に城を訪れたシリカだったが、糞忙しい中でもちゃんとシリカを待合室に案内してくれる兵士がいて、シリカはそこで待ち合わせをしていた人物と顔を合わせる。
この好待遇は、やはり先日の成果による部分も大きそうだ。
「ですが、今は貴女が私よりも階級が上で……」
「じゃあ命令します、敬語はやめて下さい。やめて頂けないなら一切口を利きません」
シリカよりも年下の騎士は、もう露骨なほど嫌そうな顔をするシリカを前に、くすくす笑っている。
今日はやや正装、軽鎧を身に付け鋼のブーツも履き、軽装の戦士程度の出で立ちをした彼は、かつてシリカの直接的な上官でもあった青年だ。
彼はもう過去の傷を遠因に戦線を退いた身で、その後も凄まじい速度で出世していったシリカよりも、騎士として下の階級になっているのだが、シリカからすればそうではなく昔からの先輩。
今でも変わらず尊敬している年上の騎士様に、階級差が変わったからって敬語を使われるのは、シリカにすれば気持ち悪くてしょうがない。
「わかったわかった、普通に話すよ。これでいい?」
「それでいいんですってば。もうこのくだり、何回目ですか」
こういうシリカの性格を知っていながら、とりあえず顔を合わせれば敬語を使ってくるのは、挨拶代わりに後輩シリカをいじっているだけだ。良い関係だから、可愛がっていると言い換えてもいいが。
もう三十路を過ぎているのに、若い顔に似合っていたずら好き、冗談が好きでかなりフランクな上司様である。
現在は騎士団の参謀職に招かれただけあって、名高く偉大な騎士様の一人には違いないのだが、彼の軽い語り口を聞いて、そうだと思える人は少ないだろう。
今日もどうせ、ちゃんと仕事でエレムからセプトリア王国に訪れた名目ではあるも、しばらく街見を楽しんでから帰ろうと、旅行気分も孕んでおられるに違いない。そんな性格の人である。
「えーじゃあとりあえず、君達の処遇について決める前に、いくつか確認させてね。
いっそ書面のみの報告からでもよかったんだけど、せっかく来たから一応細かくいくよ」
「はい」
この青年騎士様は、セプトリア王国で派兵業に勤しむユース、ひいてはシリカに対する目付け役のようなもの。
此度はユース達が、形の上ではセプトリア王国の女王様に真っ向から刃向かった形になったので、それに対する処遇についての宣告をしに参じた次第である。
事務的な入りにして、この語り口の軽さ、重たい決定の予感は全くないが、ちょっとだけシリカは緊張している。万一は無いと思うけどなぁ……ぐらいには、シリカも思っているが。
「先んじてナナリー女王様からは、ベリリアルの霊魂に肉体を乗っ取られた言質を得た。
厳密には大臣ダウィラス様を介してだけど、まあ公式声明と捉えていいだろうね。
というわけで君達は、女王ナナリー様に刃向かったのではなく、ベリリアルの悪政を食い止めたと判断できる」
「…………」
「そんなわけだから、今回君達に騎士団が何らかの処分を下す筋合いは無いね。
問題行動なし。むしろ、騎士団に報告すれば賞賛を得られるんじゃないかな」
「ほっ……そうですか」
「あ、君だけじゃなく、ユース君もね」
「あ……や、ま、まあ……妥当ですよね」
処分なしと聞いたらほっとした顔、ユースも評価されると言質を頂いた瞬間目が輝きかける、そんなシリカ。
咄嗟に隠し切れず、すぐに冷静な無表情を作ったシリカだが、ユースが評価されるとはっきり聞けた瞬間のあの嬉しそうな顔、青年騎士様から見たら面白くてしょうがない。
ずっとシリカとユースのことを見ている青年騎士様ではないから、恋心にまで育っているとまで確信するのは難しいが、それでもシリカがユースのことを、超可愛い後輩だと認識しているのは知っているので。
「で、どうする? 辞表、取り消す?」
「はいお願いします、どうかよろしくお願いします」
「どうしよっかなぁ」
「お願いですから。何も問題なかったのならいいでしょ?」
青年騎士様はうふうふ笑って、君の命運は僕の手にあるんだぞとちらつかせる。
慣れた掛け合いだしシリカも苦笑いだが、ちょっと勘弁して欲しい。本気で心配だったのだから。
ユースらが、ナナリーによるニトロの処刑を食い止めると決断したあの時は、まだナナリーにベリリアルの魂が取り憑いていることなんか知らなかった。
要するにシリカ達はあの時点、はっきりと"ナナリーに"刃向かう決断で動いたのだ。
今回は顛末がああだったから、シリカ達の決断は正解であったと支持されるが、もしも巡りや展開が違えば、たいへん話がこじれていた可能性が高い。
ユースもシリカもはっきりと、セプトリア王国の女王様に逆らった騎士、という汚名をひっかぶることになる。
決断した以上、そうなることを覚悟したシリカは、作戦決行の朝、消印有効の形で騎士団宛に辞表入りの封書を送っておいたのだった。ちなみに、ユースのぶんも勝手に。
こうしておくと、シリカとユースがセプトリア王国に反逆した大罪人、となったって、その前に騎士団をやめている二人なので、騎士団に監督不行き届きの責任がはっきり飛ばないのである。
勿論、世間的な常識として批難の対象にはなるかもしれないが、厳密な意味で無関係にしておくことは、法が絡んだ時に意外なほど響いてくる。
望みどおりに事が運ぶかどうかはさておき、シリカの判断は、自分達の行動が、自分達の所属する騎士団に最大限迷惑がかからなように配慮した、不要ではないものだったと断定できる。
本人の承諾も得ずにユースの辞表も送っていることも、どうかと言えば、後々のことを考えれば間違った判断ではないだろう。
承諾を得に行っていたら、あの神経質な夜と朝に、ユースの集中力を阻害する弊害も生じる。
大一番を迎えていたあの日、そちらの方が余程得策ではあるまい。
さて、とはいえ上手くいくなら辞表なんか受理して欲しくないシリカ。
辞表に同封し、こうこうこういう理由でナナリー様に逆らいますので、辞表と消印だけをそちらの手元に確保しておいて、決断だけは待って下さいという手紙も。
シリカとしては、まさかベリリアルがああいうことになっているとは思っていなかったし、十中八九騎士団との別れは覚悟していたが、一縷の希望を懸けてそういうことだってする。
そりゃあ本音を言えば辞めたくないのだし。シリカはもうこの年で、騎士団に生涯仕えることを心に決めているぐらい、騎士団一筋の女傑さんである。
「ちなみにあの辞表、僕とナトーム様しか見てないよ。握り潰せるよ」
「握り潰して燃やして下さい。なかったことに……」
「タダで?」
「えーっと……」
「こういう時は何て言うんだっけ?」
「あー、えー……」
いじわるされるシリカであった。
青年騎士様、久しぶりに後輩のシリカと顔を合わせたこの機会、楽しんでおられるようだ。
にこにこしながらそう言ってくる向こう、悪意など無いのはわかるが、求められている言葉を口にするのはやはり抵抗があるというか。
この人からこういうフリが入ったばあい、正解である、とある言葉以外では、絶対に首を縦に振って貰えない。
「な……なんでも、しま、す?」
「何でもするんだね?
ふふふ、覚悟できてるんだね?」
「むむむむ……お、お手柔らかにお願いしますよ?」
何でもするって約束しても、そんなひどい要求をしてくる人ではないのでそこは安心。
ただ、ちょっと辱められるというか。普段はシリカが敬遠しているような、街娘の姿に扮しての潜入捜査を任せられるとか、みんなの前で歌ってみせろとか。
この青年騎士様は、ちょっとシリカに貸しを作ったら、必ず"何でもします"の言質を取って、普段の彼女がやらないようなことを強いてくるのである。
あぁ、今回は何をやらされるんだろうと、シリカはちょっと身構えなくてはならない。
「では、君とユース君の辞表は取り消しね。
まあそもそもあれが広く周知されたところで、事情さえ聞けば君達をクビにしたがる騎士いないと思うけど。
うちの騎士団、叩き上げ構成なだけあって、話のわかる人ばっかだしね」
「あぁよかった……よろしくお願いします」
実はずっと、辞めさせられちゃったらどうしようと不安だったシリカなので、ここにきてようやく大きな安心を得ることが出来た。
話がわかる先輩方、騎士団であることは勿論信頼していたとも。
とはいえ、流石に今回はやったことがやったことなので、最悪を想定しないのもちょっと傲慢なのだから。
「んでね、もう実は考えてあるんだよ。ヤってもらうこと」
「そこまで全部予定どおりですか」
「君は僕にしばらく会わなかったせいで、こういう僕の性格もう忘れてた?」
「覚えてましたよ。ふんっ」
もういい年の大人が、なんて子供っぽく拗ねて顔を逸らすのか。こんな顔、絶対にユース達の前では見せまい。
ユースが先輩のシリカにべったりなように、彼を育てたシリカだって、尊敬する年上の前ではいつまでも、年下意識で童心だ。
ユースやアルミナからすれば貴重なシリカの姿だが、彼の先輩から見ればいつものシリカなので、貴重でも何でもない。
むしろ若い頃のシリカを知っている先輩騎士からすれば、毅然と後輩を導くシリカを見たりすると、あの可愛かったシリカが今は立派に上官やってるんだなぁと、微笑ましくなるぐらいなのである。
この後シリカは、この先輩騎士様に"剣舞"を要求されたのだった。
今宵、セプトリア兵らの前で、剣を片手に舞う見世物をするわけだ。
元の剣術の完成度があまりに高いシリカで、かつこの先輩に昔も同じ要求をされたことがあるため、見る者を魅了するだけのものを見せることは出来るのだが、普段のシリカは人前でそんなもの見せるのは恥ずかしいとして絶対にやらない。やれることすら周りに教えない。
先の話になるが、今宵シリカが仕事を一段切り上げてきたセプトリア兵の前、中庭にて顔を赤くして剣舞を舞う姿が見られた。
たいへん好評で喝采を浴びた。流石に拍手を浴びればシリカも照れたが、それ以上に恥ずかしかった。脇や股を大きく開く瞬間もあるから、正直彼女の羞恥心をして、衆目の前でやるのはきついのである。
たくさん働いてきた兵士達にとっては、仕事上がりにいいものが見れたというところであるが、剣舞が終わっての裏話、いやーいい見世物だったよと笑う先輩騎士を、シリカがぷくーっとむくれて睨んでいた。
「――以上が、この度の騒動の結論です。
それに伴い、エルアーティ様にも協力して頂ければというのが、我々一同の総意です」
「事情はわかったわ。
精神を残した霊魂の憑依とは、随分と黴の生えた事案が顔を出したものね」
シリカが先輩騎士様と語らうのと時を同じくして、セプトリア城の上層の一室では、お偉い様二人が顔を突き合わせていた。
セプトリア王国の大臣ダウィラスと、魔法都市ダニームの賢者エルアーティ。
今回の騒動を文によって知ったエルアーティは、この日箒に乗ってひとっ飛び、セプトリアの王都を訪れていた。
エルアーティに、今回の騒動の件を知らせた人物は二人いる。
ナナリーがニトロを処刑すると決めた朝、いち早く手紙を書いて送ったダウィラス。
加えて、その晩処刑の中断を求めるよう行動すると決断したチータの二名だ。
流石にチータ、エルアーティの名を勝手に借りる作戦を考案しただけあって、根回しも抜け目ない。
エルアーティは二人ぶんの手紙を受け取って、事情を半分知った上でこちらに赴き、今しがたダウィラスから事情の全貌を聞き受けたところである。
「私は私に何かを要求される場合、対価に何を求める性格かは知ってる?」
「はい。お望みとあらば、何でもお答え致しましょう。
たとえ現時点で判明していないことでも、後に調べてお伝えすることをお約束致します」
「ふふ、話が早くて助かるわ」
エルアーティには物欲が無い。金銭で彼女を動かすことは基本的に不可能だ。
代わりに彼女は何かを求められた時、対価として知識を要求する。学者ゆえの性なのか、相手から色々と話を聞きたがるのだ。
内容はその時によって様々で、時には相手に、答えにくいようなことや、機密的なことを聞いたりも。
それで満足いく解答が得られなかったら、残念だけどあなたの要求は呑めないわ、と最終的に結論を出すこともある、という具合だ。
何を頼むにも無銭で利く一方、もてなせなかったら動かせない、そんな賢者様である。
「そうね、まずハルマのことを聞かせて頂戴。
彼、一度辞めさせられたんでしょ? 今後どうするの?」
「辞めさせられたと言うよりは、ハルマが自分から危機感を感じて退いた、というのが適切なんでしょうね。
公には、ナナリー様が辞任させたような空気になっていますが、実際のところはナナリー様がハルマに辞任を強いたという事実はないようです」
「ああ、そうなんだ。
確認しておいてよかった、正しい知識として得られたわ」
「ナナリー様の行動や発言をベリリアルが支配していたのだとすれば、一手早くそのそばから離れたハルマの決断は、まさしく英断だったのでしょうな。
ハルマはアルバー帝国の側からすれば裏切り者ですし、ベリリアルの目線からすれば、ハルマも滅したい対象の一つで間違いありませんでしたでしょうから」
「実際、ハルマがお膳立てしたあらゆる計画は、異様なほどの先回りで潰されてきたのでしょう?
参謀ハルマの顔を潰し、やがてはその責任を追及し、彼を葬ろうとした青写真はベリリアルにだってあったんじゃない?」
「内からベリリアルの行動のすべてを目にしておられたというナナリー様から、ハルマの考案したあらゆる作戦を、文に書いて鳥にくくりつけたという証言も得られていますからね」
「ほらやっぱり。種がわかれば容易に想像がつくわ」
思えばユース達が来国して以来、ほぼ完璧であったはずのハルマの考えた作戦は、悉く穴を突かれてきた。
お忍びで雪山にピクニックに行った時もそう。狙い澄ましたように魔物達の襲撃だ。
あのお忍びの道程、行き先は、ハルマとナナリーとごく少数の身内のみが知っていたこと。
要はベリリアルがそれを知っている以上、配下のリープに伝書さえ届けられれば、すべて筒抜けでナナリー女王が危険に晒された図式は作れるわけだ。
伝書の手段は、リープの配下の魔物である、雉のカドテットであったと推測できる。
魔法都市ダニームに赴くはずの中、ハフトの都でピンポイントに、女王が在中する街が襲撃されたのもそう。
舞踏会当日に限って、魔物達が王都を急襲したのもそう。
妨害らしい妨害が入らなかったのは、ナナリーには作戦の全容が知らされていなかった、アルバーシティでの時ぐらいのものだ。
すべては、作戦の責任者であるハルマを嵌め、後に詰問するためだったと見て間違いないだろう。
あの時、激昂した顔のナナリーを前にして、一手早く自分から退任を申し出て、去ることを選んだハルマの決断が遅れていたら、やがては彼も女王の権限で以って、何らかの刑にかけられていたかもしれない。
「まさかとは思うけど、ハルマはナナ姫の内に、何か悪しきものが宿っているとまで気付いていたのかしら?」
「いえ、私もまさかとは思って当人に尋ねてみましたが、そんなわけなかろうと笑いながら言われましたよ。
ナナリー様にあのクソ皇帝の魂が取り憑いていたなんて、想像できる奴がいたら頭がおかしいとも」
「ふーん、じゃあ人生経験の賜物なんでしょうね。
彼は暴君が支配していた帝国の生まれだもの。屑上司の悪意と気配には敏感なんでしょうし」
「仰るとおりだと思います。
私が、よくあのタイミングで辞めて逃げられたな、と聞いたら、どう見てもナナリー様はおかしくなっていた、逃げないと危険だとしか思えなかった、と返されました」
ダウィラスだって最後には、今のナナリー様は少々おかしいと、ニトロとの密話で明言していたほど。
いち早くそれを察したハルマは、流石にダウィラス達よりもナナリーの近くで牙を見てきただけあるとはいえ、見事な決断に踏み込んだとしか言いようがない。
何でもかんでも見抜いていたわけではない。一方で、確証なくとも大きな行動に踏み込めたハルマは、ある意味その決断力を別次元で評価されるべきだろう。
「で、官職と王都を離れた後、彼はどうしていたのかしら?」
「カナリアを連れて、しばらくはぶらぶらと過ごしていたそうですよ。
ただ、独立記念日二週間前からは、必ず独立記念日までに帝国残党どものの動きがあるはずだと、王都周りを知己と協力して張り込んでいたそうです。
記念日一週間前に悪党どもが行動を起こしたことは、想定していたより早かったと言っていました」
「これまでも、妙に大事な日に限って悪党どもが動きを見せていたそうだものね。
ハルマもそういう傾向は見逃してなかったと」
「同じ事が騎士シリカ様にも言えますよ。
処刑の当日、魔物の襲撃があるのではと兵士達に警告を出してくれて、かの騎士様はと言えば東と南の関所の両方を守るための早馬駆け。
縁を育てていたシャプテ商会の方々にも協力を得て馬も借りるという、後から聞けば驚かされることばかりの立ち回りでしたよ」
「あらあら、面白いじゃない。1ポイントプラスしてあげる。
思わぬ形でなかなかいい話が聞けたわ」
王都を襲ったリープやベスタの侵攻が、彼らの思うがままに進まなかった最大の遠因は、やはりその行動を先読みして動いたハルマとシリカにあるだろう。
カナリアと共に、西と南の関所に魔物の襲撃を先んじて知らせたハルマ。
各関所に朝一番で注意勧告を出し、自分は東と南の関所で戦ったシリカ。アルミナとルザニアが、関所の守りに回って大きな戦力になったのも、そもそもシリカの指示あってのもの。
知己であるハルマとシリカが、こうもセプトリア王国に評価されるほどの活躍をしたと聞くエルアーティは、知識欲を満たすとともに、心情的にも楽しめる。
「で、最初の質問に戻るけど、そんなハルマは今後どうするの? 参謀職やめたまま?」
「意外なことに、ハルマ本人はそのつもりでいたそうですよ。
私が参謀職に戻れと言いましたら、もちろん不本意な形で辞めたには違いないが、自分から辞めた者がまた同じ地位に出戻りなんて格好がつかないだろう、と」
「ハルマの後釜に就いているあなたにも気を遣ってるんじゃない?」
「要りませんな、そんな気遣いは」
「まあやっぱりあなた達も、彼を手放したくはないわよね。
今となっては、正しい判断をしてくれているようで何よりだわ」
「もう決定していることですよ。ハルマ本人からも言質を取っています。
私は大臣を退任し、ハルマが元の地位に戻ることになっていますので」
「あら、ちゃんとハルマを心変わりさせることは出来たんだ?」
「ナナリー様が説得されましたので」
「泣き落としでしょ、どうせ」
「そうとも言います」
自分なりに国の面目というものを考え、元の地位には戻るまいと考えていたハルマだったが、正気に戻った女王様自ら赴かれて、説得されては断れなかったようだ。
というか、泣き落としというのは誇張ではなく、最初は女王様らしくハルマに謝罪し、元の地位に戻ることを頼んでいたナナリーだったが、ハルマが渋っていたらそのうち泣きだして。
あんなちっちゃい女の子に泣かれたら、ハルマもノーとは言いようがない。
名誉のために言うと、ナナリーは決して最初から泣き落とすつもりはなく、むしろ出そうな涙を必死に堪えていた方だが、ハルマがそばに帰ってきてくれなそうな話の流れになると、我慢できなくなったようで。
女王様と言ったって、見た目より年がいっているとは言え、17歳は17歳である。
感受性が豊かな年頃、その上元々感情豊かなナナリーなので、あんまり追い詰められると王様の仮面なんかどこかに吹っ飛んで、そんな顔を見せてしまうこともあろう。
元より身内のように親しかったハルマが相手では、そんな一面も尚更ではないだろうか。
「そうねぇ、それじゃ一つ約束してくれない?
後日、念のために大々的なミサを開くでしょうけど、その際私のそばにハルマをつけて貰える?」
「それは構いませんが……」
「ハルマにも直接聞きたいことが出てきたわ。
あなたに聞こうと思っていたこと、他にも色々あったけど、ハルマに直接聞くことにするわ」
話はまだまだ続けるつもりだったエルアーティだが、そういった流れに切り替えたようだ。
この時点で彼女は、頼まれたことに対する対価として、今の話は充分に足るものだと明言したに等しい。
「いいでしょう、あなた達のお願いは承るわ。
まあ少々、普通にやれば私の信念には反する部分もあるけれど、その辺りも含めて上手くやりましょう」
「寛大なお返事、心より感謝致します。
知り及ぶ限りでは、我々がお頼み申すこの案件、エルアーティ様には不愉快かとも想定していましたので」
「んー、まあ、"学説"とは厳密に定義せずいくなら、別にね。
気にしてくれなくてもいいわよ。そもそも、可愛いナナ姫がひどく困らされているんですもの。
せっかく来たのに何もせず、見捨てて帰るようなことは私もしたくないわ」
ベリリアルの魂に操られていたとはいえ、ナナリー女王が悪政を敷き、中央広場で大きな破壊を為した事実は、一部の民に小さくない不安を与えてしまった。
ニトロの処刑もそうだし、細かいことを言いだせば、ハルマが去った後、独立記念日に向けて税金の徴収が厳しくなったこともそう。
あれはきっと、ベリリアルの魂がニトロ達によって討ち果たされなければ、荒廃していくセプトリア王国の序章とも言える、腐敗した政治の開始点だったのだろう。
すべてはベリリアルの魂がやったことで、ナナリーには何の罪もないことなのだが、その一言で、だからもう女王様とこの国は大丈夫だ、と王国側が言ったって、真の意味では安心しきれない民もいる。
ダウィラスがエルアーティに頼んでいるのは、そんな民を少しでも安心させられる言葉を、名高い魔法学者の賢者様、エルアーティに発して貰うことだ。
ナナリーと一緒で見た目はちんまい、幼い少女の如しエルアーティだが、魔法や霊魂学において語らせるなら、彼女の声は大きな影響力と信憑性を持つ。
既にダウィラスは、エルアーティに語ってもらう会場も押さえてある。
今の地位を退いて、ハルマに参謀職へと戻ってもらう前、大臣ダウィラスの最後の仕事というやつだ。
「最後に一つだけ。
私に協力を仰いだのは、ナナ姫の指示? それともあなたの独断?」
「私の独断です」
「ナナ姫に相談した?」
「致しませんでした。渋るのが目に見えていましたので」
「やっぱりそうなんだ」
「絶対ではありませんが、あの方ならそんな顔をすると思います」
「はい、わかった。後でナナ姫に説教しておくわ」
「あー……まあ、何も言いますまい」
「大丈夫よ、あなたの立場が悪くなるような言い方はしないから」
「それは気にしていません。
またナナリー様がおへこみになられるなと思っただけです」
「それはあの子が悪い」
「まあ……私もあの方の、背負いすぎる一面は好きではありませんよ」
「あ、言いつけてやろうっと」
「ご勘弁を」
話は概ね纏まった。
完全に、世間話の空気になったことは、魔女らしくではなく、幼顔に似合ったくすくす笑いをエルアーティが見せ始めたことからも明らかだ。
親子のような見た目の二人、年の差は逆、敬意は双方お互いにあり。
大魔法使いエルアーティを、見た目に惑わされず正しく敬うダウィラスも大人だし、こうして正しい形で自分を頼ってくれる、ひいては賢者をも利用せんとする大臣の行動力もまた、エルアーティにとっては良い人材を見る目で拝めるというものだ。
「それにしても、聞く限りでは、アルバー帝国の残党はだいたい今回の騒動で切り捨てたらしいけど。
一番肝心な魔物使いが逃げっぱなしというのは懸念事項よねぇ。
独立記念日当日、まさかまだそいつに兵力が残っているとは考えにくいけど、関所の守りを入念にしなきゃいけないとなると、一部の兵士のとっては気の毒な話よね」
カイザー、ベスタ、フラックオース組の末端構成員の生き残りなど、王国に仇為す多くを粛清する形になったのは朗報だが、リープは結局戦場から逃げてしまった。
普通に考えて、此度の王都襲撃はリープやベリリアルにとっての大一番だし、魔物使いのリープも配下の全てを持ってきたことが予想できる。
それにしては、過去を思えば薄いぐらいだったので、数度の任務で駒を使ってきたリープは、先日の王都襲撃で兵力をすっからかんにした可能性が高い。
とはいえ、セプトリア王国の繁栄や幸福を望まないリープのことだから、ベリリアルという主君を失った今も、嫌がらせ目的で独立記念日に少数兵を差し向けてきて、水を差してきそうな予感がする。
エルアーティの見解どおり、どうせたいした兵力、魔物はいないだろうが、糞野郎というのは利害や勝算など抜きにしてでも、人の嫌がることをしたがるものだ。
だからタチが悪いし、リープはそれに該当しそうな人物だ。同郷のハルマも、これには同意するだろう。
せっかくのお祭りの日、そんな奴一人を警戒して、関所の守りに神経を遣わなきゃいけない兵士達というのは、確かにエルアーティの言うとおり気の毒だ。
「ああ、それはもう心配いらないんですよ」
「あら、意外な答え。そいつは逃げたんじゃなかったの?」
だが、そんなエルアーティの懸念に対し、ダウィラスの返答はさっぱりしたものだ。
まるで、今後もう二度とすら、リープに関しては心配いらぬと言わんばかりに。
「いや、これは私も驚いたんですがね。
自信がありますよ、かなり面白い話です。
我々の申し出を受けて下さったエルアーティ様には、良いおまけ話になるのではというぐらい」
「へぇ、ハードル上げちゃって大丈夫?
まぁ期待しすぎないように聞くわ。教えて頂戴?」
そうは言いつつ、エルアーティも少し楽しみな顔。
それに対して話し始めるダウィラスも、まるで忌み嫌っていた奴が散々な目に遭ったことを、ざまぁみろの想いで話すかのように声が弾む。
それはそうだ。リープのような奴を、ダウィラスが嫌わないはずがない。
先日、思わぬ形で不幸に見舞われたリープについて話すダウィラスの顔も含め、エルアーティは存分にその話を楽しんだものである。
話はこの少し前の日に遡るのだが。
「ご苦労、リペーズ。しばらくお座りだ」
「グルルル……」
セプトリア王都の襲撃に失敗し、諦めて逃げ延びたリープは、愛犬リペーズと共に山中に隠遁していた。
配下の魔物達を、別方面から王都を攻め込んでいたベスタや、フラックオース組の残党を見捨て、一人でさっさと危険から逃げ延びた形である。
リペーズに木の実を取ってこさせ、それをまず自分が食べ、その間はリペーズにお座りを命じる。
リペーズだって腹を空かせているはずだが、主従をはっきりさせるリープは躾を徹底しており、自分より先に食を取ることを飼い犬に許さない。
主のそばを離れている間も、つまみ食い一つしない忠犬だというのに、リープの中では未だに家畜以下の認識でしかないらしい。
「さーて、これからどうするかね。
あの運びでは、どうせベリリアル様も上手くはやっておらんだろうしなぁ」
リープはシリカが関所の守りに回ったのを見た時点で、やはり騎士団は違うと思ったものだ。
アルミナに仕留められたラポーダはもう帰ってこないし、少なくとも西の関所もいいように運ばなかったことは想像に難くない。
中央広場で何が起こったのかは知る由も無いが、勘でものを言うならば、騎士団の連中がこちらの想定外の動きをしている時点で、そちらも予定外の展開になっている可能性を見てしまう。
「まあ、潮時だろうな。
どのみち亡霊、従うだけでセプトリアの連中を困らせられていたのは面白かったが、そろそろ手を切っておかねばこちらに危険が及ぶかもしれぬ」
少しでも思い通りにいっていない風を感じたら、縁を切って流れ者に。
かつてアルバー帝国では、生前のベリリアル皇帝の隠し玉として、密かに私腹を肥やしていたリープながら、最優先するのは義理でも忠誠心でもなく、己の保身のみである。
そもそも彼は、革命戦争でアルバー帝国が滅ぼされんとした時、戦うことすらせずに逃亡したからこそ、生き延びてきた人物であって、最も可愛いのは自分だけなのだ。
ベリリアルによるニトロの処刑が成功したか失敗したか、それを確認しないうちから勘だけでものを言い、既にベリリアルとの縁切りを画策する程度には、この男は狡猾である。
「カドテットが戻ってきたら、北へと去ることにしよう。
よし、リペーズ、食え。貴様にはまだ走って貰わねばな」
リペーズに食事を許可したリープは、今後に向けての青写真を描き始める。
自分はセプトリア王国に追われる身。すぐに追っては来られないだろうが、向こうが動き出す前にさっさと逃げ、遥か北のセプトリア王国外まで逃亡する。それがいい。
足としてのリペーズは優秀の一言だ。リペーズが食事を終えた頃には、空に偵察に行かせているカドテットも帰ってくるだろうし、リペーズに乗って去るのみである。
あとはセプトリア王国の外、新天地にて新しい食い扶持を探せばいいのである。
魔物を使役できるこの才覚、表沙汰に出来る仕事は回ってこないが、需要に応えられるならそいつも悪人で、悪事をはたらくものに上手く取り入れば稼ぎやすい。
化かし合いなど慣れたものだ。新たな地にて、また悪行を重ねて生きていく心積もりのリープは、癖になった笑顔のままの感情、ほくそ笑んでリペーズを眺めていた。
逃げを打つことを決めた、このリープの判断は早かった方だ。
事実、彼がこのまま思うがままに動いていたなら、セプトリア王国は彼を永遠に取り逃していただろう。
「お、帰ってきたな、カドテッ……」
空から配下のカドテットが鳴く声がしたので、リープはその声の主を見上げた。
ご主人様ただいま帰りましたよ、の鳴き声に対する反応として、リープはいつもどおりの反応をしただけだ。
だが、リープが見上げるその上空で起こった出来事は、彼をかすかに青ざめさせる。
自分に向けて空から舞い降りてくる中、上空のカドテットを何かが撃ち抜いたのだ。
体を大きすぎる弾丸のようなもので撃ち抜かれたカドテットは、高い空の上でもわかるほど血を散らし、ぐらついたのちばさばさと羽をもがかせる。
しかし、何らかの衝突物が致命的であったのは明らかで、カドテットはリープのそばに帰ることも叶わず、少し離れた地面へと力を失って落下して行ったのだ。
「――リペーズ、行くぞ! そんなものは後だ!」
嫌な予感を感じてリペーズのついばんでいた木の実を蹴飛ばし、強引に背に乗るリープは速かった。
勘がいい。今の光景だけで、何らかの、相当にまずい予感を察したのだ。
逃げろ、ここは何かまずい。命の危険すらはっきりと感じる。
「グガ……ッ!」
「な……!?」
忠犬リペーズは食事を邪魔されてなお、背に主が乗ってすぐに駆け出そうとした、まさしくリープにとっては最高の相棒だった。
だが、それでも間に合わない。
走り出そうとした矢先、突然飛来した岩石の弾丸がリペーズの前足の付け根を撃ち抜き、走り出そうとしていたリペーズは前のめりに倒れてしまう。
リープも前のめりに崩れかけながら、何とか地面に中腰で降り立つが。
そこにはもう、希望など何一つありはしなかった。
がさがさと周囲の草木をかき分けて、リープに接近するいくつもの影。
殺気に満ちたそれから、リペーズを見捨てて走って逃げようとさえ思ったリープだが、四方八方から接近するそれらから、どこに走っても逃げ延びられる道理はない。
「く、くくくく……な、何の冗談だ、これは……?」
薄気味悪く笑ったままのリープの顔からは、嫌なほどの脂汗が流れる。
既に逃げ場なくリープを取り囲んでいたのは、十数体にも及ぶオーク達だ。
山賊よりも大きな体で、力もあって武装済み、ものによっては魔法も使える魔物達が、リープと傷ついて走れぬリペーズ、たった二つの殺傷対象を包囲しているのだ。
そんなオーク達の群れの中から、一歩前に踏み出したオークの長。
装飾をあつらえたその魔物が、オークロードであることは明らかで、そいつはリープの前に一つの大きな塊を投げつけてきた。
どすん、ごろん、と、リープの足元に転がされたそれは、言うなれば猿の生首だ。
それはまさしく、長年リープに仕えていたラポーダの頭部であり、足元に転がったそれから逃げるように後ずさったリープの前、オークロードの目は怒りに燃えている。
そもそも、復讐という概念を知るがゆえ、人里には手を出さない方のオークが、あんなにも大挙して王都へと侵攻してきたのは何故か。
迎撃からの身内全滅も考えられる愚行に、オーク達が及んだ理由は何だったのか。
そうした過激な行動でオーク達が何かをする時、その動機は復讐だと相場が決まっている。
リープはあの日の数日前、オークの少数体をフラックオース組の末端構成員と共に殺害したのだ。
そうして、人間がオークを殺したという事実を作り、その矛先をラポーダを使って扇動し、セプトリアの王都に差し向けたのである。
その時に使った人間の配下は、リープの手によって始末され、復讐の矛先を失ったオーク達が、魔物同士で疎通のできる、ラポーダに扇動される流れは流暢だった。
ラポーダを信じて王都に攻め込んだオーク達は、そうした形でリープに利用されていたのである。
オークロードが騙されていたことに気付いたのは、本当にあの日の最後の最後だ。
ルザニアはどうだったか。あの戦場でのラポーダはどうだったか。
武器を捨ててでも何かを訴えてきたルザニアと、丸腰の彼女の姿を好機としか捉えず、オークロードの意向も無視して殺害しようとしたラポーダ。
何かに気付くきっかけとしては、それで充分だったのかもしれない。
おまけにあの日、戦場には、ラポーダと明らかな連携を取っていたカドテットが上空にいた。
ルザニア達セプトリア陣営に敗北を認め、戦場を去ったオーク達は、遥かなる空へと逃げていったカドテットを、訝しげな興味と共に追跡した。
その末に辿り着いたのが今、目の前のリープである。
あの健気な人間を、制止も聞かずに殺さんとしたラポーダ、それに繋がりのあったカドテット、その先にあったのが、魔物を従えた人間というこの図式。
そうか、すべてはお前だったのか。
ぎしぎしと眉間に皺を寄せ、目を真っ赤に光らせるオークロードに連動して、周囲のオーク達もいっそう殺気を増す。
「ま、待て……貴様ら、私の話を聞く気はないか……?
私は、魔物を遣わせて利を生む人間だ……貴様らの協力があれば……」
じりじりと包囲の輪を小さくするオーク達に、凍り付いた笑顔のままリープは話しかけていた。
魔物に言葉が通じるはずがない。彼とて魔物を初めて懐に入れる時、そんな手段を軸にしていない。
どう足掻いても逃れようの無いこの状況、彼に出来るのは口を開くことしかないだけだ。
「わ、悪いようにはせんぞ……!?
貴様らが望むなら、相応の……」
地面でもがいているリペーズは戦力にならず、リープも彼自身が高い戦闘能力を持っているわけではない。せいぜい護身用の魔法が使える程度である。
配下も手駒も全く無く、十数体のオークから逃げ延びられる道筋など一つもない。
「た、頼む、見逃し……私が悪かっ……
ぎゃああああああああああっ!?」
見苦しく口を動かすリープを射程圏内に捉えたオークロードは、有無を言わさずその杖を振るった。
リープの肘を横から殴りつけた硬い杖は、オークの腕力に従ってリープを殴り飛ばし、細腕の骨をへし折って地面に倒れさせる。
徹頭徹尾、笑顔の仮面を貫いていたリープの表情が、数年ぶりにそれ以外の表情に染まった。無論、あまりの激痛に絶叫する、地獄に落とされた悪党の醜い叫び顔だ。
そこから続いたのは、もはや一方的な虐殺だ。
オークの一体に踏みつけられ、首の骨が折られたリペーズが息絶えた目線の先、棍棒で全身の骨をぐしゃぐしゃに叩き潰されるリープの姿があった。
叫び悶えるリープの声は、まさしく復讐の一幕を物語る効果音でしかない。
身内を殺した復讐対象にとうとう辿り着いたオーク達は、頭を潰せばそいつの苦痛が終わることを知っているかのように、リープの脚を、腕を、何度も何度も叩き潰すのだ。
粉々になった骨が肌から突き出したリープが、やがて目を剥いて完全に息絶えてもなお、オーク達の虐殺は続いていた。
息子を殺された父、そして母親を殺された娘。特に目が血走っていたオークが、しつこく、何度も、リープの死体を殴り潰していたのが象徴的だ。
それは、身内殺しに対する復讐。感情を持つ魔物の獰猛さは、人にも圧倒的に勝って恐ろしい。
エルアーティがダウィラスと顔を合わせた前日、オークロードが二体の仲間を引き連れて、セプトリア王都の関所を訪れた時は、はじめ兵士達も警戒した。
しかしオーク達は、弓で射られることも厭わぬかのように、ゆっくりと関所に近づいてきた。
そして、閉じられた門の前に、切断したリープの首を置いたオークロードは、己の杖と頭の草冠をそばに置き、そのまま関所に背を向けて立ち去ろうとしたのである。
人に通じる言葉を発せぬオーク達。
そんな彼らにとっては、これがせめてもの想いの伝え方だったのだろう。
あるべきだった復讐の対象をセプトリア王国に示し、それは同時に、自分達が間違った復讐心で、人里をあんなにも激しく攻め立てた過ちを認める行動だ。
謝罪に際し、支払えるものなど何もないオークロードは、自分自身のアイデンティティーですらあった杖と装飾品を手放すことしか閃かなかったのだろう。
謝罪に頭を下げる習慣などオークには無い。通じずとも、彼らなりに、何らかの形で、人里を攻め込んだ謝罪を遂行しようとした表れだ。
去ろうとする三体のオークを、セプトリア兵数名が声をあげて追い、足を止めさせる。
振り返ったオークロードに、駆け寄ったセプトリア兵は、杖と草の冠を返した。
やはり魔物は怖い、近付くだけでも勇気が要ったのだろう、渡してすぐに後退して距離を取ったが。
それでも、思わぬ人間の行動にオークロードが驚く中、セプトリア兵達は魔物に敵意の目は向けていない。
そこに対話はなかったけれど。
改めて去る三体のオークを追う人間は一人もおらず、無傷で人里から帰ってきた首領含むオーク達の姿は、迎える仲間達に抱きしめられて喜ばれた。
人と魔物は分かり合い難い存在同士だ。しかし、決して理解し合えぬと断定するには、不確定要素も存在する。
忌々しくも、リープこそが、魔物と人間が手を結べる生き証人ですらあったぐらいなのだから。
もう、あのオーク達は、人間を襲うことなど決してないだろう。
セプトリア王国の兵士達も同様だ。
互いに何かを奪い合うことなく、互いの領分の中で生きるのなら、決して表立って手を結んでいなくても、それは共生という前向きな言葉で表現される。
独立記念日を前にしたある日、王都の少し外で唐突に訪れた極めて稀有なこの現象は、セプトリア王国に身を置く二つの種族が、はっきりと敵対しないことが確約された重要な出来事でもあったのだ。
悪は討たれ、最後に残ったのは、絆とは呼びきれぬほどの、しかし確かに小さな理解。
悪影響しか及ぼさぬ屑を嫌うのは、人も魔物も全く同じということである。




